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二つの冤罪事件を結んだ須藤春子さん逝く=隈元浩彦(熊谷支局)

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袴田巌さんの傘寿の誕生日に、須藤春子さんは手作りのつがいの犬のぬいぐるみを贈った=浜松市内の袴田さん宅で2016年3月16日、隈元浩彦撮影
袴田巌さんの傘寿の誕生日に、須藤春子さんは手作りのつがいの犬のぬいぐるみを贈った=浜松市内の袴田さん宅で2016年3月16日、隈元浩彦撮影

 遠くから浜松まつりのかすかなラッパの音が時折、空気を震わせる。故人への弔鐘のように聞こえた。須藤春子――。といっても、知る人はほとんどいるまい。だが、冤罪(えんざい)を訴える袴田巌さんの支援者にとっては、忘れがたい人だった。

 袴田さんの再審の開始決定を見届けたかのように、5月4日未明に旅立った。享年85。翌5日の浜松市内での通夜に訪れた支援者の一人は「同じような体験を味わった家族が袴田さんを応援してくれる。その事実だけで、支援者間の連帯の糸を紡いでくれました」と、その死を悼んだ。

 3年ぶりに見る春子さんの表情は穏やかだった。ひつぎには、亡夫と一緒に集めた御朱印帳が納められていた。

          ◇          

 初めて春子さんに出会ったのは、2015年6月20日のことだった。市内の集会施設で、袴田さんの姉秀子さんを交えての支援者の集いがあった。一人の高齢の女性がたどたどしい口調で話し始めた。

 「須藤春子といいます。夫は7年前に死にました。結婚して40年。“事件”の苦しみもありました。袴田さんのお姉さんもどんなに大変だったかと思うと、心が痛くて。励ましたかったです」

 意を決したように続けた。「事件は…。二俣事件です。夫の名前は須藤満雄といいます」。驚きの声が上がった。

 会場を後にする春子さんは晴れ晴れした表情で語った。「私たち夫婦は何一つ悪いことをしていないのに、隠れるように生きてきました。巌さんの無実を信じ堂々としている秀子さんの姿を見て、私は勇気をもらった。すっきりしました」

 二俣事件――。1950(昭和25)年1月7日早朝、二俣町(現浜松市天竜区二俣町)で一家4人が殺害されているのが見つかり、容疑者として逮捕されたのが当時18歳の少年、須藤満雄さんだった。「自白」し、同年3月に強盗殺人罪で起訴された。

 裁判で満雄さんは「拷問によってうその自白をさせられた」として無実を訴えたが、静岡地裁、東京高裁は死刑を宣した。しかし、最高裁は53年秋、裁判のやり直しを命じ、差し戻し審の静岡地裁、東京高裁では無罪判決が下り58年1月に確定した。死刑判決から無罪になった初のケースだった。満雄さんは6年半勾留され、青春の日々を奪われた。

          ◇         

 春子さんとは何度となく会って話を聞いた。最初の結婚に失敗し、心ならずも…

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