PDA博物館

PDAから「iモード」までモバイルの歴史を総ざらい。“薄くて大きい板”、スマホの未来とは

PDAを滅ぼしたのは携帯電話か、それともスマートフォンなのか。かつて、あれほど盛り上がったPDAはなぜ市場から消えてしまったのか?――成熟したスマートフォンの未来を考える本連載。第8回では、PDAマニアを長年悩ませてきた、この謎に迫る。

今回登場するのは、携帯電話・スマートフォンライターの佐野正弘氏。モバイルの歴史を見つめてきた男が、PDAから携帯電話、そしてスマホへとつながっていく流れを、ていねいに紐解く。(※聞き手=PDA博物館初代館長 マイカ・井上真花)

佐野正弘(さの まさひろ)氏。携帯電話・スマートフォンライター。エンジニアとしてデジタルコンテンツの開発を手がけた後、携帯電話・モバイル専門のライターに転身。現在は、業界動向からスマートフォン、アプリ、カルチャーにいたるまで、携帯電話に関連した幅広い分野の執筆を手がける

PDAには“ユーザーが楽しめる余地”があった

――佐野さんが最初に使ったPDAは何ですか?

僕がモバイルに興味を持つきっかけとなったのは、「HP200LX」(HP)。DOS端末だったので、これを使ってプログラムを組むなど、いろいろといじり倒して、楽しんでいました。振り返ると、HP200LXはある意味、技術と実用性の追求によって生まれた端末だったかもしれませんね。

佐野氏が使っていた、初期のモバイル端末。左から、「MessagePad 130」(アップル)、「MessagePad」(アップル)、「HP200LX」(HP)

その次は、アップルの「ニュートン(MessagePad)」。初代からMessagePad 130まで持っていて、特にMessagePad 130は、よく使いました。こちらはHP200LXとは逆に、ジョン・スカリー氏が提唱した「PDA(Personal Digital Assistant)」を形にすべく、やりたいことをすべて画面内でやろうとしていた、理想の追求を目指した端末ですね。

実際に、画面上で手書きした文字をそのままテキストに変換できるほか、「Assistant」ボタンを使うことで、音声ではなく文字入力での指示にはなりますが、現在の音声アシスタントに近い機能も搭載していました。

ですが、残念ながら技術が追いつかなかった。理想を詰め込んだけど、高望みしすぎて、うまくいかなかったという印象です。PDA向けのプラットホーム「MagicCap(マジックキャップ)」なんかも同様ですね。ニュートンに関しては、ジョン・スカリー氏が追放したスティーブ・ジョブス氏がアップルに復帰した後、引導を渡したという意味でも、不遇なデバイスだったと言えるかもしれません。

アップルの「ニュートン(MessagePad)」。手に持つと、かなり大きい。同じアップルが作った製品ではあるが、後に「iPhone」を作ったジョブズ氏と、Message Padを作ったスカリー氏は、それぞれ異なった考えを持っていたようだ

HP200LXとニュートン。どちらも、いろいろ足らないところがありましたが、その分、ユーザーが楽しめる余地もありました。当時は、何とか便利に使おうと、ユーザーがいろいろと工夫して、楽しんでいましたね。

何せ、ネットワークすら、ままならなかった時代でしたから。今から考えると想像できませんが、インターネットに接続することや、メールを交換することに必死でした。あのころは、その時代ならではの面白さがあったと思います。

――今と違って、選択肢もいろいろありましたよね。

PDAのオペレーティングシステムは、「DOS」や「Newton OS」、「Windows CE」、「GEOS」、「Palm OS」、「ZaurusOS」などが登場し、さまざまな製品が誕生しました。

これは、まさに80年代初期のPC市場と同じ。自分で工夫して、プラットフォームを盛り上げるんだという関わり方ができた点もよく似ていました。

これが90年代に入ると、WindowsとMacによる“二択の世界”になり、やがてWindowsが勝ってしまって、面白さがなくなっていった。選択肢が狭まると、ユーザー側の関われる範囲が狭くなり、その分、面白さも減ってしまいます。現在のスマートフォンと、状況は同じですね。

ガングロギャルがHTMLタグを打つ時代に

――本日は、愛着のあるモバイル端末をたくさん持ってきてくださったようですね

はい。実は、愛着を持っているモバイル端末は、PDAではなく、むしろ携帯電話なんです。最初はPDAに興味を持ったのですが、そのうち、「PDAってなんで、一般のユーザーに普及しないの?」という疑問がわいてきまして……。

