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御霊祭(御霊神社)EC

洛中最古の祭、御霊神社の「御霊祭」

烏丸鞍馬口から、東へ住宅街を進んだところにある御霊神社。上御霊神社とも呼ばれ、毎年5月には洛中で最も古いとされる祭の「御霊祭」が行われます。

応仁の乱が勃発した御霊神社

御霊神社は794年の平安京遷都の際に、崇道天皇を祀ったことに始まります。その後、非業で亡くなった高貴な方々の神霊が合祀され、現在は八柱の神霊が祭神になっています。かつて疫病や天変地異が起こると、怨霊の仕業と考えられていました。863年には御霊を鎮めるための御霊会が催され、これが御霊祭の起源と言われています。

また、応仁の乱が勃発した地でもあります。1467年に家督を争っていた室町幕府菅領の畠山政長と畠山義就との戦いが御霊の森で起こり、応仁の乱へと発展。戦いは各地に広がり、10年以上続きました。

御霊神社
寺町丸太町にある下御霊神社と対比して、「上御霊神社」とも呼ばれる。一初の名所で、毎月18日には、囀市(さえずりいち)が開かれている
御霊神社 - 石碑
境内と門外の二ヶ所に、応仁の乱に関する石碑がある。四脚門近くの石碑は、2017年に応仁の乱550年を記念して建てられたもの
千年以上続く「御霊祭」

毎年5月に行われている「御霊祭」は、千年以上続く歴史ある祭。5月1日の神幸祭に始まり、17日の宵宮、18日の還幸祭と続きます。

宵宮では屋台がずらりと並び、祭ならではの華やかな雰囲気に。御霊太鼓の演奏も行われ、地元の人らでにぎわいます。祭の期間中、拝殿には神輿が置かれています。小山郷・今出川口・末廣の三基の神輿は、還幸祭で御霊太鼓、剣鉾、早乙女、稚児、若武者、牛車、獅子舞と共に氏子町を巡幸します。

御霊祭(御霊神社)- 龍鉾
還幸祭を前に、氏子町では鉾がお披露目されていた
御霊祭(御霊神社)- 宵宮1
烏丸通から御霊神社へと続く道や境内には、たくさんの屋台が並ぶ
御霊祭(御霊神社)- 宵宮2
拝殿では、還幸祭で巡幸する三基の神輿と、二基の子ども神輿を見ることができる
御霊祭(御霊神社)- 宵宮3
地元の小学生やPTAの人々が、迫力ある演奏を披露していた
氏子町を行くにぎやかな行列

御霊祭で最も盛り上がりを見せるのが、18日の還幸祭。午前11時半から、まず「渡御の儀」が執り行われます。そして午後1時頃になると、いよいよ行列が出発します。行列は神社を出て出町桝形商店街のアーケードを通り、京都御苑内へ。その後も氏子町を練り歩き、再び神社に戻るのは、夕暮れが迫る頃になります。

巡幸が始まると、威勢の良い掛け声と、シャンシャンと鳴鐶(なりかん)の音が氏子町に響き渡りました。出町桝形商店街のアーケードの通り抜けや神輿の差し上げなど、様々な見どころも。今年も多くの人が沿道に集まり、行列を見守っていました。

御霊祭(御霊神社)- 今出川口
三基の先頭を切って神社を出発した、今出川口の神輿。神輿は第108代・後水尾天皇の寄進
御霊祭(御霊神社)- 小山郷
最も古い小山郷の神輿は、第107代・後陽成天皇の寄進。写真は出町桝形商店街で差し上げを行っている様子
御霊祭(御霊神社)- 末廣
末廣の神輿は、元貴船社より奉納されたもの。毎年行列の最後を行き、「えらいやっちゃ」の掛け声が印象的
御霊祭(御霊神社)- 若武者
10人ほどの子どもたちが扮する、若武者の行列
御霊祭(御霊神社)- 牛車
後陽成天皇の寄進と言われている牛車。現存するものは少なく、とても貴重なのだとか

基本情報

  • 寺社名
    御霊神社(上御霊神社)
    住所
    京都市上京区上御霊前通烏丸東入ル上御霊竪町495
    電話番号
    075-441-2260

この記事を書いた人

risato
京都と猫が大好きなライターです。お寺巡りや美術館巡り、ハイキングやマウンテンバイクが趣味です。京都の新たな魅力と楽しみ方を求めて、市内のあちこちに出没しています。