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激突対談 下村博文 vs 佐和隆光 どうなる? 人文系学部

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しもむら・はくぶん
1954年、群馬県生まれ。早稲田大学教育学部卒業。96年、衆議院総選挙で初当選し、2012年12月より現職。主な著書に『下村博文の教育立国論』『9歳で突然父を亡くし新聞配達少年から文科大臣に』など
しもむら・はくぶん 1954年、群馬県生まれ。早稲田大学教育学部卒業。96年、衆議院総選挙で初当選し、2012年12月より現職。主な著書に『下村博文の教育立国論』『9歳で突然父を亡くし新聞配達少年から文科大臣に』など

 文部科学省が6月に出した「通知」に対して、国立大学の教授陣から猛反発が沸き起こっている。教授たちは通知の何に怒っているのか。文科省の真意は何か──。通知を出した下村博文・文科相と批判派の急先鋒の佐和隆光滋賀大学長が激論を戦わせた。

 ──国立大学に対して、人文社会系学部の廃止や再編を求める文科省の通知が大学関係者の間で大きな波紋を呼んでいる。まず下村文科相に通知を出した真意をうかがいたい。

 下村 通知には組織の見直しについて、こう書いている。「特に教員養成系学部・大学院、人文社会系学部・大学院については、18歳人口の減少や人材需要、教員研究水準の確保、国立大学としての役割等を踏まえた組織見直し計画を策定し、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努める」。事実はこの通りだが、一部の大学教授たちは、この通知の趣旨を曲解している。

旧態依然でいいのか

 教員養成系学部にあるゼロ免許課程(教員免許を非取得でも卒業可能)は、廃止すると数年前から言っている。それ以外の人文社会系学部について、「廃止しろ」とは言っていない。それが国立大学の人文社会系学部は、なくせと曲解されてしまった。

 学問のグローバル化が進む中で、日本の大学が旧態依然のままの形でいいのかという問題提起をしている。今年度から来年度にかけて16大学が教育学部の定員を減らすなどして新たな学部・学科を創設する。学部や学科の再編は、時代にあった適切なニーズに応じて対応するということだ。これはグローバル化や教育環境の変化、新たな情報化社会にある中では必然の流れだ。一番の問題は、国立大学の学生が社会に出た時、本当に活躍できる教養や知識を、学ぶ場として大学が提供できているのかどうかだ。

さわ・たかみつ
1942年、和歌山生まれ。東京大学経済学部卒業。京都大学経済研究所所長、立命館大学大学院教授などを経て、2010年4月より現職。07年に紫綬褒章を受章。主な著書に『グリーン資本主義』『日本経済の憂鬱』など
さわ・たかみつ 1942年、和歌山生まれ。東京大学経済学部卒業。京都大学経済研究所所長、立命館大学大学院教授などを経て、2010年4月より現職。07年に紫綬褒章を受章。主な著書に『グリーン資本主義』『日本経済の憂鬱』など

 佐和 大学が今のままでいいのかという問題は、理系にも問われるべきことだ。工学部は、再編すべきだと私は思っている。分野が細分化され、学生数が多すぎる学科もある。しかし、今回の通知では人文社会学系学部を狙い撃ちするような印象を受けた。それに人社系の排斥は今回だけではなく、過去にも事例がある。

 第二次世界大戦中の1944年、滋賀大学の前身である彦根高等商業は軍の命令で、高等工業に替えられ、戦後の46年に元の高等商業に戻った。戦時中、学徒動員された多くの学生も文系に限られていた。文系の教育研究は有害無益だというのが軍国主義の下での通念だった。

 戦後の高度成長期には、岸内閣の松田竹千代文部相(当時)は「国立大学は法文系学部を廃止し、理工系に特化すべきであり、法文系の教育は私立大学に任せるべきだ」と明言した。その背景には、二つの要因があると私は推察している。一つは、60年12月に公表された池田内閣の「所得倍増計画」を推進するには、理工系の人材が必要だと考えられたこと、もう一つは60年安保闘争に参加した学生の大半が文系だったことだ。

