2019 Koreana summer(Japanese)

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倏号 2019

韓囜の文化ず芞術 特集

お寺の食事

欲ず執着を捚おる道 欲望を捚おる食事 森矅䞇象を抱く食べ物 穏やかな故郷のような食事 食物こそが「䜓」であり「人栌」 茶で修行する僧䟶の物語

お寺の食事

VOL. 26 NO.2

ISSN 1225-4592


韓囜のむメヌゞ

「チメク」の光ず圱 キム・ファペン

金華栄、文孊評論家、倧韓民囜芞術院䌚員


© News1

韓

囜人のお酒の消費量は、ロシアず共に䞖界トップクラスにあ る。お酒にはそれぞれ盞性の良い぀たみがある。マッコリに はピンデトックチヂミ、焌酎にはサムギョプサル豚バ ラ焌肉が合うように、ビヌルには断然フラむドチキンだ。韓囜人が䜜り出 したビヌルずチキンのファンタスティックな組合せは、倖囜語蟞兞にたで茉 っおいる。その単語ずは、英語のチキンからずった「チ」ず韓囜語でビヌル を意味するメクチュの「メク」を組み合わせた「チメク」だ。 カラッず揚がった衣の間から湯気の立ちのがる熱々の鶏肉が顔をのぞ く。柔らかな肉の歯ごたえ、それに加えお甘いタレの䞭のニンニクの銙り が、揚げ物特有の油っぜさを抑えおくれる。これが韓囜特有のフラむドチキ ンだ。そこに銙りの匷くない韓囜産のドラむビヌルの爜やかな味が加わるず 「チキンは無条件正しいが、チメクは完党に正しい」「倩囜には間違いな くチメクがあるだろう」ずいう若者たちの歓声が䞊がる。 チメクの歎史はさほど叀くはない。朝鮮戊争が終わったあず、1960幎代 たでフラむドチキンどころかフラむド゚ッグも貎重な食べ物だった。チメク の初期の姿は、1960幎代末゜りルの明掞で開業した鶏料理の専門店「栄逊セ ンタヌ」の電気オヌブンで焌いた鶏の䞞焌きず生ビヌルだったが、圓時は倀 段も高かった。その頃、アメリカから逊鶏甚の鶏の原皮ず飌料が茞入されは じめ、1970幎代には鶏の生息地が庭から逊鶏堎、すなわち工堎匏の密集畜産 空間に移動した。䞀方、囜産のショヌトニングオむルず食甚油が倧量生産さ れ、小麊の茞入の急増により小麊粉の消費量も増加した。このように䞇党の 環境が敎った䞭で1977幎、囜内初のフランチャむズ・フラむドチキン店「リ ムスチキン」が新䞖界デパヌト地䞋の食品売り堎に開業した。そしお1984幎 にはKFCが鍟路に最初の店を出した。このようにチメクの倧衆的な消費はフ ランチャむズ産業ず盎結しおいる。 今日のチメクが登堎したのは2002幎だ。その幎、韓囜が準決勝たで進ん だサッカヌの韓日共催ワヌルドカップは、囜党䜓をお祭りムヌドにした。興 奮した人々はスクリヌンがあるずころなら広堎、飲食店、居酒屋のそこかし こでビヌルずフラむドチキンを片手にサッカヌを芳戊した。これが党囜的な 流行ずなる。その埌はドラマなど、韓流の拡散がチメク文化を東アゞア圏党 䜓に広めた。 しかし、韓囜人が楜しむ麻薬のようなチメクには吊定的な偎面もある。 鶏肉自䜓はもちろん、熱を加える倩ぷら油、衣の過床の高カロリヌ、高い塩 分に加えおアルコヌル、そしおビヌル特有の食欲促進効果により過食を招 き、肥満、通颚、心血管疟患、肝疟患などに぀ながるリスクが倧きい。それ でも電話本で、党囜どこぞでも30分以内に配達される安䟡なフラむドチキ ンずビヌルのおかげで、週末はチメク倩囜ずなるのだ。


線集長の手玙

心ず身䜓のための健康食

発行人

李是衡

線集長

金鍟埳

線集理事

最近、テンプルステむずずもに粟進料理が流行っおいる。韓囜仏教のお 寺の䌝統料理ずしお僧䟶や尌僧が長い間食べおきた菜食が、健康を懞念する 人々の関心を集めおいる。そのため粟進料理を提䟛する食堂の人気がたすた す高たり、粟進料理教宀や料理実挔も目を匕くようになった。 2017幎ナネスコ䞖界文化遺産に韓囜仏教の䞃぀の山寺の登録が確定し た。䞖界遺産委員䌚は、山寺が宗教的信念ず粟神的修逊、そしお修道僧ず信 者たちの日垞的な暮らしが営たれおいる生掻の䞭心だず説明した。寺院や犅 房での日垞生掻を通しお、千幎以䞊にわたっお䌝えられおきた衣服や献立の 䌝統は倧倉重芁だずいえよう。 今回の『コリアナ』の特集は「お寺の食事欲ず執着を捚おる道」ずい うタむトルで、韓囜の仏教寺院料理の䌝統を掘り䞋げおみる。隒々しい流行 を超えお、韓囜の粟進料理の本質を垣間芋る機䌚を提䟛しようずした。ここ に玹介されたお寺、僧䟶ず尌僧、そしお執筆者の遞定に栌別泚意を払った。 そうするこずで、むンド初期仏教やアゞアの耇数の地域に䌝わった仏教飲食 の歎史を振り返り、今日の粟進料理 がどのように準備され、食されおいるの かを忠実に蚘事にした。 蚘事の内容から韓囜の粟進料理の調理法や味だけでなく、今日それらが 内包しおいる意味を知るこずができれば幞いである。ゞングヮンサ(27ペヌ ゞ参照)の䜏職ケホ僧䟶は「簡単に䜜れおこそ、質玠な生き方ができる」ず蚀 う。質玠な食べ物が私たちの心の苊痛を取り陀き、たた危機に瀕した地球を 救うのに圹立぀こずを切に願う。

成仁

線集諮問委員

韓敬九

Benjamin Joinau

鄭執賢

金華抮

金英那

高矎錫

那秀昊

宋惠眞

宋氞萬

クリ゚むティブディレクタヌ 線集

尹䞖鈎 金侉

池根華、倫氞

アヌトディレクタヌ

金志姞

監修者

嘉原和代

デザむナヌ

金銀惠、金南亚、葉蘭敬

翻蚳者

坂野慎治

金明順

線集

匵蕙先

金熒允線集䌚瀟 04035

韓囜゜りル特別垂麻浊区楊花路7-44. 秋思軒ビル3階 Tel : 82-2-335-4741

Fax : 82-2-335-4743 www.gegd.co.kr 䟡栌

日本語版線集長 金鍟埳

韓囜内6000りォン 韓囜倖9USドル

定期賌読料詳しくは『Koreana』88ペヌゞをご参照ください。

印刷

䞉星文化印刷 04796

韓囜゜りル特別垂城東区阿䞔山路11-10. Tel : 82-2-468-0361〜5

韓囜の文化ず芞術 倏号 2019

© 韓囜囜際亀流財団2019

『Koreana』に掲茉されおいるすべおの蚘事の著䜜暩は韓囜囜際亀流 財団に垰属し、著䜜暩法により保護されおいたす。

『Koreana』の蚘事を転茉する堎合には、事前に『Koreana』線集宀に

電子メヌル koreana@kf.or.krかFAX82-2-468-0361/5で転茉蚱 可を申請しおください。

Published quarterly by THE KOREA FOUNDATION

55 æ–°äž­è·¯ 西垰浊垂 枈州道 63565、韓囜 倖亀センタヌビル

http://www.koreana.or.kr

『因より緩やかな時間垯』 厔承矎 2016幎、障子の䞊に圩色、 45.5× 27.3㎝

『Koreana』の蚘事を匕甚したり、非営利目的で䜿甚する堎合にも 『Koreana』からの転茉であるこずが分かるようにクレゞットを明瀺 しおください。

掲茉された蚘事は筆者の個人的な意芋であり、『Koreana』や韓囜囜 際亀流財団の公匏芋解ではありたせん。

1987幎8月8日文化芳光郚-1033で登録された季刊誌『Koreana』はア

ラビア語、むンドネシア語、英語、スペむン語、䞭囜語、ドむツ語、 フランス語、ロシア語でも発刊されおいたす。


特集

お寺の食事欲ず執着を捚おる道 04

特集 1

欲望を捚おる食事 ムン・テゞュン

08

特集 2

森矅䞇象を抱く食べ物 コン・マンシク

34

フォヌカス

南北共同の人類無圢遺産 「シルム」 パク・ホンスン

38

むンタビュヌ

「ナム・ゞュン・パむクの手」 ず呌ばれる男 むム・ヒナン

44

文化遺産の継承者

氎ず火ず空気でホミを䜜る鍛冶屋 カン・シンゞェ

50

オン・ザ・ロヌド

聞慶の峠 䞉本の分かれ道 む・チャンギ

14

特集 3

穏やかな故郷のような食事 ペク・ペンオク

22

28

特集 5

茶で修行する僧䟶の物語 パク・ヒゞュン

特集 4

食物こそが「䜓」であり「人栌」 パク・ミヒャン

58

二぀の韓囜

新しい想像力が必芁だ キム・ハクスン

62

日垞茶飯事

「幞運な」 若者が倢芋る幞せ キム・フンスク

66

遠くの目

「汀」に想う

薩摩焌十五代 沈壜官

68

゚ンタヌテむンメント

バラ゚ティ番組にみられる韓囜のツヌリズム チョン・ドヒョン

70

ラむフスタむル

新しい䌑暇の楜しみ方 キム・ドンファン

74

韓囜文孊の旅

喪倱ずずもに生きる 圌らの倫理的な時差 チェ・ゞェボン

『颚景の䜿い道』 キム・゚ラン


特集 1 お寺の食事欲ず執着を捚おる道

欲望を捚おる食事 叀くから韓囜の寺院に䌝わる料理ず食事法。それが究極的に求めおいるのは、䞀食䞀食を通じお心 を修めるこずだ。食を通じお所有ぞの欲望ず執着を断ち、それによっお心の安らぎを埗るためだ。 したがっお、お寺での食事は、心身を枅める修行に他ならない。 ムン・テゞュン 文泰俊、詩人 安措範 写真 4 KOREANA 倏号 2019


は幌い頃から、母ず䞀緒に家から時間ほど

私

する僧䟶、畑を耕す僧䟶、飲み氎を管理する僧䟶、䞻食を䜜る

離れたお寺たで歩いお行った。母は、田畑で

僧䟶、副食を䜜る僧䟶、料理ために必芁な薪を䜜る僧䟶、暖房

収穫した穀物を仏様に䟛えた。そしお、お寺

のために火を起こす僧䟶などがいお、それぞれ自分の仕事を秩

に行く日前から食事にずおも気を付けお、特に肉を口にし

序正しくこなしおいた。

なかった。たた、お寺に行く日には、朝早く起きお䜓や髪を䞁

お寺では、ほずんどの食材を自絊自足し、その食材は僧䟶

寧に掗った。たるで、母の心や䜓の邪気でも远い払うかのよう

の劎働によっお甚意される。そのため「日䜜さざれば日食

に、心を蟌めお 。母は、仏像の前にひれ䌏しお拝みながら、

らわず」ずいう蚀葉もあるほどだ。お寺を蚪れるず、ある日は

小さな声で祈りを捧げた。

僧䟶が腕捲りしおキムチを挬け、ある日は茹でた倧豆で䜜った

私は幌かったが、朝早くから急いで母ず家を出るこずが嫌

メゞュ味噌玉を干しおいた。

ではなかった。それは、お寺での食事のためだった。私がお寺

僧䟶が修行に集䞭する時に泊たる僧房での生掻に぀いお、

で初めお食べたのは、おそらく小豆粥だ。茹でた小豆をすり぀

玹介文を読んで驚いたこずがある。たくさんの物を所有・消費

ぶした汁で米を炊いた小豆粥は、栌別だった。特に、もち米の

しおいるこずに、自責の念を芚えたからだ。韓囜では毎幎、倏

団子が入っおおり、かわいい圢でおいしかった。母ず䞀緒に食

ず冬に僧䟶が集たっおカ月間、集䞭的に修行を行う。これを

べた䞀杯の小豆粥は、今でもはっきりず芚えおいる。お寺で小

安居あんごず蚀い、その堎所を犅院ず呌ぶ。その期間は、

豆粥を食べるのは、小豆粥の赀色が悪い鬌、邪気、運悪く降り

僧䟶が修行に専念できるように特に気を䜿う。

かかった灜いを远い払っおくれるず信じおいたからだ。小豆粥

僧䟶の食事はずおも質玠で、ご飯、汁物、キムチの他に

の他にも、各皮ナムル野菜の和え物を枩かいご飯に混ぜた

皮類のおかずが出される。僧房での生掻に関する文曞によ

ビビンバやククス麺類を食べるこずもあった。

るず、頭を冷やしお足を枩め、腹八分目にするのが基本だずい

しかし、お寺のご飯は、幌い私には味が少し薄かった。

う。僧房の日の食事量には、私も驚かされた。䞀人圓たりの

肉や魚を䜿わず、それほど甘くも塩蟛くも蟛くもなかった。

䞻食の量は、日でわずか合。朝はお粥、昌は癜米、倜は雑

そのため、食事の時間は長くお退屈に感じられた。そんな私

穀を少し食べる。副食は䞻に野菜で、時には豆腐、ノリ、ワカ

が、お寺のさっぱりずした味付けを奜きになったのは、かな

メなども出される。極めお質玠な食事だ。たた、食事の時間以

り埌の話だ。

倖には䜕も食べない。

極めお質玠な食事

欲のない心

聞での玹介のため、あるいは日垞から離れお心身を癒すために

19121993を挙げられる。゜ンチョル僧䟶が残した「自分

行ったこずもある。お寺を蚪れた理由は違っおも、垰っお来る

自身をしっかりず芋぀めよ」、「人知れず人を助けよ」、「他

ず身も心も枅らかになり、思考が広がっお欲が枛ったこずに気

者のために祈りを捧げよ」などの蚀葉は、簡朔で心に響くもの

付いた。

がある。特に、䞍臥暪にならないの修行を幎も続け、10

幎を取っおからも、お寺によく行った。老僧ずの察談や新

韓囜で尊敬を集めた僧䟶ずしお、゜ンチョル性培僧䟶

お寺を蚪れる回数が増えるず、お寺の管理・運営が非垞に

幎もの間お寺の倖に出なかった。゜ンチョル僧䟶の遺品は、擊

现分化されおいお、僧䟶にはそれぞれの仕事があるこずを知っ

り切れお䜕床も瞫い盎した僧衣、黒いゎムの靎、杖だけだっ

た。䟋えば、お寺の運営を党般的に管理する僧䟶、お茶を担圓

た。生前の食事も、゜ンチョル僧䟶らしかった。長きにわたり

党矅北道・扶安郡プアングンにある来蘇寺ネ゜サでのテンプル ステむ宿坊で、鉢盂䟛逊食事を䜓隓する参加者。山寺で修行者 の日垞を経隓できるテンプルステむは、党囜130ほどの寺院で行われおい る。鉢盂䟛逊は、テンプルステむで重芁なプログラム。

韓囜の文化ず芞術 5


寒さが身に染みる冬の朝、少しのおかずを前に黙っ お食べおいるず、食べ物を噛んで呑み蟌む自分の䜓 ず柄んだ心が芋えおきた。

゜ンチョル僧䟶に仕えたある僧䟶は、次のように話しおいる。 「゜ンチョル僧䟶の食事は、ずおも質玠でした。無塩食だ

食事の芏範

食材を遞んで少食にするお寺の食事には、他にも芏範があ

ったので、味付けをする必芁もありたせんでした。おかずず蚀

る。黙っお食事をし、ただ食べる行為に集䞭する。そのような

っおも、シュンギク枚、mmの厚さに切ったニンゞ

点で、江原道の月粟寺や党矅南道の華厳寺で、冬の朝に経隓し

ン切れ、黒豆の煮物匙半くらいでした。そしお、ゞャガむ

た食事は栌別なものだった。寒さが身に染みる冬の朝、少しの

モずニンゞンの千切りを入れた汁物ず、子䟛甚くらいの小さな

おかずを前に黙っお食べおいるず、食べ物を噛んで呑み蟌む自

茶碗に盛ったご飯が食分でした。朝は、ご飯の代わりに癜粥

分の䜓ず柄んだ心が芋えおきた。そしお、ふず「この䞖に生た

を茶碗の半分ほどを召し䞊がりたした」。

れお生きるずは、䜕なのだろうか」ずいう思いが浮かぶず、思

぀たり、゜ンチョル僧䟶の食事は、少なく食べお欲を枛

わず涙があふれた。

らすものだった。怍物の葉や茎、実を食べるが、量は抑えお

『誡初心孊人文』は、高麗時代のチヌル知蚥僧䟶

満腹感のないようにした。果たしお、それだけで健康が保お

11581210が僧䟶の修行のために曞いた本で、食事に぀い

るのかず思われるほどだった。食事を修行のための薬ずし、

おも觊れられおいる。

身䜓を逊うのに必芁なだけ食べた。食欲も、泥棒のような

「食事の際は、飲んだり噛んだりする音を立おず、物を取

心だず考えたからだ。たた、食ぞの執着は怠け心を誘うずし

ったり眮いたりする時は泚意を払い、顔を䞊げたり埌ろを振り

お、それを戒めた。

向かず、食べ物を遞り奜みせず、ただ黙々ず食べ、話をせず、

お寺の入口の柱には「境内に入る際は、知を捚およ」ずい う文句が刻たれおいる。これたでの人生で埗た分別心、暪柄な

雑念を起こさず、食べるずいう行為は、ただ䜓が朜ちるのを防 ぎ、悟りを開くためにあるこずを知らなければならない」。

心、転倒した心を捚およずいう教えだ。韓囜でお寺ずは、心を

お寺での食事は、党おにおいお心の修行に他ならない。お

修める空間だ。それでは、心を修めお、どのような心に立ち戻

寺では、僧䟶のために特別な料理が甚意される日があり、私も

ろうずいうのだろうか。転倒した心をどのような心に正そうず

䜕床か食べた。暑い日には、ゞャガむモ入りのスゞェビすい

いうのだろうか。

ずんやククス麺類、もち米のご飯などが出る。その䞭で

それは、寛倧で枅らかで嘘を぀かず、他の生呜を尊重し、 斜しお欲のない心を指す。そしお、そのような心に到達するた

も特にククスが人気で、ククスず聞くだけで僧䟶の顔に笑みが 浮かぶほどだ。

めには、衣食䜏の党おを簡玠にしなければならない。そうした

お寺での食べ物の䞭でも、特に蚘憶に残っおいるものがあ

韓囜仏教の䌝統は、長く受け継がれおきた。その䌝統が疎かに

る。䟋えば、秋に塩挬けしたダむコンを倏に冷氎をかけお食べ

されたり厩れそうになるず、志を同じくする僧䟶が立ち䞊がっ

るチャンゞ挬物、米のずぎ汁に霜が降りる前に摘んだカボ

た。「修行共同䜓」を枅らかな状態に戻す自浄運動を繰り広げ

チャの葉を入れた味噌汁、干した倧根の葉で䜜ったおかず、レ

たのだ。特に、氎を汲み、薪を䜜り、畑に皮をたくなどの劎働

ンコンやゎボりの煮物や揚げ物などだ。たた、お寺から持ち垰

を通じお、お寺の管理・運営を自絊自足するこずは、自浄運動

っお家で䜜ったヌルンゞおこげ湯の味は、今でも鮮明に芚

においおずおも重芁な実践だ。

えおいる。

6 KOREANA 倏号 2019


食べ物に蟌められた粟神

お寺では、お坊さんが入れおくれたお茶もおいしかっ

は、望たしいこずだ。繁華街に粟進料理の店ができ、粟進料理 の䜜り方を孊んで家庭で料理するのも、良い流れだ。

た。特に、党矅北道・南原の実盞寺を蚪れた際、畑仕事をし

食材は基本的に、䜕か他の物から埗られるが、できるだけ

おいたお坊さんが枩かく迎え入れ、お茶に小さな梅の぀がみ

他の物を害さないように心がける。肉食を犁止するのも、その

を浮かべおくれた。その春の午埌のお茶の銙りは、今でも忘

ためだ。経兞には「党おの土ず氎は自身の昔の身䜓であり、火

れられない。

ず颚は自身の本䜓だ」ず蚘されおいる。仏教が食べ物をどのよ

最近、粟進料理が人気を集めおいる。食べ過ぎや加工食品 の倚い食生掻から脱しようずいう動きが埐々に広がっおいるの

うに捉えおいるのか、うかがい知るこずができるだろう。 毎日を生きる䞭で、内面がたるで埃にたみれた鏡のよう に感じられた時、満足するこずなく欲望だけが肥倧した時、 山寺で祈りや瞑想を行う。たた、質玠で玠朎な食事を前にし

お茶を飲んで、僧䟶の説法を聞き、察話をするテンプルス テむでの茶道䜓隓。普段、寺院で修行者に䌚う機䌚のない 人たちにずっお、最も期埅されるプログラムだ。

お、蔓のように絡み付いた欲望や俗心を反省し振り返っおみ る。お寺の柄んだ空間に座っお思惟するこずで、激しい欲望 を捚おるのだ。

韓囜の文化ず芞術 7


特集 2 お寺の食事欲ず執着を捚おる道

森矅䞇象を抱く食べ物 仏教の修行者にずっお、食べるこずの最も重芁な目的は、それを逊分にしお䞖の䞭のあらゆる存 圚ず宗教的な悟りを共有するこずにある。そのため食事は、味わいや満腹感を埗るものでなく、 修行の領域・過皋にある。托鉢や鉢盂䟛逊は、その実践方法ずいえる。 コン・マンシク 孔萬怍、東囜倧孊校宗孊研究所研究委員 安措範 写真

仏

教は、むンドで生たれた宗教だ。ブッダ仏

その他に、修行者がおいしい物だけを乞うこず、䞀床にた

陀の生きた時代には、食べ物の量を極端に

くさんの斜しを受けたり䜕回も斜しを受けるこずも、戒埋で犁

枛らしお味を吊定するバラモン教やゞャむナ

止されおいた。たた、修行者が食ぞの欲望を捚おる最も根本的

教の苊行䞻矩ずは違い、食事の適切な量や味を認める䞭道的な

な方法は、修行だず考えおいた。そしお、修行の栞心は食べ物

芳念を持っおいた。しかし、午埌には食べない䌝統があり、修

ずいう察象ではなく、食ぞの欲に駆られる修行者の感芚ず認識

行者が食ぞの欲望に駆られお戒埋に反する䜙地もあった。その

を根本的に抑えるこずにあった。珟圚よく知られおいる修行方

ため、托鉢、食事法、戒埋、そしお食ぞの欲から脱する修行を

法ずしおは、ベトナム出身の犅僧ティク・ナット・ハン垫の食

行った。

べる瞑想「マむンドフル・むヌティング」がある。

初期の戒埋

修行者の劎働

者から䟛逊された物しか食べなかった。それによっお、食ぞの

異なる。むンドの仏教では、修行者の生産掻動、぀たり蟲業掻

欲望を枛らすこずができた。その他に、自発的な意志で食事の

動は生き物をあやめる恐れがあるため犁止されおいる。たた、

量や味を抑える方匏もあった。修行者の13の実践法には「托鉢

食材の保存や調理も蚱されなかった。しかし、犅宗では「日

托鉢で毎日の食事を枈たせるむンドの仏教修行者は、圚家

東アゞアの犅宗は、食ぞの態床や芋方がむンドの仏教ずは

ず食事法」があり、日に杯のご飯を食べた埌、それ以䞊食 べるこずができないず芏定されおいた。たた、䞀床座っお食べ 終わるず、その日は䜕も食べるこずができなかった。豊かな家 でも貧しい家でも順番通りに回っお、食べ物を斜しおもらうず いう決たりもあった。

8 KOREANA 倏号 2019

鉢盂䟛逊では、膳に圓たる鉢盂単を敷いお、その䞊に鉢盂噚を順 番に䞊べおいく。埡䟍鉢盂ご飯は巊手前、クク鉢盂汁物は右 手前、饌鉢盂おかずは巊奥、枅氎鉢盂氎は右奥。修行者は少 量の食事をするが、食事の量を調節するのも修行だ。


韓囜の文化ず芞術 9


1. 食事を枈たせた埌、鉢盂噚はき れいにたずめお棚に保管する。

2. 京畿道・氎原スりォンにある奉 寧寺ポンニョンサで、ご飯をよそ っおもらった埌、埡䟍鉢盂を持ち䞊げ る僧䟶。眉の高さたで持ち䞊げお䞋ろ した埌、汁物をよそっおもらう。おかず は、必芁なだけ自分で鉢盂に盛る。

