2017年5月号
特集
その時どう動く
対談
  • 相田みつを美術館館長相田一人
  • 円覚寺管長横田南嶺

相田みつをの
残した言葉

書家・詩人である相田みつをの書に「そのときどう動く」という作品がある。人生はいつどこで何が起こるか分からない。その時その時の出来事に対して相応しい手を打っていかなければ、人生という旅路は謳歌できないだろう。相田みつをがこの言葉に込めた思い、その作品と生き方から学ぶべき人生の心得について、相田一人氏と横田南嶺氏に縦横に語り合っていただいた。

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「いま、ここ」を具体的に動く

横田 「そのとき どう動く」という相田みつを先生の言葉は、私も知ってはいましたけども、それほど特別に意識していた言葉ではありませんでした。ところが、昨年(2016年)の6月に、相田一人館長に円覚寺で講演をしていただいた際、お父さんの言葉の中で一番大事にしているのは「そのとき どう動く」だと、こうおっしゃった。

1985年

最初はあまりピンと来なかったんですけども、相田館長のお話を聞くうちに、なるほど、極めて禅的だなと。それまでどういうことをやっていたとか、過去の実績が何であるかとか、どれだけ本を読んできたとか、そういうことではなく、その時、その場で具体的にどう動くか。まさしくこれは禅の教えをひと言で表現した言葉だと思って、その後は至る所で「そのとき どう動く」というテーマで講演させていただいています。

相田 私の父・相田みつをは、地元の栃木県足利市にある曹洞宗高福寺の武井哲応老師という師匠に40年以上師事し、坐禅をさせていただいたんですね。素人ながら一所懸命、老師の下で『正法眼蔵』を学んでいたのを、私も横で見ていました。
その父が講演でこんなことを言っていたんです。「武井哲応老師や『正法眼蔵』から学んだことをひと言で言ってみろと言われれば、自分は『そのとき どう動く』ということを学ばせていただいた」と。
ですから、父にとって大事な言葉だったと思いますし、私自身、印象的でした。

横田 相田みつを先生は武井老師に教わった言葉やご自身の作品をまとめた『円融便り』(相田みつをが在家の仏教活動として発行していたもの)を発行されていましたけど、その中に「南泉の鎌」の話が出ていますね。
昔、ある雲水(修行僧)が南泉という禅僧に「南泉の道はどこに向かっていくのか」と尋ねた。その時、南泉は「この鎌はよく切れる」と言って、ただ寺の門前の草を刈っていた。南泉の道などという抽象的な概念は一切否定して、まさしく「いま、ここ」を具体的に動くことが大事であると示されたという話です。

相田 それは父が大好きだった話ですね。私も耳にタコができるくらいよく聞かされました(笑)。

横田 やっぱりそうですか。おそらく相田みつを先生はこういう禅の話を武井老師からたくさん聞かれる中で、「そのとき どう動く」という言葉が染みついていかれたんでしょうね。

相田みつを美術館館長

相田一人

あいだ・かずひと

昭和30年栃木県生まれ。書家・詩人として知られる相田みつをの長男。出版社勤務を経て、平成8年東京に相田みつを美術館を設立、館長に就任。相田みつをの作品集の編集、普及に携わる。著書に『相田みつを 肩書きのない人生』(文化出版局)など。

優先順位をどこに定めるか

相田 「南泉の鎌」の話とともに父が大好きだったのが、白隠禅師の話なんです。
よく知られた話だと思いますが、白隠禅師を尊敬しているある商人の方がいて、その娘さんが身ごもったと。娘さんは白隠禅師の子供だと言えば、父親に許してもらえるんじゃないかと、悪知恵を働かせて嘘をついた。それを聞いた父親は、娘に手をつけるとはとんでもない坊さんだと激怒し、赤ちゃんを抱いて禅師のところに行き、「これはあんたの子だろう」と詰め寄る。どういう応対をするかと思ったら、「ああ、そうか」と言って、赤ちゃんを受け取ったんですよね。
父親はますます「やっぱりそうだったのか」と憤慨して、家に帰った。その後、禅師がお乳をもらいに歩き回る様子を見て、娘が白状する。「実は別の人の子供なんです」と。それで父親は平身低頭して禅師に謝罪した。何か嫌味でも言われるかと思ったら、禅師は「ああ、そうか」と言って、赤ちゃんを返したというんですね。

横田 そう。その時も「ああ、そうか」とだけ言ったというね。

相田 父曰く、その時白隠禅師が何を考えたかと言えば、自分が父親であるとかそうじゃないとかいうことよりも、生まれたばかりの乳飲み子の命を助けることが大事なんだと。で、その後母親が現れた時には、やはり子供は母親が育てるのが一番いいわけですから、すんなりと返した。
だから、まさにその時どう動くということについて、判断基準や優先順位がはっきりしているってことですよね。
横田 この白隠禅師の話は、我われ禅僧の間では有名ですが、つくづく偉いなと思うんです。人間ですからどうしても自分の評判を気にしたり、よく見られたいという気持ちが入ってしまうんですよね。
しかし、相田館長がおっしゃったように、いま目の前にいる子供の命、そこに焦点が定まっておられたから、平気だったんでしょう。これは難しい。なかなかできることではありません。

相田 そうですね。しかも自分のことを尊敬してくれている人間に濡れ衣を着せられたわけですから、ひと言「違う」とか言っても別におかしくないと思うんです。それを何も言わずに、ただ「ああ、そうか」と。もう本当にすごいなと思いますね。

横田 「ああ、そうか」と言うだけで、それ以上反論も追及も何もしない。そこまでいけばたいしたものだと思います。

相田 私の父は優先順位が非常にはっきりしておりまして、第一は書を書くことなんですね。私が子供の頃、父と母と私と妹の4人で八畳一間くらいの狭い部屋を間借りしていました。襖一枚隔てて大家さんが住んでいて声も筒抜けでしたから、母は気兼ねして暮らしていたんです。
ある時、隣の土地が空いたので、お金を何とか工面してそこを借りて30畳のアトリエをつくったんですね。しかし、そこは家族には一切使わせない。親戚や父の友人が「一部を区切って家族にも使わせたら」と言ったんですけれども、父は頑として頷きませんでした。
展覧会を開いて書を売る生活でしたから、定収入は全然ないし、貧乏のどん底で、母に頼り切っていたものの、書を書くことに何よりも重きを置いていたんです。
母がよく言っていましたけど、もしお父さんが家族のことを第一に思ってアトリエで一緒に暮らそうみたいなタイプだったら、作品は雲散霧消して後世に残らなかったんじゃないかと。そういう母の理解があったから、仕事に徹することができたのだと思います。

円覚寺管長

横田南嶺

よこた・なんれい

昭和39年和歌山県生まれ。62年筑波大学卒業。在学中に出家得度し、卒業と同時に京都建仁寺僧堂で修行。平成3年円覚寺僧堂で修行。11年円覚寺僧堂師家。22年臨済宗円覚寺派管長に就任。著書多数。最新刊に『人生を照らす禅の言葉』(致知出版社)。