矢作萌夏 メジャー1st EP「spilt milk」インタビュー|シンガーソングライターとして再出発、その裏にある音楽への思い

矢作萌夏がポニーキャニオンから1st EP「spilt milk」をリリースし、シンガーソングライターとしてメジャーデビューを果たした。

矢作は2018年1月にAKB48にドラフト3期生として加入し、シングル表題曲のセンターを務めるなどして活躍したあと、2020年2月にグループを卒業した。その後は目立った活動はしておらず、2022年7月5日にSNSで20歳の誕生日を迎えたことを報告して以降沈黙が続いていたが、その1年後の今年7月5日に「1st Live "Rebirth"」を行うとともにデビュー曲「Don't stop the music」を配信リリース。ソロアーティストとしての活動をスタートさせた。

正真正銘のシンガーソングライターとして楽曲の作詞作曲を自ら手がけている矢作。1st EP「spilt milk」の収録曲7曲もすべて彼女自身が制作した楽曲だ。なぜシンガーソングライターとして再び表舞台に立とうと決意したのか、そして作曲のスキルはどのようにして身に付けたのか。音楽ナタリーでは矢作にインタビューし、それらの疑問を率直にぶつけた。すると彼女の口から出てきたのは、新潟の旅館で住み込みで働いた話など、興味深いエピソードの数々だった。

取材・文 / 小野田衛撮影 / 笹原清明

「音楽はやめないほうがいい」

──ひさしぶりの表舞台へのカムバックとなりましたが、まずはソロデビューするに至った経緯を振り返っていければと思います。矢作さんがドラフト候補生としてAKB48に入ったのが2017年11月のこと。瞬く間に頭角を現してシングルのセンターを任されるまでになりましたが、2020年2月に惜しまれつつも卒業しました。

ちょうど卒業するタイミングで「第2回AKB48グループ歌唱力No.1決定戦」というイベントがあったんですよ。今考えると、あれが私にとってターニングポイントでした。審査員の方たちに「絶対に音楽はやめないほうがいいよ」ってすごく言っていただいたんです。

矢作萌夏

──135名のメンバーが参加した中、矢作さんは見事優勝して有終の美を飾りました。「音楽はやめないほうがいい」と伝えてくれた審査員はゴスペラーズの黒沢薫さんとかですか?

黒沢さんもそうですし、作曲家の井上ヨシマサ先生も熱心に説得してくれて……ヨシマサ先生は本当に私の恩人です。「自分で曲も書いてみようよ。機材とか楽器の面は僕もサポートするからさ」と言ってくれて、わざわざ家まで来てくれたんですよ。信じられます? 私がヨシマサ先生のスタジオに出向くのではなく、ヨシマサ先生がわざわざ埼玉のほうまで足を運んでくれたんです。

──矢作さんの中に光るものを感じたんでしょうね。

どうなんでしょう。でも、本当に熱量が半端じゃなかったんです。それで私は貯金をはたいてMacBook Proを買って。その勢いのままにアコギ、エレキギター、ベースとそろえていったんです。万代書店という埼玉や北関東にしかないリサイクルショップで(笑)。ヨシマサ先生からも学生時代に使っていたキーボードとか、使わなくなったマイクとかをお譲りいただきました。

──とんでもなく分厚いサポート体制じゃないですか。

いやあ、どんなに感謝してもしきれないです。最初のうちはヨシマサ先生に自分で作った曲を送り、アドバイスをもらっていたんですよ。「こういう曲を書くにはどうしたらいいですかね?」とか相談しながら。ヨシマサ先生もヒット曲の作り方とかを丁寧に教えてくださって、それがとても勉強になりました。音楽理論とか楽典的なことは独学で覚えた部分が大きかったですけど。

──もともと楽器はやっていたんですか?

