国際演劇年鑑2020 ― 世界の舞台芸術を知る (Theatre Yearbook 2020 ― Theatre Abroad)

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Foreword

はじめに

公 益 社 団 法 人 国 際 演 劇 協 会日本センターは、ユネスコ( 国 連 教 育 科 学 文 化 機 関 )傘 下の NGOであり、世 界 約 90 の国や地 域のナショナル・センターや職 能 団体とつながる国際ネットワーク「 International Theatre Institute( I TI )」の一員 です。

ユネスコ憲 章の前 文には、 「 戦 争は人の心の中で生まれるものであり、人の心の 中に平 和のとりでを築かなければならない」と書かれています。当センターの定 款 第 3 条には、 その目的を「ユネスコ憲 章の趣旨に基づき、各 国 相 互の理 解を深め、 広く演 劇 舞 踊の創 造と交 流を促 進することで、我が国の文 化の発 展と平 和の実 現に寄与することを目的とする」と定めています。

演 劇や舞 踊の創 作 、鑑 賞は、人が時 間と空 間を共 有し、互いに関 心を持ち合 い、人 間と社 会について考えることを促します。電子媒体の発 達で、情 報 伝 達の量 と速 度が飛 躍 的に増 大した現 代においても、いや、 そのような時 代だからこそ、人 間と社 会に対する多 面 的で深い洞 察を可 能にするものとして、 その役 割が減じるこ とはないでしょう。

( Theatre Yearbook) を継 続して 当センターは、1972年 以 来『 国 際 演 劇 年 鑑 』 発 行してきました。1997年からは 2 分 冊とし、 「 Theatre in Japan」 (英語版) を海 外 向けに、 「 Theatre Abroad」 (日本 語 版 ) を日本の読 者 向けに編 集しています。 平 成 23( 2011)年 度からは、文 化 庁「 次 代の文 化を担う新 進 芸 術 家 育 成 事 業 」 として、当センターが委託を受けて実施しています。


また、同 事 業において、国 際 的な演 劇 交 流を促 進するための調 査・研 究 活 動 の一 環として、世 界の優れた戯 曲を紹 介するリーディング公 演を2009 年 以 来 継 続しています。今 年 度は「 紛 争 地 域から生まれた演 劇 」シリーズの 11 回目( 11 年 目) として、 イギリス生まれのナイジェリア人作家の作品を日本 初 訳し紹 介しました。

舞 台 芸 術を通して世 界と日本のつながりを知り、世 界 的なネットワークの中で日 本と他の国・地 域との相 互 理 解を深め、文 化の発 展と平 和の実 現を図るための 活動 基 盤として当年鑑を広く活用していただくことを願っています。

今 後とも、当センターの活 動に対して、皆 様からのご支 援・ご協力を賜りますよう お願い申し上げます。

2020年 3月27日 ワールド・シアター・デイを記念して

国際演劇協会( I TI /UNESCO) 日本センター 会長 永井多恵子


目 次 007

ワールド・シアター・デイ メッセージ シャーヒド・ナディーム

世界の舞台芸術を知る 2018/19 アジア・アフリカ 中国 京劇の可能性/田村容子

022

イ ソンゴン

(issue fighting)」 と 「プロセス演劇」への関心/李 星坤 韓国 「イシュー・ファイティング

031

ラオス 伝統と同時代性の融合から生まれるダイナミズム/オレ・カムチャンラ

042

イラン イランの演劇は、 テヘランで絶えず動いている/ナグメ・サミーニー

049

南アフリカ 民衆演劇の持つ意味/楠瀬佳子

056 067

レバノン モノドラマ様、 あるいは経済危機の時代における演劇/アビードゥー・バーシャー

078

イスラエル 建国70年目の岐路/村井華代

南北アメリカ・オセアニア 089

アメリカ 米国とニューヨーク―あれやこれやの舞台芸術状況俯瞰図/塩谷陽子

102

ブラジル ブラジル演劇と新ボルソナロ政権の文化政策、業界への打撃/マリア・フェルナンダ・ヴォメオ

112

ニュージーランド 文化の交差点で―マオリ・太平洋諸島移民・アジア系移民の舞台芸術/小杉 世

ヨーロッパ 123 135

イギリス 「ヨーロッパ家族」 という理念と現実/本橋哲也 アイルランド 女性の表象と多領域横断的アダプテーション/坂内 太

143 ドイツ/オーストリア/スイス せめぎ合いを続ける、 多文化共生への反発と賛意/萩原 健 153

フランス 消えない不穏な空気 明日への起爆剤となるか/藤井慎太郎

164

ギリシャ 財政危機から10年目の古代劇/山形治江

178 マケドニア 私は野生の肉ではなく、 演劇は風の枝ではない/ イヴァンカ・アポストロヴァ・バスカル 190

ロシア 演劇年2019―失われてはいない演劇の力/篠崎直也


シアター・トピックス 2019

〈座談会〉境界を越える舞台をめざして~平成30年間の国際交流を振り返る/ 佐藤まいみ、 宮城 聰、 中村 茜(司会:伊達なつめ) 202 新しい芝居に挑み続ける劇場─新生PARCO劇場開場に寄せて/杉山 弘 222 「ショー・マスト ・ゴー・オン」を体現した演劇人―追悼・ジャニー喜多川/林 尚之 230 岡田利規の時代─2010年代の舞台芸術/内野 儀 238

特集 紛争地域から生まれた演劇 11

少女の格闘が照射する私たちの現在地 ―『リベリアン・ガール』 リーディング上演を中心に/濱田元子 247

日本の舞台芸術を知る 2019

能・狂言 ベテランが見せた古典の現代性/小田幸子 258 歌舞伎 ベテラン・中堅の活躍と多才な新作上演/水落 潔 270 文楽 慶事と世代交代のはざまで/児玉竜一 279 オリジナル・ ミュージカル/萩尾 瞳 287 ミュージカル 目立つ、 として立つ。 橋を架ける/山口宏子 297 現代演劇 「個」 児童青少年演劇 未知なる未来へ/太田 昭 307 日本舞踊 イノベーションの時/平野英俊 316 対応への努力がみえる/うらわまこと 324 バレエ 混乱する環境のなか、 コンテンポラリーダンス・舞踏 ダンスリテラシーの欠如と必要性/堤 広志 333 テレビドラマ テレビドラマが提起するゆるやかな意識改革/中町綾子 346 編集後記 353 世界の国際演劇協会センター 358


《レポートの対象とする期間の変更について》 「世界の舞台芸術を知る」では本年度から対象期間を変更し、2018/19シーズン (2018年10月~2019年 9 月)の舞台芸術の動向について報告します。一部、昨 年度の内容と重複する箇所がありますがご了承ください。 また、 「日本の舞台芸術を知る」では、2019年(2019年1〜12月)の舞台芸術の 動向について取りあげています。


3.27

World Theatre Day ワールド・シアター・デイ 世 界 の 舞 台 人 が 舞 台 芸 術を通して平 和を願い、 演 劇 へ の 思いを共 有 する日《ワールド・シアター・デイ》は、

7

国 際 演 劇 協 会( I T I )フィンランドセンターの 提 案 から出 発し、 1 9 6 1 年に I T I 本 部によって創 設されました。 3 月2 7日は、I T I が 1 9 5 4 年 から主 催し、 歌 舞 伎 や 京 劇 、ベルリナー・アンサンブルやモスクワ芸 術 座など、 世 界 各 国 の 演 劇を紹 介してきた国 際 的な舞 台 芸 術フェスティバルの 先 駆け 「シアター・オブ・ネイションズ」 ( T h é â t r e d e s N a t i o n s=諸 国 民 演 劇 祭 )の 1 9 6 2 年 開 催 初日に当たります 。 以 来 、毎 年 3 月2 7日には、各 地 の I T I ナショナル・センターをはじめとする 世 界 の 舞 台 芸 術 関 連 団 体によって記 念イベントが 開 催され 、 多くの 演 劇 活 動 が 行われています 。 その中 心になるものの 一 つが パリのユネスコ本 部 でとり行われるセレモニーで、 1 9 6 2 年 のジャン・コクトーをはじめ、アーサー・ミラー、 ローレンス・オリヴィエ 、 ピーター・ブルック、ウジェーヌ・イヨネスコ、 アリアーヌ・ムヌーシュキン、ジョン・マルコヴィッチ、 ダリオ・フォなど、 I T I によって招 聘された舞 台 人 が 、世 界に向けてメッセージを発 信しています 。 ワールド・シアター・デイ2020

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World Theatre Day Message ワールド・シアター・デイ メッセージ

聖者廟(*1)としての劇場 ワールド・シアター・デイにメッセージを綴ることは私にとって大きな名 誉です。畏れ多く感じつつも、パキスタンの演劇とパキスタンという国を世 界の演劇界を代表するI T I (国際演劇協会)が私たちを見ていてくれたことに 8

興奮を隠せません。この栄誉は、私たちの劇団の創設者にして象徴であり、2 年前に亡くなった私の人生のパートナー、マディーハー・ガウハル (*2)へも 献呈されるべきものです。 私の主宰するアジョーカー劇場 (*3)の社中は、路 上から劇場まで、あらゆる場所で様々な形態で可能性を試行しながら、長く 困難な道を歩んできました。しかし、それは私たちだけではなくどの演劇グ ループでも同じでしょう。順風満帆な航路などありません。常に荒波との闘 いです。 私は、イスラーム教徒が人口のおよそ9 8 % を占める国パキスタンの出身です。 この国は軍部による独裁政権、イスラーム過激派の忌むべき猛襲、そして数 千年の歴史と遺産を共有する隣国インドとの三度におよぶ戦争を経験してい ます。現在、両国は核兵器を保有しているため、私たちは双子の兄弟との本 格的な戦争、つまり核戦争を恐れながら日々生きているのです。 私たちは時々冗談で言います。「悪しき時は演劇にとって良き時である」 と。なぜなら悪しき時にこそ、乗り越えるべき難題や暴露すべき矛盾、覆 すべき現状の有様が見えてきて、ネタに事欠くことがありませんから。ア


Shahid Nadeem

シャーヒド・ナディーム(パキスタン)

ジョーカー劇場と私は、このあぶない橋を3 6 年以上も渡り続けてきました。 それこそ曲芸師が宙に張られた綱の上を渡るようなものでした。私たちは、 エンターテインメントと教育、過去の検証・学習と未来への準備、創造的で 自由な表現の追求と身を賭しての権力・官憲との対決、社会批判を重要視す る劇と経済的に実行可能な劇、大衆的かつ前衛的であり続けるといった、相 対する二項のバランスを命懸けで保ち続けました。演劇人は曲芸師、魔術師 でなければならないと言われるのも致し方ありませんね。

パキスタンでは、神聖なものと不敬なものとの間に明確な区分が存在して います。不敬な人や冒涜者にはもとより宗教的疑問を呈する余地がなく、神 聖な人からは、開かれた議論や新しいアイデアが生まれることはありません。 実際、保守的な宗教団体は、不敬なものを貶めて自らの聖性の優越性を誇示 しようとする「神聖遊戯(sacred games)」のために、芸術・文化を自分たち が踏み入れてはならぬ領域とみなしています。 したがって、演劇をすることは厳しいハードル競走に等しいものでした。 舞台芸術に携わる人たちはまず、自分が良いイスラーム教徒であることを証 明し、従順な市民であるという信任を得なければなりませんでした。また同 時に、舞踊、音楽、演劇がイスラーム教で「許容されている」ことを立証す (*4) イスラーム法や慣習を遵守す る努力をしなければならなかったのです。

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る大多数のイスラーム教徒は、舞踊、音楽、演劇が日常生活と不可分である ことに気づいていながら、舞台芸術を受け入れることを渋っていましたから。 そんなとき私たちは、神聖なものと不敬なものを共演させてしまえるかもし れない「サブカルチャー」に遭遇したのでした。

アジョーカー劇場は、1 9 8 0 年代の軍事政権下のパキスタンで、演劇によっ て独裁政権に立ち向かう若い芸術家たちが立ち上げた劇団です。彼らは自分 の感情や怒り、苦悩が、およそ3 0 0 年前のスーフィー詩人(*5)によって驚くほ ど表現されていることを発見しました。この偉大なスーフィー詩人こそブッ レー・シャー(*6)です。アジョーカー劇場は、ブッレー・シャーの詩が腐敗し た政治権力や偏狭頑迷な宗教権力に抗する政治的な爆弾的声明となりうるこ とを発見したのです。ブッレー・シャーは広く尊敬され、民衆に人気のある スーフィー詩人で、当局にとっても無下にはできない存在ですが、彼らは私 10

たちを追放し、上演を禁じざるを得ませんでした。ブッレー・シャーの人生 がその詩と同じくらい劇的で急進的な思想を持ち、生涯、宗教指導者による ファトワー

布告と追放がついてまわっていたことを、私たちはそのときはじめて知りま した。 それから私は『ブッラー(Bulha)』の題で、彼の人生と闘争についての劇 を書きました。南アジアの大衆から愛情を込めてブッラーと呼ばれるこの詩 人を主人公とした本作は、詩と行動を通して皇帝と聖職者の権威に大胆に挑 んだ、パンジャーブ地方のスーフィー詩人の伝統から生まれたものです。彼 らは市井の人々の話す言葉で大衆が願う希望について詩を書き、音楽と舞踊 で人々を陶酔させ、搾取的な宗教的仲介者(教条的なイスラーム学者や法学 者)を回避しながら、人間を神と直接的に結ぶ手段を確立しました。彼らは カ

性別も階級制度も無視し、この世界すべてを全能者アッラーの現われだとし て、そこに神の奇跡を見ようとしました。 ラホール芸術評議会からは、これは戯曲ではなく単なる伝記だからとい う変な理由で会場を借りることができませんでした。(*7) しかしのちにこの


作品がラホールの別の会場で上演されると、観衆は自らが愛する詩人の人生 と彼の詩に秘められた象徴性を見てとり、理解しました。彼らはブッレー・ シャーの人生とその時代を、自分たちと重ね合わせていました。

2 0 0 1 年のあの日、新しい演劇が誕生しました。神への愛を歌う音楽「カウ ワーリー」(*8)やスーフィーたちがトランス状態で踊る「ダマール」(*9)、扇動的 しょう みょう

で魂に訴えかける詩の朗読、さらにはアッラーに向けた声 明「ズィクル」(*10) の詠唱までもが劇の構成要素となりました。世界パンジャービー人会議に出 席するため、世界のあちこちからラホールに集結していたスィク教徒(*11)の グループが30~40人も私たちの芝居を観てくれました。劇が終わった途端、彼 らはどっと舞台に駆け上がり、俳優たちを抱きしめ、キスをして泣いていま した。1947年のインド・パキスタン分離独立(*12)の際、旧英領パンジャーブ州 にも国境線が引かれ、二つの国に分割されました。インド側にはスィク教徒 やヒンドゥー教徒が移住し、パキスタン側にはイスラーム教徒が移動し、混 乱の中で多くの悲劇が生まれたのです。スィク教徒たちはその分割劇の後、 まみ

この日はじめてイスラーム教徒のパンジャービー人たちと劇場で見えたので した。ブッレー・シャーは、イスラーム教徒のパンジャービー人と同じよう に彼らスィク教徒たちをも愛していました。スーフィーは宗教や共同体の分 裂を超越しているからです。 この忘れがたい初演の後、『ブッラー』一行はインドを目指しました。イ ンドでの旅公演はパンジャーブ州公演を小手調べに始まり、両国間が深刻な 緊張状態にある時も、観衆が一言もパンジャービー語を知らない場所(*13)で も敢行して、結果的にすべてが受け入れられ愛されたのでした。 政治的対話と外交の扉が閉じられていたにもかかわらず、劇場の扉とイン ド国民の心は広く開かれていたのです。2 0 0 4 年のパンジャーブ州公演では、 田舎町の何千人もの観衆から非常に温かい喝采を受けたあと、一人の老人が 偉大なるスーフィー、ブッレー・シャーを演じた俳優のところに進み出まし た。老人は幼い男の子を連れてきて言うのです、「私の孫はとても体が悪い ワールド・シアター・デイ2020

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んです。どうか彼に祝福の息(*14)を吹きかけてください」。 俳優はびっくりして、「バーバー・ジー(お父様)、私は聖者ブッレー・ シャーなどではなく、この役を演じる俳優です」と言いました。老人は泣き はじめ、「私の孫を祝福してください。そうすれば孫はよくなるはずです」 と懇願するのです。私たちは老人の願いを叶えるよう俳優に提案しました。 俳優は老人の孫の患部に祝福の息を吹きかけました。老人は大変満足して、 俳優にこんな言葉を残して去ってゆきました、「息子や、お前はただの役者 なんかじゃないよ。聖者ブッレー・シャー様の生まれ変わりだ、化身 (*15) だよ!」と。役者が演じる役柄の生まれ変わりになるという、これまでの演 技・演劇にはなかった新しいコンセプトが立ち上がった瞬間でした。 18年におよぶ『ブッラー』の旅公演で、私たちは多くの観衆にあきらかに 同様の反応が見られることに気が付きました。つまりこのパフォーマンスは、 彼らにとって単に面白くて知的に刺激的な経験であるだけではなく、魂を揺 12

スピリチュアル

さぶられる霊 的なものとの遭遇でもあるのです。そのせいか、ブッレー・ シャー役の俳優は、この役を演じて以来、2冊も詩集を発表するスーフィー 詩人となってしまいました。この公演に携わった俳優たちは皆、ブッレー・ シャーの魂が自分たちの中にあり、それゆえにステージがより高い次元に昇 華するのだと感じています。インドのある学者は、この劇について「劇場が 聖者廟になるとき」という粋な題目で文章を寄せました。

私は俗な人間で、スーフィズムの文化的な面、特にパンジャーブ出身の スーフィー詩人たちの言行や芸術的な側面に興味がありますが、私たちの演 劇を観に来るひとたちは敬虔なイスラーム信者です。むろん宗教的過激派や 偏狭者ではありません。 あらゆる文化のなかで息づく『ブッラー』のような物語は、演劇人とい スピリ

まだ出会わざる熱狂的観衆を結ぶ架け橋となります。私たちは共に演劇の霊 チュアル

的な側面を発見して過去と現在をつなぎ、信者と不信者、俳優と老人とその 孫などすべての共同体に共通して定められた未来へ向かうのです。


なぜ私はブッレー・シャーの物語にこだわり、私たちはスーフィーにつ いて演劇的実験を続けているのでしょう。 劇が始まると、私たちはつい自分たちの演劇哲学や社会改革の先駆者的役 割に酔って、しばしば多くの観衆を置き去りにしてしまいます。つまり、私 たちは昨今の問題・課題について演劇が提供できるはずの深く感動的な霊的 体験の可能性を、観客である大衆から奪ってきたといえるのです。 今日、世界では偏見、憎悪、暴力が再び幅をきかせ、国家は国家と戦い、 信者は不信者・他宗派の信者と戦い、共同体は他の共同体への憎悪を吐き出 し……その間に子供たちは栄養失調で、出産を控えた母たちは時宜を得た医療 を受けられず、イデオロギーは憎悪に染まって命を落としてゆく。私たちの 地球は、異常気候変動の泥沼へと深く深く落ち込んでいく。黙示録の四騎士 (*16)がまたがる馬の蹄の音がもう聞こえている。

私たちは霊の力を補充する必要があります。私たちは、無関心や無気力、 悲観、貪欲、無視と戦う必要があります。私たちが住んでいるこの世界のた めに、私たちが生きているこの地球のために。演劇には、人々を奈落の底か ら引き上げて元気づけ、結集させるという尊い役割があります。つまり演劇 は、パフォーマンス空間を神聖な場所へと高めることができるのです。

南アジア世界の芸術家たちは、古来、つまり霊性と文化が密接に結びつい ていた頃から伝承されてきた作法を守って、舞台に上がる前には敬意を表し て舞台の床を手で触れます。(*17) この瞬間、俳優と観客、過去と未来が再び結 ばれます。演劇の創作は神聖な行為です。時として俳優は演じる役の生まれ 変わりとなり、劇場はその演技に霊力を与えるのですから。劇場は霊力に満 ちた聖者廟そのものであり、聖者廟で得られる奇跡を起こせる場こそ劇場な のです。(*18)

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*1

聖者廟…英語のshrineの訳語で、シャーヒド・ナディーム氏によれば、南アジア世界で民衆が願掛けに参詣する聖者 廟ダルガー(dargah)にあたる。アジールであるダルガーには老若男女、あらゆる宗派の参詣者が絶え間なく集まり、 モスクで神を讃えるアラビア語の礼拝とは対照的に、自分の民族の言葉で現世利益を祈願している。

*2 マディーハー・ガウハル(MadeehaGauhar、1956-2018)…演出家、女優、フェミニスト、アジョーカー劇場の創設 者。ロイヤルホロウェイカレッジ(ロンドン)で修士号(演劇)を取得。パキスタン政府より受勲したほか、オランダよ りクラウス王子賞を受賞。 *3 アジョーカー劇場(Ajoka Theater)…1984年設立。アジョーカー(Ajoka)という言葉は、パンジャービー語で「今 日の、現代の」を意味する。そのレパートリーには、宗教的寛容、平和、性暴力、人権などのテーマが含まれている。 *4 イスラーム教における舞踊、音楽、演劇の「許容」…音楽に関してはハラール(許容)、ハラーム(禁忌)の法学的決 着がつかぬまま、マクルーフ(禁止ではないが忌避すべきもの)の領域でパンドラの箱状態となっている。 *5 スーフィー(Sufism)…イスラーム神秘主義。個人が直接「神」を体験することによって神による真実の愛を希求する 伝統。普遍的な同胞愛を唱え、厳格な教条主義を強要する宗教に反対する教義によって広く流布した。音楽が付され 歌となったスーフィー詩は、禁じられた愛の物語を語りながら、隠喩的に神との合一を表現している。 *6 ブッレー・シャー(Bulleh Shah、1680-1757)…分断された両パンジャーブ地方を代表するパンジャービー語詩人。 複雑な哲学的テーマを簡素な言葉で表現できるこの詩人は、宗教の正統派的慣行と体制側のエリートに対して激烈な 批判を続けた。それゆえ彼は、故郷カスール(現パキスタン)の町にいられなくなり、異端派として告発され、死後は 非イスラーム教徒の扱いで共同墓地に埋葬が認められなかった。彼のスーフィー詩はカウワール等の宗教音楽家や民 謡歌手などに広く歌われ、宗派を超えて愛されている。

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*7 評議会による上演却下…上演会場を借りる際には基本的に検閲を受ける必要がある。上演団体は台本を提出して、審 査委員会から合格をもらえないと、会場を予約できないシステムになっている。 *8 カウワーリー(Qawwali)…「カウワール」という専門の楽師によって、スーフィー聖者廟で演奏されるイスラーム神 秘主義修道歌謡。神、預言者、聖者を讃える愛の歌によって、聴衆をエクスタシーへと誘う。 *9 ダマール(Dhamal)…スーフィー聖者廟で行われる神秘的陶酔舞踏。大型の両面太鼓「ドール」の一組が奏でる繊 細かつ爆発的なリズムに主導され、スーフィーたちは首を振り、ステップを踏み、旋回する。 *10 ズィクル(Zikr)…神の名を個人でまた集団でリズミカルに唱える祈りの一つ。すべてがアッラーの名で満たされ、陶 酔感を伴う修業である。すべてのイスラーム教徒に奨励されている。 *11 スィク教徒…15世紀、グル・ナーナク(Guru Nanak)によって、パンジャーブの地で提唱されたスィク教の信者のこ と。イスラーム教から唯一神や万民平等などの概念を取り入れたヒンドゥー教の改革派である。 *12 インド・パキスタン分離独立…イスラーム国家パキスタンは、1947年、前例のない大虐殺の応酬と未曽有の住民の大 移住のなか、英領インド帝国の東西両翼を削り取る形で成立した。 *13 「観衆が一言もパンジャービー語を知らない場所」…パンジャービー語に類似したヒンディー語やウルドゥー語も通じ ない南インドのケーララ州では、ムンバイ・テロの直後であったため、ヒンドゥー右派のインド人民党の幹部党員がパ キスタンの劇団の公演を中止するよう求めてきた。マディーハ女史は要求文を受け取る代わりに上演の招待状を手渡 した。すると彼らは家族を伴ってみなやってきて、抗議するどころか最後まで観劇したあと、感動してステージに上 がってきて賞賛した。 *14 「祝福の息」…ダム(dam)の訳語。 「息」を意味し、 「命」の意味でも解釈できる。聖者の息を吹き替えられることで 祝福の呪力を獲得できると信じられている。 *15 生まれ変わり、化身…アヴァタール(Avatar)の訳語。ヒンドゥー教における化身・権化を意味し、神が地上に降臨し 救済を施すもの。 「アヴァタール様」とも訳せるだろう。


*16 黙示録の四騎士…『新約聖書』の終章「ヨハネの黙示録」で述べられている四騎士とは、それぞれが征服、戦争、飢 餓、そして死を象徴している。 *17 舞台の床を手で触れる…聖なる祝福を受けるための行為。聖者廟の入り口でも、参詣者は床や建物に触ることで聖な る呪力を得ようとする。人間に対しても最上の敬礼は、腰をかがめて相手の足に両手で触れ、足の土埃を自分の額に つけるというもの。 *18 「劇場は霊力に満ちた聖者廟そのものであり、聖者廟で得られる奇跡を起こせる場こそ劇場」…「劇場は、スーフィー 聖者を祀る無縁所(アジール)である聖者廟と同じ機能を持ち、その聖者廟の境内こそ聖俗混交した現世界の全縮図 が演じられる空間となる可能性に溢れていると言えるのではないだろうか」ということ。ここでいう「聖者廟の境内」 とはダルバール(darbar)のことで、 「聖者の宮廷」という意味もある。聖者の命日祭ウルス(Urs)には、願掛けをす る人たちが全国各地から集まり、大きな縁日が開かれて、サーカスや見世物小屋や人形芝居、スポーツ大会などの、 広義での芸能者たちが集まり、ハレの空間を出現させる。劇場と聖者廟をリンクさせて語れるのは、この観点からで ある。

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Shahid Nadeem シャーヒド・ナディーム(パキスタン)

劇作家、アジョーカー劇場(Ajoka Theatre)主宰。1947年、カシュミール藩王国のソー ポール(Sopor)に生まれ、翌48年にはイスラーム教徒のための新生国家パキスタンに移住 すべく難民となる(*1)。パキスタンではパンジャーブ州の州都ラホールに住み、国立パン ジャーブ大学で心理学と哲学の修士号を取得。 学生時代から劇作を始め、軍事政権下では労働組合を組織しての体制批判により 3 度 投獄された(69年、70年、78年)。1978年、非人道的な施設の貧しさと強制労働による囚 人の獄死で有名なミヤーンワーリーの中央刑務所(Central Jail Mianwali)入獄中には、 毎週末に行われる囚人による囚人のための演劇会のために戯曲を書いていた。国内外のサ ポーターの働きかけが実り、アムネスティ・インターナショナル(人権擁護を目的とした国 際 NGO 組織)により「良心の囚人」として認定され出獄、79年に滞英し、ロンドンのア

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ムネスティ・インターナショナルで活動、80年にはゴールドスミス・カレッジのテレビ演出 コースで学んだ。 イギリス亡命中、のちに伴侶となる活動家マディーハー・ガウハル女史( Madeeha

Gauhar、1956-2018)が1984年に結成した反体制的啓蒙劇団、アジョーカー劇場のため に戯曲を書き始める。同劇団はこれまでに50以上ものシャーヒド作品(パンジャービー語と ウルドゥー語)を上演している。88年にはパキスタンに戻り、米国や香港も活動拠点にしな がらアジョーカー劇場の共同運営者となった。 アムネスティ・インターナショナルでは国際キャンペーンのコーディネーターやアジア 太平洋地域の広報担当を務めたほか、ゲッティ研究所や国際ペン、全米民主主義基金 (NED)のフェローを歴任。国営パキスタンテレビ(PTV)ではプロデューサー等要職に 就いており、アジョーカー劇場のパフォーミングアーツ研究所やラホールの芸術文化研究 所では後進の指導にもあたっている。国境なき劇団(Theater Without Borders)ネット ワークメンバー。 パキスタン国内で演劇やテレビドラマの演出を行う傍ら、パキスタンとインドを演劇でつ なぐ「平和のための演劇祭(Theatre for Peace Festival)」のコーディネートや両国の主要 紙への寄稿、BBCウルドゥー語放送への出演など各種メディアにも貢献している。ラホール 博物館やパンジャーブの習慣、建国詩人ムハンマド・イクバール(Muhammad Iqbal)、


画家サイヤド・サーデカイーン(Syed Sadequain)等を扱ったドキュメンタリー映像の制作 も手がける。2009年にはパキスタンで「プライド・オブ・パフォーマンス賞」(文学・戯曲 部門)を受勲した。 *** シャーヒドの演劇は社会と密接に結びついており、宗教的過激主義や女性への暴力、少 数民族・宗派に対する差別、表現の自由、気候、平和、スーフィズム(イスラーム神秘主 義)など、これまでタブー視されていた課題にも挑んでいる。 観客が慣れ親しんだ大道芸・大衆演劇・民謡等の表現形態を取り入れて「今日の (Ajoka)」深刻な問題を舞台化し啓蒙する、アジョーカー劇場独自の手法「パラレル・シ アター(並行演劇)」で書かれた作品の数々は、パキスタンとインドのみならず世界各国で 上演され(*2)、英訳はオックスフォード大学出版局やNick Herrn Publishersなどから出 版されている。2014年度には、国際演劇協会日本センターでも「紛争地域から生まれた演 劇 6 」で『ブルカヴァガンザ(Burqavaganza)』をリーディング上演と出版で紹介した(翻 訳=村山和之、演出=西沢栄治)。

*1 ソーポールは1947年の第一次インド=パキスタン戦争(カシュミール領有をめぐる印パ間の戦争)によりインド領と なった。1947年は、インドとパキスタンがイギリスから分離独立した年でもある。 *2 世界各国での上演(一部)

・ 『ブッラー(Bulha)』 (パンジャーブ文化圏を代表する反権力・反教条主義のスーフィー聖者ブッレー・シャーを描 く音楽劇)…ハマースミス劇場(ロンドン)、トラムウェイ(グラスゴー)、ヘルシンゲル

・ 『アメリカへ行こう(Amrika Chalo)』…デイビス・パフォーミング・アーツセンター(ワシントン)、ジョージタウン 大学

・ 『バーラー王(Bala King)』 (ブレヒト作『アルトロ・ウィの興隆』の翻案)…ブラックボックスシアター(オスロ)

・ 『無罪判決(Acquittal)』…ハイウェイズ(サンタモニカ)、シアター・ロウ(ニューヨーク)

・ 『ダーラー王子(Dara)』…リトルトンシアター(ロンドン)、ノースカロライナ大学チャペルヒル校

・ 『ブルカヴァガンザ(Burqavaganza)』 (出演者全員が終始ブルカを被って演じる)…ブラボー・フォー・ウィメン シアター(サンフランシスコ)

(翻訳=村山和之)

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〈ワールド・シアター・デイメッセージ歴代発信者〉

1962 ジャン・コクトー

(詩人・小説家・劇作家/フランス)

1963 アーサー・ミラー

(劇作家/アメリカ)

1964 ローレンス・オリヴィエ

(俳優/イギリス)

1964 ジャン=ルイ・バロー

(俳優・演出家/フランス)

1965 匿名のメッセージ

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1966 ルネ・マウ

(ユネスコ第 5 代事務局長/フランス)

1967 ヘレーネ・ヴァイゲル

(俳優・ベルリナー・アンサンブル創立者/東ドイツ)

1968 ミゲル・アンヘル・アストゥリアス

(小説家/グアテマラ)

1969 ピーター・ブルック

(演出家/イギリス)

1970 ドミートリイ・ショスタコーヴィチ

(作曲家/ソビエト連邦)

1971 パブロ・ネルーダ

(詩人/チリ)

1972 モーリス・ベジャール

(振付家/フランス)

1973 ルキノ・ヴィスコンティ

(映画監督/イタリア)

1974 リチャード・バートン

(俳優/イギリス)

1975 エレン・スチュワート

(ラ・ママ実験劇場創立者・プロデューサー/アメリカ)

1976 ウジェーヌ・イヨネスコ

(劇作家/フランス)

1977 ラドゥ・ベリガン

(俳優/ルーマニア)

1978 ナショナル・センターからのメッセージ 1979 ナショナル・センターからのメッセージ 1980 ヤヌシュ・ヴァルミンスキ

(俳優/ポーランド)

1981 ナショナル・センターからのメッセージ 1982 ラーシュ・アフ・マルムボリ

(指揮者/スウェーデン)

1983 アマドゥ・マハタール・ムボウ

(ユネスコ第 6 代事務局長/セネガル)

1984 ミハイル・ツァレフ

(俳優・演出家/ロシア)

1985 アンドレ=ルイ・ペリネッティ

(演出家・ITI事務局長/フランス)

1986 ウォーレ・ショインカ

(詩人・劇作家/ナイジェリア)

1987 アントニオ・ガラ

(詩人・劇作家・小説家/スペイン)

1988 ピーター・ブルック

(演出家/イギリス)

1989 マーティン・エスリン

(演劇批評家/イギリス)

1990 キリール・ラヴロフ

(俳優/ロシア)

1991 フェデリコ・マヨール

(ユネスコ第 7 代事務局長/スペイン)


1992 ジョルジュ・ラヴェリ

(演出家/フランス)

1992 アルトゥーロ・ウスラール=ピエトリ

(小説家・作家・政治家/ベネズエラ)

1993 エドワード・オールビー

(劇作家/アメリカ)

1994 ヴァーツラフ・ハヴェル

(劇作家・チェコ共和国初代大統領/チェコ)

1995 ウンベルト・オルシーニ

(演出家・劇作家/ベネズエラ)

1996 サーダッラー・ワッヌース

(劇作家/シリア)

1997 キム・ジョンオク

(演出家・劇団自由創立者/韓国)

1998 ユネスコ創設50周年記念メッセージ 1999 ヴィグディス・フィンボガドゥティル

(アイスランド第 4 代大統領/アイスランド)

2000 ミシェル・トランブレ

(劇作家・小説家/カナダ)

2001 ヤコボス・カンバネリス

(詩人・小説家・劇作家/ギリシャ)

2002 ギリシュ・カルナド

(劇作家・俳優・映画監督/インド)

2003 タンクレート・ドルスト

(劇作家/ドイツ)

2004 ファティア・エル・アサル

(劇作家/エジプト)

2005 アリアーヌ・ムヌーシュキン

(演出家・太陽劇団創立者/フランス)

2006 ビクトル・ウーゴ・ラスコン・バンダ

(劇作家/メキシコ)

2007 シェイク・スルタン・ビン・モハメッド・アル=カシミ(シャルジャ首長・歴史家・劇作家/アラブ首長国連邦) 2008 ロベール・ルパージュ

(演出家・劇作家・俳優/カナダ)

2009 アウグスト・ボアール

(演出家・作家/ブラジル)

2010 ジュディ・デンチ

(俳優/イギリス)

2011 ジェシカ・A・カアゥワ

(劇作家・俳優・演出家/ウガンダ)

2012 ジョン・マルコヴィッチ

(俳優/アメリカ)

2013 ダリオ・フォ

(劇作家・演出家・俳優/イタリア)

2014 ブレット・ベイリー

(劇作家・演出家・デザイナー・ インスタレーションアーティスト/南アフリカ)

2015 クシシュトフ・ヴァルリコフスキ

(演出家/ポーランド)

2016 アナトーリー・ワシーリエフ

(演出家/ロシア)

2017 イザベル・ユペール

(俳優/フランス)

2018 ウェレウェレ・リキン

(マルチアーティスト/コートジボワール)

マヤ・ズビブ

(演出家、パフォーマー、劇作家、ズゥカック 劇団共同創設者/レバノン)

ラム・ゴパール・バジャージ

(演出家、舞台・映画俳優、教育者/インド)

サイモン・マクバーニー

(俳優、劇作家、脚本家、演出家/イギリス)

サビーナ・ベルマン

(劇作家・ジャーナリスト/メキシコ)

2019 カルロス・セルドラン

(演出家、劇作家、演劇教育者、大学教授/キューバ)

ワールド・シアター・デイ2020

国際演劇年鑑2020

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世界の舞台芸術を知る 2018/19


CHINA

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羅懐臻作、王暁鷹演出『蘭陵王』 提供:舞台芸術財団演劇人会議

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[中国]

京劇の可能性 田村 容子

梅蘭芳訪日100周年

2019年は、日本の京 劇の観 客にとって特 別な一 年だった。京 劇と は、 うたと型のある演 技を特 徴とする中国の歌 舞 劇である。1919年 、 メ イ ラ ン ファン

20世紀の京劇を代表する名女形・梅 蘭 芳( 1894 -1961)は、初の訪 日公 演をおこなった。 その 100周 年を記 念して、関 連する公 演やシン ポジウム、展示などが、 日中両国で開催されたのである。 京 劇は、 しばしば「 伝 統 劇 」と紹 介されるが、18 世 紀 末に形 成さ れはじめたため、 それほど長い歴 史をもっているわけではない。 また、


20世紀のあいだに革新がつづけられ、現代演目の創作や舞台装置 の改 革など、社 会の変 化に合わせて新しい要 素をたえず取り入れて きた一 面もある。

1919年の梅 蘭 芳の訪日公 演では、そうした伝 統 的なルーツをもち ながら、進 取の気 風に富む京 劇の姿が、 日本の観 客に深い印 象を 与えたという。 それから100年 後 、 日中の舞 台 芸 術 交 流の現 況につい て、2019年におこなわれた上演からみてゆきたい。 梅 蘭 芳 訪日100周 年を記 念した公 演のひとつに、8 月 13日、14日 シーイーホン

この公 演で に東 京でおこなわれた「 史 依 弘プレミアム公 演 」がある。 は、上 海 京 劇 院( Shanghai Jingju Theatre Company)の看 板 女 グ イ フェイ ズ イ ジ ウ

バイ ホ ワ

優である史 依 弘が、梅 蘭 芳にちなんだ京 劇『 貴 妃 酔 酒 』、 『 百花 ゾ ン ジエン

ヨ ウ ユエン ジ ン

贈 剣 』のほか、崑 曲『 遊 園 驚 モン

ジェン オー ツー フー

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夢 』、 『 貞娥 刺 虎 』 を演じた。 崑 曲とは、京 劇よりも古い歴 史をもつ 歌 舞 劇 であり、梅 蘭 芳もその芸に学んだ。 とくに『 貞 娥 刺 虎 』は、梅 蘭 芳が 1930年 にアメリカで上 演して好 評を博 した演目だが、中 華 人 民 共 和 国の建 国 後 、京 劇 界ではこの 演目を受け継ぐ俳 優がなかな かあらわれず、上 演が途 絶えて いたという。史 依 弘 が 梅 蘭 芳 の『 貞娥 刺 虎 』を継 承し、 日本 で上 演したことには、歴 史 的な 意 義があったといえるだろう。

史依弘の演じる 『貞娥刺虎』 撮影:厳天妤

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日本における京劇の普及と将来 この史 依 弘の公 演は、 もうひとつ特 別な意 味を帯びていた。 という 日本における史 依 弘の のは、彼 女が初 来日を果たした 1989年から、 人 気を盛り上げ、京 劇の振 興を支えてきた津 田 忠 彦 率いる有 限 会 らく ぎ し ゃ

社 楽 戯 舎 が、同 公 演をもって京 劇のプロデュース事 業を終了すると 発 表したためである。 楽 戯 舎の沿革をたどると、1986年にさかのぼる。 この年 、財 団 法 人 日本 青 少 年 文 化センターの事 業として「 京 劇 青 少 年 劇 場 」が開 始 され、上 海 京 劇 院が招 聘された。同 事 業には、84 年に訪中した際 、 京 劇に魅了されたという津 田が、制 作としてかかわっていた。以 後 、 津 田は毎 年 、中国 各 地の京 劇の劇 団を日本に招 聘し、一 般 公 演の ほか学 校 公演をおこない、 日本における京 劇の普 及に尽力した。 24

その後 、中国 演 劇のステージマネジメントを業 務とする楽 戯 舎が設 立されたのは、1999 年である。津 田が最 初に手がけた公 演から数 えると、楽 戯 舎に集まったスタッフたちは、34 年もの長きにわたり、京 劇の名 作と名 優を日本に紹 介してきたことになる。 その活 動は、2015 年に中 国でも認められた。津 田は、中 国 文 化の普 及に優れた貢 献 を果たした外 国 人として、中 国 文 化 部 、中 央テレビ局などの 主 催 する「 中 華 之 光 」表 彰 式において、特 別 貢 献 賞を授 与されたの である。 また、中 国 国 家 京 劇 院( China National Peking Opera

Company)に所 属する京 劇 俳 優・石 山 雄 太のように、京 劇 界で活 躍する史 上 初の日本 人 俳 優が誕 生したのも、津 田による京 劇の招 聘 公 演がきっかけである。 「 史 依 弘プレミアム公 演 」は、梅 蘭 芳 訪日100周 年を記 念すると同 時に、1980年 代 以 降 、 日中舞 台 芸 術 交 流の事 業をつづけてきた楽 戯舎と、 その招聘公演によって育てられてきた日本の京劇の観客にと


って節目となるものであった。 楽 戯 舎の京 劇プロデュース事 業の軌 跡は、津 田 忠 彦「日本にお ける 『 京 劇 』公 演の歩み」 (『 中国 21 』Vol.46、2017年 )にまとめられ ている。2016年に書かれたこの一 文において、津 田は日本の京 劇 公 演について、次のように述べている。

「 天 安 門 事 件 」直 後の五 〇%に中 国 支 持が落ち込んだ 時でも「 京 劇 公 演 」は生きていたし、顧みれば 数 多くの中 国 芸 能がここ四 十 数 年にわたってステージ公 演を行ってき たが、舞 台 芸 術として日本の舞 台に残ってきたのは京 劇の みだった。 25

日本の言 論 NPOと中国 国 際 出 版 集 団が 2019年 10月におこなっ た共 同 調 査によれば、 日本 人の中国に対する印 象は 84.7%が「良く ない」というものであり、 日本における中国のイメージが好 転するきざし はみえない。だが、津 田の言 葉にあるように、今 後 、京 劇をはじめとす る日中の舞 台 芸 術 交 流が、 こうした状 況をすこしでも改 善することを 願ってやまない。

厳慶谷の挑戦と小劇場京劇 史 依 弘と並び、 日本で知 名 度の高い京 劇 俳 優が、同じく上 海 京 イエン チ ン グ ー

劇 院に所 属する厳 慶 谷 である。2019年 6 月 11日から23日にかけて、 楽 戯 舎の招 聘により上 海 京 劇 院の『 京 劇 西 遊 記 2019~旅のはじま り』が東 京・大 阪・名 古 屋を巡 演し、厳 慶 谷は構 成・演 出・主 演をつ とめた。 厳 慶 谷の初 来日も、史 依 弘と同じ1989年であり、津 田の手がけた 世界の舞台芸術を知る

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チョウ

「 京 劇 青 少 年 劇 場 」によるものであった。京 劇の丑( 道 化 役 )を専 門とする厳 慶 谷は、2001年から一 年 間日本に留 学し、茂 山 千 五 郎 家で狂 言を学ぶなど、 日本とゆかりの深い俳優でもある。

2019年 10月16日、北 京の繁 星 戯 劇 村( Star Theatres)で第 六 回 「当代 小 劇 場 戯 曲 芸 術 節( Xiqu Opera Black Box Festival)」が シ ー チュー

開 幕した。 フェスティバルの名 称にある「 戯 曲 」とは、京 劇や崑曲など、 中 国 各 地の伝 統 的な演 技の型をもつ歌 舞 劇の総 称である。 このフ ェスティバルは、北 京 戯 劇 家 協 会と繁 星 戯 劇 村を管 理 運 営する北 京 天 芸 同 歌 国 際 文 化 芸 術 有 限 公司の共 同 主 催により、2014 年に シー ダン

