03年6月3日号の本誌インタビューでは、GACKTがカジノのディーラーとして働いていた19歳のときを振り返っている。自伝『自白』にも収録された当時の“自白”を再編集して公開する――。
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10代のころ、僕はとにかくメチャクチャだった。
バイクや車で無茶をした。僕は僕であることの意味がわからなかった。別に、いつ死んでもいい。そんな投げやりな気分が、いつも僕の中心に渦巻いていた。
僕を変えたのは、ある人との出会いだった。19歳。僕にとって、それは衝撃的な出会いだった。
彼は、カジノの客だった。30代で独身。実業家で、お金もあるし、地位も名誉もある、おまけにキレイな彼女もいる。完璧な人だった。
当時の僕は、バンドのヘルプをしながら、水商売をしていた。
ヘルプとしてドラムを叩いていた最大の理由は、そのバンドのボーカリストの魅力にあった。彼には存在感があったし、プロになるという志を持っていた。
だから、ボーカルの彼がほかのバンドに引き抜かれてしまうと、ヘルプを務める意味がなくなってしまったんだ。
それから約1年、僕はバンド活動から遠ざかっていた。その間も、ライブハウスには出入りしていたけれど、彼以上のボーカリストには出会えなかった。
当時の僕は、音楽に対してもっと本気になりたかった。でも、周囲のバンドの連中とは、ずいぶん温度差があった。
周りには、プロになれればいいという意識の低いヤツばかりが多かった。バンドをやってれば、とりあえず女のコにモテる、そんなヤツらがほとんどだった。
音楽は趣味。収入はバイトでという連中は、ガソリンスタンドで働いていたり、飲み屋でバイトをしたり。
僕はホストやカジノのディーラーをしていたから、彼らとは生活レベルが明らかに違う。そういう意味でも、僕は彼らにはなじめなかったんだ。
このまま水商売で生きていこうかと思った時期もあった。
ちょうどそんなころだったんだ。彼と出会ったのは。
彼が、いちばん最初に僕に言ってくれた言葉は、今も忘れていない。
「自分の人生を本気で素敵だと思って生きたいか、自分自身はどうでもいいと思って生きたいか。どっちがいい? 僕は、自分の人生を本当に素敵だと思って生きているよ」
彼は穏やかに微笑みながらそう言った。
「どっちがいい?」
と言われたとき、瞬時に思った。僕は自分の人生を素敵だと思っていきたい!
そんなことを考えたのは、生まれて初めてだったかもしれない。僕はそれまでずっとどこかで自分を否定して生きてきたのだから。
それから、彼と行動をともにした。できる限り一緒にいた。よく彼の家に遊びに行って、いろんな話をした。その人も忙しかったから、毎日じゃないけれども、時間があれば、会いに行っていた。
初めて、自分以外の他人に興味を覚えた。僕は、彼のような人間になりたかった。
彼はいつも、
「こっちとこっち、どっちがいい?」
というふうに、わかりやすい話し方をする人だった。
でも、話せば話すほど、彼の考え方、行動の仕方がすべて僕とは違うところにあるということが、わかり始めてきた。何よりも、人としての器が全然、違う。
僕は負けず嫌いだから、今まで自分より少しでも大きな人と出会うと、なんとかして追いつき追い越してやろうと思ったものだが、その人は、そんなレベルじゃなかった。
僕は彼と同じ土俵にすら立てない。それをひしひしと感じていた。
あれから10年たった今でも、彼にはまだ、近づけない。同じ土俵にも立っていないと僕は思う。僕は、あのとき――彼に出会ったときに、この世に生まれたんだ。
本気でそう思っている。
19歳が、僕が生まれたとき。だから、僕はまだまだ子供なんだ。その分、精神年齢が若いのかもしれない。
カジノのディーラーになったきっかけは、水商売をやめたかったから。なんとなく始めたけれど、最後はそのお店のトップディーラーの位置だったと思う。
■国籍なんて、僕にとってはどうでもいいことだ。
その店では、もうひとつの出会いがあった。僕と同じディーラーをしていた女性との出会いだ。
彼女のことは、以前、スポーツ新聞にも書かれたことがある。『8歳年上の金髪美女と結婚!』なんて見出しが躍っていたっけ。
僕には、当時、金髪の女性の知り合いすらいなかったというのにね。
ロスへレコーディングに行くときに、記者に成田で話しかけられた。変なことを聞いてくるなと思ったけれど、それほど気にしなかった。そうしたら「金髪美女と結婚」って書かれていた。ロスでその新聞を見たけど、おかしくって笑っちゃったよ。
彼女は白人女性じゃない。国籍は韓国だった。でも、国籍なんて、僕にとってはどうでもいいことだ。
それに、国籍がどうのこうのということ自体がバカバカしいことだと、僕は思う。僕は何も気にしていなかった。
愛があって、一緒にいて、ふとした仕草を見たときに「好き」って思うことがある。「好き」というのは形を変える。でも、いつも前提には愛がある。それでいいんじゃないかなと思うんだ。
籍を入れたのは、彼女のほうから、
「籍を入れたい」
と言ってきたからだった。僕は、
「いいけど、僕は何も変わらないよ」
と、言ったんだ。
「婚姻届を出したことで安心したとしても、それは意味のないことだよ」
籍なんて、ただの紙の問題だと、僕は思う。でも、彼女は証明のようなものを欲しがっていたようだった。
でも、最後はそれが2人にとって、負担になってしまった気がする。
結婚したから、こうしなきゃいけないとか、そういう決まりみたいな考えが、逆に2人をギクシャクさせたのかもしれない。
熱狂的なファンが、家の前で待っていたりするのも、彼女にとってストレスの原因の一つになっていた。いやがらせもあった。自宅へいたずら電話がかかってくる。
いたずら電話は、ずっと鳴りっぱなしだった。
そんな状況のなかで、彼女はだんだん家にいられなくなっていった。最後は、ノイローゼ状態になって、
「別れたほうがいいね」
という話になったんだ。
もちろんファンのいやがらせだけが、別れた理由ではないけれど、彼女には、いつもいろんなプレッシャーがつきまとっていたんだと思う。
結婚していた時期は、短かったね。
僕はもう、結婚はしない。籍を入れることがあるとしたら、それは僕が死ぬ時だと思う。
死ぬ直前に、最後まで一緒にいてくれた相手が籍を入れておきたいと言うのなら、2人で共に生きた証しとして、入籍するかもしれない。
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『自白』刊行から20年、今回刊行された『自白II』では波瀾万丈のアーティスト人生を歩んできた彼が50歳となった今、20年の沈黙を破って後半生を振り返っている。遺書を20通書いた活動休止期間の苦闘、主演映画『翔んで埼玉』の舞台裏、個人71連勝中のバラエティ番組『芸能人格付けチェック!』の葛藤、先輩アーティストたちとの華麗なる交流録、実業家として億単位の負債、最後の恋など仕事と私生活を自ら明かしている。