1 ⓒ 䌝燈寺

䜜さざれば日食らわず」ずいう蚀葉からも分かるように、修

柔然。第二に、食材は枅朔で、食品ずしお問題があっおは

行者の生産的な劎働は修行の䞀郚ずされ、生産物も保存でき

ならない枅浄。第䞉に、倧乗仏教の食の芏定に埓い、肉

る。犅宗で、修行者の食事は修行者が調理する。日本、韓囜、

類、ニンニク、ネギ、ニラ、アサツキ、ラッキョりなど蟛みの

䞭囜の粟進料理は、そのような東アゞアの犅宗の独特な思想か

ある五぀の野菜五蟛を食しおはならない劂法。䞉埳

ら圱響を受け、仏教文化の䞀郚ずしお成立したものだ。

は、料理ぞの肯定的な認識ず食材ぞの具䜓的な芋解を衚し、韓

東アゞアの犅宗の流れを汲む韓囜でも、食の味ず量に぀い

囜の粟進料理の重芁な芏定ずなっおいる。

おむンドの仏教ずは党く異なる芋方をしおいる。食の味ず量が

六味からも、韓囜の粟進料理の特城をうかがい知るこずが

肯定され「䞉埳」ず「六味」ずいう抂念によっお具䜓化され

できる。六味は、塩味、甘味、酞味、苊味、蟛味、淡味を指し

おいる。䞉埳は、次のように食材に必芁な芁玠だ。第䞀に、食

おいる。アリストテレスの四味甘味、塩味、酞味、苊味や

材は食べた埌、䜓を円滑に機胜させるものでなければならない

䞭囜の䌝統的な五味甘味、塩味、酞味、苊味、蟛味に芋ら

米䞀粒、唐蟛子の粉䞀぀も残さず、鉢盂の食べ物 を完党に食するのが原則だ。修行者は、そのよう な食事法によっお、食の味や量ぞの欲望を抑える こずができる。 10 KOREANA 倏号 2019


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韓囜の文化ず芞術 11


れる味の氎平的な䜍眮付けずは異なり、韓囜の犅宗の六味のう

功の倚少を蚈り、圌の来凊を量る。

ち最も重芁なのは「淡味」だ。淡味は、他の五぀の味の特性を

己が埳行の党欠を忖っお、䟛に応ず。

受け入れ、料理の味を調える「根本味」で独特な䜍眮付けにあ

心を防ぎ、過を離るるこずは、貪等を宗ずす。

る。様々な味の食材を受け入れ、特定の料理の味ぞず調和させ

正に良薬を事ずするは、圢枯を療ぜんがためなり。

るものだ。

成道のための故に、今この食を受く。

この䞉埳ず六味に沿っお䜜られた料理は、韓囜の犅宗で 「鉢盂䟛逊」ず呌ばれる食事法によっお食される。鉢盂䟛逊

この食物が、倚くの人々によっお䜜られたこずを考えるず

は、共同䜓の食事だ。特定の修行者の口に合わせお調理される

己の埳では、頂くのも恥ずかしい

わけではない。その時々の季節や事情に合わせお甚意された食

心の過ちや欲を捚お

材を䜿い、䞉埳ず六味の芏定に沿っお䜜られる。そのため、ど

身䜓を逊う良薬ずしお

の修行者も個人的な嗜奜に合った味を求めるこずはできない。

悟りを開くため、この食物を頂く

しかし、旬の食材ず柄んだ空気ず氎が生み出す食の自然な味わ いを享受できる。

悟りぞの過皋

共同䜓の食事

修行者に䞎えられた食べ物は、自分だけのものではな

い。五芳の偈が終わった埌、食事を前にした修行者は、陞の

鉢盂䟛逊には、自分が食べられる量を盛る過皋も含たれ

動物、空の動物、虫などに䞎えるため、粒のご飯を自分の

る。修行者は、配られた食事を各自の量に合わせお加枛する。

鉢盂から取り出す。修行者の食事は、他の生呜ずの共同䜓の

そしお、米語で「パヌトラ」。ブッダは悟りに開いた埌、二人

食事なのだ。

の商人から䟛物を受けた。だが、四倩王は噚がないこずを知

たた、修行者の食べ物は、この䞖の人間、動物、虫などだ

り、ブッダに鉢盂を献䞊したずいわれおいる。それ以来、鉢盂

けでなく、あの䞖の存圚ずも分け合う。それは、亡くなった

は仏教の修行者の食噚ずしお䜿われおきた。東南アゞアの䞊座

芪、祖父母、芪戚などだ。あの䞖にいる者のために、䞉぀の

郚小乗仏教では珟圚、䞀぀の鉢盂が䜿われおいるが、東ア

「偈」を唱えるこずで衚珟される。たた、修行者は人間、動

ゞアの犅宗の䌝統を継ぐ韓囜仏教では、ご飯、汁物、氎、おか

物、あの䞖の者など欲界の衆生だけでなく、䞊䜍にいる10人の

ずを入れる四぀の鉢盂が䜿われおいる。たた、鉢盂は鉄、陶

ブッダ十号ず菩薩の名号を唱えるこずで、そうした存圚ず

噚、朚などで䜜られるが、韓囜の犅宗では朚補が䞀般的だ。䞀

も食べ物を分け合う。仏教の修行者にずっお、食べるこずの最

方、むンド仏教では、修行者が袈裟ず鉢盂を自分で甚意する。

も重芁な目的は、それを逊分にしお䞖の䞭のあらゆる存圚ず宗

しかし、東アゞアの犅宗では、匟子が垫から袈裟ず鉢盂を授け

教的な悟りを共有するこずにある。

られるこずが、法脈を継ぐ蚌ずされおきた。

修行者がご飯粒や唐蟛子の粉を残さず、氎で掗っお鉢盂を

修行者が食事の前に唱える「五芳の偈げ」は、鉢盂䟛

きれいにするのは、鉢盂に残った氎が逓鬌のものだからだ。仏

逊が単なる食事の䜜法ではなく、最も重芁な儀瀌の䞀぀だずい

教においお逓鬌は、垞に飢えず枇きに苊しむ存圚だが、喉が針

うこずを衚しおいる。

の穎よりも现いため、ご飯粒や唐蟛子の粉でも喉に詰たっおし たう。そのようにしお、鉢盂䟛逊は、䞎えられた物を完党に食 しお終わる。

たた、修行者の食べ物は、この䞖の人間、動物、 虫などだけでなく、あの䞖の存圚ずも分け合う。 それは、亡くなった芪、祖父母、芪戚などだ。

12 KOREANA 倏号 2019


噚がきれいになるように食事を枈たせた埌、鉢盂手巟手ぬぐい で鉢盂、箞、匙をきれいに拭き、鉢盂耓ふろしきでたずめる。 その結び目は、䞀文字になるのが原則。

韓囜の文化ず芞術 13


特集 3 お寺の食事欲ず執着を捚おる道

穏やかな故郷 のような食事 比䞘尌尌僧が党おを包み蟌む母の心でご飯を 炊き、裏山の山菜でおかずを䜜っお、来客を もおなす。そんな庵が山奥にある。慶尚北 道・聞慶にある倧乗寺の閏筆庵ナンピル アムだ。去幎の春、そこで䜓隓した食 事の枩かさは、心の枩床でもあった。 ペク・ペンオク 癜栄玉、小説家 安措範 写真

閏筆庵ナンピルアムの尌僧が来客をもおなす 食事。ペモギ、セリ、アブラナ、ナズナなど庵の 裏山で採っおきた自然の食材ず、日ごずに開か れる聞慶の垂堎で買っおきた旬の野菜を調理した ものだ。 14 KOREANA 倏号 2019


韓囜の文化ず芞術 15


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16 KOREANA 倏号 2019


春

の花が咲く頃、小説家キム・フン金薰の 散文集『自転車旅行』を読む。䜕床も読んで いるず、文章がたくさんの花を抱えた窓越し

の颚景のように感じられる。䟋えば「モクレンは、明かりを灯 すように咲く」や「絶頂に達したツバキは、癟枈が滅びるよう に絶頂で突然墜萜しおしたう」などは、もはや本の䞀文ではな く、私の䜓の䞀郚のように思われる。 そのため、閏筆庵ナンピルアムで咲き始めた花を芋お 「サンシュナは、ただ揺らめく花の圱ずしお咲く」ずいう䞀節 を思い浮かべるのは、私にずっおごく自然なこずだ。春の蚪れ を感じるたびに、浮かんでくる文章。サンシュナも桜も梅も、 それは花でなく、厳しい冬を耐えた朚の癜昌倢のように感じら れる。閏筆庵の庭は、春を告げる物であふれおいる。僧䟶が生 掻する郚屋の呚りには梅の花、そのそばには黄色いフクゞュ゜ りず玫色のタツタ゜りが咲いおいた。

2

僧房の扉を開くず、僧䟶がすり鉢でコヌヒヌ豆を挜いおい た。今たで飲んだコヌヒヌの䞭で、䞀番コクず深みがあった。 コヌヒヌ豆の皮類を聞くず、ただ普通のコヌヒヌ豆だず蚀う。

「私は、党おの物を気負わず、自然に䜜りたす。耇雑で難

コヌヒヌを入れる様子を最埌たで芋おいるず、栌別な味の秘蚣

しいのは、私のやり方ではありたせん。私は寝るのが奜きで、

が分かっおきた。僧䟶は、挜いたコヌヒヌの粉をふんだんに䜿

型にはたった圢匏も奜みたせん。そしお、座垃団に座っおの黙

っお、ほんの少しず぀ドリップする。秒に滎ず぀を垂

逊沈黙だけが、修行だずも思いたせん。せっせず手を動か

らすので、杯のコヌヒヌに少なくずも30分はかかる。ダッチ

しおご飯を炊き、お茶を入れ、人の䞖話をするのも修行です。

・コヌヒヌに䌌た方法だ。そのような特別なコヌヒヌが味わえ

私が炊いたご飯を食べたり、お茶を飲んだりする人に察しお、

るのは、来客のために十分な時間を費やしおいるからだ。

健康ず平穏を祈りながら行う党おのこずが修行なのです」。

矎しくお忙しい厚房

寺院には「園頭」がいる。園頭ずは、菜園を管理する僧䟶

蟲倫ではないが蟲倫であり、母ではないが母であり、シェ フではないが優れたシェフ。そんな修行者ず向かい合っお、た くさんの話をした。圌女の法名は「コンゎク空谷」。

のこずだ。園頭は、トりガラシ、チシャ菜、キュりリ、ホりレ

閏筆庵は、修埳寺の芋性庵、五台山の地蔵庵ず共に、韓囜

ン゜り、ヒマワリ、カボチャ、フダン゜りのような野菜を栜培

で比䞘尌が参犅する倧道堎だ。この小さな庵では、厳しい粟

しお、厚房に䟛絊する。犅院の運営ず芏則を蚘した䞭囜・元の

進のためにやっお来た比䞘尌が、昌倜の別なく心ず䜓を逊っお

曞物『勅修癟䞈枅芏』の「列職雑務」線には「園頭は、劎を惜

いる。

したず身をもっお率先しなければならない。野菜の皮たきの時

自然の光が差し蟌む閏筆庵の厚房。倪陜の䜜った色々な圱

期を逃さず、氎をやり、野菜の䞍足があっおはならない」ず曞

が、壁のあちこちに絵のように映っおいる。矎しい厚房だが、

かれおいる。

い぀も忙しい。食事のたびに数十人分のご飯ずおかずを甚意す

僧䟶が語った。

る。旧暊月日が近づくず、寺を蚪れる人が増えお、さらに 忙しくなる。小麊粉の生地を麺棒で䌞ばしおカルグクス麺料 理を䜜るなど、絶えず䜕かを叩いたり朰したり混ぜたりする 賑やかな雰囲気だ。厚房のかごには、裏庭から採っおきたり、 日ごずに開かれる聞慶の垂堎で買っおきたペモギ、ナズナ、

1. 庵の裏山で春の山菜オタカラコりを採る閏筆庵の䜏持コンゎ ク空谷僧䟶。味も銙りも匷いオタカラコりは、生で食べたり 醀油挬けにしたりする。 2. 慶尚北道・聞慶の四䜛山の麓にある閏筆庵。倧乗寺にある庵 で、1380幎に創建された尌僧の犅院だ。閏筆庵にある四䜛殿に は仏像が安眮されおおらず、窓から芋える四䜛山頂䞊の四面石䜛 に瀌拝する。

アブラナ、フキなどの春の山菜が積たれおいる。釜では、クク ス麺料理のスヌプが煮蟌たれおいる。 スッククペモギ汁は、月20日頃が䞀番おいしいずい う。ペモギが小さくお軟らかい時期だ。その頃に採ったペモギ で、僧䟶はペモギ茶を䜜り、残った物で石けんも䜜る。ペモ ギだけでなく、山で育぀党おの物が玠材になる。クワの葉、タ

韓囜の文化ず芞術 17


ンポポ、ミカンの皮、クリの枋皮は、お茶や石けんなどにでき

アブラナずペモギのチョン小麊粉を付けお油で焌いた料

る。月の光を芋おキュりリが実ったかどうか気になっお倖に出

理を食べるず、シャキシャキしたアブラナから爜やかな春が

たが、鈎なりに実ったキュりリを芋お、200本分のオむ゜バギ

感じられる。ペモギのチョンは、小麊粉を薄く付けるため、特

キュりリのキムチを挬けたずいう僧䟶の話に、思わず笑っ

有の銙りが匷い。チシャ菜や゚ゎマの葉ではなく、セリがサム

おしたった。月の光を芋おキュりリが気になる生き方ずは、ど

葉物の野菜でご飯やおかずを包んで食べる料理のように䞋

んなものだろうか。

ごしらえされおいたこずも興味深かった。

寺での食事の準備は、かなり時間がかかった。生地を麺棒

「郜䌚から来た田舎者に、セリを食べさせないず 」ずい

で䌞ばしお包䞁で切ったカルグクスたで甚意したからだ。料理

う僧䟶の話を聞いたせいか、春のセリは薬になるのかずも考え

が出おきた時には、昌食の時間が過ぎお倧倉おなかが空いお

た。タレを぀けおご飯ず䞀緒に頬匵るず、噛む前からセリの銙

いた。ククスの暪にはスクポムリペモギず米粉の蒞し逅、

りが口いっぱいに広がる。クルミずアヌモンドを醀油で軜く炒

ナズナ、倧根干葉もある。味付けは、手䜜りの醀油や味噌。黒

めた料理は、おや぀のようで䜕床も手が䌞びおしたう。黄色い

豆入りのご飯ず共にきれいに䞊べられたテンゞャンチゲ味噌

梅のチャンアチ挬物は、コリコリした食感ず甘さに箞が進

鍋を芋おいるず、「味噌汁の汁ず具のナズナず人間は、䞉角

む。考えただけで、よだれが出おくる。

の痎情関係」ずいうキム・フンの䞀節が思い浮かんだ。この䞉 だ。おなかの調子が良くない時、味噌のチゲやスヌプを食べる

修行者の調理法

ず萜ち着くのも、そのためだろう。

る䞭で、シェフから聞いたおいしい料理の秘蚣がある。䟋えば

角は、䞀぀が二぀を包み蟌む構図。だから、この痎情は平和

レストラン担圓蚘者をしおいた時、様々な飲食店を取材す

「熱いものは熱く、冷たいものは冷たく」。高床䞇メヌトル の䜎い気圧のため、おいしくないこずが倚い機内食でも「サラ ダは冷たく、パンは枩かく、コヌヒヌは熱く」ずいう原則を守 るだけで、味が良くなるずいう。炊き立おのご飯、火から䞋ろ しおもグツグツ煮立っおいるテンゞャンチゲ、䜜り立おの和え 物 。閏筆庵での食事は、食材の䞋ごしらえには時間がかかる が、調理時間は短い。基本に忠実な料理だ。 しかし、料理をおいしくするには、さらに本質的な方法が ある。料理に時間ず季節を取り入れるこずだ。長時間発酵させ た調味料に深みが出るのも、キムチが熟成されるのも、コヌヒ ヌがおいしくなるのも、党おそのためだ。座犅だけが修行では なく、お茶を摘んだり炒ったり発酵させたりする党おの過皋が 修行だずいうコンゎク僧䟶の蚀葉も、それず無瞁ではないだろ う。僧䟶は、梅の朚の䞋たで私を連れお行っお、お茶にする梅 の花を芋せおくれた。ただ花が咲いおおらず、膚らんできた぀ がみだった。月半ばの梅の花は、お茶にするのに最適だ。摘 んだ梅の花を䜕日か日陰で干しお、青い額を䞁寧に取り陀いお 青臭さをなくすず、杯の「梅花茶」ができる。僧䟶は、さっ ず10ほどの぀がみを摘んで、私の手に握らせた。手を開くず、 小さな぀がみから春の匂いがした。䞀杯の梅花茶を飲むこず は、春の気配を取り蟌むこずに他ならない。 寺での食事は、玠材の原圢質や限界を䞀緒に食べるこず だ。それは、慣性的にただ飢えを満たすこずずは党く違う経隓

スクポムリペモギず米粉の蒞し逅を䜜るため、 小さくお軟らかいペモギにうるち米の粉をたぶすコンゎク僧䟶。 スクポムリは、春の逅ずしお人気。 18 KOREANA 倏号 2019


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真心を蟌めた家庭料理のような粟進料理 たるで村䞊春暹の玀行文『蟺

魚、塩蟛類を䞀切䜿わない菜食メ

「おじさん、ネギありたせんか」

付けで、塩蟛くお甘い刺激的な味

境・近境』に登堎しそうな食堂。 ず聞くず「裏庭にいくらでもある から、奜きなだけ採っお食べおく ださい」ず蚀いそうな店。静かな

ニュヌでもある。どれも薄めの味 に慣れおしたった人の味芚を和ら げおくれる。

基本に忠実な料理は、口圓たり

町にあるため「こんなずころに店

はいいが、しっかりしおいる。旬

間、粟進料理を出しおきた。その

基本にしおおり、玠材本来の味が

が 」ず考えそうだが、25幎 「コルグゞェンむネ」は、朝時 から倜時たで䞀日䞭、客で賑わ っおいる。

店䞻は「粟進料理ずいうより

も、䜓に良い家庭料理を䜜る぀も

の食材を䜿ったロヌカルフヌドを 深く感じられる。食材の味を吟味

ず心を蟌めた料理ず䌌おいる。コン ドゥレご飯は単品で食べおもおいし く、食埌に出される菊の花のお茶も 銙ばしい。店䞻は幎を通しお色々 なお茶を䜜り、その季節に合わせお 出しおいる。

この店は、2012幎にテレビ番組

味を玹介したいず蚀うので、支店

料理は、最初に出される「アプ

プサンには、蒞し豆腐、サラダ、ハ

だけでなく、化孊調味料、肉、

匵るほど豪華ではないが、母が時間

なかがいっぱいになる。

なり、たくさん食べなくおも、お

ク、ネギ、ニラ、アサツキ、ラッ の野菜五蟛を䜿わない。それ

味噌汁などが出おくる。目を芋

で玹介されお有名になった。客が

りで、料理ず向き合っおいる」ず キョりなどの味ず銙りが匷い五぀

. 前菜のチョンビョン。ド ングリの粉を緎っお、现切り の旬の野菜を䞞く包み、油 で焌いた埌、食べやすい倧 きさに切った料理。

ザミご飯、癜菜のテンゞャンクク

しおいるず噛む速床が自ずず遅く

サン」ずその次に出される「トゥ

蚀う。この店の料理は、ニンニ

. 京畿道・驪州ペゞュ 垂の粟進料理店「コルグゞ ェンむネ」の料理は、山菜 䞭心で健康的。自然な味で、 調味料を䜿甚しないこずで知 られおいる。

むッサン」に分けお運ばれる。ア ス入りのキムチマリグクスキム チ玠麺、トゥむッサンには、旬 の山菜、コンドゥレチョりセンア

旬の食材を䜿ったロヌカルフヌドを基本にしおおり、玠材本来の味が深く感じ られる。食材の味を吟味しおいるず噛む速床が自ずず遅くなり、たくさん食べ なくおも、おなかがいっぱいになる。

増えるず、知人が゜りルでも店の も出した。しかし、材料の調達に 手間がかかり、食材の䟡栌も䞊が ったこずで、採算が合わなくなっ おしたった。結局、支店は幎で 店を閉めた。

毎日、新鮮な食材を䜿うため、

おかずの皮類は時期によっお倉わ る。䞹粟蟌めた粟進料理が食べた い時、迷わず行っおみるのもいい だろう。゜りルから車で時間ほ どの堎所にあり、由緒ある神勒寺 にも近い。

韓囜の文化ず芞術 19


私たちが食べたのは、食物でな く季節であり、厳しい冬を突き 砎っお芜を出した春の緑の気配 だ。そうした料理は、䜓を生か す良い薬になる。

ラヌナシヌで、ひどい䞋痢に悩たされたこずがある。2005幎 月22日、女優のむ・りンゞュン氏が亡くなった圓時だ。同じ宿 に泊たっおいた旅行者から奜きな女優が自殺したず聞いお、呆 然ず過ごしおいた。気力を振り絞っお、䞉茪タクシヌでノァヌ ラヌナシヌから10㎞ほど離れた鹿野苑ずいう寺を蚪ねた。それ たでずっずキリスト教埒だった私が寺を蚪れたのは、ある旅行 者から「鹿野苑では、韓囜の家庭料理が食べられる」ず聞いた からだ。厚かたしくも、僧䟶が出しおくれたテンゞャンクク 味噌汁ずキムチを勢いよく、おいしくいただいた。そのご 飯を食べお、生きる力が湧いおきたず蚀えば、ありふれた蚀葉 に聞こえるかもしれない。だが、その食事のおかげでゞャむプ カルグクス麺料理を䜜るため、小麊粉の生地を麺棒で 薄く䌞ばすコンゎク僧䟶。カルグクスは、僧䟶が奜む料理 の䞀぀だ。

ヌルの砂挠を旅するこずもできた。私は、食べ物が人を生かす こずを実感した。 友達に裏切られたショックで仕事をやめお、江原道にある 祖母の家に閉じこもっおいた人の話を聞いたこずがある。涙ず 沈黙の日々 。おなかが空いお、ご飯を炊いお食べおいるう

を䞎える。コンゎク僧䟶が䜜っおくれたご飯を食べるこずは、

ちに、ふず生きたいず考えたず蚀う。それは残業が続いたある

単玔な経隓でなく、ある皮の「䜓隓」だ。僧䟶が運んできた膳

日、コンビニ゚ンスストアの匁圓、カップラヌメン、サンドむ

の料理を芋お「私たちは今、春を食べおいるのですね」ず蚀え

ッチで適圓に枈たせおいた食事ではなく、時間をかけお䜜った

ば、それは詩人のメタファヌ隠喩ではなくファクト事

食事が䞎える力だ。い぀か、頭の䞭の煩わしい声でなく「䜓が

実だ。私たちが食べたのは、食物でなく季節であり、厳しい

発する蚀葉」にしっかり耳を傟けおほしい。「おなかがペコペ

冬を突き砎っお芜を出した春の緑の気配だ。そうした料理は、

コだ。ご飯を炊く匂いが奜きだ。ご飯が甘い」。私たちの胃、

䜓を生かす良い薬になる。

錻、舌がささやく蚀葉に 。

心の安党地垯

腫れた目でご飯を食べおいたある日、故郷が堎所だけを意 味しないこずに気付いた。飢えが肉䜓的な空腹だけを意味しな

「みんな、ご飯は食べたの」

いのず同じだ。噛むほどに甘いご飯䞀粒にもナズナのテンゞャ

近くの聞慶倧孊の孊生が、ピクニックの途䞭で寺に立ち寄

ンククにも、故郷がある。僧䟶が埮笑みながら蚀った。

ったのだろう。昌ご飯を食べたず蚀う孊生に、僧䟶は厚房から

「お寺は、山が庭なんですよ」。

持っおきたクァベギ揚げパンを配った。孊生は、そのクァ

閏筆庵は、あちこちに花が咲いおいた。山ず川は、山菜の

ベギを手に、倢䞭で春の花を写真に収めおいた。 私は、冬に始たっお春に終わる物語が特に奜きだ。それ は、぀らい青春の思い出のためかもしれない。むンドのノァヌ

20 KOREANA 倏号 2019

宝庫だ。疲れたり滅入ったりした時、すぐに垰るこずのできる 故郷、心の安党地垯が必芁だ。閏筆庵も、そのような堎所であ り続けおほしい。


ミシュランの星を獲埗した品栌ある料理 れた逃子だ。パルゎンダンの看板 メニュヌずもいえる「各皮キノコ のカンゞョン」キノコの揚げ物 の甘蟛゜ヌス和えは、幎以䞊 熟成させたコチュゞャン唐蟛子 味噌ず氎风を煮詰めた甘さに加 え、肉厚のシむタケの食感が肉奜 きな人にも喜ばれるだろう。ニン ニクを䜿わない倚圩なキムチは、 さっぱりずした埌味で、シャキシ ャキしおいる。

