「教育虐待」とは? 「母という呪縛 娘という牢獄」著者・斉藤彩さん(北大卒)に聞く

「教育虐待」という言葉が注目されています。きっかけの一つが北大卒の元通信社記者が書いたノンフィクション本です。「母という呪縛 娘という牢獄(ろうごく)」(2022年・講談社)。医学部進学を目指して9年にわたって浪人生活を送っていた娘が母親を殺害した事件を追いました。発行部数は9万3千部超とノンフィクションでは異例のヒット作となりました。背景にあったという「教育虐待」とはどういうことなのでしょうか。著者の斉藤彩さん(28)に聞きました。

「母という呪縛 娘という牢獄」

「母という呪縛 娘という牢獄」

事件の概要

2018年3月、滋賀県守山市の河川敷で両手、両足、頭部を切断された遺体が発見された。捜査で遺体は近所に住む女性(58)と判明する。警察は6月、女性の娘で当時看護師で31歳の高崎あかり=仮名=を死体遺棄容疑で逮捕。9月に殺人容疑で再逮捕した。

母親は娘を医師にさせようと、幼少期から英会話や受験を経験させ、成績不振時には暴力を振るっていた。医学部進学を強要された娘は、9年間の浪人生活を強いられる。家出や就職を試みたこともあったが、全て母親に阻止された。9浪目にして助産師になる条件付きで看護学科への受験を許され合格したが、その後もスマートフォンを取り上げられたり、夜中に土下座をさせられたりするなど、母親による生活への強い干渉は続いた。娘は看護師の採用試験に合格したが、助産師学校への進学を強く希望する母親との衝突が続き、事件を起こした。娘は母親を殺害した直後、ツイッターに「モンスターを倒した。これで一安心だ。」と投稿した。懲役10年が確定し、服役中。

斉藤 彩

さいとう・あや 1995年東京都生まれ。2018年3月、北大理学部地球惑星科学科卒業。共同通信社に入社し、新潟支局を経て、大阪支社編集局社会部で司法を担当する。2021年末退職。「母という呪縛―」が初めての著作で、現在は民間企業に勤務する。

――「母という呪縛 娘という牢獄」は、2022年12月の発売から発行部数は累計9万3千部を突破し、13刷の重版になりました(2023年9月末時点)。執筆は拘置所で娘と面会を重ね、刑務所移送後も膨大な量の往復書簡を交わすことによって実現しました。

「2020年、共同通信で記者をしていた頃に大阪高裁で行われた控訴審を取材したのが執筆のきっかけになりました。人を加害者たらしめる背景に関心がありましたし、私自身も高校生の頃に進路を巡って悩んだ経験があり、教育熱心な親は多いと感じていました。多くの人にとって当事者性のある話題と考え、詳細な取材を始めました。ネットで記事を公開したところ、主にツイッター上で反響が集まり、出版の声がかかりました。反響は、『人ごとではない』と母と娘の関係性に同情的な声が多数を占めていました。学歴社会である韓国からもたくさんコメントが届きました。同様の事件は韓国でもあったそうです」

――「教育虐待」の定義や他の虐待と比べた特徴は何でしょうか。

「広く普及している定義は『子どもの受忍限度を超えて勉強させること』ですが、本書ではあえて使用していません。虐待かどうかは、親と子の関係性によって決まると考えられるためです。期待に応えることを心地よいと感じる子もいるでしょう。子の主観に左右される概念であり、一般化は難しいと考えます」

「『教育虐待』の特徴は、当事者の方が声を上げづらく、外部の人が事態を把握しづらいというところにあると思います。教育を受けるのがつらいと感じるのは通常、教育にお金をかけられている人です。衣食住に困っているわけではなく、外部からは『恵まれている』『親が子どものことを大切に思っている証し』と思われがちですし、子ども自身もそう捉えていることが多い。また、日本も韓国も、『いい家族であることが美徳』のような儒教的な価値観が強くあります。その考え自体は悪いことではありませんが、そういう文化の中では『教育の投資をしてくれる親のことを、悪く言いにくい』という心理が生まれやすいのではないでしょうか」

