ストリートファイターシリーズの顔「リュウ」の歴史に追る

ゲーム、マンガ、アニメなどを通して徐々に完成した格闘家像

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「ストリートファイター」がアーケードで稼動してから今年で30年もの歳月が流れた。それを記念してIGN Japanではストリートファイター特集記事を掲載しているが、先日公開した「ストリートファイター」歴代キャラクター カッコよさランキング TOP 20はご覧になって頂けただろうか? まだ見ていない人にはネタバレになってしまうが、シリーズの顔である主人公「リュウ」が見事1位に輝く結果となった。かくいう私もゲームで彼を愛用しているわけではないのだが、「カッコよさ」ということで当然のごとく彼を1位に推した。

リュウと言えば「真の格闘家」という理想像を追い求め、過酷な旅を続ける「孤高の求道者」といったキャラクターであることは、多くのゲーマーが知るところだろう。そのどこまでもストイックな姿に、ある者は魅せられ、ある者は憧れたかもしれない。IGN Japan編集部にもリュウに憧れて格闘技を始め、世界へと武者修行の旅に出たというとんでもない人物が実在しており、その影響力の強さがうかがい知れる。

しかし、そんな男子憧れのキャラクター像や設定も30年という長いシリーズの歴史の中で、様々な変化が加わって築き上げられているのだ。今回この記事では、リュウが現在に至るまでにどのような変化を遂げてきたかを振り返ってみよう。

小ネタや注釈も(※)という形で挟みつつ紹介しているので、で興味のある人は目を通してほしい。

多くの設定を後に繋いだ初代「ストリートファイター」

世間に「ストリートファイター」の名を知らしめたのは、紛れもなく「ストリートファイタ-II」だ。この作品が歴史に名を残す名作であることは今更言うまでもないが、「II」を名乗るのであればその前に1作目が存在しているのは当然の道理である。おっと、いきなりエピソード4から始まった「スターウォーズ」の話はNGだ。ともかく「ストII」は続編であり、その前身は1987年にアーケードで稼動した「ストリートファイター」なのだが、今となってはあの珍しい仕様の筐体を知る人も少ないだろう。かくいう私もこの作品が稼動した当時はまだこの世に生まれてすらいなかった。

記念すべき1作目から既に主人公は「リュウ」(正確に言えば漢字表記の”隆”)だ。シリーズの代名詞とも言える「波動拳」「昇龍拳」「竜巻旋風脚」の”三種の神器”もすでに登場しており、中でも昇龍拳は「2発当たれば相手をKOできる」という正に”必殺技”と呼ぶに相応しい破壊力を誇っていた。しかし、そんな技の数々も今でこそ「暗殺拳を源流とする格闘術」と記されているが、初代では「様々な格闘技を取り入れて完成させた独自の格闘スタイル」とされており、師匠の存在は示唆されているものの名前などは明かされていない状態だった。

この時代のゲームには現在のような膨大な設定を擁した作品は限られており、同作も「強敵との闘いを求めて世界中を旅する」という必要最低限の設定付けに留まっている。だが、この設定には「真の格闘家を目指す」という目標こそないものの、シリーズを代表するフレーズとして今もなお語り継がれ、リュウのキャラクター像をこれ以上ないほどに体現する「俺より強い奴に会いに行く」というキャッチコピーに通じるものがある。男が憧れてやまない「孤高の求道者」としての姿勢は、この時点でその片鱗を見せていたと言えるだろう。

「ストリートファイター アートワークス 覇」より

服装は「袖のない空手道着に鉢巻とグローブ」という共通のスタイルが採用されているが、トレードマークの鉢巻もこの頃はまだ白い。現在とは違い、裸足ではなくカンフーシューズを履いているのも特徴的だ。

いくつかの設定は現在とは少々食い違う部分があるものの、30年続く歴史の広がり(※1)、そしてリュウという男のキャラクター像が、この作品を基礎としたものであることはお分かり頂けたのではないだろうか。