始まった。繁 星 戯 劇 村は、北 京の繁 華 街・西 単に位 置する、5 つの 小 劇 場をもつ芸術センターである。 シアオ リ ー ジ ー ス

厳 慶 谷は同フェスティバルにおいて、上 海 京 劇 院の『 小 吏 之 死 』 26

という小 劇 場 京 劇を主 演した。 この演目は、 アントン・チェーホフの短 編 小 説『 小 役 人の死( The Death of a Government Clerk)』 を翻 案しており、2005年に初 演された。上 演 時 間 30 分ほどの小 品だが、

厳慶谷の演じる 『小吏之死』 ( 上海京劇院) 撮影:秦鐘


厳 慶 谷は一 人 芝 居に挑 戦し、複 数の役を演じ分けた。厳 慶 谷は、 小 劇 場で演じる京 劇の試みを、京 劇の中でも伝 統にとらわれずに新 ハイパイ

機軸を打ち出すことに定評のある、上海の「海 派 京劇」を継承するも のと述べている。

2015年には上 海でも上 海 戯 曲 芸 術 中 心( Shanghai Center of Chinese Operas)の主 催 する「 上 海 小 劇 場 戯 曲 節( Shanghai Experimental Xiqu Festival)」が始まり、2019年 末に第 五 回の開 催が予 定されている。同フェスティバル第 一 回の観 客は 8 割が 35歳 以 下で、半 数 近くが初めて中国の「 戯曲」を見る層だったという。 「戯 曲」は本 来、伝統的に舞台装置をほとんど用いない、小さな空間で上 演されるものであった。 しかし、20世 紀の改 革を経て、大 型 公 演が主 流となった現 代においては、都 市の若 年 層の観 客にとって、 むしろ小 27

劇場に回帰した京劇が、新鮮なものとして受け止められたようである。

シェイクスピアと京劇の融合

2 019 年 、京 劇 の 可 能 性を示した 作 品 に 、中 国 国 家 話 劇 院 ( National Theatre of China)が 4 月 5 日から 7 日にかけて東 京で ワ ン シャオ

上 演した『リチャード三 世 』をあげることもできるだろう。演 出の王 暁 イン

ホ ワ ジュー

鷹は、1980年代より中国の話 劇(近現代劇) を牽引してきたベテラン であり、昨 年まで中 国 国 家 話 劇 院の副 院 長をつとめていた。2000 年 代 以 降 、ユージン・オニールの『アンナ・クリスティ』、 アーサー・ミラ ーの『るつぼ 』、 マイケル・フレインの『コペンハーゲン』などを手がけ、 バーワンゴーシン

翻 訳 劇には定 評のある演 出 家である。2008年 初 演の『 覇 王 歌 行 』 で京 劇を取り入れた演 出を試み、2012年に初 演された『リチャード 三 世 』では、中国 演 劇の伝 統 的な要 素をシェイクスピア劇に融 合さ せた。 世界の舞台芸術を知る

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『リチャード三 世 』の見どころの ひとつは 、中 国 国 家 京 劇 院 所 ジャン シ ン

属の京 劇 女 優・張 鑫 がアン・ネヴ ィル、エドワード王 子 、魔 女 の 三 役を演じてみせる点だろう。本 来 ダン

は京 劇の旦( 女 性 役 )を専 門と する張 鑫が 、エドワード王 子とし て登 場する際には、少 年の演 技 の 型をみせる。 こうした演じ方に ファン チュワン

は、京 劇における「 反 串 」、すな わち俳 優 が 専 門 外 の 役 の 型を みせる、一 種の逸 脱した演 技 術 28

がふまえられている。 そのほか、二 人 の 王 子を暗 殺した 刺 客 が 赤 い手 袋を脱ぎ捨て、 リチャードが 王暁鷹演出『リチャード三世』 ( 中国国家話劇院) 長鑫の演じるエドワード王子 撮影:松本和幸

それを手にはめると、異 形の肢 体 に変身するといった場 面も、京 劇 のみならず日本の能 楽にも通ずる、

象 徴 的な演じ方といえるだろう。

2019 年 9 月 14日、15日には、王 暁 鷹の演 出 作 品『 蘭 陵 王( The Prince of Lanling)』 も、 シアター・オリンピックスの参 加 作 品として富 山県 利 賀 芸 術 公 園で上 演された。2017年 初 演の同 作は、 「 戯曲」 ル オ ホワイジェン

ヌオシー

の脚 本 家として著 名な羅 懐 臻を脚 本に起 用し、儺 戯など仮 面を用 いた中国の民間祭祀演劇を取り入れた作 品である。 中国の現 代 劇における「 戯曲」の手 法の吸 収は、1980年 代 後 半 シュー シアオ ジョン リ ン ジャオ ホ ワ

より、演 出 家の徐 暁 鐘 、林 兆 華などによって試みられてきた。 さらに


歴 史をさかのぼれば 、1935年 、梅 蘭 芳がソ連 公 演を成 功させ、 その 伝 統 的 演 技がスタニスラフスキーやメイエルホリドの賞 賛を浴びたこ とは、同 時 期の中 国 演 劇 界 、 とりわけ京 劇を「 旧 劇 」とみなしてきた 話劇の関 係 者に衝撃を与えた。 梅 蘭 芳の最 初の海 外 公 演である1919年の訪日公 演 以 後 、1924 年の二 度目の訪日公 演 、1930 年のアメリカ公 演および 35年のソ連 公演と、20世紀前半の京劇の世界進出は、中国の演劇人がみずか らの伝 統 的な芸 術 様 式の価 値を再 認 識する契 機となった。 それから

100年が経 過し、中国 演 劇の国 内における上 演 環 境や国 際 的な注 目度には大きな変 化が生じたが、京 劇のもつ可 能 性は、 いまなお多く の創 作 者にとって、新たな作 品を生み出すインスピレーションの源 泉 となっているようである。 29 「ファクトリー」なきファクトリー・シアター・フェスティバル 最 後に、 「 戯 曲 」を含む中 国の現 代 演 劇の試みを示す例として、 ライ ウー

2018 年 10月に山 東 省 萊 蕪 市で開 催された第 一 回「 国 際 工 廠 戯 劇 節( International Factory Theatre Festival)」に触れておきたい。 リー ニン

同フェスティバルは、演 出 家・映 像 作 家の李 凝と映 像 作 家・現 代 芸 ハン タオ

術 家の韓 濤 が発 起 人となり、工 業 都 市である萊 蕪 市 政 府の協 力 のもと、企 画したものである。ハンス=ティース・レーマン( Hans- Thies

Lehmann)が学 術 顧 問をつとめ、都 市において廃 墟となった工 場 跡 地を上 演 空 間とし、労 働 者と工 業 都 市と芸 術をつなぐ意 図をもった シアター・フェスティバルであった。 日本からは shelf の『 Hedda Gabler 』 ( 矢 野 靖 人 構 成・演出)が招 聘された。 しかし、直 前になって工 場 跡 地での上 演が取り消された ファン ユ ー

ほか 、国 際プログラムはすべて同じ山 東 省で開 催された「 方 峪 村 世界の舞台芸術を知る

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ART 芸 術 祭 」への参 加に変 更といったアクシデントに見 舞われたた め、結 果として企画者の意図が十分に反 映されたとはいいがたい。 ファクトリー・シアター・フェスティバルは、映 像やインスタレーション、 労 働 者を俳 優として起用した作 品などのほか、無 形 文 化 遺 産として の「 戯曲」や、影 絵など民間の芸 能も包 摂したプログラムがめざされ ており、李凝は「それはひとつの村、 ひとつの工業区、 ひとつのコミュニ ティ、 ひとつの都 市と相 互に反 応しあい、融 和したランドスケープを生 み出す」と語る。 李 凝らの活 動に影 響を与えたハンス=ティース・レーマンの発 言は (中国語では「場」、 「劇場」と訳され 興味深い。 なぜなら「 Theater」 る)へのこだわりとは、 まさしく西 洋の啓 蒙 思 想を追 求した中 国の知 識 人によって「 揚 棄 」された、中 国の「 戯 曲 」の特 性である、 と述べ 30

ているからだ。 ファクトリー・シアター・フェスティバルの今 後の継 続は 不 透 明だが、 こうした活 動の企 画と中 止といった状 況が、中 国の創 作 者たちのいかなる次の思索をうながすのか、注目していきたい。 たむら・ようこ

おんな がた

1975年生まれ。金城学院大学文学部教授。専門は中国近現代演劇。著書に『男 旦とモダン ガール―二〇世紀中国における京劇の現代化 』 ( 中国文庫)、共著書に『ゆれるおっぱい、ふ くらむおっぱい―乳房の図像と記憶』 ( 岩波書店)、 『 中国文化55のキーワード』 (ミネルヴァ書 房)、共訳書に『日本80後劇作家選』 ( 台北:書林出版有限公司) など。


第2回フェミニズム演劇祭の上演で注目されたソン・ヒョンジン作、 チョン・サウォン演出『たった一行』 撮影:チョン・ジナ

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[韓国]

「 イシュー・ファイティング ( i s s u e f i g h t i n g )」 と 「 プロセス演 劇 」 へ の 関 心 イ

ソンゴン

李 星坤

韓 国でもっとも盛んに公 演がおこなわれるのが 10月から11月の時 ア ン サン

期だ。 ソウル国 際 公 演 芸 術 祭( SPAF )、安 山ストリート劇フェスティバ ル( ASAF )など、大 型のフェスティバルがこの時 期に開 催される。 ま た、主 要な劇 団の公 演もこの時 期に集中している。 このような状 況は、 韓 国の特 殊な補 助 金 制 度にある。創 造 団 体を対 象とした各 種 補 助 金の申請は、年 末から年 明けにかけて実 施され、採 択 結 果の多くが 世界の舞台芸術を知る

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2 月頃に発 表される。採 択された団 体は、その年の 12月までに公 演 しなければならない。 もちろん急いで準 備を進める劇 団もある。 しかし 多くの劇 団は、観 客が少ない夏 休みシーズンを避けて、座 組を整え、 稽 古をおこなう。 そうするとおのずと10月から11月に公 演が集中してし まうのである。 この原 稿を書いている今 、 まさに韓 国の演 劇 界は繁 忙 期を迎えている。2019年の韓 国 演 劇について広く記 述するには若 干 不 十 分な面もあることを了解いただきたい。 それにしても、2019 年の韓 国 演 劇 界は相も変わらず論 争( issue

fighting )にあふれていた。なかでも、韓日関 係の悪 化と親日演 劇 論 ユ・チジン

争、 そして韓 国 演 劇の父として仰がれた劇 作 家の柳 致 眞がロック ナ ム サン

フェラー財 団の支 援を受けて1962 年にソウルの南 山に建てた「ドラ (*1 )の私 有 化 問 題などをめぐり マセンター( 現 南 山 芸 術センター)」

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議 論が白熱した。 また、 「プロセス演 劇 」に対する論 議が始まったのも 注目に値する。 この 2 、3 年 、 ブラックリスト事 件(*2 )や#MeToo運 動 の影 響で、すでに現 場では成 果より創 造の民 主 的 実 践の過 程を重 要 視してきていた。 「プロセス演 劇 」という現 場の変 化に対する美 学 的な論 議が始まったことは大きな励みだ。 最近、韓国社会は極度の分裂を経験している。左派と右派に激し チョ・グク

さらに複 雑な様 相 く分かれ、いまや曺 國 前 法 務 部 長 官をめぐって、 を呈した分 裂に直 面している。 また演 劇 界でもある時 期から既 存の 演 劇 界と若 手 演 劇 人たちの間に大きな溝が生まれ始めた。 このふた つの現 象に違いがあるとすれば 、前 者は互いを取って食うほどに憎 悪し、後 者は互いに無 関 心だという点だ。当初 、若 手 演 劇 人には既 存 世 代に対するある種の怒りやこれまでの演 劇 界を清 算したいとい う気 持ちがあったが、次 第に無 関 心になっていった。彼らが既 成の すべての遺 産を冷 笑し無 視しているとすれば、既 存 世 代には若い彼


らを理 解しようとする努力も、 その能力も見 出すことはできない。 このよ うな無 関 心が、演 劇 界にどのような変 化をもたらすかは見当もつかな いが、若 手 演 劇 人を中心に論 争とオルタナティブな創 造を試みようと する動きとして現れていることだけは確かだ。

論争(issue fighting)、フェスティバルの多様化 昨年に続き、今年も大小のフェスティバルが数々開催された。 「フェ ミニズム演 劇 祭 」や「クィア演 劇 祭 」のようにイシューについて討 論す チョン ノ

ソ チョン コ ン ガ ン

るもの、 またソウル市 鍾 路 区にある西 村 空 間ソロの「ソロ・リーディン テ ハン ノ

グ・フェスティバル」のように劇 場を拠 点に演 劇 街・大 学 路 中心の演 劇の流れを変えるオルタナティブな試みをしようとするものもある。特に 後 者の場 合は、新しくできた劇 場 空 間がもつ企 画力とリンクさせる傾 サ ミル ロ

シ ン チョン

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向がある。西 村 空 間ソロ、三 一 路 倉 庫 劇 場 、新 村 劇 場 、新 村 文 化 発 電 所などの場 合 、大 学 路とは異なるエリアにあり、脱 大 学 路システ ムとして劇 場という物 理 的 空 間の問 題だけではなく、大 学 路 式の創 作から脱しようとする若い表 現 者の活 動と互いにリンクし、活 発な歩 みを進めているようだ。 「 連 帯を想 像しよう!」をスローガンに「 第 2 回フェミニズム演 劇 祭 」 ( 6 月 20日~ 7 月 21日)が 約 1 カ月間 、大 学 路 一 帯で 開 催され 、 「クィア演 劇 祭 」もすでに 4 回目を迎えた。今 年の「フェミニズム演 この 劇 祭 」では、 「 連 帯 」というテーマで 5 つの作 品が公 演された。 なかで注目されたのは、劇 団 907『 あなたに』 (ジェン・シルヴァーマン ソル・ユジン

作 / 薛 裕 陳 演 出 )だ。20 代で中 絶を経 験し、30 代になって妊 娠を 切 望するが、死 産で子どもを失った女 性 。準 備もないまま望まない妊 娠をし、中絶すると言い張るが、 いまだ実 行に移せずにいる10 代の女 性 。自らの流 産で助 産 師としてのキャリアに問 題が生じた 30 代の女 世界の舞台芸術を知る

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ジェン・シルヴァーマン作、 ソル・ユジン演出『あなたに』 ( 第2回フェミニズム演劇祭) 撮影:チョン・ジナ

性など、 ともすれば 小 説に登 場しそうなありふれた人 物たちだ。人 物 34

設定もテーマも平凡でありきたりだ。 しかし、重く感傷的なテーマであり ながらも、 グロテスクかつコミカルな演 出で、 センチメンタルな物 語とし て消 費されてきた女 性たちの話を新しい手 法でみせてくれた。一 方 で、 フェスティバルそのものに対して、女 性だから「 連 帯 」しなければな らないという思い込みと、加 害 者としての男性と被 害 者としての女 性 という二分法的なアプローチに批判もあった。 大 部 分のフェスティバルが一 定の期 間 中に開 催されるのに反し、 ソン ブク

「クィア演 劇 祭 」は城 北 マウル劇 場で毎月第 4 週の週 末に 1 作 品 を公 演する、非 常に風 変わりなスタイルのフェスティバルだ。制 限なく 誰もが申し込め参 加できる。今はまだ新 生 劇 団やアマチュア劇 団が 主だが、4 年という歴 史が積み重なり、演 劇 界に根を下ろした劇 団も ひとつふたつと現れはじめている。 このように最 近の演 劇 界では、論じ、考えるべきテーマ「イシュー」 を中心に、集 散を繰り返すグループが数々現れている。瞬 発力をもっ


て同 時 代のイシューに演 劇 的に応えようとする好ましい現 象であるこ とだけは間 違いない。 しかし、憂 慮するのはフェスティバルが増えたこ とだ。 くまなく公 演を観るのが難しく、同 時 多 発 的にイシューを扱うた クォン リ チャン ジョン

ピョン

めその特 殊 性が俯 瞰できない。 「 権 利 長 戦フェスティバル」や「 辺 バン

方 演 劇 祭 」のように、歴史もありながら、同時代のイシューを扱う演 劇 祭の存 在 感が弱まっている。豊かになったようでも、 あふれる数々のイ シューにむしろ私たちの感 覚が鈍くなっていないかを考える必 要があ りそうだ。過 去には劇 団が創 作の母 体だったなら、最 近はイシューを 中 心に形 成される「 偶 然の共 同 体 」にその中 心が移っている。あわ せて、演 劇の制 作 方 法も変わってきている。 これまでの作 家や演 出 家を中心としていた制 作システムからイシュー作りの能力に長けた企 画者やクリエイティブ・プロデューサーの役割が重要になってきた。創 35

作力を備えた企 画 者がプロジェクト・グループを主 導しながら、美 学 的 生 産 物を創り出す。韓 国 演 劇の制 作と生 産 、流 通の方 法が変 化 しているのだ。 しかしその一 方で、すでに韓 国 社 会は中 央で作られたイシューや 文 化 的 流れが社 会 全 般に広がり、すべての構 成員に波 及するとい うシステムに左 右される社 会ではない。演 劇においても、一 般 的 、抽 象 的に語られるいわゆる「 演 劇 界 」、 いわゆる「 演 劇の観 客 」という 総称で一 括りにはできない。実際に「フェミニズム演劇 祭 」や「ソロ・リ ーディング・フェスティバル」などをみると、 それぞれのフェスティバルや 劇 場にコアなファンがついていると感じる。 アルコ芸 術 劇 場 大 劇 場や ミョン ドン

これが同 時 明 洞 芸 術 劇 場に足を運ぶ観 客とは異なるということだ。

代の文 化 的 現 象ではないだろうか。 よって、演 劇 界の内 部での影 響 力や芸 術の社 会 的 拡 張 性という意 味を、かつての概 念で考えること はできない。 いまや広 告も全 消 費 者に向けるのではなく、 ターゲットを 世界の舞台芸術を知る

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絞ってマーケティングをおこなう。広く全 体に行き渡るロモーションや 全 社 会 的ブームを必 要とはしていないのだ。文 化 芸 術 界でもこの現 象は変わらない。 フェスティバルの運 営 方 法やその場に集まる人々の 熱 意をみると、全 社 会 的に影 響力が拡 大する形とは異なる影 響力を 及ぼしているように思える。 これが韓 国 演 劇に肯 定 的なエネルギーと して作 用することを期 待したい。 なぜならひとつの劇 団の公 演を通じ て、新たな観 客が開 拓されるからだ。 ファンダム(*3 )現 象も同じ文 脈 で理 解できる。

プロセス演劇に対する論議 もうひとつ注目に値するのは、演 劇 界のあちらこちらで同 時 多 発 的 にプロセス( 過 程 )に関する論 議が噴 出している点だ。若い表 現 者 36

たちを中 心に、演 劇 行 為において必ず公 演という成 果 物を目標に しなければならないのか? プロセスもそれに劣らず重 要ではないの か? 成 果 至 上 主 義から脱してプロセスを尊 重する方が、 より公 正 で民主 的な創 作の雰 囲 気も作れるのではないか? この時 、 どのよう な新しいコンテンツの演 劇が可 能であり、 そのプロセスで観 客はどのよ うな形で参 加ができるのか? といった自らに向けた問いかけがなさ ト ゥ サン

れている。制 作する立 場からも斗 山アートセンター「トゥサン・アートラ ボ」、南 山 芸 術センター「サーチライト」、国 立 劇 団「パン( 場 )」など、 主 要な団 体がインキュベーター( 育 成 )事 業の一 環として、完 成され た結 果より可 能 性を念 頭に置き、創 作 過 程にある公 演の支 援を掲 げている。 それだけでなく、 これまで補 助 金を受けたことがない新 進 芸 術 家を対 象とした「 生まれて初めての芸 術 支 援 」など、若い芸 術 家 に対する支 援 事 業の特 殊 性もやはりこのような現 象 群と関 連がない 「 10 分 戯 曲リレー」のよ とはいえない。 このほか、 「 24 時 間 演 劇 祭 」


うな試みや、 リーディング劇や一 般 人のリーディングパーティーなどの 流 行も、 これと無 関 係ではないだろう。実 際に少し前 、南 山 芸 術セン ぼくてきのまもり

ソ・ミンジュン

イ・レウン

( 徐 珉 俊 作 / 李 來 恩 演 出 )の場 合 ターで公 演された『 墨 翟 之 守 』 は、予 想もしなかった俳 優の負傷のためにリーディングで上 演となっ たが、パンフレットの構 成や関 連 事 業など準 備 過 程 上の民 主 的 実 践とジェンダー問 題などにフォーカスを当てていた。 ならば 、なぜ 今「 プロセス」なのか? プロセスとはいったい 何 か? 2014 年のセウォル号 沈 没 事 故 以 降 、韓 国は既 存の体 制とシ ステムに対し、懐 疑と批 判が強まった。続いて、 ブラックリスト事 件と#

MeToo運 動が演 劇 界を強 打した。韓 国 演 劇 界におけるプロセス演 劇への関 心には、自らの機 能を果たせない国 家 制 度に対する不 満 と公 正な民 主 社 会に対する希 求 、 そして#MeToo 運 動 以 降は、既 37

ソ・ミンジュン作、 イ・レウン演出『墨翟之守』 写真提供:南山芸術センター/撮影イ・ガンムル

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存の演 劇 制 作システムのヒエラルキー的 暴力と成 果 至 上 主 義の非 民主 的プロセスへの怒りも大きく働いた。 制 作や支 援の観 点からもプロセス演 劇は熱いイシューになる。今 後、 はたしてプロセスと育 成が、美 学 的に、現 実 的に、創 作の活 性 化 とどれほどいい出 合いとなるのか、 どうすれば 成 長 過 程にある彼らを、 より成 熟した芸 術 家となれるよう導き、支 援できるのか? 最 近 、補 助 金 事 業の新たなパラダイムとして登 場し、論 争を巻き起こしている 「 生 活 芸 術(コミュニティアート)」と「 専 門 芸 術 」という区 分がある が、 コミュニティに根 差した住民による芸 術 活 動である生 活 芸 術と非 生 活 芸 術という概 念の再 配 置 、 そして創 作に対する補 助 金を縮 小し ようとする総 体 的 傾 向のなかで、 プロセス演 劇はどのような位 置を占 め、 どのようなスタンスを取るのだろうか? 38 ピン フア

韓日関係の悪化と『氷 花 』事件 最 近また火が付いた韓日関 係の悪 化が、演 劇 界に及ぼした影 響 も見 逃せないだろう。実 際 、韓日関 係の悪 化がどんな影 響を与える のか、演 劇 界 全 体が注 視しているところだった。 その間 、両 国の文 化 交 流は急 激に冷え込み、韓 国 内の反日感 情の拡 散により各 種の訪 日プログラムが中止となった。 そんな折 、9 月27日から10月13日まで国 立 劇 団で公 演される予 定 イ・スイン

だった『 氷 花 』 ( 李 秀 寅 演出)が、親日演 劇 論 争に巻き込まれ、公 演 中止となった。 この作 品は、国 立 劇 団が親日演 劇の実 体を明らかに するために企 画したものだった。 『 氷 花 』は、 日帝 強占期(*4 )に活 動 イム・ソンギュ

した劇 作 家の林 仙 圭が 1940年 代に発 表した戯曲で、1937 年 9 月、 ソ連によって沿 海 州に強 制 移 住させられた朝 鮮 人たちの話だ。国 立 劇 団は、 「 近 代 戯 曲の再 発 見シリーズ」の 11 作 品目としてこの戯


曲を選んだ。特にこの戯 曲は、当 時の演 劇 統 制 政 策によって施 行 された「 国民 演 劇 祭 」の参 加 作であり、親日的な要 素が含まれてい る。 この作 家もまた親日反民 族 行 為 者(*5 )のひとりに認 定されている。 国 立 劇 団は、一 部の研 究 者のみに知られていた親日演 劇の実 体を 公にし、批 判 的な省 察を通じて不 名 誉な歴 史を直 視する機 会を設 けようと、今 回の公 演を企 画した。 しかし、韓日関 係が悪 化するなか、 この作 品の上 演は適 切ではないという意 見が演 劇 界から出た。国 立 劇 団は、 「 昨 今の日本の経 済 報 復に対し、怒りと憂 慮を感じてい る国 民と立 場を同じくし、 「 近 代 戯 曲の再 発 見シリーズ」の企 画 意 図を考えても当該 戯曲を現 時 点で舞 台 化するのは望ましくないという 決 断を下すに至った」と、公 演 中 止の理 由を明らかにした。論 争が 起きて、 わずか 1 週間で下された決定だった。国立劇団の決定に対 39

し、多くの演 劇 人が憂 慮とともに批 判 的な態 度を示した。偏 狭な政 治 論 理に文 化を閉じ込めるのが好ましくないというだけでなく、今こそ 韓 国の近 代 演 劇 史を反 省 的に顧みる絶 好の機 会だと考えたからだ った。 その機 会を自ら放 棄した国 立 劇 団に対して、今も大 多 数の演 劇 人が遺 憾の意を表している。 文脈は多少違うが、演劇制作会社タル・カンパニーが日本の小説 を原 作とした『ナミヤ雑 貨 店の奇 蹟 』の上 演を電 撃 中止した。 タル・ カンパニーは「 政 治 的 、経 済 的 問 題で悪 化する両 国 関 係と、 それに ともなう全 国 民 的な怒りに深く共 感し、作 品のメッセージとは別に現 時点でこの作品を上演するのは望ましくないと判断した」と、 その理由 を語った。 この作 品は、 『 容 疑 者 Xの献身 』などで、韓 国に厚いファン 層をもつ東 野 圭 吾の小 説を原 作に制 作された作 品で、10月初めに 幕が開く予 定だった。 タル・カンパニーは、おもて向きには全 国 民 的 な怒りに深く共 感して公 演を中 止したと発 表したが、実 際は日本 製 世界の舞台芸術を知る

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品 不 買 運 動を考 慮し た商 業 的 判 断が大きく、 この点で国 立 劇 団とは 中 止の理 由が根 本 的 に異なると思われる。 「ドラマセンターの社会還元に関するシンポジウム」 写真提供:南山芸術センター

公 演 だけでなく、演 劇 学 会でも日本が話 題

だった。韓 国 演 劇 学 会は今 年の学 術 大 会のテーマを「 親日演 劇を どう記 録するのか」とし、 日帝 強占期 末の親日演 劇 人 、国 民 演 劇と 柳 致 眞の行 為を批 判 的・学 術 的に論 争する場を設けた。主な論 議 は、韓 国 演 劇の父と称される柳 致 眞の親日行 為に対する批 判ととも に、彼がロックフェラー財 団の支 援を受けて1962 年に建てた「ドラマ 40

ロックフェ センター」の社 会 還 元 問 題(*6 )を中心に繰り広げられた。 ラー財 団からの援 助で南 山の国 有 地に建てられた国 家 資 産として の劇 場が、 どうやって彼の私 有 財 産になったのか、 そしてなぜ 国 家 資 産として還 収しなければならないのか、 これらについての議 論が主 におこなわれた。2018年 4 月に発 足した「 公 共 劇 場としてのドラマセ ンター正 常 化のための演 劇 人 非 常 対 策 会 議 」は、今もドラマセンタ ーを社 会に還 元するための運 動を繰り広げている。 しかし、結 論はそ う簡 単に出そうにはない。

これら以 外にも、上 半 期に開 催された「ソウル演 劇 祭( STF-Seoul

Theatre Festival )」と10月に開 催された「ソウル国 際 公 演 芸 術 祭 ( SPAF-Seoul Performing Arts Festival) 」などの大 型フェスティバ ル、 この原 稿に書くことはできなかったセウォル号と労 働 運 動をイシュ ーとした関 連 公 演もたゆまず舞 台を飾っていた。 また、新たにイシュー


となっている「 障がい者演劇」も徐々に定着してきている。 年 末の各 種 授 賞 式を通じて 2019 年の韓 国 演 劇の指 標を確 認 することができるだろう。 しかし、 これはまだ現 在 進 行中だ。当分の間 、 推移を見 守る必 要があるだろう。

*1 柳致眞は財団法人韓国演劇研究所を発足させた。1962年、初代理事長として、演劇教育を通じ て日帝強占期と朝鮮戦争によって途切れた民族文化を回復し、民族劇を打ち立て、復興させる専 門芸術家を養成する目的で韓国演劇アカデミー(現ソウル芸術大学)を設立するとともに、民族 文化の発展のためという名目でロックフェラー財団の支援を受け、韓国政府が提供した土地にド ラマセンター(現南山芸術センター)を建てた。その後、キャンパスの移転などにともない、 2009年、ソウル市がソウル芸術大学から借り上げ、ソウル文化財団が演劇専用の公共劇場とし て運営している。 パク・クネ

*2 朴槿恵政権が、政権に批判的な文化人の「ブラックリスト」を作成していた事件 *3 熱心なファンたち、また熱心なファンによる世界、彼らによって形成された文化。 *4 日本が朝鮮半島を統治していた時代は、日帝時代、日帝植民統治時代、日本植民地時代など、 様々な呼称があったが、2003年以降から「日帝強占期」と教科書では統一された。

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*5 「反民族行為処罰法」及び「日帝強占下反民族行為真相糾明に関する特別法」によって設置され た「反民族行為特別調査委員会及び親日反民族行為真相糾明委員会」によって日帝強占期に日 本に協力した人物。 *6 ソウル市はソウル芸術大学と賃貸契約を結び、2009年からドラマセンターを南山芸術センター として運用していたが、2018年1月、ソウル芸術大学が一方的に賃貸契約の終了を通告し、閉館 の危機に直面した。 「公共劇場としてのドラマセンター正常化のための演劇人非常対策会議」を 中心に、演劇界は、ドラマセンターは公共劇場としての役割を果たすべきであるという立場を打ち 出した。議論が巻き起こるなか、ソウル芸術大学を設立した柳致眞が日帝強占期と冷戦時代に文 化権力を形成した過程、ドラマセンターの私有化に対する疑惑が持ち上がり、ソウル芸術大学は ドラマセンターを社会に還元すべきという主張が高まった。

Lee, Seung-gon 演劇評論家、韓国芸術総合学校演劇院演劇学科教授。同校卒業、大阪大学文学研究科博 士。韓日演劇交流協議会専門委員を経て副会長。2005年、若き評論家賞受賞。論文に「ゼ ロ世代演劇の系譜学的特徴とゲーム的リアリズム」 ( 2015)、 「 東京裁判の演劇的形象化方 式についての一考察」 ( 2016)他多数。翻訳に、平田オリザ『現代口語演劇のために』、宮本 研『美しきものの伝説』 など。

(翻 訳:木 村 典 子 )

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ファンラオ・ダンスカンパニー 『Bamboo Talk』 撮影:Van Hai

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[ラオス]

伝 統と同 時 代 性 の 融 合 から 生まれ るダ イナミズ ム オレ・カムチャンラ ラオスでは、伝統的な芸術が数千年にわたって紡がれてきた。 モー ラム( mor- lam ; ラーオ族の伝 統 音 楽 )の歌 、 ケーン( Khen ; 竹でで きた笙の一 種 )による音 楽 、 ラムウォン( lam- vong ; 輪 踊り) という舞 踊がその柱である。首 都ヴィエンチャンの著 名な伝 統 音 楽 家のひと り、 タムマヴォンサ・カムフェン( Thammavongsa Khampheng )氏によ れば 、 「 現 代 的 」音 楽は、 テレビやインターネットとともに1990年 代 終 盤に登 場した。開 放 的かつ進 歩 的な若 者たちが西 洋の音 楽を学ん


だ最 初の世 代となり、最 初のラップミュージックとヒップホップダンスの 実 験がヴィエンチャンの屋 内やストリートに現れた。 こうして数 年の間 、 ふたつの芸 術 領 域が共 存することになった。伝 統 芸 術と、 ヒップホッ プミュージックやダンスによるアーバン・アートだ。

2000 年には伝 統 的なロケット祭 、ブン・バン・ファイ ( Boun Bang Fai)にちなんで、12 歳から20 歳の若いヒップホップダンサーとシンガ ーのグループ、 ラオ・バン・ファイ ( Lao Bang Fai=「ラオス人が火をつ ける」の意 )が結 成される。

2002 年 、この若き独 学 者たちの新しい才 能を見 出したヴィエン チャンのフランス文 化センター( 現・アンスティチュ・フランセ・デュ・ラオ ス=IFL)は、 フランスのヒップホップダンスの雄でパリを拠 点に活 動す るカンパニー、 アクチュエル・フォルス ( Actuel Force)の振 付 家ギャバ 43

をヴィエンチャンに招聘し、 ブレイ ン・ニュイシエール( Gabin Nuissier) クダンスのワークショップを開 催した。 ヒップホップダンスは広まり、主 要な民 間 企 業のプロモーションのためのステージでも見られるように なる。 ダイナミックなショーケースの需 要が高まり、若 者たちにささやか な地 下 経 済への扉を開いたため、 いくつもの小さなグループが結 成 された。

2006年 、IFL はラオ・バン・ファイのトレーニングと、伝 統 芸 術とアー バン・アートの架け橋となるようなオリジナル作 品を作るため、 フランス 系ラオス人でフランスでダンスカンパニー「カム( Kham)」を率いる振 付 家オレ・カムチャンラ ( Olé Khamchanla) をヴィエンチャンでのアー ティスト・イン・レジデンス・プログラムに招 聘した。 こうして同 時 代 的な 振 付 作 品がようやくヴィエンチャンで生まれることとなった。 オレ・カム チャンラはその後 数 年 間 、 カムアン県やルアンパバーン県でダンスワ ークショップを開 催するなど、 ラオスのアーティストとの共 同 作 業やトレ 世界の舞台芸術を知る

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カムを率いるオレ・カムチャンラ (筆者) 撮影:Van Hai

ーニングを続けた。 若い文 化 的 原 動 力がこうして根 づき、2013 年にはダンサーであ 44

り振 付 家でもあるヌーナファ・ソイダラ( Noutnapha Soydala )、通 称ヌートとウンラー・パーウドム( Ounla Phaoudom)、通 称カカによ ってプロのダンスカンパニー、 ファンラオ・ダンスカンパニー( Fanglao

Dance Company)がヴィエンチャンで結 成された。ファンラオはラオ ス各 地をめぐり、文 化・芸 術 活 動があまり行われていないチャンパー サック、サワンナケート、 ボーケーオ、 ポンサリーの各 県でダンスワーク ショップを行った。 ファンラオはまた、 ラオスでいくつもの文 化 的なイベ ントを企 画している。2010 年から行われているファン・メコン・インター ナショナル・ダンス・フェスティバル( Fang Mae Khong international

dance festival ; FMK)、2013年から行われているアーバン・ユース・ ダンス( Urban Youth Dance ; UYD)、2010 年から2017年まで開 催されたターケーク・ダンス ( Thakhek Danse)、2014 年から2016 年まで開 催されたナカイ・ダンス ( Nakai Danse)、2017年のラオ・ヒッ プホップ・フェスト ( Lao Hip- Hop fest)などだ。2015年に立ち上げ


ファンラオ・ダンスカンパニーを率いるヌーナファ・ソイダラ 撮影:Van Hai

たブラックボックス・プ ログラム( B l a c k B o x

programs)は、2018 年 にヴィエンチャンにアー ティスト・イン・レジデンス と舞 台 芸 術 の 上 演 の ための 新しい振 付セン ター 、 ファンラオ・ブラッ クボックス( F a n g l a o

BlackBox)が設 立され、 そこでプログラムが開 催 されて以 降 、規 模を拡 45

大している。 これらのイベントはす べて、国 内 外のアーティ スト間の芸 術 的 交 流を 促し、 ラオスでのダンス の発 展に寄 与している。 カンパニー 結 成 以 降 、 フィールドワークのおか げもあり、 ファンラオのダ

ファンラオ・ブラックボックス・プログラム2018『Spider』 撮影:Van Hai

ンサーたちは日本の国 際 舞 台 芸 術ミーティング in 横 浜( TPAM)、 パリ国 際 芸 術 都 市( Cité International des Arts à Paris)、 クアラル ンプールのコレオラブ( Choreo’ lab)、韓 国のニューダンス・フォー・ア ジア( New Dance for Asia ; NDA)などの海外の文 化的プラットフォ ームやダンスフェスティバルに、定 期 的に招 聘されている。 世界の舞台芸術を知る

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舞 台 芸 術に関しては、2008年にヴィエンチャンで設 立されたラタ ナコーン・インシーシェンマイ ( Lattanakone Insisiengmay)、通 称トー 率いるオブジェクト・シアターのカンパニー、 アソシエーション・カオニャ オ ( Khao Niew)の傑出した仕 事に言 及するのを忘れてはいけない。 トーは父 親で俳 優のラウトゥマニー・インシーシェンマイ ( Lautmany

Insisiengmay)、通 称ラウトゥの跡を継ぎ、父のカンパニー、カボン・ラ オ( Kabong Lao)で 2000 年に初 舞 台を踏み、2008 年まで活 動し た。 カオニャオは、 ココナッツや竹 、家にあるガラクタなどで造った人 形 を使った作 品でラオスのいくつもの町をツアーし、 また国 外でも、特に カオ フランス人や日本 人アーティストと共 同 制 作をしている。2015年 、 ニャオはヴィエンチャン・パフォーミングアーツ・フェスティバルを開 催し、 国 内のアーティストに観客の前で上演するさらなるチャンスを与えた。 46

演 劇の分 野では、2013年からヴィエンチャンに拠 点を置くカンパニ ー、 ビースツ・イン・ザ・ムーン( Beats in the Moon) を率いるフランス 系ラオス人のドラマトゥルクで演 出 家ティアーヌ・カムヴォンサ( Thiane

Thamvongsa)がラオスでの最 初の作 品を2016年に上 演し、演 劇の 実 践への関 心とラオス国 内の観 客の期 待を高めることとなった。 ティ アーヌはヴィエンチャンのインターナショナルスクールの扉を叩き、上 演を提 案 、 『ピノキオ』 『 不 思 議の国のアリス』 『ウサギとカメ』 『 動物 の謝 肉 祭 』など、誰もが知っている子 供 向けの物 語からインスピレー ションを受けた、 テキスト、 ダンス、歌の混ざり合った演 劇 作 品によって、 教 育 的舞台芸術というコンセプトを提示することに成 功した。 各 分 野の先 駆 者であるファンラオ、 カオニャオ、 ビースツ・イン・ザ・ム ーンのアーティストたちは、伝 統 芸 術と現 代 芸 術の融 合したオリジナ ル作 品を共 同 制 作してもいる。 こうしたコラボレーションは、 ダンスの 創 作を発 展させるための大 切な財 産である。 ダンサーが舞 台に立


つにはダンスのトレーニングが必 要なのはもちろんのこと、 オリジナルの 舞 台 芸 術をつくるためには演 技や演 出 、 また照 明 、衣 裳 、音 楽 、美 術など作 品を補 完する分野を学ぶ必要もあるのだ。 一方、 いまラオスで若 者たちにもっとも踊られている現 代ダンスのひ とつは、韓 国の K-POPダンスだ。近 年ラオスでは韓 国 人の存 在 感が 増しており、 それを反 映してK-POPダンスのコンクールやショーケース が増えている。 今日、 ボートレース祭 、 ロケット祭 、 タートルアン祭などの伝 統 的な文 化イベントは、舞台芸術に特化したいわゆる「現代芸術」の文化イベ ントと共 存している。 これらのイベントは、 ラオス国 内に富と多 様な文 化 を提 供することに熱 心な国 際 的 機 関や各 国の在ラオス大 使 館 、民 間のスポンサーによって支 援され、資 金 提 供を受けている。西 欧・ア 47

ジアの各 国は、 ラオスの経 済 、観 光 、衛 生 、教 育の現 状を改 善する ために支 援の手を差し伸べてくれてはいるが、 アートと文 化の分 野に おいてはまだするべきことが多く残っている。今日、 自身の芸 術 活 動で 生 計を立てようとしている独 立 系アーティストは、両 手の指で数えるほ どしかいない。 それでも、舞 台 芸 術 活 動の発 展 、特にコンテンポラリー ダンスの発 展は、 ラオスに住む外 国 人や海 外の組 織によるところが大 きいのは確かだ。

ダンスという自身の情 熱によって生 活するためには、 ダンサーは自 信を持ち、 より一層仕事に励まなければならない。 さまざまな民間企業 のプロモーションイベントで踊ることを受け入れ、学 校でダンスを教え、 文 化イベントを主 催しながら、多 様 化していかなければならない。 ラオ スにはダンスの「 市 場 」は存 在しない。 ダンス作 品をプログラムしたり 買ったりする劇 場やフェスティバルがないのだ。 ラオスにコンテンポラリ 世界の舞台芸術を知る

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LAOS

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ーダンスのプロフェッショナル化を確 立しようとしている独 立 系のダン スカンパニーは一つしかない。 それがファンラオ・ダンスカンパニーで あり、独自のアートを発 信するためのプロジェクト、 トレーニング、公 演 、 イベント、国 際 協 働でそれを実 現しようとしている。 ファンラオは、 ラオス で連 綿と受け継がれてきた祖 先の芸 術と現 代 芸 術の双 方に開かれ たダンスの実践を提案しているのだ。 Khamchanla, Olé 振付家。ラオスで生まれ、 フランスで育つ。1990年にヒップホップダンスと出会う。ヒップホッ プ、 カポエイラ、 コンテンポラリーダンス、舞踏を学び、独自のスタイルを確立。2011年にはフラ ンスで自身のカンパニー「カム」 を設立。その振付は、 ヒップホップ、 コンテンポラリーダンス、 タイ やラオスの伝統舞踊をミックスしたもので、 ダンスと演劇、映像、音楽、絵画など、他の表現形式 とを融合する実験や、国際的に活動するアーティスト、特に南アジアのアーティストとのコラボ レーションも頻繁に行っている。彼の作品は、人間であることの意味についての問いを投げか ける。

48 ( 翻 訳:中島 香 菜 )


モハンマド・レザーイーラード作・演出『エンジェル・オブ・ヒストリー』

[イラン]

イラン の 演 劇 は 、 テ ヘ ラン で 絶 え ず 動 い て い る ナグメ・サミーニー

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およそ150年 前 、はじめて西 欧 的なスタイルによるイランの戯曲が書 かれたが、後 年イランの首 都テヘランにて、毎 晩 100から110の演 劇 が上 演されることになると、 その当 時は決して誰も想 定することはでき なかっただろう。最 初のイランの戯曲が書かれる以 前 、 イランにおける 演 劇は宗 教 色の有 無にかかわらず伝 統 的な演 劇に限 定されてい た。 しかし、 わずか 150年でイランの演 劇は多くの限 界を越え進 展して きた。 イランでは大 小の劇 場やオペラハウスが建てられ、女 性が様々な 舞台に進出している。 そのほか、多くの戯曲が翻訳され新作がペルシ ャ語で執 筆された。 そして演 劇 学 校が開 校し大 学の演 劇 学 科が開 設された。現 在 、 イランの演 劇 作 品は外 国の演 劇 祭で上 演される機 会が増えている。 イランの演 劇における、 このような流 動 性は日々激しくなっており、 そ 世界の舞台芸術を知る

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れらの状 況すべてや、2018年から2019年におけるイランの演 劇 関 連 の出 来 事すべてを完 全に語ることは不 可 能であるが、主な動きや注 目の作 品を紹介したい。

1. 一般的な状況 イランの演 劇はテヘランにおいて絶えず動いている。確かにほかの 都 市 、特に中部エスファハーンや北 西 部のタブリーズなど地 方の大 都 市においても多くの上 演が行われている。国 内で経 済 的にも政 治 的にも様々な問 題が噴出する中、2018年もとりわけテヘランでは重 要 な作 品が生まれている。 また劇 場についても、 テヘランでは 2 つの有 名な公 共 劇 場 、 シティ・シアター( Teatre Shahr) とイランシャフル・シア ター( Teatre Iranshahr)を除いて、古い建 物が私 立 劇 場に改 装さ 50

