「鉄腕アトム 《オリジナル版》」富野由悠季インタビュー|改変・再編集は一切なし、少年時代に読んでいた雑誌連載版が持つ力

「鉄腕アトム」の前身として、1951年に連載スタートした「アトム大使」でアトムが誕生してから70年。これを記念し、「鉄腕アトム 《オリジナル版》」全16巻が復刊ドットコムから発売される。同書の最大の魅力は、雑誌・少年(光文社)に連載された初出版が読めること。コミックナタリーは当時の「鉄腕アトム」読者であり、虫プロダクションでTVアニメ版の制作にも携わった富野由悠季にインタビューを行った。「アトム大使」にかなりの衝撃を受けたという富野だが、「鉄腕アトム」にはよくも悪くも思うところがあったそうで……。手塚治虫を間近で見ていて印象的だった出来事や、作り手の視点から初出版が読めることの意義についても語ってくれた。

取材・文 / 藤津亮太撮影 / ヨシダヤスシ

アトム生誕70周年記念!「鉄腕アトム 《オリジナル版》」
ポイント1
幻の「復刻大全集」が新仕様に
「鉄腕アトム 《オリジナル版》」の装丁。 ©手塚プロダクション

2009年から2010年にかけて、ジェネオン・ユニバーサル(現:NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン)から前半3巻が、復刊ドットコムから後半3巻が発売され、今では非常に手に入りにくい「鉄腕アトム《オリジナル版》復刻大全集」を、復刊ドットコムが新仕様で再刊する。「《オリジナル版》復刻大全集」は約6500ページの内容が全6巻で構成されていたが、今回の「《オリジナル版》」では1巻あたりを約400ページにまとめ全16巻に。A5判にリサイズされ、読みやすいソフトカバーで造本される。

ポイント2
貴重な雑誌初出版が読める

数度の単行本化に際し、その都度手塚治虫自身が細かく改変・再編集を行い、いくつものバージョンが存在する「鉄腕アトム」。今回の「《オリジナル版》」では、雑誌・少年に1951年から1968年に連載された初出バージョンがそのまま復刻再現される。各話の連載時の全扉絵や、別冊付録の全表紙の再録も見どころだ。

ポイント3
複製原画集など、購入特典も盛りだくさん

1巻から6巻までをセット購入した人には、単行本での未収録箇所(ロストピース)を収めた複製原画集と、1960年代に光文社が発行した「鉄腕アトム」カッパ・コミクス版の表紙を集めた冊子を先着でプレゼント。7巻から12巻までのセット購入者には複製原画集第2弾と大型千代紙、13巻から16巻までのセット購入者には複製原画集第3弾と冊子「鉄腕アトムクラブ クロニクル(仮)」が進呈される予定。さらに全巻購入特典として、アトムの等身大ポスターと、アンタゴニスト(敵役)のポストカードセットが用意された。

「カッパコミクス 表紙絵コレクション(仮)」 ©手塚プロダクション
富野由悠季インタビュー

「鉄腕アトム」はよくも悪くも、手塚治虫を作家として認識するきっかけに

──富野監督は自伝「だから僕は…」(徳間書店)で「鉄腕アトム」について、自分にとって「記念碑的漫画なのである」と語っています。

少年1952年4月号に掲載された「鉄腕アトム」第1話。 ©手塚プロダクション

序章である「アトム大使」を読んだのは小学校4年のときです。そのときは雑誌を買ったわけじゃなくて、1年先輩だったチカちゃん、「チカオ」という名前だったので、チカちゃん、チカちゃんって呼んでいたんだけど、彼に借りたんです。で、小学校5年になって掲載誌の少年(光文社)を買ってもらうようになりました。その4月から「鉄腕アトム」の連載が新たに始まったので、「鉄腕アトム」とはドンピシャという感じで出会ったんです。そこから中学校3年までずっと連載を追いかけていました。

──少年を定期購読していたんですね。

そうです。それには明確な理由があって、子供向けの雑誌の中では少年が一番活字が多かったんです。親が「マンガや絵物語が多い雑誌はダメ」という方針だったので、冒険王(秋田書店)や少年画報(少年画報社)はダメで、少年だけがOKだったんです。

──「鉄腕アトム」の印象はどうでしたか?

