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松本大
1963年生まれ。埼玉県出身。東京大学法学部を卒業後、ソロモン・ブラザーズ・アジア証券会社に入社。その後ゴールドマン・サックス証券勤務を経て99年にマネックス証券株式会社を設立。翌年、東証マザーズ上場、後に東証一部に市場変更。現在、マネックスグループ、マネックス証券のCEOを務める。著書に「私の仕事術」(講談社)、「お金という人生の呪縛について」(幻冬舎)など。
https://www.monexgroup.jp/jp/index.html
※本サイトに掲載している情報は2014年8月 取材時点のものです。

INTERVIEW

昔から一つのところにとどまれない性格でした。子供の頃は友達を引き連れて「ひたすら東へ行ってみよう」とどこまでも歩いてみたり、大きな発泡スチロールを船にして生活用水路を川下りしたり。その時は取水堰(せき)までたどり着いたものの、吸い込まれそうになって慌てて岸に戻りました。私が無茶ばかりするから、一緒にいた友達は恐くなってよく泣きべそをかいていましたね。とにかく「どこかに行ってみたい」という気持ちが強かったんです。だから大人になっても、日本だけで仕事をしているとむずむずしてきてしまうんですよね。

自分で作った仕事に勤しんだ新人時代

松本大

幼い頃から今に至るまで、どんなことにでも興味を持ついわゆる「雑食」です。高校時代は写真部の部長を務めていて写真やカメラにも詳しかったし、詩を読むのも好きでした。成績は良かったです。進路を決めるまでは理系のクラスにいて、医者か理論物理学者になりたいと思っていました。でも、歴史上の優れた理論物理学者の功績を知るにつれて自分には無理だと悟りましたね。医者の道も諦めました。ドラマに出てくるヒューマニティあふれる医師像を見て、自分は違うなと。それからは文系にくら替えしました。

東京大学卒業後は外資系証券会社に就職しました。東大生の多くは官僚になったり大企業に就職したりしますから、私の進路は異色だったと思います。このような道を選んだのは、大学時代の米国旅行で英語がまったく通用しなかった苦い経験に起因します。英語を話せるようになるなら外資系の企業がいいだろうと思ったんです。

とにかく働きましたね。上司の指示を待つのではなく、自分で仕事をつくるんです。誰に頼まれたわけでもなく早朝に出勤し、ニューヨーク市場の値動きやニュースを自分なりに分析してグラフ化し、紙に取りまとめて先輩社員の机に配って回りました。

私は自分に合うものを探すより目の前にあるものを好きになろうとするタイプ。他のことをやっていてもそれはそれで好きになっていたと思います。好きになればそのためにたくさんの時間を費やすし、時間を費やせば経験値が上がって仕事ができるようになる。そうすると次第に大きな仕事も任されるようになるものです。

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莫大な上場益を捨てて起業

在勤3年でゴールドマン・サックス証券に転職し、その4年後30歳の時に最年少でゼネラルパートナー(共同経営者)に抜てきされました。さらにその4年後、インターネット時代が到来する直前、個人向けにオンラインで証券取引ができるサービスをつくるべきだと会社に提案したのですが難色を示されてしまいました。それならば会社を辞めて自分でつくるしかないと思って、翌年に立ち上げたのがマネックス証券です。

社会や世の中の大半が左へ行こうとしていても、見極めて右に行かなければならない時があります。その判断を見誤らないようにするのが経営というもの。決して楽なことではありませんでした。特に事業が軌道に乗るまでは、揺るぎないビジョンと仲間たちの狂信的なパワーが必要でした。社員たちとは運命共同体のような絆を感じましたね。仕事が終わるとよく連れ立って街に繰り出し、屋台やカラオケで夜を明かしました。

私が辞める前のゴールドマン・サックスは上場直前だったので、そのまま残っていたら莫大な上場益を得ていたでしょう。その道を断ってまでなぜと思われるかもしれませんが、私にはマネックスさえあればすべてのことが実現できるのです。食べていけるし、社員を食べさせていくこともできる。税金も払える。お客様にサービスも提供できる。マネックスは私の得意分野で社会に貢献する手段なんですよね。良い資本市場をつくれば、日本の社会を良くすることができますから。

今振り返ってみると、ここまでビジネスを楽しんでやってきたと思います。

若い人たちには私たちの世代を含め、その上の世代を追い出す権利と義務があります。ぜひがんばってください。

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