俗界と冥界を分かつ葬送地への入口「六道の辻」。
「六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)」の東側一帯は、「鳥辺野(とりべの)」と呼ばれる都の葬送地でした。亡骸を洛中から出し鴨川を渡り、鳥辺野への入口の六道珍皇寺あたりで別れを告げたことから、六道の辻と呼ばれています。亡骸は山の上に置き、風葬される慣わしだったそうです。平安京における埋葬地は、東の「鳥辺野」、西の「化野(あだしの)」、北の「蓮台野(れんだいの)」の地にありました。六道とは、仏法の「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上」の六つの迷い苦しみの世界のことで、生前の行いに応じて生まれ変わると信じられていました。閻魔大王に仕えた、閻魔庁の役人・「小野篁(おののたかむら)」(802年生れ)は、霊力の持ち主で、朝廷の参議を務めるかたわら、夜になると井戸を使って冥土通いを繰り返し、閻魔大王に六道判別の助言を行っていたそうです。