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「一人一人の尊重」とは逆
学校での連帯責任は人権という点から大きな問題があると山下敏雅さんは指摘します。「憲法が保障する人として大切にされるということは、自分がやったことだから責任を負う、他の人がやったことには責任を負わないという意味です。やっていない人も責任を負うからには、それなりの理由が必要です」。大人の世界では、雇い主が働いている人の行いに責任を負ったり、保護者が小さな子どもの責任を負ったりすることがありますが、他人の行いに責任を負う場面は限られます。さらに他の人の犯罪で刑事責任(罰)を負う場面は、もっと限られます。
「学校の中でも他人がやったことで責任を問われるのは完全なとばっちりです。しかも、監視し合ったり、『おまえのせいで』と批判したりすることにつながります。教育基本法が掲げる『一人一人を尊重する』という考えと正反対です」といいます。
スポーツ界でも
スポーツの世界では、高校や大学の部活で、部員が暴力や薬物などの問題を起こした場合に、チーム全体が大会への出場を辞退するということがしばしばあります。これには、問題行動をしていない部員が出場できなくなるのはおかしいという批判があります。
国の役所の文部科学省は、2014年にスポーツの場面で暴力行為などの問題があった場合に、どのような処分をするのかの基準をまとめた案を作成しています。この案では、チームのメンバーは他のメンバーに対して、管理責任や安全に配慮する義務はないというのが一般的な考えとしています。そのため一部の例外を除き、「チーム内で違反行為があっても、他の競技者は連帯して責任を負わされるいわれはないため処分をしない」としています。
「皆同じ」を強制しないで
連帯責任には、みんなと同じようにできることを求めるという点でも問題がありそうです。
読み書きやじっとしているのが苦手といった発達障害の人の支援方法について研究する、神戸大学大学院人間発達環境学研究科の鳥居深雪教授は、そもそも「皆で一緒に」を強いることが、発達障害の人には望ましくないと言います。
「発達障害の人は独自のやり方で、その子なりのペースで学ぶことがあります。皆が同じようにしなければいけないのは、それぞれのやり方を尊重するという今の流れに反しています」
連帯責任と罰がセットになっているのも問題があると言います。鳥居さんは「一生懸命頑張ってもできないことがあるのに、チーム全体に罰が与えられたら、できない子が『一緒にいちゃいけないの?』と思ってしまう可能性もあります」と心配します。
発達障害の人の支援の場では、本人のモチベーション(動機)を大事にします。忘れものをするとなぜ困るのかを話し合い、本人に「忘れものをしない自分になりたい」と思ってもらうことで、効果が出ます。忘れものをしたら罰を与えるというのは大人の都合で、子どもにはモチベーションにならないので、改善にはつながらないそうです。