映画『SUNNY』で90年代やコギャル文化が話題に

2018年9月17日更新

「コギャルブーム」真っ只中だった90年代に青春を謳歌した女子高生グループのメンバーが20年以上の時を経て再会する模様を描いた映画『SUNNY 強い気持ち・強い愛』が公開され、今あらためて90年代カルチャーに注目が集まっています。今回は、懐かしいコギャル文化や90年代に流行した事柄をまとめてみました。

映画『SUNNY 強い気持ち・強い愛』公開で90年代に再注目

90年代の青春が詰まった作品

本作は、韓国映画『サニー 永遠の仲間たち』を原作とする青春音楽映画。コギャルブームに沸いた90年代に青春時代を送った女子高生の仲良しグループ“サニー”の6人は、20年以上の月日の末に大人に。専業主婦になった奈美(篠原涼子、高校時代・広瀬)は、再会したチームリーダーにして親友の芹香(板谷由夏、高校時代・山本)が末期がんに冒されていることを知り、6人で再集結するべく奮闘する。

音楽は90年代に一大ムーブメントを巻き起こした小室哲哉が担当

豪華キャストも話題だが、本作の白眉は、あの小室哲哉が映画音楽を手がけていることであり、TKサウンドとして一世を風靡した超花形プロデューサーの楽曲群が惜しみなく画面を彩っていることである。
バブル景気はとっくの前に崩壊している。1995年には阪神淡路大震災やオウム真理教による地下鉄サリン事件が起きた。崩壊とコミュニケーション不全。決して前を向いて歩けるような時代ではない。世相としては暗かったはず。
だが、若者たち、とりわけコギャルと呼ばれる女子高生たちはキラキラしていた。そのキラキラの一翼を担っていたのは、間違いなくTKサウンドだった。明るい未来が待っているなんて、とてもじゃないけど言えない。でも、小室の歌たちは、日本が漠然と抱える不安と痛みを束の間やわらげるダンスを繰り広げていた。刹那と高揚のマリアージュが、かけがえのないキラキラを運んでいた。

劇中でのコギャル完全再現で「コギャル文化」に注目集まる

90年代に青春時代を過ごした女子なら悶絶必至

歌手の安室奈美恵さんの「SWEET 19 BLUES」「Don’t wanna cry」をはじめとした90年代のヒット曲がふんだんに使われ、ルーズソックスやプリクラ、ヒステリックグラマーのショッパーなど90年代に女子高生の間で大流行したモノが次々と登場し、90年代に青春時代を過ごした女子なら「懐かしい!」と悶絶するのは必至の映画『SUNNY 強い気持ち・強い愛』が公開中だ。
劇中の過去パートで90年代のコギャルを演じる広瀬すず、山本舞香、池田エライザ(21)らは、ルーズソックスやギャルショップのショップバックを駆使して当時のコギャルカルチャーを踏襲。もちろんルックスも肌の色や髪色、マユの細さにまでこだわりぬき、伝説のギャルファッション雑誌『egg』が生み出した「eggポーズ」をバッチリ決めているのだから、もはや完全擬態だ。

SNSでは世代を超えて話題に

公開から2週間。「コギャルとはほど遠い高校生だったけど、懐かしかった」「ジェネレーションギャップはあるけど、いつの時代も青春のキラキラ感は変わらない」「ファッションはマネ出来なかったけど、音楽はいつも身近に感じてた」など、SNSでは世代を超えて話題に。

SNSを見てみると、90年代に青春を謳歌したと思われる人たちの「懐かしい」という感想はもちろん、90年代に“生まれた”とする人たちからも「世代は違うけど懐かしい気持ちになった」といった声が多く挙がっています。
そんな世代を超えて注目を集める90年代カルチャーについて見ていきましょう!

90年代の女子高生を席巻した「コギャル文化」

コギャルの発生は1990年代中期?