タカペモギ、キンカン、シャク

ダマニンゞン、チョロギなど 季節限定の食材、あるいは鬱陵島 など地域限定の貎重な食材を䜿う のも、この店ならではの特城だ。 同じ建物の階には「韓囜粟進料 理文化䜓隓通」があり、粟進料理

1

゜りルの郜心にある曹枓寺チ

䞇千りォンなど。やや倀

「パルゎンダン鉢孟䟛逊」

が出おくるたびに、店員が食材な

ョゲサ。その向かい偎にある は、アゞアで初めお粟進料理ずし おミシュランの星を獲ったレスト

ランだ。2017幎から幎連続でミ シュランの䞀぀星を獲埗しお、海

段が高いが、コヌスに沿っお料理 どを䞁寧に説明しおくれるので、 手厚くもおなされおいるこずを実 感できる。

䜕よりも、硬いむチョりの朚に

倖でも䜕床か玹介されおいる。そ

回も挆を塗った鉢盂噚が、

リカ、䞭囜、銙枯、台湟などか

の食材のうち、醀油、味噌、玄米

のおかげで、ペヌロッパ、アメ ら蚪れる客が、35以䞊を占め おいる。昌食時に予玄しないで 行くず、満垭になっおいるこず も倚い。

メニュヌは、昌食時だけ提䟛

料理の品栌を高めおいる。この店 酢、りチワサボテン、豆腐など は、ナネスコの䞖界文化遺産にも 登録されおいる慶尚南道・梁山の 通床寺で䜜ったものだ。

願食のコヌスで目を匕くのは、

される犅食䞇りォンをはじ

シむタケず梚をすりおろしお茉せ

念食䞇千りォン、喜食

お様々な山菜、野菜、朚の実を入

め、願食䞇千りォン、

に぀いお孊ぶこずもできる。僧䟶 が指導するプログラムで、食材や 調理法だけでなく、1700幎間受け

1. レンコンの酢挬け、ゎ ボりの焌き物、キノコのカ ンゞョンキノコの揚げ物 の甘蟛゜ヌス和え、緑豆 のチヂミ巊䞊から時蚈回 りは、前菜の次に出され る料理。粟進料理の六味の うち、淡泊な味で構成され おいる。倧韓仏教曹枓宗が 運営する゜りル郜心の粟進 料理店「パルゎンダン鉢 孟䟛逊」にお。

継がれおきた韓囜粟進料理の由来 や食ぞの姿勢なども知るこずがで きる。

2. ミシュランの䞀぀星を獲 埗しおいる「パルゎンダン 鉢孟䟛逊」。内装は䞊 質でモダン。料理はコヌス に沿っお出おくる。

た冷麺韓囜産小麊䜿甚、そし

© Balwoo Gongyang

ニンニクを䜿わない倚圩なキムチは、さっぱりずした埌 味で、シャキシャキしおいる。

2

韓囜の文化ず芞術 21


特集 4 お寺の食事欲ず執着を捚おる道

食物こそが「䜓」 であり「人栌」

゜りルの北の境界ずなる北挢山。その麓にある接寬寺は、韓囜の粟進料理の神髄が受け継が れおいるこずで有名だ。朝鮮時代には、王宀の仏教儀匏が行われおいた。そこでは珟圚、䜏 持䜏職のケホ戒昊僧䟶が䌝統を受け継いでいる。 パク・ミヒャン 朎矎銙、ハンギョレ新聞飲食文化蚘者 安措範 写真 22 KOREANA 倏号 2019

1


20

19幎月19日、接寬寺ぞ向かう北挢山の道沿いに は、野花が春の銙りを挂わせおいた。倧韓仏教曹枓 宗の第教区の本寺は曹枓寺で、接寬寺はその末寺

に圓たる。創建から1000幎を超える叀刹だ。仏教を排しお儒教を尊んで いた朝鮮時代にも、この寺には王がよく蚪れたずいう。 朝鮮王朝を建おた倪祖・李成桂圚䜍13921398は、仏教儀匏の 氎陞斎氎陞䌚を行うため、接寬寺に管蜄機関を蚭けた。氎陞斎は、 死埌に珟䞖をさたよう諞霊や逓鬌を救枈するため、仏法を説いお食べ物 を斜す法䌚だ。倪祖は、この儀匏を通じお朝鮮の建囜のために呜を倱っ た人々の冥犏を祈った。接寬寺の氎陞斎は珟圚たで受け継がれおおり、 2013幎には韓囜の囜家無圢文化財に指定された。 接寬寺は朝鮮戊争によっお焌け萜ちおしたったが、比䞘尌尌僧 の指導者ずしお尊敬を集めたチングァン真芳僧䟶19282016に

2

よっお1963幎から再建され、比䞘尌の代衚的な道堎ずなっおいる。チン グァン僧䟶は玄40幎にわたっお接寬寺の䜏持䜏職を務め、氎陞斎の 儀瀌食の䌝統を継承し珟代化した人物だ。チングァン僧䟶の粟進料理の 秘蚣は、匟子のケホ戒昊僧䟶に受け継がれおいる。

自然ず響き合う玠材

柔らかな春の陜光が差し蟌む䞭、朚魚の音に匕かれお接寬寺の粟進

料理研究所の厚房に入った。しかし予想ずは裏腹に、その音は朚魚では なく、長さほどの倧きなテヌブルの䞊でケホ僧䟶が倧根を切る 音だった。

3

ケホ僧䟶が包䞁で切った倧根は、䞍思議な圢に倉わっおいた。取っ 手の付いたスタンプのような圢だ。ケホ僧䟶は、それを「倧根の油匕 き」ず呌んだ。ごた油を぀けた埌、フラむパンに円を描くように塗り広 げるず、油がよくなじむ。幌い頃、母から教わった方法だず蚀う。70æ­³ を目前に控えたケホ僧䟶の故郷は、江原道・墚湖珟圚の東海。敬 虔な仏教埒だった祖母ず母は、料理が䞊手だった。母がテンゞャンチゲ 味噌鍋やメミルゞョンビョンそば粉の薄皮巻を䜜る時、暪に座 っおじっず芋おいた。そしお、芋よう芋たねで芚えた料理を䜜るず、耒 めおもらえたず蚀う。

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1. 䜏持のケホ戒昊僧䟶右端をはじめ、接寬寺ゞンガンサの尌僧 が、チャンチンのプガク干し揚げを䜜っおいる。きれいに掗っお氎気を切 ったチャンチンの新芜に、米の糊をたんべんなく塗る。晎れた日に手早く終 える共同䜜業だ。

2, 3, 4. 米の糊を塗ったチャンチンをざるに䞊べお、日圓たりず颚通しの良い 甕眮き台の䞊で干す。しっかりず也くたで床ひっくり返し、倜には暖房 の効いた暖かい郚屋に干す。 韓囜の文化ず芞術 23


ケホ僧䟶が、初めお仏教に接したのは高校生の時だ。偶然耳にした タノ呑虚僧䟶19131983の蚀葉に胞が熱くなった。タノ僧䟶 は、高麗八萬倧蔵経のハングル翻蚳に身を投じた人物で、東掋哲孊にも 詳しかった。ケホ僧䟶は、家族の反察を抌し切っお出家し、1968幎に接 寬寺に入った。わずか18歳のこずだ。垫ず仰いだチングァン僧䟶は、修 行者が進むべき正しい道を照らす明かりのような存圚だった。

粟進料理の神髄

「晎れおきたしたね。倖に出たしょうか」 ケホ僧䟶の蚀葉に、研究所にいた人の僧䟶が埌に぀いお出お

行く。数癟の甕かめが敎然ず䞊べられた甕眮き台の前には、ビニヌ ルシヌトの敷かれた長いテヌブルがある。たるで映画『バベットの晩逐

1

䌚』に登堎するテヌブルのようだ。テヌブルには、半埄ほどのざる がいく぀かあり、もち米ずうるち米を煮た糊も甚意されおいた。若い僧 䟶を含め0人ほどが、チャンチンの新芜のプガク干し揚げを䜜るた めに集たっお来た。 テヌブルに向かい合っおいた僧䟶が、ケホ僧䟶の指瀺に埓っお、チ ャンチンの新芜に米の糊を塗っおいく。薄茶色のチャンチンの新芜は 月が旬。以前は、ただであげるず蚀っおも遠慮するほど、食べる人

1. 春の初め、山菜ずしお食甚にするチャンチン銙 怿の新芜。寺では、新鮮な和え物だけでなく、酢・ 醀油挬けやプガク干し揚げなど保存食にもする。

2. 小麊粉ず氎で䜜った生地に、现切りの赀唐蟛子ず チャンチンを入れ、油を匕いたフラむパンで焌く。こ のようにチョンに調理するず、チャンチンの銙りがい っそう匕き立぀。

2

24 KOREANA 倏号 2019


春によく芋られるタンポポの葉を醀油、メシルチ ョン梅゚キス、竹塩、ごた油、ごたなどで和 えれば、甘酞っぱい味ずシャキシャキした食感に 箞が進む。

が少なかったが、粟進料理が人気を埗るず泚目されるようになった。昔 から僧䟶が奜んだチャンチンの新芜は、春にプガクずしお䞋ごしらえし おおけば、冬たで食べられる寺の最高のおや぀兌おかずだ。プガクは、 野菜や海藻に米の糊を塗っお也かした埌、油で軜く揚げたもので、粟進 料理の神髄だずいえる。 「米の糊を塗っお、すぐ日に干さないずいけたせん。倪陜の光が匷 くないず、なかなか也かないので。日が暮れたら、暖房の効いた暖かい 郚屋に入れたす。チャンチンの新芜は、新鮮な状態で也かした方がきれ いな色に揚がっお、おいしいですよ」 米の糊を塗っお、しっかり干したチャンチンの新芜は、䜎枩の倉庫 や冷蔵庫に保管した埌、油で揚げおプガクにする。チャンチンの新芜の プガクは、噛むずカリッず音を立お、新鮮なバタヌを塗ったようにたろ やかだ。䞀口で虜になるような匷烈な甘味はないが、いったん食べ始め るず止められない䞍思議な魅力がある。プガクを食べおいるず、䜕ずな く玠敵な人になったような気がする。 ケホ僧䟶は「食物は生呜であり、和合であり、功埳であり、慈悲で ある」、「自分が食べる物は、自分の䜓であり人栌である」ず蚀う。こ のチャンチンの新芜のプガクは、囜内倖に広く知られおいる。数幎前、

韓囜の文化ず芞術 25


アメリカの映画俳優リチャヌド・ギアがケホ僧䟶を蚪ねた際、 特に気に入ったこずでさらに有名になった。 チャンチンの新芜は、プガクの他にも色々な料理に䜿われ る。その䞭でも、颚味豊かなチョン小麊粉を付けお油で焌い た料理は絶品だ。塩氎ず小麊粉で䜜った緩めの生地を付け お、油で焌く。その際「倧根の油匕き」が掻躍する。ケホ僧䟶 は「倧根の油匕き」で少量の油をフラむパンになじたせおは、 焌いおいく。平べったいチャンチンの新芜のチョンが焌ける ず、研究所の厚房に銙ばしい匂いが広がった。

欲を捚おた調理法

ケホ僧䟶が次に䜜ったのは、タンポポの葉のコッチョリ浅

挬けキムチ。タンポポは、乱れた気を敎えお炎症を抑える効果 があるずいわれおいる。野原や道端でもよく育぀タンポポは、生 呜力に満ちた食材だ。ケホ僧䟶は「厳しい冬を越したタンポポ は、食べるず元気になる」ず話しおいる。タンポポは、䞻に葉を 食べる。ケホ僧䟶は、タンポポの葉に醀油ずメシルチョン梅゚ キスをかける。寺で長く熟成させた調味料だ。そのコッチョリ を食べるず、さわやかな甘みが感じられた。その甘さの秘密は、 すりおろした梚にあった。調理の際、砂糖の代わりにすりおろし た梚、酢の代わりにメシルチョンを䜿う。 ケホ僧䟶の調理方法は、単玔ながら奥深い。バラク・オバ マ前米倧統領の圚任䞭にホワむトハりスのシェフだったサム・ カス氏や有名シェフの゚リック・リパヌト氏がケホ僧䟶を蚪 ねたのも、その味の秘蚣を知りたかったからだろう。今幎月 にはベルギヌのマティルド王劃がケホ僧䟶を蚪ねお、青少幎の 粟神的な健康ず食の重芁性に぀いお察談したずいう。ケホ僧䟶 に、そうした人たちずの出䌚いに぀いお聞くず「掋の東西を問 わず、䜓に優しい味を奜む人は芳点が䌌おいたす。自然な味を 求めおいるのです。サム・カス氏ずは今も連絡を取っおいたす が、やはり健康な味を奜みたす」ず答えた。それは最近、アメ 1

リカやペヌロッパなどで起きおいる菜食ブヌムずも無瞁ではな

ダンニョム合わせ調味料をできるだけ䜿 わないのも修行だ。それは、さらにおいしく したいずいう欲を捚おる行為だからだ。

26 KOREANA 倏号 2019


い。ひょっずするず、そのブヌムの䞭心に韓囜の粟進料理があ るのかもしれない。 寺の山菜料理は、実に倚皮倚様だ。ハリギリの新芜は、タ ンポポず共に僧䟶が春に奜んで食べる山菜だ。ケホ僧䟶が遞ぶ 春の倧山菜は、タラの芜、ペモギ、ハリギリの芜。ハリギリ の新芜は、匱たった胃の消化を助けお食欲をそそる。鉄分やア ミノ酞が豊富で、膝の関節にも良いずいわれおいる。 いくら食材が新鮮でも、ニャンニョム合わせ調味料が 良くないず、その味を生かせない。しかし、ケホ僧䟶のニャン ニョムは、幎ほど熟成させた醀油、ごた油、ごたの皮 類だけだ。調理法も極めおシンプル。䞋ごしらえしたハリギリ の新芜を茹でお、そのニャンニョムで和えるだけ。ケホ僧䟶は 「簡単に䜜れおこそ、質玠な生き方ができる。耇雑で煩わしい 調理法では、生掻も耇雑になる」ず蚀う。たた、ダンニョムを できるだけ䜿わないのも修行だ。それは、さらにおいしくした いずいう欲を捚おる行為だからだ。ただしケホ僧䟶は、䞀぀だ

2

け忘れおはいけない点があるずいう。 「煮物やチャンアチ酢や醀油の挬物を䜜る時は、最埌 にごた油を入れたすが、山菜を和える時は、ごた油を最初に入 れおください」 私たちは生きおいく䞊で、他人の冷たい蚀葉に傷぀いた り、思い通りにならなくお苊しんだりする。そうした時、それ ぞれの゜りルフヌドが食べたくなる。癒される物を食べるこず で、䜙裕が出おくるからだ。修行者であるケホ僧䟶にも、゜り ルフヌドがあるのだろうか。ケホ僧䟶は幌い頃、母が䜜っおく れたテンゞャンチゲ味噌鍋が時々思い出されるずいう。倧 豆を発酵させた味噌で䜜るチゲは、韓囜人の゜りルフヌドだ。

僧䟶の゜りルフヌド

「せっかくですから、テンゞャンチゲを䜜っおみたしょうか」 ケホ僧䟶の蚀葉に、皆の顔が明るくなった。銙しいタンポ

ポの葉のコッチョリ、ハリギリの新芜の和え物、カリッず仕䞊

3 ©接寛寺

がったチャンチンの新芜のプガクやチョンを味わっおいるず、 研究所は極楜のようだ。 「チゲの味は、どうですか。お寺で幎間熟成させた味噌 で䜜ったものですよ」 ケホ僧䟶のチゲは、普通よりも塩蟛くなく、平壌冷麺のよ うにあっさりずした味でおいしかった。ケホ僧䟶らの䌚話は、 たるでブッダ仏陀ず匟子のようだった。 「ケホ僧䟶が䞀番奜きな食べ物は䜕ですか」 誰かが聞いた。 「やはりスン゜僧笑ですかね」 ケホ僧䟶の衚情に、幌い僧䟶のような無邪気さず、少女の ような恥じらいが䞀瞬浮かんだ。「僧䟶を笑顔にさせる」ずい う意味の「スン゜」ずは、ククス麺類のこずだ。

1. 接寛寺で幎間熟成させた味噌でテンゞャンチゲ味噌鍋を 䜜るケホ僧䟶。ケホ僧䟶は、儀瀌食の䌝統を継承し珟代化した垫 のチングァン真芳僧䟶19282016から粟進料理の秘蚣を 受け継いだ。 2, 3. 氎陞斎氎陞䌚は、死埌の諞霊を救枈するための仏教儀 匏。朝鮮時代の初期から王宀によっお行われおきた接寛寺の氎陞 斎は、珟圚たで受け継がれおいる。その歎史が認められ、2013幎 には韓囜の囜家無圢文化財に指定された。

韓囜の文化ず芞術 27


特集 5 お寺の食事欲ず執着を捚おる道

茶で修行する 僧䟶の物語 叀くから寺院に䌝わる蚀葉に「茶飯事」がある。お茶を飲んだり、ご飯を食べるず いう意味だ。䞀般的には「ありふれた出来事」や「い぀もの事」ずいう意味で䜿わ れおいる。぀たり、お茶は食事ず同様に、寺院での日垞的な修行においお倧倉重芁 な意味を持っおいる。 パク・ヒゞュン 朎垌埈、韓囜茶文化孊䌚䌚長 安措範 写真

党矅南道・順倩スンチョンの曹枓山チョゲサンの麓にある仙巌寺 ゜ナムサ。その茶畑で茶葉を摘む僧䟶。仙巌寺は、韓囜で茶栜培の䌝 統を守っおきた数少ない寺院だ。

28 KOREANA 倏号 2019


韓囜の文化ず芞術 29


1

倚

2

くの人が暮らす寺院では、共同

に、人生の広さず深さを蟌めるのが「茶道」だずいえよう。

生掻に䞍䟿がないように芏則が

芖する韓囜の寺院では、党おの儀匏の䞭心にお茶

韓囜の茶文化の聖地

がある。䞀杯のお茶を䟛えるこずで朝の瀌拝を始

倧興寺には、そうした意味の名を持぀「䞀枝庵」がある。朝鮮半島の最南端

め、䞀杯のお茶で祖垫の呜日を蚘念する。これだ

に䜍眮する党矅南道・海南から海を芋䞋ろす庵。韓囜茶文化の䞭興の祖ずし

けでも、お茶が寺院文化の䞭心にあるこずが分か

お厇められるチョむ草衣犅垫17861866が、150幎ほど前に暮らし

るだろう。

おいた堎所だ。

ある。特に、犅による悟りを重

矜の鳥が空を飛んでも、䌑む時には本の枝で十分だ。頭茪山にある

寺院で茶事・茶瀌を叞る僧䟶は「茶頭」や

1830幎の春、お湯を沞かす火鉢の偎に座っおいたチョむ犅垫に、沙匥

「茶角」ず呌ばれる。たた、その堎所を「茶

若い修行者のスホン修措が「茶道ずは䜕か」ず尋ねた。チョむ犅垫

堂」、その時間を知らせる倪錓を「茶錓」ずい

は『茶神䌝』の文句を匕甚しお「お茶を䜜る時は、真心を蟌め、也かしおか

う。寺院の茶文化は、僧䟶がお茶を楜しむこずに

ら保存し、枅朔に保たなければならない。茶道はそのような真心、也燥、枅

留たらない。粟神的な領域である犅ず物質的な茶

朔を求める䞭で自然に完成される」ず答えた。『茶神䌝』は、枅の毛換文が

が䞀぀になっお、さらなる粟神的な䞖界「茶犅䞀

線纂した『䞇宝党曞』の「茶経採芁」からチョむ犅垫が抜粋した曞物。韓囜

味」を生む。それは、人類によっお生み出された

の茶文化の叀兞で、茶葉の採取から衛生管理たでたずめられおいる。

食文化の別倩地だ。日垞的に楜しむ䞀杯のお茶

30 KOREANA 倏号 2019

そしお1837幎の倏、ずある人物がチョむ犅垫に茶道に぀いお尋ねた。朝


3

1. ペペン劂然僧䟶は、朝鮮時代の埌期に韓囜の茶 道を確立したチョむ草衣犅垫の補茶方法ず粟神を 受け継ぎ、お茶を䜜っおいる。韓囜の珟代茶文化をリ ヌドしおきた第䞀䞖代の人物だ。

2, 3, 4. 緑茶釜炒り茶は、摘んだ茶葉を釜で炒り、 手で揉んだ埌、也燥させる過皋を床繰り返しお 䜜る。ペペン僧䟶の「般若茶園」は、党矅南道・海南 の倧興寺がある頭茪山の南の麓に広がっおおり、匟子 たちず管理しおいる。

4

お茶の味ず薬効を党お備えおいるず評し「茶道は、茶葉ず湯の調和によっお 䞭正䞭道に至る道」ず蚘しおいる。 䞀枝庵は、チョむ犅垫が1824幎に建おた埌、40幎ほど暮らし、その道を 修め䌝えた堎所だ。残念ながら、その死埌、庵は焌け萜ちおしたった。しか し、忘れ去られおいた䞀枝庵は1980幎、倚くの努力によっお埩元された。そ の䞀枝庵を18幎間守り、修行ずしおお茶の栜培・育皮、補茶に専念する僧䟶 がいる。ペペン劂然僧䟶だ。出家した海印寺で初めおお茶に接し、画家 のホ・ベンニョン蚱癟錬、18911977、独立運動家で僧䟶のチェ・ボム スル厔凡述、19041979など茶の倧家ず共に、韓囜の珟代茶文化をリヌ ドした第䞀䞖代の人物だ。特にチェ・ボムスル先生は、知恵を意味する「般 若茶」ずいう名をペペン僧䟶のお茶に授けた。 茶曞には䞀般的に、お茶を摘む時期は穀雚の頃月だず蚘されおい

鮮の第22代囜王・正祖圚䜍17761800の婿の

る。だが、チョむ犅垫は立倏の前埌月が最適だず考えた。韓囜は、䞭囜

ホン・ヒョンゞュ措顕呚、17931865だ。チ

の䞻な茶産地よりも緯床が高いため、茶摘みの時期も倉えたのだ。頭茪山の䞭

ョむ犅垫はその問いに答えお『東茶頌』を著し

腹で茶畑「般若茶園」を管理しおいるペペン僧䟶も、チョむ犅垫の志を受け継

た。その䞭で、韓囜で生産されるお茶は、䞭囜の

いで、穀雚が過ぎおから䞀番茶を摘んでいる。

韓囜の文化ず芞術 31


「お茶が心なら、茶噚は心を蟌め る噚だ。春の陜炎が揺らぐ茶碗を そっず傟けるず、晎れた竹林のよ うに私の心も青く染たる」

1. チョむ犅垫のお茶の䌝統を受け継いでいる倧興寺の䞀枝 庵で、お茶を入れる僧䟶。柄んだ氎を沞かしお、ちょうど 良い枩床にしおから、お茶を入れお茶碗に泚ぐ。そうした 過皋も、お茶の栜培に劣らず真心ず集䞭力が求められる。

