梅沢富美男 若い頃の女形画像と夢芝居ブレイク期のモテ伝説!

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梅沢富美男 若い頃の女形画像と夢芝居ブレイク期のモテ伝説!

芸能界のご意見番として数々のメディアで活躍されている梅沢富美男さん。

毒舌なコメントで人気のおじさまですが、本業は大衆演劇で活躍する役者さん。特に若い頃の女形が超有名です。

梅沢富美男さんの若い頃の女形はどんな感じだったの?

という訳で今回は、梅沢富美男さんの若い頃の女形について詳しく調査しました!

夢芝居でブレイクしてからのモテ伝説などもあわせて紹介していきますね。それではどうぞ〜。


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目次

梅沢富美男の若い頃の女形を画像で紹介

梅沢さんの若い頃の女形がすごかった!とにかく美しい!

26歳から女形を演じ始めたという梅沢さん。これは1976年〜1982年頃の写真じゃないかと思われます。

キレイですね〜!とても今の梅沢さんからは想像がつきません笑。

さあ、どんどん見ていきましょう!梅沢さんのインスタに若い頃の写真がアップされていました。

引用元:Instagram

えー!本当に梅沢さん!?って思うくらい、う、うつくしい!!本物の女性より色気がプンプンしてますよね。

引用元:Instagram

はぁ〜うっとりしちゃう美しさですね。”女装”している感が全くなくて、女性そのものなんですよね。役者さんってこんなに化けれるんですね。すごすぎます!

動画もありました。瀬川瑛子さんの歌で梅沢さんが踊っています。この妖艶な立ち振る舞い!手の指先まで美しい!何度も言いますが、この美しい女性は梅沢富美男さんですよ!信じられない・・・。

世間の反応もこんな感じです。そりゃそう思いますよね笑。私も梅沢さんの女形の美しさと色気に衝撃を受けました。女の私から見ても、女以上に女だと感じました。この色っぽさ、とても真似できません!

梅沢さんが演じる女形の美しさのポイントは、

  • 流し目
  • メイク
  • 立ち振る舞い
  • 所作の美しさ
  • 口元が半開き

これですね。口が半開きでセクシーという評判でしたが、これは蓄膿症だった為、鼻から空気を吸えず苦しくて口が開いちゃったからだそうです笑。


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梅沢富美男の女形が『下町の玉三郎』と呼ばれるまで

梅沢富美男さんの若い頃の女形、キレイでしたね〜!

ここで梅沢さんのこれまでの活躍について、時系列で解説していきたいと思います。どうして『下町の玉三郎』と呼ばれるようになったのでしょうか?

プロフィール

梅沢富美男
引用元:Instagram
名前梅沢富美男
生年月日1950年11月9日 (73歳)
出身地福島県福島市
血液型B型
趣味映画鑑賞、ドライブ、ゴルフ

経歴

1952年(1歳5ヶ月) 役者デビュー
1976年(26歳) 女形デビュー
1982年(32歳) CD『夢芝居』が大ヒット
1983年(33歳) 第34回NHK紅白歌合戦に初出場
2012年(62歳) 梅沢劇団の座長となる

下町の玉三郎と呼ばれるまで

両親が『梅沢劇団』という大衆演劇を営んでおり、梅沢さんは1歳5ヶ月から舞台に出るという、とんでもなく早い役者デビューを果たしました。役者一家に生まれた宿命でしょうね。いつも袖から舞台を見ているのが好きな子供だったようで、役者デビューしてからはすぐに頭角を現し、天才子役だと言われていたそうです。

そして26歳の時、可愛がってもらっていた漫画家の石ノ森章太郎先生に「矢切の渡し」を演じてほしいと依頼されたことがきっかけで女形をやるようになったそうです。

座長を務めていたお兄さんに伝えると、

「これは男女二人で踊る相舞踊だから、おまえが女形をやれ」。女形なんてやりたくなかったですが、石ノ森先生からの話を断るわけにもいかず、兄貴からは「女のことはよく知っているだろう」と言われて(笑)。それで母親に踊りを教えてもらって、自分でメークしたら、あの顔になりました。この空間の中で自分が一番いい女だと思って演じるしかない、と腹を括りました。

