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聖地「御嶽」を旅する

ステイホームで旅(9) 狩俣集落(沖縄県・宮古島) 不思議な現象が起こる聖地

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狩俣集落のザー(座の御嶽)。拝所が南島の緑にうずもれていた=沖縄県宮古島市の狩俣で2011年11月、伊藤和史撮影
狩俣集落のザー(座の御嶽)。拝所が南島の緑にうずもれていた=沖縄県宮古島市の狩俣で2011年11月、伊藤和史撮影

 「緊急事態宣言」が解除された地域があるものの、「ステイホーム」という基本はそう簡単に変わりそうにない。この「ステイホームで旅」ももう少し続け、家にいて、見たい景色や行きたい場所に想像をめぐらせよう。第9回は、沖縄県・宮古島の狩俣(かりまた)集落を舞台に、御嶽(うたき)をめぐる不思議な話を紹介する。【伊藤和史】

濃厚な神さまの気配

 宮古島の北端に位置する狩俣集落には何度か行ってみたが、毎回、ちょっと緊張する。なんだか、神さまのいらっしゃる気配がよそに比べてより濃厚というのか……。

 この地は、民俗学や国文学の研究者たちから大変な関心を集めてきた。日本全国を見渡しても、どこの何物とも代えがたい厳粛極まる祭りが行われるからだ。

 その、年に1度の祭りを「ウヤガン」(祖先祭り)という。集落の成り立ちから今日の繁栄までを踏まえて、祖先に感謝する祭りだ。そして、祭りの時に歌われる(当地では「歌う」のではなく「読む」と言うが)神歌の数々が独特の世界観と構造を持ち、このうえなく貴重なものだという。

 旧暦の10月から12月にかけて、最長で4泊5日もの山籠もりを含め、5回に分けて祭りが行われる。しかも、秘祭であって外部には明かしてはならない決まり事も多いらしく、かつ、祭りに携わる者以外は絶対に見てはいけないという場面があるのだ。

 初めて狩俣集落に行ってみたのは2007年11月だった。ウヤガンをめぐるさまざまな研究成果や情報のうち、「見てはいけない」といった刺激的だが、生煮えの知識だけを仕入れて。そのせいで、怖いもの見たさというのか、少しドキドキしながら、東門をくぐって集落に入ったのを覚えている。かつてこの集落は、石垣を周囲に巡らせた特異な構造をしていて、要所に石門が設けられていたという。

 07年当時、そうした門の一つ、東門はコンクリート製の簡素な造りだったが、終戦後までは石を積んだ重厚なたたずまいだったそうだ。その石門が自動車を通すための道路拡幅に伴って取り壊され、コンクリート製に変わったという。現在は、かつての石積みの門として復元されている。

 門の先の集落内はいつも静かだ。歩いてすぐ、「ザー」という広場がある。天を覆う巨木に保護されるかのように、拝所(籠もり屋)が建っている。ザーとは「座」のことで、「平良市史 御嶽編」には「座の御嶽」とある。ウヤガンを含む多くの祭りの始まりや終わりとなる場所なのだという。

 とにかく一度訪れると、この場の強い印象は忘れがたい。狩俣集落を歩いていて、いつもなんとなく粛として背筋を伸ばしていなければといった感じを覚えるのは、そもそも厳粛な祭りが行われる集落だと聞いてきたことに加え、最初にこのザーのたたずまいに衝撃を受けたからだと思う。

最重要の御嶽へ

 次に、大城元(ウプグフムトゥ)へ。何棟かの拝所が並び、真ん中が小広い広場になっている。ウヤガンをはじめとする集落の祭りは、この拝所の一つ、大城元を中心に行われる。いわば、集落最重要の御嶽なのだ。「ムトゥ」とは、祭りを行う組織を指し、祭りの場である拝所も指す独特の言葉である。

 大城元の背後、集落全体にとっても背後に当たる小高い丘は原生のままの森という。その全体が聖地だ。祭りが行われる時はもちろんのこと、部外者には常に絶対の禁足地である。ただし、森の手前までは行ける。

 ザーの少し東側に観光客の行き来も歓迎してくれている坂道があって、登り切ると太平洋を見渡す崖の上に出る。目も覚める青い海にぽつんと浮かんでいるのが大神島だ。この「神秘の島」については、また後日触れる。

 崖の上の道が集落背後の聖なる森へと続いているのだが、先へ進むことはできない。近年、立ち入り禁止の看板が立った。

 さて、忘れられないのは最初にこの集落を訪れた日のことだ。地理など、まったくわからないままうろつきながら、御嶽の所在地を行き会った人たちに尋ねる。祭りのことや御嶽のことは、みんなあまり話したがらない……。そういう半端…

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