1

般若茶共同䜓

海南の瀟䌚運動家が1996幎の春、ペペン僧䟶

2. 来蘇寺ネ゜サのテンプルステむ宿坊プログラム でお茶を飲む参加者。

する。そのようにお茶を䜜るペペン僧䟶は、䞀般の人たちの感芚を超えおい るように感じられる。

からお茶を孊ぶために「南荈茶䌚」を立ち䞊げ

ペペン僧䟶は、炒った茶葉を手早く冷たした埌、軜く揉む。茶葉を短時

た。䌚員はペペン僧䟶ず共に、お茶を通しお仏教

間で冷たせば、茶の色が青みを垯びる。茶葉を軜く揉むず、お茶がゆっくり

修行を行う茶文化生呜共同䜓を䜜り、1997幎には

出るため、䜕床も飲める葉茶になる。たた茶葉を軜く揉むず、圢がそのたた

茶園を開いた。それが般若茶園だ。2004幎には、

保たれ、お茶を飲みながら葉が開く様子も楜しめる。反察に、茶葉を匷く揉

般若茶園の䞀番茶で茶神祭を行った。茶神祭は、

むず、お茶の成分が䞀床に濃く出るため、䜕床も飲めない葉茶になる。ペペ

倩ず地、人ずあらゆる生呜が持぀因瞁を䞀杯のお

ン僧䟶は、茶葉を匷く揉むのは、韓囜のお茶の匊害だず考えおいる。たた

茶によっお確かめお感謝する行事で、今も続いお

「お茶を回蒞しお回也かす『九蒞九曝』は、19䞖玀頃に団茶を䜜った方

いる。

法なので、葉茶の補造方法ずしおは正しくない」ず考え、䌝統的な寺院の補

茶葉から緑茶釜炒り茶を䜜る工皋は、炒 る殺青、揉む揉捻、也かす也燥の順

茶法でもないず蚀う。さらに、お茶を也かす時は自然に任せるべきで、数字 や圢匏にこだわるず、補茶法の本来の原理を倱いかねないず話しおいる。

で行われる。炒る䜜業で重芁なのは、釜の枩床で

ペペン僧䟶は、補茶の珟堎や茶人ずのお茶䌚などで毒舌家ずしおも有名

はなく、摘んだ日の倩気や茶葉によっお氎分量が

だ。培底した反省がなければ、韓囜の茶文化を確立できないず考え、たるで

違うこずにあり、それぞれに合わせお補法を倉え

竹箆しっぺいを打぀ように接する。お茶の珟実を盎芖しお率盎に批刀す

おいる。䞻に䜜っおいるお茶は、薪火ず釜を甚い

る姿は、その手が䜜るお茶の柔らかくお深い味ずは違い、麻のように粗い印

る葉茶ず団茶だ。ペペン僧䟶も、茶葉の状態によ

象を䞎える。

っお様々な皮類のお茶を䜜っおいる。ペペン僧䟶

ペペン僧䟶は新茶を詊飲する時、小さな茶碗に茶葉を入れおお湯を泚い

のお茶は、囜内倖の茶産地を蚪れお、自ら身に付

だ埌、しばらく埅っおから䞀口飲む。韓囜で「涙茶」ず呌ばれる方法だ。茶

けた補茶法をたずめた成果だ。茶葉の状態に合わ

葉にお湯を泚いだ瞬間、立ち䞊る銙りず葉の色によっお、茶碗に緑の颚景が

せお、最適な方法で火を加枛しお炒る時間を調節

広がる。お茶の銙りは、ほのかに乳飲み子のようで、色は淡い黄緑色、味は

32 KOREANA 倏号 2019


柔らかく爜やかだ。埌から感じられる甘味に思わず目を閉じ、口ず䜓に降り

もしお茶がなかったなら、私はペペン僧䟶に

泚ぐ春の日差しを感じる。その境地に぀いお、茶人は「䞇千の毛穎が開

出䌚えなかっただろう。ペペン僧䟶も、違った人

くようだ」、「䞡脇から矜が生えたようだ」ず衚珟する。

生を歩んでいたはずだ。お茶のおかげで、自分を

お茶で結ばれた瞁

芋぀め盎し、しばしの䌑息もできる。それこそ、

ただお茶を䞀緒に飲むため、私が仁寺掞に堎所を蚭けたのは1977幎のこ

界ではないだろうか。い぀も楜しくご飯を食べ

ずだ。玄40幎間、毎幎春になるず、今幎はどんな新茶に出䌚えるだろうかず

お、お茶を飲み、今を生きる人生。ペペン僧䟶の

茶畑に駆け付けた。薄墚色の僧衣を着た僧䟶が、釜の前で枟身の力を蟌めお

般若茶が投げかける問いだ。

茶葉を炒る姿は、い぀芋おも矎しくお厳かだ。

お茶が䞎えおくれる般若悟りを埗る知恵の䞖

ペペン僧䟶は、叀垌70歳を迎えた時、呚

ずある幎、咲き遅れたダマザクラが舞い散る宝城の倧韓茶園。その池の

りから勧められお自分の茶道具の展瀺䌚を開い

ほずりで茶葉を炒る僧䟶の姿が目に入った。ペペン僧䟶だ。明星が茝く明け

た。2017幎の秋に開かれた展瀺䌚のタむトルは

方、露に掗われた茶葉を摘んで釜で炒っおいた。茶葉を摘む時、釜に入れる

「ペペン僧䟶の茶道具」。圓時、ペペン僧䟶が展

前、釜で炒る時、茶葉を也かす郚屋に入った時、䜓を包み蟌むお茶の銙り

瀺䌚の図録に曞いた前曞きには、お茶に寄せる心

は、毎幎お茶を䜜りたいずいう淡い倢を抱かせおくれた。

がよく衚れおいる。

私がペペン僧䟶ず再䌚したのは1986幎、台湟の有名な䞭囜茶喫茶「陞矜

「お茶が心なら、茶噚は心を蟌める噚だ。お

茶芞䞭心」だった。台湟の茶人ずお茶を飲みながら話しおいるず、聞き慣れ

湯を沞かしながら、月の光が降りそそぐ静かな山

た声が聞こえおきた。振り向くず、ペペン僧䟶が立っおいた。スリランカか

の束颚に耳を傟け、お茶を淹れるず、私の心は小

ら韓囜に垰る際、費甚のため乗り換えが必芁な安䟡なチケットを利甚し、そ

川に沿っお歩いおは、岩に腰かける。春の陜炎が

の合間に台湟茶を味わいに来たずいう話だった。私がペペン僧䟶ず共に茶畑

揺らぐ茶碗をそっず傟けるず、晎れた竹林のよう

のある河東、宝城、康接、長興、金海、枈州など韓囜各地を蚪れた時も、海

に私の心も青く染たる」。

を枡っお日本ず䞭囜の茶文化の名所を巡った時も、ペペン僧䟶のかばんには

私には、竹の葉に舞い降りた心が芋えた。

垞にお茶ず茶碗が入っおいた。

2

韓囜の文化ず芞術 33


フォヌカス

南北共同の人類無圢遺産 「シルム」

氞い歎史をも぀民俗競技であり囜家無圢文化財のシルムが2018幎、史䞊初めお南北共同でナネスコ 無圢遺産に登録された。今埌、南北関係改善のための新たな突砎口になるものず期埅される。 パク・ホンスン 朎匘淳、フリヌラむタヌ

34 KOREANA 倏号 2019

1 パク・ホンスン提䟛


ルムは日本の盞撲に䌌た䌝統的な栌闘技で、

シ

ずなっおきた「尊い朚」だ。この朚は生呜の源泉であり、倧地

察戊する盞手の腰ず足にかけた垃のサッパを

ず倩を぀なぐ通路であり、朚の䞊に止たっおいる鳥はこの䞖ず

掎んだずころから闘い始める点が、日本の盞

あの䞖を぀なぐシンボルだ。そのような朚の暪でシルムをずっ

撲ずは違う。手ず足、腰など䜓党䜓の筋肉ず技を駆䜿しお盞手

おいるずいうこずは、シルムがスポヌツを超えお瀟䌚的な儀匏

の膝より䞊を先に土俵に぀けた方が勝぀。匷い筋力ず瞬発力、

ずなっおいたこずを物語っおいる。それに朚の䞋にいる熊ず虎

持久力が芁求され、倚様な手、足、腰の技ず匷靭な粟神力を必

は朝鮮半島の建囜神話に登堎する動物だ。すなわち、シルムが

芁ずする。

民族のアむデンティティず関係があるこずを瀺しおいる。シル

韓囜人にずっおシルムは単なる䌝統スポヌツにずどたらず

ムは角抵塚だけでなく、いろいろな叀墳壁画に登堎しおいるこ

それ以䞊のものだ。昔から季節の倉りに目に村人が参加した

ずから芋お、王族や貎族など䞊流階局に人気のあったこずが分

り、芋物する代衚的な民俗遊戯だったからだ。即ち、旧正月

かる。そうかずいっお特定の階局だけの文化ずいうわけでもな

や秋倕旧暊の8月15日に人々の興をあおるための遊びだっ

かった。壁画に描写されたシルム遞手たちの姿に貎族の服装や

た。よっお村でシルム倧䌚が開かれるずいうこずは、本栌的な

髪食りのようなものは芋えないずいう点から、䞀般庶民にも広

祝祭の始たりを告げる合図でもあった。

祭りのはじたり

シルムはいろいろな偎面で、個人の技量や嗜奜を超えお瀟

䌚的・集団的な意味合いを持っおいる。それで20䞖玀前半の、 囜を倱い囜民みんなが苊痛にあえいでいた時期にも、力匷い生 呜力を維持するこずができた。圓時は党囜的芏暡のシルム倧䌚 がカ月に枡っお開かれるこずも珍しくなかった。怍民地統治 の末期、日本の匟圧で䞭断されるたでシルムは民族の独自性ず アむデンティティを維持するのに䞀助しおいた。

1. 䞭囜吉林省集安にある高句麗時代䞖玀前半の叀墳・角抵塚壁 画䞀郚ず、珟圚のシルム遞手の動䜜は同じだ。シルムに関しお珟 存する最も叀い蚘録だ。 2.「シルム」『檀園 颚俗図垖』 金匘道、18䞖玀、玙に氎墚淡圩、26.9 × 22.2 ㎝

朝鮮埌期、図画眲の画員だった金匘道が描いた颚俗画の䞭でも代衚的 な䜜品。䞡班ず庶民、倧人ず子䟛が共にシルム競技を楜しんでいる堎 面だ。臚堎感あふれる構図で人物の衚情や仕草が、生き生きず描かれ おいる。

解攟埌、南ず北に別れおしたった埌も双方で䞻芁䌝統遺産 ずしお、その呜脈が今日たで受け継がれおきた。韓囜では政府 暹立以前から党囜䜓育倧䌚の正匏皮目に採択され、今も毎幎、 党囜および地方単䜍の各皮シルム倧䌚が開かれおいる。昔に比 べれば少なくなったずはいうものの、䟝然ずしお孊校のシルム 郚はもちろん、地域や䌁業を代衚するシルムチヌムで倚くの遞 手が掻動䞭だ。䞀方北朝鮮でも毎幎秋倕に党囜的なシルム倧䌚 が開かれ、陰暊月日の端午節には村単䜍のシルム競技が、 月日の囜際児童節には少幎シルム倧䌚が䟝然ずしお囜家の 重芁行事ずしお実斜されおいる。 シルムに察する最も叀い資料は、高句麗BC37AD668 叀墳の角抵塚壁画に芋るこずができる。珟圚の䞭囜吉林省集 安、昔の高句麗の領土にあるこの叀墳の壁画に描かれたシルム 遞手たちは、盞手のサッパを掎んで肩を合わせたたた、腰を少 し屈めおおり、その姿勢は珟圚の競技方匏ず違わない。叀代 の競技方匏が原型をずどめたたた珟圚たで続いおいるこずにな る。しかし、シルムが正確にい぀から始たったかはわからな い。ただ䞖玀初めに壁画に盞圓な比重で描写されおいるこず から芋お、それよりもはるか以前から楜したれおいたこずが分 かる。

に登堎する朚は、掋の東西を問わず叀代瀟䌚で広く厇拝の察象

2

© 囜立䞭倮博物通

特にこの壁画は、叀代韓囜瀟䌚でシルムが単玔な遊びや運 動競技以䞊の意味を備えおいたこずを教えおくれる。絵の巊偎

韓囜の文化ず芞術 35


もし、南北の人々が共に参加する定期的な倧䌚 開催に぀いお合意できれば、それこそ平和ず和 解に向かうたたずない䞀歩ずなるだろう。

庶く愛されおいたものず掚枬される。 代衚的な叀代の歎史曞『䞉囜史蚘』1145によれば、

共同䜓の連垯

18䞖玀朝鮮時代の画家キム・ホンド金匘道の颚俗画

朝鮮半島の支配をめぐり高句麗ず争った新矅の王族キム・チ

「シルム」も、身分や幎霢に関係なく瀟䌚構成員が䞀぀になっ

ュンチュ金春秋ず貎族のキム・ナシン金废信が、シ

たシルムの瀟䌚的な機胜をよく瀺しおいる。シルムを描写した

ルムをしお䞊着の玐が切れおしたったずいう蚘述が出おく

昔の絵の䞭で、韓囜人に最もよく知られおいるこの絵は、勝敗

る。『高麗史』1451には14䞖玀の初・䞭盀になっお、王

の決定的な瞬間を生き生きず描いおいる。絵の䞭の向こう偎の

をはじめずしお臣䞋や歊士や倚くの人々がシルムを楜しんだ

遞手は足を掎たれたたた、手の技を利甚しお盞手の遞手を倒そ

ず曞かれおいる。この時期の朝鮮半島がモンゎル垝囜の支配

うずしおいる。䞀方、手前の遞手は盞手の䜓を持ち䞊げお腰の

䞋にあったずいう点も泚目する必芁がある。民俗固有の䌝統

力を利甚しお砂の䞊に倒そうずしおいるように芋える。呚りを

遊戯を通じお内郚のアむデンティティず団結力を匷化しよう

ぐるっず取り巻く芋物人も非垞に面癜い。身分制床の厳栌な時

ずいう意図が窺える郚分だ。

代に䞡班ず平民、倧人ず子どもが入り混じっお共に競技を楜し

1

1. 2015幎9月平壌のシルム競技堎で開か れた「第12回倧黄牛賞党囜民俗シルム 競技」で優勝したチョ・ミョンゞン遞手 が、黄牛にたたがり喜んでいる。 2. 2018幎11月26日、安東宀内䜓育通で 開催された「倩䞋壮士シルム倧祝祭」 で、䞀組の遞手が熟烈な競技を行っおい る。この日、モヌリシャスで開かれた無 圢文化遺産の新芏登録を審査するナネス コの政府間委員䌚で、シルムの南北共同 登録が決定された。

© 連合ニュヌス

36 KOREANA 倏号 2019


2 © 連合ニュヌス

む姿が異色だ。

政治的・軍事的な察立を続けおきたので、瀟䌚制床や運営方匏

2018幎11月26日、モヌリシャスで開かれた無圢文化遺産の

では盞圓な異質的芁玠が広がっおいる。このような状況でのシ

新芏登録を審査する囜連教育科孊文化機関ナネスコの政府

ルムの登録は栌別な意味をも぀。䞀぀の民族ずいう挠然ずした

間委員䌚で、24の委員囜の党䌚䞀臎でシルムの南北共同登録が

連垯感を超えお、各構成員が同質感を抱き、和解の過皋に具䜓

決定された。正匏名称は『シルム、韓囜の䌝統レスリング』

的に参加する実質的な契機ずするこずができるからだ。もちろ

(Traditional Korean Wrestling, Ssirum/Ssireum)だ。これで

ん過去にも卓球や青少幎サッカヌ、アむスホッケヌなどの皮

韓囜はナネスコ無圢文化遺産20件、北朝鮮は件を保有するこ

目で南北統䞀チヌムを構成しお囜際倧䌚に参加したこずはあっ

ずになった。

た。しかしこのような詊みは、特定倧䌚を念頭においた䞀時的

登録過皋でも前述したように、シルムの瀟䌚的な意味ず南 北双方の地域で共に1600幎にわたり、原型そのたたに受け継が

な行事であり、勝負以倖の情緒面での共有䞍足ずいう限界のあ る、䞀過性のむベントに過ぎなかった。

れおきたずいう点などが認められた。ナネスコ無圢遺産委員䌚

すでに南北圓局ず䜓育団䜓の間で、今埌共同で開催できる

は「南北シルムが䌝承様盞、共同䜓に察する瀟䌚的・文化的意

シルム倧䌚に関する議論が行われおいる。もし、南北の人々が

味から共通点がある」ず評䟡した。共同登録の背景ずしお「平

共に参加する定期的な倧䌚開催に぀いお合意できれば、それこ

和ず和解のための芳点」だず蚀及しおいる点も泚目に倀する。

そ平和ず和解に向かうたたずない䞀歩ずなるだろう。どうか速

シルムが南北間の察立ず葛藀を緩和させ、平和ず和解のための

やかに南北の各地域で誰もが参加できる予遞競技が開かれ、広

道を開くのに積極的な圹割を果たすずいう意味だ。

域地域の優勝者同士が党囜倧䌚で最終的に闘うずいう倧きな行

象城的な歩み

事が開かれればず思う。さらにはシルムを、䞖界の人々が楜し

韓囜ず北朝鮮は互いに盞反する瀟䌚䜓制をもち、70幎以䞊

める遊戯・スポヌツにするための共同の努力も行われるこずを 期埅する。

韓囜の文化ず芞術 37


むンタビュヌ

癜南準の䜜品蚭眮の専門家む・ゞョン゜ンさ んが、2010幎仁川束島Tribowlに展瀺された 『200』の前に座っおいる。1991幎に補䜜 されたこの䜜品は、暪9.6、瞊3.3の倧型ビ デオりォヌルで、合蚈94台のモニタヌで構成 されおいる。 © ニュヌスバンク

38 KOREANA 倏号 2019


「ナム・ゞュン・パむクの手」 ず呌ばれる男 䞖界的なビデオアヌティストのナムゞュン・パむク癜南準が他界し十䜙幎になるが、今も圌の䜜 品の保存・管理に勀しむ人がいる。゜りル䞖運電子街で電気修理店を営むむ・ゞョン゜ン李正成 さんは、癜南準に出䌚っお専埓の゚ンゞニアずなり、やがおかけがえのない協力者ずしお、アむデア メむトずしお共に仕事をするようになった。 むム・ヒナン 林熙最、東亜日報文化郚蚘者 蚱東旭 写真

侖

界最初のビデオアヌティスト、ナムゞュン・

私の最初の仕事は、釜山にいた䞋の兄の真空管ラゞオ工堎から

パむク癜南準の隣にはむ・ゞョン゜ン

はじたったんです。

李正成さんがいた。このコンビの始た

りは、1003個のテレビ受像機を積み䞊げた䜜品『倚々益善』

むムラゞオからテレビに ゜りルにはい぀来たんです か

オ蚭眮䜜品にテレビ蚭眮技術者ずしお加わり、共に䞖界䞭を飛

む小さい頃から兄のラゞオが倧奜きでした。垃団をかぶ っお倜通し聞いおいたものです。しかしバッテリヌの倀段が高

び回った。そしおその間に、圌はだんだんず技術者以䞊の存圚

くお、兄からい぀も怒られおいたした。ラゞオが珍しくお、぀

ずなり、癜南準の協力者でありアむデアメむトずなっおいっ

いにはその蓋を開けお䞭をのぞいおみるこずを芚えたした。家

た。癜南準の頭脳は「む・ゞョン゜ンの手」ずいう翌を぀け、

族には「これを勉匷しおみる」ず告げたした。姉が゜りルで䞀

む・ゞョン゜ンの手には「癜南準の頭脳」があったので飛び立

郚屋間借りしお䜏んでいたんですが、「瞁偎で寝るからご飯だ

぀こずができたのだ。

け食べさせお」ず頌みこみたした。そうしお乙支路街の囜際

1988だった。それからの18幎の間、李さんは癜南準のビデ

む・ゞョン゜ンさんに䌚うために、゜りル鍟路区枅枓川路

テレビ孊院に通い始めたのが、18歳の頃でした。孊院卒業埌、

にある䞖運電子街を蚪れた。階にある事務所兌の䜜業宀に圌

䞖運電子街で働くようになりたした。その頃はただ䞀般の家庭

はいた。叀びたテレビずテレビの郚品が無造䜜に眮かれた棚、

にはテレビがありたせんでした。KBSテレビが出来る前のこず

癜南準に関する曞籍が䞊び、瞊に長く䌞びた曞架、その先に圌

です。お金持ちの家ではアメリカ軍の攟送を芋ようずテレビを

の机が眮かれおいた。『倚々益善倚いほどよい』を組み立

買っおいたした。私はそんな家を盞手にテレビの蚭眮ず修理の

おたその手が、私の手をぎゅっず握り締めた。

仕事を始めたした。

信頌の始たり

むム・ヒナンい぀からここで働いおいるんですか

む・ゞョン゜ン䞖運電子街は1968幎に完工したしたが、 私は1961幎からこの街にいたした。その頃は宗廟前から退枓路

むム 癜南準さんず出䌚ったきっかけは

むその前にこの話からしなくおはなりたせん。韓囜で 家電博芧䌚が初めお開かれた幎が1986幎です。今の䞉成掞 COEXのあるずころで゜りル囜際貿易博芧䌚が開かれ、䞉星ず

たで、䜕ブロックにもわたっおバラック小屋が続いおおり、そ

 の競争が熟烈をきわめおいたした。オヌプニングでい

こに叀物や電子郚品を扱う商店ず䜜業堎が集たっおいたした。

かに画期的な展瀺をするかをめぐり、互いに培底した保安䜓

韓囜の文化ず芞術 39


制のもずで頭脳を競っおいたした。圓時䞉星偎から私に「T V

ず思っおいた」ず打ち明けおおられたした。そしおこう蚊ねら

w a l l」(壁内配線の壁掛けテレビ)の蚭眮を䟝頌しおきたし

れたんです。「ニュヌペヌクで䜜品を䞀぀創らなければならな

た。短時間に528台のテレビを完璧に積み䞊げたした。その

いんだが、出来るかい」ず。私は「ええ。はい、やりたしょ

埌、゜りルの䞉星電子の䞻芁代理店のディスプレむは、すべ

う」ず答えたした。それが1989幎ホむットニヌ矎術通に蚭眮し

お私に䞀任されたんです。

た䜜品『䞖玀末Ⅱ』でした。

そしお1988幎になりたした。癜南準先生が『倚々益善』を

それを蚭眮した埌に今床は、癜先生は私を蚀葉も通じない

創るために技術者を求めお、探し回った挙句に䞉星の仕事をし

スむスに掟遣したんです。テレビ80台を週間で蚭眮しなくお

おいた私に連絡が来たんです。「1003台の仕事をしおくれない

はならない䜜業でしたが、倧きな郚品カバンのせいでチュヌリ

か」ず蚀うんです。「いいですよ」ず答えたした。「528台も

ッヒ空枯では皎関員ず身振り手振り、韓囜語でやりあいたし

出来たのだから、二倍に増やすのもできないわけがない」ず考

た。矎術通偎ず協議しお閉通埌たで䜜業時間を延長しおもらい

えたんです。その時たで癜南準先生がどんな人物で、これに倱

たした。そしお日もかからずに䜜業を終えお、芳光たでしお

敗したら䞖界的に倧恥じをかくなどずいうこずは党く知りたせ

垰っおくるず癜先生は私の床胞ず臚機応倉さを芋お、完党に信

んでした。無知ほど勇敢なものはないず蚀いたすでしょう

頌しおくれるようになりたした。

か

意芋亀換

だよ」ず䞀蚀蚀い残し、アメリカに垰っおしたいたした。信じ

のための意志の疎通に問題はありたせんでしたか

むムそれで『倚々益善』の䜜業は順調に進んだんです む癜先生は私に1003台を蚭眮するようにず呜じお「頌ん

るずきには無条件で信じる、そんな思い切りの良い人でした

むム癜先生は芞術家で、む先生は技術者ですよね。䜜業 む癜先生ず私の間には正匏な図面などずいうものはあ

ね、あの方は。圓時倧芏暡なテレビ蚭眮で最も倧きな課題は、

りたせんでした。二人でレストランやカフェで倚くの時間を

映像分配噚をどのように準備するかでした。日本にもテレビ

過ごしたした。䞖界のどこに行っおも、䜕時間でも座っお蚎

台を連結する分配噚しかありたせんでした。しかも個が500

論をしながら、レストランのナプキンやテヌブルクロスにア

ドルもする高䟡なものでした。それで分配噚を自分で䜜り始め

むデアをスケッチしたりしたした。時にはL Pレコヌドの袋

たんです。その結果、玄束した生攟送の日時に1003台を完党に

や、タバコの包み玙にも曞きたした。子䟛の萜曞きのような

䜜動させるこずができたした。気分は最高でしたね。癜先生も

絵ず字がたるでスパむの乱数祚のようでしたが、私さえ分か

驚かれたようです。埌に韓囜に来お「正盎、半分動けば十分だ

ればよいのですから。

1

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「あの時、フランスのカフェで話したや぀。あれやっおみ ようか」「ニュヌペヌクで話したや぀。あれ䞀床やっおみよ う」。こんな颚に䜜品がはじたりたした。アニメヌションむメ ヌゞをビデオ映像ず䞀緒にディスプレむした『メガトロン』 1995のアむデアもそんな颚に生たれたした。パリのポンピ ドゥヌセンタヌで展瀺が終わりレセプションの日でした。我々 二人は、ポンピドゥヌセンタヌ広堎で身䜓の調子が悪いず蚀い わけをしお倖に出たした。その足でモンパルナス駅の近くのカ フェに行き、䞀番良い垭に座りたした。その垭からは圓時ペヌ ロッパ最倧芏暡の倧型ネオン広告を䞀目で芋るこずができたし た。り゚むタヌにチップたで枡しおずった窓蟺の垭でした。二 人で座っお窓の倖を芋ながら、あれを䜜品にしようず構想した した。

むム先生は技術者ですよね。圓時芞術界でも远い぀けな かった癜先生の芞術䞖界を、どのように理解されたのですか

むでは逆にお聞きしたす。ピカ゜の絵が分かりたすか。芞 術䜜品を受け止めるのに正解はありたせん。人々がその䜜品をな ぜ奜きなのか、気にするこずもありたせん。ただ「面癜い」「き れいだ」ず自ら感じればよいのです。最初は私も癜先生に蚀われ るがたたに受け身的に䜜っおいたした。しかしい぀からか、私も 虚心坊懐に自分のアむデアを先生に提案するようになりたした。 「先生、これを远加したらもっず面癜いず思うのですが、どうで しょう」ず蚀うず、癜先生は「やあ、なぜもっず早く蚀わないん だ」ずおっしゃいたした。その時には「ああ、こんな颚に話をす れば自分のアむデアにも耳を貞しおくれるんだ」ず思ったもので

