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東日本大震災

2011年3月11日に発生した東日本大震災。復興の様子や課題、人々の移ろいを取り上げます。

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「帰りてえ」 5人死亡事故で一命取り留めた母 長男も抱く望郷

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正面衝突し大破したワゴン車(左)と大型トレーラー(右)。事故現場は緩いカーブで、路面は雨にぬれていた=福島県二本松市針道で2012年6月9日午後2時24分、石井諭撮影(画像の一部を加工しています)
正面衝突し大破したワゴン車(左)と大型トレーラー(右)。事故現場は緩いカーブで、路面は雨にぬれていた=福島県二本松市針道で2012年6月9日午後2時24分、石井諭撮影(画像の一部を加工しています)

 10年前、5人が死亡する交通事故で一命を取り留めた女性は、「帰りてえ」と病室で繰り返した。だが、その思いはかなわなかった。衰弱し、3年ほどたって息を引き取ったからだ。86歳だった。長男にあたる男性が、無念の思いを振り返った。母親の言葉にも似た、望郷の念を抱きながら――。

 この女性は大沢ヨシエさん。長男のアパート管理業、義伸さん(68)=福島県三春町=によると、2012年6月9日、県内の二本松市でワゴン車と大型トレーラーの正面衝突事故に遭った。ワゴン車は大破し、乗っていた6人のうち、ヨシエさんの妹(当時81歳)ら5人が死亡。助手席に座っていたヨシエさんは、首などを骨折したものの一命を取り留めた。ワゴン車は病院の送迎車で、ヨシエさんらは80キロ先の病院で診察を終えて戻るところだった。

 ヨシエさんは福島市の病院に入院し、5日ほどたって意識が戻ったものの、半身不随に。1人では寝返りも打てなかった。徐々に食事が喉を通らなくなった。「野行(のゆき)に帰りてえ」。弱々しい声は病室に何度も響いた。その瞬間を思い出すのか、「怖い怖い、曲がれ曲がれ」とパニックになることもあった。

 仕事が忙しい義伸さんに代わり、連日見舞いに行った妻のさゆりさん(67)は、ヨシエさんの様子を日記につづった。

 「おしゃべりが大好きな母だったが、元気がなく、自分からは話してこなくなった」(14年7月22日)

 「顔の表情も出なくなってきた」(14年11月4日)

 「母の寝顔を見ていると、原発さえなければまだまだ元気で畑を楽しんでいたと思う」(15年2月25日)

 交通事故から3年2カ月ほどたった15年8月26日、…

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