分野も時間も軽々越えた「知の巨人」 立花隆さんが残したもの

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インタビューに答えるジャーナリストの立花隆さん=東京都文京区で2014年11月4日、竹内幹撮影
インタビューに答えるジャーナリストの立花隆さん=東京都文京区で2014年11月4日、竹内幹撮影

 「知の巨人」と評されたジャーナリストで評論家の立花隆さんが亡くなった。理系と文系、過去や現代、未来といったテーマの垣根を軽々と越えた60年に及ぶ活動が残したものは大きい。

 戦闘の体験はないが、戦争への関心は高かった。幼いころの鮮明な記憶は、中国からの引き揚げだ。教員だった父親の赴任先、北京で敗戦を迎えた。5歳の立花少年は引き揚げの旅路で大人用のリュックを背負わされた。先を行く大人について行くのがつらく、「置いてけぼり」になりかけたという。

 また長崎生まれで、原爆には思いがあった。東京大在学中の1960年には、英国・ロンドンで開かれた「学生青年核軍縮国際会議」に招かれ欧州に渡った。新藤兼人監督の映画「原爆の子」や関川秀雄監督の「ひろしま」、土門拳の写真集「ヒロシマ」などを持参し、各地で上映会などを開いた。

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