5 む・ゞョン゜ン氏提䟛

1. 1994幎゜りルの事務宀で、む・ゞョン゜ンさんず共に 『メガトロン』の初期バヌゞョンを詊隓しおいる癜南準 。 む・ゞョン゜ン氏提䟛

2. 1993幎ノェネツィア・ビ゚ンナヌレに出品された䜜品の 図面。ドむツ通代衚ずしお参加した癜南準は、最高の栄誉で ある金獅子賞を受賞した。 3. 癜南準がむ・ゞョン゜ンさんにプレれントした絵。

4. パリのモンパルナス駅近くのカフェで、癜南準がテヌブ ルクロスに描いた『メガトロン』のコンセプト図面。『メガ トロン』1号はワシントンのスミ゜ニア博物通、2号は゜りル 垂立矎術通、3号は゜りルの゜マ矎術通にそれぞれ所蔵され おいる。 5. 2018幎、䞊海の HOWアヌトミュヌゞアムで開かれた「癜 南準・ペれフ・ボむス芋者の手玙展」に展瀺された䜜品の 䞀぀『Tower』2001幎。む・ゞョン゜ンさんが2週間ほ どかかっお䜜品を蚭眮した。

す。展瀺堎の環境ず技術的な限界を考えた私のアドバむスを、癜 先生は積極的に受け止めおくれたした。 そんな颚に、自由に意芋亀換をしお芞術䞖界に䞀緒に螏み 蟌んでいきたした。たた、倖囜に䞀緒に行った時などは、たい おい倜通し話をしたした。たずえばニュヌペヌクのコリアタり ンに行けば、癜先生は食堂で人甚のテヌブルを予玄するんで す。二人で行っお食事を人分泚文しお、午前時た で話し蟌むんです。癜先生は䞻に正午に起きお倜仕事をするの が日課だったので、午前時や時でも目がらんらんず茝いお いたした。

むムどんな話をそんなにたくさんしたのですか 癜先 生はどんな方でしたか

む話題がぜんぜん倉わるんです。自分の同窓生がどんな 暮らしをしおいるか、韓囜政治がどうなっおいるか話しおい お、突然「パク・キョンリ朎景利先生の小説『土地』のあ らすじは」ずいう具合です。癜先生は韓囜の状況に察しお博識

韓囜の文化ず芞術 41


でしたが、新聞の隅から隅たで読んでいたからです。あの方の

笑いされるず思いたす。䞀角では撀去しおしたおうずいう意芋

実力は新聞から出おきたず蚀えたす。ニュヌペヌクタむムズ、

もあるようですが、そんなこずをしたら囜際瀟䌚から物笑いの

ワシントンポストから韓囜のいく぀もの新聞たで䞀抱えにし

皮にされおしたうでしょう。

んの新聞にいちいち党郚目を通しおいたした。

むム癜先生の䜜品を管理する仕事も倚いですよね。それ 以倖には最近は䜕をされおいたすか

保存ず埩元

垂立矎術通の『フラクタル巚亀船』1993にも手を入れおき

お、毎日先生のお宅に持っおいくのも私の仕事でした。たくさ

むム京畿道果川の囜立珟代矎術通の『倚々益善』の電気 が切れお動かなくなっおだいぶ経ちたす。モニタヌの亀換を含

むしばらく前には、慶州にある䜜品『108番脳』 1998がひどく砎損しおいたので週間かけお埩元し、倧田

たした。最近ではニュヌペヌクのホむットニヌ矎術通に行き

めた埩元方法をめぐり矎術界でいろいろな意芋が出おおり、状

『䞖玀末Ⅱ』の補修䜜業を終えおきたした。それ以倖には、若

況が停滞しおいたすが。

いアヌティスト志望の若者にアドバむスをしたり、時には講矩

むいろいろな方法がありたす。䞀぀目はブラりン管の亀 換です。しかし実行するのは非垞に難しい案です。高さ19の ピラミッド型だからです。支持台ず足堎を立おるこずからが倧 倉です。私が勧める方法は叀いブラりン管をLCDに亀換するこ ずです。しかし平面LCDに倉えるずブラりン管のも぀原䜜の曲

もしたす。今幎の秋頃に、䞭囜の南京で倧芏暡な癜南準展を開 くので、その仕事もしなくおはなりたせん。たた、先生のアヌ カむブの敎理にも心血を泚いでいたす。

むム ナヌチュヌブの時代ですね。この時代の癜南準ア ヌトをどんな颚にご芧になりたすか

が。メディアアヌトにおける䜜者の粟神は、ハヌドりェアヌで

む画期的な䜜品を創ろうず先生は借金をしお回ったもの ですが、珟圚の技術力ならば本圓に面癜い䜜品をたくさん創ら

はなく゜フトり゚アヌにあるのではないでしょうか。゜りル垂

れたこずでしょう。晩幎にはテレビアヌトをやめおレヌザヌア

立矎術通の『゜りルラプ゜ディヌ』2001は平面です。癜先

ヌトをしようずされたしたが、費甚が高すぎたした。軍需甚の

生が『倚々益善』を䜜ったずきはブラりン管が良くお䜿ったの

レヌザヌをやっず䜿う皋床でしたから。もし癜先生の時代にレ

ではなく、圓時はそれしかなかったので仕方なく䜿ったので

ヌザヌずLEDが掻性化しおいたら、私たちは癜南準をもう䞀人

す。ですから原䜜を傷぀けるずいう意芋には同意できたせん。

手に入れおいたこずでしょう。

線を壊すずいう意芋がでおいたすね。私はそうは思いたせん

そんな論理ならば絵画䜜品の埩元も反察すべきです。ミラ ノのサンタ・マリア・デッリ・グラッツ゚聖堂にあるダビンチ

むム今も癜先生ず䜜業をしたずきのこずを思い出したす か

再び描いたのではありたせんか。だったらあの䜜品にも手を぀

むもちろんです。䞀介の技術者だった私が癜先生ず出䌚 い䞀緒に芞術䜜業をしたのですから、思う存分生きおきたし

けるべきではなかったはずです。 生前癜先生にたずねたこず

た。実は月に、回は今でも倢で癜南準先生に䌚い、䞀緒に

がありたした。「テレビが故障したらどうするんですか」ず。

䜜業をしおいるんです。党く新しい䜜業をです。倢の䞭では昔

するず「その時にはよく映るテレビに倉えればいいよ」ずおっ

の䜜業をするこずはありたせん。い぀も新しいものを远及しお

しゃっおたした。たぶん今の状況を癜先生がご芧になったら倧

いた癜先生の頑固さは、未だ健圚ずいうこずでしょう。

の『最埌の晩逐』も茪郭線だけ残っおいたのを数幎にわたっお

生前に癜先生にたずねたこずがありたした。 「テレビが故障したらどうするんですか」 ず、するず「その時にはよく映るテレビに倉 えればいいよ」ずおっしゃっおたした。

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゜りルの䞖運電子街にあるむ・ゞョン゜ンさんの䜜業宀は、圌が収集し た叀いテレビず電子郚品でいっぱいだ。癜南準の脳は「む・ゞョン゜ン の手」ずいう翌を぀け、む・ゞョン゜ンの手は「癜南準の脳」があった ので飛び立぀こずができたのだ

韓囜の文化ず芞術 43


文化遺産の継承者

氎ず火ず空気で ホミを䜜る鍛冶屋 1

いく぀かの山脈が連なる高原の小さな郜垂栄州で、鍛冶屋䞀筋に半䞖玀も歩んできた゜ク・ノギ 昔基さん。最近、圌の䜜るホミ鍬が、アマゟンやむヌベむeBayなどの海倖サむトで 倧きな人気を埗おいる。西掋のスコップよりも「ㄱ」字圢の刃をも぀ホミの方が、はるかに䜿い勝 手がよく、䟿利だからだ。 カン・シンゞェ 姜信哉、フリヌランサヌ 河志暩 写真

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「最

初はアマゟンでたくさん売れおいるずい うので、アマゟンのゞャングルで韓囜の おばさんたちが団䜓で、ホミで地面を鋀

1

いおいるのだず思いたした」。 ゜ク・ノギさんの知っおいるアマゟンは「熱垯雚林」がす べおだった。自分のホミ鍬がアマゟンドットコムの園芞甚 品のトップ10に名前が䞊がり、アマゟン遞定補品アマゟンズ ・チョむスに遞ばれた埌、圌は熱垯雚林よりももっず倧きく 深いアマゟンがあるこずを知った。たた、そこを通じお自分の 鍛冶屋で䜜ったホミが、昚幎だけで2000個も党䞖界に散らばっ

2

おいったこずも。 圌は「栄州テゞャンガン」のロゎの぀いた、片手鋀の䞀 皮であるホミを眺めながら蚀った。しかし、それがどれほど 砎栌な「事件」なのかは、䟝然ずしおよく分かっおいない様 子だった。

それで「ホミ職人」ずしお知られる、鍛冶屋歎52幎目の鍛

「倖囜では家ごずに庭園の手入れをしたすが、スコップや

冶屋の倧将に察する気持ちは、鍛冶屋に行く前から耇雑だっ

熊手のように掻くだけのものがあり、ホミのように「ㄱ」字に

た。圌はホミに䜕を芋るのか。ホミを叩いお、敎えながらどん

曲がっおいる道具自䜓がないず聞きたした。それでホミが䟿利

なこずを考えおいるのか。氎、火、空気、鉄のすべおず気持ち

だったみたいだね。スコップのように土が刃の䞊に぀くこずも

を通じおこそホミ䞁を生み出すこずのできる鍛冶屋の䞖界

なく。力を少し加えるだけで土を掘り起こすこずができるから

を、どのように受け止めおいるのか。

ね」。

人によっお違うホミの䜿い道

「韓囜型の園芞道具」

韓囜のホミが囜倖にでおどこか他囜の土を敎えおいるずい

う話は、少なくずもホミを握った母の手を蚘憶する䞖代にずっ

「このたた䜿うず土が前に行っおしたいそうなので 。真

ん䞭をこのようにちょっず広げおくれたせんか。先も尖るよう にもっず䌞ばしおください」。

おは、感嘆詞だけでは枈たされない話だ。ホミは、玠手で田畑

鍛冶屋の棚からホミを遞んで、じっくりず芋おいたお客が

を耕したこの地のすべおの蟲家にずっお、無くおはならない蟲

゜クさんに蚀う。尖った䞉角圢の刃の真ん䞭をもう少し広げ

具だった。朝早くから田畑に出お、倜が曎けるたでホミを手か

お、刃の先をさらに尖らせお欲しいずいう泚文だった。゜クさ

ら攟さなかったこの囜の母たち。ホミで土の塊を掘り起こし、

んは手銎れたもので、ホミを受け取るず窯火の前に行った。火

その幎の苗を怍え、その穀物の成長を劚げる雑草を刈り取っ

を぀けおふいごをたわしお颚の道を開くず、炎が起きはじめ

た。土深く突き刺した刃先で䜜物を収穫し、土をそっず敎えお

た。火花をしばらくじっず眺めおいた圌が、ホミを窯火に抌し

畑の畝を掘ったり、埋めたりした。

入れお蚀った。

ホミの䜜業は、胞や背䞭を起こしたたたではできない䜜業

「人によっお道具を䜿う習慣が違うでしょう。同じホミで

だ。ホミを手に土ず向き合うには、力を抜いお背䞭を曲げお倧

同じ土を掘り起こしおも土の塊が違った圢に掘り起こされるで

地に向かい合う。母の曲がった背䞭の腺はホミの線ず䌌おい

しょう。それで自分のスタむルに合わせお新品でもこのように

る。曲がったような、起こすこずができないような悲しく䞞た

手盎しするんです。ここは䜜った品を売るだけの荒物店ずは違

った背䞭。その背䞭が䌑みなく田畑を耕しおきたのだ。

いたすから」。

1. 慶尚北道栄州にある「栄州テゞャンガン」の䞻人、゜ク・ノギさんが 熱い鉄をハンマヌで叩いお、ホミの刃を䜜っおいる。14歳から鍛冶屋の仕 事を始めた゜クさんは、23歳になった幎に栄州駅近くにこの鍛冶屋を぀く り、これたで43幎間運営しおきた。 2. ゜ク・ノギさんが䜜る様々な倧きさず圢のホミ。お客の求めに応じお ホミの圢態を修繕するこずも倚い。

韓囜の文化ず芞術 45


窯火を芋぀めおいた圌の目぀きがしばし倉わったず思った ら、圌の手はニッパヌを握っおホミを取り出した。真っ赀に燃

る。火を掞察しお鉄を倉圢させるずいうこずは、颚たで扱うこ ずであり、鉄の内面を決定づけるものだ。

えた鉄が、その塊の䞭に燃える炎を閉じ蟌めおいるようだっ

「ふいごで颚を送り蟌んで火を起こすので、鉄を熱するず

た。圌はそれを金床の䞊に眮くずあちこち方向を倉えながらメ

きには颚の穎、空気の穎が生じたす。叩きながらその穎を埋め

鉄の塊に柄の郚分を嵌め蟌む道具で叩きはじめた。ガンガ

おいきたす。そうしお鉄の密床を均等にするんです。それで昔

ンガン、鉄が鉄を叩く倧きな音がしお、鉄の粉をい抱いた炎が

の鍛冶屋では数癟回、数千回もの叩いおいたものだよ。だが私

自然に飛び跳ねる。鉄に閉じ蟌められた赀色が埐々に薄くなる

は、機械を早くから取り入れたので、メゞルはそんなにたくさ

に぀れお、ホミの倖圢は埮现に倉わっおいき、客は満足そうに

んはしたせんでした」。

うなずく。

究極の技術

叩く事は鉄に察する掞察を前提ずする。いくら経隓豊富な 鍛冶屋でも鉄を目だけで芋分けるこずはできない。

た。次に圌は、拳骚くらいの倧きさの小さな鉄の塊を窯火に

叩くこずず焌入れ

入れお、再び炎の色を眺めた。鉄が溶ける枩床は摂氏1500床前

うやく分かるんです。芋た目には同じように芋えおも性質が少

埌、鍛冶屋は鉄が溶ける盎前の圢が自由自圚になる瞬間を芋極

しず぀違うから。米にもいろいろな皮類があるようにね。鉄に

めなければならず、枩床蚈のない叀い窯火の枩床を読み取る手

も皮類があり、非垞に匷くおも折れやすい鉄もあれば、匷いう

段は、もっぱら勘だけだった。

えにあたり折れない鉄もあるんです。鎌や鋀を䜜る鉄です」。

炎ず鉄が䞀぀になる時間は、劙なる没入感の高い時間だっ

「炎が熱くなっおいくずきの色で鉄を芋たす。ただ薄赀い ようならもっず熱くしなくおはならず。色が月光のように濃い

「どの皋床の匷床が出たかは、火に入れお、叩いおみおよ

圌はホミの材料ずしお、自動車のリヌフスプリングを䜿甚 するず蚀う。

赀になったら熱くなりすぎおダメです。そこから少しだけ陜の

「私は鋌鉄を䜿っおたす。普通、鍛冶屋では鋌鉄はあたり

光のように癜い色が出るくらいのタむミングに合わせたすが、

䜿わないね。鉄が硬いので柔らかい鉄よりは扱いにくいんで

あたり癜くなっおも鉄が溶けおしたうので、それは䜿えたせん

す。しかし、柔らかい鉄は先が䞞くなっおしたうのでよくない

ね」。

んです。ナむフの先のように䜿わなくおはならないので、䞞く

月明かりは赀く、陜の光は癜いずいう圌の感芚に考えが至

なっおしたっおはだめなんです。そんな補品を出したら信甚を

る前に、メゞルずいう叩く䜜業が始たった。今回鉄を叩くのは

倱っおしたう。修繕したらだめかっお 昔はホミを重たく、

倧槌ではなく「ハンマヌ」のような道具だ。䞀定の時間ず間隔

厚く䜜ったんです。500gにはなりたすから、先の郚分に修繕す

で䞊䞋運動をする自動メゞル機械。圌は機械の䞋に赀く燃えた

る鉄がありたした。鉄がなければ他の鉄を持っおきお付け加え

鉄の塊をのせお、圢を䜜りはじめた。機械が叩いたり延ばした

お修繕したした。しかし最近は、200300gの軜い品を䞭心に

りするリズムず、鉄の塊を回しお叩く面を確保する手のリズム

䜜っおいるので、薄すぎお修繕するのも倧倉です」。

が、絶劙に盞俟っおいる。リズムの䞭で長い䞉角圢のホミの刃

圌は鍛冶屋にずっお補品の䟡倀を決める段階が「タムグム

が圢䜜られ、风のように䌞びた鉄は、刃ず柄が぀ながる長い線

ゞル」だずいう。燃え䞊がる鉄の先を冷氎にさっず浞けお取り

ずなっおいく。これを再び熱しお、叩いお圢ず線を粟巧に敎え

出す熱凊理の段階だ。フランスの哲孊者ガストン・バシュラヌ

るこずでホミの刃が完成する。

ルは「タムグムゞル」のこずを「冷氎で炎ずいう野獣を鋌鉄の

「鋳物工堎では、決められた枠に溶かした鉄を流し蟌んで

監獄に閉じ蟌める」ず衚珟したが、圌は蚀葉では蚀い衚せない

品物を䜜りたすよね。鍛冶屋は完党に違うんです。鉄を盎接熱

技術だず蚀った。鉄の性質、厚さ、枩床、状態に埓い秒以内

しお、叩いお、延ばしお圢䜜っお品物を完成させるんです」。

に終わらせたり、それ以䞊の時間をかけたりするずいう。これ

その叩くずいう蚀葉の䞭には倚くのものが溶け蟌んでい

は鉄の匷床を決定する「鍛冶屋の仕事の花」ず呌ばれる技術だ ったので、昔の鍛冶屋では、職人たちは真倜䞭に䞀人でこの 「タムグムゞル」の䜜業をしたずいう。氎ず炎の極限を折衷し お極倧倀を埗る䜜業は、簡単に他人の目には觊れさせなかった

1. ゜ク・ノギさんが、窯火からホミの刃を取り出すずきに䜿 甚するニッパヌ(侊)ず、熱い鉄を金床の䞊にのせお叩く時に぀ かうメ(例)の䜿い方を、説明しおいる。 2. 鍛冶屋ずしお生きおきお䞀番倧倉だったのが、蟛い劎働に 耐え、蟛抱するこずだったず蚀う゜クさん。その蚀葉を、曲 がったたたの指が蚌明しおいる。

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ずいうこずだ。

自分自身ずの戊い

圌が鍛冶屋を始めたのは14歳の春だった。鍛冶屋をしおい

た姉の倫から、ちょっず手䌝ったくれず蚀われお足を螏み入れ


1

たのが最初だった。春に麊䞀俵をもらっおきお食べ、秋にはそ

2

を続けたした」。

の借りを返すために、長利米を䞀俵払わなければならない貧し

䞀番倧倉だったこずは䜕だったのだろうか。難しい技術、

い時代だった。圌は仕事をしただけ代䟡を埗られる䜜業を断る

人間関係、䜓眰すべおを含めおたずねた質問に、圌は「じっ

理由はなかった。しかし、鍛冶屋の道は容易ではなかった。

ず耐えるこず」だったず答えた。

「鍛冶屋では鉄が冷める前に、鉄をいじる䜜業を終えなく

「倏のカ月間、いや、カ月でも仕事をしないで遊んで

おはなりたせん。手の甲に熱い鉄の塊が萜ちおも、やけどをし

暮らせたらずいうのが私の倢でした。䞖の䞭の人々は、他の仕

おもそれを取る時間はありたせん。冷めおしたったら最初から

事で暮らしおいけるのに、なぜ自分だけが炎の前でこんな苊

たた始めなくおはならないからです。10代のただ芋習いの頃の

劎をしお生きおいるんだず思いたした。自分の家を持おた埌に

こずです。鉄が飛んで目にあたったんです。手袋をした手で目

は、そんな考えがさらに倧きくなり、街でタバコでも売っお生

にそっずふれおみたら、血がべずっず぀いおきたした。反察の

きおいこうかず考えたした。しかし、実行しようずしたら生掻

目を閉じお芋えるか芋えないか調べおみたした。幞い芋えたし

費をかせぐ自信がなかったんです。鍛冶屋なら、その日の糧は

た。目が萜ちたわけではないので、たあいいやずそのたた䜜業

皌げる自信があるのに 」。

韓囜の文化ず芞術 47


燃え䞊がるホミの刃を冷氎に浞けおから 取り出すタムグムゞルは、鉄の匷床を決 定づけるので、長い間の経隓ず感芚的な 技術が必芁だ。

鍛冶屋ずしお生きる自分自身ず戊う時間は長かったが、鍛

を個も買っお䜿う人はいたせんからね」。

冶屋に闇が蚪れるたのは瞬間だった。蟲機具の機械化で需芁が

鍛冶屋が斜陜になるず、圌は販路を開拓した。すべおの䜜

急激に枛り、安䟡な䞭囜産の蟲機具たで抌し寄せおきた。逃げ

業を手䜜業に頌っおいたその昔、鉄を切る機械を家の䞀軒分の

出せるずころは自分のホミの䞭だけだった。

倀段をかけおも取り入れた決断を思い出し、圌はむンタヌネッ

「ホミを千個䜜るずしたら、䞀぀くらいは満足できない物

ト販売を手助けしおくれる友人に䌚いに行った。

があるず思うじゃないですか。私はそういうこずは蚱せないん

「むンタヌネット販売を始めたのは、10幎前のこずです。

です。私には千分の䞀でも消費者には100だからです。ホミ

ホミがアメリカに䞀぀ず぀売れおいき、買った人が話を広めお

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炎ず鉄を真正面から受け止め、生き おきた圌にホミを握る韓囜の母たち の姿が重なる。炎を抱いた鉄を叩く 鍛冶屋の熱い息には、ホミの刃を毎 幎取り替えなければならないほど働 いおきた母たちの、凄然ずした息遣 いが感じられた。

くれたんです。需芁が䞀぀ず぀増え、噂が広がり、アマゟンた で行き着いたのであり、䞀日にしおこんなこずが起きたわけで はないんです。今はオヌストラリアでも売れおおり、最近は毎 日良いこずが起きおいるようです。しかし、泚文が来おも生産 が远い぀かない状況で 。この仕事を芚えたいずいう若者はい たせん。、人ほど手䌝っおくれる人はいたすが、高霢者ば かりなので今月で蟞めるのか、来月で蟞めるか予枬もできない し。私も幎ずずもに、だんだんずしんどくなっお 。結局、私 が韓囜の鍛冶屋の最埌の䞖代になりそうですね」。

正盎な人生

圌は誇らしさず残念さの混じった耇雑な衚情で笑いなが

ら、過ぎた人生に぀いお語り始めた。 「14歳以降、䞡芪の助けはいっさい借りずに生きおきたし 2 た。43幎前、23歳でここで、この堎所で栄州デゞャンガンの䞻

人ずなり、家庭を持ち、家を建お、人の子䟛たちをすべお ゜ク・ノギさんのホミは、アマゟン園芞甚 品トップ10にランクむンし、アマゟン遞定補 品に遞ばれるほど海倖での人気が高い。

幎生倧孊たで出し、今たで生きおきたした。他人にお金を借り たこずもありたせん。幌い頃に孊べなかった私が長官になれた すか。医垫や刀事になれたすか。そんなこずは倢にも思ったこ ずはありたせん。ただ他人より先んずるこずは出来なくおも、 同等には生きおいこうず思いたした。萜䌍者にはならないよう にです。そういう気持ちで必死に生きおきたした。私はそれで 満足しおいたす。いい人生だったず思いたす」。 他人の欲望を远い求める人生の倚いこの䞖の䞭で、圌はこ れたでの人生を満足げに総括した。 「炎の前に長くいたせいか、私は芖力もいいんです。この 幎になるたでメガネをかけたこずがないんです」。

をなんども握った指は、ホミの線のように曲がっおいた。炎ず 鉄を真正面から受け止めお生きおきた圌に、ホミを握る韓囜の 母たちの姿が重なる。炎を抱き鉄を叩く鍛冶屋の熱い息には、 ホミの刃を毎幎取り替えなければならないほど働いおきた母た

炎の力が染みいり明るくなった圌の瞳は月光か、陜光か

ちの、凄然ずした息遣いが感じられた。そしお気づいた。蟲機

小柄で頑匷な䜓、柔和で匷靭な顔の圌を眺めた。昔話に熱

具が䞊んだ鍛冶屋の棚から、目ず心を簡単には倖せなかった理

䞭し、䞀段ずトヌンの高くなった声には鉄の音が混じり、ホミ

由を。

韓囜の文化ず芞術 49


オン・ザ・ロヌド

聞慶の峠 䞉本の分かれ道 鳥も飛び越えるのがき぀いほどの険しい峠。南から攻めおくる敵を防ぎ、郜を守るための囜 防の芁塞。これらは聞慶ムンギョンセゞェがもたらすむメヌゞだ。叀くから嶺南ペン ナム地域の関門の圹割を担っおきた慶尚北道聞慶の峠道を歩いおみた。 む・チャンギ 李昌起、詩人・文芞評論家 安措範 写真

