「吉田拓郎を聴いて東大やめた」 音楽評論家が語る魅力と功績

2006年9月23日に開かれた「つま恋コンサート」。吉田拓郎さんや「かぐや姫」などが出演、ファンの間では伝説として語り継がれている=静岡県掛川市で、舟津進撮影
2006年9月23日に開かれた「つま恋コンサート」。吉田拓郎さんや「かぐや姫」などが出演、ファンの間では伝説として語り継がれている=静岡県掛川市で、舟津進撮影

 21日に放送されたフジテレビ系のテレビ番組で「ここで一旦卒業」と語り、年内での芸能界引退を改めて表明したシンガー・ソングライターの吉田拓郎さん(76)。日本のポピュラーミュージックを語る上で欠かせない存在だが、J―POPに詳しい音楽評論家で尚美学園大副学長も務める富澤一誠さん(71)は、“時代を変えたヒーローだった”とたたえる。【伊藤遥】

うたわされるものだった「歌」

 「例えるなら音楽界の長嶋茂雄さん、あるいは石原裕次郎さん。彼らに並ぶ大スターですね」

 デビュー時から熱心に吉田さんの音楽を追い続けた富澤さんに、吉田さんが果たした功績を改めて尋ねると「時代を変えたヒーロー」だったと総括した。どういう意味なのだろうか。その話に入る前に、吉田さんについて駆け足でおさらいしておこう。

 吉田さんは鹿児島生まれ、広島育ち。中学時代、東京でジャズピアニストをしていた大学生の兄が連れて来た女性に見ほれ、「自分もこんなすてきな人とくっつきてえ」と音楽を志した。1960年代、R&Bをベースとするアマチュアバンド「ダウンタウンズ」や、フォーク同好会「広島フォーク村」のリーダーとしての活動を通じて、広島では既に熱狂的な人気を誇っていた。そして70年、自ら作詞作曲したシングル「イメージの詩」でデビューした。

 吉田さんの最初の音楽的功績は「この時、シンガー・ソングライターの草分けになった点にある」と富澤さんは解説する。

 「当時は専業の作詞家と作曲家がいて、歌い手は彼らが作る歌をうたっていた。そんな時代に、吉田拓郎さんにはまず自分の言いたいことがあって、それを自分の言葉と曲と肉声で歌えた。つまり、歌は“うたわされるもの”ではなく、“己の自己表現手段”。歌に対する概念を変え…

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