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36歳・川内優輝が走る理由 原動力は「逆恨みのような反骨心」

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MGCでレース序盤から積極的な走りを見せる川内優輝選手(手前)=東京都内で2023年10月15日(代表撮影)
MGCでレース序盤から積極的な走りを見せる川内優輝選手(手前)=東京都内で2023年10月15日(代表撮影)

 陸上界を驚かせた「事件」からもう2カ月がたつ。

 再浮上したベテラン、オリンピックへの思い――。マラソン男子の川内優輝選手(36)=あいおいニッセイ同和損保=にインタビューの時間をもらったものの、記事の切り口が見つからず焦りを感じていた。そんな時、X(ツイッター)に興味を引く投稿があった。

 「逆恨みのような反骨心が自分の大きなモチベーションでした」

 川内選手らしい言葉だ。ただの「反骨心」ではなく「逆恨みのような反骨心」。この言葉が取材の糸口になるのではないか。話は自らの生い立ちに始まり、最後は陸上界への展望へと広がった。

「なめんなよ」

 10月半ばの東京都内。来夏のパリ五輪代表選考会、マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)は土砂降りの雨の中でのレースとなった。優勝候補の大迫傑選手(32)=ナイキ=ら並み居るランナーを従え、川内選手がレース序盤から独走する思わぬ展開となった。

 ところが、のるかそるかの「大逃げ」をかましても、選手たちは大迫選手をマークし、2位以下の集団から動こうとしなかった。直近の成績が振るわぬ川内選手など眼中にないかのように。

 最近は薄れがちだった「反骨心」が頭をもたげたのは、この時だった。「大迫選手にはついていく価値はあったけど私は放っておいていいだろう、ということですよね。『なめんなよ』と」

 35キロ過ぎで大迫選手らの2位集団に追いつかれたが、ずるずると後退することはなく、最後まで粘りの走りを見せた。パリ五輪代表の権利を得る2位と12秒差、3位の大迫選手とはわずか7秒差だった。

 この日、観客やテレビの視聴者の心を最もつかんだのは五輪代表を手にした上位2人でもなければ、人気と実力を兼ね備えた大迫選手でもなかった。私を含め、多くのメディアが五輪とは無縁と見なしていた川内選手だった。

必要なのは「少しの勇気と……」

 本人にとっても、久しく忘れていた感覚だった。思い起こすのは、2011年の東京マラソン。当時、埼玉県職員だった川内選手はアマチュアながら実業団選手を押しのけて3位に入り、その年の世界選手権代表に選ばれた。「自分の人生が変わった」と振り返る、成功体験だった。

 ただ、「最強の公務員ランナー」との印象は今も強く、「プロ転向したことが知られていない」と苦笑する原因にもなっている。

 12年ロンドン五輪の有力候補に瞬く間に駆け上がったが、その後のレースは振るわず、五輪出場はかなわなかった。一時は職場まで週刊誌に張り込まれるなど時の人となったが、メディアの関心が潮が引くように失われていくのを感じたという。

 「当時は悔しい思いはありましたけど、もう何とも思わないですね」

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