今や世界中で人気の料理となったピザ。その種類はさまざまだが、王族に由来するピザは一つしかない。19世紀のイタリア王妃の名にちなんだピザ「マルゲリータ」だ。
物語の始まりは、1889年のナポリ訪問とされる。街の中心部に出た王と王妃は、ピザ店からおいしそうな香りが漂っていることに気づいた。
興味をもった二人は、その店のシェフ、ラファエレ・エスポジトをナポリのカポディモンテ宮殿に招き、そこでピザを作ってもらった。エスポジトは、3種類のピザを作った。そのうちの一つは、イタリアの国旗にちなんだもので、赤いトマト、白いモツァレラチーズ、そして緑のバジルが使われていた。
翌日、エスポジトのもとに、王室の食卓責任者を務めるカミーロ・ガッリから手紙が届いた。「親愛なるラファエレ・エスポジト殿。王妃陛下は、あなたが作られた3種類のピザにたいへん満足されたことを確約いたします」というものだった。マルゲリータ王妃は3つすべてに満足したが、一番のお気に入りは赤と白と緑のものだった。そこでエスポジトはこのピザをマルゲリータと名づけ、ナポリ名物のピザが誕生したという。(参考記事: 「ブドウを海に沈める、イタリアで古代のワインづくりを復興」)
ピザと愛国心
この話にはいくつかのバリエーションがあり、観光ガイドやレシピ、食の歴史などで紹介されている。確かに、大衆受けする話にふさわしい要素はそろっている。王妃が庶民の料理を味わうというおとぎ話的な部分もあれば、ピザとイタリア国旗の色という愛国的な意味合いも含まれている。
話の一部は、事実であることが確認されている。エスポジトは、マルゲリータ王妃が訪れたとされる1889年に確かにピザ店を開いており、偶然にも、その6年前に「イタリア女王のピザ店」という名前に改名していたようだ。また手紙が送られた1889年6月11日には、マルゲリータと夫のウンベルトは確かにナポリにいたし、ガッリも確かに王室の食卓責任者だった。
そのうえ当時の王室には、新生イタリア王国の高い税金に苦しんでいたナポリ市民の機嫌を取りたいという動機があった。
イタリアでは、19世紀初頭から、自国を外国の支配から解放しようという運動が始まっていた。そして1861年、イタリア南部とナポリは、スペインとつながりがあったブルボン王家の支配から脱し、イタリア王国として独立を宣言した。