いちばん多忙だったときは「寝るというより気絶してた(笑)」と明るい話も多かった、山田邦子
「今はとっても楽しくて、最高です! 完全にフリーになってマネージャーもいないので、メールや携帯電話が命ですね。請求書の作成や原稿チェック、写真データの送付、ギャランティーの交渉なども全部ひとりで大変ですけど、初めてのことばかりで楽しいですよ。
事務所を辞めてすぐに、知り合いに営業をかけて、すでにいくつか仕事もいただきました。ギャラの金額を自分で言うのが、まだ少し恥ずかしいんですけどね(笑)」
社長には何度も伝えた
「ケンカ別れじゃなく円満退社なので、今までのレギュラー番組も引き続き出させていただいていますし、全部ひとりで業務を行う以外は変わってないんですよ。フリーになったのは、いろいろな“節目”が重なったことが大きかったんです。
『令和』になったり、芸能活動40周年を迎えたり、来年で60歳になるし、新しいやり方をやってみてもいいかなと思いました。そもそも“新しいこと好き”で、'60年生まれということもあって“0”や“5”などの切れ目の数字が大好きなんですよ(笑)」(山田、以下同)
「数年前に社長が代わり、マネージャーのシステムも変わったんです。以前までは、1人のタレントにつき、1人のマネージャーだったのが、今はバラエティー班、音楽班、ドラマ班のように、ジャンル別でそれぞれマネージャーがつく形になって。なんだか、3つ4つの事務所と仕事している気がしたんです。
これはしかたないことかもしれませんが、若いマネージャーさんが私をリサーチすることになり“芸能界のお友達は誰ですか?”と聞いてくるので“例えば倍賞千恵子さんかな”と言っても、倍賞さんを知らなくて。そんなレベルの説明をしていると、さすがにつらくなってきちゃって」
「太田プロは、関東で老舗の演芸事務所のひとつなのに、そういった芸事の公演に誰ひとり顔を出さないのは、やはり違和感がありましたね。私は今年『杵勝会』の名取『杵屋勝之邦』も襲名して、芸能と関係している仕事なのに、事務所のスタッフに関心がないのは寂しかったです。
社長やスタッフには“変じゃない?”と何度も伝えたのですが、一向に動く気配はありませんでした。だったら、フリーのほうが自由にできるなと思ったんです」
フリーになって心機一転
「仕事面でのアドバイスをいただいたこともあります。まだ若いころのことですが、私はピン芸人なので自分のネタが終わったら“黙っていればいいや”と思っていたのですが、たけしさんから“テレビに映っているときは、なんでもいいから参加しろ”と言われましたね。
「テレビドラマの現場に行くと、宇津井健さんや津川雅彦さん、夏目雅子さんにもよくしていただきました。大河ドラマで津川さんと共演したときに“上手になったな。お前のことを勘違いしていたのかもしれない”とおっしゃってくださり、うれしかったです。
「趣味が多いので、そういった面も生かしていきたいと思っています。例えばオペラや歌舞伎、釣りやスポーツなどにも、それぞれ知り合いがいるので、仕事を生み出せる“サロン”のようなシステムを作りたいですね。