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危機に備える最良の参考書――『ジャッカルの日』著:フレデリック・フォーサイス 訳:篠原 慎 文庫巻末解説【解説:手嶋龍一】

累計50万部突破! 国際謀略小説の巨匠 不朽の名作が蘇る
『ジャッカルの日』著:フレデリック・フォーサイス 訳:篠原 慎 文庫巻末解説

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開! 
本選びにお役立てください。

ジャッカルの日』著:フレデリック・フォーサイス 訳:篠原 慎



『ジャッカルの日』文庫巻末解説

解説
しま りゆういち(作家・外交ジャーナリスト)  

 こんぺきに澄み切った空が水平線に溶けあい真っ青な海を見下ろす白亜の街並みが連なっている。地中海に臨むアルジェは息をむほどに美しかった。だが、亜熱帯の濃い緑に囲まれた中心街から、アラブ系やベルベル系の住民が多く暮らすカスバに足を踏み入れると、白壁のそこかしこにプラスチック爆弾のあとが生々しく残っていた。アルジェリアの独立を求めてALN・民族解放軍がフランスからの派遣軍と死闘を繰り広げたつめあとだった。平和の国ニッポンからやってきた二十歳すぎの私にとってはせいぜつな光景であった。
 自由民主党で「アジア・アフリカ問題研究会」を主宰し、アルジェの戦いを支えた宇都宮徳馬代議士は、独立戦争の闘士たちを幾人も紹介してくれた。それぞれから聞く戦いの体験は、独立への道のりがいかに苦難に満ちたものだったかを物語っていた。報告を兼ねた礼状を送った宇都宮氏からは心のこもった返書が滞在先のパリに届いた。後に『アジアに立つ』(講談社)と題した氏の著書にその往復書簡が収められている。フランスがかくまでアルジェリアにこだわったのは、百万に及ぶ本国からの農業移民・コロンの存在だけでなく、砂漠に眠る油田の臭いがあったと氏は指摘し、ケネディ暗殺の背後にもうごめく「黒い大きな勢力」と戦い、政治のなかのテロルから世界を守ることこそ若い世代の責務だと説いていた。

「そのような使命感が日本の青年のひとみにも深い輝きをそえるのではないでしょうか」

 北アフリカのマグレブ諸国を巡った私のリュックには一冊の本が入っていた。出版されて間もないフレデリック・フォーサイスの『ジャッカルの日』だった。アルジェリア戦争が宗主国の元首をたおそうとするテロルを生む様を物語の遠景に配して執筆されたこの書は私にとって大切な旅の道連れとなった。
 現地派遣軍がコロンと結んで武装蜂起し政情が混迷を深めるさなか、シャルル・ドゴールは軍部の輿ぼうを担って政権に返り咲き、第五共和制の大統領となった。だが、第二次世界大戦で自由フランス軍を率いた老将軍は、アルジェリアを祖国につなめておくことははやかなわないと思い定め、出馬に際して掲げた「フランスのアルジェリア」という旗を降ろしてしまう。独立反対派の怒りはすさまじく、秘密軍事組織OASは裏切り者を許さないときばいた。だが、暗殺の企てはことごとくせつしてしまう。
 フォーサイスは抗争の火が燃え盛るパリにロイター通信の特派員として赴いた。そしてエリゼ宮でドゴール番となり、襲撃に備えて大統領専用車を追いかける日々を送っている。一九六二年の八月、OASの銃撃隊がパリ郊外で大統領夫妻の専用車に襲いかかると、現場に駆けつけて緊急報を送ったという。相次ぐ暗殺事件を追いかけているうち、フランスの情報インテリジエンス機関、SDECEが、OASの中枢にスパイを浸透させ、組織内の動きをつかんで彼らの企てを封じていた事実を知った。フォーサイスは自伝『アウトサイダー 陰謀の中の人生』(KADOKAWA)でこう明らかにしている。

「わたしはパリで勤務したころ、OASはみずからの組織の志願者たちに実行させるかぎり、ドゴール暗殺に成功しないだろうと確信していた。なぜならOASのメンバーは、地位の高い低いを問わず、彼らよりプロフェッショナル度の高いぼうちよう組織に追われていたからだ。だが、外部のプロを使うなら話は別だった」

 パリを去ったフォーサイスは、ビアフラの内戦取材で英国当局の怒りを買ってBBCを逐われ、食い詰めた末に小説を書こうと思い立つ。活きのいい材料なら、退職金代わりにふんだんに手元にあったからだ。あとは素材を慎重にり抜いてタイプライターに向かえばよかったのだった。わずか三十五日間で書きあげた『ジャッカルの日』は、常のスパイものや推理小説とは系譜を異にする突然変異種だった。ドゴール暗殺をテーマにしながら、結末は誰もが知っているからだ。著者も本書でこう記している。

