「天才肌ではない」伊達公子さん、若手に教える“上を目指す意志”

  • ブックマーク
  • 保存
  • メール
  • 印刷
ジュニア選手の練習を笑顔で見守る伊達公子さん。選手自らが気づき、意見を言えるよう心掛けている=沖縄県豊見城市で2023年2月21日、喜屋武真之介撮影
ジュニア選手の練習を笑顔で見守る伊達公子さん。選手自らが気づき、意見を言えるよう心掛けている=沖縄県豊見城市で2023年2月21日、喜屋武真之介撮影

 コートに転がったボールを選手が自分で拾い、1人の線審が移動しながら複数のラインを判定する。大阪市で4月、新設の国際女子テニス大会「大東建託オープン」が開かれた。プロテニスツアーの下部大会という位置付けなので、この光景は珍しくない。変わっているのは大会に込められたメッセージだ。「心地悪い大会なので選手は来年、戻って来ないで――」

 運営の指揮を執ったのは伊達公子さん(52)。日本人で初めて女子シングルスの世界ランキング4位になったテニス界のレジェンドだ。6年前に2回目の現役生活を終え、今は次世代の育成に情熱を注ぐ。本人も「まさかここまで」と漏らすほどのめり込んでいる。

背景には日本テニスの「危機的な状況」

 選手が出場できる大会は世界ランクによって決まる。賞金、食事、試合中に使われるボールの数といった選手の待遇は、下部の大会ほど厳しい。そして、より高いレベルの大会に出場するための通過点に過ぎない。「早く抜け出して、二度と帰って来てほしくない」。だから「大東建託オープン」にはそんな思いをメッセージに込めたのだ。

 私(記者)は伊達さんの1学年下の元プロ選手。高校総体で初めて対戦した36年前から「天才」と評するしかない彼女の姿を一歩後ろで見つめてきた。

 伊達さんが世界4位になった1995年は、日本女子テニスの全盛期だった。開幕中に阪神大震災が発生した4大大会の全豪オープン。シングルスの本戦128人中、日本女子は伊達さんを筆頭に史上最多の11人が出場した。その一人だった私も出場する少し前までは「4大大会で活躍するのは欧米人ばかり。日本人には無理」と思っていた。身長163センチと小柄な伊達さんが世界の壁を破り、私たちも心の壁を越えた。

 それから27年後の2022年6月。伊達さんが発起人になり、過去に女子テニスの世界50位以内に入った元選手で後進を育成する一般社団法人「Japan Women’s Tennis Top50 Club」(JWT50)を創設した。

 世界100位以内に現在、日本人はいない。伊達さんは「危機的な状況」と認識している。…

この記事は有料記事です。

残り4395文字(全文5271文字)

あわせて読みたい

この記事の筆者

アクセスランキング

現在
昨日
SNS

スポニチのアクセスランキング

現在
昨日
1カ月