長崎から始まった砂糖の道
2020年02月01日
[長崎県]
シュガーロード(1)
冬の風物詩「ランタンフェスティバル」で賑わう長崎。異国情緒溢れるこの街は、かつて海外からの玄関口でもあり、様々なモノや文化が伝来しました。そのひとつが「砂糖」。
当時貴重だった砂糖は、街道沿いに広がり、各地で様々なスイーツが誕生していきました。今月は「砂糖の道=シュガーロード」がもたらしたスイーツ文化を紐解きます。
長崎が海外に開かれた港町となったのは戦国時代の16世紀後半のこと。ポルトガルとの貿易が盛んになり、当時の日本にはなかった天ぷら・パンなどの食文化と一緒に大量の「砂糖」が輸入されるようになりました。
砂糖の普及によって、この国の食文化は劇的な変化を遂げます。ポルトガル人は砂糖だけでなく、砂糖を使ったお菓子も長崎に伝えていました。
その後、鎖国政策のもと国内唯一の海外との窓口となった長崎・出島には、大量の砂糖が輸入されるようになり、全国へと広まっていきます。この時「砂糖」は長崎を起点に、小倉まで続く「長崎街道」を通って関西や江戸まで運ばれました。南蛮渡来の砂糖が辿った道。そこから長崎街道は「シュガーロード」と呼ばれるようになったのです。
街道沿いにあった宿場町では「砂糖」を使った独自のスイーツが製造され、その多くが全国区の人気を誇る銘菓となりました。シュガーロードで誕生したメイドインジャパンのスイーツ。その始まりは、砂糖の道の起点・長崎で生まれたあの銘菓でした。