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広島・長崎原爆

1945年8月、広島・長崎へ原爆が投下されました。体験者が高齢化するなか、継承が課題になっています。

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テレビショッピングの「対話」術が鍵 ジャパネット創業の高田明さん

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「今の状況を変えていくのは簡単じゃない。でも諦めずに考え続けていくことが平和につながる」と語る高田さん=長崎県佐世保市で2023年11月14日午後4時5分、田崎春菜撮影
「今の状況を変えていくのは簡単じゃない。でも諦めずに考え続けていくことが平和につながる」と語る高田さん=長崎県佐世保市で2023年11月14日午後4時5分、田崎春菜撮影

 「このままでは世界は変わらない」。かつてテレビショッピングの進行役として明るい声でお茶の間に登場した通販大手「ジャパネットたかた」の創業者、高田明さん(75)に世界の今を尋ねると、危機感をにじませた低い声が返ってきた。2015年にジャパネットたかたの代表を退任した後、長崎県のJリーグチームを通じ、精力的に「平和」を発信。その取り組みには、テレビショッピング時代につかんだコミュニケーション術が生かされている。【聞き手・田崎春菜】

 ――17年から約2年半、「V・ファーレン長崎」(現J2)の社長を務め、サッカーを通じて平和の大切さを発信してこられましたね。

 ◆叔父が長崎市内の工場で被爆したと記憶しているのですが、体験を詳しく聞いたことはなく、もっと話を聞いていればと心残りでした。それもあって、15年に出張でポーランドのアウシュビッツ強制収容所跡に足を運んだり、ベトナム戦争を調べたりして、自分なりに戦争や戦時下の人間の行いを学びました。

 17年にV・ファーレンがJ1昇格を決め、翌年にサンフレッチェ広島と対戦することになりました。スポーツは本来、政治的対立を超えて実現できるもの。被爆地同士の対戦の意味を考えた時、子どもから大人まで観戦するサッカーを通して平和のメッセージを伝えたいと思いました。対戦を「平和祈念マッチ」と題して関連イベントをし、試合前には黙とうをささげました。

 私は県外の試合にも顔を出し、相手チームのサポーターと語り合いました。そうするとその後、長崎まで試合を見に来てくれる人が増えました。結果として県外の人たちが被爆地に足を運ぶ機会になり、「少しでも思いを受け止めてもらえたのではないか」とうれしかったです。

 ――試合以外の取り組みもあったそうですね。

 ◆チームで「愛と平和と一生懸命」をコンセプトに平和学習などに取り組みました。選手や監督が原爆資料館を訪れたり、サポーターも招いて被爆者の体験証言を聞いたり。「長崎を最後の被爆地に」との願いを広げたい一心です。現在、運営会社の社長は長男に代わりましたが、思いは引き継がれ、今年も8月6日のホーム戦を「平和祈念マッチ」とし、選手が平和宣言を読み上げました。

 ――核兵器の脅威は今も世界に存在したまま。日本は核兵器禁止条約を批准しておらず、27日に始まる第2回締約国会議への参加予定もありません。

 ◆唯一の戦争被爆国という立ち位置からもっと世界に発信できたらと思うだけに無念です。アメリカの核の傘に入った日本の状況がありますが…

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