四ツ谷駅前(東京都新宿区)が、いま大きく変わろうとしている。「四谷駅前地区第一種市街地再開発事業」と呼ばれる大規模再開発がスタートしたのだ。

Jタウンネット編集部からほど近いエリアであるが、同僚記者に話を振っても、みな「知らなかった」。そこで今回は、開発の概要を紹介したいと思う。

31階建ての高層ビルもできる

対象となるエリアは07年に閉校した四谷第三小学校跡地と、財務省公務員宿舎跡を中心とした一帯。東は外堀通り、南は三栄通りに面した、駅前の一等地である。


ありし日の再開発地区(2016年2月撮影)


すぐに解体が始まった(16年4月撮影)

都市再生機構(UR)が出した一般競争入札公告の仕様書(2016年2月24日付)によると、地区面積は約2.4ヘクタール。16年8月に着工され、19年10月に竣工、同年度末に事業完了予定だ。


再開発後の予想図(発表資料を基にJタウンネット制作)

UR公式サイトで紹介されているパンフレット(14年4月現在)によると、この地区には「外堀棟」(6階)と「三栄通り棟」(7階)、「教育棟」(7階)、「文化国際交流拠点機能棟」(4階)、そして31階建ての「業務タワー棟」がそびえたつ。また、エリアの西北部には「地域の広場」が設けられる予定になっている。


テープの下には「四谷第三小学校」(三栄通り沿いの地図、16年2月撮影)

対象となるのは、2つの区画。すでに16年1月末までに、解体予定のビルテナントは退去している。また区画の間には、東西に区道が走っていたが、こちらも2月15日付で廃止。道路跡地も含めて、新たな1つの区画として生まれ変わる予定だ。


区道は廃止され、ひとつの区画になる(16年2月撮影)

閉店、移転...仮設店舗での営業も

では、退去したビルテナントは、どうなったのだろう。チェーンの店舗は完全閉店した所が多い。ひと足早く、サブウェイ四ツ谷店が15年10月末に閉店。ドトール、カプリチョーザ、セブン‐イレブン、日高屋、そしてコージーコーナーと閉店が続いた。


日高屋跡地(16年2月撮影)


とある和食店には「手書き」の閉店告知が(16年2月撮影)

セブン‐イレブンとドトールの辺りには、かつて「祥平館」という旅館が存在した。ときは1972年。作家の故・赤瀬川原平さんらが、この裏手を通った時に、どこにも通じていない、ただ「上って下りるだけ」の階段を見つけた。これを面白がって、「純粋階段(四谷階段)」と名付け、街中にある無用な長物を「超芸術トマソン」と呼ぶキッカケとなった。


セブンの入っていた祥平館ビル(14年10月撮影)

Jタウンネットは2014年10月、赤瀬川さんの訃報を受けて、この「純粋階段」探しを行った。外堀通りの拡張により、旅館は移転・建て替え。跡地には1975年、ビルが建設された。このビルも再開発のため、すでに姿を消している。


となりにはドトールがあった(14年10月撮影)

一方で、この地に「残る」店舗もある。「地域の広場」予定地に設けられた、仮設店舗で営業するのだ。四谷駅前郵便局と、山の店デナリ(登山用品店)、典礼センターピエタ(師イエズス修道女会)、清水医院、平野法律事務所、日米会話学院が、こちらに移転してきた。


プレハブの仮設店舗(16年2月撮影)

ガラス張りでオシャレな「桜美林大学四谷キャンパス」も姿を消した。これは08年に開設されたばかりの施設。再開発事業によって、わずか8年で短い生涯を終えることとなった。キャンパスは千駄ヶ谷へ仮移転、いずれ新大久保へと移る予定だ。この建物には「日米会話学院」も併設されていたが、前述のとおり数十メートル離れた仮設施設に移転。19年10月に再開発ビルの「教育棟」に入居予定だ。


すでに多くのビル跡地が更地に(16年6月撮影)

このほか、個人経営の店舗も、いくつか閉店した。また、新宿御苑そばへ移転した「平山胃腸クリニック」や、池袋へ移転予定のライブハウス「四谷mono」のように、新天地で営業を続けるところも多々ある。

完成は3年後。オリンピックを前にして、東京の新ランドマークのひとつになるのは間違いないだろう。