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コートに転がったボールを選手が自分で拾い、1人の線審が移動しながら複数のラインを判定する。大阪市で4月、新設の国際女子テニス大会「大東建託オープン」が開かれた。プロテニスツアーの下部大会という位置付けなので、この光景は珍しくない。変わっているのは大会に込められたメッセージだ。「心地悪い大会なので選手は来年、戻って来ないで――」
運営の指揮を執ったのは伊達公子さん(52)。日本人で初めて女子シングルスの世界ランキング4位になったテニス界のレジェンドだ。6年前に2回目の現役生活を終え、今は次世代の育成に情熱を注ぐ。本人も「まさかここまで」と漏らすほどのめり込んでいる。
背景には日本テニスの「危機的な状況」
選手が出場できる大会は世界ランクによって決まる。賞金、食事、試合中に使われるボールの数といった選手の待遇は、下部の大会ほど厳しい。そして、より高いレベルの大会に出場するための通過点に過ぎない。「早く抜け出して、二度と帰って来てほしくない」。だから「大東建託オープン」にはそんな思いをメッセージに込めたのだ。
私(記者)は伊達さんの1学年下の元プロ選手。高校総体で初めて対戦した36年前から「天才」と評するしかない彼女の姿を一歩後ろで見つめてきた。
伊達さんが世界4位になった1995年は、日本女子テニスの全盛期だった。開幕中に阪神大震災が発生した4大大会の全豪オープン。シングルスの本戦128人中、日本女子は伊達さんを筆頭に史上最多の11人が出場した。その一人だった私も出場する少し前までは「4大大会で活躍するのは欧米人ばかり。日本人には無理」と思っていた。身長163センチと小柄な伊達さんが世界の壁を破り、私たちも心の壁を越えた。
それから27年後の2022年6月。伊達さんが発起人になり、過去に女子テニスの世界50位以内に入った元選手で後進を育成する一般社団法人「Japan Women’s Tennis Top50 Club」(JWT50)を創設した。
世界100位以内に現在、日本人はいない。伊達さんは「危機的な状況」と認識している。…
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