改革は大学全体で

 下村 今回はそれには全く当てはまらない。定数を減らせと言っているわけではないし、実際減っていないからだ。ただ、今までのような形でいいのかということを問うている。文理含めた他学部や新学部に再編するということだ。戦前や岸内閣の話とは全く違う。同じ延長線上でお話しされているとしたら、それは大きな誤解だ。

 佐和 理系も含めて大学全体を見直すべきだ、と私は主張している。通知が、人文系と教員養成系を決め打ちしているのは、いかがなものか。

 下村 繰り返しになるが、今回の通知の意図するところは、国立大学は今のままでいいのか、再編する必要があるのではないかということだ。

 佐和 私も、その点は十分理解しているつもりだ。滋賀大学でも経済学部から90人、教育学部から10人の定員を削減し、文理融合のデータサイエンス学部を新設する予定だ。17年度の開設を目指している。そういう意味では、文科省通知のご指摘に従い、より社会的要請の高い領域に転換するための取り組みだとご理解いただきたい。しかし、文科省通知は理系のことについては全く触れていない。私に言わせれば大学全体としての改革が必要だと考える。

 下村 文科省が国立大学の改革プランを打ち出したのは、6月8日の通知のみではなく、そのずっと前からだ。昨年の大学ガバナンス法案も含め、トータルで国立大学改革について現状でいいか、という点に数年前から着手している。

 6月8日の通知以前から、現状のままでは、地域ニーズや将来の日本の子供たちのあるべき教育にかなりのズレがあるのではないか、そういう問題意識の中で、文理融合を含めて改革に着手している国立大学は相当ある。たとえば宇都宮大学は、教育学部のゼロ免課程の学生と、建設学科の学生の定員分を合わせて、地域デザイン科学部の新設を来春に予定している。他の大学についても、12年や14年から始めているところもあり、人文系だけを再編するという大学はほとんどない。

 佐和 人社系学部の現状に問題があることは認めるが、欧州の国々では人社系の存在感が極めて高い。例えば、英オックスフォード大学や英ケンブリッジ大学で最難関の学科の一つは歴史学科だ。18〜22歳の4年間、歴史学を徹底的に学ぶ。卒業後、外交官をはじめとする官僚となり、法律や経済学を仕事の中で学ぶ。大学では大学でしか学べないこと、歴史、哲学、社会思想史などを学んで、仕事に関わる知識はオン・ザ・ジョブ・トレーニングというのが、欧州の官僚養成法なのだ。

日本の学生は勉強しない

 下村 それはその通りだが、そういうことを言うこと自体が率直に言ってズレているとしか思えない。今、日本の国立大学が、佐和先生が言った欧州の大学のような教育ができているのかどうか、という点が問われると私は思う。

 典型的な例として東京大学の文学部がある。最高学府の中の最高レベルだと思うが、東大は文学部も変える。なぜかというと、あまりにも視野が狭すぎるからだ。

 例えばシェイクスピア。日本で言えば古典に位置するが、これを専門的に学ぶことによって専門の学者を養成するという点では意味があるかもしれない。しかし、東大の文学部で実際に大学院に進学するのは20%で、60%は公務員や一般企業に勤める。その時にそうした学生に問われるのは、まさに欧州的なリベラルアーツ(教養教育)だと思う。

 そもそも今の学生は勉強しない。米国の高校生・大学生に比べて、日本の高校生・大学生の学修時間は2分の1という調査もある。また日本の理系に比べても文系の学生は勉強していない。これは学生の問題というよりは、勉強しなくても済んでいる今の大学のスキーム(体制)の問題だと思う。もっと日本の学生を鍛えなければならない。鍛える時に、今の人文社会系学部のあり方でどうすればいいのか。リベラルアーツを含め、より深く広く鍛え上げなければならない。