確かに、技術的にはPDAはとても面白いのですが、いかんせん、掲げる理想が高すぎたし、使いこなすにも工夫と努力が必要だった。一般のユーザーは、そんなことを求めていなかったことに気づいたんです。

佐野氏が所蔵するモバイル端末。懐かしい携帯電話の姿もチラホラと見える

佐野氏が所蔵するモバイル端末。懐かしい携帯電話の姿もチラホラと見える

というのも、NTTドコモの「iモード」が1999年に登場して一世を風靡すると、それまでPDAに見向きもしなかった一般のユーザー、たとえば、ギャルや“ヤンキー的な人たち”までもが一斉に使い始めました。そのいっぽう、PDAと比べると、iモードは制限が多く、ITリテラシーの高いユーザーからは、あまり好かれていませんでした。

そこでいわゆる、「ヲタクVSヤンキー」という構図が生まれます。

その中で僕が興味を持ったのは、ヲタクではなくヤンキーの人たちのほうでした。ちょうど、iモード向けコンテンツなどを仕事で作っていたので、そちらに目が向きやすかったということもありますが。

iモードコンテンツ業界のメインターゲットはギャル、なかでも“ガングロ系のギャル”でした。彼女たちは、PDAは使えないけど携帯電話はバリバリ使いこなす。ホームページを作るために、携帯電話でHTMLタグまで打っていたようですから、その熱意は相当なもの。驚きました。

つまり、彼女たち、あるいは彼たちは、モチベーションが上がるサービスがあれば、積極的に難しい技術を取得していく。僕は、その点にとても興味を持ちました。

いっぽう、キャリア側も、ユーザーに最新技術を使ってもらうため、さまざまな施策を展開していました。たとえば、NTTドコモの第3世代携帯電話であるFOMA「900i」シリーズ。これを使えば、「iアプリ」上で、「ドラクエ」や「FF」といったゲームをプレイしたり、メールの内容を装飾できる「デコメール」を楽しめます。

これは、一般の人が「使いたい」というサービスを用意して、モチベーションを上げていくという作戦と言えます。通信速度が速くなったことを、コンテンツやサービスなどの“見える形”でアピールし、一般のユーザーの興味をひく。これによって、当時なかなか普及が進まないと言われていた3Gが広く普及するきっかけにもなりました。

佐野氏が所蔵するモバイル端末。左下から、「DP-212」(パイオニア)、「D209i」(三菱電機)、「P501i」(パナソニック)、「816SH」(シャープ)、「W11H」(日立)、「N900i」(NEC)

このようなサービスを提供できたのも、世界広しといえど日本だけ。端末、ネットワーク、サービスのすべてをキャリアが提供し、コントロールできた日本だからこそ、難しい技術や理念を、一般のユーザーにも分かりやすいサービスにまとめ上げ、モバイルインターネットの普及につなげられたと言えます。

当時、世界でも「WAP(Wireless Application Protocol)」という技術をベースに、iモードと同じようなサービスを展開するキャリアが多数現れましたが、一体感のある取り組みができず、ことごとく失敗した経緯があります。そんな中、日本のiモード文化は唯一、ユーザーにさまざまな楽しみを提供できた。これが成功例として世界に知れわたり、現在のスマホ文化を構築する礎(いしずえ)となったんです。

スマホはPDAと携帯電話のハイブリッド

――それでは、スマホはPDAではなく、携帯電話から進化したのでしょうか?

いえ、ハード面で見れば、スマートフォンとPDAは近いのですが、ソフト面では、スマートフォンで使うサービスは、iモードとよく似ています。

つまり、スマートフォンは“PDAと携帯電話のハイブリッド”ではないか、というのが僕の考えです。アップルやグーグルは、iモードの成功から、コンテンツを一元管理するアプリマーケットの存在が重要だということを学び、その発想から「App Store」や「Google Play」が誕生したと言われています。