ピアノは幼稚園から習っていたんですけど、小6のときに中学受験をすることになり、そこで弾かなくなりました。だから音楽作りを始めるタイミングで、イチから勉強し直した感じかな。ギターとかべースは初めてでした。ただ、私の場合は作曲の手段としての楽器演奏だったので、難しいソロを弾くこととかは最初から目指していなかったんです。

──井上さんの熱意にほだされて楽曲制作に乗り出したということですが、矢作さん自身にも真剣に音楽をやっていきたいという意思があったということですよね。

もちろんです。ただ、なんて言うのかな……努力して曲を作ったわけじゃないんですよ。楽しいから作業がどんどん進んでいった感覚なんです。音楽は幼少期からずっと好きだったし、毎日の生活の中に存在するのが当たり前で。私にとって作曲は全然難しいことじゃないし、わからないと思ったこともないんですよね。

──それって天才の発言ですよ(笑)。

ヤバい、いろんな人を敵に回しちゃうかもしれない(笑)。でも真面目な話、音楽というものは自分の人生から切り離せないんです。そこはこの数年間で思い知りました。ここに来て、ますます音楽が好きになっていますし。

矢作萌夏の音楽遍歴

──そもそも矢作さんは、どんな音楽に影響を受けてきたんですか?

音楽遍歴ってことですかね。それを話し出すと長くなりますよ(笑)。まず最初はマイケル・ジャクソンです。パパとママがめちゃくちゃ大ファンで、車の中でずっと聴いていたんです。私の原点だし、音楽遍歴を語るうえで絶対に外せないな。小学校に入ると近所のGEOでCDを借りてきて、それを家の車で聴くようになりました。当時流行っていた西野カナさん、GReeeeNさん、いきものがかりさんとかが多かったですね。

──典型的なJ-POP大好き女子小学生というわけですか。

ところが、そうこうしているうちに今度はママがK-POPにハマり出したんですよ。BIGBANG、東方神起、少女時代あたりの曲を車で流し始めて……当時中学生の私はEDMっぽいサウンドに耐性がなかったし、衝撃を受けました。「ちょっと待って。こんな曲があるの!?」って。

──話を伺っていると、ご両親が車で流す音楽に強い影響を受けているようですね。

でも高校に入ると、その状態は脱しました。そのあたりから自発的に邦ロックにハマったんです。特に好きだったのがクリープハイプさん。歌詞がグサグサ刺さったんですよね。「えっ、ここまで書いちゃっていいの!?」とびっくりしまして。その頃私はもうアイドルをやっていたんですけど、やっぱりAKB48の世界観というのは基本にファンタジー的な要素があると思うんです。だからこそ、クリープハイプさんのリアルな歌詞が新鮮だったのかもしれない。自分の気持ちを素直に吐き出していいんだなって、背中を押された気がしました。

矢作萌夏

──自分で曲を書くようになってからは、また音楽の趣味も変わったのでは?

それはありますね。音楽への向き合い方が変わりました。「この人のファンだから聴いてみよう」というよりは、無意識に参考にしちゃうんですよ。例えば、最近はスペインのヒットチャートに入っている曲をよく聴くんですけど、歌詞なんてまったくわからないからメロディに集中するじゃないですか。それが逆によくて、コード進行とかを確認しながら曲の構造を研究したり。やっていることがめちゃくちゃ地味でオタクっぽいですけど(笑)。

──そんな矢作さんが最近特に気に入っているアーティストは誰ですか?

えー! ちょっと確認していいですか? (スマホを操作しながら)どうやらサブスクの中にお気に入りの曲が1333曲あるみたいです(笑)。この中から絞るのは至難の業ですけど、常に好きなのはAKMUという韓国の兄妹ユニット。YGエンターテインメントのアーティストですね。

矢作萌夏

──ヒップホップ系ですか?

いや、それがわりとアコースティックなテイストなんですよ。お兄ちゃんが曲を書いて、妹さんがめちゃくちゃかわいくて魅力的な声で歌うんです。私はデビューした頃からずっと好きだったんですけど、最近は日本でも流行り始めたから少し悔しい(笑)。あとは昔の日本の曲もよく聴きますね。斉藤由貴さんの「卒業」とか本当に最高だなと思って。

──作詞が松本隆先生、作曲が筒美京平先生の黄金タッグの曲ですね。

昭和や平成初期の流行歌ならではのテイストってあるじゃないですか。酒井法子さんの「碧いうさぎ」とかWinkさんの「淋しい熱帯魚」とか、本当にたまらないものがありますよね。歌詞も素晴らしいし、透明感のあるサウンドも最高です。私はあの感じが大好きなんですけど、どうしても真似できない。今の時代では表現できない。もはや嫉妬するくらいです。でも、だからこそ何回も聴いちゃうんですよ。