――著書の中で、娘には「殺人犯」という言葉のイメージが持つ残忍さは感じられませんでした。

「すごく内省的な方だなという印象を受けました。考えを言語化するのがとても上手な方という印象ですね。拘置所で接見した時は、自分の考えをよどみなく話してくださいました。文通でやりとりした時も、日本語として読みやすい文章で、語彙(ごい)もすごく富んでいました。電子機器がない中で、これだけ難解な言葉を使えるのは、相当教養のある方だなと思いました。出版後に『あかりさんは何で親の元から離れようとしなかったんだ』と聞かれることもあります。いち取材者としての立場からは、やはり、親への愛着というものが原因だったと思います。殺害も何回も踏みとどまっていますし、彼女のメモには『本当にこれでいいのか』との葛藤も書かれていました」

「母という呪縛 娘という牢獄」の著者、斉藤彩さん

「母という呪縛 娘という牢獄」の著者、斉藤彩さん

――取材の中で、最も印象的だった場面を教えてください。

「大学入学後に、お母様と旅行に行くなど、関係性がなぎというか、和らいだ時期のことです。『平日に寂しい思いをさせている母へ、家族サービスではないが報いたかった』と休日のショッピングモールなどを進んで共にしていました。旅行のことについて、手記には、『長年、互いに憎み、死を願い続けた険悪な関係だったけど、やっと普通の母娘になって、楽しく笑い合えるように。何百枚も私は2人の笑顔の写真を撮った。母が喜んでくれるのが、うれしかった』とまで書かれていました。これは、さまざまな暴力や叱責(しっせき)を受け、9年間の浪人生活を経験した後の感情なんです。娘として、子として、親を捨てきれない。親の愛情を受けて育ってきた方とも感じましたし、何て言えばいいんでしょう…。愛情が親と子の切っても切れない関係をつくっているのではないかと考えました。そうしたことを表そうと『母という呪縛 娘という牢獄』というタイトルを付けました」

――著書の最後に掲載した「謝辞」の結びが印象的でした。「あかり氏が新しい人生を切り開かれることを祈念しています」と記しています。

「取材を進めていると、『あかりさんの将来をおもんぱかりたい』という、ジャーナリズム的な思考からどんどん離れていく視点にならざるを得ませんでした。もちろん罪を犯したことは決して許されることではないという前提はありますが、お母様からかなりの生活の制限を受けていたのは間違いありません。本書の中で『お母さんに敷かれたレールを歩みつづけていましたが、これからは自分の人生を歩んでください』いう裁判長の説諭を紹介しましたが、私もそう思います。出所する時に40代前半。健康寿命で言えば、まだ人生の折り返し地点です。決して簡単なことではないと思いますが、しっかり罪を償って自分の人生を生きてほしいと思います」

――共同通信を2021年末に退職しました。この事件の取材を通して、北大在学時に始めたラクロスに力を入れたくなったのがきっかけだとか。

「実は、社会人になってすぐにラクロスの日本代表候補合宿に選ばれたりもしていました。いまは、転職後の会社に勤める傍ら、社会人ラクロスチームに所属しています。義務としてやらなきゃいけないものはあるだろうけど、可能な限り、自分のやりたいことを大切にしていこうと。この取材を通して考えたことでした。ラクロスは誰に言われることもなく、自分が好きでやっているものです。北大時代は毎日砂まみれになるほど夢中になっていました。そういったものに取り組む時間って、すごく貴重だと感じています」

北大在学時の2017年秋に仙台市で行われた全国大会。背番号0のゴーリーでプレーするのが斉藤さん(本人提供)

北大在学時の2017年秋に仙台市で行われた全国大会。背番号0のゴーリーでプレーするのが斉藤さん(本人提供)

斉藤さんは、読者からの反響で想定外だった点もあると話す。それは娘だけではなく、「教育虐待」をした母親についても同情の声が上がったことだ。「自分も子どもに対して、価値観を押し付け、何かを期待してしまうがゆえに、厳しい教育を課してしまう」という内容だった。これはどういうことを意味するのだろうか。その答えを知りたくて、「教育虐待」という言葉を初めて公に使ったとされる武田信子さん=一般社団法人ジェイス代表理事=に取材を申し込んだ。

取材・文/報道センター 工藤俊悟(北海道新聞記者)


インタビューへのご意見や感想、「教育虐待」に関する情報をお寄せください。住所、氏名、電話番号を記入の上、〒060-8711(住所不要)北海道新聞報道センター「教育虐待」取材班へ。電子メールhoudou@hokkaido-np.co.jpでも受け付けます。


 

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