れており、大 小さまざまな劇 場がオープンする流れが続いている。 テヘ ラン市は今日、喫茶店と劇場で占められていると形 容もできよう。 イランにおける若 年 層はほかの世 界の大 部 分とは違い、演 劇の主 たる観 客とみなされている。彼らはナイトクラブなどの娯 楽が欠 如して いることもあり、多くの時 間を喫 茶 店や劇 場で過ごしている。 この 2 つ の 場 所 は 、対 話 や 理 念を伝え合う 象徴的な場とされている。 一 方で、制 裁や政 治 的な問 題を 理 由としたイランの経 済 状 況により、 人々の生 活は厳しくなっている。特に

2018 年 、演 劇はこういった問 題によ って大きな影 響を受けた。映 画スタ ー出演による集 客の試み、チケット代 の値 上がり、都 市レベルでの集 客を テヘランのシティ・シアターにて、若年層の観客による拍手喝采


目的とした一 般 受けする宣 伝などに端 的に影 響が現れている。 こうし た中で、政 府は助 成 金を段 階 的に削 減しており、演 劇が政 府の優 先 事 項ではないことがうかがえる。 いずれにせよ、 イランの演 劇の存 続 は若 年 層にかかっているのである。

2. 演劇の上演について

2018 年 、イランの演 劇は経 済 問 題による影 響を受けた。それがう かがえることの一 例として一 般 受けする演 劇の製 作が挙げられる。

2018年 、 ミュージカルはこれまでにない形で突 如として広がりを見せ た。 これらのミュージカルには、 『 サウンド・オブ・ミュージック』 『レ・ミゼ ラブル』 といったものが挙げられる。 51

政 治 的・社 会 的なテーマの演 劇も、 これまでと変わらず小さな劇 場 に観 客を呼び込んでいるが、 こういった演 劇の観 客のほとんどは学 生や教 育を受けた人々である。たとえば 2019年 夏に上 演されたモハ ンマド・レザーイーラード ( Mohammad Rezaee Rad)作・演 出『エン ジェル・オブ・ヒストリー( Fereshtei Tarikh)』は、 ドイツのユダヤ人 哲 学 者ヴァルター・ベンヤミンの最 後の夜を取り上げ、独 裁 主 義と進 歩 主義 思 想との関 係について語ろうとしている。

また、社 会 派 演 劇としてはサーナーズ・バヤーン( Sanaz Bayan) 作・演出の『ピンクがかった青( Abi Mayel be Surati)』 を挙げるべき だろう。今 作は、2019年 初 夏に二 度目の上 演を果たしたが、 もっとも 重 要なテーマとして性 転 換の問 題を扱っている。 この劇では、性 転 換をめぐって苦 悩する男性の役を女 優が演じている。演 出 家のアフ サーネ・マーヒヤーン( Afsaneh Mahiyan)は、2018年 秋に上 演され 世界の舞台芸術を知る

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IRAN

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た『トラウマ( Torooma)』で、社 会 的な問 題と心 理 学 的な問 題を関 連 付けようとした。マーヒヤーン作・演 出のこの作 品は、社 会の誤 解 によって孤立し苦しんでいる身体・精神障 害 者について扱っている。

そのほか重要な演劇作品として、2019年冬に上演されたアミール・ レザ・コヘスタニ( Amir Reza Koohestani)作・演 出の『 サマーレス ( Bi Tabestan/ 英 題:Summerless)』に触れるべきだと思われる。 ミニ マルな表 現で、社 会ではタブーとされている女 子 学 生と男性の美 術 教 師の恋愛を描いている作品だ。

アスガル・ダ ケイヴァーン・サルレシュテ( Keyvan Sarreshteh)作 、 シュティ ( Asghar Dashti)演 出の『 上 記の人 物( Nambordeh)』 も 52

触れておくべき作 品だろう。 この作 品は 2019 年のファジル国 際 演 劇 祭( Jashnvareye Beinolmelli Teatre Fadjr/Fadjr International

Theater Festival)でグランプリを獲 得した。 この作 品は演出家がロシ アを訪れた際の個 人 的な思い出 話をもとにしている。主 人 公は上 演 のために劇 団を率いて渡 航したが、彼を 軽 蔑しその夢をまともに取り合わない人 物 の罠にかかってしまう。

イランの演劇におけるもっとも重要なジャ ンルの一つに翻 訳 戯 曲の上 演があるが、 これは古 典 作 品においても現 代 戯 曲に おいても行われている。2018年も例 年 通り、 『リア王 』や『 真 夏の夜の夢 』 といったシ ェイクスピア作品の上演が行われた。 アミール・レザ・コヘスタニ作・演出『サマーレス』のポスター


しかしもっとも成 功した上 演 の 一 つは 、モルテザ ー・エス マイール・カーシー( Morteza

Esmail Kashi)演 出 、マルク ス・ロイド( Ma rc u s L loyd ) 作 の『 10 0 %( 英 題:D e a d

Certain)』である。イランの観 客にとってこの作 品が魅力的 な理 由は、複 雑に絡み合った

ケイヴァーン・サルレシュテ作、アスガル・ダシュティ演出『上記の人物』

プロットと役 者の演 技に見 出 すことができよう。 53

若い才 能や大 学 生による作 品も、演 劇におけるもっとも重 要な潮 流の一つである。 レザー・バハールヴァンド アフマド・ソルギー( Ahmad Solgi)作 、 ( Reza Baharvand )演 出の『キングフィッシュ( Shahe Mahi )』は

2019年 春に上 演された。 この作 品は暴力的な独 裁 者が支 配し、若 者が逃げ出したいと考えている架空の島を舞台としている。 大 学 生による演 劇でもっとも成 功したものの一つは、 レザー・エラヒ ー( Reza Elahi)演出による、ハロルド・ピンターの『 背 信 』である。 これ この作 品は背 信 行 為に慣れきってしまっ は 2019年 夏に上 演された。 た男女の不 倫を明 確に物語っている。 マスウード・サッラーミー( Masood Sarrami)作・演 出の『ランチャ ー 5( Lancher 5 )』 も外せない。2019年 夏に上 演されたこの作 品は、 軍の駐 屯 地における事件を題材に取り上げ人気を博した。

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3. 演劇に関する出来事 民間主催による演劇の広まり、劇場の再開などにより、演劇祭は若 い才 能の紹 介において以 前ほど重 要な役 割を果たしていない。 しか し、 いまだに多くの若 者は、 より大きな舞 台に立つべく、 イランのもっとも 重 要な演 劇祭に参加すべく努力している。 イランにおけるもっとも重 要な演 劇 祭はファジル国 際 演 劇 祭であり、

2019年には 37回目を迎えた。そのほかの大 規 模な演 劇 祭には、伝 統・宗 教 演 劇 祭( Jashnvareye Namayeshhaye Aaini va Sonnati/

Traditional and Ritual Theater Festival)があり、 これも2019年に19 回目を迎えた。 この演 劇 祭の重 要 性はイランの伝 統 的な演 劇の保 存にあるが、 それは現 在 、 イランが急 速な現 代 化により伝 統 的な演 劇 を忘れつつある状 況に直 面しているためである。 54

また、毎 年テヘランや地 方 都 市で行われている大 学 生による大 小 の演 劇 祭についても触れておく必 要があるだろう。2018年は 15以 上 の演 劇 祭が民 間や公 的 機 関の主 催で行われた。 そのほかの演 劇 における重 要な出 来 事として、 イラン国 内 外の戯 曲の翻 訳や出 版 、 イラン国 内での研 究 活 動 、外 国の研 究 成 果の翻 訳を指 摘しておき たい。

4. 批評における言説

2018 年 のイランの 演 劇における批 評 家 や 研 究 者による言 論 の 多くは、民 間 主 催の演 劇は集 客目的により演 劇の質を低 下させな いだろうかという問 題を取り上げていた 。 そのほか 、 イランにおける 演 劇のマネジメントについても議 論が行われた。以 前 、劇 作 家で大 学 教 授を務めたこともある演 劇の巨 匠ファリーンドフト・ザーヘディ ( Farindokht Zahedi)氏は、マネジメント側の無 関 心がイランの演


劇を衰 退させる危 険 要 因だとした。 また例 年と同じように、検 閲の問 題やそれを制 限する方 法もイランの演 劇における主 要な議 題とみな されている。

5. 終わりに イランの演 劇は、2018・19年においても教 養ある中産 階 級にとって のもっとも重 要かつ自由なメディアとみなされている。演 劇はあらゆる レッドラインや禁 止 事 項がある中で、ほかのメディアよりも語りにくいテ ーマについて明 瞭に物 語っている。演 劇はテヘランにおいて生きてい る。演 劇 愛 好 家は、 テヘランにおいては、夕方でも夜でも何もせずに 耐え難い時を過ごすことはないだろう。 55

Samini, Naghmeh 劇作家、脚本家、演劇講師。これまで、20以上の戯曲が、 イラン国内だけでなく、 フランス、 イン ド、 カナダ、アメリカなどで上演されている。 2005年、テヘラン大学の芸術学部音楽・パフォーマンスアート学科の准教授に就任。また、 2012年から2017年は、アメリカ・ワシントン大学演劇学部の客員准教授を務めた。

(翻 訳:北川修 一 )

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ゼイクス・ムダ作『空が落っこちるとふざけてるのか』©Iris Dawn Parker/Market Theatre

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[南アフリカ]

民衆演劇の持つ意味 楠瀬 佳子 アフリカの作 家たちには多くのジレンマがある。文 学 作 品を出 版す る場 合 、 まず自国の出 版 社には販 売ルートに限 界があり、作 家の多 くが民 族 語ではなく、教 育を受けた言 語( 英 語 、 フランス語 、 ポルトガ ル語など)で書いてきた。 そのために外 国 資 本による出 版 社から作 品 を発 表することになる。作 家にとって読 者は非 常に重 要なので、作 品 を戯曲にすることがある。文 字が読めない人たちや、出版 物を購 入で きない人たちと直 接コミュニケーションがとれる民 衆 演 劇は、 コミュニ ティの広 場や教 会や学 校などで、 ダンスや音 楽を交えて口承 伝 統を 語り続け、民衆の生きる知恵を世代から次 世 代に繋いできた。 南アフリカは文 化 的には、 アフリカ/ 西 洋 、 アフリカーンス語 / 英


語 、自国 文 化 / 外 国 文 化などが混 在して、多 様でダイナミックに発 アパルトヘイト政 策が強 化され、集 展してきた。 とりわけ1960年 代は、 団 地 域 法や人口登 録 法なども多くの法 案により人 種 隔 離 政 策が徹 底された。映 画 館 、劇 場 、 レストラン、 ホテル、学 校などの様々な施 設 が人 種 別となり、 アパルトヘイト法 案によって文 化や教 育が破 壊され、 出 版 法などで検 閲が強まった。政 府から財 政 支 援を得た劇 場は各 都 市に存 在し、白人たちのためのアフリカーンス語 演 劇 、英 語 演 劇 、 アフリカ民 衆 演 劇などに分 離 発 展していた。白人のためには、 シェー クスピア劇やオペラ、バレエなど様々なヨーロッパ文化が導 入された。 演 劇 分 野では、1970年 代に隔 離 政 策に反 対する、多民族のため の民 衆 演 劇や民 衆 劇 場が誕 生した。 グレアムズタウン全 国 芸 術 祭 ( Grahamstown National Arts Festival、1974 年 創 設 )はアフリカ 57

大 陸 最 大の演 劇 祭で、南アフリカの演 劇や世 界中からの演 劇を通 して、文 化の発 展と育成に寄与してきた。 現 代の南アフリカの民 衆 演 劇を支えてきた主な劇 場は、 ヨハネス ケープタウンのスペ ブルグにあるマーケット劇 場( Market Theatre)、 ース劇 場( The Space) やバクスタ劇場( Baxter Theatre)などである。

1972年 、人 種 隔 離 政 策に真っ向から対 立するスペース劇 場はブ ライアン・アストベリ ( Brian Astbury)によって、 ケープタウンで誕 生し た。倉 庫だったところを劇 場に変えたものだった。座 席は人 種 別で はなく、すべての人 種に開 放した。警 察の検 問にもかかわらず、果 敢に上 演 活 動を行なった。 アソル・フガード( Athol Fugard)は、自 作『 背 徳 法 違 反で逮 捕された後の供 述 書( Statements After an (*1 )や、 Arrest Under the Immorality Act)』 『シズウェ・バンシは死

んだ( Sizwe Bansi Is Dead)』、 『 島( The Island)』などを上 演した。 また、最 初のアフリカ人 女 性 劇 作 家ファティマ・ディケ ( Fatima Dike) 世界の舞台芸術を知る

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は 舞 台 の 裏 方として働き、自らの 作 品『クレリの 犠 牲 ディケは 2009年 ( The sacrifice of Kreli)』に出 演した。 には全 米 黒 人 演 劇 祭の特 別 功 労 賞( The Life- Long

Achievement Award at the National Black Theatre Festival)を受賞し、世界でも認められる。 1976 年には、マーケット劇 場(*2 )が 、バーニ・シモン ファティマ・ディケさん 撮影:楠瀬佳子

( Barney Simon)やジョン・カニ( John Kani) らによって

ヨハネスブルグのニュータウンに誕 生した。白 人とアフリカ人が対 等 な関 係を示し、 「 声なき声に力を与える」演 劇をめざした。歴 史 的に 『 アシナ 記 念すべき作品は、 『ウォーザ・アルバート ( Woza Albert)』、 マリ ( Asinamali)』、 『ソフィアタウン( Sophiatown)』などであり、世 界 中の劇 場で、南アフリカのアパルトヘイトに抗 議する作 品として上 演さ 58

れた。現 在でも様々な演 劇 集 団によって上 演されている。 日本では

1989年に東 京で『アシナマリ』、1990年にはミュージカル『 サラフィナ! ( Sarafina! )』が公演され、南アフリカの状況を訴えた。 ケープタウンでは、1977年にバクスタ劇 場が同じく、全 人 種 参 加 型の劇場としてケープタウン大学内に誕生した。 ここでも、 アソル・フガ ードの作 品 、 『シズウェ・バンシは死んだ 』 『 島 』などが上 演された。 プ ロテスト劇場としての役割を担った。

1994年 以 降の民主 化した南アフリカには、政 府の援 助を受け、多 様な文 化を平 等に育 成していく方 針のもと、多くの劇 場が誕 生した。 ヨーロッパの白 人 文 化の輸 入に努めていたケープタウンのアーツケ (*3 )や既 存の劇 場などは変 容を迫ら ープ劇 場( Artscape Theatre)

れた。

2010年には、劇作家アソル・フガードの名前をとって、 フガード劇場


( The Fugard Theatre)がケープタウン の第 六 地 区( District Six)に誕 生した。 この地は歴 史 的にも文 化 的にも重 要な 闘いの場であったことで知られる。 演 劇が主 体 性を持って維 持できたの は、様々な要 因があるが、 とりわけアパル トヘイト時 代には、人々の解 放を願う闘い

アーツケープ劇場 撮影:楠瀬佳子

と演 劇 活 動は大きく連動していた。 南アフリカでは作 家であれ、詩 人であ れ、音 楽 家であれ、映 画や演 劇などに出 演する俳 優たちであれ 、監 督や演 出 家 であれ、単なる「アーティスト」ではなく、誰 59

もが「 文 化を生み出す労 働 者 」という意 識をもち、アパルトヘイト社 会を変 革する 使 命を感じていた。演 劇 界で言えば 、舞 台 上で演じる俳 優たちと、観 客は一 体と なって、一つの世 界を築き上げてきた。 演 劇 界はアパルトヘイト終 結 後にも南 アフリカの多 様な文 化の建 設に貢 献して

フガード劇場 ©The Fugard Theatre

きた。 主に演 劇を中心とした二つの芸 術 祭が、南アフリカの演 劇を支え、 発 展させてきた。 グレアムズタウン全 国 芸 術 祭(*4 )とリトル・カルー全 国芸 術 祭( Klein Karoo Nasionale Kunstefees)である。 グレアムズタウン芸 術 祭は、1974 年に始まった。1820 年にイギリス から植民者が到 着した歴史的出来事を記念する塔の建 立 式で、主 に英 語による演 劇やダンスなどが演じられたことから、 この芸 術 祭が 世界の舞台芸術を知る

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始まった。確 立した演 劇に加えて、 フリンジの実 験 劇 場は若 手の登 竜 門となり、前衛的な演劇が多様な民族 語でも演じられている。 「 声なき人々 第 44 回 演 劇 祭( 2018年 6 月 28日~ 7 月 8 日)では、 に声を与える」をテーマにして、200以 上の作 品が上 演された。 フガ ードの『 島 』 も、 クリス・ウェア( Chris Weare)演出で上 演された。 この 作 品は、 日本では 1988 年に平 田 満 主 演 、木 村 光 一 演 出で、紀 伊 國 屋ホールで上 演され、2019年 8 月には、 イマシバシノアヤウサ主 催 、 鵜山仁 演 出で OFF・OFFシアターで上 演されている。南アフリカでも、 世 界中でもよく上演される作品の一つだ。 リトル・カルー全 国 芸 術 祭の方は、南アフリカの民 主 化 後の 1994 年に始まり、 アフリカーンス語による演 劇が中 心となっている。 アパル トヘイト時 代には、公 用 語はアフリカーンス語と英 語の 2 つであった。 60

1994 年 以 降はこれらの 2 つの言 語に、9 つのアフリカ民 族 語を加え て、11の言 語を公 用 語にした。現 実には全ての言 語を対 等に扱うこ とは難しいが、1994 年 以 前はアフリカーンス語は確 固たる地 位を確 立し、 アフリカーンス語による教 育が強 化されてきた。だが、英 語や多 数 派を占めるアフリカ諸 言 語の台 頭に脅 威を感じ、 アフリカーンス語 作 家による諸活動の場としている。

さて、2019 年 3 月のリトル・カルー 全 国 芸 術 祭で、プレミアとして 演じられたアソル・フガードの『 供 述 書 』は特 別 功 労 賞を受 賞した。

2019 年 9 月には、フガード劇 場で再 演され 、話 題を呼んでいる。さ らに 2019 年 6 月のグレアムズタウン全 国 芸 術 祭では、 コンディスワ・ ジェームズ( Qondiswa James)演 出による 『 微かな明かり ( A Faint

patch of Light)』が、 『 供述書 』 をベースにして、異 人 種 間の恋 愛か ら、 レズビアンの設 定に変えて演じられた。民 主 化した南アフリカでは


世 界に先 駆けて、同 性 愛 者の結 婚は憲 法で認められているが、現 実社会では同性愛者に対する偏見や差別が根強い。 したがって、 ア パルトヘイト時 代の背 徳 法(白人と非白人の恋 愛・性 行 為を禁 止し たもの)の問 題を、現在の同性愛者婚に置き換えて、社 会に問うた。 このように、1972年 初 演から長 年にわたり、様々な演 出 家によって この作品は生き続けている。決して過去の物語ではなく、現代社会に も通 底する問 題として捉えられ、人気を博している。

アソル・フガードがどのような人かを少し見ておこう。彼は 1932年に アパルトヘイトの カルーのミッデルブルグで生まれ、現 在 87 歳 。長 年 、 非 人 間 性を描き続け、笑いと涙を南アフリカだけでなく、世 界中の観 客に与え続けてきた。 そのパッションは南アフリカの理 不 尽な人 種 差 61

別への憤りから来ていた。自らも移 動の自由を奪われるなか 、劇 団 を結 成して、戯 曲を書き続けた。彼が初 期の頃に結 成した「へび座 アフリカ人だけの劇 団で、 その中にはの ( The Serpent Players)」は、 ちに素 晴らしい活 動をするジョン・カニなどがいた。

2005年にフガードは、南アフリカの大 統 領 賞であるイカマンガ勲 章 (*5 )の銀 賞を受 賞した。 賞( Order of Ikhamanga) フガードの小 説

『ツォツィ ( Tsotsi)』は、映 画 化され、2006 年にアカデミー賞を受 賞 した。2011年 、第 65回トニー賞の特 別 功 労 賞を、2014 年には、高 松 宮殿 下 記 念 世 界 文化賞を演劇・映像部門で受賞した。

さて、 フガードの作品『 供述書 』 を見ておこう。 この作 品は、1972 年に、アソル・フガード、グレッグ・カルヴェラス ( Greg Karvellas)演 出のもと、スペース劇 場で初 演となった。1974 年 1 月22日に、 ロンドンのロイヤル・コート劇場( Royal Court Theatre) 世界の舞台芸術を知る

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で海 外 初 演となった。2012年 1 月にフガード劇 場で上 演され、 キム・ ケルフート ( Kim Kerfoot)が演出した。 あらすじを見ておこう。 アパルトヘイトの南アフリカで、 カラーバーを 超えた関 係は背 徳 法により、犯 罪であった。 カラードの男性 教 師エロ ル・フィランダ( Errol Philander)が、図 書 館を運 営する白人の女 性 と図 書 館で出 会う。二 人は フィリエダ・ジョウベルト ( Frieda Joubert) 情 熱 的な愛で結ばれ、人 間 的 、感 情 的にも自由を求める。舞 台では 二 人は裸で抱き合う。隣 人が二 人の関 係を、警 察に密 告する。警 官 がやってきて、写真に撮り、二人は逮捕される。 警 官が隣 人の証 言した供 述 調 書を読み上げる。場 面が変わり、 二人の関係がどのように進展していったかが、二人の会話から明らか になっていく。男には妻と子 供がいるが、女は独身でその男に関 心が 62

ある。女に対する尋問がある。女の男に対する正 直な気 持ちが明らか になる。 場 面が一 転し、 さらに隣 人の証 言をもとにした供 述 調 書が読み上 アソル・フガード作『背徳法違反で逮捕された後の供述書』 ( 2019年上演版) 撮影:Claude Barnardo


げられる。図書館の裏口から自由に出入りできる鍵を女が男に渡した ことが書かれている。女の供 述もある。男は自分と向き合い、 こう自問 する。 「もし彼らが目を取り去れば、人は見えなくなる。舌を抜くと、味わ えない。手を取り去れば、触れられない。鼻をとれば、匂いが嗅げない。 耳をとれば 、聞こえない。だが、私は見える。味わえる。感 触もある。匂 いが嗅げる。聞こえる。ただ私は愛することができない。…… 人はお腹 がすけば、食べる。喉が乾けば、水を飲む。疲れたら、眠る。ただ私は 愛することができない……私はもう一度理解しなければならない。彼ら が魂を抜いたら、人は天 国には行けない。 だが私は天 国に行ける。た だ私は愛することができない」 つまりここには、激しい怒りや抗 議はない。人が人を愛することが、 ど うして罪になるのかという問いだけがある。背 徳 法という奇 妙な法 律 63

によって人 間が分 断されている状 況が問われる。最 後の供 述 部 分で は、全てを奪われても、最 後に残るのは「 神 」だという。 「 今 、私はここ にいる。 ここには何も残っていない。彼らはもう神には 干渉できない」 この神とは人 間の魂のことであり、人を愛する感 情のことであるのは明らかである。 アパルトヘイト体制 としっかり向き合い、不 変の人 間 愛をテーマにして、 声なき抗 議の声を上げる。 だからこそ半 世 紀 近く演 じ続けられている。

もう一 人 、南アフリカの劇 作 家 、小 説 家 、画 家とし て知られるゼイクス・ムダ( Zakes Mda)を紹 介して おこう。 『 空が落っこちるとふざけてるのか( You Fool How

『背徳法違反で逮捕された後の供述書』 2019年公演チラシ ©The Fugard Theatre

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Can The Sky Fall)』は、1995年 2 月にヨハネスブルグにあるウィンデ ムダは当時 、 ィブロー劇 場( Windybrow Theatre)で初 演となった。 亡 命 後 初めて南アフリカのウィットウォーターズランド大 学の芸 術 学 部 演 劇 科で教 鞭をとっていた。研 究 休 暇で南アフリカにいた私はム ダに誘われて、 ムダの家 族と一 緒にこの作 品を劇 場で観た。 ムダは、 一人で自分の作品を観にいくのはとても勇気がいるので、家族も友人 も誘って、感 想を聞きたいと言った。南アフリカは世 界 中の注目を浴 び、1994 年に国 民の期 待を背負って、マンデラ大 統 領のもとに新し い民 主 社 会の建 設に乗り出した。 そんな時に、 ムダは大 統 領や諸 大 臣たちの腐 敗と権力闘 争などを風 刺するような作 品を発 表することに は大 変な勇気がいっただろう。 ムダはこの作 品の舞 台をはっきりと南アフリカと限 定せず、 アフリカ 64

のどこの国でも起こりうる状 況を描いた。政 権を握った政 治 家の、 あく なき権力への執 着 、腐 敗 、傲 慢 、堕 落は、政 治の世 界の日常でもあ る。民 衆の夢を裏 切って、政 府がどのように独 裁になっていくかを描 いた。 作 品の中で語られる物 語の断片は、歴 史でもあり、 日常 生 活と社 会 問 題のタペストリーでもあり、新 生 南アフリカへの新しい挑 戦でもあ った。初 演は、五 人の男性と、一 人の女 性で演じ られた。

23 年 後 の 2 018 年 9 月 2 8日から 10月 2 8日ま で、マーケット劇 場でジェームズ・ンコボ( James (*6 )演 出 、 Ngcobo) ンタチ・モシェシュ( Nthati

Moshesh)やモレフィ・モナイサ( Molefi Monaisa) らのキャストのもとに再演された。 ゼイクス・ムダさん 撮影:楠瀬佳子

初 演から23年も経ち、南アフリカは民 衆の期 待


を裏 切り、政 治の世 界では、 あくなき権力闘 争 、腐 敗 、汚 職が蔓 延し、 幻 滅 感が蔓 延していた。 このムダの作 品は南アフリカ社 会への幻 滅 をいち早く予 兆した作 品となってしまった。 アフリカの諸 国で起こって いる普 遍 的な現 象であり、新 植民 地 支 配 下にあるアフリカ社 会を予 言的に描いたともいえる。

初 演の舞 台を紹 介しておこう。 独 裁 者は自分の手 下に対しても被 害 妄 想に陥り、訳もなく怯えるよ うになる。 手 下の閣 僚たちは道化師のように顔を白く塗っている。頭は黒 。登 場 人 物に匿 名 性を持たせた。 こうしたメークアップは意 識 的に奇 妙 なものにしてあるが、観客に不安感を与える効果を狙う。 65

大 統 領は足に汚い包 帯を巻いている。保 健 大 臣が、ニンニクとさ つまいものついた帽 子を被り、大 統 領の包 帯を取り替えようとするが、 包 帯がない。舞 台に残 飯 入れバケツが転がっている。一月に一 回 変 えるだけ。バケツと大 統 領の足の周りにハエが飛んでいる。腐 敗のイ メージと重なる。 各 大 臣は一 人 一 人 、拷 問にあう。役 職は資 格に関 係なく決められ、 誰も安 全ではなく、恐 怖は免れない。かつては同じ側にいた人たちは もういない。秘 密や幻 想はしばらくは保たれるが、やがて壊れる。女 性 の政 治 的 、社 会 的 役 割が問われる。軍 隊の長は、政 府の中で一 番 権力を持っているが、大 統 領に次ぐ二 番 手 。農 政 大 臣 、法 務 大 臣 の地 位は不 確か。文 化 大 臣は芸 術を禁 止する権 限をもつが、他に は何の権 限もない。 この作 品は権力欲にとりつかれた男性の政 治の世 界をどこか冷め た目で眺めている。 世界の舞台芸術を知る

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2018年の舞 台では、 ンコボは、五 人の男性 大 臣を女 性に変え、一 人の女 性 大 臣を男性に変えた。大 統 領は男性 。役 割をこのように変 えることで、南アフリカの男性中心 社 会にメスを入れ、 ジェンダー関 係 の問 題 提 起をしようとした。だが、 それがうまくいっているかどうかは私 にはわからないが。 南アフリカの演 劇の主 流は、今 後も現 社 会の中での人 間 模 様 がテーマの中 心であり続けるだろう。 そして歌と踊りと語りをミック スした 、古くから語り継 がれてきた民 話をベースにした 本 来 のアフ リカ演 劇も身 近になるだろう。女 優・詩 人・作 家のチナ・ムショーペ ( Gcina Mhlophe)が、2012年にチナマシコ芸 術・伝 承 信 託( The

Gcinamasiko Arts and Heritage Trust)を設 立して、舞 台で広 場で ストーリーテリングを通じて、人 間と社 会のあるべき姿を語りつづけて 66

いるように。

*1

以後『供述書』とする。

*2 マーケット劇場は、2014年にジョン・カニ劇場(John Kani Theatre)と改名された。ジョン・カ ニはマーケット劇場の創設者の一人であり、現在、マーケット劇場基金の特別大使として、女性 や子供に対する暴力をやめるように呼びかけ、人権擁護の立場に立ち、男女平等の安心して暮ら せる社会作りに貢献している。 *3 以前はニコ・マラン劇場(Nico Malan Theatre)と称していた。 *4 最近、グレアムズタウンはマカンダ(Makhanda)と地名を変えたことで、マカンダ全国芸術祭と 呼ばれる。 *5 南アフリカの大統領が演劇部門で素晴らしい貢献と業績を納めた者に対する与える賞。イカマン ガ(Ikhamanga)はコーサ語で、ストレチア(極楽鳥花)のことで、南アフリカ原産の花。 *6 ンコボは実験的にウィッツ劇場(Wits Amphitheatre, University of the Witwatersrand)で 2008年2月26日〜3月8日に、大学演劇科の学生とともに上演している。

くすのせ・けいこ アフリカ文学を中心にアフリカ社会や文化に関心をもつ。とくに南アフリカの文化活動を紹 介。著書に『 南アフリカを読む―文学・女性・社会 』 『わたしの南アフリカ』、共訳書に『ネルソ ン・マンデラ伝』 など。京都精華大学名誉教授。


『独裁者』

67

[レバノン]

モノドラマ 様 、 あるい は 経 済 危 機 の 時 代における演 劇 アビードゥー・バーシャー 演劇の火は消えなかった。演劇の火は消えていない。演劇人がいる かぎり、 その火は消えないだろう。彼らが演劇に自らの幸いを、天職を、 人生を、 日が昇り日が沈む場所を見出すかぎり。 しかしながら、彼らはい ま、劇場のなかに己の顔を見出すことがない。経済危機のしるしがそこ かしこに現れるなか、廃 墟と化した劇 場にひとつ、桟 敷 席の椅 子を見 つけるかもしれないが。真のドラマ、新しく生まれるドラマを。 というのも演 劇とは演劇のリアルであって、演劇人たちの幻想ではないからだ。 世界の舞台芸術を知る

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LEBANON

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はら

演 劇という胎 から新しい言 説が生まれる。聖なる劇 場 空 間からも、 演 劇 戦 士たちからも遠く離れて。戯 曲の言 葉や劇 団から遠く、 しきた りに従って幕を上げたり降ろしたりする劇 場 支 配 人たちは消え、劇 場 の扉は一 枚になり、集 団は個に取って代わられた。 まるで紀 元 前 100 年 頃のローマ演 劇 界のように。演 劇という集 合 的 芸 術において、 もは や集 団は本 質 的なものではなくなったのだ。今日の演 劇 人は電 気 技 師のようなものだ。すべて一 人で行う。役 者が一 人 、せりもない劇 場 で一 度だけ演じる。 スノコに吊物やフライングの仕 掛けを仕 込むという 発 想は 19世 紀に生まれ、同 世 紀 末に恐ろしく進 化して、今なお進 化 している。演 劇は、未 来を展 望することなく、過 去の発 想にすがりつい ている。多くの演劇人たちは、 マルチメディアを使った表 現 方 法へシフ トしている。おろかな彼らは、 これで新しい演 劇を切り拓いていると思 68

いこんでいるが、一 人で劇をするというスタイルは、演 劇 界のありようか ら生まれているのだ。

演 劇とは集 団の声だ。感 性の言 葉だ。痛みの言 葉 、笑いの言 葉 、 微 笑みから哄 笑の手 前まで、 さまざまな顔を持つ言 葉だ。モノドラマ ふ げき

は巫 覡 であり、集 団を重んじるわけでもスター性をよしとするでもなく、 演 劇 人たちを引きずり込むのである。 ここには物 語はない。欠 乏と、演 劇 人の演 劇に対する誠 実さのアンバランスがあるばかりだ。演 劇をす るための資金が足りない。モノドラマとは懇 願であり、選 択ではない。

モノドラマは、圧 倒 的な倹 約の時 代 、脆 弱な演 劇の時 代における 隠 蔽 装 置である。モノドラマには、安 心と安 全の条 件を改 善するとい う自己欺 瞞以外に何もない。 演 劇 界でモノドラマが大きな役 割を担っている。説 得力のある朗々


とした台 詞 術ではなく、モノドラマにおける最 高の演 劇 的 瞬 間に魅了 される者がいる一 方で、 それゆえにモノドラマには良い上 演がないと 考える者もいる。モノドラマが観 客と俳 優の距 離を近づけると考える者 も、媒 介 的な演 劇だとみなす者もいる。客 観 的に物 語や全 体 性を捉 えたり、細 部を考えるのではなく、 その作 品に自分自身を見 出す者も いる。モノドラマが進 化するかはさておき、 レバノンの演 劇 界はモノドラ マを手にした。 ヨーロッパのいくつかの都 市で家々にガスが届くように。 モノドラマは、評 論の対 象ではなく、必 要なものとして存 在しているの である。

分 離 。経 済と作 品を切り離さなければならない。かつてないことだ。 今やモノドラマはそのレベルの低さで他の舞 台 芸 術と区 別されてし 69

まっている。 どれもテクノロジー頼みか知 識のひけらかしで、 ストーリー がない。本 来は、エピソード同 士の強 固な結びつきと、作 品 全 体を貫 くビジョンがなければモノドラマとはいえない。 そして俳 優の力量でみ せること。 テクノロジーの力ではなく。 これこそモノドラマと他ジャンルの 決定 的な違いである。

とシリ レバノンのラフィーク・アリー・アフマド( Rafiq Ali Ahmad) アのズィーナーティー・クドゥスィーヤ( Zinati Qudsiya)はモノドラマ に出 会うと、 この演 劇をよく探 求し、注目に値する成 果を出した。 そ の 影 響を受けたのがモロッコのアブドゥルハック・アル=ザルワー ティー( Abdul- Hakk Al Zarwati)で、独自路 線を行くのはカマー ル・アッ=トゥワーニー( Kamal Al- Tuwani )、ザヒーラ・ブン=アン マール( Zahira Ben Ammar)、 ガンナーム・ガンナーム( Ghannam

Ghannam)、アスマー・ムスタファー( Asma Mustafa)だ。 この 4 人の 世界の舞台芸術を知る

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LEBANON

ASIA, AFRICA

活 動を見るとレバノンの文 化 政 策の弱さと複 雑さがよくわかる。 もはや 一 握りの人 間を除いて予 算を得ることができず、予 算が芸 術 作 品の 質と程 度を決定するということが。

レバノンをはじめ、多くの国でモノドラマが注目されている。子 供は 己の道を切り拓くために大 地から出てくる。モノドラマには連 綿と続く 歴 史があるが、 その末 裔たる最 近の作 品は大 方 即 物 的につくられて いて、想 像力の結 晶ではない。モノドラマの一 種かもしれないが、情 報の羅 列にすぎず、宝 石のように重 宝がるものではない。言 葉なきモ ノドラマ。

2018年 、アラブ 演 劇 協 会がレバノン文 化 省とともに開 催したレバ 70

ノン演 劇フェスティバル( Lebanese National Theatre Festival)の 最 初のセッションでは、6 つの戯 曲と 1 つのモノドラマ、パトリシア・ナ ムール( Patricia Nammour)出 演『 今日は排 卵日― 二つの計 画( Ce soir j ’ ovule — Chokhta Chokhten)』が紹 介された。男優 と女 優による二 人 芝 居アントワーヌ・アル=アシュカル( Antoine al-

Ashkar)演出『 海は死なない』、二人の女優によるサハル・アッサーフ ( Sahar Assaf )演 出『 独 『今日は排卵日―二つの計画』 (パトリシア・ナムール)

裁 者( Al Dictator/The

Dictator)』。俳 優 一 人と 女 優 二 人によるカロリー ヌ・ハーティム( Caroline

Hatem )演 出の『 家( Al Bayt)』など、スタッフと出 演者数を最小限に絞り込


『家』

んだ作 品ばかりだ。 グローバル時 代の経 済 事 情の影 響はこのように、 フェスティバルの「リーディングネットワーク」にまで及んでしまっている。

おそるべき速さで成 長し変 化する時 代においては、成 熟がなされ ず、決 定 打とする手 段や方 法がわからない。 さらに、 ノイズと刺 激が個 71

人を集 団の概 念ではなく個の概 念に有 機 的に結びつける。時 代を 区 分した“ 成 果 ”だ。現 代 性や新 奇なものへ盲目的に憧れる時 代に おける、砂 時 計が刻む時 間への回 帰の“ 成 功 ”だ。砂 時 計の時 間 、 それは経 済の厳しさを演 劇 人たちの顔 面に投げつける。集 団に対 する個 人の勝 利も、最もシンプルな形 式を頭でっかちな複 雑 性が牛 耳っているのも、経 済のしわざである。 従 属 。演 劇には自由がなく、演 劇の条 件に女 王はない。モノドラマ という演 劇には、一 人か二 人 、最 大でも三 人で演じるという制 限があ る。モノドラマは新しい世 界 、経 済の世 界の芸 術である。演 劇は、あ らゆる種 類の芸 術を引き受ける広 大な大 地であるが、モノドラマは怪 物のごとき資 本 主 義が世 界を支 配するさまを表 象する。豊 穣にして 深 遠なるアメリカの支 配に直 面したこの世 界においては、モノドラマ が自らを不 可 侵の砦となし、想像と創造を促すのである。 恐ろしく膨れ上がるグローバル化のせいで、魂を物 質が、友を敵 世界の舞台芸術を知る

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LEBANON

ASIA, AFRICA

が凌ぐ。憎 悪が増 幅し、寛 容さが奪われて戦 争が起きている。 この戦 争は対 立する陣 営 同 士の争いではなく、軍 人たちよりも屈 強な思 想 家たちの自己防 衛である。他の表 現 形 式とならび、演 劇も経 済の支 配 下にある。巨 大な歴 史 的 現 象が演 劇に重くのしかかり、集 団 主 義 的 演 劇 、集 団の演 劇 、 ソビエトの強 制 労 働 収 容 所 的なワークショッ プ演 劇が、 スターリン時 代のような重 労 働キャンプが再び栄えている。 役 割を変えてはならない。哲 学も詩も消えてしまう。演 劇の世 界に起こ りうるあらゆる裏切りを消し去らねば。牢獄を。

牢 獄の日々の中にも、健 闘した作 品がいくつかあった。 しかし、 これ はというものがない。一 人ないし少 人 数で上 演する作 品が多く、存 在 論や自身の存在について掘り下げるものが目立った。 72

いくつか例を挙げてみたい。 アンジュー・リーハーン( Anju Rihan) 出 演のモノドラマ『 赤レンズ豆の煮 込み( Mujaddra Hamra)』、 フ サイン・カーウーク( Husain Qauq )が演じたヤフヤー・ジャービル 演 出の( Yahya Jaber)の『これはなに』。マシュフール・ムスタファー ( Mach hou r Mu st a fa )演 出 のマルワ・カルウーニー( Ma r wa

Karuni)による一 人 芝 居『 彼 女と彼 女たち』。ジュナイド・サリーユッ ディーン( Junaid Sariyeddin)の演 出でラーイダ・ターハー( Raeda

Taha)が演じた『アッバース・ハイファー通り36 番( 36 Share ‘ Abbas Haifa /Abbas Haifa Street 36)』。サリー・ファウワーズ( Sali Fawwaz)演じる『 五 十 分 』。 ソフィア・ムーサー( Sophia Moussa)演 じるジゼル・フーリー( Giselle Khoury)作『 永 遠の死 』など、やはりモ ノドラマが多い。 まさにそれは小さな宇 宙に生きている。 大きな宇 宙の存 在によって、小さな宇 宙は新たに小さな宇 宙を生 成できないでいる。モノドラマは演 劇の誇りではなく、悔いでもない。 そ


こには大きな悲しみも小さな嘘もない。モノドラマは経 済 危 機という胎 から出た。演 劇の詩を罪だと考え、追 放する人たちがいる一 方 、 これ を解 決 策だ、欺 瞞から遠いものだと考える人たちがいる。 なぜなら演 劇 人たちが消 費するのは自分たちの血だけだからだ。

モノドラマは戦 争から生まれたヴォードヴィルだ。想 像力なきカテゴ たかぶ

リー。恐 怖さながらに神 経を昂らせる。人 間というのは別れ際や逆 境 で軽 率になりがちだが、言 語 的 多 様 性なき不 意 打ちを繰り返し受け れば 逆 境にも慣れていく。 そうだ、戦 争に分 類される。国 民が鉄 、戦 争が磁 石である。機 会を逸してはいない。逃 亡の機 会を逸することは 自死を意 味する。戦争への急速な接近を。 モノドラマは平和、想像力なき復興の段階の平和に接近し、 ほどな 73

くしてダイナマイトの運び屋と跳ね回ることになった。倹 約の段 階で芳 わしい香りに身を委ね、経 済 成 長 後に享 受すべきものを失ったのだ。 軽 率であった。倹 約の段 階とは、野 蛮な戦 争の経 済が野 蛮な平 和 の資本主義に転落するときでもある。野蛮な資本主義と偏狭なファシ ズムと封 建 制が交わした契 約は、思 考の立ち位 置を兵 士の棺から 経 済の棺へ転 換するのに役 立った。 レバノンの銀 行や金 庫に預けら ひれ

れたたくさんの資 本には鰭 がついているようだ。戦 争と敗 北が作り出 され、 そこに新しい資 本 主 義の重 荷がのしかかる。敗 者は自国の言 語で復 興を果たすべきだ。モノドラマは新しい状 況の集 積 所から出 てきた。保 守 的な社 会でモダンダンスの上演が見られたように。 戦 争が迫ったとき、 ジョルジェット・ジバーラ ( Georgette Gebara、

1912~ 2002)にもジョルジュ・シャルフーブ( George Sharhoub、1946 ~)にも、 その他 数 少ないバレエ界のコレオグラファーとダンサーにも、 誰も何も忠 告できなかった。 世界の舞台芸術を知る

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LEBANON

ASIA, AFRICA

世 界レベルの上 演がない。映 画がない。たくさんの映 画が消され てしまった。モノドラマは淫 売 婦も映 写 機も描かないだろう。私は哀 れみ深い貴 族のように繰り返す。モノドラマは個 的であり、 いまのレバ ノン人の個 人 的 体 験に着 想を得ている。金か想 像力かいずれかだ。 演 劇 人は演劇の上演から手段を再発見し想 像力を得るのだと。 金が想 像力を殺した。商 人たちが革 新を殺した。重 要な時 、最も 重 要な時に何をすべきだったのか、誰もわからなかった。部 屋に戯曲 はなく、劇 場の壁に言 葉はない。 それぞれの時 代にそれぞれの演 劇 がある。戦 争の演 劇こそ最も肥 沃な演 劇だ。平 和の演 劇は賭けに出 ない。演劇の困った子孫である。束の間の演劇。 ノイズのなかに古い戯 曲の声を聞く。演 劇が 元 気だったころ、ハ サン・アラーッディーン( Hasan Ala’ Iddine)の好 演によって人 気を 74

シリーズが、息 子のハディル・ア 博した『シューシュー( Shou Shou)』 ラーッディーン( Hadil Ala’Iddine) によって再 演された。息 子は父 の遺 産を殺した。あるいはこの演 劇をひどく咳き込ませた。演 劇は肺 癌を患っている。 ジョー・クダイヒ ( Joe Kodeih)の戯曲『 中くらいの悪

(Middle Beast) 』のように。 一人か二人の役者の声ばかりが響く少人数の演劇。上演に居合 わせて退 屈した観 客は、進 化した携 帯 電 話に気をとられている。長 い年月を区 分する壁を高くすることで記 憶が統 制されたあとは、素 晴 らしい演 劇の体 験の記 憶が、場 所や稽 古 、 日々の記 録 、感 覚と結び つかない。 レーモン・ジバーラ ( Raymond Gebara)やヤアクーブ・アッ=シャド ラーウィー( Yacoub Al-Chedrawi)、 シャキーブ・フーリー( Chakib

