- ポスト
- みんなのポストを見る
- シェア
- ブックマーク
- 保存
- メール
- リンク
- 印刷
<千の証言に寄せて documentary report 190>
晩秋の9日昼、長崎市の平和祈念像前に市民が集まった。長崎に原爆が落とされた8月9日にちなみ、毎月9日に核廃絶を訴えて座り込みをする。その輪の中に、原水爆禁止日本国民会議議長の川野浩一さん(75)の姿が見られた。
「(安全保障関連法の)反対運動は持続させていきましょう。もっと声を上げていかないといけません」。マイクを握り、訴えた川野さんの表情は厳しい。安保関連法が成立して2カ月もたたないうちに、世間の話題や関心が政府の経済対策などに移り、焦りに似た思いが募っていた。
被爆時は5歳。爆心地から3・1キロの長崎市の自宅近くの路上にいて、上空を飛ぶ米軍のB29爆撃機をふと見上げた直後、原爆による爆風で10メートル以上吹き飛ばされた。幸いけがはなく、家族も無事だった。防空壕(ごう)では祖父母が「大やけどして男か女かわからない人がたくさん通っている」と子供たちを奥にとどまらせた。この夜、別の大きな防空壕に向かう途中、山の上から見た市街地が真っ赤に燃え上がっていた。
この記事は有料記事です。
残り611文字(全文1077文字)