ギャルのイメージは人それぞれだが、ギャルというカルチャーをイメージ付けたのは俗に言うコギャルと言われていた存在ではないだろうか。ガングロと言われるくらい肌を焼き、派手な色遣いのファッションに独特のギャル語を駆使した少女たち。雑誌ならばegg以外に考えられない。
コギャルの発生は1990年代中期だと言われ、eggの創刊は1995年。
語源は高校生ギャルの略とも、子ギャルの意味とも言われますが「従来的な“ギャル”が女子大生以上の世代を指した」という前提では共通します。この文化の系譜にある少女たちは、やがて単に「ギャル」と呼ばれるように。

90年代の謎に満ちた(?)スクールバッグの文化

先日、Pouch編集部で盛り上がったのは当時のスクールバッグ文化について。潰す、破壊、交換、他校のバッグをあえて持つ……バッグひとつにそれぞれのこだわりが詰まってて、こだわりがハンパないっ!!
「〇〇高校のスクールバッグがステータス」は、出身エリアによってちがってきそう。首都圏だと法政や慶應、都立片倉高校などのバッグが人気で、男子校のをあえて女子が持つのもオシャレだったようです。

伝説のギャル雑誌『egg(エッグ)』

ギャル向けファッション雑誌、 『egg』。数々のギャルカルチャーを生み出し、最盛期は50万部を誇った。株式会社MRAにより2018年3月にwebメディアとして復活し、従来のマインドとコンセプトはそのままに、次世代ギャルの最先端を”ファッション”、”ビューティ”などの4つのカテゴリーに分け、動画を中心に様々なSNSや媒体を使ってガールズカルチャーのトレンドを毎日発信している。全国各地にギャルネットワークを形成し、読者参加型コンテンツの充実で日本全国からギャルカルチャーを盛り上げている。

ギャルカルチャーにインスパイアされた芸能人

“ギャルマインド”を自身のファッションブランドで受け継いでいる水原希子

「水原さんはギャルカルチャー全盛の当時まだ子どもでした。大人になってから当時の雑誌を買い集め情報収集しているそうですが、その知識量は通も唸らせるほど。90年代に大流行したブランド・ESPERANZAやALBA ROSAを特に敬愛しているといいますね」(ファッション関係者)
「数年前まで人の目を気にしていたという水原さんは、雑誌で知った当時のギャルたちの『人の目を気にしない』というマインドに感銘を受けたといいますね。それからは『ありのままの自分でいよう!』と決めたそうです。そういった“ギャルマインド”は自身のプロデュースするブランド“OK”にも受け継がれていて、ギャルファッションを反映したプロダクトは『自分のためのファッションを大事にしよう!』という水原さんからのメッセージだそうです」(ファッション関係者)

90年代カルチャーをオマージュした青山テルマ

青山テルマは7月25日に発売するニューアルバム『HIGHSCHOOL GAL』に先駆けて、5月28日に新曲「世界の中心~We are the world~」を配信リリース。この楽曲がまさにユーロビートであり、MVでは渋谷109の前でパラパラを披露したり、かつての人気番組『進め!電波少年』(日本テレビ系)のような映像が登場したりと、90年代カルチャーに対するオマージュにあふれているのだ。
ニューアルバムは、『HIGHSCHOOL GAL』というタイトルの通り、テルマの高校時代にはやった音楽やカルチャーへの愛情を詰め込んだ作品となっています。そのリード曲である『世界の中心~』は、“ギャル”という90年代象徴するかのようなカルチャーがテーマとなっている。

現代に生きるギャル「ゆきぽよ」

ナチュラルメイクが今のトレンドの中、90年代後半のギャル全盛期を思い出させる彼女のスタイル
――同世代の子たちが“ギャル上がり”しても、ゆきぽよが変わらずギャルでい続ける理由って何なのでしょうか?
「うーーん。なんというか、ギャルとして生まれちゃったからギャルにしかなれないんですよね。生まれ持ったギャルなんです!」

昔と今では楽しみ方が違う? プリント倶楽部(プリクラ)

今のプリクラは、これでもかというくらい“盛れる”のが当たり前。実物よりも目はクリッと大きく、撮影後に画面の加工でメイクを施し、「いかにかわいい仕上がりにするか」が主流の楽しみ方になっています。
もともとは「いかにかわいく写るか」ではなく、友人たちと共有した楽しい時間を、その時のテンションそのままに記録するようなメディアだったなあ……と、今回久々にプリクラを楽しんだアラサーたちも、青春の一時を思い出しました。

90年代に社会現象となったモノ・コト

全世界累計4000万個の大ヒットとなった「たまごっち」

小型ゲームのブーム火付け役となった、たまごっち。生産が追いつかず価格が高騰するほどの人気でした。学校に持って行って没収された人や、たまごっちが死んでペットロス症候群のような状態になった人もいました……。
1996年11月23日に発売した携帯型育成ゲーム「たまごっち」は、2016年に発売から20年を迎えました。1996年の発売から約2年半で、全世界累計4,000万個を販売する大ヒット商品となり、社会現象を巻き起こしました。2004年に、「かえってきた!たまごっちプラス」として復活し、赤外線通信機能による通信遊びが小学生女子を中心に支持され、再び大ブームとなりました。