※1 初代にはリュウにとって親友の「ケン」と並ぶ好敵手「サガット」も登場しており、後の作品ではこの時の死闘を制したことで、リュウの名声が世界に轟くこととなったとされている。そしてサガットだけでなく、「ストリートファイターZERO」シリーズで再登場を果たす「バーディ」「元」「アドン」といったキャラクターも対戦相手として立ちはだかる。もっともバーディは初代と以降の作品では設定どころか人種すら変わってしまっているが……

人気絶頂だったからこそ完成したキャラクター像

そんな初代「ストリートファイター」から4年が経過した1991年、日本中を格ゲーブームの渦へと巻き込んだ金字塔「ストリートファイターII」が稼動する。「対戦格闘ゲーム」というジャンルの基礎を築き上げ、後の作品に与えた影響は計り知れない。傑作中の傑作と言って差し支えない一作だ。

「ストリートファイター アートワークス 覇」より

前作のリュウとケンの2人のみ操作可能に対し、IIからは総勢8人が操作可能になったが、それでも主人公はリュウのままとなっている。初代で履いていたカンフーシューズを脱ぎ捨て、鉢巻も赤くなった。後作に多くのゲーマーが思い浮かべるリュウのデザインはストIIでほぼ完成と言えるだろう。

ストIIでの彼の勝利メッセージのひとつに「真の格闘家への道はまだ遠い…修行あるのみ!!」というものがある。ここから分かるとおり、彼が事ある毎に口にし、追い求めてやまない目標「真の格闘家」はストIIにて初登場しており、取り扱い説明書にも「真の格闘家を目指すため、さすらいの旅をしている。」と記されている。以降の作品でもリュウは真の格闘家という理想像を目指して世界中を旅するわけだが、それがどんなものであるかは明確にされておらず、作品によって解釈も異なる。

このころはまだリュウの顔も野暮ったい

上記のセリフ以外にも「お互い力を出し切ったんだ…どちらが負けてもおかしくなかった」「いい試合だったな また俺と闘ってくれ!!」といったクリーンかつ相手を尊重する言動が多い。加えて彼のエンディングでは表彰式をすっぽかして修行の旅を続けるという、名声にこだわらない姿勢が描かれており、この時点でリュウのキャラクター像はほぼ固まったかのように思える……が、今では言わないであろう「お前の力はそんなものか! 悔しかったらかかって来い!!」と敗北者に追い討ちを掛けるかの如き挑発的なセリフ――おそらく叱咤なのだろうが言葉が棘々しい――も発しており、現在の聖人君子とも取れるような生真面目で皆から尊敬される格闘家像とは少々異なる印象を受ける。

ではいつごろ現在の方向性で固まったのだろうか?その疑問を解消するには「メディアミックス作品」を遡る必要がある。ストIIはその絶大な人気から漫画、アニメ、実写映画など、様々なメディアでスピンオフ展開をしていった。中には秀逸な設定を生み出し、それが本編に逆輸入された作品も存在している。

神崎将臣「ストリートファイターII-RYU」

まずストIIのスピンオフとして初めて一本筋のシリアスな作風を打ち出したのは神崎将臣(現・神崎まさおみ)氏が1992年から連載していた漫画「ストリートファイターII-RYU」だ。多くのシリーズ作品でストーリー上最大の敵として位置付けられる組織「シャドルー」の陰謀に立ち向かうという点はそのままに、オリジナルのストーリー展開を描いている。だが、この作品におけるリュウの性格は対戦相手に敬意を払うという部分は共通しているものの、自分の腕前にかなり自信を持っており、口調も少し荒い。前述した勝利メッセージのどちらのタイプも含めてのキャラクター付けであり、現在の方向性を固める要因とは言い難い(※2)。

※2 とはいえ、リュウたちの師匠である「剛拳」はこの作品が初出で、神崎氏から「師匠を作品に登場させたい」という提案を受けてカプコンがラフを送り、生まれたキャラクターである。また、フランチャイズ作品で何度か描かれている「洗脳されたケン」という設定もこの作品から始まっており、26年の時を経て「ウルトラストリートファイターII」でナンバリング作品において初プレイアブル(過去のプレイアブルは「SNK vs. CAPCOM SVC CHAOS」のみ)となった。後続作への影響力の強い作品であることも確かである