50 KOREANA 倏号 2019


嶺南倧路の皜線で最も高い山、䞻屹山の「釜峯ブボン」から芋 䞋ろす聞慶セゞェ。゜りルから車で時間40分の距離に䜍眮する聞 慶セゞェの歎史は、䞉囜時代にたでさかのがる。昔から亀通の芁衝 であり戊略的にも重芁な拠点だった聞慶セゞェは、今でも矎しい自 然ず文化を誇っおおり、遺跡地を蚪れる芳光客で賑わっおいる。

韓囜の文化ず芞術 51


1 聞慶セゞェの第関門䞻屹関は、文犄の圹ず䞙子の乱以降、 この地域の軍事的芁衝ずしおの䟡倀が改めお認識され、1708幎に 鳥嶺山城築城の際に造られた。

䞉囜の激しい角逐が続いた䞖玀頃に築造された長さおよそ 1.6㎞の姑母コモ山城。今ではそのほずんどが壊れ、䞀郚だけ が残っおいる。城壁の䞊からは呚りの絶景が芋䞋ろせる。

52 KOREANA 倏号 2019


韓

囜語でよく䜿われる「分氎嶺」ずいう蚀葉 は、「分氎界drainage divide」ず同じ 意味である。囜土党䜓の割を山地が占める

朝鮮半島で氎系を分ける分岐点は、たいおい峠のように高い 所にあったため、その分かれ目を「嶺」ずした蚀葉が分氎嶺 なのだ。 高嶺ず分氎嶺が連なっおいるのが韓囜の山脈である。そし お、興味深いこずに、その分氎嶺から分かれる氎路で山脈の䜍 盞が決たる。぀たり、峠で巊右に分かれたそれぞれの氎路が再 䌚するこずなく別々の河口、あるいは海ぞず流れおいけば、そ の分氎嶺の品栌は䞀局高たるのである。朝鮮半島の北端に䜍眮 する癜頭山からこのような品のある分氎嶺に沿っお、南の智異 山に至るたでの1,600キロ以䞊の距離。この倧きな山脈を「癜 頭倧幹ペクトゥデガン」ず称する。韓囜人はこの山の尟根 に沿っお瞊走するこずを倧きな名誉ずする。

2

近代の瞮尺の抂念を適甚しお、现密な地圢床を仕䞊げた朝 鮮時代の地理孊者・金正浩キム・ゞョンホ、18041866 は、晩幎に癜頭倧幹の山脈や河川、里村を韍や倪極の圢状で描 いお、もち運びのよい地図を朚版刊行した。これが『倧東茿地

ちに石仏が立っおいるが、あいにくその道は、今やほずんどア

図1861』である。地図を補䜜した背景には、癜頭倧幹を朝

スファルトで芆われおいる。

鮮半島の自然地理の象城、ひいおは母囜の文化や瀟䌚、歎史や

ハヌル峠の旧名は「鷄立嶺ケリプリョン」、぀たり

環境を理解するベヌスず䜍眮付けた圌の自然芳があった。「愛

「立っおいる鶏の圢状をした峠」である。朝鮮の史曞『䞉囜

囜歌」韓囜の囜歌の第䞀小節に癜頭山が登堎し、小孊校を

史蚘』1145には、「西暊156幎の月、新矅の阿達矅あ

はじめ䞭孊・高校・倧孊の校歌に䟋倖なく近隣の山の粟気を受

だ぀ら王が、鷄立嶺ぞの道を切り開いた阿達矅尌垫今 侉

け継いだこずを匷調する内容の歌詞が曞かれおいるのも同じ脈

幎 倏四月 開鷄立嶺路」ずいう蚘録が残っおいる。しかし、

絡だずいえよう。

歎史孊者はこれに察しおは慎重な姿勢を瀺しおおり、玀元前か

来䞖ず珟䞖を぀なぐ道

らこの地域で生掻を営んでいた郚族囜家が、亀通路ずしおこの

韓囜䞭郚地方の内陞に䜍眮する忠州チュンゞュの氎安

朝鮮半島の䞭倮を貫通する挢江を氎路ずしお確保するために、

堡スアンボから南東に向かっお、車でおよそ20分ほど走る

この地域をめぐっお数癟幎間争い続けたのは事実ではあるが、

ず、たどり着く旧陶窯址トペゞ。ここに車を停めおいく぀

圓時の新矅は、慶州キョンゞュを䞭心ずする小囜に過ぎ

かの曲がり道を歩いお行くず、そこには壊れかけた石塔ず巚倧

ず、王暩も衰退しおいたからである。だが、䞻芁な囜境ぞの玄

な匥勒の石像のある叀いお寺がある。高麗時代の嚁容を誇る匥

関口ずはいえ、い぀も軍人であふれおいたわけではない。この

勒倧院の敷地。珟圚、匥勒の石像は補修䜜業が行われおいる。

峠は、昔から北ず南で生産された物品が埀来する玄関口である

無情感にかられお、立石を目指しおハヌル峠ハヌルゞェぞ

ず同時に、阿道和尙ずいう高句麗の僧䟶が初めお新矅に仏教を

ず足を運ぶ。曲がりくねった山道。鬱蒌ずした森ではあるが、

䌝播するために通った道でもあったのだ。阿道和尙がこの峠を

嚁圧感はない。安らかでこじんたりずした道を歩いおいるずお

越えお垃教したず䌝えられる亀尟クミに䜍眮する毛犮モ

のずず歩みは遅くなり、劙に䜙裕ぶった奇異な圢状をした朚や

レずいう町は、今日新矅時代の仏教の聖地ずしお名高い。

峠を぀くったず掚定しおいる。癟枈・高句麗・新矅の䞉囜が、

岩の狭間に咲いおいる野花に芖線がずたる。息が荒くなるこ

倧きな野心を抱きハヌル峠を越えお、北ぞの旅に出た新矅

ろ、やや䜎めの峠が珟れるのだが、ここが韓囜の史料に登堎す

人がたどり着いたのは、文化・芞術の黄金期を迎えた唐。慶州

る最叀の峠、「ハヌル峠」だ。䞋り道の向こうに聞慶が広がっ

から唐の銖郜である長安に到達するためには、いく぀もの郜垂

おいる。この峠に降り泚いだ雚が聞慶ぞ流れるず掛東江ナク

を経由しお、聞慶からハヌル峠を越え、忠州から挢江の氎路を

トンガン、忠州の方に流れるず、あの挢江ハンガンにな

利甚しお西海岞たで行き、唐恩浊からは船に乗っお北沿岞の航

るのである。忠州には来䞖を意味する「匥勒里」、聞慶には珟

路を利甚するのが、最も安党な経路だった。

䞖を意味する「芳音里」がある。今でも芳音里の街道のあちこ

蚘録によるず、新矅の僧䟶である元暁617686ず矩湘

韓囜の文化ず芞術 53


625702は、この道を少なくずも回は埀埩したず䌝わ

ず宿を提䟛しおいた駅家の管理・代行をした寺院であり、人気

る。650幎、34歳の元暁は矩湘ずこの峠を越えお、圓時流行っ

の旅先でもあった。金賆ずいう人物の劻・蚱氏12551324

おいた唐ぞの留孊に出たが、遼東で高句麗の囜境守備隊に捕た

の墓碑からは、圓時の雰囲気をうかがい知るこずができる。蚱

っお远い返される。その10幎埌、元暁は再び矩湘ず唐ぞの留孊

氏は倫が亡くなるず、お墓の近くにお寺を建おお金・銀で写経

を詊みるのだが、唐恩浊で船を埅っおいた元暁は突然矩湘ず別

するなど、倫の冥犏を祈るために10幎以䞊も法事を務めた。圌

れお戻っおくる。圌が枕元では甘く飲めた氎が、実は骞骚に溜

女は57歳になるず旅に出お、名の知れた寺院や山巡りをしたの

たっおいた雚氎だずいうこずを起きた埌に知り、「すべおのこ

だが、圓時、圌女が瀌拝した代衚的なずころが、この匥勒倧院

ずは人の心のもち方次第である跋文」ずいう悟りを埗たず

の石仏なのである。仏教を囜教ずし、男女の瀟䌚的な地䜍が比

いうあの有名な逞話が『海東高僧傳』1215に䌝わる。その

范的平等だった高麗時代には、女性の聖地巡瀌は珍しいこずで

のち元暁は、唐文化の最盛期にその独自の思想で、韓囜仏教史

はなかったのである。

に偉倧なる足跡を残した。たた、矩湘は唐での留孊から戻り、

ハヌル峠から南の方に40分䜙り山道をのがるず、炭項山の

新矅仏教の盛行を導いた。

頂䞊にたどり着く。ここからなだらかな皜線に沿っおいく぀か

935幎、最埌の新矅王・敬順王は、囜運が傟くず高麗に降

の峰を通るず、連なる山々の間に聞慶セゞェの第関門である

䌏した。高句麗に垰䟝しお銖郜開京開城の高麗時代の名で

鳥嶺関が芋䞋ろせる。ここもたた分氎嶺で、峠に降り泚いだ雚

晩幎を過ごした敬順王も、たた、降䌏に反察し金剛山の山䞭に

氎が北西方向の忠州ぞ流れるず挢江、南東方向の聞慶ぞ流れる

篭っお新矅再建を目指しながら、そこで䞀生を終えた息子の麻

ず掛東江ず合流する。鳥嶺関から聞慶方向に第関門の鳥谷関

衣倪子も、志は違えども䞡者ずもこのハヌル峠を越えた。そし

を通っお第関門の䞻屹関ぞず぀ながる道が、忠州ず聞慶を぀

お、二床ず戻るこずはなかった。

なぐあのセゞェ道である。ハヌル峠から皜線に沿っお歩くずセ

より至険な峠道ぞ

ゞェたで時間䜙りかかる。 聞慶セゞェは、朝鮮が建囜初期に倧々的に開拓しお以来

高麗時代の匥勒倧院は、公務で旅に出た官人や旅人に食事

聞慶芳光案内図

1

3

500幎間、挢陜ず東来、぀たり珟圚の゜りルず釜山プサン

ハヌル峠

忠州

2

4

匥勒倧院址

槐山

鳥嶺山

1 聞慶セゞェの酒幕 2 聞慶セゞェ・オヌプン撮圱セット堎

聞慶セゞェ

梚花嶺 姑母山城の城隍堂 3 五味子オミザ 4 テヌマトンネル

54 KOREANA 倏号 2019

炭項山

170km

聞慶

゜りル 聞慶


を぀なぐ嶺南地方の亀通の芁衝であるず同時に、峠ずしおもそ の名を銳せた。ではなぜ朝鮮は、千幎以䞊も利甚しおきた平坊 な皜線からなるハヌル峠ではなく、海抜が100メヌトル以䞊も

1594幎、䞭城が築城される際に造られた第関門「鳥谷関」。 聞慶セゞェの関門のうち最も早く造られ、他の関門に比べお険 阻な山地に䜍眮しおいる。

あっお険しいセゞェを新たに開拓したのだろうか。

儒林の道

ハヌル峠には、租皎で収めた穀物などを運ぶ挕運船が埀来

麗ずは違っお、朝鮮では里ごずに駅を、里ごずに院を䜓系

しおいた挢江の氎路ず぀ながった亀通路だずいう利点があっ

的に蚭眮した。聞慶セゞェが嶺南倧路の䞀郚になったのもこの

た。しかし、䞀時日本を脅かしおいた元ず高麗が衰退期を迎え

頃からである。セゞェのおかげで、他の峠を利甚するより移動

るず、海には倭寇が跋扈した。倭寇の略奪行為が日垞化するに

時間が短瞮した。倧路ずいっおも、二人が暪に䞊んで歩くず肩

぀れ、氎運も次第に匱䜓化しおいった。モンゎルず玅巟の賊か

がぶ぀かるほどの幅に過ぎなかったが、牧畜を営んでいなかっ

らの䟵略に耐えられず、防埡線ずしおのハヌル峠の圹目も色あ

た蟲業囜では、しかも垞に敵の䟵略に備えなければならなかっ

せおしたった。䞀方、セゞェは敵からの防埡に有利な険路であ

た囜にずっお、この皋床の陞路があれば十分だったのだ。

った䞊、陞路ずしおも近道だったのである。

ただし、この道を開通する際に、なぜ防埡のための城壁で

倭寇は朝鮮初期たで頻繁に出没した。朝鮮代君䞻である

ある関所を蚭眮しなかったのかは疑問である。このような油

倪宗圚䜍14001418は、歊力ず貿易ずいう二぀の手段を䜿

断からか、1592幎に日本軍が朝鮮を䟵略し砎竹の勢いで北進す

っお倭寇の挑発を抑制する䞀方で、通信ず亀通の円滑化のため

る際に、倩恵の芁衝であるセゞェ峠の峡谷で防埡しきれず、

に党囜を四方八方に぀なぐ倧道を構築し、䞀定の街角に兵士を

忠州で階銬戊のあげく敗北しおしたった。これは宣祖1552

駐屯させ、銬や寝食を提䟛する駅站制床を蚭けた。倧きな山を

1608が郜を捚おお逃げる盎接のきっかけずなった。翌幎、領

越えたずころや川を枡る自然拠点に、駅や院を蚭眮しおいた高

議政ペンむゞョン、朝鮮における議政府議政の䞀぀で、正

韓囜の文化ず芞術 55


䞀品にあたる最高の䞭倮官職。珟圚の倧韓民囜の囜務総理にあ

おこの道を通過した。぀たり、圌らの垰郷の道は錊衣を着お故

たる柳成韍15421607の提案で、セゞェ峠に防埡のため

郷に還る祝犏の道であったず同時に、恥蟱ず嘆息の道でもあっ

の第関門が蚭眮されたが、今日のような䞉぀の関門が完成し

たのだ。

たのは、䞙子の乱以埌の18䞖玀初期である。しかし、その埌は

たたこの道は、儒林が朝廷に諫蚀や陳情のために赎く「䞊

深刻な戊乱はなく、蟺境の譊備や䜿者埀来のための関門の圹割

疏の道」でもあった。儒林の本堎である安東の儒生たちが䞊蚎

にずどたった。

文を所持し、出発から聞慶セゞェを越えるのに日かかり、朝

高麗も朝鮮も倖勢の䟵略による衰退は避けられなかった

廷にそれを䌝達しお解釈をうけお戻るたでには、カ月もかか

が、その道の䞊で営たれた暮らしの様盞にはかなり盞違があっ

った。たた、王の特呜を受けお、身分を隠したたた地方監察に

た。儒教囜家だった朝鮮の10の郜垂のうち半分がこの嶺南倧路

行く暗行埡䜿李氏朝鮮においお、地方官の監察を秘密裏に行

に跚っおいるおかげで、セゞェは朝鮮の文化がうかがえる象城

った囜王盎属の官吏、政府の文曞を䌝えに行く官吏、名勝地

的な峠ずなった。官吏の登甚詊隓は高麗時代にもあったが、朝

に遊芧に出かける颚流客で、聞慶セゞェ付近の駅院や酒幕旅

鮮時代には定期的に科挙官吏の登甚詊隓が実斜された。こ

人が飲食や宿泊をする斜蚭は混雑しおいたであろう。第関

の詊隓に合栌するこずが立身出䞖の蚌だったため、嶺南地方で

門ず第関門の間には東屋があるのだが、ここでは新たな赎任

儒孊を修業した人士の殆どは、官吏登甚ずいう倧きな倢を抱い

ず離任する慶尚道芳察䜿の官印の匕き継ぎが行われた。この東

1

56 KOREANA 倏号 2019


屋の前には、文人墚客たちがよく蚪れる小さな滝もある。 聞慶セゞェを通る特別な客ずしおは、日本を行き来しおい た朝鮮通信䜿を挙げるこずができる。文犄の圹の傷を乗り越え お、䞡囜の亀流を促すために぀くられたこの倖亀䜿節団は、 400600人䜙りの朝鮮の孊識者ず文化人で構成された。䜿節団 は゜りルを出発しいく぀かの郜垂を経由し、聞慶セゞェを越え お釜山に到達した。圌らの宿泊費はすべお地方行政の負担だっ たので、朝廷では行きず垰りの道を別々にしお費甚を分担する ように芏定しおいた。

名もなき人々の道

第関門からいく぀かの岩山を越えた埌、階段の倚い急

な䞊り坂を時間半ほど登るず、海抜1,026メヌトルの鳥嶺 山の頂䞊にたどり着く。ここで南ぞキロほど䞋るず梚花嶺

倧路ずいっおも、二人が䞊ん で歩くず肩がぶ぀かるほどの 小幅に過ぎないが、牧畜を営 んでいなかった蟲業囜では、 しかも垞に敵の䟵略に備えな ければならなかった囜にあっ おは、この皋床の陞路さえあ れば十分だった。

2

だ。ここもたた、槐山(クェサン)の方ぞ流れるず挢江(ハン ガン)に合流し、聞慶の方に流れるず掛東江に合流する分氎嶺 である。梚花嶺の道は険しく、山獣による被害も倚かったた め、䞀人では到底越えられない峠だった。慶尚道(キョンサン ド)の聞慶ず忠枅道(チュンチョンド)の槐山(クェサン)を東ず 西に結ぶ唯䞀の道だったので、昔から存圚したこずは確かで はあるが、その根拠ずなる史料はない。ただし幌い頃、梚花 嶺を越える行商人や牛の矀れを率いお峠を超える牛飌いを芋 たこずがあるずいうお幎寄りの目撃談からするず、ここが忠 州に行く際にセゞェの迂回路ずしお利甚された道だず掚枬す るだけだ。 安党か぀宿泊斜蚭もよく敎っおいるセゞェ道があるにもか かわらず、わざわざ同行人たで集めおこの道を迂回した人々は 䞀䜓䜕者だろうか。党囜の垂堎をたわりながら品物を売っおい た行商人だったのだろうか。圌らにずっおは、難癖を付けおは 金品を奪い取ろうずする捕吏があふれおいるセゞェ道より、山 獣の鳎き声を聞きながらみんなず䞀緒に越える梚花嶺の山道の 方が、かえっお善策だったのだろうか。歎史の䞭における圌ら の身分は決しお尊敬を受けるものではなかったが、圌らは䞊々 ならぬ機動性ず結束力で、囜が危機に盎面する床に骚身を惜し

嶺南倧路で最も険しい道で知られおいる「トキビリ」は、 厖を削り、岩を割っお完成した道で、片方には切り立った厖があ り、その䞋を穎江が流れおいる。今では㎞ほどしか残っおいな いが、そのうちの半分だけが通行可胜である。数癟幎の間ここを 通っおいた人々の埀来で岩道が぀る぀るにすり枛っおいる。

匥勒倧院の敷地にある高さ10.6メヌトルの花厗岩石造劂来立 像。すぐ前には高さメヌトルの五局石塔ず八角石灯籠も建っお いる。高麗時代初期に建おられたず掚定されるこの匥勒倧院は、 圓時、寺院ず駅院の圹割を兌ねおいた。

たず、先頭に立っお戊った。 セゞェやハヌル峠ずは違っお梚花嶺叀道は、日本怍民地時 代の1925幎に嶺南ず゜りルを぀なぐ新道ずしお開通し脚光を济 びたが、1994幎に梚花嶺トンネルが、2001幎には䞭郚内陞高速 道路が沿道に開通し、今や登山客や自転車同奜䌚の人々が行き 来する閑静な道ず化しおしたった。 この䞉぀の道のうち、あなたはどの道を歩いお旅行を楜し みたいですか?

韓囜の文化ず芞術 57


二぀の韓囜

新しい 想像力が必芁だ 「LiNKLiberty in North Korea) 」ずは、アメリカの韓囜人孊生が2004幎に蚭立した非政府団䜓 だ。珟圚、アメリカ、カナダ、英囜、日本をはじめずする16カ囜275団䜓ず協力関係を結び、䞻に 脱北者の海倖定着を支揎しおいる。最近、韓囜支郚長のパク・゜ッキル朎錫吉さんが、英囜・ 朝鮮半島関係の増進に寄䞎した功劎で、英囜王宀から倧英垝囜囜家功劎勲章MBEを受けた。 キム・ハクスン 金孊淳、ゞャヌナリスト、高麗倧孊校メディア孊郚招聘教授 安措範 写真

韓

囜系英囜人で「LiNK」の韓囜支郚を率いるパク

矩、情報の流入拡倧、政府統制からはずれた人的連結網の誕

・゜ッキル朎錫吉さんは、北朝鮮のキム

生、そしお北朝鮮内郚に蔓延する腐敗を、北朝鮮倉化の倧芁

・ゞョンりン金正恩囜務委員長ず同幎の35

因だず指摘する。

歳だ。圌は自分がもし北朝鮮に生たれおいたら「チャンマダン 䞖代に泚目しおいる。1980幎代半ばから1990幎代に生たれた若

偶然の契機

者こそ、北朝鮮瀟䌚に倉化を巻き起こす蓋然性が高い䞖代だず

ずきに、䜕人かの脱北者に䌚いたした。その時に、北朝鮮䜏民

信じおいるからだ。

のために䜕かしなければずいう芚悟ず情熱を持぀ようになりた

䞖代」になっおいたず蚀う。圌は北朝鮮䜏民の䞭でも特にこの

「チャンマダン」ずは、゜連厩壊埌に北朝鮮政府が䜏民

「囜連でむンタヌンシップをしようずニュヌペヌクにいた

した」。

に察する生掻必需品の配絊を倧幅に枛らしたため、生き延び

パクさんが脱北者を手助ける「リンク」で掻動するこずに

るために自然発生的に生たれた野倖垂堎を指し、ある面で北

なった契機は偶然おずずれた。圌はロンドン・スクヌル・オブ

朝鮮経枈の垂堎化を象城しおいる。北朝鮮党䜓の人口の分

・゚コノミクスで囜際関係孊囜際政治史の修士の孊䜍を埗お、

のを占めるチャンマダン䞖代は、1990幎代半ば囜家瀟䌚䞻

ゆくゆくは囜連か英囜倖亀郚で働きたかった。それでたず囜連

矩経枈䜓制が没萜した埌に成長したため、既存䞖代ずは党く

のむンタヌンシップに志願した。むンタヌンずしお働いおいた

違う瀟䌚化過皋を経おきた。この幎霢の脱北者に「党から

2008幎、ニュヌペヌクで脱北者救護団䜓「クロッシングボヌダ

配絊を受けた蚘憶があるか」ずたずねるずほずんどの人が

ヌ(Crossing Border)」の蚭立者マむク・キムの講挔を聞く機

「ない」ず答える。倖郚䞖界の情報にも盞察的に倚く接しお

䌚があった。金融専門家のマむク・キムはシカゎ出身の韓囜

いる圌らは、䟡倀芳、認識、行動などで父母の䞖代ずは異な

人䞖で、北朝鮮䜏民の貧困の実態ず脱北者の話をたずめた

る様盞を芋せる。情報技術ず環境が倉わり、圌らは䞍法な倖

『Escaping North Korea』ずいう本を出版した盎埌だった。脱

囜メディアを消費し、倖郚の異䞖界に目を向ける。特にファ

北者を支揎しお䞭囜の公安に拘束されたこずもある圌は、講挔

ッションをはじめずする倖芳ず生掻方匏は、韓囜ドラマや䞭

終了埌、パクさんにリンクで掻動しおみおはどうかず勧めた。

囜映画から倚くの圱響を受けおいる。

「リンク」は1980幎代埌半に、カスコン(KASCON, Korean

囜際政治の専門家でもあるパク支郚長はゞャンマダン䞖代

American Students Conference)ずいう名前で発足し、韓囜人

以倖に、北朝鮮の家族ずの接觊を続けおいる脱北者、資本䞻

孊生ずアメリカ人孊生が集たり、毎幎カンファレンスを開き脱

58 KOREANA 倏号 2019


韓囜系英囜人のパク・゜ッキルさんは、囜連でむンタ ヌンをしおいたずきに偶然「リンク」で掻動するこず になり、2012幎からは韓囜支郚を任され、脱北民の救 出ず定着を手助けする仕事をしおいる。

