今年の立春は2月3日です。まだ寒い日が続きますが、暦の上では、厳しい寒さがやわらぎ春の始まりとされます。立春は二十四節気のひとつです。二十四節気とは、どんなものでしょうか。【篠口純子】
二十四節気って何?
二十四節気は、季節の移り変わりを示す24個の目印です。1年を春、夏、秋、冬の四つに分け、さらにそれぞれを六つに分けています。
立春(2月4日ごろ)から立夏(5月5日ごろ)の前日までを春、立夏から立秋(8月7日ごろ)の前日までを夏、立秋から立冬(11月7日ごろ)の前日までを秋、立冬から立春の前日までを冬としています。
「芒種」(6月6日ごろ)は稲や麦など「芒」(先端にある針状の突起)のある穀物を植える目安とされ、大寒(1月20日ごろ)は寒気を利用した食べ物(酒やみそ)を仕込むなど、昔の人にとって二十四節気は農業や日常生活と密接にかかわっていました。
どうして「ごろ」なの?
過去を振り返ると、立春は2月3~5日の間で変わっています。二十四節気は毎年同じとは限りません。国立天文台が太陽と地球の位置から計算し、毎年2月1日に翌年の二十四節気が何月何日になるかを発表しています。
季節が変わるのは、軸を傾けたまま地球自身が回転しているのと、地球が太陽の周りを回っているからです。地球から見た太陽の通り道を黄道といいます。二十四節気は、1年の太陽の黄道上の動きを24等分して決められます。地球から見た太陽の位置を表す角度が0度を春分とし、15度を清明、30度を穀雨、45度を立夏……、180度を秋分と、15度ごとに分けています。1年は365日ですが、地球が太陽の周りを1周するのに365日と6時間弱かかります。そのため毎年少しずつずれが生じ、「ごろ」としているのです。
「暦の上では」と言うけれど
天気予報で「暦の上では……」という言葉を聞きますが、これは明治時代初めまで使っていた旧暦を指します。現在の暦は、太陽の動きをもとにした太陽暦です。4年に1度、うるう年をもうけて、地球が太陽の周りを1周する時間とのずれを調整しています。
旧暦は、月の満ち欠けをもとにした太陰暦と、太陽の動きをもとにした二十四節気を組み合わせた太陰太陽暦のことです。太陰暦は1年が約354日で、約11日のずれが生じてしまいます。そこで約3年に1度、うるう月を加え、1年を13か月にして調整しました。うるう月をどこに入れるかは決まっておらず、季節と月日のずれが大きくなったら入れていました。正確な季節を知るための手立てとして二十四節気を使い、うるう月を入れる目安としました。太陰太陽暦は1872(明治5)年まで使われ、太陽暦に変わりました。
今の生活で残っているの?
春分(3月21日ごろ)、夏至(6月21日ごろ)、秋分(9月23日ごろ)、冬至(12月22日ごろ)は、現在でもよく耳にします。夏至は一年で最も昼が長く夜が短い日で、冬至は一年で最も昼が短く夜が長い日です。冬至の日には、かぜをひかないようにゆず湯に入り、かぼちゃを食べる風習があります。
春分と秋分は、昼と夜がほぼ同じ長さになります。春分の日と秋分の日は国民の祝日です。
暑中見舞いは、小暑(7月7日ごろ)から立秋(8月7日ごろ)の前日にかけて送ります。立秋から8月末ごろは残暑見舞いに呼び名が変わります。俳句の季語は、二十四節気をもとに分類されています。
七十二候や雑節もあるよ
二十四節気をさらに5日間ごとに三つに分けた、七十二候もあります。季節の変化を気象や動植物の動きで細かに表現しています。立春の後には、「東風氷を解く」(2月4~8日ごろ)、「うぐいす鳴く」(9~13日ごろ)、「魚氷を出ずる」(14~18日ごろ)などがあります。
二十四節気は中国の黄河流域で生まれ、日本に伝わりました。やがて日本独自の雑節がもうけられました。土用、節分(立春の前日)、彼岸、八十八夜(立春から88日目)、入梅、半夏生、二百十日(立春から210日目)などがあります。旧暦では立春が新しい年の始まりに近いことから、さまざまな節目の基準となっています。今年の節分は124年ぶりに2月2日でした。<え・内山大助>