Khoury)、ニダール・アル=アシュカル( Nidal Al-Achkar)、ベイルー


『中くらいの悪』

ト・シアター・ワークショップ 、ムニール・アブ ー=ディブス( Munir

Abu Debs)、 レバノン・シアター・サークル、 ミシェル・ナバア( Michel 75

Nabaa)、 そしてアントワーヌ・クルバージ( Antoine Kerbage)のことをも う誰も思い出さない。人々は二重の忘却の病に罹っている。 クルバージ

観 客は A.クルバージを忘れた。馬 車の御 者の鞭を、過 去の世 紀 の乗り物とその乗り手を忘れるように。 もはや経 済の精 神を持った戯 曲しかない。上 述のパトリシア・ナムールが演 出した『 私の大 事なひ と』は二 人 芝 居 。 ジャック・マールーン( Jaques Maroun)演 出の『モ ンスター 』 も男優 一 人、女優一人のリアリスティック・ドラマ。 社 会のさまざまな変 化を映す演 劇 作 品も少なからず生まれてい る。 ガブリエル・ヤミーン( Gabriel Yammine)演 出の『ウィルのお望 みのまま ( Ma sha'a Wil)』 (*ウィルはウィリアム・シェイクスピアのこと)、 ワリード・アウニー( Walid Aouni)演 出の『 折れた翼( Al Ajniha

Al Moutakassira /Broken Wings)』、カミール・サラーマ( Kamil Salama)演 出の『 64 』、ナンシー・サワーヤ( Nancy Sawaya)演 出の 『 執 着 』。 ラフィーク・アリー・アフマド ( Rafik Ali Ahmad)は、自身の 世界の舞台芸術を知る

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LEBANON

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モノドラマ『 断 絶 』を数 年 前に積 極 的に上 演したあと、自身との敵 対 関 係を終わらせようと考え、新たなモノドラマにとりかかっている。生 産 的な戯曲は新たな戯曲を生む。振り子のように。

ここにある危 機から逃れることはできない。言 葉が途 方もなく広がる 危 機はいまだに自分自身の言 葉を探し続けていて、経 済 的 危 機の 激 化ととともに、諸 機 関 、協 会 、支 援ファンドが衰 退し、創 造の現 場 が変 化しているのだから。銀 行からも文 化 基 金からも親からも兄 弟か らも資 金 援 助がない。 アメとムチのアメがない。 アメもないのに歯を失 さじ

そこには新た う。微 妙な倹 約 的 経 済 条 件の匙 加 減のせいだろうか。 な成 長をもたらす改 革はない。成 長の申し子たる演 劇がそれを伝え ている。 76

内 戦では生 活の糧が奪われただけで、社 会はなにも恩 恵を受け ていない。分 野によって生きているものと死につつあるものがあるが、 文 化は後者にあたり、公的財政の均衡はほど遠い。

レバノンはレンティア国 家だ。社 会 保 障も雇用機 会もイノベーション もない。欠 如は赤 字を生む。サービス収 支と経 常 収 支の赤 字 増 、国 外 預 金 額の下 落 、外 国への直 接 投 資の萎 縮 傾 向 、純 送 金 額の下 落 、金 利の下落、公的債務の累積、国際 収 支の赤 字 。 経済の危機は構造的な危機であり、内戦における銃火による危機 とは違う。 そこでは自由が確 固たる民 主 主 義 的な諸 観 念と競い合い、 芸 術 家や知 識 人たちをあらゆる近 代 的な観 念を温めている近 代 主 義 的な人間のようにする。 経 済 構 造の変 化のなかで放たれた銃 弾が演 劇の眉 間にあたっ た。怪 物 的な資 本 主 義 経 済は多 様な思 想を船に変え、 グローバル


化は世 界を田 舎にした。演 劇とは都 市 的なものだ。無 数の思 想の詰 まった天 国だ。 Abido, Basha 作家、俳優、演出家。 レバノンの劇団「Hakawati (ストーリーテラー)」に旗揚げから関わる。作・ 演出作品に『1936年のこと』 『 教訓と針』 『ヒヤム郡の日々』 などがあり、アラブやヨーロッパの 主要国でも上演されている。出演作品に『 田舎への無許可遠足 』 ( 演出:ヤアクーブ・アル= シャドラーウィー [Ya’qub Al-Shadrawi])、 『ミセス・ナイーマのホステル』 ( 演出:ジラール・フー リー [Jalal Khoury])、 『 勘定に入れとけ』 ( 演出:ニコラ・ダニエル [Nicola Daniel]) など。バア ルベック国際演劇祭ではカルカラ劇団(Carcalla)のオペレッタ 『月夜に』や『 移民』 ( 演出:ナ ビール・アル=アトン) に出演している。 レバノンにおける児童青少年演劇のパイオニア的存在でもあり、劇団小麦(Assanabel)、 スペ クタクル・ボックス (Sandouk al Ferje)、ポール・マタル劇団(Paul Matar Theatre)、劇団アフ タヌーン (Asriyyeh)の旗揚げに関わった。作・演出を手がけた『 鏡 』はレバノンで唯一の、貧し い子どもたちのための作品である。 作詞家としてはジヤード・アル=ラフバーニー (Ziad al Rahbany)、ハーレド・アル=ヒッル (Khaled Al Haber)、マルセル・ハリーファ (Marcel Khalife)、サーミー・ハッワート (Sami Hawat)、アブード・アル=サアディー (Aboud Al Saadi)、ニコラ・ナハラ・サアーダ(Nicola

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Saade Nakhle)、 マルワーン・アッバードゥー (Marwan Abado) らと楽曲を手がける。 演劇評論家としてはAssafir紙へ22年間寄稿、同紙文化部の主幹を7 年務めた。他紙への 寄稿も多数。演劇関連の著書は17冊にのぼり、児童書も手がける。

『illusions』

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ISRAEL

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マオール・ザグリ作・演出『これが私』 (カメリ劇場) 撮影:Yossi Zwecker

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[イスラエル]

建 国 7 0 年目の 岐 路 村井 華代

「自己検閲と占領無視」

2019年 6 月 26日の「ハアレツ」英 語 版に、21日にテルアビブの小 劇 場ツァヴタ( Tzavta Theater)で開かれた緊 急シンポジウムについ ての報告が掲載されている。記事の題名は、 「自己検閲と占領無視: イスラエル演 劇の惨 状 」。 ライターは、2017年 末まで 3 年 間 、 「ハアレ ツ」演 劇 欄を担当し、異 様な状 況を克 明に伝えてきたヤイル・アシュ ケナジ( Yair Ashkenazi)である。 シンポジウムのテーマは、 「イスラエル演劇における検閲と自己検閲」。


パレスチナに対する占領 政 策を批 判したり民 族・国 家を侮 辱した り、2019 年日本で流 行った言い方をすれば「 国 民の心を踏みにじ る」類の作 品を上 演すると、2015年 以 来の文 化スポーツ大 臣ミリ・レ ゲヴ( Miri Regev)があからさまな助 成カットでこれを締め上げる。 そ のため劇 場は政 府と衝 突しないよう、挑 発 的な作 品を避け、無 難な エンターテインメントに流れた。つまり、舞 台 検 閲を認める法がなくても (イスラエルの舞 台 検 閲 法は 1989 年に廃 止 )、事 実 上 、検 閲や弾 圧は可 能である。従って、 「占領無視」は「自己検閲 」と一 体である。 パネリストは、演 出 家イラン・ロネン( Ilan Ronen)、演 出 家・俳 優 オデッド・コトレル( Oded Kotler)、劇 作 家モティ・レルネル( Motti

Lerner)、劇 作 家イェホシュア・ソボル( Yehoshua Sobol)ほか、197080年 代から今日に至るイスラエル演 劇の地 平 ─ 国 家に抵 抗する そ う そう

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プラットフォームとしての演 劇 ─ を拓いた錚 々たる面々が並ぶ。舞 台 上にはこれらユダヤ系 演 劇 人と共に対 立の壁を乗り越えてきた アラブ系スター俳 優ノルマン・イッサ( Norman Issa)、 マクラム・フーリ ( Makram Khoury)、 そして2017年フェスティバル/トーキョーに占領 批判の劇『パレスチナ、 イヤーゼロ ( Palestine, Year Zero)』で登場し たユダヤ系劇作家・女優イナト・ヴァイツマン ( Einat Weitzman)の姿 もあった。 登 壇 者の顔ぶれの豪 華さに対し、 シンポジウムの聴 衆は少なかっ ストリーミングサー たらしい。 「ミリ・レゲヴが文 化 大 臣を務めて 4 年 、 ビスの人 気が高まるにつれ、演 劇 人ですらこの分 野の未 来を議 論す ることに関 心を失ってしまった」。 それなのに、登 壇 者たちは「レゲヴ 時 代 以 前から既に数えきれないフォーラムで言われたり書かれたりし た古い、意 外 性もない文 言 」を繰り返すだけで、 この現 実を直 視して いない、 とアシュケナジは批判する。 それほど事態は切迫している。 世界の舞台芸術を知る

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ISRAEL

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聴 衆の少なさは緊 急シンポだったことや広 報 不 足が原 因かもしれ ず、急いで悲 観 的な決 断を下す必 要はない。だが、 この記 事から近 年のイスラエル演 劇の現 実を手っ取り早く汲むことができる。即ち、① イスラエル演 劇は国 家イデオロギーや占領に対する抵 抗の手 段とし て機 能してきた。が、近 年の自己検 閲でその機 能が失われようとして いる。②ここに至った理由は、抵 抗の基 盤を築いた演 劇 人の高 齢 化 、 手 軽なエンターテインメントの増 加 、 レゲヴほか政 府による抑 圧 、人々 の社 会 的 演 劇への関 心の喪 失 、等々。③ 経 済 的ダメージを恐れる 劇 場は自己検 閲と商 業 主 義 化に傾いた。④だが、 それを公 共の場 で非 難する言論の自由は、依然として確 保されている。

2018 年 7 月、イスラエルではユダヤ人のみが自決 権を持つとする 80

「 国 民 国 家 法 」が可 決された。 オスロ合 意から25年を経て、分 離 壁 とアイアンドームに守られた生 活は定 着している。エルサレムを首 都 と認め、 ゴラン高 原をイスラエル領と認める親リクード的アメリカの政 策は、国 際 的には非 難の対 象だが、壁の内 側に安 住したい国民か らすれば 朗 報である。2019年 5 月には全 欧ポップスの祭 典ユーロビ ジョンもテルアビブで─ 同月上 旬 、ガザから600 発 以 上のロケット 弾が飛ばされ、軍が報 復し、 イスラエル側で 4 人 、パレスチナ側で約

25人の死 者を出しながらも─ 開 催された。あからさまな右 傾 化の 一 方でイノベーション大 国 、多 様 性ある文 化 国 家のイメージは、確 実 に上がっている。 だが演劇人はと言えば、BDS 運動(対イスラエル不買運動)によっ て国 外での活 動に困 難がつきまとうだけでなく、国 内 活 動でも外 国 の戯曲の著作権者から上演許可が下りない例が多数出ている。 イス ラエル演 劇のインフラである国 内 5 都 市 8 か所のレパートリー劇 場


は依 然 盛 況だが、観 客の大 部 分を占める「 平 均 的な」年 間 契 約 者 層は無 難で豪 華な娯 楽を好む。芸 術 的 実 験 性と安 定 的 運 営の両 方を維 持するために公 的 助 成は不 可 欠だが、助 成のために表 現の 自由を売り渡さねばならないのでは本 末 転 倒である。既に何 人もの 若い才 能が自由を求めて外 国に流出した。2018年 11月には、国 家イ メージを損ねる文 化 芸 術には助 成しないと法 的に定める「 文 化 忠 誠 法( cultural loyalty law)」が国会に提出されるまでになった。結局、 可 決は回 避されたが、 「イスラエルはもう民 主 主 義 国ではない」と言 う人は多い。 それでも冒頭の人々は民主主義国の演劇人として戦っている。

2019年 、二 度の総 選 挙を経て、10月末 現 在 、少なくともレゲヴ時 代は終わると思われている。だが、一 度できた流れを戻すのは難しい。 81

イスラエル演 劇は大きな岐 事 態は好 転するだろうか。建 国から70年 、 路に立たされている。

アッコー演劇祭2018

2017 年 秋 、北 部アッコーで 毎 年 行 われているフリンジ 演 劇 祭 ( Acco Fringe Theatre Festival/ 以 下「アッコー演 劇 祭 」)で、現 状の深 刻さを露 呈する事件が起こった。 その事 件とは、演 劇 祭に出 品されるはずだったイナト・ヴァイツマン の新 作『 占領の囚 人たち ( Prisoners of Occupation)』がアッコー 市の演 劇 祭 運 営 委 員 会によって排 除されたことを発 端に起こった 一 連の流れをいう。新 作は、 イスラエルの獄中でパレスチナの囚 人が 書いた手 紙に取 材したもので、前 年に出 品された『 パレスチナ、 イヤ ーゼロ』以 来 、 ヴァイツマンはレゲヴのマーク対 象だった。自主 検 閲 で彼 女を排 除した委員会の決 定を受けて、演 劇 祭 芸 術 監 督ギブソ 世界の舞台芸術を知る

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『ドラゴンと娼婦』 (ノツァル劇場) 撮影;Yohan Segev

ン・バル=エル( Gibson Bal-El)が辞任、他の出場 者・関 係 者も続々 とボイコットを表 明 、社 会 全 体を巻き込んだ賛 否の嵐となり、演 劇 界 82

も分 断されてしまった。 アッコー演 劇 祭は、1980 年 、冒頭のシンポの企 画 者の一 人コトレ ルがオルタナティヴ演 劇の祭として創 始した。第 一 次インティファーダ (イスラエル占領に対するパレスチナ人の一 斉 蜂 起 )を機にユダヤ 人・アラブ人 協 働の場としての役 割を担うようになり、パレスチナに関 連する作 品は大 概 出 品されていた。だがヴァイツマンとパレスチナ色 「アッコー を排し、残った人々と集まる人々だけで開かれた 2017年 、 演 劇 祭は死んだ」と言われた。

2018年の同 祭( 9 月24日~ 27日)は、 そのダメージから復 活できる かが焦 点だった。結 果は好 評で、新 芸 術 監 督シャローム・シャムエロ フ ( Shalom Shmuelov)の手 腕は高く評 価された。会 場には前 年に 去った人たちの姿も見えた。

8 作のコンペ作 品のうち、作 品・戯 曲・俳 優 3 部 門で最 優 秀 賞を 獲得したのはノツァル劇場( Notzar Theatre)制作による 『ドラゴンと娼


婦( Dragons and Whores)』 である。雑多なダンジョンゲーム風デザイ ンの中世ファンタジーで、政治色はないが現代の金融危機への風 刺 コメディである。俳優が実に楽しそうに演じ、観客も大いに楽しんだ。 その他 、全 員が擦り切れたハシディスト (ユダヤ教の神 秘 主 義 運 『 天の人々 ( Celestials)』がシャ 動 )風 衣 装の男性 9 人によるダンス ガールを思わせる優 雅な空 間 使いで、振 付・衣 装・アンサンブルの 3 部 門で受 賞 。 アッコー演 劇 祭のトラブルを題 材にアナーキーなショー を展開した『 Zula 2000』が演出・女優の 2 部門で受賞した。後者の と共 演 者アリエル・セレニ=ブラ マヤ・ランズマン ( Maya Landsmann) ウン ( Ariel Sereni Brown)は共にメディアアーティストでもあり、屋外で ドローンやマウンテンバイク、 ニュース映 像のコラージュを使ってのジャ ンクな表現は、新しい世代の「何でもあり」の可能性を感じさせた。 83

コンペには他にイエメン系ユダヤ人の物 語 、エチオピア系ユダヤ 人チームのダンス、 イスラエルのアラブ人 劇 団と、国 内に林 立する多 様な地 域 的ルーツを持つ集 団に目を配った作 品が並び、特 別 上 演 にはベドウィン(アラブ 系 遊 牧 民 族 )の劇 団メハバシュ( Mehabash

Theater)も招 聘された。殊 更にパレスチナや占領を扱う作 品はな かったが 、期 間 中に同 会 場 内で上 演されたアッコー・シアター・セ ンター( Acco Theatre Center)のレパートリーで、 スマダル・ヤアロン ( Smadar Yaaron)による 『 最 後のアラブ人( The Last Arab)』─ 「アラブ人から離れたいというイスラエリ・ユダヤの切 実な要 請と自然 な欲 望に触 発された」ショー─ が気を吐いた。

レパートリー劇場の世代交代

2018年 前 後 、主 要 劇 場の芸 術 監 督の交 代によって演 劇 界 全 体 の世 代 交 代が進んだ。 これによって冒 頭のシンポジウムの主 役たち 世界の舞台芸術を知る

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ISRAEL

ASIA, AFRICA

が名 実 共に「 旧 世 代 」となったことの影 響は大きい( 以 下 、年 齢は 概 算 )。 国 立 劇 場ハビマ( Habima 、2018 年は旗 揚げ 100 周 年 )の芸 術 監 督は、2016 年 、68 歳のイラン・ロネンから45歳のモシェ・ケプテン ( Moshe Kepten)へと交 代した。現 在ドイツで最も注目される演 劇 人の一 人であるヤエル・ロネン( Yael Ronen)の父で、件のシンポの 企 画 者の一 人でもあるイラン・ロネンは、1984 年にユダヤ人 俳 優とア ラブ 人 俳 優による伝 説 的な 2 か国 語 版『ゴドーを待ちながら』を上 演し、劇 場を両 民 族 共 存の場とした演 出 家である。一 方ケプテンは 原 作の味を引き出すタイプの演 出 家である。 ストレートプレイの丹 念 な演出のみならず、幾多の大型ミュージカルに手 腕を発 揮している。 ハビマと双 璧をなす劇 場カメリ ( Cameri)の芸 術 監 督は、2019年 84

に69歳のオムリ・ニツァン( Omri Nitzan)が退き、37歳のギラド・キム ヒ ( Gilad Kimuchi)が就 任した。ハビマほか主 要 劇 場の芸 術 監 督 を歴 任してきた重 鎮ニツァンに対し、振 付 家でもあるキムヒは斬 新で スタイリッシュな舞 台が特 徴である。 ちなみに国 内 最 高の実力と人 気 を誇るスター俳 優で、演 出も行い、次のカメリ芸 術 監 督と目されてい たイタイ・ティラン( Itay Tiran)は、2018年 、約 束された前 途を捨てて ドイツに移住した。 テルアビ ブ 以 外 でも、2 0 1 8 年 に エ ル サレム のカ ーン 劇 場 ( Jerusalem K han Theatre)で 67 歳 のミキ・グレヴィッチ( Miki

Gurevitch)から52歳のウディ・ベン=モシェ( Udi Ben- Moshe)へ、 2019年にベエル・シェヴァ劇場( Beersheba Theater)で54歳のラフィ・ ニヴ( Rafi Niv)から43歳のシル・ゴルドベルグ( Shir Goldberg )へと 芸 術 監 督が交 代した。新しい演 劇 言 語の持ち主が劇 場の主 流にな ったと感じる人々は多い。


そんな中、 ミュージカルは輸入翻訳もの、国産もの共に増加、 レパー トリーの旗 艦となる例が目立つ。ハビマでは第 3 次・4 次 中 東 戦 争 時の青 春を扱ったケプテン演 出のミュージカル『 私のミカ ( Mika)』、 カメリではキムヒ演 出の『 サタデー・ナイト・フィーバー 』が華々しく上 演されている。 他にカメリでは、 テレビドラマの空 前の成 功 者と言われるマオール・ ザグリ ( Maor Zaguri)作・演 出で、 ミズラヒム( 中東 系ユダヤ人 )音 楽のポップスター、エヤル・ゴラン ( Eyal Golan)の楽曲を使った新作 を大ヒットさせた。 キャストもミズ ミュージカル『これが私( This is Me)』 ラヒムで、音 楽・ダンス・歌・趣 向ともに見 事だった。ただし、 ゴランは

2013年に未 成 年 者に対する淫 行で逮 捕されており、証 拠 不 十 分で 不 起 訴になったものの長らく芸 能 界からボイコット状 態にあった。 その 85

人物の完 全 復 帰にカメリが貢献したことは物議を醸した。 一方、 ロシア移民による劇 場ゲシェル( Gesher)のように、 ミュージカ ルではない己のスタイルを貫くレパートリー劇 場も健 在である。世 界 的に活 躍する俳 優イェヘズケル・ラザロフ ( Yehezkel Lazarov)は、近 年ではゲシェルの演 出 家・振 付 家・舞 台 美 術 家としても精力的に新 作を発 表している。 トルストイに基づく 『 父と子( Fathers and Sons)』 ( 2017)は 2018年の国 際 展 示 会でも紹 介され、2018年の『ロリータ /ジャンヌ・ダルク ( Lolita/Jeanne d'Arc)』 も高い評価を受けた。 しかしながら、舞 台 芸 術における最 大の賞「イスラエル演 劇 賞 」が、

2019年 2 月、予 算その他の問 題で廃 止された。イスラエル演 劇 界が 全 体として難局にあることは疑いようがない。

フリンジは衰えず レパートリー 劇 場が 失った挑 発 性はフリンジが 担っている。例え 世界の舞台芸術を知る

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ば 件のシンポ企 画 者の一 人レルネルの『 告 白( The Admission)』 アメリカで ( 2014)は、独 立 戦 争 時のイスラエルの犯 罪を扱う劇で、 は好 評を博したものの、 イスラエルのレパートリー劇 場はどこも受け入 れず、ユダヤ・アラブ共 存を掲げた小 劇 場ヤッファ ( Jaffa Theater)で 上演された。 これはフリンジのアカデミー賞である「金のハリネズミ」賞 ( Golden Hedgehog Award)に新 設された、勇 気ある作 品に対する 「 敢 行 賞 」を受賞した。

2018年「ハリネズミ」の最 優 秀 作 品 賞 、最 優 秀 戯 曲 賞 、最 優 秀 女 優 賞は、サヘル・マロム( Sachel Marom)演 出の『ラジオ・プレイ ( Radio Play)』が獲 得した。1960 年 代 、冷 戦 下のラジオショーで、 スパイが大 衆 小 説のヒーロー「パトリック・キム」について語るという設 定で、猥 雑と風 刺 的 攻 撃 性 、 そして60 年 代の「モノ」の温かみが特 86

色である。 こうしたフリンジアーティストの意 識 的な不 謹 慎さが、 イスラ エルではますます有 効に、 また必 要になっているようだ。

サヘル・マロム演出『ラジオ・プレイ』 ( ハハヌート劇場) 撮影:Yair Mehuhas


イナト・ヴァイツマンの戦いもフリンジで続いている。2018 年 12月、 彼 女はイスラエリ・アラブの女 性 詩 人ダリーン・タトゥール( Dareen

Tatour)になり代わって語る新 作『 私 、ダリーン・T ( I, Dareen T.) 』 をトゥムナ劇 場( Tmuna Theater)で発 表した( 演 出:ニツァン・コヘン [ Nitzan Cohen ])。 タトゥールは 2015年 、SNSに詩を投 稿したことで テロを煽 動したとして逮 捕され、長い軟 禁 生 活の後に懲 役 5 カ月を 宣 告された。 タトゥールを支 援し、友 情を深めたヴァイツマンは、出 所 した彼 女と共に、 イスラエルによる占領と、 アラブの父 権 的 社 会の暴 力、二 重の抑 圧を被るアラブ人女性の姿を描いた。

日本におけるイスラエル演劇 イスラエルのダンスや音 楽 、映 画は続々と日本にやって来るが、演 87

劇の来日は依 然として容易でない。 それでもアーティストが日本に招か れ創 作する流れは局所的には定着している。 とインバ 代 表 的な例は、 アブシャロム・ポラック( Avshalom Pollak) ル・ピント ( Inbal Pinto)によるホリプロ作 品への演 出である。2013 年 、2015年の『 100万 回 生きたねこ』、2017年の『 百鬼オペラ「 羅 生 門 」』に続き、2020 年にはピント単 独 演 出の『ねじまき鳥クロニクル』 が予定されている。 カイ

また 、20 05 年 から続くシアター Xのゲスト演 出 家ルティ・カネル ( Ruth Kanner)の活 動はますます広がっている。2018年 8 月にはイ スラエルのシアターグループによる 『 At sea~生きることのゆらぎ~ 』が、 字 幕なしのヘブライ語で上 演された。2018年 10月と2019年 8 月には、 カネルと日本 人の役 者グループの共 同 演出として『 今は昔 かぐやの ミッション』が日本 人キャストで上演されている。 また 、翻 訳 戯 曲が 上 演される例もわずかながら出ている。2012 世界の舞台芸術を知る

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年 の I T I 企 画「 紛 争 地 域 で 生まれ た 演 劇

4 」リー ディング で 紹 介されたヤエル・ロネン ルティ・カネルと役者グループによる演出『今は昔 かぐやのミッション』 ( 2018年) 写真提供:シアターX

の『 第 三 世 代( Third

Generation)』 ( 2009)

が、2018年 11月、 さいたまネクスト・シアター「 世 界 最 前 線の演 劇 2 」 として上演された。演出はリーディングに続き中津 留 章 仁が務めた。

2015年に同リーディング企 画で取り上げられたニル・パルディ ( Nir Pardi)の『 燃えるスタアのバラッド( Ballad of the Burning Star)』 も、 2019年 5月、女 性だけのパフォーマンス集 団「 理 性 的な変 人たち」 の旗 揚げ作 品として上 演された。文 学 座の生 田みゆき演 出で入 植 88

地の物 語を描き、小規模ながら意欲的な上 演が見られた。 ロネンはドイツで、パルディはイギリスで、 いずれも自分が置き去って きたイスラエルという国の複 雑な状 況を題 材に、外 国 人の観 客を想 定して書いた。一 方で冒頭の演 劇 人たちは、 イスラエルに住み、同 国 の観 客を相 手にしている。だがいずれも己れの内 面に深く刻まれた 祖国の不合理を批判的に描いている。 それは壁の内側に安住するこ とを拒 否したイスラエルの演劇人の宿命である。 むらい・はなよ 共立女子大学文芸学部教授。西洋演劇理論を研究してきたが、近年はイスラエル演劇を題 材に国家と演劇の関係記述に取り組む。 「イスラエル/パレスチナ対立への演劇的アプロー チ: 『シルワンの孔雀 』 ( 2012) を中心に」 『 共立女子大学総合文化研究所紀要 第21号 』 (2014) ほか。


『ゲリー―タイタス・アンドロニカスの続き』 ネイサン・レインとクリスティン・ニールセン 撮影:Julieta Cervantes

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[アメリカ]

米 国とニューヨ ーク ─ あ れ やこ れ や の 舞 台 芸 術 状 況 俯 瞰 図 塩谷 陽子

Political Theater

政 治劇の筆頭はホワイトハウス 本 章は「アメリカ」と題されてはいるものの、 ここに集中して書くのは アメリカという広大な国の中のほんのちっぽけな面積の「ニューヨーク ( 以 下 NY )」という街の話である。筆 者が長 年 住んでいるこの街が 米国の芸術文化、 とりわけ舞台芸術分野の比類なき牽引役であるこ とは今日も変わりがないのだから、 まずは妥当な切り口であろう。一 方 、 世界の舞台芸術を知る

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いまの米 国は、現トランプ政 権のためにかつてないほどまっぷたつに 分 断されてしまっていて、移 民 排斥 主 義・白人 優 位 主 義に染まった 現 政 権 支 持の保 守 的な地 域で革 新 的なアートが生まれているとは およそ考えにくい。ゆえに、特 筆に値する舞 台 芸 術 現 象を取り上げる ならどうしたってリベラルな大都会、 だからNYということになる。 こんなご時 世だから当 然 、現 行 政 治の混 乱をテーマに その NY 、 した 演 劇 がいくつか 生まれている。移 民 の 強 制 送 還 問 題を扱っ (*1 )や 、 た『 ザ・法 廷( The Courtroom )』 トランプ 大 統 領 のロシ

ア疑 惑を調 査した 488ページものムラー 報 告 書をリーディングの 形 で“上 演 ” した『 調 査 ─ 真 実を探 索 するための 10 幕( The (*2 ) Investigation: A Search for The Truth in Ten Acts)』 など、 ご

く直 近の過 去を扱ったもの、あるいは大 統 領 選に破れた直 後のヒ 90

ラリー・クリントンが登 場するコメディー・ミュージカル『ソフト・パワー ( Soft Power)』や、波乱の時代に大統領を務めたリンドン・ジョンソン ( 任 期 1963~ 69)の物 語『 偉 大な社 会( The Great Society)』など、 過 去を振り返るものもある。 しかしながらトランプ 大 統 領をめぐって次 々に起こる混 乱 は 、 ど んな前 衛 作 品よりも前 代 未 聞 。唖 然とすることしきりの日々の中で 「 political theater( 政 治 劇)」 という言葉は、舞 台のことではなく首 都 ワシントンの日々を表す表 現として頻 繁に報 道に登 場する。劇 場の屋 根の下での政治劇なんぞは、当分現実のインパクトを凌げそうもない。 政 治 劇のことはこれくらいにして、 まずは NYの 2018/19舞 台 芸 術シ ーズンにおける最大の話題から始めよう。

ザ・シェッドの鳴物入りオープン その名も「ザ・シェッド ( The Shed)」。 マンハッタン30~ 34丁目の最


西 端「ハドソン・ヤード再 開 発 地 区 」に鳴 物 入りで誕 生した、巨 大な 舞 台 芸 術 複 合 施 設である。中距 離 電 車の車 両 基 地の空中権を市 が民 間デベロッパーに払い下げ、米 国で最もカネを握っている大 企 業の面々がこぞって参 画した「 米 国 史 上 最 大 規 模の民間 再 開 発 」 をかけて2019年 4 月 地 区に、総 工 費 4 億 5,000万ドル( 約 520億円)

5 日にオープンした。 しかし「 最 大の話 題 」というのは、 まったく良い意 味ではない…… 。 そもそもハドソン・ヤード開 発自体の評 判が最 悪なのだ。最 新のビ ジネス・タワーから超 高 層の住 宅 棟 、大 型ショッピング・センターまで 高 級づくしの複 合 地 区 開 発に大 金を投 資した大 型 企 業は、税 率の 軽 減という大きな恩 恵を受けている。つまり “ 持てる者 ”だけが儲かる 大 貧民ゲームのような経 済 背 景が、 まずは悪 評のもと。 また、 デベロッ 91

パーが競って雇った大 勢の有 名 建 築 家が各自好き勝 手にデザイン した超 高 層ビルの博 覧 会 状 況も「 都 市 計 画の不 在だ」と新 聞の文 化 面で叩かれている。 そして、ザ・シェッドへの批 判・非 難はさらに複 雑だ。 その背景や理由に触れる前に、 まずは概要を説明しておきたい。 ザ・シェッドの設 計は、独 創 的なアート・マインドで飛ぶ鳥を落とす 勢いのディラー・スコフィディオ+レンフ ロ社 。6 層のビル全 体を覆う馬 車の 幌のような外 殻は可 動 式で、幌が地 面をスライドすると前 庭のアウトドア・ プラザが柱のない超 巨 大なインドア・ コンサートホール(キャパ 3, 000人 ) に変身するという画 期 的な仕 掛けだ。 加えて500席のボックス型 劇 場 、 キャ パ 450 ~ 750 人 の 多 目 的ラボ 、計

ザ・シェッド 撮影:Iwan Baan

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2,500平米のふたつのギャラリー・スペースにカフェとショップを擁して いる。 驚くべきは建 築デザインのユニークさや工 費のスケールだけでは ない。 なんと、芸 術 監 督が「 上 演するプログラムはすべて新 作 委 嘱!」 という大 層なポリシーを掲げているのだ。 しかも演 劇 、 ダンス、美 術 、 詩 、映 画 、 クラシック音 楽 、ポップミュージック、類 別 不 能タイプまで あらゆるジャンルを横 断するという。華々しいオープニング・プログラム は、 ビョークのアップスケールなマルチメディア・コンサート 『コーヌコピ ア( Cornucopia)』、世 界 的 美 術 作 家ゲルハルト・リヒターと 2 大 巨 匠作曲家スティーブ・ライヒとアルボ・ペルトによる映像付き室内楽コン サート 『ライヒ、 リヒター、ペルト ( Reich Richter Pärt)』、 スター・オペラ 歌 手ルネ・フレミングをキャスティングした演 劇『トロイのノーマ・ジーン・ 92

(*3 ) など。大物の名前で呼 ベイカー( Norma Jeane Baker of Troy)』

び込むものがやたらと目につく。 一 方で、 「 NYの多 様な文 化と多 様な観 客の興 味に応える多 彩 こう まい

なプログラムを提 供する」という高 邁 なポリシーも掲げており、 アジア 系に寄り添ったカンフー・ミュージカル『ドラゴン・スプリング・フェニッ (*4 ) クス参 上( Dragon Spring Phoenix Rise)』 もあれば 、様々な

ジャンル(ジャズ、R& B 、 ロック、DJ、ハウス、 ヒップホップなど)の地 元 NYの黒 人ミュージシャンを集めてアメリカ産 黒 人 音 楽をすべて みせちゃおうというコンサート・シリーズ「サウンドトラック・オブ・アメリカ さらに、 まだ無 名の地 元アーティ ( Soundtrack of America)」もある。 ストにもチャンスをと公 募プログラムを設けて地 元 NYから企 画を募 集 、 オープンから 4 ヶ月の間に52人のアーティストが委 嘱を受け、新 作を 発 表している。 こうしてみると「いったいなんで批判されるの?」と疑 問が湧くだろう。


『ドラゴン・スプリング・フェニックス参上』 撮影:Stephanie Berger

どこがいけない? ザ・シェッド 93

ザ・シェッドへの非 難を正しく理 解するには、 ニューヨーカーたちの 自負の特 殊 性を知っておかねばならない。 「 1, 200もの非 営 利の芸 術 団 体がひしめくNY 市にこんな大 規 模な舞 台 公 演 施 設を加える必 要があるのか?」とか、 「 市が 7,500万ドル( 約 83 億 円 ) もの血 税を投 入する意 味はあるのか?」という単純なものではないのだ。 ニューヨーカーたち ( 30年 以 上ここに住む私も含めて)は、 こんなふ うに言う。 「 NYの舞 台 芸 術の創 造 的でエネルギー溢れる歴 史を振 り返ってみろ。すべて地 道な活 動に始まっている。小さな畑をコミュニ ティーの住 人が耕し、 タネをまき、愛して育てて小さな実を結ぶ。 その 実を求めて人々が集まると、実は熟し、住民の日々の暮らしを潤し、 ま たそのタネが拡 散して世 界に影 響を与えてきたのだ。 そういう経 緯が

NYをNYたらしめているのだ。 それがどうだ。荒 涼の地に人 工 的に造 った成 金タウンに、大 金を投じて巨 大な舞 台 芸 術 施 設を作ったりし て」と。 世界の舞台芸術を知る

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実 際 、7,500万ドルのほんの 0.5%( 35万ドル)でも助 成 金があった きゅう きゅう

なら、汲 々とせずに次の創 造に取り組める非 営 利の舞 台 芸 術 団 体 は、200件は下らない( 35万ドル×200件=7,500万ドル)。 この炎 上 状 態にさらに油を注ぐのは、 「 総 工 費+立 上げ資 金+基 金 設 立=総 額 5 億 5,000万ドル( 約 600 億 円 )」というザ・シェッド開 発 費の大 部 分が、ハドソン・ヤード再 開 発に関わる大 企 業からの寄 付 金で成り立っていることだ。 それらの企業は、前 述したように再 開 発 参 画の見 返りに軽 減 税 率の恩 恵を得 、 さらにシェッドへの寄 付 金は 税 金 控 除の対 象となる。ザ・シェッドが人 気を呼べば、彼らはキャピタ ルゲインを期 待できる。ただでさえ、NYに集 中する巨 大 企 業がトラン プ政 権の税 制 改 革で大いに恩 恵を得ている昨 今 、 「ザ・シェッドって いったい誰のため?」となるわけだ。 94

ら ぼし

困ったことに、前 述の綺 羅 星プログラムは概ね“そこそこ”程 度の評 ……という始 末 。中には酷 評すらもあり、筆 者のまわりのプレゼンター 連中の親 指も、 こぞって「いいね」の逆 向きを指している。 とはいえ、 ま だまだオープンしたばかり。評価を決めるにはもう少し時間をかけて眺 める必 要があるだろう。

もっと知って欲しい、パーク・アベニュー・アーモリー ザ・シェッドを率いるイギリス人のアレックス・プーツ( Alex Poots) には、マンハッタンのパーク・アベニュー・アーモリー( Park Avenue

Armory、以 下「アーモリー」)をNY 市で最も重 要な舞 台 芸 術 施 設 のひとつにしたという功 績がある。2007年に始まったマンチェスター 国 際フェスティバルの初 代 芸 術 監 督に就 任した彼は、前 述の『ライヒ、 リヒター、ペルト』のような「ホットな美 術 作 家と著 名な舞 台 芸 術 家に タッグを組ませて新 作を作る」という手 法で、隔 年 開 催の同フェスを


瞬く間に世 界 的 舞 台 芸 術 祭のひとつにし、 その延 長でアーモリーの

2 代目芸 術 監 督を2015年まで兼任した。 このパーク・アベニュー・アーモリーという場 所で 2019年 9 月末に 起こった、 日本の演 劇 界にとって歴 史 的 偉 業と言っても過 言ではな い出来 事に話を移そう。

19 世 紀 後 半に兵 器 庫として建 設されたアーモリーは、柱のない 約 5, 500 平 米の巨 大 空 間「ドリル・ホール( Drill Hall)」を擁する 壮 大な建 造 物で、2007年 、年 間 1ドルの賃 貸 料を市に払って芸 術プログラムを運 営 する非 営 利 団 体に変わった。2011年にクリス ティー・エドモンズ( Kristy Edmunds、現 UCLA Center for the Art

of Performance の芸 術 監 督 )が初 代 芸 術 監 督に就 任 、その 2 年 後にプーツが引き取って、2015年 以 来 現 在まではピエール・アウディ 95

オランダのホランド・フェスティバルの元 芸 術 監 督 )が ( Pierre Audi、 (*5 ) その地 位についている。

アーモリーが誕 生するまで、NYで大 型の現 代 舞 台 芸 術 作 品が バ

上 演されるところといえばリンカーンセンターと、 ブルックリンの BAMの

2 ケ所だけだった。アーモリーの登 場は第 3 の選 択 肢をニューヨー はい かい

カーに与えて大いに歓 迎された。例えば 、100 頭の羊が徘 徊 するハ イナー・ゲッべルスのオペラ『 De Materie 』 ( 2016 )、超 大な回 転 舞 台を用いた、 リチャード・ジョーンズ演出の『 毛猿( The Hairy Ape)』 アフリカ大 陸の黒 人が第 一 次 世 界 大 戦 中にいかに多くの ( 2017)、 命の犠 牲を払ったかを描くウィリアム・ケントリッジの『 ヘッド・アンド・ロ ( 2018)等々。 プログラムの大 半は ード ( The Head & The Load)』 かたよ

欧州あるいは“白人の作品” という偏りはあるものの、縦横 61m×91m の床 面と、6 階 建のビルがすっぽり入るほどの圧 倒 的 天 井 高のドリ ル・ホールは、 リンカーンセンターや BAMでは到 底 実 現 不 可 能な途 世界の舞台芸術を知る

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方もなく巨大で、 しかも最高品質の舞台 芸 術を提 供してくれる。 そ う そう

これらアーモリーの錚 々たるプログラムに名を連ねたのが 、宮 城 さとし

聰 率いる静 岡 県 舞 台 芸 術センター( SPAC )だ。2019年 9 月 25日か ら2 週 間 、 アーモリーは彼らの『アンティゴネ』を主 催 上 演した。宮 城 の作 品は過 去 3 度 米 国で紹 介されている(*6 )が、本 作はそれらとは 比べようもないほど大スケールのプロダクションだ。舞 台 全 面に 7 t の 水を張りめぐらし、 その中央から岩が折り重なって天にそびえ立つ。国 際 交 流 基 金が多 額の資 金 援 助を約 束してアーモリーに掛け合っ たという好 条 件があってこその招 聘とはいえ、NYタイムズに賛 辞が踊 り、上は 175ドルという高 額チケットにもかかわらず全 11公 演が完 売だ。 アーモリーで 1 万 人 近く動員したという快 挙がいまひとつ日本で大き な話 題にならなかったのは、 アーモリーの存 在がリンカーンセンター 96

や BAMほどには知られていないせいかと少々惜しまれる。

SPAC『アンティゴネ』パーク・アベニュー・アーモリー公演 ©Stephanie Berger for Park Avenue Armory


え!? ブロードウェイ……? 日頃ほとんど商 業 演 劇を観ない筆 者だが、2018~ 2019年には珍 しく4 度もブロードウェイに足を運んだ。非 営 利 劇 場 系のアーティス ト─ 大 衆 受けは眼 中になく常に芸 術 的 挑 戦にかけるアーティスト ─ が、 ブロードウェイで演 出や振 付をするケースがやけに続いたか らだ。 ひとつはイヴォ・ヴァン・ホーヴェ演 出の『ネットワーク( Network)』 ( 2018)。ホーヴェは、BAMやアーモリーのプログラムの常 連アー ティストだ。彼の演出作 品がブロードウェイにかかるのは初めてではな いが、本 作は同 名の有 名なハリウッド映 画(*7 )が原 作で、演 劇に縁 のない一 般 大 衆も狙ったもの。 ホーヴェお得 意のライブ・ビデオは大 いに取り入れつつ、米 国 人の好きなトークショーを模した演 出はエン 97

テレビ報 道 ターテイメント性たっぷりだった。21世 紀のネット時 代に、 の危 険な影 響力を扱う70年 代の筋 書きは時 代 錯 誤かとも思われた が、 トランプ 大 統 領がマトモなメディアを「フェイク・ニュース」と一 刀 両断 、 デマを拡 散し続ける危険な米国の今と重なった。 しかしそれより 「え! ?」 と驚くのは、2019年 5 月のテイラー・マックのブ ロードウェイ・デビューである。 マックは長らく、 ドラァグクイーン・ショーさ ながらのソロ風 刺 音 楽 劇を手がける実 験 的・小 劇 場 系パフォーマー だったが、 ここ数年、大きな賞をあれこれ獲得して全米的にも国際的に も露 出している。彼 は『 ゲリー ─ タイタス・アンドロニカスの 続き ( Gary: A Sequel to Titus Andronicus)』 を書下ろし、 シェークスピア の『タイタス・アンドロニカス』の“その後 ” を 2 人 芝 居の風 刺コメディー に仕 立てあげた。下ネタと血まみれ肉片が飛び交う過 激な作 品にも かかわらず、大 物ネイサン・レインの出 演 、 ジョージ・C.ウルフの演 出と あって、大 手テレビ局のニュースにも取り上げられた。 世界の舞台芸術を知る

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2019年の秋から年 末には 2 人の「 非 営 利 系 」振 付 家がブロード ウェイを手がけている。 ビッグ・ダンス・シアター (Big Dance Theater) のアニー・B・パーソンが、 デヴィッド・バーン(トーキング・ヘッズのリー ダー)が自ら歌い語るミュージカル『アメリカン・ユートピア( American (*8 ) Utopia) 』 を、 アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルが 12月の新 生 (*9 ) を振付けている。 『ウェスト・サイド物語 』

98

『アメリカン・ユートピア』中央がデヴィッド・バーン 撮影:Matthew Murphy ©2019

人事・人選とその行方 ブロードウェイ (商業劇場) と非 営 利の舞 台 芸 術の世 界は、似て 非なるものである。前述のごとく非営利系のアーティストがブロードウェ イの作 品に起用されたり、 あたった演 劇 作 品やミュージカルがブロー ドウェイに“あがる” ことはあっても、 その逆はない。 ましてやアーツ・マ ネージャーの転職や行き来はほとんど耳にしたことがない。 だから、2019年 6 月、BAMのエグゼクティブ・プロデューサーの新