昨年11月、初代「たまごっち」完全復刻

上記のように04年以降、新しい遊びや機能を追加したシリーズが販売されていた「たまごっち」。昨年11月には「祝20しゅーねん!たまごっち」として初代たまごっちが完全復刻されました。

「祝20しゅーねん!たまごっち」は、初代「たまごっち」のパッケージや本体サイズ・デザインだけでなく、ごはん・おやつをあげる、病気の治療、トイレの世話といった“お世話遊び”の要素もそのまま復刻した初めてのモデル。

海外でも復活

2017年にはたまごっち20周年を記念し「初代」&「新種発見!!」のたまごっちが復刻(海外でも復刻されてたみたいですね)。やっぱり当時ハマった世代の心に響くものがあったのでしょうね、結構人気で売れたみたいですよ。
そんなたまごっちがまた蘇るというのです。バンダイアメリカは今秋に、たまごっちシリーズの第1世代・第2世代(新種発見!!)を復刻を発表。8種類のニューカラーと8種類のクラシックなカラーでなつかしのtamagochiの復活です。

また、海外ではスマホアプリとしてもリリースされているようです。

世界最高売上記録を持つ宮沢りえの写真集『Santa Fe』

1991年10月13日の読売新聞、翌日の朝日新聞に写真集『Santa Fe』の全面広告が掲載された。全裸の宮沢りえが股間に手を添えて立ち、指の間に黒い影が見えている──全国紙にヌード写真を使った全面広告が掲載され、しかもモデルは18歳のトップアイドル、撮影したのは篠山紀信氏という最も著名な写真家。そんな前代未聞の事態に世間は騒然となり、発売日の11月13日には民放のワイドショーばかりかNHKの全国ニュースにまで取り上げられた。

90年代はヘアヌード写真集がブームに

宮沢の写真集をきっかけに“ヘアヌード”をウリにした週刊誌や写真集が次々と出版されました。

1990年代を通して樋口可南子、荻野目慶子、島田陽子、大竹しのぶ、石田えり、杉本彩、川島なお美、石原真理子、宮崎ますみ、高岡早紀、菅野美穂、葉月里緒奈ら有名女優、タレントが次々とヘアを晒し、一流写真家が撮影した。
ブームのピークは1994年で、年間200冊以上が発売され、売れに売れた。『Santa Fe』の155万部は今も写真集として世界最高記録であり、他の作品も数十万部を売り上げた。

背徳感の強いドラマを生み出した脚本家・野島伸司

ひと昔前は、こういう三角関係、不倫、異母きょうだいなどに端を発する、どろどろエピソードが描かれるドラマも多かった。“ストーカー”という言葉をタイトルに織り込んだドラマもあったし、主人公が風俗の仕事をしているドラマもあった。「高嶺の花」の脚本家、野島伸司はそういう背徳感の強いドラマの旗手として人気を博し、教師と生徒の恋を描いた「高校教師」(TBS系、1993年)、生徒間のいじめを描いた「人間・失格~たとえば僕が死んだら」(TBS系、1994年)などで大きな話題を呼んだ。
なんといっても印象的なのは、「ひとつ屋根の下」(CX系、1993年)。両親のいない貧しい家庭で、肩寄せあって生きているきょうだいを描いたドラマで、そのひとりは車椅子生活。ハンディに苦しむ彼のエピソードもシビアであったが、突如、レイプ被害に遭う次女のショッキングなエピソードは、月曜9時を震撼とさせた。それら辛い出来事に「そこに愛はあるのかい」を合言葉に、江口洋介演じる長兄が立ち向かっていく物語が支持された。

ドラマ『ずっとあなたが好きだった』の「冬彦さん現象」

――『ずっとあなたが好きだった』で冬彦さんを演じたのは1992年、平成4年のことです。

佐野 あの年は、いわゆるバブル崩壊直後で、経済も恋愛も生きる糧にならないのであれば、一体何を心の糧にして喜びを得たらいいんだろう……とか、それでも家族や共同体は必要なんだろうかとか、そういう時代のムードがあったと思うんです。冬彦の役は、そういう時代背景を探りながら演じていったつもりです。
――まさに佐野さんの俳優人生にとって「冬彦さん」は重要な役柄だったと思いますが、今あらためて「冬彦さん現象」とは何だったと思いますか?