引用元:UR都市機構

こうして、あの美しい女形の梅沢富美男が生まれた訳なんですね。

女形をどう演じたらいいのか迷っていると、お兄さんに

お前は女好きなんだから、いろいろな女性を見て研究しろ。

引用元:スポニチ

と言われたそうです笑。女好きの梅沢さんにしたら、とてもラッキーな仕事だったに違いありませんね。そこから女性について研究の日々が始まりました。とことん女性の所作について学んだそうです。

電柱の後ろから、銭湯帰りの浴衣を着た芸者たちが歩く様子を「色っぽいなあ」と観察していた。ところがある時、交番の警察官に見とがめられ、「女形の研究です」と説明するも「嘘を言うんじゃない」と取り合えってもらえず、交番に連れて行かれた

引用元:TVer plus

と、警察ざたになるエピソードもあるほどです。研究熱心というか、行き過ぎというか。でも、女形への情熱のすごさが見られますね。

さらに、娘歌舞伎の出身である梅沢さんの母親からは、こう助言されたそうです。

今の俺の“女好き”っていうのもある意味お袋のせいというか、お陰というか……(笑)。お袋が「女と遊ばなきゃ色気のある芝居は出来ない」って言うから、俺は“芸のため”に女遊びを始めたんだよ(笑)。いや、本当に。

引用元:LEON

すごい世界ですね。お母さんも役者さんでしたから、芝居への情熱は普通の母親とは違います。

そして様々な女性を見て研究してきた梅沢さんは、

確かに周りには花柳界のお姉さま方がいっぱいいたし、お手本には事欠かなかったよ。それでわかったのは女のきれいってのは形じゃなくて立ち居振る舞いの美しさだってこと。色っぽい仕草だったり、恥じらう目線とかね。だから俺は、ただただ、そういう物腰の美しい人を真似して演じてきただけ。気持ちが女になってるわけじゃない。

引用元:LEON

と語っていました。梅沢さんの女形の立ち振る舞いは素晴らしいですもんね。

私個人的に、梅沢さんは女たらしで女好きっていうイメージだったんですが、それは女形を演じる為であって、役者魂の賜物だったというわけです。元々好きだったっていうのもあるかと思うんですが笑。女遊びは芸の肥やしということでしょうか。役者一筋なんですね!

そして、女性を徹底的に研究した梅沢さんの女形は、「300年に1人の名優」と言われるほど高い評価を得て、めちゃくちゃ人気が出ました。もう一気にスーパースターです!

どれくらいすごかったかというと、舞台が終わった後に投げられる”おひねり”が300万円だったとか。札束が投げられる時もあったそうですよ。とんでもない人気ですね。全盛期は年に325日間も舞台に立っていたそうです。

こんな証言も。すごいですね〜!

下町の玉三郎
引用元:文春オンライン

こうして、稀代のスーパースター梅沢富美男は『下町の玉三郎』と呼ばれるようになりました。女形で有名だった坂東玉三郎さんが由来していて、演劇の花形役者には玉三郎という呼び名がつくようになったようです。役者界のすごい褒め言葉ということですね。

それで下町の玉三郎になったのね。梅沢さんすごいわ!

さらに快進撃は続き、梅沢さんは歌手としてもブレイクします。有名なのは1982年に小椋佳氏が作詞作曲した『夢芝居』です。この曲は、売り上げ50万枚という大ヒットを記録し、1983年にこの曲で紅白歌合戦にも出場されています。

有名な曲ですね。当時私はまだ生まれてませんが、この曲は知っています。一度聴いたら耳に残る名曲ですよね〜。梅沢さん渋くてカッコイイ!良い声してますね〜素敵です。

夢芝居が大ヒットしてからは、舞台のギャラもとんでもない額になったそうです。なんと1回のステージでギャラが700万円だったとか!CMの撮影依頼も殺到し、当時のCMの出演料は3000万円だったそうです!すごい額ですね〜。売れっ子になるとこんなに貰えたんですね。

2012年にお兄さんから劇団の座長を引き継ぎ、2024年現在も『梅沢富美男劇団』の座長として精力的に活動されています。

こんな感じで、女形も健在ですよ笑。まだまだ美しい!