旧 交 代はこの年 最 大の注目事 項のひとつだった。 なにしろ35年もの ( Joseph V. Melillo)の引退を引 間 BAMを率いてきたジョセフ・メリロ き継いだのは、 ブロードウェイのプロデューサーとしてキャリアを歩んで きた人 物 、 デビッド・ビンダー( David Binder)なのだから。 アメリカはトップダウンの国である。 リーダー個 人の力量や志 向 次 第で、文 化 施 設や芸 術 団 体の方 向 性やイメージがガラっと変わる。

2019年 5 月には、新 任ビンダーによる最 初の秋のプログラムが発 表 になり、6 月にはシーズンのパンフレットが完 成 。 その冒頭の挨 拶で彼 は「 過 去にBAMで上 演したことのないアーティストだけ」で秋シーズ ンを構 成したと述べた。最 初の一 歩を自分 色に染めようという気 概 は十 分 伝わったが、全 16プログラムの中で地 元 NYのアーティストに よるものが 1 つだけという点には、内 外から不 満の声が少々上がって いる。だが、 プーツ体 制のザ・シェッド同 様 、 これもまだ始まったばかり。 今後の展 開を見 守らねばならない。 非 営 利 組 織のトップの人 事は、人 選も雇 用も解 雇も、 アメリカでは ボ

シーズン2018 / 19で最もその責 任を果たし成 理 事 会の責 任である。 功を収めたのは、 メトロポリタン歌劇場(以下 MET )であろう。

# MeTooムーブメントが広がる中 、2018 年の春 、METの理 事 会 は 40 年 以 上 音 楽 監 督を務めた世 界 的 指 揮 者ジェームス・レバイン ( 1943~ )を、 セクハラ疑 惑で解 雇 。対するレバインは METを逆 訴 訟 … …と醜 悪な事 態が続いていた。が、2018年 12月、後 任に据えた ヤニック・ネゼ=セガン( 1975~)が就 任 後 初の指 揮となる新プロダ クション『 椿 姫 』で大 成 功を収め、醜 聞はあっという間に人々の記 憶 から消え去った。若 返りというリフレッシュ感だけではない。天 分に加 えて人 好きのする顔 立ち、粋なファッション、 さらにゲイであることを明る く公にしている点も「コンサバなMET」というイメージの払 拭に大いに 世界の舞台芸術を知る

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貢 献した。2019年 1 月には NYタイムズが「メトロポリタン歌 劇 団の指 揮 者はゲイ。 もちろん、 そこが重 要だ」という見出しで、 ネゼ=セガンとそ のパートナーの写 真を満 載した特 集 記 事を掲 載 。 ゲイであることを隠 してきたレバインの時 代はあっさりと遠ざかり、METは見 事に刷 新を 果たしたのだ。 最 後に、人 事の面から “全米的” な出 来 事にも触れておこう。米 国 広しといえど、海 外からの現 代ものを招 聘する劇 場 施 設は、決して多 くない。 ましてや字 幕を必 要とする非 英 語 圏からの実 験 演 劇となれ ば、 これを主 催するガッツのある米 国の施 設 ―というより、 ガッツの その限られ あるプログラミングの責 任 者 ― はまことに限られている。 た面々を相 手に筆 者はほぼ毎 年 、 日本の現 代 演 劇の全 米・北 米ツ アーをプロデュースしているのだが、 ここ 1 ~ 2 年 、過 去の受け入れ 100

(*10)単 純な引退や移 先の多くの場 所で人 事に変 化が起きている。

籍・引っ越しから肩たたき、理 事 会の方 針 変 更で椅 子を蹴って辞め た等々まで、理由は様々だが。 「 誰がプログラムの決 定 権を持っているか」によってその劇 場や施 設の出し物の傾 向はまったく変わるわけだから、 ここ数 年の間に日本 の劇 団の米 国での露 出 度やロケーションにもあれやこれやの変 化が 起きるかもしれない。良い変化になるよう期 待して、 ここで筆を置こう。

*1 『ザ・法廷』…2019年1月、社会問題への意識喚起を主眼にする非営利の演劇団体 Waterwell theater companyが制作。NYタイムズの「Best Theater of 2019」に選ばれた。 *2 『調査―真実を探索するための10幕』…2019年6月、アネット・ベニングをはじめ多くの映画 スターをキャスト。1晩限りの特別上演だったが、今もネット上のあちらこちらで全編を無料で視 聴することができる。 *3 『トロイのノーマ・ジーン・ベイカー』…マリリン・モンロー(本名:ノーマ・ジーン・ベイカー)を、 エウリピデス『ヘレネ』におけるトロイのヘレネに重ねて描いた作品。 *4 『ドラゴン・スプリング・フェニックス参上』…実は本作も「大物てんこ盛り」。着想と演出はリン カーン・センター・フェスティバルでもおなじみの演出家チェン・シー・ツェン、シナリオはアニメ


『カンフー・パンダ』を書いた二人組ジョナサン・アイベルとグレン・バーガー、歌はシーア、振付 けはアクラム・カーン。 *5 2015年以来現在まで…アウディは2015年に芸術監督に就任したが、2017年までのプログラ ムの多くはプーツが仕込んだもの。 *6 米国で上演された宮城聰作品…アーモリー以前の宮城聰作品の米国での上演は、これまで3回。 ク・ナウカ時代の2003年に、ジャパン・ソサエティーのプロデュースによる『天守物語』米国3 都市ツアー、SPACになってからの『王女メディア』 (2011年)、 『夢幻能オセロー』 (2018年) 等、いずれもジャパン・ソサエティー主催であった。 *7 映画版『Network』 (1976)…フェイ・ダナウェイの主演女優賞をはじめ計 4つものアカデミー 賞を獲得している。 *8 『アメリカン・ユートピア』…タイトルは、2018年にリリースした自身のアルバムに基づく。 *9 『ウェスト・サイド物語』…新生『ウェスト・サイド物語』の演出家はイヴォ・ヴァン・ホーヴェであ る。ベルギー人ケースマイケルとの「フレミッシュ・コンビ」だ。 *10 日本の舞台芸術の受け入れ先…日本の実験的演劇やコンテンポラリー・ダンスを受け入れてくれ てきた劇場で、ここ1〜2年の間にプログラミングの責任者が入れ替わったところを西から挙げて いけば、ロサンゼルスのR E D CAT、シアトルのO n th e B oa rds、バンクーバーのPu S h International Performing Arts Festival、シカゴ現代美術館、オハイオのWexner Center for the arts、マサチューセッツ大学のFine Arts Center、タウソン大学のアジア文化芸術センター (Asian Arts & Culture Center)、ダートマス大学のHopkins Center、ニューヘブンの International Festival of Arts & Ideasなど。

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しおや・ようこ 東京生まれ。東京芸術大学音楽学部楽理科卒。1988年の渡米を機に朝日新聞をはじめ多く の活字メディアに芸術文化の定期コラムや舞台芸術批評の執筆を開始。2003年よりジャパ ン・ソサエティー (JS)の舞台公演部部長、2006年より舞台芸術部門と映画部門を統括する 芸術監督に就任。以来、 日本の舞台芸術の公演をJS内劇場にて主催する他、北米ツアーの プロデュース、非日本人アーティストへの新作委嘱、現代戯曲の英語リーディング・シリーズな ど新規事業を立ち上げる。 トヨタ・コレオグラフィー・アワード、 ロックフェラー財団MAP助成、 ニューヨーク・ベッシー賞、 ローレックスMentor & Protégé Arts、ハーブ・アルパート芸術賞な ど、舞台芸術に関する様々な表彰や助成プログラムの審査員等を歴任。著書に『ニューヨー ク:芸術家と共存する街』 ( 1998/丸善ライブラリー)、共著に『なぜ、企業はメセナをするのか』 (2000/メセナ協議会) など。2019年度ベッシー・プレゼンター賞部門にて「 Outstanding Curating ( 卓越したキュレーション賞)」 を受賞。

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劇団ヘリオポリス 『[不]法』 撮影:Rick Barneschi

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[ブラジル]

ブ ラジ ル 演 劇と 新 ボ ルソナ ロ 政 権 の 文 化 政 策 、 業界への打撃 マリア・フェルナンダ・ヴォメオ

2018年 10月の大 統 領 選でジャイール・メシアス・ボルソナロが新 政 権のトップに確 定した。 どのような変 化が待ち受けているのか。選 挙 戦を控えた新 大 統 領 の公 約に文 化 政 策のアジェンダは当 然 掲げられていない。かわりに 羅 列されたのは「 腐 敗した寡 頭 制 」に関 連する「 文 化 的マルクス主 義とそこから派 生したもの」が「ブラジルの真の国 家 観と正しい家 族


観を打ち壊す」ことに加 担した、 という趣旨の批 判の文 言だ。大 統 領 ボルソナロは選 挙 戦で訴え としての仕 事 始めとなる2019年 1 月 2 日、 た省 庁 再 編の公 約を実 行に移すことになる。軍 政から民 政へ移 行 した 1985年 以 来 、国の機 関として機 能してきた文 化 省を廃 止し、再 編されたばかりの市 民 権 省 傘 下のアスリート基 金や、低 所 得 者 向 け寄 付 金 制 度などを運 営するスポーツ・社 会 発 展 支 局 内に、文 化 活 動に関わる政 府 機 能を集 約した。編 成の根 拠となったのは、 コスト カット。旧 文 化 省では昨 今 、予 算が切り詰められてきており、既に緊 縮財 政で運 営されていたにもかかわらず、 である。 さらに数か月後 、現 財 務 大 臣パウロ・ゲデスが、広くシステマ Sとし て知られる公 的 社 会 支 援 諸 機 関への予 算を二 割 程 切り詰めるこ とを提 案した。 これは何を意 味するのか 。ブラジル全 土に渡って運 103

営する500以 上の施 設でパフォーマンスや展 示などのプログラムを 提 供してきた社 団 法 人 商 業 連 盟 社 会サービス ( Serviço Social do セスキ

Comércio; Sesc)が主 催する質の高い、バラエティーに富んだ文 化 事 業の縮 小が、 その成 果の一 例として挙げられるだろう。ボルソナロ が推し進める連 邦 政 府 機 関の支 援 事 業 改 革は、主にルアネー 法 ( Lei Rouanet)などの税 制 優 遇 措 置に代 表される立 法や、随 時 発 表される政 府 声 明を通じて行われるが、改 革の波は財 政 的なコ ストカットの定 義を越えて押し寄せてくるだろう。 ブラジル国 立 映 画 庁 ア

( Agência Nacional de Cinema; A NCINE)の今 後について聞か れたボルソナロは、公 費に申請した企 画は、審 査においてモラルを基 準とした「フィルター」にかける必 要があることを示 唆するコメント( 1 )を 残している。 こうしてボルソナロ政 権による言 説は、国 家にとっての文 化や芸 術 の重 要 性を相 対 化させることで、 ブラジル国民に広く流 布する、国が 世界の舞台芸術を知る

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「 怠け者 」の「アーティストを支 援する」必 要はない、 という類いの短 絡 的な考え方にお墨 付きを与え、勢いづけるのだ。残 念ながらここで は、芸 術 活 動が差し当たって価 値あるものとみなされない。 また対 価 を支 払われ、広められるべき内 容として扱われ、労 働や研 究の対 象 として認められる、 ということもない。過 去に文 化 大 臣を務めた人 物 5 人が揃って署 名したマニフェスト( 2 )で露 呈したのは、大 統 領や現 政 権の立 役 者 達がいかに芸 術を軽 視し、作 家を敵 対 視しているかで ある。 この事 実は、現 政 権を担う人 物 達の発 言ににじみ出ている。例 えば、国 立 芸 術 財 団( Fundação Nacional das Artes; Funarte)の 舞 台 芸 術センター( Centro de Artes Cênicas)の新ディレクターで 自身を「 保 守 派キリスト教 徒 」と位 置づけるロベルト・アルヴィンに至っ (3) ては、 「 神 聖なるユダヤ・キリスト教の伝 統 」 を「 愚かな進 歩 的ア

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ジェンダ」で汚す演 劇 界に対 抗する「 文 化 闘 争 機 関 」なるものの創 設の必 要性を、 自身のソーシャルメディアを通じて訴えるほどだ。

検閲の復活か?

2019年にアルヴィンがディレクター職についてまず手をつけたのは、 サンパウロの Funarteで開 幕 予 定だった劇 団「ア・モトセハ・ペルフ マダ( A Motosserra Perfumada)」による 『レス・プブリカ2023( Res

Pública 2023)』の公 演中止だ。現 地 事 務 方へ通 達されたのは、 こ の作 品が「 芸 術としての品 位 」がない、 ということだった。 そのあらすじ は、ある大 都 市で、右 派 団 体アナコンダ・ブラジルの運 動に率いられ た大 規 模なナショナリストのデモ行 進が行われるなか、小さなアパー トの一 室に閉じ籠る友 達グループを描いたもの。作 品の善し悪しは、 作 品 全体を考慮にいれることなく、 この設 定だけで判 断された。 その他 、連 邦 政 府 管 理 下の文 化 施 設で 2019 年 9 月から10月に


かけて公 演 予 定だった舞 台のうち 4 つが 、納 得しがたい理 由のも と、開 演 直 前に公 演 中 止の判 断を受けた。 まずは劇 団「シェイクス ピアの道 化たち ( Clowns de Shakespeare)」による子 供 向けの舞 台 『 抱 擁( Abrazo)』。 この作 品は軍 政や弾 圧をテーマとしたエドゥア ルド・ガレアーノ作『 抱 擁の本( El libro de los abrazos)』 ( 1989) を 題 材としており、 「 表 向き」は契 約 不 履 行という理 由でシーズンが中 止となった。2 つ目はデュオのカンパニー「 2 人の背 中( Cia. Dos

à Deux)」による『 叫び( Gritos)』だ。 この作 品はあらすじや資 料を 含め、作 品 全 体が審 査されたうえで中止が決 定された。全 編がジェ スチャーで構 成されるこの舞 台では、 トランスジェンダーの男性が全 裸で現れ、老いた病 気の母を介 護する自分と、社 会に認められるこ とを模 索する自分の間にある様々なイメージを通して、彼自身の物 105

語を語る。3 つ目はエイズに感 染したゲイの主 人 公を扱ったゼ・エ ンヒケ・デ・パウラ ( Zé Henrique de Paula)演 出 、 フェルナンダ・マイ ア( Fernanda Maia)作の舞 台『あなたを毎日思い出す( Lembro 2 人の背中『叫び』 撮影:Renato Mangolin

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todo dia de você)』で、契約直前にキャンセルとなった。 これら、3 作 品は全てブラジル連 邦 貯 蓄 銀 行( Caixa)が全 国で 運 営する文 化 施 設「カイシャ・クルトゥラル( Caixa Cultural)」で公 演が予 定されていたものだ。 フォリア・デ・サンパウロ紙 2019年 10月 4 日付けの記 事( 4 )によれば 、 この施 設では、最 近になって、新たに検 閲のシステムが設 定されたのだという。検 閲される項目の多くが議 論 に値する内 容だが、 なかでも特 筆すべきは、 ヌードのシーンや、出 演 アーティスト個 人の政 治 信 条についての詳 細を提 出することが開 幕 前に義 務づけられたことだ。 最 後は、直 近で中 止された案 件 、劇 団アクアレラ( Aquela Cia.

de Teatro)による『 蟹のオーバードライブ( Caranguejo Overdrive)』 だ 。この 舞 台 は 、初 日の 数 日 前 にブラジル 銀 行 文 化 センター 106

( Centro Cultural Banco do Brasil)の演 劇プログラムから外され る運びとなった。過 去に受 賞 歴もあるこの作 品は、主 人 公の蟹 漁 師 コスメが、パラグアイ戦 争( 1864~ 1870年 、パラグアイと、 ブラジル、 ウ ルグアイ、 アルゼンチンの三 国 同 盟 軍が戦った国 際 武力衝 突 )に身 を投じ、残 虐 行 為を目撃し、 リオ・デ・ジャネイロへ帰 還するまでの物 語だ。 他 方 で 、新 政 権 は 演 劇 祭 の 実 現そのものを阻 む 程 の 厳しい 政 策は推し進めなかったと言える。例えば 、サンパウロ国 際 演 劇 祭 ( Mostra Internacional de Teatro de São Paulo; MITsp)やクリ チバ演 劇 祭( Festival de Curitiba)、ポルト・アレグレ舞 台 芸 術 祭 ( Porto Alegre em Cena)、サン・ジョゼ・ド・リオ・プレト国 際 演 劇 祭 ( Festival Internacional de Teatro de São José do Rio Preto)、 ブ ラジリアの現 代 舞 台 芸 術 祭( Cena Contemporânea)などの催 事で は、予 算は少ないものの、例えば 人 種 差 別や社 会 問 題 、 ジェンダー


の問 題など、重 要なテーマを掲げる国 内 外の数 多くの舞 台が上 演さ れた事 実もある。ただし、 これらはボルソナロ政 権が「イデオロギーとし て認める」もしくは「 政 治 的に正しい」とみなす内 容であることは、念 頭に置くべきだろう。

2019年前半を振りかえると、例えばスイスのミロ・ラウ( Milo Rau)や、 ガーナのヴァ・ベネ・エリケム・フィアスティ ( Va-Bene Elikem Fiatsi)、 ウルグアイのセルジオ・ブランコ ( Sergio Blanco)など、国 際 的に活 躍 し、様々な論 争をかきたてる類いの作 品を制 作する作 家が来 伯した が、上 演に際し、反 対 運動などは起きていない。 また 、今 年 国 内 で 行 われ た 最 初 で 最 大 の 演 劇 祭 、サンパウ ロ国 際 演 劇 祭では、例えば 、 コンゴ 出 身のデュードネ・ニアングナ ( Dieudonné Niangouna)作・演 出による、植 民 地 政 策の負の遺 107

産を批 判 的な眼 差しで取り上げた作 品『 揺らぐ基 盤( Le Socle des

Vertiges)』 (自国 政 府によってパスポートの更 新を阻まれたため、作 家 本 人は公 演に立ち合えなかった)や、 ミロ・ラウによる、ベルギーで 起きた性 的 暴 行 事 件の再 構 築を少 年 達が試みる作 品『 五つのや さしい小 品( Cinco Peças Fáceis)』など、切り込んだ演目も上 演され た。2020年の見 通しとしてはしかし、予 算は削 減され、 ブラジル国 内 に広がりつつある「ブラジルらしい」モラルと品 位に異 議を唱える作 品 にとって厳しい状 況になることが見込まれる。

演劇界による抵抗 一 方で、 この上 半 期に国 内の舞 台で活 躍したアーティストの多くが 萎 縮せず、 こうした不 利な時 勢に立ち向かうかのごとく、倫 理 的な攻 勢と美 的な挑 戦を繰り広げたことは注目に値するだろう。 なかでも、サ ンパウロ最 大のファヴェーラ ( 貧民 街 )に拠 点を置く劇 団エリオポリス 世界の舞台芸術を知る

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( Companhia De Teatro Heliópolis)の『[ 不 ]法( [ In] Justiça)』 を挙げたい。2019 年 1 月末に、本 拠 地の劇 場で初日を迎えた同 作 は、 ファヴェーラに住まう主 人 公の黒 人男性セロルが、故 意・過 失な く白人 女 性を殺めてしまい、 その裁 判の審 理を中心に物 語が展 開す る。叙 事 詩やパフォフォーマンスに加え、儀 式 的な要 素を組み合わせ た演 出で、主 人 公セロルのストーリーを時 間 的な流れを追わずに語 り、 ブラジルの奴 隷 制 度を振りかえりながら、人 種 差 別とブラジルにお ける黒 人 排 除のルーツを探る。 アフリカを起 源とし、 ブラジル国 内に広 く浸 透する宗 教「カンドンブレ」の典 範を体 現する存 在「シャンゴ」を 対 置させながら、 ブラジルの司法 制 度への批 判が繰り広げられる。舞 台は国による暴力の犠牲者を追悼するマニフェストで締めくくられる。 もう一 つ 特 記 すべき作 品 は 、クラウジア・シャピラ( C l a u d i a 108

Schapira)作・演 出で、その他 複 数のアーティストとのコラボレーショ ンにより公 演が実 現した「バルトロメオ証 言 団( Núcleo Bartolomeu

de Depoimentos)」の『 3000年 代の恐 怖と悲 惨 ― 即 興 的ユー

バルトロメオ証言団『3000年代の恐怖と悲惨―即興的ユートピア』 撮影:Sergio Silva


トピア( Terror e Miséria no Terceiro Milênio – Improvisando

Utopias)』だ。役 者 9 名と 2 名の DJが演じる本 作では、ベルトルト・ ブレヒトの『 第 三 帝 国 の 恐 怖と悲 惨 』を通じて、国 民の 武 装 への 傾 倒や構 造 的 人 種 差 別 、少 数 派や体 制 反 対 派への弾 圧に言 及 し、現 代ブラジルに酷 似した実 態を暴く。 プロローグとエピローグを含 めた全 10 幕を通して、ナチズムとファシズムの台 頭という、20 世 紀に 我々が経 験した凄 惨な歴 史を役 者 達が演じることで、 これらのイデオ ロギーが現 代まで存 続する要 因となっている身振りや言 説を白日の 下に晒す。 こうして役 者 達は現 代 社 会の緊 張を描き出す。 ヒップホッ プのスタイルに影 響を受けたこの作 品は、2019年 6 月にサンパウロの セスキで初 演を迎えてから、 シーズン終 盤まで満員御 礼が続くことに なった。 109

全く違うスタイルだが、同じように詩 的な表 現を用いながら批 評 的 な展 開を試みるテキストで注目された作 品が、キコ・マルケス ( Kiko

Marques)が 16年 間 率いる「 古い劇 団( Velha Companhia)」による 『 水中の家( Casa Submersa)』だ。三 幕で完 結するこの作 品は、沖 縄に生 息する白ザメに取り付かれた、 リオ・デ・ジャネイロの水 族 館で 働く海 洋 生 物 学 者マイラを中心にストーリーが進む。主 人 公マイラは 暗い過 去を抱えていた。 マイラの父 親は彼 女が赤ん坊だった頃に殺 害されたのだが、 それは大 規 模な不 正 転 売 計 画の隠 蔽のためだっ た。父の殺 害が、当時から有力な政 治 家で現 在は上 院 議員まで上 り詰めた人 物によって命じられたものだったと知ったマイラは、復 讐 を企んでいるのだ。舞 台のもう一 方では、 ミステリアスな深 海ダイバー がマイラの闇 深い物 語をブラジル社 会の深い闇とシンクロさせて語り、 社会の暗 黒 面を浮き彫りにする。 これらの作 品は、予 算 削 減とアーティストへの威 嚇まがいの行 為が 世界の舞台芸術を知る

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古い劇団『水中の家』 撮影: Nelson Kao

強まる傾 向にあるなかでなお、 ブラジル演 劇 界の創 作 意 欲を映し出 110

す良い例として挙げられるだろう。振りかえって、軍 事 政 権 下( 1964 ~ 1985 年 )で、演 劇 界が 抑 圧の主な対 象のひとつとして、攻 撃の 的となったことが思い返される。舞 台 芸 術の分 野に対する厳しい時 代の空 気は同 時に、鉛( 軍 政 )の時 代にクリエーションと表 現の自 由を守るために行われた 、不 屈 のレジスタンス運 動 の 記 憶をも呼 び起こす。 オフィシナ劇 場( Teatro Oficina)やアレナ劇 場( Teatro

de Arena)、グルッポ・オピニオン( Grupo Opinião)、ユニオン劇 場 ( Teatro União)、 オリオ・ヴィヴォ ( Olho Vivo)など、当時 、多くの演 劇人が戦った。 まるで、 ブラジルの詩 人チアゴ・デ・メロ ( Thiago de Mello)がかつ て詠った精 神が降りてきたようだ。 まさに「いまは暗いが、私は歌い続 ける。朝は必ず来るのだから」。


(1) Guilherme Mazu, "'Se não puder ter filtro, nós extinguiremos a Ancine', diz Bolsonaro," O Globo, 2019年7月19日更新(最終閲覧日:2020年2月29日)

https://g1.globo.com/politica/noticia/2019/07/19/se-nao-puder-ter-filtro-nosextinguiremos-a-ancine-diz-bolsonaro.ghtml

(2) Gil Luiz Mendes, "Ex-ministros da Cultura lançam manifesto contra o governo Bolsonaro," Revista Fórum, 2019年7月2日更新(最終閲覧日:2020年2月29日)

https://revistaforum.com.br/cultura/ex-ministros-da-cultura-lancam-manifesto-contrao-governo-bolsonaro

(3)"Diretor bolsonarista Roberto Alvim ataca Fernanda Montenegro," Catraca Livre, 2019 年9月23日更新(最終閲覧日:2020年2月29日)

https://catracalivre.com.br/cidadania/diretor-bolsonarista-roberto-alvim-atacafernanda-montenegro/

(4) Gustavo Fioratti, "Caixa Econômica cria sistema de censura prévia a projetos de seus centros culturais," Folha de S.Paulo, 2019年10月5日更新(最終閲覧日:2020年2月29日)

https://www1.folha.uol.com.br/ilustrada/2019/10/caixa-economica-cria-sistema-decensura-previa-a-projetos-de-seus-centros-culturais.shtml

Vomero, Maria Fernanda パフォーマー、 ジャーナリスト。サンパウロ大学演劇教育学科博士課程在籍。サンパウロ国際

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演劇祭では、第 2 回(2015) より継続して教育プログラムのキュレーターを務める。サンパウロ の様々なカンパニーでプロヴォケーター (カンパニーの外部から挑発的な問いを投げかけること によって作品づくりに関与する人) として活動。 『あなたの大統領になりたい』 ( 2018)、 『 抗体: 死の政策に対抗するための存在と実在』 ( 2019) などのパフォーマティヴ・カンファレンス*を企 画・出演している。 * p erformative conference : アカデミックなプレゼンテーションとパフォーマンスおよび演劇 の 要 素とを混 合させたレクチャーやカンファレンスを指す。レクチャー・パフォーマンス (lectures-performance) とも呼ばれる。主要なトピックはアカデミックな手法と演劇的手法 の双方から展開され、議論の内容同様、演出が重要な要素になる。舞台芸術と学術分野で 言うところの「日常のパフォーマンス (everyday performances)」 との境界に存在するもの と考えられている。

(翻 訳:芝 生 麻 耶 )

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レミ・ポニファシオ演出『天空の鏡の鳥たち』 撮影:Sebastian Bolesch

[ニュージーランド]

文化の交差点で 112

マオリ・太 平 洋 諸 島 移 民・ アジア 系 移 民 の 舞 台 芸 術 小杉 世 ニュージーランドの舞 台 芸 術の紹 介は今 回がはじめてなので、本 稿では、 これまでの歴 史を振り返りながら、マオリ・太 平 洋 諸 島 系・ア ジア系の舞 台 芸 術に焦 点をあて、最 近の動 向を紹 介したい。ニュ ージーランドでは、 ウェリントンで開 催されるニュージーランド・フェス ティバル(New Zealand Festival of the Arts)とオークランド芸 術 祭 ( Auckland Arts Festival )のほか、 ダンス・フェスティバルやコメデ ィ・フェスティバル、地 方 都 市における芸 術 祭などで、多 様な舞 台 芸 術のグループが活 動している。ニュージーランドは現 在 、 ヨーロッパ 系 70. 2 % 、 マオリ16. 5% 、 アジア系 15. 1% 、太 平 洋 系 8. 1%( 2018 年 全 国 人口統 計 、複 数のエスニシティをもつ人口があるため全 体は


100 %を超える)の多 民 族 国 家であり、先 住 民マオリの文 化が国 家 アイデンティティのなかに深く根づいている。 さらに北 島の主 要 都 市オ ークランド郊 外のサウス・オークランドでは、 ヨーロッパ系とそれ以 外の エスニシティの人 口 比が逆 転し、マオリ・太 平 洋 系・アジア系 人 口の アジア系 18.2 % 、 ヨ 合 計が 70 % 以 上(マオリ19 % 、太 平 洋 系 33% 、 その他 9.6% 、2013 年 統 計 ) を占める。先 住民マ ーロッパ系 20.1% 、 オリのほか、サモア人 、 クック諸 島マオリ、 トンガ人 、 ニウエ人 、 フィジー 人など太 平 洋 諸 島 系 移 民と、近 年 増えたインドなどからのアジア系 移民の多いオークランドでは、舞 台 芸 術がコミュニティ文 化の形 成に 大きな役 割を果たしている。

オークランド郊外の太平洋諸島系コミュニティ・シアター 113

オークランドはダウンタウンの中 心 街クィーンズ・ストリートの Qシア ターなど都 市 中 心 部の劇 場だけでなく、毎 年 3 月にパシフィカ・フェ スティバル( Pasifika Festival)が開 催されるウェスタン・スプリングス 公 園の向かいのタパック( The Auckland Performing Arts Centre [ TAPAC ]、2003年 7 月設 立 )や空 港から近いサウス・オークランド のマンゲレのタウン・センターに2010 年 9 月にオープンしたマンゲレ・ アート・センター( Mā ngere Arts Centre / Ng ā Tohu o Uenuku)、

マンゲレ・アート・センター 撮影:Simon Devitt

グレン・インズのアートセンター「テ・オロ」 撮影:ALT Group

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2015年 5 月に設立されたテ・オロ( Te Oro / Glen Innes Music and Arts Centre)など郊 外のコミュニティ・シアターが、マオリ・太 平 洋 諸 島 系の舞 台 芸 術の活 動の場となり、安い入 場 料で太 平 洋 諸 島 系 の観 客が楽しめる舞台を提供してきた。 ニウエ・サモア系の劇 作 家・演 出 家であるヴェラ・マヌサウテ ( Vela

Ma nusaute )とパートナーのアナペラ・ポラタイヴァオ( A napela Polataivao)が率いるキラ・ココナッツ・クルー( Kila Kokonut Krew [K K K ])は 、サウス・オークランドに根ざす 劇 団 のひとつである。

KKKはトンガ人の劇 作 家スリ・モア( Suli Moa)による戯 曲『ロテの をマンゲレ・アート・センターのオープニン 王 国( Kingdom of Lote)』 グ公 演で上 演し、2012 年には劇 団 創 立 10周 年 記 念 公 演として『タ ロ・キング( Talo King )』を制 作 、工 場で働く南 太 平 洋 系の労 働 者 114

たちを描いた代 表 作『 工 場 ― 太 平 洋 のミュージカル( The Factory: a Pacific

Musical)』 ( 2011 年 初 演 )は、 オークラ ンド芸 術 祭を経て、2014 年にはダンス・ カンパニーのブラック・グレイス( Black

Grace)などとともに、エディンバラ・フリン ジ・フェスティバルにも遠 征した。2017年 にアダム・ニュージーランド劇 作 家 賞を 受 賞したサモア人 劇 作 家デイヴィッド・

F・マメア( David Fa'auliuli Mamea)の 『 ニワトリのいる生 活( Still Life with

Chickens)』 (オークランド・シアター・カン ヴェラ・マヌサウテ演出『タロ・キング』ポスター 撮影:Vinesh Kumaran

パニー[ Auckland Theatre Company ] 制作)は、サモア系ニュージーランド人の


ファシトゥア・アモサ( Fasitua Amosa)の演出で、2018年 3 月のオーク ランド芸 術 祭の戯曲のひとつとして、 マンゲレ・アート・センターで上 演 された。 ウェリントンほか国 内をめぐり、 オーストラリアと上 海でも上 演 予定である。サモア人の老女の独白とパペットのニワトリからなる一人 (と一 羽 )芝 居だが、声だけで登 場するサモア人の老 夫や、マオリ、 インド系 、白人のニュージーランド人の隣 人とのやりとりなど、笑いとペ ーソスに満ちた日常を描いている。 サウス・オークランドのコミュニティ・シアターは、太 平 洋 演 劇 学 校 ( The Pacific Institute of Performing Arts[ PIPA ]、2008年 設 立 ) の学 生たちが「ゴーイング・ソロ ( Going Solo)」と呼ぶ自作自演の短 い一 人 芝 居を発 表する場でもあった。 トランスジェンダーのサモア人 の学 生の物 語 、 クメール・ルージュの惨 劇の時 代を生きた父 親につ 115

いて語る中 国 系カンボジア人 学 生の緊 迫 感ある演 技などが印 象に 残っている。学 生のほとんどが太 平 洋 系であるPIPAは、サウス・オー クランドの新しい文 化を生み出してきたが、2017年 、ユニテック工 科 大 学 演 劇 映 像 学 科( UNITEC School of Performing & Screen

Arts )に統 合され、 この学科も近く再編される。 文化の交差点におけるオセアニアの舞台芸術 ―レミ・ポニファシオとMAU サモア生まれでオークランド在 住の舞 台 芸 術 家レミ・ポニファシオ ( Lemi Ponifasio)は、2016 年のインターナショナル・ダンス・デイの メッセージ発 信 者として国 際 演 劇 協 会のウェブサイトでも紹 介され た。ポニファシオは、1995 年にマオリや太 平 洋 諸 島 出身のダンサー マ

からなるグループ M AUを結 成し、 オセアニア文 化に深く根 差しながら も、 きわめて思 索 的で、 アイデンティティ・ポリティクスを超 越するスケー 世界の舞台芸術を知る

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ルの大きなその作 品は、国 際 的に高く評 価されている。MAUは、同 じくオークランドを拠 点とするニュージーランド生まれのサモア人の演 出家ニール・イェレミア( Neil Ieremia)が率いるブラック・グレイスと同 年に結成されたが、速いキネティックな動きを特徴とするブラック・グレ イスと、 日本の舞 踏にも通 底するゆっくりとした動きと哲 学 的 抽 象 性を 特 徴とするMAUの作 風は対 照 的である。2012年 3 月のニュージー ランド・フェスティバルで上 演された『 天 空の鏡の鳥たち ( Birds with

Skymirrors )』 ( 2010 年ドイツ初 演 )は、 キリバス共 和 国の首 都タラ キリバスをはじめ太 平 洋の諸 島 国 ワ出身の 6 人のダンサーを含み、 家が 直 面する気 候 変 動や、キリ バスのクリスマス島 ほか 太 平 洋 地 域で行われた冷 戦 期の核 実 116

験 、植 民 地 時 代 のリン鉱 石 採 掘による土 地 の 荒 廃など、帝 国 の 活 動 の 多 重 の負 債を負う太 平 洋 諸 島 国 家の歴 史を鳥の身 体 感 覚でとらえた。 『アイ・アム( I

A M )』は、第 一 次 世 界 大 戦 百 周 年 記 念の作 品としてアヴィニョ ン演 劇 祭 で 初 演され 、エディン バラ国 際フェスティバルなどを経 て、2015 年 3 月のオークランド芸 術 祭で上 演された。アヴィニョン 教 皇 庁での上 演をはじめとするヨ ーロッパ公 演では、アルジェリア レミ・ポニファシオ演出『アイ・アム』 撮影:Raynaud de Lage

出身の両 親をもつアヴィニョン生


まれのダンサーがアラビア語の歌を高らかに歌う場 面が圧 巻であっ たが、ポニファシオは民 族や宗 教の境 界を越え、帝 国の周 辺の「 他 者 」の存 在に焦 点をあてる。 ポニファシオは 2020年 3 月のニュージー ランド・フェスティバルのゲスト・キュレーターに指名され、MAUの新作 『 エルサレム(

Jerusalem)』を上 演 予 定である。アジア系 移 民

のイスラム教 徒が増えつつあるニュージーランドにおいて、2019年 3 月にクライストチャーチで多 数の死 者を出したモスク襲 撃 事 件は、 ム スリム人 口に大きな衝 撃を与えた。戦 争 、核 実 験 、 テロリズム、地 球 温 暖 化といった近 代のグローバルな諸 問 題について思 索させるポニ ファシオの舞 台 芸 術が人々の意識の変革に与える影 響は大きい。

ウェリントン拠点のマオリ・太平洋諸島系の舞台芸術グループ 117

ニュージーランドのマオリの 劇 作 家による、今 では「 古 典 」とな った代 表 作は、ホネ・コウカ( Hone Kouka )の『ワイオラ― 故 郷 ( Waiora: Te Ūkaipō — The Homeland)』だろう。1960年 代 半ば、 北 島の東 海 岸の架 空の田 舎 町ワイオラ (マオリ語で「 生 命( ora )の 水( wai )」の意 )から、南 島の東 海 岸の都 市に移 住したマオリの家 族の物 語である。白人 社 会に同 化を余 儀なくされるマオリの家 族の 抱える問 題を描いている。祖 母を亡くし、故 郷との絆を失って、 マオリ 語を話すことも禁じられ、美しい声を持ちながら歌も歌えなくなり、自ら の存 在自体が消えるように感じる思 春 期の少 女ロンゴは、先 祖の声 に導かれて海に入り、入 水自殺をするが、父と兄たちのハカ (マオリの 民 族 舞 踊 )の言 霊の力で息をふきかえす。 この戯 曲の 1996 年の初 演で主 役の少 女ロンゴを演じ、最 近では 2015年のオークランド芸 術 祭で初 演の『 歩み( H ī koi)』 ( 表 題はプロテスト・マーチの意のマオ リ語 )、2018年 6 月のキア・マウ・フェスティバル( Kia Mau Festival) 世界の舞台芸術を知る

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でワーク・イン・プログレスとして上 演された『タニファの女( Taniwha

Woman)』、2019年 10月にギズボーンで開 催されたテ・タイラーフィ チ芸 術 祭( Te Tairawhiti Arts Festival)で上 演された『ウィティの女 性たち ( Witi's Wā hine)』など、 自ら劇 作と演出を行ってきたマオリの 舞 台 芸 術 家ナンシー・ブラニング( Nancy Branning )がこの 11月に

48 歳で亡くなったのは悼まれる。ブラニングは亡くなる 1 週 間 前にア ダム・ニュージーランド劇 作 家 賞( Adam NZ Play Award ) を贈られ、 続いてブルース・メイソン戯曲賞( Bruce Mason Playwriting Award) この秋に復 を受 賞した。 『ワイオラ― 故 郷 』は 2015年に再 演され、 刻版が出版された。 その表紙には、 ブラニングの舞う姿が掲載されて いる。 ホネ・コウカは、 ニュージーランド演劇学 校( New Zealand Drama 118

School / Toi Whakaari)出身のクック諸 島 系マオリの劇 作 家ミー リア・ジョージ( M ī ria George) とともに、2009 年にウェリントンでタワ を立ち上げ、 マオリ・アジ タ・プロダクションズ( Tawata Productions ) ア系の若 手 劇 作 家たちの活 動を支える精 神 的 指 導 者となってきた。 ブルース・メイソン賞 、チャップマン・トリップ・シアター賞( Chapman

Tripp Theatre Awards)ほか、2009年ニュージーランド・メリット勲 章 ( NZ Order of Merit)を受 賞している。 ミーリア・ジョージの最 新 作 『 水の火 、空の火( Fire in the Water, Fire in the Sky)』は、太 平 洋における植 民 地 主 義と気 候 変 動をテーマとしたパフォーマンスで あり、2017年のキア・マウ・フェスティバルでワーク・イン・プログレスと して発 表され 、2019 年 11月にオークランド博 物 館で上 演 、2020 年 ハワイ開 催の第 13回 太 平 洋 芸 術 祭( Festival of Pacific Arts and

Culture)でも上演される。 ニュージーランドでは 1987年にマオリ語が 英 語とともに公 用 語と


なったが、 ウェリントンに拠 点をもつタキルア・プロダクションズ( Taki

Rua Productions)は 1990 年 代 以 降 、毎 年マオリ語 週 間( Te Reo Māori Season)にマオリ語劇を制作して、マオリ語でトータル・イマージ ョン教 育(すべての教 科をマオリ語で学ぶ教 育 法 )を行う学 校での 巡 回 上 演やディスカッションを行っている。 タキルア・プロダクションズ の『マイケル・ジェイムズ・マナイア( Michael James Manaia)』 ( 2012 年 9 月、 ダウンステージ・シアター[ Downstage Theatre ])は、 マオリ の劇 作 家ジョン・ブロートン( John Broghton)が湾 岸 戦 争のころに 執 筆した一 人 芝 居で、ベトナム戦 争から生 還したマオリ青 年の苦 悩 を生々しく描いた。マオリの女 優・演 出 家レイチェル・ハウス ( Rachel

House)が演 出し、2012年 3 月、ニュージーランド国 立 博 物 館( Te Papa Tongarewa)のマラエ(マオリの伝 統 的 集 会 所 )で上 演された 119

マオリ語 版『トロイラスとクレシダ( The Māori Troilus and Cressida [ Toroihi r ā ua ko K ā hira ]』 (ンガ ーカウ・トア[ Ng ā kau Toa

Production ]制作) も戦争や紛争をテーマとし、 シェイクスピアの古典 を現 代 的な文 脈で演出している。 ウェリントンを 拠 点とするザ・コーンチ( T h e C o n c h )のフィ ジー 系ニュージーランド人 の 演 出 家ニーナ・ナーワロワロ( Nina

Nawa lowa lo)は 、2017 年にパシフィカ芸 術 賞( A r ts Pa sifik a Awards )のひとつであるシニア・パシフィカ・アーティスト賞を受 賞した。 2016 年 3 月のオークランド芸術祭で上演された『マラマ( Marama)』 (タイトルは「月」や「 光 」を意 味 するマオリ語 )は、 ソロモン諸 島の 女 性のコミュニティで行ったワークショップをもとに制 作した作 品であ る。 ダンス・カンパニー、 ル・モアナ( Le Moana)を率いるサモア系ニ ュージーランド人のトゥペ・ルアルア( Tupe Lualua) とともに、 ソロモン 諸 島のコミュニティからナーワロワロが抜 擢したダンサーたちが舞 台 世界の舞台芸術を知る

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ニーナ・ナーワロワロ演出『マラマ』 撮影:Gate Photography

に立った。後 半の一 場 面では、緑の下 生えを表すカーペットが真ん 120

中からゆっくり舞 台の両 端に向けて剥がれ、灰 色の大 地を露 出する という演 出で、 ソロモンの森 林 伐 採による自然の荒 廃と、売 春など開 発 業 者の進 出が社 会にもたらす問 題を示 唆した。森 林の闇を侵 食 するブルドーザーとチェーンソーの騒 音 、森 林の闇に逃げ込む売 春 婦を射るように照らすヘッドライトの光といった視 聴 覚 的な効 果で、 自 然に対する暴力と女 性に対する暴力を重ねて演 出しているのが興 味 深かった。

アジア系の舞台芸術

2018 年 3 月のオークランド芸 術 祭で上 演された『 紅 茶( Tea )』は、 タワタ・プロダクションズで育ったメンバーの一 人で、 イギリス生まれ、 ニュージーランド育ちのスリランカ人の劇作家・俳優アヒ・カルナハラン ( Ahi Karunaharan)による作 品である。 『 紅 茶 』は 1890 年イギリス 植民 地 時 代のスリランカの紅 茶プランテーションで働く家 族とその末


アヒ・カルナハラン演出『紅茶』 撮影:Andi Crown Photography

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裔の物 語で、自転 車に乗って家 出するフェミニストのスリランカ人 女 性の恋 愛と結 婚 、 プランテーションでの暴 動など、19世 紀から現 代ま での 4 世 代の生を描き、終 幕 近くには 2890 年の未 来の汚 染された 惑 星の実 験 用ガラスケースのなかで生き残った紅 茶の木に希 望を 託す一 場 面が挿 入される。千 年の時を超え、紅 茶をめぐり世 界をつ なぐ野 心 作である。 ニュージーランド演 劇 学 校 出身で、 マレーシア生まれのインド系 劇 作 家・俳 優ジェイコブ・ラジャン( Jacob Rajan) とヨーロッパ系ニュー ジーランド人 の 経 営メンバー 、 インド系ニュージーランド人を中 心 とする役 者たちからなるオークランド拠 点の劇 団インディアン・インク インド ( Indian Ink )は、独 特の仮 面を用いた演 出を特 徴として、 系と一 般の観 客を集め、海 外ツアーも行っている。中 国 系マオリの 劇作 家メイリン・テ・プエア・ハンセン ( Mei-Lin Te Puea Hansen)が、 祖 父 母の家 族 史から創 作した『月餅とサツマイモ( The Mooncake 世界の舞台芸術を知る