「アプリマーケットからネットサービスへ。スマートフォンの世界も動いている」と佐野氏は語る

「アプリマーケットからネットサービスへ。スマートフォンの世界も動いている」と佐野氏は語る

2008年にiPhoneが国内発売されてから数年は、ハードウェアの魅力にひかれたユーザーが多かったと思います。しかしその後、興味の対象がハードウェアからアプリへと移行していきました。その人気は絶大で、一時はゴールデンタイムのテレビ番組でアプリを紹介するコーナーが設けられたほど。マックスむらいさんのような人たちがアプリを紹介して、人気を博していましたよね。ですが、このアプリ人気にも陰りが出てきます。

iモードの歴史に戻ると、「モバゲータウン」や「GREE」などが人気だった2006〜2007年ごろから、公式サイトから勝手サイト(非公式サイト)へとユーザーの関心が移っていきました。スマートフォンでも、これと同様の現象が起き始め、アプリからさらにその上のレイヤーとなるネットサービスが話題となり、FacebookやLINE、Amazonなどがプラットフォームとして、強い勢力を持つようになりました。

さらに現在は、スマートフォンを軸として、「Google Home」や「Amazon Echo」などのスマートスピーカー、「Apple TV」や「Amazon Fire TV」、「Chromecast」といったセットトップボックスなどのデバイスが広がり、新たなサービスが生まれています。

“ひたすら薄くて大きい板”の先にあるもの

――今後、スマートフォンの先にあるのはどんな未来でしょうか。

最終的にどうなるかはわかりませんが、今後もスマートフォンが軸になっていくのは確か。スマートフォンを中心に世界が広がっていくと思われますが、結局は、サービス勝負になるという気がします。サービスはクラウドで提供されるので、何を持てばいいかということはあまり問題にならない。要は、ネットにつながれば、何でもいいわけですから。

ハード面では、PDA時代は、いろんな試行錯誤があり、キーボード付き、パーム型など、いろんな端末がありましたよね。携帯電話も、ストレート型やフリップ式、折りたたみ式、スライド式など、バラエティに富んでいました。

しかし、スマートフォンは、“ひたすら薄くて、大きい板”を追求しているに過ぎない。カメラレンズの数だけはどんどん増えていくという不思議な現象が起きていますが、それ以外は、どれも大差ない。そうなってくると、ハードウェアの面白さは失われていくでしょうね。とても、残念ですが。

現在のスマートフォン市場について、「ひたすら薄くて大きい板を追求している。面白くない」と佐野氏はバッサリ斬る

――そうすると今後、面白いハードウェアの登場は見込めないのでしょうか?

いえ、実は別のルートで面白い動きが出ています。それを象徴しているのが、超小型のシングルボードコンピューター「Raspberry Pi(ラズベリーパイ)」です。Raspberry Piは、よくIoTの試作用途で使われていますね。そして、IoTのネットワークには「NB-IoT(Narrow Band-IoT)」など、モバイルネットワークをベースにしたものが多く用いられると考えられています。

“PDAの直系”と佐野氏が考える、超小型のシングルボードコンピューター「Raspberry Pi」

“PDAの直系”と佐野氏が考える、超小型のシングルボードコンピューター「Raspberry Pi」

Raspberry Piは、デバイス的にはモバイルとは言えません。ですが、将来的にはこれに「eSIM」が入ってくるでしょうし、そうなればネットワーク的にはモバイルと言ってもいい。むしろ、形にとらわれない、純粋なモバイル端末と言えるのではないでしょうか。そういった意味では、Raspberry Piのようなデバイスが、PDAの直系ではないかと僕は思います。

スマートフォンは、プラットホームやサービスでの勝負がメインになり、ハードウェアを工夫する余地がなくなりました。デバイス的に行き着くところまで行ったスマートフォンに対するアンチテーゼが、Raspberry PiのようなIoT関連デバイスではないかと。それらが、かつてのマイコンのような面白さを発揮し、そこからまたデバイスやサービスが進化していくと、面白いことになりそうだなあと妄想しています。

インタビューを終えて(井上真花)

まるで、ドラえもんのポケットのように、カバンから次々といろんな端末を取り出す佐野さん。まさか、最後にラズパイが出てくるとは思いませんでした。今まで、あまり興味がなかったけど、「ラズパイがPDAの直系」なんて言われてしまうと、気になってしまう。ちょっと秋葉原に行ってきます!

オフィスマイカ
Writer
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編集プロダクション。「美味しいもの」と「小さいもの」が大好物。 好奇心の赴くまま、よいモノを求めてどこまでも!(ただし、国内限定)
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Editor
松田真理(編集部)
デジタル製品全般からホビーやカップ麺・スナック菓子まで、オールジャンルをカバーする編集部員。大のプロレス好き。読み方は、まつだ・しんり。
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