「これから沖縄はどうなるのか」 歴史見つめ、状況憂い 作家・大城立裕さん死去

平成を振り返り、「沖縄の人々が誇りを強くし、本土への劣等感を克服した」と語る大城立裕さん=那覇市の自宅で2019年4月19日、遠藤孝康撮影
平成を振り返り、「沖縄の人々が誇りを強くし、本土への劣等感を克服した」と語る大城立裕さん=那覇市の自宅で2019年4月19日、遠藤孝康撮影

 「おおぐすく」と読んだ大城立裕さんの名字は中学生になった1938年ごろから「おおしろ」と読むようになった。ヤマト(本土)への同化を強いられる沖縄。その後、太平洋戦争での苛烈な地上戦、米国の軍政支配などが状況をさらに複雑にする。

 40歳を目前にした大城さんは「問題が集約した基地を構造的に書きたい」と思うものの、「社会意識が複雑で切り取りにくい」と苦慮していた。「単純な被害者意識や抵抗意識に終わるまい」と考え、自らの罪を償う者だけが他者に償いを求めることができる、と思い至る。「カクテル・パーティー」の主人公は中国人に心の底から謝罪し、米国と向き合う。沖縄県初の芥川賞。42歳の時だ。

 「私の芥川賞、翌年の甲子園の興南ベスト4、その後のボクシング世界王者の具志堅用高。この三つが沖縄の劣等感を払拭(ふっしょく)した。全国でもやれるんだ、という気持ちを沖縄県民みんなが持ちました」と大城さんは振り返る。

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