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and the K ū mara)』は、マオリの少 女と中 国 人 青 年の恋 愛を描き、 広東語とマオリ語を使用している。中国の新年を祝うオークランドのラ ンタン・フェスティバルで初 演 、 オライザ・ファンデーション( The Oryza

Foundation)の制作で、2015年オークランド芸 術 祭で上 演された。 以上、 ニュージーランドにおけるマオリ・太 平 洋 諸 島 系・アジア系の 舞 台 芸 術がそれぞれのコミュニティに根 差しながら、多 様な文 化の交 錯する地 点において、 オセアニアの舞 台 芸 術を形 成しているその活 動の一 端を紹介した。今後も新しい動向をみていきたい。 こすぎ・せい 大阪大学言語文化研究科准教授。専門は、 オセアニアの舞台芸術・先住民移民文学、環境 文学、ポストコロニアル研究。共著に『 英語文学の越境 』、 『 土着と近代―グローカルの大

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洋を行く英語圏文学 』 ( 執筆章「オセアニアの舞台芸術にみる土着と近代、 その超克」)、 『オ ーストラリア・ニュージーランド文学論集』 など。


ギーサ・サワビー作、ポリー・フィンドレー演出『ラザーフォードと息子』 ジョン・ラザーフォード=ロジャー・アラム、 ジャネット=ジャステシン・ミッチェル 撮影:Johan Persson

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[イギリス]

「ヨ ー ロッパ 家 族 」 という理 念と現 実 本橋 哲也

2019年の英 国は、2016 年の欧 州 連 合からの離 脱( Brexit)を選 択した国民投 票の結 果 、 どのように離 脱を果たすかで揺れ動き続け ている。 この稿を書いている10月末 現 在 、 その行く末はいまだ不 透 明 だが、政 権を担う保 守 党 党 首ボリス・ジョンソンの意 思にもかかわら ず、当初の予 定であった 10月末の離 脱 期 限を守ることは不 可 能とな り、1 月末に期 限が延 長されることになった。 さらに今 年の 12月 12日 に前 倒しの総 選 挙が行われることになり、 その結 果によって Brexitの 行 方も左 右されることになるだろう。離 脱と言っても単 純ではなく、貿 世界の舞台芸術を知る

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易や国 境 管 理といった人やモノの流れのあり方を新たに決めなくて はならないわけで、 そのための交 渉には多くの時 間がかかることだろ う。今 年も英 国の劇 壇は、 そうした政 治 状 況を横目で眺めながら、長 期にわたって英 国にとって、 ヨーロッパとは何なのかを思 索してきたよ うに思われる。 そのような意 識が見られた作 品を中心に、管 見の及ぶ 範 囲で、今年の劇壇回顧を試みてみたい。 その際 、 とくに注目したいのは「 家 族 」という概 念だ。およそあらゆる 演 劇が何らかの形で人 間 関 係を扱う以 上 、人 間 関 係の基 本である 「 家 族 」の考 察を避けることはできない。 さらに言えば 、いわゆる「 幸 福な家 族 」なるものはメロドラマの題 材にはなっても、 オルタナティブな 社 会 像を提 示しようとする演 劇の主 題とはなりがたく、優れた演 劇は、 崩 壊した家 族 、 あるいは崩 壊しつつある家 族を描くことが多い。 そこか 124

ら再 生の希 望を示すのか、 それとも絶 望を深めるのかは選 択の余 地 があるとしても、演 劇は、たとえばエウリピデスの『メデイア』やシェイク スピアの『 ハムレット』を経て、 イプセン、チェーホフ、現 代 劇に至るま で、 さまざまな家 族の表 象を試みることで社 会 変 革の道 筋を示そうと してきたのである。 今 年はまずシェイクスピアの『 夏の夜の夢 』から取り上げよう。概 して低 調であった 今 年 の 英 国におけるシェイクスピア上 演 のなか で 、唯 一 新 たなシェイクスピア解 釈 の 可 能 性を切り開いたと言え るのが 、テムズ川 南 岸に一 昨 年できたブリッジ・シアター( Bridge

Theatre)における上 演だ。昨 年も本 稿で、芸 術 監 督のニコラス・ハイ トナー( Nicholas Hytner)による 『ジュリアス・シーザー 』を取り上げ たが、今 年もハイトナーは立ち見の観 客に平 土 間を自由に歩かせる プロムナード方 式で、 このシェイクスピアの祝 祭 劇を上 演した。 『ジュ リアス・シーザー 』が平 土 間の観 客をポピュリスト政 治 家に熱 狂し利


ニコラス・ハイトナー演出『夏の夜の夢』パック=デヴィッド・ムースト、 ティテーニア=グウェンドリン・ク リスティー ©️Manuel Harlan / ArenaPAL

用される群 衆に見 立てたとすれば 、今 回の『 夏の夜の夢 』では、妖 精・職 人・貴 族という三 層 構 造のどれにも内 包されず、 しかし同 時に 祝 祭に参 加する主 体 的 存 在として観 客を巻き込むことで、見 事な 集 団 劇を創 造した。成 功の第 一の要 因は、 アテネとその周 辺の森に 125

展 開する国 家 集 団という家 族を構 築するジェンダーの力 学を徹 底 して再 検 証したことにある。 『 夏の夜の夢 』 という劇は、危 機に瀕した アテネ都 市 国 家における強 制 的 異 性 愛 主 義に基づく家 父 長 体 制 が、周 縁の地である森で妖 精 世 界による家 父 長 体 制の再 構 築によ って再 生される道 筋を描く。 シェイクスピアの原 作では、 ヒポリタ、ハー ミア、ヘレナ、 ティテーニアといった男性 中 心 主 義に反 抗する可 能 性 を持った女 性たちが、結 局は家 父 長 体 制のなかに再 包 摂されること で、結 婚 喜 劇という体 裁が保たれるからだ。 しかしハイトナーの演 出 は、 そのような家 父 長 制を支えるジェンダー秩 序を完 璧に転 覆させ てしまう。最 初の場 面で親の決めた結 婚 相 手を選ぼうとしないハー ミアが、父 親だけでなくアテネ大 公にも抵 抗する、 その力の源 泉が、 ア テネ大 公シーシウス (オリヴァー・クリス[ Oliver Chris ])によって暴 力的に征服されたアマゾンの女王ヒポリタ (グウェンドリン・クリスティー [ Gwendoline Christie ])にあることが明白に示される。 この冒頭の 世界の舞台芸術を知る

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場 面ではヒポリタの台 詞は少ないが、 それは存 在が希 薄であるという ことにはならない。暴 君シーシウスによる被 征 服 女 性の扱いを示すよ うに、 ヒポリタはまるで展 示 物のようにガラスの箱の中に入れられてい るが、彼 女は無 言でハーミアを激 励する姉 御であり、 そして裁 断を下 そうとするシーシウスの気 持ちを揺るがしてしまう魔 女でもある。 そうし た準 備を経て、舞 台がアテネの宮 廷から妖 精たちの森に移ると、一 人 二 役によってシーシウス役がオベロンを演じ、 ヒポリタ役がティテー ニアを演じることになるのだが、 ここでは原 作のオベロンの台 詞はすべ てティテーニアに(よってパックもティテーニアの子 分だ)、 ティテーニ アの台 詞はすべてオベロンに移 行されるというジェンダー・リバーサ ルが起きる。 よって、 ロバとなったボトムと魔 法の花の威力によって交 接するのはオベロンであって、 そこでは男性 同 性 愛の熱 狂 的な祝 宴 126

がプロムナード観 客の圧 倒 的な承 認とともに展 開されることになる。 さ らにアテネの職 人たちのジェンダー構 成も見 直される。6 人のうち半 分が女 性で、 しかもスナッグは大 柄で暴力的なので、男たちは彼 女 の一 挙 手 一 投 足に怯えている。 なかでもボトム (ハメド・アニマショーン これまでの伝 統であった自 [ Hammed Animashaun ])の演 技は、 己 顕 示 欲の強い男から一 転して無 垢な真 剣さに満ちた造 型で新 鮮だ。夢から覚めたボトムが「 物 事を聞いて、音を見た」と言ったとき、 普 通の凡 庸な上 演ならば単なる言い間 違えだが、 まさに観 客自身の 夢として「 真 実 truth」よりは「 真 摯さtruthfulness」を提 示する台 詞 となる。つまり、夢による調 教という主 題が、国 家や家 族の再 編という 現 代の課 題を提 示するのだ。二 組の若い恋 人たちの、男 同 士 、女 同 士の恋という夢も挟まれて、 しかし最 後は見 事な祝 祭 劇として終わ るのだが、 もちろんこの成 功には、 ジェンダーの転 換だけでなく、 ライ サンダー(キット・ヤング[ Kit Young ]) とディミートリアス (ポール・ア


デイファ [ Paul Adeyefa ]) をはじめとして、優れた若い黒 人 俳 優たち が半 数 以 上を占める配 役の起用があり、 それがつねに、 そしてすでに 「 多 国 籍 国 家 」である英 国という家 族のあり方の証となる。森での 一 夜が明けて、森で出 会った恋 人たちを罰しようとするシーシウス自 身に、昨 夜の「オベロンの夢 」をヒポリタが思い起こさせ、 まるでシーシ ウスは目が覚めたかのように恋 人たちを許す―「 夏の夜の夢 」と は実のところ、 もう一つ別の家 族 像の想 像 / 創 造でもあったことを私 たちに思い起こさせる快作である。 ブリッジ・シアターの『 夏の夜の夢 』が 、 「 幸 福な家 族 」という幻 想を支える家 父 長 制 体 制がジェンダー 差 別に基 づくものであるこ とを暴いたとすれば 、サイモン・ウッズ( Simon Woods)の初めての 劇 作『 ハンサード ( Hansard)』 (ナショナル・シアター リテルトン劇 場 127

[ Lyttelton, National Theatre ])は、最 初から崩 壊している家 族 、 すなわち夫 婦を描く。主 演はリンゼイ・ダンカン( Lindsay Duncan) とアレックス・ジェニングス ( Alex Jennings)で、DVD 化もされている

1994年のエイドリアン・ノーブル( Adrian Noble)演出のロイヤル・シェ イクスピア・カンパニー( Royal Shakespeare Company)上 演でのシ ーシウス/オベロンとヒポリタ/ティテーニアを演じたカップルであり, こ の上 演が暴き出した男性 中心 主 義に支えられた家 父 長 体 制による 女 性 嫌 悪はいまだに記 憶に新しい。劇の題 名である「ハンサード」と は、英 国の国 会での発 言をもらさず収 録した記 録のことだ。登 場 人 物は二 人だけ、夫のロビン・ヘスキスがサッチャー政 権 下の保 守 党 議員、彼よりもリベラルな意 見の持ち主である妻のダイアン・ヘスキスと の会 話で全 編が構 成される一 幕 劇 。時 代 背 景はサッチャー政 権が 法 制 化した「セクション28」、すなわち地 方 公 共 団 体に同 性 愛の促 進を禁じる法 律の制 定をめぐる社 会 闘 争だ。劇は土 曜の早 朝 、 イン 世界の舞台芸術を知る

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サイモン・ウッズ作『ハンサード』 ロビン=アレックス・ジェニングス、 ダイアン=リンゼイ・ダンカン 撮影:Catherine Ashmore

128 グランド中央 部オクスフォードシャーの自宅への夫の帰 宅から始まり、 昼 食までの数 時 間の夫 婦の会 話で構 成される。 ロビンは露 骨な差 別 主 義 者ではないが、 それでもイングランドの中産 階 級を代 表する異 性 愛 主 義 者であることに変わりはなく、サッチャー政 権による同 性 愛 者 差 別 法にも賛 成している。 ダイアンはそのことに不 満を持っているが、 彼らの政 治 的 意 見の対 立には、家 庭の崩 壊をもたらした深い原 因 があることが、二 人の会 話から次 第に浮かび上がってくる。実は二 人 にはトムという息 子がいたのだが、彼には同 性 愛 的 傾 向があって、 あ る日、母 親の化 粧 道 具を使って女 装した彼の姿を見た母 親が、彼 の姿を美しいと思いながらも抱きしめてやることができずに嘔 吐してし まい、 その衝 撃から息 子は自殺してしまったのだった。 そのことを芝 居 の終わり近くで知らされた夫が、妻に不貞を疑われながら、実は息 子 を悼んでその終 焉の地に通っていたことが告 白され 、取り返しのつ


かない息 子の喪 失がもたらした空 虚を耐える夫 婦の姿で幕が閉じ られる。 「ハンサード」のような言 葉の記 録に残されない人びとの悲 哀 。人 間の歴 史が個 人の喪 失を押し隠した物 語の集 積だとすれば、 演 劇にはそのように語られなかった無 数の想いを伝える力能と責 務 がある。 次に20 世紀初頭の女性劇作家ギーサ・サワビー( Githa Sowerby) の『ラザーフォードと息 子( Rutherford and Son)』 ( ナショナル・シア ター リテルトン劇 場 )。1912年にこの作 品がロンドンで初 演されたと き、 イプセンに比 肩する傑 作として激 賞されたが、 そのときの作 者 名は

K. G. Sowerbyであり、批 評 家たちは一 様に男性 作 家を想 定してい た。 フェミニストでフェビアン協 会のメンバーでもあったサワビーが、 こ の作 品に込めた家 父 長 制 度からの女 性 解 放の思いは、100年 以 上 129

も経た現 在でも多くの共 感を呼ぶ。劇の題 名にもかかわらず、サワビ ーが描き、演出のポリー・フィンドレー( Polly Findlay)が焦点化するの も、 ガラス工 場 主として家 父 長 権力を振るうラザーフォード (ロジャー・ とその一 人 息 子との関 係というより、 そのよう アラム[ Roger Allam ]) な男性中心 的 家 族のなかで生き抜かざるを得ない娘たちの選 択だ。 姉 娘のジャネット (ジャスティン・ミッチェル[ Justin Mitchell ])は工 場 の使 用 人であるマーティンと恋 仲だが、 自分よりも工 場 主である父 親 との関 係を重 視するマーティンに失 望して、一 人で生きていく選 択を する。工 場を引き継ぐ道を閉ざされた息 子ジョンの妻メアリーは、 ラザ ーフォードと勇敢にも交 渉して、 自らの息子を守ってこの家の中で生き 抜く決 意を固める。歴 史や社 会 背 景は変わっても、男性中心 主 義 的 な家 庭における家 父 長 主 義を支えているのは、つねに、 そしてすでに 女 性であり、彼 女たちの忍 耐と抵 抗とが不 平 等な社 会を変える原 動 力となってきたことを強 調するこの上 演は、一 世 紀を経てまったく古び 世界の舞台芸術を知る

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ていない家庭劇に新たな息吹を吹き込むのである。 次に、 ジャマイカ系 女 性 作 家アンドレア・レヴィ ( Andrea Levy)の 自伝 的 小 説をヘレン・エドマンドソン( Helen Edmundson)が脚 色し た『 小さな島( Small Island)』 (ナショナル・シアター オリヴィエ劇 場 [ Olivier, National Theatre ])。第二次 世 界 大 戦 後から急 増した、 イギリスの旧 植民 地ジャマイカからの移民を扱うこの芝 居でも、ナショ ナリズムや家 父 長 制 度や植民地 主 義を批 判する視 点から様々な家 族 像が描かれ、 そこでの女 性の役 割の大きさが強 調される。 ホルテン スというジャマイカ出身の女 性の立 場から描かれた自伝 的 作 品であ りながら、 ルーファス・ノリス ( Rufus Norris)の演出は、彼 女の視 点だ けを特 権 化することなく、他のジャマイカからの移民や、彼らに好 意 的 な、あるいは人 種 的 偏 見を持った白人たちの心 情をも描くことで、戦 130

アンドレア・レヴィ原作、ヘレン・エドマンドソン脚色、ルーファス・ノリス演出『小さな島』 ギルバート=ガーシュウィン・ユスタッシュ・ジ ュニア、 ホルテンス=リー・ハーヴェイ 撮影:Brinkhaff Moegenburg


後の英 国がどのような社 会 統 合に関わる問 題に直 面し、多 文 化 社 会を構築する苦闘を経てきたかを群像劇として丁寧に描いていく。連 日満員のオリヴィエ劇 場の多くの座 席を埋めた黒い肌の人びとが、 自分たちが故 国でそして移 住 先の英 国で築いてきた歴 史が、平 凡 だがかけがえのない生きた歴 史として舞 台 上に展 開するさまを、 とき には誇りをもって、 ときには自嘲 的な笑いとともに楽しむさまを見るとき、 私たちは英 国という国 家 / 家 族が経てきた多 文 化 主 義との格 闘を あらためて想 起せずにはいられない。 次にウィーン出 身の 作 家アルトゥール・シュニッツラー( A rthur

Schnitzler)の 20世 紀 初 頭の戯 曲『 ベルンハルディ教 授( Professor Bernhardi)』をロバート・アイク( Robert Icke)が演 出・翻 案した『 医 者( The Doctor)』 (アルメイダ劇 場[ Almeida Theatre ])。 ここ数 年 131

イギリスの劇 壇で傑 作を演 出し続けてきたアイクがアルメイダ劇 場 専 属の地 位を去る最 後に、 この一 見 地 味な作 品で正 面から取り上げ るのは 、人 種・ジェンダ ー・階 級といったカテゴ リーにまたがる人のアイ デンティティという問 題 だ 。実 は 私 自身 、観 劇 中かなり戸 惑ったのだ が、 アイクの演出は私た ちが自明のものとしてい る、アイデンティティの指 標を徹 底 的に混 乱させ る。舞 台 には 大きな 横 長の机があるだけで、 そ

アルトゥール・シュニッツラー作、 ロバート・アイク演出・翻案『医者』 ジュリエット・スティー ブンソン、 ジョイ・リチャードソン 撮影:Manuel Harlan

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れがゆっくりと回 転しながら、 ときには病 院をときには家 庭を示 唆する。 このような何の変 哲もなさそうな舞 台で問われるのは、私たちの社 会 や家 族の秩 序が無 意 識に前 提としているアイデンティティの力学であ る。医 者(ジュリエット・スティーブンソン[ Juliet Stevenson ])が自分 の患 者である十 代の女の子の死に際して、 カトリック司 祭の訪 問を 許さなかったことが社 会 的 問 題となり、 この「 女 医 」が病 院での地 位 を失う事 件が発 端となる。 いま「 女 医 」と書いたがそれは便 宜 上ステ ィーブンソンが女 優だからで、実はこの劇には誰が男で誰が女であ り、誰が白人で誰が黒 人か、誰が主 人で誰が使用人か、 といった私 たちが通 常 疑っていない判 別を撹 乱する仕 掛けがいくつもある。 まず キャストリストにはアルファベット順に役 者の名 前が並べてあるだけな ので、誰がどんな名 前の役を演じているのか、 それを見てもわからない。 132

私も舞 台を観ていてなかなか分からなかったのだが、黒 人の牧 師と 言われているのに役 者は明らかにスコティッシュ・アクセントの白人で あるし、東 洋 人 風の名 前で呼ばれている医 者は民 族もジェンダーも 不 明だ( 実 際には黒 人 女 性の俳 優らしい)。主 人 公の医 者がメディ アによって非 難されるのは、彼 女がユダヤ教 徒の出自にこだわるあま り、患 者にカトリックの秘 蹟を受けさせなかったこと、司祭に人 種 偏 見 をもって接したという疑いからなのだが、 これらから浮かび上がってくる のは、私たち観 客も含めて、現 代の価 値 判 断の元となっている社 会 正 義やポリティカル・コレクトネスの概 念が、 いかに固 定されたアイデン ティティに左 右され、 それが結 果として言 葉の暴力を生んでいるかとい う問 題である。多 文 化 主 義が複 数のアイデンティティを包 摂すること は是 認すべきとして、 その先にある平 等な共 同 体をどう構 想すべきか、 静かだが深い問いかけに溢れた舞台である。 最 後に25年 前の作 品の再 演だが、おそらく現 在のヨーロッパの政


治 社 会 状 況を顧みるのに、最も相 応 しい作 品のひとつであるデヴィッド・グ レイグ( David Greig )の『ヨーロッパ ( Europe)』 (ドンマー・ウェアハウス [ Donmar Warehouse])。1994 年 にエディンバラで初 演され、 「難民」 を主 人 公とするこの作 品は現 在ます ます重 要 性を増している。 ここで描か れる「 難 民 」とは、西ヨーロッパの外 からやってきて、汽 車は通り過ぎるが 決して止まることのない駅で過ごして いる「 外 国 人 」だけではない。すでに 133

鉄 道 駅としての 機 能を喪 失した 駅 の係 員たちも「 難 民 」であるし、 この 町で暮らして外に出ることができない

デヴィッド・グレイグ作、 マイケル・ロングハースト演出『ヨーロッパ』 カティア=ナタリア・テナ、 サヴァ=ケヴォルク・マリクヤン 撮影:Marc Brenner

排 外 的な若 者たちも「 難民」である。

1980年 代から世 界を席 巻してきた新自由 主 義による国民経 済の破 壊と貧 富の差の拡 大 、内 戦と環 境 破 壊 、資 源の枯 渇といった現 象 が、第 一 世 界と第 三 世 界の区 別を無 効にして、世 界 中に移 動でき ない難 民の群れを作り出しているのだ。 この芝 居では、 そのように出 自の違う難民たちの連 帯と友 情 、および排 外 主 義による暴力が同 時 に描かれる。 ドンマーの狭い箱 型 空 間を活かしたマイケル・ロングハ ースト ( Michael Longhurst)の演 出は、友 愛を象 徴 的な音 楽や身 振りによって、暴力を具 体 的な物 象によって描くことで、 ヨーロッパとい う家 族が、 この四 半 世紀起きてきた悲劇の縮図を提 示する。 国 家という大きな家 族の危 機に際して、私たちに求められているの 世界の舞台芸術を知る

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は新しい理 念と現 実を創 造する想 像力である。夢から醒めたボトム の台 詞のように、観 客に「 物 事を聞いて、音を見る」ことを可 能にさせ る力が演 劇にはある。 その潜 勢力こそが不 幸な家 族を描きながら、差 別や暴力に侵されない国 家や共 同 体のあり方を夢 想させるのでは ないだろうか。 もとはし・てつや 東京経済大学教員。専攻はカルチュラル・スタディーズ。著書に『 宮城聰の演劇世界 』 ( 塚本 知佳との共著、青弓社)、 『 ディズニー・プリンセスの行方』 (ナカニシヤ出版)、 『 深読みミュージ カル』 ( 青土社)、 『 思想としてのシェイクスピア』 ( 河出ブックス)、 『カルチュラル・スタディーズ への招待』 ( 大修館書店)、 『 ポストコロニアリズム』 ( 岩波新書) など。

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マイケル・キーガン・ ドーラン作・演出『白鳥の湖』 撮影:Bríd O'Donavan

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[アイルランド]

女 性 の 表 象と 多 領 域 横 断 的 アダ プ テ ーション 坂内 太 女性の表象/女性の活躍 アイルランド演 劇 界 では 、 「フェミニスト覚 醒 」 ( # Wa k ingThe

Feminists)の運 動が起こった 2016年 秋から現 在まで、女 性の演 劇 人の活 躍と、舞 台 上での女 性 表 象の活 性 化が続いている。本 稿で は、本 誌で前 回 報 告した 2016 年 度 以 降のアイルランド演 劇 界を概 観する。

2017 年には 、ベケット劇での 来日公 演でも知られる劇 団マウス 世界の舞台芸術を知る

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オンファイア( Mouth On Fire )が 、 『イェイツは 恋に夢 中( Yeats

Besotted)』を上 演し、国 家 独 立 運 動の闘 士モード・ゴンを等身大 の女 性として描き出した。2019年 9 月に初 演されたジョージ・オブライ エン ( George O'Brien)作『 最初のペギーン ( The First Pegeen)』で は、 アイルランド文 芸 復 興 期の代 表 的 戯 曲『 西の国の伊 達男( The

Playboy of the Western World)』で、現 実に社 会 的 暴 動を引き起 こした伝 説 的 舞 台のヒロインだった女 優モリー・オールグッド ( Molly

Allgood)に焦 点を当て、半ば伝 説 的な女 性を巧みに脱 神 話 化して みせた。同じく2019年 9 月には、演 出 家・女 優のバーバラ・ニ・クイヴ ( Bairbre Ní Chaoimh)が、女 流 劇 作 家イヴォンヌ・クイン( Yvonne

Quinn) との共 作『モーラ・ラヴァティ ─ これがあなたの人 生だった ( Maura Laverty - This Was Your Life)』 を演 出・上 演し、 アイルラ 136

ンドのテレビ界で脚 本 家として活 躍しながら逆 境の中で死に、忘れ 去られた女 性モーラ・ラヴァティの生 涯を鮮やかに浮き彫りにした。か つて社 会で活 躍し、 その後 、美しくも抽 象 的な現 代の神 話となった 女 性たちの実 像を取り戻すような戯曲や舞 台が数 多く生み出されて いる。 女 優 や 女 性 劇 作 家の活 躍も目覚ましい。アイルランド演 劇の中 心の一つ、 アビー劇 場( Abbey Theatre)では、2016 年 7 月から芸 術 監 督が交 代して、ニール・マレー( Neil Murray) とグレアム・マク ラーレン( Graham McLaren)の二 名の芸 術 監 督による新 体 制と なり、同 年 12月から2017年 1 月にかけて『アンナ・カレーニナ( Anna

Karenina )』の舞 台 版が 上 演されたが 、女 優のリサ・ドワン( Lisa Dwan)は、小 柄ながら全身を力 強い楽 器のように使う巧みな声の 表 現で 舞 台を圧 倒した 。同じくアビー 劇 場で 2018 年 3 月に初 演 された『 御し難い女たち』 ( The Unmanageable Sisters)では、脚


本に描かれた女 性 像が類 型 的ではあるものの、キャサリン・バーン ( Karen Ardiff)のようなベ ( Catherine Byrne)やカレン・アーディフ テラン女 優を始め、15 人の実力派 女 優が起用され、女 性コミュニティ を分 断する大 騒 動を活 写して観 客の支 持を集め、現 在まで再 演を 重ねている。同 年 5 月には、劇 作 家マリーナ・カー( Marina Carr)の アイルランド 『ラフタリーの丘で( On Raftery' s Hill)』が上 演され、 演劇 界を代 表する女 優の一人マリー・マレン ( Marie Mullen)が、近 親 相 姦のテーマを扱うこの難しい戯 曲で圧 倒 的な存 在 感を見せた。

2019年 9 月には、カーの『ヘキュバ( Hecuba)』がアイルランド初 演を 迎え、反 知 性 主 義と暴力が公 的な政 策となった国 家 像を通じて、古 典 悲 劇に現 代 的 心 理を吹き込んだ。 また、劇 作 家リサ・ティアニー・ キーオ ( Lisa Tierney Keogh)の喜劇『この美しき村( This Beautiful 137

Village)』が初 演され、猥 雑な落 書きをめぐる地 域 住 民の話し合い を通じて、現 代アイルランドにおける女 性への様々な偏 見が露 呈する プロセスを力強く描いて喝采を浴びた。 若 手 女 性 演 出 家の躍 進も目立つ。本 年 9 月から10月にかけて行 われたダブリン演 劇 祭( Dublin Theatre Festival)では、演 出 家の ウーナ・マーフィー( Oonagh Murphy)が、照 明・音 楽・コスチューム の各デザイナーと振り付けに、すべて女 性アーティストを起用した『 西 の国の伊 達 男 』を上 演した。マーフィーは、 この戯 曲を近 過 去の北 アイルランドに設 定して、男らしさの幻 影と現 実の暴力を対 置させつ つ、人 間 的 変 容の困 難さを前 面に打ち出した。サミュエル・ベケット ( Samuel Beckett)の戯 曲を継 続 的に上 演して国 際 的に名 高いゲ ート劇場( Gate Theatre)では、2017年に運営体制が一新されて、ベ ケットの『カタストロフィ ( Catastrophe)』の演出で知られるセリーナ・カ ートメル( Selina Cartmell)が芸 術 監 督に就 任した。同 年 7 月に、 カ 世界の舞台芸術を知る

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ートメルは、F・スコット・フィッツジェラルド ( F. Scott Fitzgerald)の小説 を没 入 型 劇 場として上 『 華 麗なるギャツビー( The Great Gatsby)』 演し、場 内から観 客 席を取り払い、劇 場 全 体をギャツビーの世 界と して提 示した。 ビンテージ物の服や祖 父 母の古 着などを着て来 場す る観 客が次 第に増えて、観 客 参 加 型のイベントとして成 功を収めた。

2016 年 秋に生じた「フェミニスト覚 醒 」運 動は、着 実に成 果を上げ つつ、現 在も進行している。

多領域横断的アダプテーションと観客層の若返り 近 年のアイルランド演 劇 界では、小 説や古 典 作 品からのアダプテ ーションが訴 求力を持ちつつあり、 それに付 随するかたちで観 客 層の 若 返りも見られる。2017年には、小 説 家ロディ・ドイル( Roddy Doyle) 138

( Two Pints)』の戯 曲 版がアイルランド各 地 の中編 小 説『 2 パイント のパブで上 演されて評 判を呼び、2019年 6 月から 8 月にかけてアビ ー劇 場でロングランとなり、二 人の客がパブで軽 妙な対 話を重ねる 現 代 的な風 習 喜 劇として好 評を博した。同じくロディ・ドイルによる小 カトリック国のアイルランドで 20歳 説『スナッパー( The Snapper)』は、 の女 性が未 婚の母となるストーリーゆえに、出 版された 1990 年には 物 議を醸したが、 ゲート劇 場での 2018年の舞 台 版は、旧 弊な価 値 観に抗する女 性の自立 心の生き生きとした表 現が共 感を呼び、特 アビー劇 場で に若い客 層を引き付けて 2019 年に再 演を果たした。 は、1922年にパリで出 版されたジェイムズ・ジョイス ( James Joyce)に よるモダニズム文 学の傑 作『 ユリシーズ( Ulysses)』を、 ミュージカル や人 形 劇 、ダンスや道 化 芝 居の多 層 的で軽 快な喜 劇に翻 案して 好 評を博し、2017年 、2018年と上 演を重ねて新たな客 層を掘り起こ した。演 出 家・研 究 者サラ・ジェイン・スケイフ ( Sarah Jane Scaife)率


いるカンパニー SJ( Company SJ)は、ベケットの 1979年の小 説『 伴 侶 ( Company)』を2018年に舞 台 化して、パペット劇 、パントマイム、暗 黒舞踏、 ビジュアルアートの諸 要 素が融 合する舞 台に仕 上げて高 い評 価を得た。原 作の散 文が、録 音された俳 優の内 的 独 白として 場 内に流れ、 また、 プロジェクターで投 影される中、俳 優が繊 細に人 形を操 作しつつ、 マイムや舞 踏 的 動きで自身の声に応 答するのだが、 一 人 芝 居でありながら、 自己との瞑 想 的な対 話でもあり、観 客を深い 瞑想に誘う秀 逸な没入型のイベントでもあった。 多 領 域 横 断 的なアダプテーションの中で特に注目すべき収 穫の 一つは、 マイケル・キーガン・ドーラン( Michael Keegan- Dolan)作・ 演出による 『 白鳥の湖( Swan Lake / Loch na hEala)』だろう。 クラ 139

カンパニーSJ『 伴侶』 撮影:坂内太 世界の舞台芸術を知る

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シックバレエの古 典 的 名 作の舞 台がアイルランド中 部 地 方に移さ れ、今日的な文 脈と心 理が効 果 的に取り込まれている。原 作で悪 魔 によって白 鳥に変えられるヒロインは、 ドーランの翻 案では、司 祭によ って虐 待を受けた女 性であり、1999 年 以 降のアイルランドを震 撼さ せてきた聖 職 者たちによる性 的 虐 待を反 映している。白 鳥と出 会う 若 者は、無 職で慢 性 的な鬱 病にかかっており、 これもまた現 代アイル ランドの一 傾 向を反 映しているだろう。 『 白 鳥の湖 』は、バレエやコ ンテンポラリーダンス、パントマイムや伝 統 的 対 話 劇を融 合した舞 台 で、贖 罪と救 済の深い精 神 性を具 現 化することに成 功した。 この作 品は 2016年 10月にダブリンで初演されて喝 采を浴びて以 来 、現 在ま で欧 米 諸 国でのツアーを重ねている。2019年のフリンジ祭( Fringe

Festival )で 評 価 の 高かった 作 品では、 『ジム・スイム・パーティー 140

( Gym Swim Party)』が挙げられる。ギリシャ古 典 悲 劇『アガメムノ ン( Agamemnon)』に、現 代アイルランドに見られるギャング抗 争 、お よびパーティー文 化 、 スポーツジム文 化の興 隆などのテーマを合わせ、 『ジム・スイム・パーティー』 撮影:坂内太


対話劇、 コンテンポラリーダンス、水 泳 、体 操の要 素を取り込んだ身 体 性を前 面に出して舞 台 化している。異 分 野の演 出 家やコレオグラ ファーたちが集まり、分 担と統 合を通じて作り上げた舞 台で、従 来の 作 家 性の概 念に収 斂しない創 作 過 程も新しい。特 定の劇 作 家 、演 出 家 、俳 優の固 有 名 詞に還 元されない、 こうした創 作 過 程が、多 領 域横 断 的な舞 台 作 品を中心にして次第に広がってきている。

堅実な伝統的演劇と海外公演 伝 統 的な対 話 劇や海 外に進 出するアイルランド演 劇にも優れた ものが多かった。2017年 7 月から10月にロンドンのオールド・ヴィック 劇 場( The Old Vic)で上 演されたコナー・マクファーソン( Conor

McPherson)の『 北 国の少 女( Girl from the North Country)』 141

は、全 編にボブ・ディランの曲を使ったミュージカルで、1934 年のミネ ソタ州の下 宿 屋に設 定されていながら、同 時 期のアイルランドのスラ こだま

ム街で見られた貧民の共 生の谺 が聞こえてくる秀 作である。 カンパニ ー SJは、ベケット劇の女性像に注目して、2017年 9 月に『わたしじゃな い( Not I)』、 『 あしおと ( Footfalls)』、 『 行ったり来たり ( Come and

Go)』、 『ロッカバイ ( Rockaby)』 をニューヨークで上 演して高い評 価 を得た。来日公演も多い劇団マウスオンファイアは、2017年 9 月に東京 と京都で『ゴドーを待ちながら ( Waiting for Godot)』 を上演し、ベケ ットの演出ノートに即した丁寧な演出が注目を浴びた。良質な舞台を 作り続ける劇団デカダン ( Decadent Theatre Company)は、2017年 せき

にはコナー・マクファーソンの『 堰( The Weir)』 とマーティン・マクドナー ( Martin McDonagh)の『ピローマン(The Pillowman) 』、2018年 にはマリーナ・カーの『メイ ( The Mai)』 を上演して安定した力を見せ、 『ピローマン』 も多くの観 客を動員するヒットとなった。老 舗の劇 団ドル 世界の舞台芸術を知る

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イド ( Druid)は、2016年 に『ゴドーを待ちながら』 で、 テクスト細 部への深 い読みと、 アクロバットの 要 素を加えた新しい身 マウスオンファイア『ゴドーを待ちながら』 撮影:坂内太

体 性で、 この現 代 古 典 の 再 評 価を果 たし、再

演を重ねると共に、 イギリス、 アメリカでの海外公演で極めて高い評価 を得ている。 また、 ドルイドは、持 続 的に若い劇 作 家や演 出 家の育 成 に力を注ぎ、2018年 7 月に上演したソーニャ・ケリー( Sonya Kelly)の 『 家具( Furniture)』が知的で軽妙な喜劇として好評を博し、今年は これまでに国内 13カ所で上演されている。 142

アイルランドの演 劇 界は不 況に強く、昨 今は劇 場 運 営の刷 新と共 に、観 客 層の若 返りも見られる。伝 統 的な演 劇に安 定した成 果が見 られる一 方 、2016年 以 降に顕 著となった女 性の表 象の活 性 化や多 領 域 横 断的アダプテーションの増加は、 アイルランド演 劇 界で今 後も 続くと思われる。 さかうち・ふとし 早稲田大学文学学術院教授(現代アイルランド演劇、身体表象論)。アイルランド国立大学ダ ブリン校でPhD取得。論文:‘Not I in an Irish Context ’in Samuel Beckett Today / Aujourd'hui, Borderless Beckett.(Amsterdam-New York: Rodopi, 2008)、訳書:デクラ ン・カイバード 『アイルランドの創出』 ( 水声社、2018) など。


ニコラス・シュテーマン演出『ファウスト第一部+第二部』 (チューリヒ劇場)©Zoé Aubry

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[ドイツ/オーストリア/スイス]

せ めぎ 合 い を 続 け る 、 多 文 化 共 生 へ の 反 発と賛 意 萩原 健 ドイツでは、2021年に首相を退くメルケルの、権力移 譲 準 備ともとれ る動きが進む。2019年 7 月、欧 州 委員会の次 期 要 職 候 補が選 出さ れ、次 期 委員長にはドイツ与 党 CDU(キリスト教民 主 同 盟 )のドイツ 国防相、 フォン=デア=ライエンが就 任する運びとなり、空 席となる国 防 相ポストには、現 CDU党 首クランプ=カレンバウアーが着 任 。一 方 、 連 立 政 権 第 2 党の SPD( 社民 党 )は、CDUとの大 連 立を組むなか で独自色を失い、支 持 率を落として退 潮 、6 月に党 首ナーレスが辞 世界の舞台芸術を知る

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任した。 また全 国 的にみると、政 権 与 党のこの 2 党とも、従 来の支 持 者が離れ始めている。代わって支 持 率を伸ばしているのが、緑の党 をはじめとする複 数の中 規 模 政 党だが、反 移 民・反 EUを旗 印にす る極 右の Af D(ドイツのための選 択 肢 )の伸 長が際 立つ。9 月に行 われた旧東 独 2 州の州 議 会 選では、各 州で CDUとSPDがそれぞれ 第 1 党を守ったものの、両州で AfDが第 2 党に躍り出た。 反移民の傾向と極右 上 記のような動きとの関 連でまず触れたいのは、2019年 10月に東 京でも上 演された、ベルリン・シャウビューネ劇 場( Schaubühne)制 作、 トーマス・オスターマイヤー( Thomas Ostermeier)演 出の『 暴力 の歴 史( Im Herzen der Gewalt)』だ( 2018年 6 月初 演 )。原 作は 144

仏作家エドゥアール・ルイ ( Édouard Louis)の同名の小説『 Histoire

de la violence 』 ( 2016 )で、同 時 代フランスの反 移民の世 相や、 さま ざまに異なる立 場の人々( 移民か否か、同 性 愛 者か否か等 ) それぞ

エドゥアール・ルイ原作、 トーマス・オスターマイヤー演出『暴力の歴史』 (シャウビューネ劇場) 撮影:Arno Declair


れの不 安を浮き彫りにする。隣 国ドイツでも、上 述の社 会 的 背 景から、 同様の関 心が高いと思われる。 なお主演の一人、 ラウレンツ・ラウフェ テアーター・ホイテ

「 今日の演 劇 ンベルク( Laurenz Laufenberg )は、2019年 8 月末 、 ( Theater heute)」誌( 以 下「 Th」誌 )の 2018 /19シーズン最 優 秀 若 手俳 優に選ばれた。

反 移 民の世 相ということでは、2019年 5 月の南ドイツ新 聞によるス クープも思い起こされる。 オーストリアの連 立 政 権 第 2 党だった極 右

FPÖ(自由党 )の党 首(当時 )シュトラーヘによる、 ロシア財 閥 関 係 者 への利 益 供 与に関する言 動を映した隠しカメラ映 像が公 開された との連 立 政 権は解 消さ のだった。追って中 道 右 派 ÖVP( 国 民 党 ) れ、9 月に総選挙が行われたが、 それでもFPÖは第 3 党にとどまり、10 月にはあらためてÖVPとの連 立 協 議に入った。 オーストリアの右 派が 145

なお根 強いことがうかがえる。 そのオーストリアの 劇 作 家 エルフリーデ・イェリネク( E l f r ie de

Jelinek )の作 品が、前 年に続き、 「 Th」誌のシーズン最 優 秀 戯 曲 だった。受 賞 作『 雪 白( Schnee Weiss)』 ( 2018 年 12月、 ケルン初 演 )執 筆の契 機は、 オーストリアのスキー界でのセクシュアルハラスメ ントだったと伝えられる。同 国のスキー場で起きたある事 故とその後 の展 開をめぐる、読 者 / 観 客のモラルに呼びかける告 発 的な内 容 で、表 題 中の語「 Weiss」は「 白 」を意 味すると同 時に、動 詞「 知る

wissen」の三 人 称 単 数 形「 weiss」と同じ発 音なので、表 題は『 雪は 知っている』 とも読める。 シュトラーヘ事 件と直 接の関 連はないが、モ ラルに反する行いは必ず誰かの知るところとなる、 という指 摘の点で、 当の事 件を連 想させられる。

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劇場での多文化共生 一方、 「 Th」誌が今 回のシーズン最 優 秀 劇 場に選んだのはミュ ンヒナー・カンマーシュピーレ( Münchner Kammerspiele)だった。

2018年を回 顧した昨 年の拙 稿でも触れたように、同 劇 場の活 動は、 三つの委嘱作品を手がけた岡田利規等、作り手たちの国籍が多様 であること、および、演 出 家ケネディ ( Susanne Kennedy)の作 品をは じめ、多 言 語での、 ないしジャンル横 断 的な制 作が多 数あったことで 際 立っていた。 ドイツ語 圏 演 劇 界での数々の常 識 破りが痛 快に受け とめられたと言っていいかもしれない。 常 識 破りということでは、 「 Th」誌シーズン最 優 秀 上 演に選ばれ た、同 劇 場 制 作 、 クリストファー・リューピング( Christopher Rüping) 演 出の『ディオニュソス・シティ ( Dionysos Stadt )』はまさにそれだ 146

( 2018年 10月初 演 )。5 月の〈ベルリン演 劇 祭「テアータートレッフェ ン( Theatertreffen)」〉でもノミネートされた同 作の上 演 時 間は、3 回 の休 憩を含んで 9 時 間 半にわたる。複 数の古 代ギリシャ戯 曲の、設 定や登 場 人 物 、 テクスト が 現 代 風にアレンジさ れ 、俳 優 たちは 、客 席 が取り払われた劇 場 空 間 内を、来 場 者の間を 回 遊するように動きなが ら演 技した 。一 種 の 祝 祭、 あるいは今 風に言う ところの〈パーティー〉に、 来 場 者は立ち会うもの と位置づけられていた。 クリストファー・リューピング演出『ディオニュソス・シティ』 (ミュンヒナー・カンマーシュピーレ)©Julian Baumann


あるいは近 年のミュンヒナー・カンマーシュピーレの、多 様 性を体 現 するレパートリーの別の例として、やや遡るが、 ラビア・ムルエ( Rabih

Mroué)構 成・演 出の『 歓 喜の歌( Ode to Joy)』 ( 2015年 10月初 演 )を挙げたい。劇 場のあるミュンヘンでの五 輪( 1972)で起きたイ スラエル選 手 団に対するテロ事 件を、 レバノン出身のムルエがパレス ティナ側から描く同 作は、2019 年 3 月の東 京で、 ムルエ出 演のレク チャー・パフォーマンスとして接する機 会があった( 芸 術 公 社による 〈シアター・コモンズ〉での催しの一つ)。 同 作を始め、 この数 年 間のミュンヒナー・カンマーシュピーレは、多 文 化 共 生を強く印 象づける活 動を展 開してきた。本 稿の始まりに記 した、劇 場 外の一 連の出 来 事の逆を行く傾 向であり、 もしかすると、 ノ ーベル平 和 賞がしばしばそうであるのと同 様 、不 穏な世 相に対する 147