その後はドラマCD「ストリートファイターII 春麗飛翔伝説」シリーズのリリース、ジャン・クロード・ヴァンダムが主演を務めたハリウッド映画版「ストリートファイター」の公開があったが、前者ではリュウはギャグキャラのような扱い、後者では主人公ですらなく扱いも劣悪(かつ映画そのものが黒歴史扱い)となっており、ここからの影響はほとんどないと断言していいだろう。

劇場アニメ「ストリートファイターII MOVIE」

しかし、そんな散々な実写版と同年に公開された劇場アニメ「ストリートファイターII MOVIE」は違った。ゲームの映像化作品の中でも屈指の出来と評する人もいる完成度となっており、思い出深い人も多いだろう――男なら春麗のシャワーシーンが特に――。

この作品の中で描かれた「頭陀袋ひとつで世界中を宛てなく旅しながら各地で闘いを重ね、時に過酷な辺境で精神修行に明け暮れる」というリュウの姿は、我々がイメージする孤高の求道者としてのリュウそのものなのだ。口数こそ今以上に少なく寡黙ではあるが、貧しい少女に助けの手を差し伸べるといったヒーローとしての姿も描かれており、この作品によってリュウの確固たるイメージが完成したと言って過言ではない(※3)。

※3 2004年に稼動した「カプコン ファイティング ジャム」にて、「ヴァンパイア」シリーズの登場キャラクター「デミトリ」の必殺技「ミッドナイトブリス」をリュウに当てると、劇場アニメに登場した貧しい少女の姿に変化するというネタが仕込まれている

ストIIは数多くのバージョンアップを重ねたが、ストーリーモードが追加されたり、エンディング内容に手が加わることはなく、それゆえにゲーム内でキャラクターに変化が起きることもなかった(※4)。しかし、絶大な人気を誇ったからこそストーリー性を持った様々なスピンオフ作品が制作され、それによって世界観やキャラクター像に肉付けがされていったというのがこの時代のリュウ、そしてシリーズの歴史の流れと言えるだろう。

※4 ストIIの企画、デザインを担当した安田朗(あきまん)氏いわく「それぞれのインサイドストーリーは考えたものの、闘いの部分に全力を注ぎたかった」との理由で採用しなかったという旨を「カプコンイラストレーションズ カプコンイラスト作品集」にて語っている

「殺意の波動」によって増した人間味と、より強まった求道者としての姿勢

ストIIでリュウというキャラクターの方向性は完全に固まった。しかし、現在のリュウを語る上でひとつ外せない設定がある。それが「殺意の波動」だ。

殺意の波動という概念は、1995年に稼動開始した「ストリートファイターZERO」の「豪鬼」のエンディング(※5)にて初めて登場する。しかし、作中でこの力がどのようなものなのかは語られることはないまま、翌年稼動した「ストリートファイターZERO2」のリュウエンディングにて豪鬼の口からリュウも殺意の波動に目覚める可能性があることが示唆される。だが、ZEROからZERO2へ至る1年の間に、殺意の波動について掘り下げた作品がすでに存在しているのだ。

※5 このエンディングでは豪鬼の回想として、リュウたちの師である剛拳が後のデザインとほぼ同じ姿で登場する。加えてその剛拳と豪鬼の師である「轟鉄」も登場しており、それが初出となっている

中平正彦「ストリートファイターZERO」

ストZEROの稼動と同年、今は亡きゲーム誌”ゲーメスト”にて「ストリートファイターZERO」というゲームと同名のコミカライズ作品が連載を開始した。作者は「ストリートファイターIIキャミィ外伝」(1994年)以降、ストリートファイターシリーズのコミカライズを長年に渡り手掛けることとなる中平正彦氏(※6)。この作品では、サガットとの死闘(初代のラスボス戦)において、リュウは禁じ手とされる昇龍拳を使ったことで殺意の波動に目覚めてしまったという設定になっている(※7)。

※6 中平氏が手掛けたコミカライズ作品は「ストリートファイターIIキャミィ外伝」「ストリートファイターZERO」「さくらがんばる!」「ストリートファイターIII RYU FINAL」の4作品で、ZERO以降からは多くの設定が本編へと逆輸入されている。最たる例として、ストリートファイターZERO3やストリートファイターVに登場する“神月かりん”は元々は「さくらがんばる!」のオリジナルキャラクターだった

