「踊り衣装」「祭り用品」「扇子屋」などの看板が軒を連ねる東京・浅草寺の門前には、時折、和服姿の人や、観光用の人力車が駆け抜けていきます。浅草・伝法院通りにある「よのや櫛舗」は、300年以上の伝統がある、手作りの「つげぐし」の専門店です。作業場を兼ねた店内では、当主の斎藤悠さん(40)が、手製のやすりで、くしの歯をていねいに加工していました。
堅くてしなやか
古来、上質のくしには、ツゲの木が使われてきました。木目が細かくて堅いだけでなく、弾力性もあるのが特長です。「折れにくいし、髪をとかしても切れ毛になりにくい。いわゆる髪のキューティクルに優しいんですよ」。長い髪をした妻の有都さん(40)が、説明してくれました。
よのやのくしは、国内で最高品質とされる鹿児島県産の「薩摩ツゲ」で作られます。温暖な地で育ったツゲ材は、煙でいぶし乾燥させ、くしの「歯入れ」の下加工を施します。看板商品の「とかしぐし」では、歯の細かい「細歯」で幅5寸(約15センチメートル)に歯は60本ほど。その一本一本に手作業でやすりをかけ、整えていきます。
油に浸し数日間
「歯ずり」作業で手触りも滑らかになったくしは、良質のツバキ油に3~4日間、浸します。有都さんが店内にあるタンスの引き出しを開けると、くしがひたるほどのツバキ油がなみなみと入っていました。
「油をしっかりと吸うことで、くしに艶とうるおいが出てきます。長く使い続けても、曲がったり、反ったりしないし、やがてあめ色に変わってきて、これが愛着になってくるんです。使い続けるほど、味わいがでてきますよ」
髪形で変わる文化
この道に入って17年になる悠さんが願うのは、ツゲのくしを使い続けてきた日本の文化の継承です。
江戸時代、女性は日本髪、男性はまげという長髪文化の当時、髪をセットするのは髪結いや床山とよばれる専門の職人で、さまざまなくしも、こうしたプロ向けの道具だったのです。
しかし、明治維新で社会が一変しました。1871(明治4)年に出された「断髪令」によって男の髪は短くなり、また女も髪を西洋風に束ねるようになりました。さらに昭和に入ってセルロイドなどのプラスチック製品が安価で出回るようになると、つげぐしの専門店は一気に減少していきました。昭和20年代(1945~54年)、東京に約20軒あった専門店も今は2軒だけ。「よのや」も、後継者が絶える危機をしのいで、現在に続いています。
日用品で温故知新
「つげぐしは長い間、日本人が生活の中で使い続けてきたものです。貴重な工芸品のように思われがちですが、あくまでも日用品。『温故知新』という言葉がありますが、もう一度、ゆったりとした時間の中で髪をていねいに手当てする心の余裕を取り戻してほしいですね」(悠さん)
時間が止まっているような店内にいると、あめ色に輝くくしたちが、そう語りかけてくるようです。【文・森忠彦、写真・佐々木順一】
●くしの種類
「よのや」のくしには、いろいろな形があります。一般的なのが「とかしぐし」で、歯の粗さによって「細歯」「中歯」「荒歯」の3タイプ。さらに歯が大きいのが「パーマぐし」で、髪の長さやヘアスタイルによって使い分けます。ほかにも持ち手が付いた「セットぐし」。透かし彫りなどの飾りが付いた、主に髪飾り用の「飾りぐし」もあり、ツゲの木地の色を生かしたもののほか、漆をぬったものもあって、華やかです。
ほかに「たてもの」と呼ばれる縦長のものも。これは日本髪を結う「髪結いさん」や相撲の力士の髪を扱う「床山さん」などが使用する、プロ仕様のものです。
●ツゲの木
ツゲ科の常緑低木。日本では西日本の温暖な地域に分布します。漢字では「柘植」「黄楊」など。材質が堅いため昔から、くしやそろばん、琵琶のばち、印鑑、将棋の駒などの材料として使われてきました。木目が細かい分、成長も遅く、くしが取れるほど太くなるには50~70年かかります。鹿児島県では「薩摩ツゲ」と呼ばれる最上種を計画的に安定供給するために、植林が行われています。
●ツバキ油
つげぐしと切っても切れない関係にあるのが、ツバキ油。天然のツバキの種子から取った植物油で、食用、薬用、灯火用などに使われてきました。昔から女性が黒髪を守る化粧油としても愛用しました。髪だけでなく頭皮にもいいため、シャンプーなどにも入っています。つげぐしのメンテナンスも、ツバキ油でふくのが最も効果的です。
●関心高いフランス人
新型コロナウイルス感染症が流行する前まで、浅草一帯には世界中の観光客が訪れていました。「よのや」でくしを買い求める外国人も多かったのですが、中でも関心度が高かったのがフランス人。「フランスの女性の間で、ツゲのよさが広まっていたみたいで。もともとヨーロッパは職人文化が栄えてきましたから、理解しやすかったのでしょう」と有都さん。感染が沈静化し、早く海外からのお客さんが戻ってきてほしい、と願っています。
◆よのや
●「よのや櫛舗」
東京都台東区浅草1の37の10
https://yonoya.com/
創業は江戸時代中期の1717(享保2)年。現在の文京区にある湯島天神の近くで始まったと伝わっています。1916(大正5)年に、現在の当主・斎藤悠さんの曽祖父にあたる峰川光三郎が浅草に移って、現在の「よのや櫛舗」を開業。光三郎は「神様」、息子の光正は「名工」と呼ばれたそうです。品物が日焼けしないように正面が北向きに建てられた店内には、名人たちの名品も残っていて、職商人としての伝統を未来へと引き継いでいます。
次回の「江戸東京見本帳」は9月28日(一部地域は29日)に掲載します。ウェブサイト「The Mainichi」ではこれまでの連載の一部を英語で読めます。