 ──文系は理系の3分の1程度しか学修時間がない。理系は実験や実習などがあるためだが、文系は少なすぎる。

 佐和 日本の大学生のうち1割弱が「1週間の授業外学修時間は0時間」と答えている。一方、米国では6割弱の学生が1週間に11時間以上も勉強する。日本の学生の6割弱が1〜5時間しか勉強しないという調査結果がある(図)。

 確かに理系の学生は、実験のリポート書きなど文系に比べれば、相対的に学修時間が長くなる。なぜ文系学生の学修時間が短いのか。教室で一方向的な授業をするだけだからだ。米国の大学の文系の授業では、ハーバード大学のサンデル教授の白熱授業のように具体的な事例を挙げ、「君はどう思うか」と学生に質問する。

 米国では、文系の学生には大量のリーディングアサインメント(授業を受講するにあたって事前に読んでおく必須の資料)を課す。学生は指示された本や論文を読んで講義に出席しているから、サンデル教授のような質問に的確に答えられる。日本の文系学部の授業ではリーディングアサインメントを課すことが少なく、対話型の授業をやってこなかったことは反省すべき点だ。

 ただ、私と同世代の経済学部生なら、アダム・スミス、マルクス、ケインズなど経済学の古典を、最初から最後まで読み通せなくても、何とか読解しようと悪戦苦闘した経験の持ち主が多いはずだ。そうした経験を通じて、文科相が言う「真の学ぶ力」、思考力・判断力・表現力を鍛えることができた。

 人社系学部の強みは、読書量の一語に尽きる。今の学生は古典を読まなくなった。ガルブレイス、フリードマン、スティグリッツの著作、ピケティの『21世紀の資本』なども新しい古典だ。古典をきちんと読めば、思考力・判断力・表現力で理系出身者を凌ぐことができる。

日本の大学は人文系が弱い

 下村 今、佐和先生が言ったように、国立大学の経済学部で学生に古典とじっくり向き合わせているかというと、実際はやっていない。

 個々の教授の中には、課題本を米国の大学のように週に何冊も読むように指示して、授業を受けさせているものもいる。しかし、日本の大学でそのようなことをしたら、学生がそうした教授の講義を取らなくなってしまう。必修でない限り履修しなくても卒業できるからだ。これでは、日本の教育レベルは下がってしまって当然だ。

 これは学生の責任というよりは、スキームの問題ではないか。だからこそ、新たな学問的なニーズの中で、より学生たちに学ばせるようなスキームを大学がきちんと再構築していく。それによって、新たな時代に対応するような大学教育にしていかないといけない。米国をはじめ欧米の大学は皆そういうことをやっているからだ。日本の大学だけがそれを怠っていては、10年後、20年後の日本が危うい。世界でますます通用しなくなる。それをわかっていながら改革しないのは、学生にとって無責任だ。

 佐和 下村文科相が言う「真の学ぶ力」、思考力・判断力・表現力を身につけさせるためには、次の三つが必要だ。第一に日本語と英語の読解力、作文力、表現力。英語はもとより、日本語の読解力、作文力のおぼつかない大学生も少なからずいる。第二に、数学的なリテラシー、論理的な思考力の基本だ。第三にデータリテラシー。ビッグデータ時代と言われる今日、データが含意する情報を読み取る能力が欠かせない。17年度開設を目指す滋賀大学「データサイエンス学部」は、言語、数学的リテラシー、データリテラシーの三つの能力をバランスよく兼ね備えた人材の養成を狙っている。

 下村 佐和先生は「真の学ぶ力」を育むには「思考力・判断力・表現力」が必要だと言った。ぜひ滋賀大学で、それを実践していただきたい。これは、大学の入学試験のやり方にまでかかわる重大な課題だ。今までの大学入学者選抜が「真の学ぶ力」を問うような試験にはなっていない。例えば、大学入試センター試験は、マークシート形式であり、基礎・基本の知識は測れても、「思考力・判断力・表現力」を十分に問うことができていなかった。

