波岡一喜 撮影/山田智絵
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「あはははは。冷たく見えるから、そのギャップですよね(笑)。ただ、やっているほうとしてはそこを狙う気持ちはなかったので、全く予期せぬ反応でした。円四郎さんを守れなかった回の反応は予想していましたが。無口な恵十郎をそこまでちゃんと見てくださっていることが、とてもうれしかった」
「僕の中では、静かに自分の仕事をまっとうすることだけを考え、演じていました。寡黙を中心に置いている分、笑顔、そして斬られた際にもギャップが生まれていく……という。
「漠然と僕が思い描く川村恵十郎をやっていたんですけど、血縁の方に、そう言っていただけたことは、間違ってなかったのかなと思いましたね」
俳優になりたい!猛勉強して、早稲田へ
「当時、トレンディードラマが流行っていて。“カーンチ、セックスしよ”の『東京ラブストーリー』がとっても面白くて。見ているこっちがこんなに楽しいんだから、ブラウン管の向こう側はきっともっと楽しいんだろうな、と」
「俳優を目指すからには、やっぱり東京。親が出した上京の条件が“大学に行け”だったんですが、全然勉強してなかったので1年浪人して。寮に入り、テレビも見ず、夜8時以降は部屋から出ず。ストップウォッチで1日10時間を計り、サボることなく猛勉強しました」
「30歳までに俳優として成功しなかったら起業しようと思ったので、経済を選びました」
「なかったなぁ。うん、なかった。ただ、ゼミのつながりでマスコミ系のバイトはたくさんしました。通信社とか、御社の『すてきな奥さん』編集部でも(笑)」
「大学3年から27歳まで。『プライド』( '04年)やって、『パッチギ!』( '05年)やって、『電車男』(同)やっても、まだ食えてなかったので。“明日、オーディションなので休みます”も受け入れてくれて、とても居心地よかったですよ。
「役は取り合いですからね。“なんとなく役者やってます”“なんとなくオーディション来ました”。そりゃ受からないですよね。バランスのいい小さな五角形を作る人間なんて、誰も興味がない。へこんでいるところはあっても、ボーンと突出しているところを面白がってもらわないと。なので、そのスタンスとして“闘争心あるよ”と伝えていました。“趣味ケンカ、特技ケンカです。よろしくお願いします”って(笑)」
子どもは3人、毎朝一緒に幼稚園へ
「今はもうソフトですよ。超ソフト(笑)。大人になったから? うーん。子どもできて、圧倒的に丸くなりましたね。守るものが大きいでしょ?」
「いいか悪いかでいったら、いいお父さんだと思いますよ(笑)。仕事で遅くなっても、朝8時には子どもと嫁と手をつないで、3人で幼稚園に行ってますから」
「ただ、ね。中2の娘は“パパにはちょっと学校には来てほしくない”みたいな感じなんですよ。多感なときだし、反抗期なのかもしれないけど。きっと、自分が娘にとって自慢できる俳優になれていないんじゃないかなと、最近、痛感していて」
「僕が怖い役をやったり、ちょっとアウトローな役をやったりすることは多分、娘は嫌なんだろうな。
コラム
『青天を衝け』、今後の見どころは?
「幕末って戊辰戦争とか西南戦争とか、事件がいっぱいあるじゃないですか。そのポイント、ポイントを全部取り上げていくわけではないのが『青天を衝け』。今までとは違う描かれ方ですよね。
俳優をやめたくなったこと
「あります、あります。30代前半〜半ばぐらいかな? もうバイトはしてない時期です。俳優として0から1に上がることも難しいけど、1から2に上がることはもっと難しい。たとえ多少の乱高下があろうとも、引いて見たときに右肩上がりであれば、やめようとは思わない。でも、実際には下がっていく時期がある。そこが我慢しきれないとやめようと思うし、実際やめていく仲間もいましたね」
「うーん。何ですかねぇ? 友達、ですね。みんな同じ悩みを抱えていましたから。決め手になったのは上地雄輔の言葉ですね。“馬鹿じゃないの? おまえが今やってる役、何人やりたいと思ってるヤツがいると思う? その役をおまえが今やってる時点で、おまえがやめるなんて馬鹿だよ”と。“だよなー!”ってガブガブガブガブッて酒飲みました(笑)」
職務質問なんて、ザラ!
「そんなにないですよ? 見た目が怖いから、僕が普通にしゃべっているだけで“すごい優しい人なんだ!”ってなるし(笑)。逆に聞くと、どんなことがあると思います?」
「ああ、そんなの(笑)。職質なんて今まで山ほどされてますから。ザラですよ。それこそ、俳優になる前からですから、苦労のうちに入らないですね。ちょっと前も、さんざん職質されたあげく、最後に“俳優さんですよね?”と。さすがにちょっとイラッとしました(笑)」
大河ドラマ『青天を衝け』
毎週日曜夜8時〜(NHK総合)ほか