メッセージとして、 「 Th」誌は同 劇 場を今 回のシーズン最 優 秀 劇 場

ラビア・ムルエ構成・演出『歓喜の歌』 (ミュンヒナー・カンマーシュピーレ)©Judith Buss

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に選んだのかもしれない。 ところで、 このミュンヒナー・カンマーシュピーレの芸 術 監 督マティア ス・リリエンタール( Matthias Lilienthal)は言わずもがなだが、同 様 、 多 文 化 共 生の考え方に寛 容と見られる芸 術 監 督・演 出 家たちの動 きも目を引く。 例えばスイス・チューリヒ劇 場( Schauspielhaus Zürich)の新 芸 術 監 督ニコラス・シュテーマン( Nicolas Stemann)だ。ベンヤミン・フォ ン・ブロームベルク( Benjamin von Blomberg ) との双 頭 体 制で始 シュテーマンの代 表 作『ファウ まった 2019年 9 月のシーズン開 幕は、 スト第 一 部+第 二 部( Faust 1 + 2 )』が新キャストで上 演され( 第 一 部は 2014 年 4 月、静 岡 芸 術 劇 場でも公 演 )、人 造 人 間ホムンク ルスほかの役を原サチコが務めた( 原はシュテーマンと同じく今 季よ 148

り、ハンブルク・ドイツ劇 場[ Deutsches Schauspielhaus Hamburg ] から移 籍 )。 また原と繰り返し協 働 作 業を行ってきた劇 作 家・演 出 家ルネ・ポレシュ( René Pollesch)が、6 月、ベルリン・フォルクスビュ ーネ( Volksbühne Berlin)の新 芸 術 監 督( 2021/ 22シーズンから) に選ばれたことも大きな話 題だった。同 劇 場を約 四 半 世 紀 率いたフ ランク・カストルフ( Frank Castorf)が 2017年に退いたのち、 ロンドン の現 代 美 術 館テイトモダンから移った後 任のクリス・デルコン( Chris

Dercon)が、一シーズンも経たない 2018年 4 月に辞 任を表 明 、その 後の活 動が不 安 定だったフォルクスビューネがようやく落ち着きを見 せた印 象だ。 加えて、2019年 2 月の TPAM( 国 際 舞 台 芸 術ミーティング in 横 浜 )には、 これも多 文 化 共 生ないし多 様 性を旨とする国 際 舞 台 芸 術 祭〈 世 界 演 劇 祭( Theater der Welt)〉 ( 次 回はデュッセルドルフで

2020 年 5 月に開 催 予 定 )のプログラム・ディレクター、シュテファン・


ニコラス・シュテーマン演出『ファウスト第一部+第二部』 (チューリヒ劇場)原サチコ ©Zoé Aubry

シュミットケ ( Stefan Schmidke)が参 加 。 また 5 月の〈ウィーン芸 術 週 149

間( Wiener Festwochen)〉では、新 芸 術 監 督クリストフ・スラフマイル ダー( Christophe Slagmuylder)が手がけるラインナップの中で、チェ スラ ルフィッチュの『 三月の 5 日間 リクリエーション』が公 演された。 フマイルダーはベルギーの国 際 芸 術 祭〈クンステンフェスティヴァルデ ザール( Kunstenfestivaldesarts)〉の元 芸 術 監 督で、 『 三月の 5 日 間 』欧 州 初 演を実 現させ、チェルフィッチュを世 界へ羽ばたかせたそ の人である。

観客/ノンプロフェッショナルの参加 多 文 化 共 生・多 様 性との関 連では、プロの俳 優ではない演じ手 を活 用した作 品にも触れたい。例えば 先 述したベルリン演 劇 祭の オラトリオ

別のノミネート作 品 、 シー・シー・ポップ( She She Pop)の『 聖 譚 曲 ( Oratorium)』だ。 メンバーの親たち本 人が出 演した『 遺 言 / 誓 約

( Testament)』 ( 2011年にKAAT 神 奈 川 芸 術 劇 場でも公 演 )ほか 世界の舞台芸術を知る

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の内 容にも通じて、遺 産や所 有( 物 )を主 題とし、観 客が舞 台 後 景 のスクリーンに映る字 幕を音 読して一 種の〈コロス〉 として上 演に参 加 、自分自身の遺 産や所 有 物について考えることが促される仕 掛け だった。 もう一つの注目作 品は、2019年 8 月に愛 知 県 芸 術 劇 場で上 演さ 『 5つ れた、 スイスの演出家ミロ・ラウ ( Milo Rau)の構 成・演出による のやさしい小 品( Five Easy Pieces)』だ( 2016 年 5 月、 クンステンフェ スティヴァルデザールで初 演 、ベルギー・ヘント市の劇 場 CAMPO制 作 )。ベルギーで実 際に起きた連 続 少 女 監 禁 殺 人 事 件を素 材とし、 捜 査の展 開を、 プロ俳 優ではない少 年 少 女がワークショップの体で 劇中劇のように演じ、 それと並行して、 しばしば背後のスクリーンに、成 年の俳優たちが演じる同じ場面を示すという演出で、ベルギーの多く 150

の人々が記 憶する殺 人 事 件を手がかりに、同 国をなお悩ませる数々

シー・シー・ポップ『聖譚曲』 撮影:Benjamin Krieg


の社会的課題を丹念に抉り出してみせる手続きは、 〈 政治殺人国際 研究所( IIPM)〉代表でもあるラウの面目躍如たるところだった。 ところで、同 作は国 際 芸 術 祭〈あいちトリエンナーレ〉の催しの一 つとして 8 月第 一 週の週 末に上 演された。 そしてまさにこの週 末 、同 芸 術 祭の展 示の一つ「 表 現の不自由 展 、 その後 」をめぐって、会 場 / 劇 場を訪れない、鑑 賞 者 / 観 客ならざる 〈 鑑 賞 者 / 観 客 〉が、展 示の一 部 作 品を〈 反日的 〉だととらえ、電 凸や座り込みといった抗 議 活 動で、現 在 進 行 形の〈 制 作 〉に〈 参 加 〉 した。思い出されるのは、

2000年のウィーン芸 術 週 間で上 演されたクリストフ・シュリンゲンジー フ ( Christoph Schlingensief )構 成・演 出の『 外 国 人よ、出ていけ! ( Ausländer raus! )』だ。同 作はオーストリアでの難 民・移 民 排斥の 動きを主 題とし、 テレビ番 組『ビッグブラザー( Big Brother)』の形 式 151

─ 知らない人 同 士で共 同 生 活をさせ、中継し、視 聴 者が人 気 投 票をする─を模して、国 立 歌 劇 場 脇にコンテナを置き、 その中で過 ごす実 際の難 民申 請 者の様 子を中 継し、投 票で不 人 気だった者 から国 外 退 去にするといった内 容で、記 録 映 像では、 コンテナの前 に立つシュリンゲンジーフに対し、通 行 人が反 移民の差 別 発 言を展 開した。作 品そのものだけでなく、作 品をめぐる出 来 事が新たな作 品 と化した構 図は、今 回の〈あいちトリエンナーレ〉での出 来 事に驚くほ ど似ている。 日本の少なくない数の人々が、 ドイツの Af Dやオーストリ アの FPÖの支 持 者に似て、自分のナショナル・アイデンティティーを揺 るがすと感じられる動きに対して著しく不 寛 容である、 という現 状が可 視化された〈 観 客 参加〉だった。 最 後に、観 客の語に関 連して、戯 曲『 観 客 罵 倒( Publikumsbe

schimpfung)』 ( 1966 )で知られる劇 作 家・小 説 家ペーター・ハントケ ( Peter Handke)のノーベル文 学 賞 受 賞を挙げておく ( 10月)。ただ 世界の舞台芸術を知る

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しユーゴスラビア内 戦 時のセルビア擁 護 発 言が問 題 視され、受 賞に ついては賛否両論が極めて激しかった。 またハントケが脚 本を担当し たヴィム・ヴェンダース ( Wim Wenders)監 督の映 画『ベルリン、天 使 の詩( Der Himmel über Berlin)』 ( 1987)に主 演したブルーノ・ガ ンツ ( Bruno Ganz)が 2 月に逝去、7 月には振付家ヨハン・クレスニク ( Johann Kresnik)が鬼 籍に入った。 はぎわら・けん 明治大学国際日本学部教授。専門は現代ドイツ語圏の演劇・パフォーマンスおよび関連する 日本の演劇・パフォーマンス。著書に『 演出家ピスカートアの仕事 』 ( 2017年、森話社)、共訳 にフィッシャー・リヒテ『パフォーマンスの美学』 ( 2009年、論創社) ほか。

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マーティン・クリンプ作、 ダニエル・ジャンヌトー演出『あとは映画でご存じ』 © Christophe Raynaud de Lage 写真提供:アヴィニョン演劇祭

[フランス]

消 えな い 不 穏 な 空 気 明 日 へ の 起 爆 剤となるか 藤井 慎太郎

2018年 、パリ市 立 劇 場( Théâtre de la Ville)は創 設から50周 年 を迎え、 日仏 修 好 通 商 条 約から160 周 年となる節目の年に、 ジャポ ニスム2018( Japonismes 2018)が大 規 模に開 催された。2019年に は、1669年にルイ14世の勅 令によって王 立 音 楽アカデミーとして創 設されたパリ・オペラ座( Opéra national de Paris)が 350周 年を迎 え、 オルセー美 術 館で 2019年 9 月から開 催されている「オペラ座のド 世界の舞台芸術を知る

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ガ( Degas à l'Opéra)」展が多数の来場 者を集めている。2019年は また文 化省創設から数えて60周年でもあった。 だが、 いささか祝 祭 感には乏しいといわねばなるまい。2018年には 五月革 命から50年が過ぎたが、半世紀前の高 揚 感を欠いたまま、社 会には不 穏な空 気が立ちこめている。 フランスを標 的としたテロは、落 ち着きつつあるようにも見えていまだ 予 断を許さず、文 化 施 設 入 口 での手 荷 物 検 査は日常と化した。 ジレ・ジョーヌ ( Gilets jaunes、 「黄 色いヴェスト」)によって、2018年 11月 17日から ( 波はあれど)大 規 模 に繰り返されている毎 週 土 曜日の抗 議 活 動に加えて、2019 年 秋に 年 金 制 度 改 革の方 向 性が示されると、 これまた大 規 模な抗 議 運 動 が起こり、公 共 交 通も前 例なき長 期ストライキが続き、劇 場 界にも深 刻な影 響を及ぼした。特 別な年 金 制 度を持つコメディ=フランセーズ 154

( Comédie- Française)やパリ・オペラ座でもストライキによる公 演 中 止が相 次いでいる。 そんなところに届いたのはフランス演 劇 界の巨 匠 クロード・レジ( Claude Régy)の訃報であった( 2019年 12月26日)。 文化政策 観客政策・価格政策の観点から

2018年 10月、フランソワーズ・ニッセン( Françoise Nyssen)の後 任 としてフランク・リエステール( Franck Riester)が文 化 大 臣に就 任し、 文 化に詳しい大 物 政 治 家の久々の起 用となった。 しかし、新 大 臣の 下での主 要 施 策は、後 述するパス・キュルチュール( Pass Culture) の試 験 的 導 入 、 ノートルダム大 聖 堂の火 災( 2019 年 4 月) を受けた 文 化 財 保 護の充 実のほかは、政 府 支 出の効 率 化が相 変わらず求 められていることも手 伝って、現 在のところあまり野 心 的とはいえないも のにとどまっている。 デフレから抜け出 せない日本とは対 照 的に、 インフレが 続いたフ


ランスでは、劇 場 入 場 料についても正 規 料 金 の 値 上げが 相 次い できた。パリ市が 運 営するサンキャトル( Centquatre ; 一 部 作 品の 正 規 料 金 は 25€ や 28€ だが 、大 半 は 18€ ないし20€ )、ボビニー

MC93( Bobigny MC93 ; 正 規 料 金 25€ )やポンピドゥー・センター ( Centre Pompidou ; 舞 台 芸 術プログラム18€ )のように比 較 的 低 廉な水 準に価 格が設 定された劇 場・文 化 施 設も残るものの、パリ・オ ペラ座ではオペラの正 規 料 金がワーグナー作 品で最 大 280 €(その ほかの作 品は 180 € )、バレエについては最 大 140 € 、 コメディ=フラン セーズの正 規 料 金が最大 42 €などと高止まりしている。 このままでは「 文 化の民主 化 」 「あらゆる人のための文 化 」を実 現 するという公 的 資 金 投 入の大 義 名 分さえも危うくなるところであって、 観客 育 成のためにメリハリをつけた施策が見られるようになってきた。 155

マクロン大統領肝いりの政策である18才の若者向けの「パス・キュ ルチュール」 ( 500 €を書 籍 、舞 台・コンサート、音 楽ストリーミングなど への支 出にあてることができる)の試 験 的 導 入が進み、2019年 6 月 には 14県の 15万 人( 最 終 的には 80万 人 )が対 象となったことが報じ られた。 複 数 作 品を先 行 予 約すると料 金を割り引くアボヌマン制 度 、若 者 や失 業 者 、 障 碍 者に対する割引制度はかねてより存在してきたが、近 年では正 式な初日 ( la première)の前に格 安に作 品を見ることがで パリ・オペ きるプレヴュー( avant- premières)公 演が増 加しつつある。 ラ座では、2015年から28 才 以 下( 2019年シーズンの場 合 、1991年 1 月 1 日以 降の出 生 ) は一 律 10 €という破 格の価 格を設 定している (ま た、週 末 公 演は10%割 増になる代わりに、一 部 平日公 演は割 安に設 定されている)。全 作 品ではなく、2019/ 20 年シーズンの場 合で全 10 公 演のみであるが、観 客の 60%ははじめてオペラ座に足を運ぶ観 客 世界の舞台芸術を知る

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だといい、 かなりの成 果を生んでいるといえよう。同じく、国 立オデオン劇 でも、 場( Théâtre national de l'Odéon ; 正規料金最大 40€ / 36€ ) 数 週 間にわたって上 演される作 品の最 初の 2 公 演については、 すべ ての観 客を対 象にすべての席 種で半 額となる。 また、 ボビニー MC93 では、映 画 館における同 様の無 制 限パス制 度 、 インターネット上でよく を10か 見られるサブスクリプション制 度に倣って、 月額 12 €( 割引 7 € ) 月間 支 払うと全 作 品が見 放 題となるパスを設けている (この金 額のな かで、 同じ作品を 2 回、3 回と見ることも空席があれば認められている)。 国立劇場・文化施設 国 立 劇 場のディレクターの顔ぶれは前 年と変わりがなかった。 コ メディ=フランセーズでは、2014 年から総 支 配 人を務めるエリック・ 156

ルフ( Éric Ruf )の任 期がさらに 5 年 間 延 長されることが発 表され た( 2019年 7 月)。 その 2018年シーズンでは、 イヴォ・ヴァン・ホーヴェ ( Les Damnés)』再 ( Ivo Van Hove)演 出『 地 獄に堕ちた勇 者ども 演、 トーマス・オスターマイアー( Thomas Ostermeier)演 出『 十 二 夜 ( La Nuit des rois)』などが人気を集めた。 国 立オデオン劇 場では、 ステファン・ブランシュヴェーグ( Stéphane

Braunschweig )の下 、カフカ原 作 、クリスティアン・ルパ( Krystian Lupa )翻 案・演 出『 審 判( Proces )』、カロリーヌ・ギエラ・グェン ( Caroline Guiela Nguyen)演 出『 サイゴン( Saïgon)』の再 演など がプログラムされた。 ワジディ・ムアワッドとも)が率 ワジディ・ムワワド ( Wajdi Mouawad、 いるラ・コリーヌ国立劇場( La Colline, Théâtre national)では、 ムワ ワド作・演出の新旧作 品のほか、 カメルーン出身の作 家レオノーラ・ミ アノ ( Léonora Miano)のテクストを宮 城 聰が演 出した意 欲 作『 顕れ


( Révélation)』、 アンヘリカ・リデル( Angélica Lidell、 アンジェリカ・リ デルとも)などをプログラムしている。 ( La ディディエ・フュジリエ( Didier Fusillier)が率いるラ・ヴィレット

Grande Halle et du Parc de la Villette)では、ジャポニスム2018の 一 環であるチームラボ( teamLab)の展 覧 会や宮 城 聰『マハーバー シルク・プリュム( Cirque Plume)、ヤ ラタ( Mahabharata)』のほか、 ン・ファーブル( Jan Fabre)、 アラン・プラテル( Alain Platel)、 ヴァン・ ホーヴェらの大 物の作品が揃った。

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レオノーラ・ミアノ作、宮城聰演出『顕れ』© Simon Gosselin

パリ市立劇場とその他の公共劇場 シャトレ劇 場( Théâtre du Châtelet)は 2 年 間の改 修 工 事を終え て2019年秋に再オープンを果たした。 だが、 シャトレ広場を挟んで、パ リ市 立 劇 場の主 劇 場は相 変わらず工 事 休 館が続く。アスベスト除 世界の舞台芸術を知る

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去に時 間がかかり、再オープン予 定が 2018 年から大 幅にずれ込ん そのために市 立 劇 場は「 壁 で現 在では 2021年 初 頭とされている。 外( hors les murs)」プログラム(自劇 場ではない劇 場や文 化 施 設 を使 用した公 演 活 動 )を展 開し、劇 場 監 督のエマニュエル・ドゥマ ルシー=モタ( Emmanuel Demarcy-Mota)のほか、 アンヌ・テレサ・ ヴァン・ホー ドゥ・ケースマイケル( Anne Teresa De Keersmaeker)、 ヴェ、 オスターマイアー、 マギー・マラン ( Maguy Marin)などのビッグ・ ネームが今年も名を連ねた。 ボビニー MC93も改 修 工 事 期 間 中( 2015~ 2017)、 セーヌ=サン ドゥニ県 全 体の施 設を利用して壁 外プログラムを展 開したように、立 地する自治 体の全 域で文 化 施 設が活 動を展 開することは、文 化 政 策の目的にもかなったことであるし、今日では、 それ以 外の劇 場にも劇 158

場の「 壁 」を超えた連 携が増えつつあることが注目される。制 作 主 体 と責 任の所 在がわかりにくくなる危 険を冒しても、作 品に最も適した 上演空間を選び、複数の劇場の予算と顧客層を活用できることが大 きいと思われる。

2014 年からナンテール=アマンディエ劇 場( Théâtre NanterreAmandiers)のディレクターを務め、刺 激 的なプログラムを組み続け てきたフィリップ・ケーヌ ( Philippe Quesne)だが、3 期目となる任 期 延 長を求めず、2020 年 末をもって退く意 思を表 明した( 2019 年 7 月)。地 元のナンテール市 長との折り合いの悪さが第 一の理 由に挙 げられるが、 ケーヌの怒りは指 導力を発 揮しない/できない文 化 省に も向けられた。 しかも、公 共 劇 場のディレクターが最 大 10 年と定めら れた任 期を全うできなくなる例はこれが初めてではない。モンペリエ 国 立 演 劇センター( Centre dramatique national de Montpellier) のディレクターであったロドリゴ・ガルシア( Rodrigo García)は、地 元


自治 体の支 援が充 分でないことを理 由に 2018 年 1 月以 降の任 期 延 長を求めないことを表 明したし ( 2016 年 10月)、2014 年からニース 国 立 演 劇センター( Centre dramatique national de Nice)のディレ クターを務めるイリーナ・ブルック( Irina Brook) も、劇 場 監 督と芸 術 家の両 者を両 立させようとした末に疲 弊したことを理 由として、2 期 目の任 期を全うせず 2019 年 6 月をもって退くことを発 表した( 2018 年 10月)。マリ=ジョゼ・マリス( Marie- José Malis)が 2014 年から ディレクターを務めるラ・コミューン劇 場( La Commune — Centre

dramatique national d'Aubervilliers)では、皮 肉にも、演出家の中 でも最 左 翼といえるマリス ( 観 客 動員を第 一の目標としないことを謳っ たり、難民 危 機の際には難民を一 時 的に劇 場に受け入れたりした) の下 、労 使 対 立が解消せずにいる。 159

不 穏な空 気が漂う演 劇とは対 照 的に、現 代ダンスについては実 験 的な複 数 指 導 体 制が導 入され、 より前 向きなかたちで世 代 交 代 が進んでいるように見 受けられる。サーカス・アーティストであるヨアン・ ( Rachid ブルジョワ ( Yoann Bourgeois)が振付家ラシッド・ウランダン

Ouramdane )とともに、ジャン=クロード・ガロッタ( Jean- Claude Gallotta )の 後 任としてグルノーブル国 立 振 付センター( Centre chorégraphique national de Grenoble)のディレクターに就 任してい る ( 2016 年 1 月)。 さらに、3 期 10年の任 期を務めた後 、 オー・ドゥ・フ テ

ランス地 域 圏の支 援を得て新しいプロジェクトTerrainを立ち上げる ことになったボリス・シャルマッツ( Boris Charmatz)の後 任として、8 フ

人のアーティストからなる集 団 FAIR[ E ]が、 レンヌ・ブルターニュ国 立振 付センター( Centre chorégraphique national de Rennes et de

Bretagne)のディレクターに2019年 1 月から就 任することが発 表され た( 2018年 5 月)。 世界の舞台芸術を知る

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フェスティヴァル

2018年 秋 冬のフェスティヴァル・ドートンヌ( Festival d'Automne à Paris)は、ジャポニスム2018( 2018年 5 月~ 2019年 2 月)に参 加した 現 代 舞 台 芸 術 作 品の大 半である10 作 品がフィーチャーされたこと がとりわけ目を引いた。 「ポートレート」プログラムとしては、2018年はア ンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケル特 集が組まれ、13 作 品が一 挙 上 演 ティージースタン

された。ベルギーの tg S TAN、英 国のフォースト・エンターテインメント ( Forced Entertainment)、 カナダのロベール・ルパージュ( Robert

Lepage)、ポーランドのルパ、ポルトガルのティアゴ・ロドリゲス( Tiago Rodrigues)ら、世 界の実 力 派が 再び顔を揃えるとともに、ジュリア ン・ゴスラン( Julien Gosselin)、 シルヴァン・クルーズヴォー( Sylvain

Creuzevault)、ジョリス・ラコスト ( Joris Lacoste) らのフランスの若 手も 160

存 在 感を示した。

2019年 7 月のアヴィニョン演 劇 祭( Festival d' Avignon)は複 数 形の「オデュッセイア( Odyssées)」をテーマに掲げ、移 住と旅を主 題 に据えた作 品を通じて、 近 年 の 移 民・難 民 の 問題、 そして(ギリシアと ローマに起 源を持 つと される)ヨーロッパのア イデンティティを問い 直 す作 品が多くプログラム された 。 その 中でもクリ スティアーヌ・ジャタイー ク ( Christiane Jatahy、 リスティアヌ・ジャタヒー クリスティアーヌ・ジャタイー演出『あふれる現在 私たちのオデュッセイアII』 © Christophe Raynaud de Lage 写真提供:アヴィニョン演劇祭


とも)が 演 出した『 あふれる現 在 私たちのオデュッセイア( II Le

Présent qui déborde : Notre Odyssée Ⅱ)』 ( 2020年 4月の SPAC での公 演タイトルは『 終わらない旅 ~われわれのオデッセイ~ 』)、 キ リル・セレブレンニコフ( Kirill Serebrennikov)演 出『アウトサイド ( Outside)』 ( 2020年 5 月の SPACでの公 演タイトルは『 OUTSIDE -レン・ハンの詩に基づく』)、 マーティン・クリンプ( Martin Crimp)作 、 ダニエル・ジャンヌトー( Daniel Jeanneteau)演出『あとは映画でご存 じ ( Le reste vous le connaissez par le cinéma)』は秀 逸であった。 フ リンジであるアヴィニョン・オフは参加作品が 1,600近くに達した。

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キリル・セレブレンニコフ演出『アウトサイド』© Christophe Raynaud de Lage 写真提供:アヴィニョン演劇祭

日仏関係

2018 年は、ジャポニスム2018の大きな成 功がまずは特 筆される。 1858年に両 国の国 交が開かれて1867年のパリ万 博に江 戸 幕 府が 参 加したことがひとつの契 機となって、 ジャポニスムの大きなうねりが 生まれ、1920 年 代には劇 作 家・詩 人でもあった駐日大 使ポール・ク 世界の舞台芸術を知る

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ローデル( Paul Claudel) を介して、東京に日仏 会 館( 1924)、京 都に フランスとの関 係においては 日仏 学 館( 1926)が創 設されたように、 他 国にもまして文 化が大きな役 割を果たしてきた。 そうした素 地があ る上に、35億円ともいわれる大 規 模な予 算が集中的に投じられ、 シャ イヨー国 立劇場( Théâtre National de Chaillot)、 ポンピドゥー・セン ター、 ラ・ヴィレット、音楽都市( Cité de la musique)、パリ市 立 劇 場 、 ジュヌヴィリエ劇 場( Théâtre de Gennevilliers)などの主 要 劇 場で多 くの作 品が上 演されたことで、 日本 演 劇の可 視 性が格 段に増したこ とは確かである。 ジャポニスム 2018とラ・セゾン( L a Sa ison ; ディアーヌ・ジョス [ Diane Josse]をディレクターに迎えて 2021年に日本で開 催 予 定 のフランス文 化 紹 介・交 流 事 業 )の間をつなぐかのように、2019 年 162

の京 都 賞を太 陽 劇 団( Théâtre du Soleil)を1964 年の創 設 以 来 率いるアリアーヌ・ムヌーシュキン ( Ariane Mnouchkine)が受 賞する ことが発 表された( 2019 年 6 月)。2018 年に演 出にルパージュを迎 えて上 演した『カナタ-エピソード I -論 争( Kanata — Épisode I —

La Controverse)』が「 文 化の盗用( appropriation culturelle)」を めぐって論 争を呼び、太 陽 劇 団はカナダ芸 術 評 議 会から受けられな かった助 成 金を肩 代わりするかたちで、多 額の費 用負担を強いられ たともいわれ、今 回の受 賞( 賞 金 1 億 円 )は大きな救いになったにち がいない。 しかも、太 陽 劇 団の次 作は『 堤 防の上の鼓 手( Tambours

sur la digue)』についで、日本に着 想を得た作 品になるともいわれて いる。 いくつもの意 味で時 宜にかなった今 回の受 賞が今 後の展 開に どうつながっていくか、見守りたい。


ふじい・しんたろう 早稲田大学文学学術院教授(演劇学、文化政策学)。主な著書に監修書『ポストドラマ時代 の創造力』 (白水社、2014年)、共訳書『演劇学の教科書』 ( 国書刊行会、2009年)、共編著 『演劇学のキーワーズ』 ( ぺりかん社、2007年) など。戯曲翻訳に、 ワジディ・ムワワド作『炎 ア ンサンディ』 (シアタートラム・2014/2017年、小田島雄志・翻訳戯曲賞受賞)、 『 岸 リトラル』 (同・2018年) など。2018年度はサバティカルを取得し、パリに 1 年間滞在した。

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サノス・パパコンスタンティヌゥ演出『エレクトラ』 (ギリシャ国立劇場) 撮影: Elina Giounanli

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[ギリシャ]

財 政 危 機 から10 年 目 の 古 代 劇 山形 治江

1 年で最も重要な活動期間 ギリシャの 1 年 間の演 劇 活 動は 3 分 割される。第 1 期は、10月半 ばに始まる新シーズンで翌 年 3 月初めにほぼ終了する。古 典 劇や国 内 外の現 代 劇が上 演され新 作が披 露される期 間だ。3 月から 5 月 の第 2 期は、主にロングランの舞 台が継 続 上 演され、 それ以 外の劇 場は休 業し夏の興 行 準 備に入る。 そして第 3 期 、6 月から 9 月末こそ、 ギリシャ演 劇 界が真 骨 頂を発 揮する重 要な活 動 期 間だ。本 土から 島に至るまで、ギリシャ各 地の野 外 劇 場が次々に開 場し、国 公 立も


私 立も、多くの劇 団が全 国 巡 業を開 始する。夏 期 公 演の最 大の人 気 演目は古 代 劇であり、 その上 演の頂 点に立つのがエピダウロス古 代劇 場である。 山 深い聖 域に前 4 世 紀に建てられたこの劇 場は、直 径 約 20mの 土 間の円形 舞 台と14,000人を収 容する客 席を有する。1988年に世 界 遺 産に登 録されて以 来 、重 量や使 用 頻 度に制 限がかけられ、現 在では上 演は 16日間 、1 回の入 場 者 上 限は 1 万 人とされている。 こ の規 定のもと、夏の 8 週 間 、毎 週 金 土の 2 回 公 演で 8 本の古 代 劇 が上 演される。参 加 団 体はギリシャ国 立 劇 場( 悲 劇・喜 劇 各 1 本 ) と北ギリシャ国 立 劇 場が固 定 枠で、残り 5 枠をその他の劇 団が競 合する。上 演 団 体を選ぶのは政 府 機 関である夏 期 芸 術 祭の実 行 委 員 会だが、選 抜 理 由と経 緯は一 切 公 表されない。基 準があると 165

すれば、劇 団・演出家・主 演 俳 優・演目のいずれかで知 名 度があり、 集客が見 込めることだろうか。

8 演目に共 通テーマは特にない。だが不 思 議なことに、その年に 選 ばれた 舞 台を概 観 すると、ギリシャの 現 状 が 浮 かび 上 がってく る。委員会が選ぶ以 前に、作り手自らが社 会の空 気を鋭 敏に察 知 し、44本という限られた現 存 作 品の中から、 「 今 」と同 調した、あるい は「 今 」を象 徴する作 品に感 応して演目を選んでいるかのようだ。約

2400年 前の演 劇なのに、なぜそれが可 能なのか。背 景には台 本の 現代 語 訳の自由化の歴史がある。 古 代 劇を「 生きた演 劇 」として継 承するため、1903年 、ギリシャ人 は原 語や、擬 似 古 代 語である文 語( katharevusa)による上 演を止 め、現 代口語( dimotiki)による翻 訳 上 演の道を選び取った。 その上 演方 針は 1955年の「エピダウロス祭( Epidaurus Festival )」創 設 以 後さらに拍 車がかかり、公 演ごとに新 訳が登 場することもめずらしくな 世界の舞台芸術を知る

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GREECE

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くなった。時 代の息 吹に合 致した言 葉は自然に「 今 」を映し出す。 こ うして次 第に、古 代 劇は、時 代を超えた文 化 遺 産である以 上に、今 現 在のギリシャの社 会 状 況や国 民 感 情を映し出す現 代 的な劇とし て独自に発 展することになった。 そのため、ギリシャ人 観 客か、ギリシ ャ事 情に通じた観 客しか察 知できない演 出 意 図を含む舞 台も少な くない。 本 報 告は、2019年 夏の古 代 劇 公 演を主 軸に据えているが、 その 活 動は 2018 年からの流れの中で意 味を成す。 そこで、2018 年の状 況を記すとともに、2019年に胎 動しつつある情景を伝えたいと思う。 古代劇から見える現代ギリシャの今

2018年の夏は記 録 的な熱 波による災 害が世 界中で発 生した。ギ 166

リシャでも、7 月 23日にアテネ近 郊のリゾート地マティで大 規 模 火 災 が起こった。異 常 高 温で極 度に乾 燥した強 風に煽られ、約 100分 間 で死 者 91名を出す大 惨 事となり、チプラス首 相は 3 日間の国 喪を宣 言した。 アテネ地 区では古 代 劇 2 本を含む 7 本の演 劇とコンサート が急 遽 、公演を中止。 その数日後、今度は 1 時 間 以 上の土 砂 降りが あり、 「 7 月のアテネで雨は降らない」という常 識が覆され、 「犠牲者 の涙雨」などという噂も流れた。 異 常 気 象と未 曾 有の大 火 災は、2010 年から始まった長い緊 縮 財 政による疲 弊と常 態 化した生 活 不 安に、最 後の一 撃を加えたか のようだった。客 足が目に見えて落ちたのである。 アテネ郊 外の野 外 劇 場は、集 客 率が高い 7 月下 旬ですら空 席が目立ち、エピダウロス への観 劇バス (往復 5 時間) も客が集まらず 3 週にわたってキャンセ ルした旅 行 会 社もあった。観 客 動員数に危 機 感を抱いた EOT(ギリ シャ政 府 観 光 局 )は、自らが運 営する観 劇バスのサービス改 善を異


例の速さで実 行し、集客に努めた。 倦 怠・閉 塞・厭 世 。負の空 気が蔓 延したこの夏に上 演された古 代 劇は、8 本中 6 本が古代アテネの凋落期の作品だった。 前 477年 、古 代アテネは、ペルシャ帝 国の侵 略に備えてギリシャの 国々と軍 事 同 盟(デロス同 盟 ) を結ぶ。 だがやがて、同 盟の軍 資 金を 横 領し帝 国 化したアテネは、 それまでギリシャ一の軍 事 強 国だったス パルタと対 立 。両 国の覇 権 争いはペロポネソス戦 争に発 展する。前

431年に始まったこの戦 争は、前 404 年にアテネの無 条 件 降 伏で終 この戦争末 期と敗 戦直 後に上 演された作 わる。2018年 度の 6 本は、 品に集中した。

エピダウロス祭2018 作家*1 初演年*2

167

*3 演出・劇団(=劇場)

6 /29-30 アカルナイの人々

425 コスタス・チャノス(Kostas Tsianos)

7/6-7 アガメムノン

458 チェザリス・グラウジニス(Cezaris Grauzinis)

7 /13-14 福の神

388

7 /20-21 エレクトラ

409 (Thanos Papakonstantinou)

7 /27-28 女の祭

411

8/3-4 オレステス

408 北ギリシャ国立劇場

8 /10-11

405 コスタス・フィリポグルゥ(Kostas Filippoglou)

8 /17-18

401 ヤニス・ココス(Yannis Kokkos)

ニキータ・ミリヴォゲビッチ(Nikita Milivojevic) ギリシャ国立劇場(National Theatre of Greece) サノス・パパコンスタンティヌゥ

ギリシャ国立劇場(National Theatre of Greece)

ヴァンゲリス・セオドロプロス (Vangelis Theodoropoulos) ヤニス・アナスタサキス(Yannis Anastasakis)

(National Theatre of Northern Greece)

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国際演劇年鑑2020


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EUROPE

*1 喜=アリストファネス喜劇、A=アイスキュロス、S=ソフォクレス、E=エウリピデス *2 すべて紀元前の年号。 *3 劇団名がない公演は、演出家名を冠とするプロデュース公演。

どん底を写し取った2018年の古代劇 アリストファネスの喜 劇『 女の祭 』 ( 前411)は、敵 軍がアテネ近 郊ま で迫り、市民らが交 代で城 壁の防 備に当たる非 常 事 態の中で上 演 された。衆 愚 政 治に陥った政 局に失 望した作 者が、激 烈な政 治 諷 刺から一 転し、現 実 逃 避から政 治 色が希 薄な喜 劇を書いたとされる。 その 2 年 後 、 ますます悪 化する戦 況 下で上 演されたのが、 ソフォクレ スの悲 劇『エレクトラ』 ( 前409)だった。父の仇を討つため姉 弟が母 を殺す話である。 「母殺し」という倫理的な重 大 問 題から目を逸らし、 とりあえず「 仇 討ち」の栄 光だけを称えて終わる刹 那 的なgood- end 168

には、つかの間の平安を求める市民の心情が垣間見える。 その 1 年 後に上 演されたエウリピデスの 悲 劇『オレステス』 (前

408)は、同 盟 諸 国が次々と離 反し、いよいよ切 羽 詰まったアテネの 状 況を反 映している。母 殺しの罪で死 刑 宣 告された主 人 公のオレス テスは、判 決 取り消しと王 位を要 求し人 質を取って王 宮に立てこもる。 きゅうそ

テロリストさながら、人 質に剣を突きつけ松 明を手にした姿は、窮 鼠の 危 険 性を思わせる。 喜 劇『 蛙 』 ( 前405)は敗 戦の 1 年 前に上 演された。演 劇 神ディオ ニュソスが冥 界に下り、経 済 破 綻と人 材 払 底で絶 望 的な祖 国を救 う妙 案をもつ悲 劇 詩 人を「 国 家 再 建のブレーン」として生 還させよ 「 反 緊 縮 」を掲げて躍 進し組 閣した うとする話である。2015年 1 月、 チプラス政 権は、公 約をあっさり破り、金 融 支 援と引き換えに EUが 求める財 政 緊 縮による再 建 案を受け入れた。 それから 3 年 半が経ち、 『 蛙 』では、政 権への失 望と新 政 権を望む民 意が浮 彫りにされた。


さらに 1 年 後の 2019年 7 月、総 選 挙の結 果 、実 際に政 権 交 代が実 現した。 と喜 劇『 福の神 』 ( 前388)は、 い 『コロノスのオイディプス』 ( 前401) ずれも敗 戦 後の混 乱 期の作 品である。前 者は、かつては賢 王と称え られたが、今では盲目の放 浪 者に落ちぶれたオイディプスのその後を 描いている。他 国の王に保 護を求め死に場 所を確 保した彼は、 自分 を蔑ろにした息 子たちを呪いながら昇 天する。後 者は、盲目のため富 を授けるべき者が誰かわからなくなった福の神に偶 然 出 会った主 人 公が、治 療を助ける話である。最 後は、視力が戻った神の力で、 アテ ネの国 庫が富で満たされて終わる。 えん さ

現実逃避、 自暴自棄 、不 遇への怨 嗟と怒り、 ファンタジー的 夢 想 。 演目を概 観しただけで、現ギリシャのどん底 状 態とギリシャ人の絶 望 169

感が見えるような作 品 群だった。 しかも結 末の演 出には未 来への希 望がない。 例えば 、 ソフォクレスの『 エレクトラ』は、姉エレクトラと弟オレステス の心の絆と、彼らの仇 討ちに助力する従 兄 弟ピュラデスの献身的な 奉 仕 、老 守 役の知 恵が計 略を成 功させ、父の復 讐が果たされる。 そ のため、通 常は明るい雰 囲 気で終わる劇なのだが、パパコンスタン ティヌゥ演 出では、登 場 人 物 間の親 和 性が薄く、淡々と復 讐 殺 人が 遂 行される。情 熱も温かみもない舞 台は、最 後は禍々しく壮 絶だった。 エレクトラの白い衣 裳と顔が黒のタール塗れになり、同じく純白の衣 裳のコロスも、 タールの池を這いずり回って黒く染まる。姉 弟の絶 望 的な未 来を暗 示するタールの漆 黒に、今 後も続くであろうギリシャの 闇が見えた(この年 8 月 20日、ギリシャは 2010 年から受けてきた EU による金 融 支 援の枠 組みから脱 却し、経 済 的に自立した。だが今 後 、

GDP 比 約 1.8 倍の借 金 返 済があと40年 間 続く。再 建と復 活の道は 世界の舞台芸術を知る

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あまりに厳しい)。 『 蛙 』は、詩 聖アイスキュロスとエウリピデスが 劇 作 術の優 劣を競 い、最 後は、絶 望 的な祖 国アテネを救 済するアイデア対 決で決 着 をつける。原 作は、 アイスキュロスが勝ち、冥 界の王に見 送られて地 上へと発つところで終わる。だがフィリポグルゥ演 出は、救 済 法 対 決 以 降のテキストを全カットした。劇は、死 者たち全 員が「 我らの国が 救われることを願おう」と歌い踊って終わる。危 機に瀕した国 家を救 う案は、結 局 、誰からも提 出されなかった。ギリシャの有力紙タ・ネア 「ギリシャは正しい方 向に向か ( 2018. 7. 26 )の世 論 調 査によれば 、 っていると思うか」の問いに対し、回 答 者の 74% が間 違っていると答 えた。一 方で、議 会 選 挙の必 要 性を問うと、必 要 55% 、不 必 要 41% でほぼ二 分されている。 このままでは良くないとわかっているのにどうし 170

ていいのかわからず、好 転を祈るだけという状 況は、 まさにフィリポグ ルゥ演出の『 蛙 』の結末そのものだった。

原点回帰の試み 全 体 的に暗く重い 2018 年の夏 公 演だったが、原 点 回 帰 的な出 来 事もあり、新たな展開へ向けての模索を感じた。

7 月 6 ~ 8 日の 3 日間 、古 代 世 界 最 大の神 託 地デルフィの古 代 劇 場でエウリピデス作『トロイアの女たち』 ( 前415)が上 演された。近 代 以 降 、ギリシャが古 代 劇の復 活 上 演を始めた際 、古 代に倣って 定 期 的な野 外 上 演に挑んだ最 初の試みが 1927年の「デルフィ演 劇 祭 」だった。詩 人アンゲロス・シケリアノス ( Angelos Sikelianos) とその 妻エヴァ・パーマー( Eva Palmer Sikelianos)が古 代の上 演 法の復 元をめざして私 財を投じて開 催されたが、1930 年の第 2 回で資 金 が尽きた。以 後 、劇 場は貴 重な遺 跡として立ち入りが禁 止されてい


たが、地 元の古 代 遺 跡 協 会による調 査と修 復を経て 88年ぶりに使 この劇 場の客 席から見え 用が許 可され、650人の観 客が観 劇した。 る神 秘 的な風 景は、昼にしか堪 能できない。昼の定 期 上 演が実 現 すれば、古 代 劇 上 演に新たな伝統が生まれる可能性もある。 アテネ郊 外 のアルスス・ヴェイクゥ ( A lsous Veikou )野 外 劇 場 とティノス島のルトラ ( Loutra)野 外 劇 場( 8 / 1 )で、 ソフォク ( 7 / 21) レス作『アンティゴネ』 ( 前441)が古 代ギリシャ語で上 演された( 現 代 語の字 幕つき)。ギリシャでは、古 代 劇の原 語での上 演は 1901年 を最 後に、学 術 的な実 験 公 演 以 外 、ほとんど行われていない。演 出 「 古 代の言 葉 兼 主 演のヤニス・スタマティウ ( Yianis Stamatiou)は、 には何か魔 術 的な響きがある」と 2 年がかりでこの公 演を実 現させ た。古 代 語は聞いても外 国 語 並みに理 解できないため一 般 客は見 171

込めないが、音声的価値はコロス (群衆役)歌の作曲のヒントになりう る。 また 2016 年 以 降 字 幕が一 般 化したので、俳 優の意 欲と国の支 援があれば、定 期 上演も可能だろう。

世界最先端の古代劇を招聘した2019年 原 点 回 帰による試みは貴 重である。だが現 実 問 題として、 その完 成を待てるほど、今のギリシャには時 間 的・経 済 的 余 裕がない。 その 点 、2019年 度アテネ・エピダウロス演 劇 祭( Athens and Epidaurus

Fe s t i v a l )の 芸 術 監 督ヴァンゲリス・セオドロプロス( Va n g e l i s Theodoropoulos)は現 実 主 義 者だった。2019年の演目 8 本のうち 2 本を外 国から誘 致したのである。 64年の歴 史をもつエピダウロス祭は、基 本 的にはギリシャ人による 古 代 劇 公 演のための場だが、外 国 劇 団の参 加を許 可することもある。 最 近の例では、2016 年にロシアのワフタンゴフ劇 場がギリシャ国 立 世界の舞台芸術を知る

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劇 場の協力を得て上 演した『オイディプス王 』 ( 前429~ 425)がある。 ロバ だが本 年は 2 作も受け入れた。世 界 的に有 名な前 衛 芸 術 家 、 ート・ウィルソン( 1941~)による脚 色・演 出の『オイディプス王 』 と、創 設 1680年の老 舗 劇 団コメディ・フランセーズによる連 作『 エレクトラ・ オレステス』である。 外 国 劇 団の受け入れ理 由はその都 度 異なるが、今 年 、2 劇 団も 認めた理 由は、自力では上 演 資 金の調 達が困 難なギリシャの劇 団 の財 政 難と、エピダウロスの観 客 数を保 持するための話 題 性だろう。 だが外 国 勢を組み入れた結 果 、演目構 成の基 本バランスが崩れた。 『オイディプス王 』は重 複した。演 劇 祭 実 行 委員会 喜 劇は 1 作だけ、 の、背に腹は替えられない実 情がわかる。だが一 方で、積 極 的な意 味での「受け入れ」の覚悟も感じた。 172

