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京都花月前の喫茶店。横山やすしは、トマトジュースに食塩をどっさりかけて一気に飲み干すと、こう切りだした。「君のしゃべりは、芝居よりも漫才に向いていると思うわ」。西川きよしさんは「この人は、何を言っているんだろう」と、状況をのみ込めなかった。1966年1月のことだ。
自分は新喜劇の役者として駆け出しで、テンポよく言葉のキャッチボールをできるほど器用ではない。一方のやすしは「天才」と称されながらも自由奔放な性格が災いしたのか、既に4度もコンビを解散していた。やすしから20回以上も誘われたが、周りも反対し、断り続けた。
交際中だったヘレン杉本さんに相談した。大阪・中之島の公園。ベンチに座り「何度も誘われているけれど、どうすればええやろ?」と打ち明けた。ヘレンさんは「そんなに愛されているなら、一度組んでみれば?」と言った。看板女優だったヘレンさんとの結婚を意識し、役者として養おうと思っていたのだった。「失敗したら、どないすんねん!」と、きよしさんは返した。「その時は……。一緒に誰も知らない町に行って、暮らしましょ…
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