少年1951年4月号に掲載された「アトム大使」第1話。 ©手塚プロダクション
少年1951年4月号に掲載された「アトム大使」第1話。 ©手塚プロダクション

とにもかくにも「アトム大使」がすごく衝撃的でした。そもそも宇宙にあるもう1つの地球が滅んで、その星の人類が宇宙移民になっているところから始まるお話なんですよ。その設定に「え、これはなんなんだろう」と圧倒されました。さらにそこに重要なキャラクターとしてロボット少年のアトムが出てくるわけで、「これを思いつく日本人って、普通はいないよね」って思ったのが第一印象です。だから改めて「鉄腕アトム」の連載が始まったときにはむしろ「嫌だな」と思っちゃいました。

──嫌だったんですか?

当時はまだSFという言葉を知らなかったけれど、「アトム大使」は肌感覚として「“科学冒険物語”っていうのは、これぐらい視野が広くないといけないんだ」ということを思い知らせてくれた作品だったんですよ。それが、新連載からはロボットのアトムが主人公のお話がメインになって、ヒーローっぽい内容が前面に出てきていたから「ああ、子供向けのマンガってやだよね」と思っちゃった(笑)。でもこの「嫌だな」という意識も含めて、手塚治虫という人を作家として認識する最初だったんです。

──でも、その後も読み続けるぐらいには「アトム」に興味があったわけですよね。

富野由悠季

嫌だなと思いつつも読んでいたのは、手塚治虫という存在が気になっていたからでしょうね。手塚治虫の印象について決定的だったのは、「アトム」の少し後に貸本屋で読んだ「罪と罰」と「来るべき世界」です。特に「来るべき世界」はソ連とアメリカを模した冷戦構造を背景に置きつつ、少年少女の物語を作るということをやっていて、本当にすごい内容だと思いました。だからこそ、新人類のフウムーンという要素は「子供向けのマンガにするために必要な設定」という印象で、いらないんじゃないかとも思ったりもしたんだけれど。でも手塚治虫って、僕にとっては“映画的”なものだったんです。それは要するに、「風と共に去りぬ」が代表するようなハリウッド映画と同じように、モダンなものに触れることができるエンターテインメントだったんです。

──そのモダンな部分は「鉄腕アトム」にも感じていましたか?

「アトム」にも感じていましたね。あと「アトム」で感心したのは、アトムの活躍を描くお話でありつつも、アトムがなぜ生まれたかという前提話がちゃんと設定されていたことですよ。しかもアトムの生みの親である天馬博士は、決して人格者ではない。時代とか文化とか、あるいは過去とかそういう奥行きを設定しておかないと、物語というものは作れないんだということを、「アトム」と「来るべき世界」を読むことで教わったんです。もちろん当時はモヤモヤと思っていただけで、こんなにクリアな言葉遣いは思いつかなかったわけだけれど。

──「鉄腕アトム」をはじめとする手塚マンガについて、インパクトを受けた部分と、“子供向け”を感じる部分が共存していた、というところが興味深いです。

当時は中学生でしょう? マンガを読んで「世界観を作るにはこれだけのことを考えなくちゃいけない」っていうことを教えられているという実感はありつつも、まだそこまで言語化はできていないんです。一方で親からは「中学生にもなって、いつまでもマンガを見ていて、どうするの?」っていうふうに叱られるようにもなるわけです。そういう状況の中、自分の中でいろいろ整合性をとるためにやったのが、宇宙旅行について調べることだったんです。それで宇宙旅行についてのレポートをまとめて研究発表したんです。

──「富野由悠季の世界」展で展示されていた研究発表「月世界への旅行」は、そういう背景もあって書かれたものだったのですね。

そうなんです。いろんなところで話をしている通り、このときの調べた知識がのちに「機動戦士ガンダム」の設定を考案するときの基礎になっているんです。