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日本工作機械輸入協会 元専務理事 山下 敏久/【連載#4】「日本工作機械輸入協会 専務理事としての8年間」

2022 年 04 月 28 日

日本工作機械輸入協会
元専務理事
山下 敏久(やました としひさ)

1948 年 11 月19 日生 広島県出身
1972 年 機械商社(広島) 入社
1980 年 千代田機械貿易(現シーケービー)広島営業所入社
2012 年 同社を定年退職
2013 年 日本工作機械輸入協会 専務理事就任
2021 年 専務理事退任、顧問に就任
 1955 年に設立された日本工作機械輸入協会は、今年で 67 年を迎える。金属切削型工作機械、鍛圧機械、測定・検査機器、産業ロボット、CAD/CAM システム、切削工具、工作用付属機器等 金属加工製造設備及び技術の健全な輸入の発展と会員共通の利益を増進するための事業を行うことを目的に活動を開始した。
 この輸入協会の専務理事として、2021 年まで活躍された。


《第 4 回》 各委員会の設置〈企画委員会〉

 よく「若い会員が増えましたね」と言われることがあった。
 これは企画員会の活動によるものだと言っても過言ではない。毎月開催される委員会には議題を委員長と先立って決めて、出席者にはこちらから指名して必ず一言は意見を言っていただくようにしていた。行事の内容も、ボウリング大会の開催など私では思いつかないような提案をしていただき、行事ごとの正・副担当者を決めて運営を行った。当初は、皆遠慮があったようだが、委員会後の懇親会(会場は当時の事務所)を毎回行うことで、参加していた皆さんとの親睦を深めることができ、二次会もカラオケや居酒屋などに出かけていた楽しい思い出がある。

 後で記録を見てわかったことだが、過去にも企画委員会という委員会が設置されていたことがあるようだった。しかし、その活動は 2~3 回で終わっていた。
 2011 年 6 月 20 日に第 1 回目の企画委員会が開催され、15 名の委員が集合した。
 当時は、金子一彦理事(現輸入協会副会長)が委員長で、私が副委員長として行っていた。
副委員長は二人で委員長を補佐して欲しいとの金子委員長の発案で、私の他には当時ダイナミックツール株式会社の藤井秀樹氏にお願いし、快く就任していただいた。
 この企画委員会の発足にあたっては、当時の千葉会長から「会員同士がよりコミュニケーションを深めて輸入協会を盛り上げたいと思うが、どうしたら良いだろうか?」との問いかけがあり、金子委員長から「過去にも実績がある企画委員会を復活させてはいかがでしょうか?」という提案から始まった。
 輸入協会は、当時ほとんど行事に使える予算がなく、最初に始めた時は 3,000 円の会費と各人からの持ち寄り(酒類やおつまみなど)で忘年会を開催しようということになった。
 忘年会当日の参加者は 23 社 52 名だった。経営陣に加え、多くの中堅・若手社員が参加し、希望する企業には 5 分間のプレゼンテーションをしてもらい、大いに交流を深めることができ、目的を達成することができた。
 これに気をよくし、次の企画委員会では今後の方針として、
・会員会社の施設見学(ショールームなど)
・工場見学
・セミナーの開催
・ボウリング大会
などの計画が決まった。

 その後、2017 年に委員長は金子委員長から NK ワークス株式会社の渡邊將司氏へと代わり、副委員長もワルターエワーグジャパン株式会社の後藤和彦氏、ツールドインターナショナル株式会社の鈴木遼子氏に代わった。いずれも初期の頃から企画委員メンバーとして支えていただいた人たちである。

 さて、企画委員会を継続していくための方法としてまず考えたのは、女性委員を増やすことであった。今の時代にこんな言い方をするのもどうかと思うが、どうしても男性が中心となりがちだった活動を変えていくためには、女性の参加は不可欠と考えたのである。金子委員長にも同じような考えがあり、会員各社の経営陣に対して働きかけを行ったところ、発足当時の 2011~2012 年は 0 だったが、2013 年には女性委員が 2 名となり、2014 年以降は常時 3~4 名に参加していただくことができた。この結果、会員の出席率も上がり、以後の企画委員会は活発に活動を継続している。
 私のモットーは「仕事は楽しく! 楽しくなければ仕事ではない!」であり、このことは機会があるごとに企画委員や広報委員に話していた。