北者に察する関心を高めおいた。その埌、 2004幎゚ヌル倧孊に集たった韓囜人䞖の 孊生たちが、苊痛を受けおいる北朝鮮䜏民 の実像を䞖界に知らせようず「北朝鮮の自 由」ずいう意味をこめた「リンク」を結成 するこずにし、ワシントンに本郚をお くこずにした。䌚議や蚎論だけでは倉化を 導くこずはできないこずを実感しお、団䜓 を䜜るこずにしたのだずいう。 「リンク」の掻動費は、慈善ず関心を寄 せる各皮財団をはじめ、孊生、䌁業家、宗 教団䜓、䌚員などの寄付金でたかなわれおい る。小芏暡な集䌚ではシャツやホヌムメヌ ドの菓子、タピオカティヌやオニギリのよう な物を売り、音楜䌚を開いおは募金掻動をし おいる。政府の支揎は党く無い。 寄付金は䞻に䞭囜に身を朜めおいる脱 北者たちを脱出させるのに䜿われる。䞀 人を脱出させるのにかかる費甚は3000ドル およそ330䞇りォン皋だ。脱北者の䞻芁 経由地である東南アゞアの囜々でも隠れ家 を提䟛し、アメリカぞの定䜏を垌望する人々には英語教育ず職 業蚓緎も行う。

倖亀官の倢が「リンク」に倉わる

パクさんは、英囜マンチェスタヌで韓囜人の父ず英囜人の

「リンク」は「ノマドプログラム」も運営しおいる。これ

母の間に生たれ育った。圌が13歳になった1998幎に初めお韓囜

は倧孊生ず倧卒者を察象に「ノマドむンタヌン」を逊成しお、

を蚪れた。英囜に暮らしおいた祖母が亡くなり、父が遺骚を韓

アメリカやカナダなどで北朝鮮及び䜏民に察する認識の倉化を

囜に埋葬するためだった。少幎パク・゜ッキルさんは初めお蚪

促すキャンペヌン掻動だ。ノマドむンタヌンに遞抜されるず北

れた韓囜で北朝鮮の存圚を具䜓的に䜓隓した。バスに乗るたび

朝鮮関連の教育を受ける。その次に幎回、春ず秋に10週間北

に窓に貌っおある赀いステッカヌが気になり、あれは䜕かず父

朝鮮の珟状を䌝える掻動を行う。ノマドむンタヌンは人が䞀

に尋ねた。父は「北朝鮮のスパむを申告しろず曞いおある」ず

組ずなり合蚈1000カ所䜙りを蚪問する。

教えおくれた。幌い少幎はその時に南北間の敵察関係を肌で感

「アメリカ50州の䞭で、カ所を陀いたすべおの州を蚪

じたずいう。

問したした。小さな村に暮らすアメリカ人が『私たちにできる

圌の祖父母は二人ずも咞鏡北道明川出身の倱郷民だった。

こずはあるか』ず蚀っおくれたずきには、倧きなやりがいを感

明川は故金正日囜防委員長ず金正恩囜務委員長が韓囜に莈り物

じたした」。

ずしお送ったマツタケで有名な䞃寶山のあるずころだ。パク

実際に掻動したパクさんの䜓隓談だ。

さんの父は韓囜で高校を卒業した埌、祖母ず共に英囜に移民し

韓囜の文化ず芞術 59


た。通蚳・翻蚳の仕事をしおいた父は息子に韓囜の話をよくし

北朝鮮䜏民のために掻動する非政府団䜓であるだけです。北朝

おくれ、BBCニュヌスで韓囜関連のニュヌスが流れるず「芋お

鮮人暩団䜓ずいう衚珟もそれであたり奜きではありたせん」。

ごらん」ず促した。

しかし圌は、長期的な人暩改善なしには北朝鮮が普通の囜

英囜で高校を卒業したパクさんは、りォヌリック倧孊に合

家になるこずはできないず考えおいる。今、北朝鮮の人暩を口

栌した埌、゜りルに来お幎間延䞖倧孊校の語孊堂で韓囜語を

にするず非栞化が難しくなるのではないかず心配する声も聞こ

孊んだ。倖芋は母芪䌌の西掋人だが、いたや韓囜語はぺらぺら

えるが、この問題をい぀たでもそのたたにしおおくこずはでき

だ。倧孊で心理孊を専攻した圌は、2007幎に再び韓囜に来お、

ないずいうのが、圌の持論だ。独裁政暩時代の韓囜でもそうだ

行政安党郚の地方政府研修院囜際協力教育科で、開発途䞊囜の

ったように、北朝鮮の人暩問題は難しいが、誰かが根気匷く声

公務員たちに韓囜の経枈ず文化を教える仕事をした。

をあげなければならないずいうのが圌の䞻匵だ。たたパクさん

パクさんは2012幎月に「リンク」韓囜支郚が立ち䞊がる

は、BBCワヌルドサヌビスに韓囜語攟送を採り入れる案を、英

ず、英囜倖亀官の倢をあきらめお゜りルに長期滞圚し垞勀掻動

囜のデビッド・アルトン(David Alton)䞊院議員ず共に掚進し

をするようになった。゜りルにある韓囜支郚では珟圚、圌を含

おいる。韓囜語攟送が倚くなればなるほど北朝鮮の人々に様々

めお人の䌚員が垞勀ずしお掻動しおいる。圌は脱北難民救助

な情報を䌝えるこずができるず考えるからだ。

ず保護・定着を手助けるリンクの既存業務だけではなく、脱北 目暙は䜕よりも韓囜の若者たちの参加を匕き出すこずだ。圌は

フレヌムを超えた共感胜力

韓囜の孊生たちが脱北者に぀いおあたりに知らないこずに驚い

の倖に定着した脱北者は326人に達する。脱北者の救出事業を

たずいう。

開始しお以来、2018幎末たでに合蚈1000人がリンクのサポヌ

者に察する認識を改善するプロゞェクトを掚進しおいる。圌の

「韓囜に脱北者がどれだけいるかを倧郚分の人が知りた せん。䞇人を超えたずいうず信じられないずいう人もいた す」。

1

2018幎の幎間に「リンク」のサポヌトによっお北朝鮮

トを受けた。 「南北間の文化の栌差ず䞍慣れな制床のせいで、脱北者が 韓囜瀟䌚に定着するためには倚くの支揎が必芁です。『リン

圌は韓囜の孊生たちが北朝鮮䜏民に無関心なのは、北朝鮮

ク』は脱北者が韓囜に定着しお、さらには瀟䌚に溶け蟌めるよ

問題があたりにも政治化しおいるからだず考える。パクさんは

うにサポヌトする圹割しおいたす。脱北者が増え韓囜にうたく

リンクが「北朝鮮人暩運動団䜓」ず呌ばれるのはあたり奜たな

定着できれば、長期的には北朝鮮の倉化を匕き出すこずができ

い。韓囜で保守団䜓ずしお知られ、掻動に制玄を受けるのでは

るず考えたす」。

ないかず心配だからだ。

パクさんは脱北者がサポヌトが必芁な被害者であるだけで

「韓囜では、北朝鮮人暩団䜓だずいうず保守右掟だず蚀わ

はなく、北朝鮮に倉化を導く促進者の圹割を果たせるず蚀う。

れるじゃないですか。私たちは右掟でも巊掟でもありたせん。

脱北者の倧郚分が北朝鮮に残しおきた家族に送金したり通話す

© リンク

60 KOREANA 倏号 2019

䞖界各囜の「リンク」を埌揎しおいる支持者 たちが送っおきた写真。ワシントンに本 郚をおくLiNKは16カ囜275の団䜓ず協力関係 を結んでいる。


「北朝鮮䜏民に察する韓囜 の青幎たちの共感胜力は、 100点満点の10点皋床にし かなりたせん。北朝鮮に察 する倚くの知識より共感胜 力を育おるこずがもっず重 芁です」

© リンク

リンク韓囜支郚の職員たちず䞀緒のパク・゜ッキル さん。゜りル苧掞にある事務所の前にお。

るこずで、自ずず経枈的・意識的に北朝鮮内郚に倉化の颚を巻

メンタリヌ『チャンマダン䞖代』もその䞀環だ。パク支郚長が

き起こす軞ずなるずいう論理だ。パクさんは今埌10∌20幎以内

共同監督をしたこの52分間のドキュメンタリヌは、脱北青幎10

には、今ずは党く違った北朝鮮を芋るこずになるず展望する。

人の生々しい肉声で、北朝鮮の青幎たちの思考ず文化を䌝えお

そのためにも韓囜の未来を担う青幎たちが北朝鮮䜏民に察しお

いる。パク支郚長は「ドキュメンタリヌを芋た人々は、映像の

共感するこずが䜕よりも必芁だず力説する。

䞭の北朝鮮の青幎たちが自分の友人のようだず話すんです」ず

「北朝鮮䜏民に察する韓囜の青幎たちの共感胜力は、100 点満点の10点皋床にしかなりたせん。北朝鮮に関する倚くの知

語った。圌は北朝鮮䜏民に察しお、これたでずは違った想像力 を泚文する。

識より共感胜力を育おるこずがもっず重芁です。韓囜人は䞻に

「敵察でも、恩恵でもない芖線が重芁です。これたでずは

北朝鮮を『韓民族であり、統䞀の察象』だず芋なすフレヌムに

異なる新しい想像力ぞの架橋が、脱北者だずいうわけです」。

ずらわれおいるようです。北朝鮮を、倚くの地䞋資源ず安い劎

今幎パク支郚長は、英囜・朝鮮半島関係の増進に寄䞎した

働力を備えた魅力的な投資察象か利甚察象ずしおだけ考えおい

点が高く評䟡されお、英囜王宀から「倧英垝囜囜家功劎賞」を

るようです」。

受賞した。脱北者ず北朝鮮䜏民の人暩のために働いた功劎が認

パクさんは「韓囜の青幎たちは北朝鮮瀟䌚に察しお実に無関

められたのだ。゜ン・フンミン孫興民遞手が所属するむン

心だ。よっお北朝鮮が扉を開けたずきに、偏芋ず理解䞍足による

グランドプレミアムリヌグのトッテナム・ホットスパヌFCの䞻

南北間の瀟䌚的葛藀が想像以䞊になるだろう」ず懞念する。

将ハリヌ・ケむンも今回、勲章の受勲者名簿に名前があった。

圌は政治・安保の枠組みのみで北朝鮮を芋おいる囜際瀟䌚 にも、他の芖点を提案する。 「北朝鮮ず蚀えば、真っ先にキム・ゞョンりンや栞兵噚を 思い浮かべたすが、私たちがより関心を持たなければならない 察象は、2500䞇人の北朝鮮の䜏民です」。 「リンク」は脱北者支揎以倖に、北朝鮮の人々の生々しい 話を党䞖界に䌝える掻動もしおいる。2008幎に䜜られたドキュ

パク支郚長は「今も光の圓たらないずころで、脱北者が無事に 韓囜に来られるように、黙々ず掻動しおいるすべおの方々にこ の栄光を捧げたい」ず話す。 圌はこの先条件が敎えば、祖父母の故郷である北朝鮮に行 き、暮らしおみたいず蚀う。北朝鮮ずいう難題を前にした圌 の、力の限り最善を尜くすずいう芚悟のもう䞀぀の衚珟なのだ ろう。

韓囜の文化ず芞術 61


日垞茶飯事

「幞運な」 若者が倢芋る幞せ 韓囜の既存䞖代は、珟圚の幞犏よりは将来の幞犏をより重芁芖しおきた。それでバラ色の将来 を倢芋お財垃の玐を匕き締め、奮闘し目先の欲望を節制した。しかし今の韓囜の20代は、䞍透 明な未来の幞犏よりは、小さくずも確実な珟圚の幞犏を優先する。就職準備䞭のダン・ヘりン 梁恵恩さんもその䞀人だ。 キム・フンスク 金興淑、詩人 蚱東旭 写真 62 KOREANA 倏号 2019


囜の20代は「攟棄の䞖

韓

す。録音テヌプの韓囜語を聞きながら台本ず合わせおチェックし、誀字や脱字が

代」ず呌ばれる。恋愛、

あれば修正する仕事です」。

結婚、出産を攟棄する

週末にはカフェで働いおいる。定期的な二぀の仕事のほかにも、臚時のむベ

ずいう意味の「攟䞖代」ずいう蚀葉

ント芁員や事務補助などアルバむトがはいれば、それもほずんどこなしおいる。

が2011幎に初めお登堎し、「攟䞖代」

圌女は倧孊を卒業埌、正瀟員ずしお就職し実力も認められたが、幎䜙りでその

「攟䞖代」を経お2015幎には、倚くの

䌚瀟を蟞めた。スタヌトアップ䌁業の䌚瀟で、䜕でも各自自分で取り組んでいく

こずを攟棄しなくおはならない䞖代だず

雰囲気だった。圌女は創意性を認めおもらえたものの、もう少しシステムの敎っ

いう意味の「攟䞖代」ずいう蚀葉たで

た職堎で働きたかった。

生たれた。

ヘりンさんが入瀟を考えおいる䌚瀟は、自分の究極的な目暙に近い䌚瀟だ。

20䞖玀埌半「やればできる」をモッ

「私は創䜜を通しお、矎しさを䌝えるこずで瀟䌚を豊かにする人間、非営利

トヌに「挢江の奇跡」を成し遂げた既存

の公共芞術掻動を通しお、子どもたちや家庭的に恵たれない人々に自由を䞎える

䞖代の䞭には、このような若者たちに察

人間になりたいです」。

しお批刀的な人も倚い。しかし、圌らの

その目暙を達成するために圌女は毎日文章を曞き、絵を描き、写真を撮る。

若い頃の韓囜ず今の韓囜は明らかに違

「家庭的に恵たれない」人々を助けたいずいう目暙をたおたのは、自分の経隓の

う。あの頃は急速な経枈成長のおかげで

せいかもしれないず考える。今は゜りルで暮らしおいるが、故郷は枈州島で䞭孊

就職もたやすく、より良い未来も倢芋る

幎のずきに䞡芪が離婚をし、父ず母の間を行ったり来たりしながら育った。

こずができたが、䜕幎間も就職準備生ず

圌女は平凡な䞭産局の家庭に生たれた。父は銀行員、母は䞻婊、祖父は地䞻

しお生きなければならない若者が倚い昚

だった。しかし、父が賭博をしお他人の保蚌人ずなり借金を抱えるこずになっお

今、未来の蚭蚈は運の良い少数の特暩ず

したい、それにより畑ず土地をすべお倱い、祖父はショックで倒れ、そのたた病

なっおしたったようだ。

院に数カ月間入院の末に亡くなった。䞡芪の喧嘩は日に日に激しくなり、結局は

目暙に向かっおの旅路

離婚に至った。

準備生だ。

ンさんは䞡芪の離婚のせいで人間にはいく぀もの顔があるこずを知った。枈州島

20代半ばのダン・ヘりンさんも就職

枈州島には芪戚や知り合いが倚く、離婚をしおも耇雑な事情が完党に払拭さ れるわけではなかった。「人間には぀の顔がある」ずいう蚀葉のように、ヘり

「倧人たちは私たちの䞖代に察しお

を抜け出したいから゜りルの倧孊に行くず蚀うず、䞡芪は匷く反察したが、姉た

よく批刀的な話をしたすが、実は私たち

ちが積極的に支揎しおくれた。それで党額奚孊金をもらっお挢陜倧孊校囜語囜文

はその方たちの話には関心がありたせ

孊科に進孊した。

ん。それはたぶん私たちがあたりにも忙 しいからでしょう」。

「䞡芪の離婚埌、これで私を取り囲んでいた塀が無くなったずいう事実に気 づき、誰にも頌らずに自立しお生きおきたしたが、それでも考詊院で䞀人暮らし

ヘりンさんは小孊生向けの塟の先生

をしながら勉匷ずアルバむトを䞡立させるのは本圓に倧倉でした。孊幎の孊

をはじめ、カフェのアルバむト、矎術通

期には、故郷の姉に電話をしながら道端で泣いたこずも䞀床や二床ではありたせ

のボランティアガむドなど倚圩な仕事を

んでした」。

しおきた。今も平日ず週末にそれぞれ別

最も安い䜏居空間ずいえる考詊院には1、2坪ほどの小さな郚屋がずらり

の仕事をしながら郚屋代ず生掻費を皌い

ず䞊んでいるが、郚屋ず郚屋の間は薄い壁で仕切られただけでプラむバシヌ

でいる。

もない。

「平日にはアメリカで䜿う韓囜語の

「孊期からは泣きたせんでした。孊校のキャンパスが広くお気持ちがよ

教材を䜜る仕事をしおいたす。『圚宅勀

く、勉匷するのが楜しくお、家族のような友人もできたした。゜りルずいう郜垂

務』ずいうのは蚀葉だけで、実際は䞻に

ず倚様な人々が新鮮で面癜く感じられたした」。

カフェでノヌトブックで䜜業をしおいた

䞀人で過ごす時間

ヘりンさんの䞀日は午前時に始たるずきもあるし、11時に始たるずきもあ

゜りル華陜掞にあるカフェで、韓囜語 の教材䜜りをしおいるダン・ヘりンさ ん。就職準備生の圌女は、自宅よりも カフェで仕事をするほうが、集䞭力が アップするず蚀う。

る。早く出勀しなければならないずきには早く起きるが、そうでない日には遅く起 きる。朝はトヌストか卵ですたせ、ノヌトブック、スケッチブック、カメラなどの 入ったカバンを背負っお家を出る。行き先はほずんど毎日違うが、たいおいは前日 に決めおおく。青果卞し垂堎や挢方薬材垂堎の路地を歩き回ったり、矎術通や図曞

韓囜の文化ず芞術 63


通、公園などを蚪れお、写真を撮っおメ

たちが自由に遊んでいるのを芋お、い぀か必ず氎泳を習おうず決めた。

モをする。そしおカフェに入っお、アむ

「考え蟌みやすい人は、肉䜓を動かすこずで悩みを解決できるずいう話を本

スコヌヒヌ䞀杯にクロワッサンかマドレ

で読んだこずがありたすが、その話は圓たっおいる気がしたす。私のルヌムメむ

ヌヌ䞀぀を泚文し、時間ほど「圚宅勀

トは私よりも数カ月先に習い始めお、私は月になりようやく始めたしたが、氎

務」をしおから家に垰っおくる。

泳を通しお少し物事がシンプルになり、より自由になった気がしたす。これから

家では簡単に倕飯を食べおから、絵を

も氎泳は続けおいこうず思いたす」。

描いたり、映画を芋たり、文章を曞いた

ヘりンさんにずっおルヌムメむトは家族ず同じだ。今は人目のルヌムメむ

り、本を読んだりしおだいたい午前時頃

トず暮らしおいるが、枈州島庁が゜りルの倧孊に通う枈州島出身の孊生たちのた

に床に぀く。以前は本を買っお読んでいた

めに運営しおいる寄宿舎で初めお出䌚い、珟圚は韓囜土地䜏宅公瀟が運営する青

が、今は借りお読むようにしおいる。

幎䜏宅で䞀緒に暮らしおいる。それぞれ郚屋を䞀぀ず぀もち、小さなリビングず

「本が増えるず匕っ越すずきに倧倉 なんです。それでも「ビッグむシュヌ」

バスルヌム、キッチンが぀いおいる。䞀人圓たりの郚屋代は26䞇りォン、これに 電気、氎道、ガスなどの公共料金を合わせるずおよそ30䞇りォンほどになる。

はほずんど必ず買っおいたす。コンテン ツが奜きなので」。 絵は写真に撮っおきたものを描くこ ずもあり、ピンタレスのような゜ヌシャ

「ルヌムメむトの良い点は䜕ず蚀っおも身近に話盞手がいるずいうこずで す。寝る時間や掃陀の習慣など、生掻パタヌンが違うず䞍䟿なずきもありたす が。前のルヌムメむトの䞀人は料理奜きで、私の顔さえみれば䜕か食べさせよう ずしたした。おかげで䜓重が5キロも増えおしたいたしたね」。

ルメディアで芋たむメヌゞや映画の堎面 を描くずきもある。

週末に働いおいるカフェは建囜倧孊校付近にあり、人の良い瀟長で2017幎 月から今たで働いおいる。圌女には垞に新たな挑戊をするその女瀟長が茝いお芋

「倧孊幎のずきにカ月間、映画

える。瀟長は䜕床かのチャレンゞの末に補菓補パン垫の資栌蚌ず運転免蚱をず

祭でむンタヌンずしお働きながら報道資

り、怍物も熱心に育おおいるのでカフェの入口は垞に怍物であふれおいる。最近

料を䜜成しおむベント支揎をしたした。

はむチゎラテ、青葡萄゚むズなど、新しいメニュヌも研究しおいる。

卒業埌に働いた䌚瀟では、たくさんのむ

ヘりンさんはカフェで長い間働いたおかげで、ドリンクはもちろんカフェラ

ベント䌁画者やアヌティストにむンタビ

テにハヌトを描くこずもできるが、バリスタの資栌蚌を取るこずはしなかった。

ュヌをしたした。以前は䜜品を芋るだけ

就職準備生の䞭には資栌蚌を䜕枚ももっおいる人もいるが、圌女には資栌蚌は䞀

で満足しおいたしたが、アヌティストた ちず接しながら私も盎接しおみたくなり たした。私の考えを衚珟する自由を満喫 したいず思うようになりたした」。 月曜日から朚曜日たでの日間、倜 には区圹所の瀟䌚犏祉通に行き、䞀時間 氎泳を習っおいる。枈州島で生たれ育っ た圌女は、幌い頃から海蟺で遊んできた が、氎泳はうたくない。倧孊時代に孊校 からオヌストラリアのブリスベンに語孊 研究に行かせおもらったが、その時に倖 囜人の友人たちず垂内のプヌルに遊びに 行ったこずがあった。氎泳のうたい友人

1, 2. クリ゚むティブな職業に぀きたいダン・ヘ りンさんにずっお、前日に決めおおいた行き先を 蚪れ、絵を描いたり、写真を撮っお蚘録するこず は、倧切な日課だ。

3. 圌女は毎週末、建囜倧孊近くにあるカフェでア ルバむトをしおいる。バリスタの資栌はないが、 2幎以䞊働いたおかげで今では、ほずんどの飲み物 を䜜るこずができる。 64 KOREANA 倏号 2019

1

2


「私は創䜜を通しお矎し さを䌝えるこずで瀟䌚を 豊かにする人間、぀たり 非営利の公共芞術掻動を 通しお、子どもたちや家 庭的に恵たれない人々に 自由を䞎える人間になり たいです」 枚もない。 「就職を準備する友人たちは普通、 䞍安に襲われるんですが、私は『就職し ようず思えばできる。䞍安に思わずに䞀 人でいる時間を充実させよう』ず考えお いたす」。 昚幎は䞀人でむンドず゚ゞプトを旅 行した。むンドに3週間、゚ゞプトに2週 間、垰っお来たら貯金は底を぀いおいた が旅をしおよかったず思えた。

3

「貯金がなくおも䞍安ではありたせ ん。お金は就職しおたた皌げばいいので すから。旅しお良かったず思った点は、 自分をよく知るこずができたこずです。

倧孊校を卒業し同倧孊の倧孊院の博士課皋にいる。䞉人姉効はずいぶん前に「絶

毎日新しい環境におかれるこずで自分の

察に結婚はせずに、30歳たでは胜力を磚き、責任がずれないのなら子䟛を生むの

新しい䞀面を発芋できたした。結果から

はやめよう」ず玄束したずいう。「絶察に結婚しないずいう玄束は守れないかも

蚀うず、私は䞀人でも十分にうたく過

しれたせん。姉には長い間付き合っおいる圌氏がいるんです」ず蚀っおヘりンさ

ごせる人間だずいうこずに気付きたし

んは笑った。

た」。

小孊校幎生のずきの担任の先生ずの出䌚いも幞運だった。その先生から文

慰劎ず激励

章が䞊手だず耒められたおかげで珟圚たで文章を曞いおきた。2015幎倧孊䌑孊䞭

ヘりンさんは自分が幞運な人間だず

ュヌを曞いた。原皿料はなかったが読者の反応を芋お、創䜜ず疎通の楜しさを感

思っおいる。物理孊に゚ネルギヌ保存の

じるこずができた。今は忙しくお曞けないでいるが、い぀かは再び曞く事がある

法則があるように、人生には「幞運総量

だろうず考えおいる。

保存の法則」のようなものがあるず考え る。そしお自分にずっおの幞運は玠敵な 人ず出䌚うこずだず信じおいる。 圌女の最初の幞運は、垞に圌女を支

には「アップコリア」ずいうコラム専門のり゚ブサむトに映画、挔劇、本のレビ

ヘりンさんは時々寝る前に「ヘりン、今日もご苊劎さん。勉匷ず仕事の䞡立、 二匹のりサギを捕たえようずい぀も倧倉だね」ず自らを慰劎しおいるずいう。 「生きおいれば䞋り坂も、䞊り坂もありたすが、重芁なこずはどんな状況で も品䜍を倱わずにいるこずだず思いたす」。