※7 昇龍拳が禁じ手というのは当然この作品独自かつ後付けの設定ではあるが、後にストリートファイターIVにて剛拳がプレイアブル化した際、スーパーコンボ「禁じ手・昇龍拳」として採用された。また、いくつかの作品でリュウや剛拳が使う「真・昇龍拳」もこの作品が初出であり、身体の表側をこちらに向けて飛び上がるモーションも共通している(通常の昇龍拳は背中を向けている)

「ストリートファイター アートワークス 覇」より

同作において描かれた殺意の波動の設定は本家に逆輸入されており、それがゲームキャラクターとしての「殺意の波動に目覚めたリュウ」を生み出す結果となった(※8)。以降、リュウは「真の格闘家を目指す」と共に、「殺意の波動に打ち勝つ」というふたつの目標を持つこととなる。後続作においてこの目標はリュウのストーリーの重要なファクターであり、真の格闘家を目指すこと=殺意の波動を克服することという図式にもなっている。これによってケン、サガットだけでなく、豪鬼もライバルとして描かれることが増えた(※9)。

※8 ゲームにおける”殺意リュウ”の初出は日本より後にリリースされた海外版ZERO2「ストリートファイターAlpha2」であり、隠しキャラとして実装されていた。それが海を越えて日本で話題になり、使いたいという要望が多く寄せられた結果「ストリートファイターZERO2 Alpha」にて日本でもプレイアブル化することとなった

※9 リュウと豪鬼は多くの作品で宿敵として描かれるが、中平正彦作「ストリートファイターIII:RYU FINAL」及びアニメ「ストリートファイターAlphaジェネレーション」ではリュウと豪鬼が親子であるととれる描写がなされており、一層因縁の強さを深めている

殺意の波動は制御の利かない強大な力だが、自らの内に潜む力でもある。それに打ち勝つということは己を超えることであり、これまで以上に求道者としての姿勢を強固なものにしていると言えるのではないだろうか。そして、純粋に格闘家としての道を突き進み続ける少し近寄りがたさのある初期のリュウにも憧れるが、苦悩や葛藤しながらも光明を見出して進んでいく人間味の増したリュウも魅力的だと私は思う。

なぜリュウは人々を惹きつけるのか

最後にひとつ論じさせて頂きたい。それは「リュウはなぜ魅力的なのか」ということだ。その理由は多くの言葉を並べて表現することもできるだろう。しかし、「ストリートファイターアートワークス覇」に掲載されたデザイナーへのQ&Aのひとつ「書きにくいキャラクターは?」という質問にて西村キヌ氏がこれ以上ないほどの答えを提示してくれていた。

 「(一番書きにくいのは)リュウ。みんなの理想が詰まっているから。」

そう、リュウは人々の理想の体現なのだ。それもカプコンのみならず、様々な分野のクリエイターたちが携わり、長い時を掛けて磨き上げられた理想像である。

現状に満足せず常に上を目指すストイックさ、何事にもくじけることなく立ち向かう精神力、対戦相手への敬意を忘れない真摯な姿勢、これらは我々が理想としながらも実現できずにいるものである。人は自分にないものを羨む。それら実現し得ない理想を背負って描かれるリュウが人々を惹きつけるのは当然のことだろう。

時系列で言えば最も未来を描いている「ストリートファイターIII」では、リュウは殺意の波動を克服したことになっている。しかし、それでも未だ納得することなく「真の格闘家」を目指して進み続けているのだ。だがどうだろうか?常に高みを目指して進み続けるがゆえに人々を魅了してやまないこの男こそ「真の格闘家」と呼ぶに相応しいのではないか、と私には思えてならない。

「ストリートファイター アートワークス 覇」より

記憶が確かであれば、おそらく私が初めて遊んだゲームはセガサターンの「ストリートファイターZERO2」だった。そのお陰でゲームの楽しさを知ったのだから、私にとってストリートファイターはとても大事な作品である。そんな一人のファンとして、お祝いの言葉で本記事を〆させて頂く。

シリーズ30周年、本当におめでとうございます。今後も引き続き素晴らしい作品を送り出してくれることを心よりお待ちしています。

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