阿賀野(市)(読み)あがの

日本大百科全書(ニッポニカ) 「阿賀野(市)」の意味・わかりやすい解説

阿賀野(市)
あがの

新潟県中北部にある市。2004年(平成16)北蒲原郡(きたかんばらぐん)の安田(やすだ)、水原(すいばら)の2町および京ヶ瀬(きょうがせ)、笹神(ささかみ)の2村が合併し、市制を施行して成立。新潟平野の中央部、北東寄りに位置し、市域の南境から西境を新市名の由来となった阿賀野川が、おおむね北西方向に流れ、東境には標高1000メートル級の五頭連峰(ごずれんぽう)の山々がつらなる(五頭連峰県立自然公園域)。西半は阿賀野川右岸の沖積平野が広がり、東方に向かうに従い、扇状地、丘陵地、五頭山地と漸次標高を上げる。扇状地、沖積平野は穀倉地帯である。平野部をJR羽越本線(うえつほんせん)、国道49号、460号が走り、五頭連峰西麓を国道290号が南北に通じる。南端部を磐越自動車道(ばんえつじどうしゃどう)が東西に走り、安田インターチェンジがある。市街は中央部北西寄りの水原地区や南部の保田(やすだ)地区に形成される。基幹産業は稲作を中心とした農業で、チューリップなどの花卉(かき)や近郊野菜の栽培も盛ん。旧安田町地区は安田ダシ(阿賀野川の峡谷から吹き出す南東風)とよばれる強風に見舞われて稲作に適さず、古くから酪農が盛んで新潟県酪農発祥の地とされる。耐寒性にすぐれた安田瓦は江戸時代後期以来の伝統を有する。下黒瀬(しもぐろせ)には石油プラント(INPEX(インペックス)東日本鉱業所南阿賀鉱場南阿賀第一プラント)があり、また、京ヶ瀬南部、安田東部、市営西部の各工業団地がある。

 中世、市域は九条家領越後国白河(しらかわ)荘(一部は現、新潟市)の荘域となる。同荘地頭職を得た大見氏(伊豆国の御家人)の子孫は、荘内の水原条・安田条を苗字の地として水原氏、安田氏を称し、水原城、安田城を居城とする。戦国時代、彼らは越後上杉氏の有力家臣団揚北(あがきた)衆の一翼を担った。江戸時代、水原城廻り、安田城廻りの水原村、保田町は市の立つ在郷町として発展、現在の水原市街、保田市街に継承。1746年(延享3)水原城跡に下越地方の幕府領を統轄する水原代官所が、明治初期には水原の豪農市島家の別邸跡に第2次越後府(のち水原県と改称し、明治3年新潟県に統合)が設置されるなど、一時期、下越地方における政治の中心地の一つとなった。

 『大日本地名辞書』などの著者として知られる吉田東伍(とうご)1864年(元治1)保田町生まれ。生誕地には市立吉田東伍記念博物館が建つ。水原の瓢湖(ひょうこ)(江戸前期に造成された溜池)に飛来するハクチョウは、日本で初めて餌付けに成功した野生の白鳥として知られ、「水原のハクチョウ渡来地」として国指定天然記念物。2008年には一帯がラムサール条約登録湿地となった。五頭連峰西麓には弘法大師開湯と伝える出湯(でゆ)をはじめ、今板(いまいた)、村杉の3つの温泉があり、五頭温泉郷を形成。面積192.74平方キロメートル(境界一部未定)、人口4万0696(2020)。

[編集部]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例