台湾北東部・宜蘭県にある四つの村では、日本語と似た言葉「ニホンゴ」が今も中高年を中心に母語として話されている。日本の植民地支配を受けた戦前に日本語が現地の少数民族の言葉と融合して生まれた言語で、現在も生活言語として少数民族の村に残っているのだ。2種以上の言語が接触し合って新言語が生まれ、次の世代で母語として使われる言語は「クレオール語」と呼ばれる。私は以前、現地に通って連載記事を書いた。4村の一つ、寒渓(かんけい)村で歌手を目指す呉以諾さん(27)から「特別な新曲を作った」と連絡があり、村を再訪した。
先住民の強制移住で生まれた新言語
寒渓村は台北からバスを乗り継いで約2時間半の山間部にある。村人の多くは先住民タイヤル族。村中心部を流れる川には、タイヤル族伝統の意匠を凝らしたつり橋が架かっており、観光スポットにもなっている。
待ち合わせ場所の教会に行くと、呉さんが次男の約掌単(ヨナタン)ちゃん(1)をあやしていた。先住民はキリスト教の信者が多い。
「ヤバカワイイネ、アンタ」(あなたはとてもかわいいね)、「アンタ、ネルモガ?」(寝るの?)。眠そうにしている約掌単ちゃんに語りかけている。呉さんの母、桜美さん(54)が抱くと、約掌単ちゃんはおとなしくなった。
「ヤバ」は台湾先住民タイヤル族が話すタイヤル語の単語で「とても」の意味。「アンタ」は「あなた」のことだ。
そこに叔母の張桜芬さん(48)が現れ、呉さんと話し始めた。「今日」「持ってくる」「神様」。時折、日本語のような単語が耳に入ってくるが、意味はよく分からない。呉さんに聞くと、教会で開かれるイベントについての会話だったという。
寒渓村の言語は「ニホンゴ」や「カンケノハナシ」(「寒渓の言語」の意味)と呼ばれる。日本語とタイヤル語の単語が混ざった言語だが、日本語やタイヤル語を母語とする人には、うまく聞き取れない。他にもタイヤ…
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連載:麗しの島から
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