持しお激励しおくれる姉たちだ。䞊の姉

長いこず生きおいる人間は倚くおも、成熟した倧人は倚くはない。ヘりンさ

は枈州倧孊校を卒業埌、䞭囜䞊海の埩旊

んはただ26歳だがすでに倧人だ。人間の成熟床を決めるのは過去の道皋ではな

倧孊校の修士課皋におり、䞋の姉は枈州

く、自分ず人生に察する理解なのだ。

韓囜の文化ず芞術 65


遠くの目

「汀」 に想う 韓囜でのキムチ甕補䜜の修業を終えた私は、釜山から䞋関行きのフェリヌに乗り蟌んだ。 30幎前の事だ。船宀は広めの座敷で、耇数の人々がめいめい陣取り、そこで倜を明かす。 薩摩焌十五代 沈壜官 ちん・じゅかん

最

近の韓日関係に぀いお、䜕か思う 事をず問われ、この原皿に向かっ おいる。

韓日関係、このテヌマは私にずっお50幎近く抱 えおきた重倧なテヌマであり、殆ど私の人生を支配 しおきた問題ず蚀っお良い。 「朝鮮人」ず呌ばれ蚳もわからずに殎られた 少幎期があった。「チョッパリ」ず呌ばれお韓囜 の路地で人の男に袋叩きにされた事もある。 「朝鮮に垰れ」ず日本で蚀われ、「400幎の 垢を掗い流せ、お前の噚からは日本の匂いがす る」ず韓囜で蚀われた。 どうしたら日本人になれるのか、又、韓囜人に なる為にはどうしたら良いのか その為の明文芏 定があるのか 人心を錓舞する床に䜿われる「民族」ずはそも そも䜕を意味する蚀葉なのか

海だったずころが、朮が匕くず陞になる。 山の䞊から、又は、沖合から陞がどうだ、海が どうだず叫ぶ人々がいるが、その人たちに「汀」は 芋えおいない。 「汀」は海ず陞の狭間で䞡者を繋いおきた。 韓囜でのキムチ甕補䜜の修業を終えた私は、釜 山から䞋関行きのフェリヌに乗り蟌んだ。30幎前の 事だ。 船宀は広めの座敷で、耇数の人々がめいめい陣 取り、そこで倜を明かす。 声高に釜山蚛りのハングルで語り合う5〜6名のア ゞュモニ達。倧きな荷物を担いで乗り蟌んできた。 船はやがお釜山の枯を離れ、玄界灘を越え䞋関 ぞ向かう。 倜の海峡は、奜持堎である為、䞡囜の持船で実 に賑やかであった。 400幎前、薩摩軍船の船倉に閉じ蟌められ、挆

囜家ずは䞀䜓䜕か

黒の海を芋知らぬ囜ぞず運ばれた先祖の事を重ねお

様々な出来事が起こるたびに、幌い頃から自問

みたいず思った私のセンチメンタルは、集魚灯を照

しおきた。

らす海䞊の忙しい珟実颚景にかき消されおいった。

ただ、今、思うこずは我々を含めお、二぀の囜

やがお倜が明けお船は䞋関の枯ぞ。その時、䞋

の狭間で生きおきた人々がいる事。そしお今も生き

船する倧きな荷物を担いだアゞュモニ達は、昚日た

おいる人々が数倚くいる、ずいう珟実だ。

での釜山蚛りのハングルから、実に芋事な博倚匁ぞ

遥か䞊空から地䞊を芋䞋ろすず、海ず陞の境界 が実に明瞭に芋える。 が、䞀床、波打ち際に足を運ぶず。そこには海 ずも陞ずも぀かない「汀」が存圚する。さっきたで

66 KOREANA 倏号 2019

ず倉身しおいたのだ。 「あぁ、、。このお母さん達は、重い荷物を担 いで、䜕床も䜕床もこの海峡を枡りながら、立掟に 子䟛達を育おおきたのだ」


その逞しさず屈蚗のない明るさに觊れた時、䜕 かが私の䞭で溶けた。 「これが珟実なのだ。これで良いのだ」ず。 叞銬遌倪郎氏は私にこう教えた。

を芋た私が、埌で青瓊台の儀兞課長に泚意した。す るず河課長は「倧統領がこれで構わない、ず蚀われ るのです」ず答えた。 以前、日本の公明党幹事長だった冬柎鉄䞉氏が

「民族ずは些末なものです。文化の共有個䜓に

「沈さん、金倧統領は韓囜の南の小さな島の出身

過ぎず、人皮ではありたせん。颚土が違うだけなの

で、怍民地時代、ハングルを䜿甚犁止された為、父

です」ず。そしお、「匷く日本人ずしおのアむデン

芪ず䌚話するこずが出来ず、涙を流しながら抱き合

ティティを持ちながら、韓囜人、䞭囜人の心が分か

った事もあるのですよ」ず教えられた事を思い出

る事。囜家をトランスできる事が倧切です。真の愛

し、改めお、そのお人柄に打たれた思い出がある。

囜はそこから生たれたす」ず。

又、圓時の日本の小枕総理は、薩摩焌400幎祭

そこには自民族䞭心䞻矩の欠片も無く、肩曞き

で私が韓囜の党北南原垂より運んだ聖火で焌いた茶

や富貎にも拠らない、自らを䞀個の人類に仕立お䞊

碗を父14代から受け取り、それを米囜のクリントン

げようずする幌少期からの心がけのみがあった。

倧統領に莈りたい旚の蚱可をわざわざ自ら電話で確

政治的な軋蜢の䞭でも、亀流を絶やさない人々

認しおきた。

が盞互にいる。䞭には重い障害を持ちながらも互い

たたたた電話を取った私に「自由民䞻党の小枕

に亀流を続ける人々、そしおそれを支える健垞者や

恵䞉です」ず名乗られた時は、思わず盎立䞍動の姿

スポンサヌ。

勢を取ったものだ。ちなみにこの日は日本共産党

それは、䞡囜の亀流の䞭にあっおは、実にささや かな事に過ぎないだろう。しかし、倧切な事はそこに 行動し続ける人々が存圚しおいるずいう事実だ。 1997幎、父が゜りルの䞀民矎術通で我が家の歎 代䜜品を展瀺する「垰郷展」を開催した折、圓時の

の䞍砎哲䞉曞蚘局長からもお祝いのお電話を頂き、 䞍思議な1日だった  食らない人柄、むデオロギヌを越えお盞手に察 する深い敬意ず信頌。そしお圌らは䞀様に「汀」に 生きる人々の事を垞に思っおいた。

金倧䞭倧統領がおっしゃられた蚀葉だ。「我々は

私に、どちらかを遞べお前の血はどちらだ

400幎前、日本に陶芞の技術を䌝えた。日本人はそ

民族の心は ず問い詰めた愛囜者ず称する人々の

れを産業のレベルにたで匕き䞊げた。我々韓囜が孊

心のなんず偏狭な事か。

ぶ点はそこにある」ず。 その時、倧統領の背広の襟が擊り切れおいたの

è–©æ‘©ç„Œ400幎祭 小枕総理来苑

今、私達が想起すべきはその事であり、今こそ 「汀」に生きる人々の努力が詊される時であろう。

薩摩焌十五代 沈壜官

韓囜の文化ず芞術 67


゚ンタヌテむンメント

バラ゚ティ番組にみられる 韓囜のツヌリズム

1983幎、韓囜で限定的に解犁された海倖旅行は、1989 幎になっお完党に自由化された。最近では、海倖を蚪 れる韓囜人出囜者数が幎間千人に䞊るほど、海倖旅 行が広く普及しおいる。囜内倖の旅行をテヌマにした 様々なバラ゚ティ番組から、韓囜人の旅行圢態の倉化 をうかがうこずができる。 チョン・ドヒョン 鄭埳賢、倧衆文化評論家

Ⓘ tvN

1

旅

行がバラ゚ティ番組の ネタずなったのは、韓

2

囜の公共攟送局「KBS」

が2007幎月に攟送を始めたリアルバラ

え、アりトドアブヌムが巻き起こったほ

゚ティ番組を手掛けた。これらの番組

゚ティ番組『泊日』が最初だった。

どである。これに䌎い、韓囜の旅行圢態

は、韓囜の旅行バラ゚ティ番組をけん匕

䜕人かの人気タレントが、党囜の隠れた

は、史跡や絶景スポットをカメラに収め

したほか、人々の旅行圢態にも倧きな圱

名所を探したわる過皋で起こるハプニン

る「芳光型旅行」から実質的な経隓を奜

響を䞎えた。たた、芳光型から䜓隓型

グが売りのこの番組は「アりト・ドア・

む「䜓隓型旅行」ぞず移行し始めた。

ぞ、囜内から海倖ぞ、団䜓から個人ぞず

ラむフ」ずいう新しい旅行圢態を生み出

2019幎月たで12幎間も続いたこの

した。特にゲヌムに負けた人が眰ゲヌム

番組は、韓囜の旅行バラ゚ティ番組を語

映した番組ずもいえる。

ずしお、真冬に家の倖のテントで寝なけ

る䞊で欠かせない人物、ナ・ペン゜ク

ればならない、いわゆる「野倖就寝」が

矅䁐錫プロデュヌサヌの䜜品だ。

ブヌムずなり、党囜のキャンプ堎では、

『泊日』シヌズンの終了埌、地䞊

旅行バラ゚ティに蟌められた情緒

テントが数珠぀なぎになるずいう珍しい

æ³¢KBSからケヌブルテレビ「tvN」に転職

人がバッグパッカヌになっお、ペヌ

光景も展開された。圓時、テントはもち

した圌は、埌茩のプロデュヌサヌ数人

ロッパを蚪れる『花よりおじいさん』ず

ろんのこず、各皮アりトドアグッズから

ず、いわゆる「ナ・ペン゜ク瀟団」を立

いう番組も公開ず同時に韓囜で倧ヒット

衣類に至るたで関連産業が奜況期をむか

ち䞊げ、旅行をテヌマにした数々のバラ

した。圓時は「バックパック旅行倧孊

68 KOREANA 倏号 2019

移行しおいる韓囜の旅行圢態をうたく反

2013幎、70歳以䞊のベテラン俳優


生たちが奜む旅行圢態」ずいう認識が

れ、知り合いを招埅しお䞀緒に料理を䜜

から離れお新しいこずにチャレンゞした

䞀般的だったため、このような詊みは

ったり、その料理を䞀緒に食べながら䞀

いずいう「起業欲」ず、倖囜人ず日垞的

かなり新鮮なものであった。お幎寄り

味違う旅行の幞犏感に浞る姿が映し出さ

な䌚話がしたいずいう「疎通欲」をうた

のバックパック旅行がバラ゚ティ番組

れた。

く反映した番組である。旅行ずは、本質

のテヌマになれたのは、高霢化が進ん

このように自然に寄り添った旅行、

的に他者の暮らしや空間を芋お回るこず

でいる韓囜瀟䌚の状況ず海倖旅行ブヌ

たたは環境にやさしいラむフスタむル

である。海倖を旅行する韓囜人が増えた

ムがうたく盞たったからだろう。実際

の究極ずもいえるトレンドが、いわゆる

のは、より広い䞖界で暮らしおいる他者

にこの番組は、䞭高霢局の海倖旅行ぞ

「オフグリッド」である。2018幎、ナ・

ぞの関心や奜奇心が高たったずいうこ

の意欲を掻き立おた。

ペン゜ク瀟団は、電気やガスなど゚ネル

ずの裏付けでもある。2017幎にシヌズン

䞀方、人の若手タレントが誰

ギヌが䟛絊されない人里離れた山奥にあ

、2018幎にシヌズンず、蚈20話が攟

の干枉も受けない静かな田舎で、䞀日䞭

るオフグリッドハりスで生掻する『森の

送され倧きな反響を呌んだ『ナン食堂』

ひたすら䞉床の食事を䜜っお食べるこず

䞭の小さな家』ずいう番組を公開した。

は、このような時代の流れをうたく捉え

だけに没頭する『䞉食ごはん』は、過床

孀立しおいるからこそより鮮明に聞こえ

た番組ずいえよう。

な業務や人間関係で疲れ果おた郜䌚人を

る鳥の鳎き声や氎の音、真っ暗な倜空に

2019幎月から攟送された『スペむ

魅了した。2014幎から2017幎たでシヌズ

茝く星などが、郜䌚の生掻に疲れ果おた

ンの䞋宿』もナン食堂ず同様、人気タレ

ンにわたっお攟送されたこの番組で

人々の心を癒した。

ントが出挔する定着型旅行番組だが、䞀

は、郜䌚では簡単に枈たせられた日

局進化した䌁画意図ず構成が際立った。

タしながら苊戊する様子が描かれ、それ

疎通から埗られる幞せ

海倖で韓囜食堂をオヌプンし、地元

ヌラの巡瀌路の䞭間地点にある村に䞋宿

が人々の笑いを誘い、共感を匕き出し

の䜏民や芳光客に韓囜料理を味わっおも

屋をオヌプンし、そこを蚪れる巡瀌者た

た。出挔者たちがしばらくの間郜䌚を離

らうずいう蚭定の『ナン食堂』は、韓囜

ちに枩かい食事ず宿を提䟛するずいう蚭

床の食事を取るために、出挔者がドタバ

スペむンのサンティアゎデコンポステ

定の番組だ。巡瀌路の䞋宿屋ずいう蚭定 を通しお、出挔者が自然に地元䜏民ず関 係を築いたり、䞋宿を蚪れる韓囜人だけ でなく様々な囜から来た人々ず疎通する 姿が映し出されおいる。 䞀芋、旅行ずいうテヌマはすぐにネ タが尜きおしたうようにみえるが、どの ような圢で、どのような堎所で、どんな 人々ず旅行するかによっお、膚倧な可胜 性が繰り広げられるずいうこずをナ・ペ ン゜ク瀟団は蚌明しおくれた。たたそれ は、韓囜の旅行圢態が旅行者の奜みによ

『花よりおじいさん』は、高霢 のベテラン俳優たちによるバック パック旅行をテヌマにしたリアリ ティテレビ番組である。アメリカ の地䞊波攟送局NBCがこの番組の フォヌマットを茞入、<Better Late Than Never>を補䜜し、攟送した。

っお今埌䞀局倚様化し、充実しおいく可 胜性があるずいうこずをも意味する。 旅行においおも画䞀化ず集団䞻矩が目 立っおいた時代があった。「みんなが旅 行にいくなら぀いでに私も」ずいうよう

 『ナン食堂』は 、海倖で韓囜 食堂をオヌプンし、地元䜏民や芳 光客に韓囜料理を提䟛する番組で ある。 今幎、攟送が始たったばかり の『スペむンの䞋宿』は、サンテ ィアゎの巡瀌路に䞋宿屋をオヌプ ンし、そこを蚪れる巡瀌者たちに 枩かい食事ず宿を提䟛するずいう 蚭定の番組である。

な旅行の時代は終わった。パッケヌゞツ アヌから自由旅行ぞ、自由旅行から個人 の趣向を凝らした「趣向旅行」ぞず、旅 行産業においお新しいトレンドが生たれ おいる。テレビで盞次いで攟送されおい る様々な奜みを取り入れた旅行バラ゚テ 3

ィ番組が、時代の倉化を物語っおいる。

韓囜の文化ず芞術 69


ラむフスタむル

゜りル郜心のホテル 屋䞊にある野倖プヌ ルで、宿泊客が日光 济ず氎泳を楜しんで いる。

© 連合ニュヌス

70 KOREANA 倏号 2019


新しい 䌑暇の楜しみ方

ントに圓遞しお思いがけない「ホカンス」 を楜しんだ。普段からホカンスに関心はあ ったものの経隓する機䌚がなかった圌は、 「゜りル垂内のホテルでゆったりず䞀晩を すごし、玠敵な思い出を 䜜 っ た 」 ず 語 っ た。さらに「普通旅行に行くず、䞻に決め られたスケゞュヌルを消化するのに気を䜿 うこずになる」ずし、「宿舎は単に寝るず ころだず考えおいたが、今回の経隓でその

䌑暇を楜しむのに、わざわざ遠くぞ旅行に出かけなくおはなら ないのか 長距離旅行の疲れず䌑暇シヌズンの人ごみを避け お、郜心のホテルや自宅で読曞やゲヌム、映画鑑賞などを楜し み、十分な䌑息をずる「合理的」な䌑暇スタむルが、若者䞖代 を䞭心に広がっおいる。 キム・ドンファン 金東桓、䞖界日報蚘者

ような考えが倉わった」ず感想を述べた。 午埌時にチェックむンをしたりさん は、䌚瀟のミヌテむング の た め に 倖 出 し お午埌10時頃ホテルに戻った。そしお近く のコンビニで買っおきたおや぀を食べなが ら、タブレットP Cの䞭の映像を楜しむずい う䌑息をずった。‘チキンずビヌルを手に 海倖サッカヌを芖聎する’ずいう最初の蚈 画を実践するこずはできなかったが、自分 だけの時間を送るこずができた。普段は朝 食抜きだが‘ホテルに行ったら必ず朝食は 食べるように’ずいう知人らのアドバむス に埓い、朝は早起きした。ご飯にスクラン ブル゚ッグ、焌き鳥、キムチずいう朝食の メニュヌにも満足し、圌はアロママッサヌ

わ

ゞを受けた埌、午前11時頃にチェックアり

間がかかるずいう考えが広がっおいる。

こず。次は午埌プロサッカヌの詊合を芳戊

トをした。

ずか数幎前たで、倏の䌑暇シヌズンになるず倧倚数の人々が

りさんは「手軜に䞀味違う方法で、日垞

山や海ぞず旅立った。しかし最近では、短期間の長距離旅行

を脱出する機䌚だった」ずし「次回は友人

では疲劎が残るだけで、日垞の生掻モヌドぞの切り替えに時

たちず䞀緒にホカンスを楜しみたい」ずの

囜内の垂堎調査専門䌁業マクロミル・゚ムブレむン(Macromil Embrain)

した埌、倕方ホテルに戻っお友人たちず矎

が、2018幎に1959歳の成人男女1000人を察象に行った調査で「倏の䌑暇は必

味しいものを食べお、海倖サッカヌの䞭継

ず旅行に行くべきだ」ず答えた人は42に過ぎなかった。反面「どこにも行

を芋る「サッカヌファン・ホカンス」を䌁

かなくおも良い」ず答えた人は53.2を占めた。ハむシヌズンの人ごみず䞍圓

画したいず抱負を語った。

に高い料金が䞻な理由ずしお挙げられ、「旅行に行くずむしろ疲れる」ずの 答えも倚かった。 それに䌎いここ数幎の間に登堎した颚朮が、ホテルにしばし宿泊しお䌑暇

ホテルは倏の䌑暇シヌズンだけではな く、クリスマスや幎末シヌズンにも家族連 れやカップル、友達同士でパヌティを楜し

を楜しむ「ホカンス」ず、家で䌑暇をすごす「ホヌムカンス」だ。

む人々で賑わう。そこに民族倧移動の秋倕

負担のない日垞からの脱出

旧暊月15日ず旧正月の倧混雑の高速

スポヌツマヌケティング分野で働く20代の男性りさんは、今幎月むベ

道路の列を抜け出し、のんびりず家族ず䌑 暇を過ごす人々も幎々増加しおいる。

韓囜の文化ず芞術 71


知人ず日垞を共有するむ ンスタグラム、フェむス ブックも「ホカンス」人 気に圱響を䞎えおいるよ うに芋える。そこには他 人ずは違う日垞を誇瀺し たいずいう心理が反映し おいるようだ。

1 © ケティむメヌゞ

このようにホカンスの人気に匟みが぀いおいるもう䞀぀の理由は「週52時 間勀務制床」の定着だ。仕事ずプラむベヌトのバランスを重芖しながら、退 勀埌には自分のためだけの䌑息をずろうず、䞀人でのんびり䌑めるホテルを 蚪れる人々も少なくない。圌らのためのプヌル利甚刞ずディナヌ食事刞を含 めた「倜間パッケヌゞ」を発売するホテルもある。 知人ず日垞を共有するむンスタグラムやフェむスブックも「ホカンス」人 気に圱響を䞎えおいるように芋える。そこには他人ずは違う日垞を誇瀺した いずいう心理が反映しおいるようだ。宿泊アプリの「ペギオッテここはど う」を運営する「 WITH Innovation」 は、2018幎12月から今幎の月たで の、自瀟の予玄アプリの人気キヌワヌドを分析した。その結果“枩氎プヌル 関連の怜玢数が前幎の同じ期間よりも40ほど増加しおおり、これはリゟヌ ト斜蚭を備えたホテルが増え、他の人々がSNSにのせた関連ハッシュタグを芋 お、異色ホカンスに関心が集たったため”ず説明した。 1. 忙しい日垞から脱出しお、ホテルで友人や家族ず 共に矎味しい料理や飲み物を楜しみながらテレビを 芋るのも、䌑息を満喫できる方法だ。

2. ホテルの客宀で楜しいひずずきを過す宿泊客。ホ カンスの人気が高たるのに䌎い、業界では客宀内で 楜しめる様々なパッケヌゞ商品を䌁画しおいる。

72 KOREANA 倏号 2019

倚圩なパッケヌゞ商品

ホカンスの人気が急激に䞊昇しおいる業界では、倚圩なパッケヌゞ商品

を䌁画・発売しおいる。昚幎の秋倕を前に枈州のあるホテルは「愛する劻ぞ の莈り物」ずいうコンセプトで朝食付きにビヌル・カクテル利甚刞、フット


タッフの応察に気分を害したずいう曞き蟌み が、ホテルレビュヌサむトず関連アプリに芋 られたりする。 このような䞍満があふれるのは、ホテ ル偎がハむシヌズンの利益を最倧限匕き出 そうず、さばききれない数の客の予玄を受 けたせいだず指摘されおいる。公正取匕委 員䌚ず韓囜消費者院よるず、20152017 幎の倏の䌑暇シヌズンに受け付けた宿泊、 旅行、航空の被害数はおよそ1700件に達 する。

新しいショッピングトレンド

䌑暇期間に䞀定の堎所にずどたる「ステ

むケヌションStaycation)」の新しい圢態 である「ホヌムカンス」も泚目される。通信 䌚瀟のテレコムは咋幎月、昌の最高気 枩が33床以䞊を蚘録した日のニュヌス、ブロ グ、掲瀺板、から収集したデヌタヌ合

2 © グランド むンタヌコンチネンタル゜りル パルナス

蚈131侇7420件を分析した結果、避暑法ず関 連したキヌワヌドで「ホヌムカンス」ずベラ ンダにプヌルを蚭眮する「ベラパヌクベラ ンダりォヌタヌパヌク」が含たれおいた

マッサヌゞなどが含たれたパッケヌゞ商品を売り出した。その他にも宿泊刞

ず発衚した。

に有名シェフの新メニュヌ利甚刞を組み合わせた商品、䞀人で旧正月や秋倕

刺すような真倏の日差しを避けお「ホヌ

を過ごす人のためのお䞀人様パッケヌゞ、映画通ず朝食刞を組み合わせた商

ムカンス」を楜しむ人々が増えたこずで、家

品、旧正月甚の逅の提䟛や泊以䞊宿泊客には近くの博物通の無料芳芧刞を

で完璧な䌑暇を可胜にするアむテムもずもに

提䟛するなど、新しい圢態の商品が続々ず登堎しおいる。

人気を埗おいる。咋幎月、家電量販店のロ

週末を含め最長日連䌑の続いた今幎の旧正月向けに、囜内の䞻芁ホテル

ッテハむマヌトでは、“本栌的な䌑暇シヌ

は、ペヌロッパ匏サりナ䜓隓やゞャズコンサヌトを組み合わせた商品、他囜

ズンが始たる月16日から30日たでの週間

にある自瀟チェヌンホテル宿泊刞などを売り出した。このような努力が実り

に、ミニビヌムプロゞェクタヌずBluetooth

゜りル郜心の某有名ホテルは、幎平均20だった内囜人の宿泊比率を、旧正

スピヌカヌの売䞊が盎前の週間ず比べお

月期間だけで倍以䞊も増やすずいう成果をあげた。このような成果に察し

40、30ず぀増えた”ずいう。壁党䜓をス

お業界関係者は“旧正月でも故郷に垰らないずいう人をはじめ、近くの䟿利

クリヌンずしお掻甚し、映画通レベルの豊か

な斜蚭で䌑暇を楜しむ人々ず連䌑に心身を癒そうずいう家族単䜍の顧客のお

な音響も具珟できるので、ホヌムカンス族に

かげ”ず説明した。

人気があるずの説明だ。さらにホヌムショッ

しかし、生涯の思い出に残るような䌑暇を楜しみたいずいう願いずは裏腹

ピングチャンネルでは、家で䌑暇を過ごす人

に、時折、時間ずお金の䞡方を無駄にするこずも起こる。ルヌフトップ・プ

々のニヌズに合わせたキャンプ料理の家庭食

ヌルのあるホテルに泊たったずころ、狭いプヌルに抌し寄せた倚くの利甚客

も人気を集めた。

のせいでプヌルはあきらめたずいう話、搭乗人員に比べお゚レベヌタヌが狭 すぎお、チェックアりトの際に長いこず埅たされたずいう経隓、䞍芪切なス

韓囜の文化ず芞術 73


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韩囜文化和艺术 89


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