戦後70年毎日新聞社
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数字は証言する データで見る太平洋戦争第1~7回 ダイジェスト版

70年前の1945年9月2日、日本政府の代表団が東京湾に錨泊(びょうはく)する米戦艦ミズーリ号上で、連合国に対する降伏文書に調印した。15年間に及んだアジア・太平洋地域での戦争について、連合国は「無責任な軍国主義による世界征服の試み」と断罪。この「ポツダム宣言」を日本は無条件に受諾し、国民による「民主主義の復活」を誓うことになった。日本はなぜ、道を誤ったのか。その果てには何があったのか。データをひもといてみた。【高橋昌紀/デジタル報道センター】


真珠湾攻撃は米国を砕いたのか?国力4分の1 日本の大ばくち

日本と米国の国力 = 1940年の実質国内総生産(GDP)

出典:「世界経済の成長史1820~1992年」アンガス・マディソン著

国力の基礎指標となる実質国内総生産(GDP)において、戦前の日本は米国の4分の1でしかなかった。さらに戦略物資のほとんどは欧米とその植民地に依存していた。長期戦に耐えられないことを認識していた連合艦隊司令長官、山本五十六大将は米国の戦意喪失を狙い、米艦隊根拠地の真珠湾に対する奇襲攻撃を決行する。

第3回 「真珠湾攻撃は米国を砕いたのか?」を読む >>

Special Interview

五百旗頭真さん

日米開戦:政治の未熟が招いた真珠湾

真珠湾攻撃という選択肢しか、日本にはなかったのか。元防衛大学校長で、歴史家の五百旗頭真さんに聞いた。

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戦艦大和は不沈艦だったのか?沖縄海上特攻 最後の戦果は撃墜3機

大蔵省の査定を、架空計上でごまかし

出典:出典:「戦史叢書」、財務省資料など

※偽装予算の内訳は、3万5千トン級戦艦2隻、駆逐艦3隻、潜水艦乙級1隻

対米戦の切り札として、艦隊決戦主義に染まった海軍は超ド級戦艦に期待。敵艦の射程外から砲撃するアウトレンジ戦法で、数の劣勢を覆そうとした。当時の国家予算(一般会計歳出)の約8.6%も投入し、大和級2隻を建艦。しかし、大和、武蔵の巨砲が敵戦艦に撃ち込まれる機会は遂になかった。大艦巨砲の時代は終わり、海戦の主役は航空機に代わっていた。

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Special Interview

山折哲雄さん

大和撃沈70年:「小さきもの」を守れなかった巨大戦艦

日本人にとって、戦艦大和とはどのような存在なのか。〝不沈艦〟を生み出した天皇主権下の日本を「いびつな時代」と喝破する宗教学者の山折哲雄さんに聞いた。

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神風は吹いたのか?4000人が死んだ「特攻」

本土決戦を前に海軍が算出した特攻機の予期命中率(対機動部隊)

出典:戦史叢書

太平洋の戦いは航空消耗戦だった。開戦時の日本海軍搭乗員約7000人のうち、44年3月時点では既に約6割が戦死。通常攻撃では米艦隊に有効な打撃を加えられないと判断した陸海軍は、体当たり戦法を採用する。その命中率を9分の1と冷徹に判定。有効打になり得ないことを認識しながら、若者たちに「十死零生」を強要する。

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Special Interview

保阪正康さん

特攻70年:「特攻は日本の恥部、美化は怖い」

特攻とは何か。青年期に読んだ特攻隊員の遺書が自身の執筆活動の原点というノンフィクション作家、保阪正康さんに聞いた。

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230万人はどのように戦死したか?

「戦病死」とその他の割合

制空権の喪失は制海権の喪失につながった。そのうえ、艦隊決戦主義を脱却できなかった海軍は海上護衛を軽視。輸送船は次々と撃沈され、補給が途絶した南洋の守備隊は飢餓に襲われる。現地調達主義の陸軍もまた、兵士に十分な糧食を与えることを怠った。全戦没者のうち、6割もが戦病死・餓死だったとされる。

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Special Interview

半藤一利さん

戦没者230万人:兵士を「駒」扱い 愚劣な軍事指導者たち

「戦没者230万人」という数字を、私たちはどのように読み解けばいいのだろうか。昭和史の著作が多い「歴史探偵」こと作家の半藤一利さんに聞いた。

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欲しがらずに勝てたのか?国民生活圧迫 子供の平均身長が縮んだ

子供の平均身長の推移

出典:文部科学省「体力・運動能力調査」

近代戦に前線と後方の区別は存在しない。日本列島は米戦略爆撃機の空襲にさらされたうえ、シーレーンの崩壊による物資不足に陥った。闇取引が横行し、経済事件は頻発。国民生活は困窮するばかりだった。食糧不足の影響は育ち盛りの子供たちに顕著に表れた。日本の近代史上では初めて、平均身長が縮んでしまう。

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Special Interview

ドナルド・キーンさん

戦後70年:今も続いている国民への忍耐押しつけ

お国のために我慢すること、お国のために死ぬことが、日本の伝統なのだろうか。若き日に「源氏物語」と出合った感動を抱き続け、日本国籍を取得した日本文学研究者のドナルド・キーンさんに聞いた。

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沖縄は「捨て石」だったのか?本土決戦準備 近衛兵は芋を植えていた

沖縄県学徒の犠牲者

出典:戦史叢書

「最後の決戦場」と位置づけたフィリピンで、陸軍は50万人に迫る兵力を喪失。連合艦隊は大和級戦艦武蔵などを撃沈され、事実上壊滅した。それでも政府・大本営は米軍に大打撃を加えることで、講和に持ち込めると夢想した。沖縄は本土決戦の縮図となる。「根こそぎ動員」された学徒らも、斬り込みなどの戦闘任務に投入された。

第6回 「沖縄は『捨て石』だったのか?」を読む >>

Special Interview

金子兜太さん

戦後70年:「国のため死んでいく制度は我慢できぬ」

戦争における生と死の実態とはどのようなものなのか。そこに皇軍の誉れはあったのか。帝国海軍主計将校として、南洋のトラック島で〝捨て石〟とされた体験を持つ俳人、金子兜太(とうた)さんに聞いた。

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アジアは一つだったのか?帝国崩壊 死者は2000万人を超えた

国・地域別犠牲者数

出典:「キーワード日本の戦争犯罪」など

大東亜共栄圏はアジアを収奪する巧妙なシステムだった。戦争経済を支えるための日本の占領施策は、食糧・物資不足と天文学的なインフレを引き起こした。住民は「ロームシャ(労務者)」として、鉄道建設などの肉体労働にも強制的に徴用された。戦争は終わったが、アジアには日本の戦没者数(軍民310万人)をはるかに上回る人的被害が生じていた。

第7回 「アジアは一つだったのか?」を読む >>

Special Interview

益川敏英さん

戦後70年:益川敏英さん「憲法9条を守ろう、どんな小さな声でも集まれば大きな声になる」

戦争に対し、一人一人の市民はどのように向き合うべきなのか。国家権力の巨大な意志に対し、どのように相対していけばいいのか。ノーベル物理学賞を受賞し、記念講演では反戦演説を行った理論物理学者、益川敏英さんに聞いた。

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編集
高橋昌紀、平野啓輔、垂水友里香、佐々本浩材、高添博之、編集編成局校閲グループ
デザイン
デジタルメディア局戦後70年チーム

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