 手間がかかると思うが、論文や面接試験を導入するなどのチャレンジをしてほしい。国もチャレンジする大学には、財政的な支援をする。16年度は全体で72億円をかけて大学入試を改革する。入試から変えていかないと、世界に通用する学生を育成することはできない。

 ──日本の大学は世界大学ランキングで、トップ100に入れないという現実がある。安倍晋三首相は今後10年でトップ100に10校入れると言っているが、達成できるか。

 下村 グローバル化がどれくらい進んでいるか、つまり、世界共通語である英語でどのくらい授業ができているかというモノサシが、日本の大学には厳しいものになっている。米国の科学者から、日本の学者は文系、理系問わず英語の論文を出していないと言われた。文系はゼロに近い。それは相当なハンディキャップで、単独で学者が英語の論文を出すだけでなく、国、大学を超えた共著論文が少ない。英大学教育雑誌「タイムズ・ハイヤー・エデュケーション(THE)」ランキングのベスト100には、東京大学と京都大学の2校しか入っていない。

 グローバル化が進む中で、大学の教授や学生もジョイント・ディグリー(複数大学が連携で学位記を授与)という国際的な共同学位プログラムなどの活用をすすめてほしい。外国人留学生も20年までに倍増の30万人を迎え入れる。日本からの留学生の送り出しも12万人という目標を立てている。世界トップレベルの教育・研究を目指し、国際化を牽引(けんいん)する人材を養成する「スーパーグローバル大学創成支援」という事業の下、東京大学など37校を決めた。37校のうち、10校ぐらいがベスト100に入るように、国も応援したい。

 佐和 THEランキングで日本の大学の順位が低い大きな理由の一つは、人社系が圧倒的に弱いことだ。人社系の分野で英語の論文を書くのは、非英語圏の日本人にとっては並大抵のことでない。いかに優れた論文でも英語にしなければ、外国人の目に触れない。人社系の大学教員にはもっと英語で論文を書くよう、文科省に督励していただきたい。

 人社系学部の底上げがいかに重要かについては、米マサチューセッツ工科大学(MIT)が参考になる。MITは工科系の単科大学だと思われがちだが、人文社会系の学科が非常に充実している。社会科学分野でのランキングを見ると、1位が米スタンフォード大学、2位がMITだ。人社系の稼ぐポイントがあまりにも低いせいで、日本の大学はTHEランキングの下位に甘んじている。

 ──この通知は人社系を強くしたいという意図で出した?

下村 もちろんだ。人文社会系だけでなく、国立大学が世界の中で立ち行かなくなると言うか、評価されなくなっている。

 佐和 立ち行かなくなる理由の一つは、大学の予算が余りにも少ないことだ。高等教育の予算は、対国内総生産(GDP)比でOECD(経済協力開発機構)加盟34カ国中、最下位というありさまだ。お金を出さずに、もっと頑張れと鞭(むち)を振るわれてもどうにもならない。

 下村 ご指摘の通りだ。教育再生実行会議でも第8次提言の中で、教育における公財政支出がOECD諸国に比べて日本は圧倒的に少ないから、家計負担ではなく、国や自治体が積極的に財源を確保していく。ただ諸外国の大学は、自力で資金を稼ぐ努力をしている。日本でも、それができるように法改正の検討を含め規制緩和策を講じることが必要だ。

 佐和 ヨーロッパ諸国のように、教育は国が担う重要な役割の一つであるという意識を徹底してほしい。

 下村 日本が目指すべきは、教育立国。幼児教育も含めて、財源をしっかり確保していきたい。少子化対策を含めた人口問題にも教育改革は大変重要なポイントになってくる。【司会=中根正義・毎日新聞「教育と新聞」推進本部大学センター長/構成=浜條元保・編集部】

 ※週刊「エコノミスト」10月6日号より転載。対談は下村氏が文科相在任中の9月16日に行われた。

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