「一九六三年十一月、ケネディはダラスで常軌を逸したアマチュアの手で暗殺されたが、一方ドゴールはその後も生きのび、平和のうちに引退して、自宅で永遠の眠りについたのである」

 では、この作品で何を描こうとしたのか。フォーサイスは〝テロリスト・ハンティング〟こそ主題だという。

「これは組織的な捜査網をかいくぐって標的に迫ってくる暗殺者をどう阻止するかという人狩りの物語なのだ」

 それゆえ、本書のタイトルは『ジャッカル』ではなく『ジャッカルの日』とした。顔のない英国人スナイパーにゼロから挑むフランス司法警察のルベル警視こそ、この追跡劇の隠れた主役である。ドゴール政権の首脳陣はふうさいのあがらない恐妻家にすべてを託し、みつな頭脳と度胸を秘めた警視は、イギリスの秘密情報部と捜査当局の助けを借りつつ、ジャッカルの正体に一歩一歩迫っていく。読む者は目くるめくアクションに目を奪われて、この物語が情報インテリジエンスの戦いであることを見逃してはならない。狩りの陣頭指揮を執る男こそ、暗殺者をあぶり出す狩りの名手にして類まれなインテリジェンス・オフィサーだった。
 だが、英仏の情報・捜査当局は、暗殺を未然に封じても戦果をことさら誇ってみせたりはしなかった。真のプロフェッショナルは次なる災厄に備えて自らの手札を晒らさない。ルベル警視は実在の人物だが、フォーサイスは組織内の幾多の〝ルベル警視〟を紡ぎ出してみせた。そして、歴史の闇に埋もれてしまった事件を見事によみがえらせた。
 私はワシントン特派員の時代、アメリカ大統領の命を預かるシークレット・サービスを取材対象としていた。彼らを統御・指揮していたのは、財務省に属し「小ぶりだが最も精強」と形容されたインテリジェンス機関だった。「危機に備える最良の参考書は」と尋ねると、幹部のひとりは「そりゃ、『ジャッカルの日』に決まっているじゃないか」と即座に応じ、〝ジャッカル〟が本作の冒頭近くで語るフレーズをそらんじてみせた。

「一国を代表するような大物はみな、ボディガードや警備要員をそろえていますが、長期間にわたって暗殺の危険を感じないでいると、自然にチェックがおざなりになり、警備のやり方も機械的になって、何よりも警戒心そのものが薄らいでしまいます」

 二〇二二年七月、しんぞう元総理が暗殺された事件を目の当たりにして新装版『ジャッカルの日』を手に取った読者には、このジャッカルの言葉がいかに示唆に富んでいるか納得することだろう。要人を警護する者が現場で暗殺者を見つけた時には警護対象の命は半ば喪われかけている。安倍襲撃事件に遭遇した警備陣も、元総理の背後にすっぽりと空白を生じさせていた。だが、問題の核心はそこにはない。変事に先んじて警備陣がテロリストの影をとらえていなかったのが致命傷なのだ。〝政治のなかの死〟は、令和のニッポンにも深く埋め込まれていた。それを直視する心構えが日本の社会から失われていたのである。日本の警備当局は今度の事件を検証し「報告書」をまとめたが、〝インテリジェンスの回路〟が惨めなほどに回っていなかった点には触れていない。これでは忍び寄る災厄の足音は聞こえてこない。想定すらできない事態をこそ想定し、情報の回路を粛々と回せ──これこそが〝ジャッカルの教訓〟なのである。どれほど最新の電子機器を整え、精巧な監視カメラを随所に配しても政治のテロルは防げない。その意味で『ジャッカルの日』はいまなおさんぜんと輝いている。

作品紹介・あらすじ




ジャッカルの日 上/下
著者 フレデリック・フォーサイス訳者 篠原 慎
定価: 1,144円(本体1,040円+税)
発売日:2022年10月24日

累計50万部突破! 国際謀略小説の巨匠 不朽の名作が蘇る
黒幕は秘密軍事組織、プロの殺し屋が狙う〈大統領暗計画〉。

フランス、秘密軍事組織が企てたドゴール大統領暗殺――。依頼を受けたのは、一流の腕を持つ外国人殺し屋、暗号名“ジャッカル”。国内全土で頻発する強盗事件を捜査するなか浮かび上がってきた暗殺計画に、政府には激震が走った。殺し屋の正体を突き止め、計画を阻止すべく、極秘捜査が始まる。国家最大の難題に挑むのは、国内一の刑事、クロード・ルベル。国際謀略小説の巨匠フォーサイスのデビュー作にして最高傑作の新組版!
詳細:上)https://www.kadokawa.co.jp/product/322207000620/ (下)https://www.kadokawa.co.jp/product/322207000624/


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