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▽共同店
共同店の変遷



 戦前のやんばる3村地域は、それぞれの集落が海岸沿いに立地し、集落間の距離も離れお互いの交流が容易でなかったため、当時経済の中心地である那覇との物資の交流はもっぱら「山原船」と呼ばれる交易船に頼っていました。
 昭和初期まで主要な物資だった林産物は山原船で那覇に運ばれていました。生産物の出荷、販売、生産資材の購入、日用品の調達は山原船によって行われていたのですが、山原船の運行と商品の取り扱いはほとんど外来の商人に握られていました。
 外来の商人的資本は、主要な集落で町屋(商店)を経営し、農民の林産物売却代金をそっくり町屋に吸収する「マチヤミシン(町屋未進)」という仕組みをつくりました。貧しい農民たちは町屋からの掛けで日用雑貨を買い、未払い金が一定額になると日常の林産物はすべて町屋に差し押さえられてしまいました。

 集落では、生活を防衛する方策として、集落単位の団結による生産物の共同販売、日用品の共同購入を主な目的とした共同店を誕生させました。その先導的役割を果たしたのが国頭村奥集落の共同店です。共同店開業と同時に個人所有の山原船は共同店に買収されました。
 共同店による集落民の物品購入の仕組みは、集落民が持ち込む薪木や米による現金収入の対価として、必要な日用雑貨を安価に共同店で集落民に販売するものでした。その共同店の経営を支えるのが集落の共有財産としての山原船でした。

 奥集落の共同店を皮切りに、やんばる3村では各集落に共同店ができ、道路開通による山原船水運の終焉など紆余曲折を経て、奥集落の共同店のように「集落経営」のまま現在に至っているところ(国頭村に多い)と、「個人経営」に移行していったところ(大宜味村、東村)があります。

やんばる船

やんばる船
(琉球山原船水運の展開 池野茂 1994年 ロマン書房)

やんばる船航路

明治30年頃のやんばる船の港と航路
(挿絵で見る昭和初期のおきなわ 石田磨柱 昭和63年)

 

安波共同店 辺戸共同店
安波共同店 辺戸共同店
比地共同店 喜如嘉共同店
比地共同店 喜如嘉共同店