佐野 平成の始まり、でしたよね? 平成という時代の予言の物語とでもいうか……。それはゴジラが備え持つような不安の象徴であったのかもしれません。

グルメブームを巻き起こした『料理の鉄人』

『料理の鉄人』は1993年10月にスタートし、午後11時台でも20%近い平均視聴率を獲得していた伝説の番組。

「私の記憶が確かなら――」
司会を務めた鹿賀丈史の、この名調子を覚えている人も多いはず。'90年代、腕自慢の料理人たちが毎週、鉄人たちと料理バトルをし、空前のグルメブームを巻き起こした『料理の鉄人』(フジテレビ系)。
『料理の鉄人』は、'99年に放送を終了。バブル全盛期のなかで、フォアグラや黒トリュフといった高級食材の普及にも貢献し、計8億円もの食材を購入したという。

2012年に『アイアンシェフ』として復活するも…

2012年10月には伝説的番組の13年ぶりの復活ということでリバイバル版『アイアンシェフ』がスタートしたものの、わずか半年で“打ち切り”になってしまいました。

同番組は1993年から6年間放送されたフジテレビ系の料理バトル番組『料理の鉄人』を13年ぶりに復活させたもの。セットだけで数千万円の制作費をかける力の入れようだったが、視聴率は初回こそ2ケタをマークしたものの、その後は6~8%台をウロウロ。昨年大みそかにはNHK『紅白歌合戦』の裏で6時間の特番を放送したが、最終的には4%前半まで数字が落ち込んだ。

今では懐かしい90年代のモノ・コト

女子高生や若者の必需品だった「ポケットベル」

ポケットベル。1968年から日本でサービスが開始されて以来、営業マンなどにひそかに使われてきたいわゆる「無線呼び出し機」。それは1990年代、突如女子高生を中心に人気が爆発して社会現象となった。
ポケベルは、NTTが「ポケットベル」という名で販売していた、小型の無線受信端末のこと。世界的には「ページャー」と呼ぶそうです。このポケベルの特徴は、液晶の画面に数字列や簡単な文字列が表示できるところにありました。しかし、携帯電話のメールとは違い、ポケベルからは発信できない仕組みでした。

「14106」暗号のような数字のメッセージで会話

のちにカナや漢字まで使えるようになりましたが、初期は数字しか送れず、それゆえ数字の羅列で会話するという文化が生まれました。

ポケベルでカタカナなどが送れるようになるのは平成5年(1994年)から。それまでは数字しか使えなかったので、これを使った暗号めいた表現が自然発生的に生まれた。14106(アイシテル)あたりは有名だが、当時の「暗号集」なる書籍をチェックすると......・00407913(大島渚)=話し合ってるとすぐ怒る人に・201(ポア)・650259(無間地獄)本当にこんなん使う機会あったの......?
「0840=おはよう」「0833=おやすみ」などのポケベル用語なるものも登場。女子高生を中心に、「11410649106841=愛してる 至急Tel欲しい」など、数字の語呂合わせによる複雑な会話も可能でしたね。

ちなみに、上記のように「愛してる」には「14106」と「114106」の2通りの“暗号”があり、「1」を英語の「i(アイ)」と見立てるなら、後者の「1」をふたつ重ねるのにはどういう意味があるんでしょうかね。軽く調べてみましたが、由来はわかりませんでした…。

現在は防災システムに応用されている

1993年には『ポケベルが鳴らなくて』というドラマや同名の主題歌が大ヒットするほど隆盛を極めていたポケベルですが、PHSや携帯電話の登場によりあっという間に姿を消していきました。
しかし、ポケベルはまだ一部で活躍していて、現在の利用者は医療関係者を中心に約1500人いるとか。そして、「電波が遠くまで届く」「基地局は少なくて済み、巨大地震でも電源がまず落ちない」といった理由で、災害時におけるポケベル利用が脚光を浴びているといいます。

ポケベルは、いま防災行政無線に代わる防災システムに応用されて脚光を浴びている。その受信機が、あのポケベルとはまるで違うフォルムの、この「防災ラジオ」である(こちらは「1500台」にはカウントされない)。
各自治体の拠点から発信した文字メッセージを受信し、音声でお知らせ。重要度が高いメッセージは、最大音量でお知らせすると同時に赤色緊急灯が点滅する。リピート再生もでき、通常のAM/FMラジオとしても使用可能だ。

