もう50代?と嘆くなかれ。まだ道は半ばです。50代でなお活発に、新しい道を選択する人はたくさんいます。恐れず、邁進あるのみ!
[坂田阿希子さんの転機]教室のアトリエ探しから一転、自身のお店を開くことに。
「50代なら、何かあっても挽回できる。やるなら今しかない、と思いました。」
独自の視点でおいしさを追求したレシピと、親しみやすい人柄で多くのファンを持つ、料理家の坂田阿希子さん。自宅で料理教室を開くかたわら雑誌やテレビで活躍し、一年に数冊のレシピ本を上梓……と大忙しだが、この夏、大きな決断をした。なんと、レストランをオープンするべく準備中という。
「自分でも、まったく予想していなかった展開なんです」
と、坂田さん。新たな一歩を踏み出そうと決めたわけを、語ってもらった。
アトリエ探しに苦戦していたとき、とある店舗物件が舞い込んできた。
実は坂田さんはもともと、飲食店での経験が長い。20代前半に勤めていた出版社を辞めて料理の道に飛び込んだときに、「現場で技術を習得したい」と、パティスリー2軒とフレンチレストラン1軒に、合わせて約9年勤めた。
「相応のものを提供し続けなければならない厳しさがある一方で、そこでしか得られないライブな楽しさがある。お店は特別なものという思いが、そのときから常に自分の根底にありました」
やがて30代初めに料理家として独立。数年後に仕事が軌道に乗ると、そこからは雑誌や書籍の撮影、料理教室、と、ひたすら走り続ける日々だった。そうして、40代半ばになったとき、
「今の生活は楽しいけれど、いつまで続けられるかわからない。そろそろ自分のペースでできる基盤を作りたい、と思って。私にとって大事な場である料理教室の開催回数を、大幅に増やすことにしたんです。自宅だと手狭なのでアトリエも探し始めたんですが」
その物件探しが難航。いっこうに決まらず4年が過ぎた今年の半ば、たまたま知人から、代官山のとある店舗物件が空いたと知らされる。
「素敵な場所で、通常は市場に出ない物件。『持ち主がきちんとしたお店を開ける人を探していて、その気があれば紹介するよ』と言われたけれど、そのときはまさか、と思っただけでした」
でも、と坂田さん。「ひとりになって考えたときに、そこでやりたいことが鮮明に浮かんできた。自分がその店で働く姿が、無理なく想像できたんです」
ジャンルは絶対に洋食。あえて品数を少なくして、手間を省かずに自分が譲れないと思う味を再現してーーアトリエという構想とは違ったけれど、
「お店も拠点に変わりはないし、何よりこんな機会は一生に一度。万が一失敗しても50代ならまだ何とかなる。今しかない、やってみよう、と」
翌日、知人を通じて契約を申し込む。話はすぐにまとまった。
愛してやまない洋食を、スペシャルな形で提供したい。
かくして始まった、店作り。坂田さんの目指すものは明確だ。まず、メニューは洋食、それも少数精鋭は揺るがない。小さい頃から「洋食っ子」だという坂田さん、洋食には深い思い入れがある。そのルーツは、新潟県の実家近くの、とあるレストラン。
「家族みんなで、本当によく通ったお店で。チキンソテーにビーフシチュー、カニクリームコロッケ。丁寧に作られた洋食がどれも抜群においしかった」
その記憶が、自身のレシピにも反映されている。取材に訪れたこの日は、メニュー候補のひとつ、チキンマカロニグラタンを試作中。工程それぞれに工夫があり、贅沢な味わいだ。
「どのレシピも私にとっては特別。それを多くの人に直接味わってもらえるのは、幸せなことだと思います」
内装は、「クールすぎず、力の抜けた感じ」が理想。ヒントを求め、お気に入りの洋食屋をはじめ、多くのレストランに足を運んだ。なかでも東京・青山のフレンチレストラン『ル ブトン』は、
「以前から大好きなお店。お料理はもちろんですが、内装の雰囲気が絶妙で」
シェフの杉山将章さんがとりわけこだわったのは、厨房の人間と座った人の目線が同じ高さになるカウンター。
「椅子が高いと、女性は床に足が届かず座り心地が悪い。それがいやで、椅子の脚を切って調整しました」(杉山さん)
そんな考え方も、「私の志向としっくり合っていて」と坂田さん。「寸法や動線を参考にさせてもらおうかと」
『ル ブトン』を開く際、自身もさまざまなことを考え抜いたという杉山さん。
「お店は、料理を作る人そのもの。自分が経験したこと、大切にしていることを注ぎ込んで、集大成として表現できる場です。それを忘れないで」
そんなアドバイスを寄せてくれた。レストランを開こうと決めてから3カ月。準備は急ピッチで進んでいる。※
「何ごとにもタイミングってあるんですね。アトリエが見つからなかったのは、この機会が待っていたからかもしれない。やるからには全力でやります」
※この記事は2019年に掲載したものです。
現在は洋食 KUCHIBUEを代官山にオープンしています。
『クロワッサン』1003号より