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円安と物価高

日本の物価が上がっています。円安・ドル高もコスト上昇に拍車をかけ、賃上げの動きも見られます。

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「あの頃のイケイケを取り戻せ」ジュリアナを生んだ折口雅博さんの今

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「ディスコの殿堂」と有名になった東京・芝浦のジュリアナ東京=1993年4月28日、松田嘉徳撮影
「ディスコの殿堂」と有名になった東京・芝浦のジュリアナ東京=1993年4月28日、松田嘉徳撮影

 ボディコン衣装の女性たちがステージで一心不乱に踊り狂う――。1990年代、かつて東京・芝浦の倉庫街にあったディスコ「ジュリアナ東京」の光景だ。バブル経済期の熱狂を象徴する舞台をプロデュースしたのは、当時は商社マン、その後に人材派遣大手の旧グッドウィル・グループ(GWG)を創業した折口雅博さん(62)。絶頂と挫折、そして再生へ。日本経済と歩みをともにした人物は、株価のバブル期最高値超えに何を思うのか。

ディスコと「内需拡大」、意外な関わり

 「ジュリアナス~トキオー!!」。英領北アイルランド出身のDJジョン・ロビンソンさんが雄たけびを上げると、大音量のテクノミュージックとともに熱気は最高潮に達する。最盛期の週末には2000~3000人の若者たちがジュリアナ東京に押し寄せ、まさに「バブル」を象徴する場所となった。

 「ウオーターフロント」と呼ばれた東京都港区・芝浦地区にジュリアナがオープンしたのは91年5月。総合商社の日商岩井(現双日)の社員だった折口さんが、空き倉庫をディスコとして活用するプランを提案したのがきっかけだった。

 なぜディスコだったのか――。その起点は意外にも、日米貿易摩擦だった。

 当時の日本経済は自動車、家電、半導体などの輸出で巨額の貿易黒字を稼ぎ出し、日本中に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の空気が満ちていた。

 しかし、米国との貿易摩擦が深刻化した。レーガン米政権は88年、米国製品の輸出を妨げている国に追加関税などの報復措置を発動できる「スーパー301条」を制定。日本に貿易黒字を縮小するための内需拡大を迫った。

 通商産業省(現経済産業省)は国内の総合商社に、黒字縮小のため輸入を増やすよう呼び掛けた。日商岩井の電子産業部に所属していた折口さんは「日本は製造業が強いが、レジャーやエンターテインメントでは欧米より遅れている」と感じていた。

 そこでひらめいたのが、ディスコだった。レーザー光線や音響の設備などを海外から輸入し、専属DJもロンドンから呼び寄せた。「『輸入を増やせ』という国の号令を実践したのがジュリアナ東京だったんですよ」

まず銀座からバブル紳士が消えた

 89年12月29日の東証大納会。3万8915円87銭の史上最高値(当時)をつけた日経平均株価は、90年年初から下落を始め、ジュリアナがオープンした91年5月にはバブ…

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