梅沢さんのインスタには劇団の様子がたくさん載っていて、私は演劇とかあまり関心はなかったのですが、梅沢さんの舞台は面白そうなので、一度見に行ってみたいな〜と思いました!こうやって発信してもらえると、大衆演劇というものをあまり知らない若い世代にも楽しさが伝わっていいですよね。私もかなり興味出ました!


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『夢芝居』でブレイクしてからのモテ伝説を紹介

ここからは梅沢さんのモテ伝説を見ていきましょう。

『夢芝居』で大ブレイクした梅沢さんは、地位も名誉も手に入れて、世間では誰もが知っているスーパースターになりました。もちろん、モテないはずがありません。本人も堂々と公言するほど、“女遊び”をしていました。

引用元:Instagram

男の脂がのった、ギンギラギンの時です。ワイルドな感じでカッコイイですね。

これまで……少し大げさに言うと、何百人とお付き合いしてきましたよ。人生そこそこ長いですからね(笑)。でも、女性から訴えられたことは一度もありません。付き合った女性が週刊誌に情報を売るといったこともありません。

引用元:LEON

これです。女性問題で芸能活動を休止する芸能人がたくさんいますけど、梅沢さんを見習った方がいいですね笑。

何百人と付き合ってこれたという、プレイボーイっぷり。相当な経済力もないと成り立たないですよね。そして女性とトラブルを起こしたことがないというのは、『遊び方が上手い』という事なのでしょう。

『浮気は遊び』というのが大前提で、梅沢さんの中にはこんなルールがありました。

浮気のルール
  1. バレたら別れる
  2. 堅気の女には手を出さない
  3. 結婚してる女はダメ
  4. ちゃんと毎日家に帰る
  5. 実現しない甘い言葉は言わない

これが今まで何百人もの女性とお付き合いしてきても、スキャンダルゼロの秘訣のようです。家庭もちゃんと円満です。ルールを徹底して、ちゃんとわきまえているんですね。

でも梅沢さんの奥様はどう思っているんでしょうか?調べてみると、浮気がバレても奥さんは責めることはしないそうです。一般家庭には理解し難い特殊な世界だとは思うんですが、それにしてもよく出来た奥さんですよね。この奥さんありきの梅沢さんといった感じです。

やはり最後はしっかり奥さんの元に戻る。これがあるから奥さんも許せるのかもしれないですね。丸く収まるって感じなんですかね、内心は分かりませんが笑。

家族への愛情と浮気相手への愛情はまったく別のものなんです。

引用元:LEON

と梅沢さんは語っていますが、う〜ん、やっぱり特殊。そうは言われても許せるかと言うと・・・。やっぱり梅沢さんの奥さんはすごい!懐の深さが違いますね〜!

しかし、浮気していることをこんなに公言できる人って、梅沢さんくらいじゃないですかね。今の時代だったら100パーセントアウトですよね笑。

今とは時代が違うからと言っても、こんなに堂々と遊んでいることを公言していて許されるっていうのもまた“梅沢富美男”だからだと思うんです。きっとそれはルールをしっかり守って、女性を傷つけないようにしているからなんじゃないかと。たぶんめちゃくちゃ紳士的な対応をしていると思いますね。これこそが真のプレイボーイと言えるんじゃないでしょうか。

俺は、男は死ぬまでスケベな生き物でいたいって思ってますから。

引用元:LEON

高田純次さんかと思うくらいの名言ですね。

個人的に梅沢さんに恋愛のハウツー本みたいなの出してほしいと思ってしまいました。絶対売れるんじゃないでしょうかね笑。


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まとめ

今回は、梅沢富美男さんの若い頃の女形がどんな感じだったのか調査してみました!

女性以上に女性らしく、その美しく妖艶な姿にとても驚きました!

『下町の玉三郎』と呼ばれるほど梅沢富美男さんの女形の活躍はすごく、『夢芝居』でブレイクしてからの女遊びの活躍もすごかったようです笑。

バラエティー番組では、毒舌キャラの面白いおじさんというイメージでしたが、若い頃は女形を演じたらピカイチだった素晴らしい役者さんです。

これからも梅沢富美男さんの活躍から目が離せませんね!

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