上の文春オンラインでも取材に答えている清野英俊氏は、2018年現在、日本でポケベルを扱っている唯一の会社「東京テレメッセージ」の社長。この清野氏は、避難情報の受信機して脚光を浴びているポケベルの加入台数が、かつてのピーク時(130万台)をいずれ超えるかもしれないと予想しています。

日本のネットユーザーを増やした「iモードケータイ」

iモードは、1999年に始まった世界初の携帯電話によるインターネット接続サービス。NTTドコモのシェア拡大に大きく寄与するとともに、日本のネットユーザーが裾野を拡げることにもつながった。
1999年の新語・流行語大賞トップテンにもランクインしている。
一方で、iモードサービスにこだわったことがスマートフォンへの対応を遅らせ、iモードケータイを含む従来型携帯電話は、「ガラケー(ガラパゴス携帯の略)」とも呼ばれている。

日本のネットユーザー増に貢献したiモードですが、NTTドコモは2016年11月にiモード対応携帯電話の出荷停止を発表。ただ、iモードのサービス自体はまだ残っています。

ガラケーメールあるある

iモードだけとは限りませんが、ガラケーを利用していた人たちには“あるある”がたくさんあるようで、先日も「ガラケー時代のメールの思い出」という記事が話題になっていました。

●Re:Re:Re:Re:……
「好きな子とのメールでRe:の数がいっぱいあると、『たくさん言葉を交わしている』というのが目に見えて分かるので、なんだか親密になったような気分に」(青森県/33歳男性)
「Re:」の数の多さ=仲の良さってイメージですよね。なかには、几帳面な性格から返信の際にRe:を毎回消して送る人もいたようですが……。

この記事では、ほかにも「頻繁に「センター問い合わせ」をする」「画像サイズが大きすぎて届かない」「呪いのメール」「大事なメールは「保護」する」といったことが思い出として挙げられていました。「懐かし~」という人もいるのでは?

女子高生のコミュニケーションツールだった「PHS」

2020年7月末で25年の歴史に幕

PHSは1995年にNTTパーソナル(1998年にNTTドコモに事業を譲渡)、DDIポケット(後にウィルコム、ワイモバイルとなり現ソフトバンク子会社)、アステルが開始したサービスで、全盛の1997年9月末時点での契約数は約700万(一般社団法人電気通信事業者協会調べ)だった。その後、携帯電話の急速な普及の波に勝てず、アステルが2006年、NTTドコモは2008年にPHSサービスを終了しており、今回の終了発表でPHSは25年でその歴史に幕を閉じることとなる。
1990年代、女子高生のコミュニケーションツールとして“ピッチ”の愛称で親しまれ、マストアイテムだったPHS。その後、携帯電話にその座を明け渡したが、3キャリアに通話定額制がなくLINE普及以前の2008年前後には、若年カップルの間でウィルコム通話定額プランがトレンドになり、「2台持ち」ユーザーが生まれた時期でもあったが、その役割も今や携帯電話に置き換わってしまった。

Jリーグ選手の影響で流行った「ミサンガ」

「サポーター」「アウェー」などの新用語も一気に定着

1993年に開幕したサッカーのJリーグ。同年のワールドカップアジア最終予選や「ドーハの悲劇」なども相まって一大ブームとなり、「サポーター」「アウェー」「チェアマン」といった新しい用語も次々と浸透し始めました。その中で「ミサンガ」もブームに。

刺繍糸で編んだアクセサリー。Jリーグが開幕した当初に身につけている選手が多かったことから、Jリーグと一緒にブームになりました。家庭科に興味のなかった男子も手芸屋に足を運び、刺繍糸を買って自分で編んだりしていました。

最近、再び注目を集めている「ウエストポーチ」

「流行は20年で繰り返す」という言葉の通り、今年はもっぱら90年代リバイバルの風潮。その一端として、現在再注目を集めているのが「ウエストポーチ」です。トレンドアイテムであるサコッシュは肩掛けしかできないのに対して、ウエストポーチは腰回りに付けられるのはもちろん、斜め掛けなど多彩な着こなしができます。さらにマチがあるので、見た目以上の収納力も。

一時期、「ダサいアイテム」と認知されていたような気がするウエストポーチですが、最近では「ウエポ」などとも呼ばれ、若者に支持されているようです。