ウィルソン演 出の『オイディプス王 』は、2018年にポンペイの廃 墟に ある劇 場で初 演 後 、 ヴィツェンツァのオリンピコ劇 場( 13世 紀 )で再 演した話 題 作である。世 界の前 衛 芸 術 界のトップに立つ彼は、舞 台 美 術にマルチメディアを用い、古 代 劇を最 先 端の視 覚 表 現で上 演 する。一 方 、 コメディ・フランセーズの古 代 劇を演 出したのは、 オランダ 最 大の演 劇 機 関 、 トネールグループ・アムステルダム( Toneelgroep

Amsterdam)の芸 術 監 督 、 イヴォ・ヴァン・ホーヴェ ( 1958~)である。 アメリカ、 オランダ、 イギリス、ベルギーで多くの演 劇 賞を受 賞した彼の 演 出は、 ミニマリズム( 最 小 限の表 現で伝える象 徴 主 義 ) を特 徴とす る。両 者とも国 際 的 名 声をもつ前 衛 的な演 出 家だが、彼らはアナロ グの極 致であるエピダウロス劇 場にどう対 峙するのか、ギリシャの演 劇 人にとっては大きな関 心 事だっただろう。世 界を身近に感じること で、自国の演 劇 文 化の価 値と可 能 性を探る絶 好の機 会を提 供した ことになる。


エピダウロス祭2019 作家*1 初演年*2 6 /21-22 オイディプス王(脚色) 6 /28-29 オレスティア(三部作) (1)アガメムノン (2)供養する女たち (3)慈悲深い女たち

S

429

*3 演出・劇団(=劇場)

ロバート・ウィルソン(Robert Wilson) ※ 使用言語:希語・伊語・英語・独語・仏語・羅語 (1)イオ・ヴルガラーキ(Io Voulgaraki) (2) リリー・メレメ (Lilly Meleme) (3) ヨルギア・マヴラガーニ (Georgia Mavragani) ギリシャ国立劇場 (National Theatre of Greece)

458

7/5-6 供養する女たち

E

420 (National Theatre of Greece+Cyprus

7 /12-13 オイディプス王

429 (Konstantionos Markoulakis)

7 /19-20 アウリスのイフィゲニア

E

405

7 /26-27 エレクトラ・オレステス (Électre / Oreste)

E

413 イヴォ・ファン・ホーヴェ(Ivo van Hove) コメディ・フランセーズ 408 (Comédie-Française)

423 (Dimitris Karantzas)

A

463- (Stavros S. Tsakiris) 458 パトラ公立地方劇団(Municipal and

8/2-3 雲 8 / 9 -10 縛られたプロメテウス

スタシス・リヴァシノス(Stathis Livathinos) ギリシャ国立劇場・キプロス演劇協会共同制作 Theatre Oreganisation)

コンスタンティノス・マルクラーキス

ニス・カラヴリアノス(Yannis Kalavrianos) 北ギリシャ国立劇場 (National Theatre of Northern Greece)

173

ディミトリス・カランザス

スタヴロス・S.ツァキーリス

Regional Theatre of Patras)

*1 喜=アリストファネス喜劇、A=アイスキュロス、S=ソフォクレス、E=エウリピデス *2 すべて紀元前の年号。 *3 劇団名がない公演は、演出家名を冠とするプロデュース公演。

アリストファネス的思考が現代に蘇ると…… 一 方 、迎え撃つギリシャ側の最 大の目玉は、3 人の女 性 演出家に よるアイスキュロスの悲 劇『オレスティア』三 部 作( 前458)だった。同じ 翻 訳 台 本で各々 1 部ずつ演 出を担当する。出 陣の際 、娘を戦 争の 世界の舞台芸術を知る

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イオ・ヴルガラーキ演出『オレスティア』 (ギリシャ国立劇場) 撮影:Patroklos Skafidas

生 贄にした夫アガメムノンを妻クリュタイメストラが殺して復 讐する第

1 部 、夫 妻の子 供たち(エレクトラとオレステス)が母を殺して父の仇 討ちをする第 2 部 、 オレステスの母 殺しが裁かれる第 3 部 、計 4 時 間 半の公 演に休 憩 時 間はなかった。固い大 理 石の客 席での観 劇とい 174

う条 件から上 演 時 間 約 2 時 間という暗 黙のルールを無 視した公 演 は、観 客にとって過酷な観劇体験だった。 経 済 危 機 後 、最 大 28%だった失 業 率は、2019 年 前 期には 17% まで回 復した。だが同 時 期の女 性( 25~ 54 歳 )の失 業 率はいまだ

21.2%で、危 機 前 2009年の 12.3%ははるか遠い。 こうした状 況 下で、 34歳 、41歳 、61歳の女 性 演 出 家に活 躍の場を与えた意 義も意 図も 大いに評 価すべきと思う。だが一 方で、演 劇 祭 運 営に行き詰まった 男性たちが女性に丸投げして打開策を探っているようにも見え、古 代 アテネの喜 劇を連 想した。 アリストファネスの『 女の議 会 』 ( 前392)は、 男性たちの政 治 運 営に不 満をもつ女 性たちが男装して議 会に乗り 込み、政 権を掌 握する話である。 その奇 想 天 外なファンタジーが、最 も現 実 的な形で現 代に蘇ったかのようだ。男性を圧 倒する女 性力を 誇 示する演出が至るところに見えた。 例えば、王妃クリュタイメストラはスキンヘッドで体格もスタイルもいい


「 偉 丈 夫 」だが、 トロイア戦 争の凱 旋 将 軍である夫のアガメムノンは 不 格 好な小男で、身長を高く見せようと厚 底 靴を履いた滑 稽で愚か な人 物である。 また、第 1 部で圧 倒 的な存 在 感を見せるはずの「 長 老たち」は弱 腰で優 柔 不 断 。第 2 部に登 場する「 女たち」が華 麗に 翻す円形スカートに追い払われて退 場する。彼 女らは台 本 上では姉 弟の仇討ちを陰ながら支援する役だが、逃げようとするクリュタイメスト ラの行く手を阻み追い込むなど、実 際に身体を張って加 担する実力 行 使 型の味 方を演じた。第 3 部は、 アポロン神が「 母より父が大 事 。 子 供は父 親のもの」という男性 優 位 論を主 張して勝 訴するのだが、 この展 開も裁 判 長の判 決 理 由も現 代の観 客には納 得しがたい。 そ のため現 代 上 演では演 出が特に難しい。 マヴラガーニ演 出では、 ア ポロン役は 4 人もいるのに特に強 烈な男性 的 権力を振りかざすことも 175

なく、 うやむやなうちに平 和に終わる。 これが「 女 性 的な解 決 法 」だと 提 示しているのだとすれば、賛 否はあるにせよ、確かに一つの解 釈だ といえる。

廃墟でしたたかに生き続ける古代劇 「ギリシャ国 立 劇 場 」の看 板を背負い表 舞 台で華々しく戦った「 女 性たちのオレスティア」はそれなりに大 役を果たしたと思う。だが 印 象に残ったという点では、 オモニア広 場の一 角 、落 書きで荒 廃した シャッター通りにひっそりと建つ、廃墟と化したホテルのロビーで12日間 ( 6 /20~ 7 / 6 )上 演されたエウリピデス作『メディア』 ( 前431)の方 が優った。 アテネの中 心シンタグマ広 場が銀 座の賑わいなら、 その対を成す オモニア広 場は歌 舞 伎 町 的な活 気があった。だが経 済 危 機 後 、 そ のほとんどが閉 店し、ネオンも人 通りも消えた。かつては、夜の出 歩き 世界の舞台芸術を知る

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は控えるようにと警 告されるほど危 険だったこの地 区は、今や寂れ た田 舎 町の夜の風 景に変わった。公 演が行われたバギョン・ホテル ( Bagion Hotel)はその一角にある。美しく装 飾が施されたロビーは、 壁 紙は剥がれ、破れた天 井の一 部は梁が見えた。客 席は、 そこに並 べられた粗 末なイス50 脚 余り。エアコンはなく、汗が滴る暑い夜に扇 風 機の生ぬるい風だけ。だがサビだらけで曇った古 色 蒼 然とした大 鏡に、高さの違う燭台に灯った 6 本のロウソクの炎が反射して創り出 す廃 墟の美は幻想的で、神話世界そのものだった。 『メディア』は、妻 子を捨て財 産も地 位もある若い王 女と結 婚した夫 イアソンに復 讐するため、夫の新 妻とその父 、 そして自らの子まで殺 害 した女メディアの物 語である。原 作では俳 優が最 低 18人 必 要な劇 を、 ディミトリス・ヨルガラス ( Dimitris Georgalas)の演 出は 5 人で処 176

理した。一 人が複 数の役を兼ねる、 コロスの人 数を最 小 限に削 減す るなど、少 人 数による上 演では常 識 的な手 法を用いていたが、一つ

ディミトリス・ヨルガラス演出『メディア』 撮影:Aggeliki Kokove


一つがよく考え抜かれ合理的な演出だった。 俳 優の技 量と演 出 家の実力からすれば 、全 国の野 外 劇 場で巡 業するレベルの劇 団であり舞 台である。 だが今のギリシャの状 況では、 経 済 的に不 可 能なのだろう。だから彼らは、野 外 劇 場用ではなく、廃 墟のホテルに舞 台を創った。 半 世 紀 以 上 、古 代 劇は「 夏の野 外 上 演 」の伝 統を築いてきた。 だが終わりが見えない不 況が続く中 、別の上 演 伝 統を開 拓し多 様 化へと向かう時 期に来ているのかもしれない。2019年の古 代 劇はそ の転 換 期の起 点を感じさせた。 やまがた・はるえ 日本大学生産工学部教授。1959年生まれ。早稲田大学大学院博士課程修了。ギリシャ政 府給付留学生として1987~1990年アテネに留学。2003年度湯浅芳子翻訳賞受賞。著書 『朝日選書 ギリシャ悲劇』 『ギリシャ劇大全』、訳書『オイディプス王』 『エレクトラ』ほか。

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イゴル・ヴク・ トルビツァ演出『バッコスの信女』 写真提供:ビトラ国立劇場

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[マケドニア]

私 は 野 生 の 肉 で は なく、 演 劇は風 の 枝ではない

(* 1 )

イヴァンカ・アポストロヴァ・バスカル 今日ではあらゆるものが買われ売られる。 値 段がないと人々が考えるものすらも。 それはだいたいもっとも安価なものでもある。 ―ゴラン・ステファノフスキ『 野生の肉 』

ITIマケドニアセンターのプログラム(2018~2019年) わが国において公 的な資 金による支 援がますます控えめなものとな


る中でも、国 際 演 劇 協 会日本センター( ITI )マケドニアセンターは演 マケドニアの現 代 演 劇 劇への愛 情と意 地と情 熱から、SNSを使って、 をはじめとする舞 台 芸 術について国 際 的に発 信している。 その内 容 は国 際 演 劇 祭やワークショップへの参 加 者および戯 曲の公 募 、 ネッ トワーク情 報などである。当センターは、現 代の地 域 的・国 際 的プロ ダクションとの交 流および交 流のネットワーク化を目的として、 センター 会員の「 演 劇ショーケース」や演 劇 祭への参 加を促している。2017 年以降、文化省が当センターの国際年会費(*2 )を支出している。

2018 年 以 降 、マケドニアセンターはスコピエのゲーテ・インスティ トゥートと積 極 的な協 力 関 係を確 立し、 「 貧しく小さな豊 かな演 劇( Sirota mala bogata drama )」という教 育プログラムを開 始し 179

た。 これは劇 作 家に向けたもので、優れたドイツの作 家ウルリケ・ジハ ( Urlike Syha)による「 私は誰? 作 家? ( Koj sum jas, avtorot? )」 と題された講 義とクリエイティブ・ワークショップを行った。 ドイツの演 劇は多 様 性に満ちた、 ヨーロッパでもっとも進 歩 的・独 創 的なものの 一つであり、各 世 代のマケドニアの演 劇 人をインスピレーションあふ れるドイツの演 劇 人と結びつけるという創 造 的・教 育 的・協 働 的 挑 戦が有 用であると考えたためである。わが国の現 代 演 劇が深 刻な 危 機に直 面しているため、戯 曲 執 筆のワークショップにまず取りか そして、 これら かった。 このワークショップでは 11の短 編が生まれた。 を電 子 書 籍の形にまとめ、 ウェブサイトなどに掲 載し、多くの演 劇 祭 、 演 劇 関 係の図 書 室 、演 劇ネットワーク、演 劇 関 係の諸 機 関に紹 介 した。 その目的は、マケドニア演 劇の創 造 性をより可 視 化する点に あった。マケドニアセンターは 2019年もこのプロジェクトを継 続し、年 次プログラムに位 置 付けた。 「 貧しく小さな豊かな演 劇( 劇 的にある 世界の舞台芸術を知る

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いは悲 壮に[ dramatič no ili patetič no])」というタイトルには、わが 国の政 治 的・社 会 的 状 況が暗 示されている。 このプログラムは、プ ロジェクトベースのプログラムであり、再びゲーテ・インスティトゥートと の協力により、最 良の舞 台 美 術 家であるヤン・パッぺルバウム( Jan

Pappelbaum)を招 聘した。 ビジュアル・ドラマトゥルギーや、ベルリンの シャウビューネに関する講 義 、現 代 舞 台 美 術に関するワークショップ が組 織された。舞 台 美 術ワークショップからは、 スコピエのさまざまな 建 築とイプセンの『 野 鴨 』、 ブレヒトの『コーカサスの白墨の輪 』にイン スピレーションを受けた 9 つの精 巧な舞 台 美 術が現れた。 わが国の オペラと演 劇の舞 台 美 術 家は、素 晴らしい舞 台のビジョンを生み出 した。 180

2019年 3 月 27日のワールド・シアターデイには、マケドニアの劇 作 家ユーゴスラフ・ペトロフスキ( Jugoslav Petrovski)がメッセージを発 表した。ペトロフスキは、90 年 代にブリティッシュ・シアター・アソシエイ ションの最 優 秀 脚 本 賞を受 賞している。彼のテクストは、抽 象 化され たマケドニアのフォークロアと民 話の暗い側 面にインスピレーションを 得ていた。

4 月 29日のインターナショナル・ダンスデイにはゴルダナ・デアン・ポ プフリストヴァ ( Gordana Dean Pophristova)にメッセージを寄せても らった。彼 女は、教 育 者 、振 付 師 、 ダンサーであり、エクアドルに移民 し、 かの地で積極的に各種の現代舞踊を教えている。

マケドニアセンターは、 テトボ地 域 博 物 館( Muzej na Regionot

Tetovo)ならびにLiteratura.mkとの協力により、 『 帽 子をかぶった婦 人( Gospa s klobukom)』で知られるスロベニアの作 家マーシャ・オ


グリゼク( Maša Ogrizek)の講 義を開 催した。 オグリゼクは作 家およ び教 育 者としての自らの仕 事や、自身の作 品の登 場 人 物が優 秀な イラストレーターとの協力によって生まれていることについて語った。彼 女は、 テトボの複 数の小 学 校(アルバニア語 、 マケドニア語 、 トルコ語 の複 数 語 学 校 )の児 童のためにワークショップを開 催した。 これは、 と名 付けられた作 品の 『コーヒーカップの人々( Lugjeto fildžani)』 ために博物館の庭に設ける小さな家を考えるというものであった。 この ワークショップは大きな成 功を収めた。児 童は多くのアイデアに富ん だ方法を考え出した。

児 童 演 劇センター( Detski Teatarski Centar) と協力して、われ われはマケドニアの現 代 人 形 劇に関する公 開ディベートを行い、人 181

形 芸 術と人 形 劇を小 学 校・中 学 校 の 教 育 課 程に導 入 する可 能 性について話し合った。 この公 開ディベートには、 いくつかの児 童 向 け劇 場と児 童 向けフェスティバル(スコピエ青 少 年 劇 場[ Teatar za

Deca i Mladi Skopje]、 ビトラのビトリノ劇 場[ Bitolino Bitola]、影 と雲 劇 場[ Teatar Senki i Oblaci]、児 童 演 劇センター、 プリレプ小 劇 場[ Mala Scena Prilep]、 スコピエ大 学 演 劇 学 部[ Fakultet za

Dramski Umetnosti]、風車コレクティヴ[ Kolektiv Veternica]など) の代 表 者が参 加した。

6 月に筆 者は、最も歴 史のある演 劇 祭であるプリレプのヴォイダ ン・チェルノドゥリンスキ国民演 劇 祭( Nacionalen Teatarski Festival

Vojdan Černodrinski)に招 待され、ITIマケドニアセンターの年 次 計 画と成 果に関して紹 介を行った。

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7 月には 、I TIクロアチアセンター の 協 力 のもと、クロアチアの グロジュニャンで 行われた「 国 際ドラマコロニー( Me đ unarodna

dramska kolonija/ International Drama Colonie)」に招 待され た。マケドニアの若 手 作 家イルマ・ベシェスカ( Irma Bešeska ) と若 手 演 出 家のドラガナ・グニン( Dragana Gunin)が、 テキスト面と演 出 面において、若 手のクロアチアの俳 優や劇 作 家(ニナ・バイシッチ [ Nina Bajsić]、 アダム・ヴィド・フリバル[ Adam Vid Hribar])や演 出家(オーリャ・ロジツァ [ Olja Lozica]) と協力した。 ドラマコロニーの と 『ヴォリオスと 目的は、二つの短い演 劇 作 品 、 『トンネル( Tuneli)』 を書き上げることにあった。 言って入れ( Kaži Vorios i vlezi)』

9 月には、 ストルミツァのアントン・パノフ劇場( Teatar Anton Panov, 182

Strumica)ならびにハンガリー大 使 館との協力のもと、ストルミツァ劇 場アンサンブルとハンガリーのクリエイティブ・プロデューサーであるシ ルヴィア・フシャル( Silvia Husar)の協力を実 現した。 フシャルは、良 いクリエイティヴ・プロデューサーの役 割と貢 献に関して身をもって見 事に提 示した。 また、 マラディペ劇 場( Maladype Színház)の作 品を 紹 介し、ハンガリーにおける各 種 舞 台 芸 術シーン、劇 場 、演 劇 祭 、演 劇インキュベーターに関する情 報に富んだ有用なマッピングを行った。 われわれは、 かの地における創 作のための素 晴らしい条 件と、芸 術と 才能の非常に大きな可能性に触れた。加えて彼女はわれわれに、10 を超えるもっともアクチュアルな現 代ハンガリーの演 出 家と劇 作 家を 紹 介し、 アントン・パノフ劇 場とハンガリーの諸 劇 場の共 同 制 作のた め、20の英 訳された新 作 戯曲を提 案した。2019年 10月現 在 、当セン ターでは当プログラムの報 告 書( 電 子 書 籍 ) を編 集している。発 行に より、当プログラムおよび当センターの出 版セクションのますますの充


実を図りたい。

これらの二 国 間の演 劇 交 流の焦 点は、新たな創 造 性 、新たなアイ デア、形 式 、語りを刺 激し、 わが国の演 劇 関 係 者の抱える問 題を解 決することにある。 われわれは、 月並みで予測可能な演劇的表現にあ まりにとらわれている。 われわれの現 在の任 務は、最 小から最 大を引 き出すことにある。 さらなる財 政 支 援を得ることができれば、当センター は、 より野心的で中長期的なプロジェクトにも向かうことが可能となる。

マケドニアにおける演劇の概要(2018~2019年) わが 国 出 身の 最も優 秀な演 劇 人 は 、マケドニア国 外を拠 点に 活 動している。イヴァン・ポポフスキ( Iva n 183

Popovski、1969~ )は、ロシアで演 出 家 、プ ロデューサーとして活 躍し、 アツォ・ポポフスキ ( Aco Popovski、1969~)は、 スロベニアとク ロアチアで演 出とプロデュースをしている。 ド ゥリトゥロ・カサピ( Dritëro Kasapi、1975~) は、 スウェーデンで演 出 家 、プロデューサー として活 動し、 デヤン・プロイコフスキ( Dejan

Projkovski、1979~)はブルガリアとクロアチ アで演 出をしている。ペータル・ミロシェフスキ ( Petar Miloševski 、1973~ )はイギリスで 演 出 家ならびに俳 優として活 動し、 マルコ・ミ ツォフ( Marko Micov、1992~ )はアメリカ 合 衆 国でダンサーとして活 動している。 スロ ボダン・ウンコフスキ( Slobodan Unkovski、

空の舞台で (アントン・パノフ劇場、 ストルミツァ) 著者撮影

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1948 ~)はギリシャとセルビアで演 出を行い、オリヴェル・ミツェフスキ ( Oliver Micevski、1980 ~)はハンガリーで演 出 家として活 動して いる。 アナ・バテヴァ ( Ana Bateva、1990~)はブルガリアで演 出をし ている。 デヤン・ドゥコフスキ( Dejan Dukovski、1969~)は、劇 作 家 としてドイツにエージェントを置いている。マリャン・ネチャク( Marjan

Ne č ak、1976~)はスロベニアとクロアチアで、演 出 家 、作 曲 家として 活 動している。 リシマ・リシムキン( Risima Risimkin、1963~)は、中 国で現 代 舞 踊を教えている。 マケドニアの最良の劇 場の一つである ビトラの国 立 劇 場( NU Teatar Bitola)では、多くの外 国の劇 団の 上 演が行われている。 わが国のオペラ歌 手であるアナ・ドゥルロフスキ ( Ana Durlovski、1978~) とイゴル・ドゥルロフスキ( Igor Durlovski、

1977 ~)は、 ヨーロッパ各地のオペラハウスに出演している。 その他に 184

も多くのわが国の成功した芸術家が外国で活 躍している。

マケドニアの現 代 演 劇は、 いまだに旧 来の作 劇 法や演 技スタイル の域を出ず、ポストドラマ演 劇やフェミニズム演 劇はオルタナティブな 演 劇シーンで静かに盛り上がっているのみだ。 しかし、 このような演 劇 シーンを牽引するアーティストたちは、 まず地 方 劇 場で知 名 度を確 立 することで、主要劇場への進出を狙っている。 良い地 方 劇 場が国 際 的に知られ、評 価されるためには、質の高い 戯曲と戯曲を読む力、観る者を惹きつける登 場 人 物 、 ビジョンと美 学 、 明 確なコンセプトを持つ良い演出家 、能力ある芸 術 監 督 、 プログラム ディレクターと、政 党 所 属の日和 見 主 義 者ではない、政 治から自由 なプロデューサーが必 要である。創 造 的 規 律 、職 業 的自己規 律 、 自 信と献身、初日をあけた後も公 演が続く限り誠 実に向き合うことが求 められる。


若い演 劇 人は、勇 気を持って多 様な文 学・映 画の舞 台 化や、古 典と現 代 演 劇の名 作の舞 台 上での比 較を行い、 また柔 軟に即 興 演 劇にも挑んでいる。 スタンダップ・コメディーは、ユーモアあふれる 有 能なマケドニアの俳 優が 演じることで好まれ 、商 業 的にも成 功し ている。 しかし残 念ながら、現 代 演 劇を鑑 賞する人は少ない。劇 場 のレパートリーにもマケドニア人 作 家の作 品は少なく、 アメリカ、 アイ ルランド、 イギリスなどの世 界 的 作 家の戯 曲が支 配 的である。現 代 ドイツの劇 作 家の中では、 ローラント・シンメルプフェニッヒ ( Roland

Schimmelpfennig)が好まれている。 この論 稿を終えるにあたり、二つの言葉を引きたい。 185

「 貧しく小さな豊かな演劇(演劇の勃興と没落 )」 ─ 2020年 ITIマケドニアセンターのプログラムテーマより 「 芸 術は常に、社会制度の素晴らしい鏡であった」 ─リヒャルト・ワーグナー

《付録》注目の作品 近 年の作 品のうち、私の印 象に残った 4 作 品を以 下に挙げて紹 介する。

マケドニア国立劇場(スコピエ、Makedonski Naroden Teatar Skopje)

『人生は素晴らしい(Životot e prekrasen)』 (2016年) 演出:アレクサンダル・モルロフ ( Aleksandar Morlov、 ブルガリア) 素 晴らしいコメディ。演 出 家が俳 優の力を存 分に引き出している。 世界の舞台芸術を知る

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俳優の演技力、演出の構成力ともにすばらしく、戯曲はユーモアに溢 れ、 ストーリーが重 層 的に絡み合い、登 場 人 物に人 間 味がある。舞 台 装 置が大きいため、経済的負担を考えるとツアーが困 難で残 念 。

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アレクサンダル・モルロフ演出『人生は素晴らしい』 撮影:Kire Galevski

青年文化センター(スコピエ、Mladinski Kulturen Centar Skopje)

『闇リミックス(Crnila remiks)』 (2018年) 演出:ヨルダン・シモノフ ( Jordan Simonov、 マケドニア) 戦 後マケドニアの現 代 劇 作 家コレ・チャシュレ( Kole Č ašule)のカ ルト的 古 典『 闇( Crnila)』にシモノフは最 新のヒップホップ=ラップの 形で応え、新たな息 吹を吹き込んだ。作 品はある種のテロ的・革 命 的な上 演であり、実 際に敵 意 、裏 切り、分 断 、 マケドニア人の核を破 壊する不 毛といった、全マケドニア的な問 題について語っている。素 晴らしい音 楽 、刻むビート、 ダイナミックな音 響に彩られ、舞 台 装 置に 代わり、派手な演劇的ビデオ・アートが用いられている。


ビトラ国立劇場(Naroden Teatar Bitola)

『バッコスの信女(Bakhi)』 (2019年) 原 作:エウリピデス 演出:イゴル・ヴク・トルビツァ ( Igor Vuk Torbica、 セルビア) 古臭い演出と凡庸な演技に苦しむマケドニアの現代演劇を、隣国 の若 手 演 出 家が救った。彼はわが国の俳 優の力を最 大 限に引き出 したのみならず、普 遍 的な敵を描いて色 褪せることのない神 話 世 界 から、共 同 体の自己破 壊のありようをくっきりと浮かび上がらせた。舞 台上にカタストロフが出現した。

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ヨルダン・シモノフ演出『闇リミックス』 撮影:Kire Galevski

アントン・パノフ劇場(ストルミツァ、Teatar Anton Panov, Strumica)

『第五幕(Pettiot čin)』 (2018年) 作: リュボミル・ジュルコヴィチ( Ljubomir Đurković、モンテネグロ) 演出:ニコ・ゴルシッチ( Niko Goršič、 スロベニア) 世界の舞台芸術を知る

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ゴルシッチは、小 劇 場を得 意とする演 出 家である。チェーホフの 『 白 鳥の歌 』にヒントを得たこの作 品において、何もない、舞 台 機 構 がむき出しのステージで、親 友 同 士であり俳 優でもある二 人の登 場 人 物が、友 情の真 実 、偽 善 、自惚れ、演 劇 人としての嫉 妬 、共 通の 陰 湿さを抱えながら、互いの分かち難い結びつきに直 面する。 ミニマ ルな二 人芝居であり、 ツアーにも非常に適している。

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ニコ・ゴルシッチ演出『第五幕』 撮影:Srečko Gunčev

*1タイトルについて…「私は野生の肉ではない」はマケドニアの作家ゴラン・ステファノフスキ (Goran Stefanovski) (1952~2018)の戯曲『野生の肉(Divo meso)』より。 「演劇は風の 枝ではない」はマケドニアの作家コレ・チャシュレ(Kole Čašule) (1921~2009)の戯曲『風 の枝(Vejka na vetrot)』より。 *2 年会費…ITIは世界約90カ国・地域にセンター(支部・拠点)を置く国際的ネットワークで、GDP に基づいて定められた年会費を、各国センターが本部(2015年4月、パリから上海に移転)に納 めることにより運営されている。各センターの運営は政治体制の違いによってさまざまだが、北 欧・東欧や旧社会主義国、アフリカ諸国などでは政府機関が直接センターを運営したり、手厚い 助成金を出したりする場合も多い。なお、日本センターとマケドニアセンターの2019年の年会費 はそれぞれ6,500ユーロと500ユーロ。 (編集部)


Apostolova Baskar, Ivanka 芸術人類学博士。研究者、 プログラム・プロデューサー、 ビジュアル・ ドラマティスト。ITIマケドニ アセンター会長。同センターの組織運営、年次プログラムに携わるほか、 スコピエのヨーロッパ 大学美術・デザイン学部の客員教授として、美術史、デザイン史を講じている。ニコ・ゴルシッチ (Niko Goršič)、マティヤシュ・ポグライツ (Matjaž Pograjc)、 イェルネイ・ロレンツィ (Jernej Lorenci)、 マティヤシュ・ジュパンチッチ (Matjaž Zupančič)、ボリス・コバル (Boris Kobal)、ア レン・イェレン (Alen Jelen) などの著名な演出家のもと、 スロベニアとマケドニアにおいて、多 数の舞台美術、衣装、映像を手がけている。

(翻 訳:山崎 信 一 )

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ボリス・パヴロヴィチ演出『ラヴル』 写真提供:ペテルブルグ・リテイヌィ劇場

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[ロシア]

演 劇 年 2 019

― 失われてはいない演劇の力 篠崎 直也 ロシアでは 2019年を「 演 劇 年 」として例 年よりも数 多くのイベントが 開 催された。2018年 12月 13日にロシア最 古の劇 場であるヤロスラヴ リ・ヴォルコフ・ドラマ劇 場( Volkov Drama Theatre, Yaroslavl)で演 劇 年のオープニングセレモニーが盛 大に行われ、 ヤロスラヴリ、 カザン、 モスクワから230人の俳 優やダンサーが参 加し、旅をしながらロシア 演 劇の歴 史を振り返るパフォーマンスを披 露した。 この上 演はインタ ーネットでも生中継され、30万 以 上の人々が視 聴 。300年ほど前には


常 設の劇 場も劇 団もなかったロシアであるが、今日では様々なジャン ルの劇 場が国 内 全 土で 600以上も存在する。 インターネットが生 活の中で当たり前となった現 在 、広 大なロシア のどこにいても様々なエンターテインメントを好きな場 所で楽しむことが できるようになっているが、 それでもローカルな芸 術である演 劇が持つ 特 別なステイタスは失われてはいない。むしろこれまで以 上にその活 動は活 発になっている。大 劇 場にもなると、大 舞 台や小 舞 台 、別 館な ど 3 つや 4 つの上 演 場 所を持っており、 シーズン中は大 小の様々な 上 演を連日観ることができる。 また、近 年は従 来の公 共 劇 場とは異な る空 間で活 動する若い世 代の小 劇 団が増 加 。彼らの上 演 情 報は

SNSでしか知ることができない場 合も多いが、 それでもすぐに見つける のが難しい隠れ家のような上演場所には人があふれている。 191

モスクワやサンクト・ペテルブルグのような大 都 市になるとその全て の上 演に目を通すことはもはや困 難であるが、膨 大な上 演 数に伴っ てそれらをカバーする批 評 家や専 門 家 、 メディアの数も多く、特 筆す べき作 品は劇 場の大 小や格などに関 係なく演 劇 誌や演 劇 賞で取り 上げられている。多 様な創 作に対する受け皿もまた大きい。演 劇 年の 企 画は多 岐にわたり、子 供たちのため の上 演・教 育プログラムや、極 東のウ ラジオストクから最 西 端のカリーニング ラードまでを横 断する「 演 劇マラソン」、 ウラル地 方のコガリム市におけるモス クワ・マールイ劇 場の別 館 開 設など、 国 内 各 地で 2,600以 上ものイベントが 続き、改めてロシアにおける演 劇 文 化 の豊かさを確 認する年となった。

円形劇場を思わせる 「演劇年」のモニュメント (筆者撮影)

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プーチン大 統 領による中 央 集 権 化が進み、 それに異 議を唱える 大 規 模デモがモスクワで継 続 的に見られる現 在 、ある事 件によって 演 劇 界に連 帯の輪が広がった。 コンスタンチン・ライキン舞 台 芸 術 ( Pavel 高 等 学 校を卒 業した 24 歳の若 手 俳 優パヴェル・ウスティノフ

Ustinov)がデモの現 場を偶 然 通りかかり、突 然 警 察の特 殊 部 隊に 襲われ逮捕されたのである。揉み合いの際に警官の肩を脱臼させた として刑 期 3 年 半の判 決が下り、 これに対して恩 師である演 出 家・ 俳 優のコンスタンチン・ライキン( Konstantin Raikin)をはじめとして ネッ 多くの演劇人が SNS や上演後に無罪を訴えるメッセージを発信。 ト上で拡 散された映 像を見ればウスティノフが何も抵 抗していないこ とは明らかであり、1 カ月半 後には大 規 模な支 援が実って釈 放が叶 った。同 様の不当逮 捕を受けて拘 束され続けている人々が他にもい 192

る中で、比 較 的 早 期に彼が自由の身となったことは、 ロシアの演 劇 界 が現 在も社会に対する強い発言力を持っていることを印 象 付けた。

2017年 8 月に国からの助 成 金 横 領の罪で逮 捕され、自宅 軟 禁が 続いていたモスクワ・ゴーゴリ・センター( Gogol Center, Moscow) の芸 術 監 督キリル・セレブレンニコフ ( Kirill Serebrennikov) も今 年 の 4 月、国 外 出 国 禁 止を条 件にようやく釈 放された。自身が監 督し た映 画『 夏 』がカンヌ映 画 祭に出 品されたものの、 セレブレンニコフ は出 席できず 、 この逮 捕 劇には欧 米メディアから疑 問の声が 飛ん だ。横 領や賄 賂はロシアで権力者が政 敵を失 脚させるための常 套 句である。現 在も裁 判が続いているためその真 偽は分からないが、芸 術に関わる多くの人々は政 治・宗 教 面において度々物 議を醸す彼 の創 作に対する政 治 的な逮 捕と見なし、演 出 家レフ・ドージン( Lev

Dodin)は授 賞 式の壇 上で「 演 劇 界は彼を守るために強く結 束して いる」と擁護の声を上げた。


演 劇 年 のプログラムには日本との 共 同 開 催による第 9 回シアタ ー・オリンピックスも含まれた。富 山 県 利 賀 村の日本 会 場ではペテ ルブルグのアレクサンドリンスキー 劇 場( Alexandrinsky Theatre,

St. Petersburg )が『 2016年 、今日( Today. 2016 - ... )』 (ヴァレリ ー・フォーキン[ Valery Fokin]演 出 ) とアレクサンドル・ブローク原 (アントン・オコネシュニコフ[ Anton 作の『 十 二 人( The Twelve)』

Okoneshnikov]演 出 )を上 演 。 ロシアではカムチャツカやクリミアなど 東 西 南 北に渡って複 数の町が会 場となり、 メイン都 市となったペテル ブルグではアレクサンドリンスキー劇 場を中 心に市 内の小 劇 場 、駅 や教 会 、博 物 館といった様々な場 所で演 劇はもとより、バレエ、 ダンス、 パフォーマンス、サーカスなど膨 大な数の上 演がまさに祭 典と呼ぶに ふさわしい規 模で盛り上がりを見せた。 日本からは鈴 木 忠 志 演 出の ぎゃ てい ぎゃ てい

193

『シラノ・ド・ベルジュラック』、 『 文 化は身体にある』、 『 羯 諦 羯 諦 』が 参 加している。 今 回モスクワは会 場に含まれなかったが、2003年にフォーキンがア レクサンドリンスキー劇 場の芸 術 監 督に就 任して以 来 、同 劇 場やボ リショイ・ドラマ劇 場 、 マールイ・ドラマ劇 場が先 導 的な役 割を果たし、 ペテルブルグ演 劇 界の政 治力が際 立っている。国 際 交 流 、若 手 演 出 家や俳 優の育 成 、 レクチャーや映 画 、 コンサートなどの企 画 、 クラ シックな作 品から現 代 戯 曲や実 験 的な作 品までを揃えたレパートリ ー作り、演 劇 以 外の各 種 団 体とのパートナーシップ協 定など、 その幅 広い活 動によってドラマ劇場が芸術の枠を超えて現 代 社 会のあらゆ る面において大きな役 割を担い、貢 献できることを示した。 こうした運 営 面での充 実はこの町の演 劇 界 全 体に好 作 用をもたらし、 そのまま 上 演 作 品の好 調ぶりにも繋がっているようだ。今 季もまた「 文 化の首 都」ペテルブルグに関 連する作品の活躍が目立った。 世界の舞台芸術を知る

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昨 年 主 要 部 門をペテルブルグ勢が独占した「 黄 金のマスク」賞は 今 年も大 舞 台 部 門 最 優 秀 賞をペテルブルグの『 楽 天 的 悲 劇 別 (ヴィクトル・リ れの宴( An Optimistic Tragedy. A Farewell Ball)』 ジコフ[ Viktor Ryzhakov]演 出 、 アレクサンドリンスキー劇 場 )が獲 得 。劇 作 家フセヴォロド・ヴィシネフスキーがロシア革 命 15周年を記 念 して書いた戯 曲は、演 出 家アレクサンドル・タイーロフが設 立したカ ーメルヌィ劇 場で 1933 年に初 演され、1955年には若かりし頃のゲオ ルギー・トフストノーゴフ ( Georgy Tovstonogov)が演出して彼の名を 演 劇 界に知らしめた作 品である。原 作は革 命 期に自己犠 牲を強い られた海 兵 隊員たちが任 務へと向かう船の中で、ボリシェビキによる 社 会 建 設への意 識に目覚めながら英 雄 的な死を遂げていくというプ ロパガンダ色の強い戯 曲 。 しかし、 リジコフの演 出はシャンソンからジ 194

ャズ、 ロック、 ヒップホップなど国 内 外を問わず 20世 紀 初 頭から現 在 に至るヒット曲を俳優たちに歌い継がせて、革 命 後の世界を今日のロ ヴィクトル・リジコフ演出『楽天的悲劇 別れの宴』 写真提供:アレクサンドリンスキー劇場


シアにまで引き伸ばした。俳 優たちの顔は白く塗られ、 それは死 装 束 でもあり、道 化でもある。歌とユーモアに彩られた死への宴は享 楽 的 であるが、一 方で海 兵の一 人が「 否 定されるべき登 場 人 物などいな い」と革 命における善 悪の曖 昧さを現 代の観 客に問いかける。歴 史 の連 続 性と今日における意味を音楽劇によって鮮やかに訴えた。 小 舞 台 部 門 の 最 優 秀 賞に輝いたのはノヴォシビルスク・グロー ブス劇 場( Theatre “ Globus ”, Novosibirsk )の『ピアニストたち ( Pianists)』。 こちらも音 楽にまつわる作 品である。 ピアニスト、作 曲 家 、作 家として活 動するノルウェーのケティル・ビヨルンスタによる小 説 を基に、 ピアニストの物 語でありながらピアノの音は一 切 響かない。 こ の上 演の主 役は俳 優たちの声である。 アカペラで身体から生み出さ れるコーラスや効 果 音が感 情や状 況を巧みに表 現し、観 客は簡 素 せ い ひつ

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で静 謐な空 間で「 聴く芸 術 」としての演 劇を体 験する。豊 潤な文 学 の土台が存在し、 日常生活においても過剰なまでに言葉が支配的な ロシアにおいて、言 葉の持つ意 味 以 外の諸 要 素に注目する演 出が 近 年のロシア演 劇 界では目立ってきているが、 こうした傾 向が認めら れた大きな一 例となった。 演 出はペテルブルグを拠 点として活 動する39 歳のボリス・パヴロ ヴィチ( Boris Pavlovich)。2006年から 7 年間、 キーロフ市のスパスカ ヤ劇 場( State Theater on Spasskaya)の芸 術 監 督として地 方 劇 場 を文 化 発 信の中 心に変 貌させた。2013 年にペテルブルグに戻ると 俳優としても活動しながら、 ボリショイ・ドラマ劇場の社会福祉プログラ ムを指 導 。自身が主 宰する上 演 空 間「アパート ( Kvartira)」ではア パートの一 室で自閉 症やダウン症の人々と文 学テクストを読みながら 意 見を聞いていく 『 対 話 』を上 演し、演 劇における多 様な視 点を提 示した。 世界の舞台芸術を知る

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今 季パヴロヴィチがペテルブルグ・リテイヌィ劇 場( Liteiny Theatre,

St. Petersburg )で演 出した『ラヴル( Lavr)』 もまた『ピアニストたち』 同 様に音 楽 的な手 法が用いられている。2012年に出 版され、世 界

20カ国 以 上での翻 訳により国 際 的な注目も集めているエヴゲニー・ ヴォドラスキンの同 名 小 説は中 世の聖 者 伝という形 式をとりながら、 しょく ざ い

愛する女 性を救えずに贖 罪に一 生を捧げ、修 道 士として 4 つの名 前 を与えられた主 人 公アルセーニーの物 語 。 タイトルのラヴルは彼の最 後の名 前である。中世ロシア文 学の専 門 家でもある作 家ヴォドラスキ ン自身を創 作の場に招き入れ、パヴロヴィチは彼と対 話を重ねながら 現 代ロシア語と古 代ロシア語 、中 世と現 代が入り混じる特 異な原 作 を初めて舞 台 化した。時 間の超 越が重 要なテーマとなるこの作 品で は特 定の時 代は想 起されず、舞 台 上には古 代の農 具やソ連 時 代 196

の家 具などが並べられ、現 代のロシアで郊 外などによく見られる無 機 質なコンクリートの塀がそびえ立つ。俳 優には特 定の役は与えられず、 ボリス・パヴロヴィチ演出『ピアニストたち』 写真提供:ノヴォシビルスク・グローブス劇場


男 女を問わず順 番にアルセーニー役が入れ替わる。ある者が彼の 物 語を語る一 方で、客 席 全 体に渡って移 動する俳 優たちは中世か つぶや

ら伝わるオカリナのような楽 器を鳴らし、特 殊なアクセントで何かを呟

き続ける。あらゆる方 向から聴 覚を刺 激するこの「 音による演 劇 」は 小 説の持つ壮 大な世 界 観を演 劇 的な方 法によって見 事に表 現し ていた。近 年 演 劇 界に際 立った話 題を提 供することのなかったリテイ ヌィ劇 場はこの作 品によって久々に評価を高めている。 シアター・オリンピックスにはロシアの演 劇を知る者にとっては意 外 な劇 場も参 加していた。ペテルブルグの小 劇 場 、 テアトル・スボータ ( Theatre Subbota, St. Petersburg )である。1969年のとある土 曜 日(スボータはロシア語で土 曜日を意 味する)に生まれた同 劇 場は、 若 者たちによるスタジオとして現 代 戯 曲や実 験 演 劇を上 演して人 気 197

を博していたが、1980年 代に古 典 作 品に回 帰して以 降は目立つこと なく、移 転を繰り返しながら細々と活 動を続けていた。昨 年 、創 設 者 のユーリー・スミルノフ=ネスヴィツキー( Yuri Smirnov-Nesvitsky)が この世を去ると、若い世 代のスタッフたちによって再び現 代 的な劇 場 に生まれ変わり、国 内 外の演劇祭に積極的に参加するようになった。 新 たな 時 代を迎えたテアトル・スボ ータの 代 名 詞と言える作 品となっているのがゴーゴリ ( Nikolay Gogol )の『 査 察 官( The

Government Inspector)』だ。舞 台には政 権 与 党である「 統 一ロシ ア」を思わせるデザインで「ゴーゴリ、査 察 官 」と書かれた衝 立を背 景に、現 代の記 者 会 見 場が設けられ、 そこに市 長をはじめとした町の 有力 者たちがスーツ姿でマイクを通じて査 察 官への対 応を議 論す る。舞 台 上 部のテレビではドブチンスキーとボブチンスキーが地 方 局 のタレントとして査 察 官の到 着をライブ中 継で放 送 。町の有力者に は多 様 性を意 識してか原 作とは異なって女 性や外 国 人が含まれて 世界の舞台芸術を知る

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アンドレイ・シデリニコフ演出『査察官』 写真提供:テアトル・スボータ

いる。市 長の妻と娘はジムに通い、 ブランドのジャージに身を包む。査 198

察 官に間 違われるフレスタコフが宿で食べる粗 末なスープをカップラ ーメンに置き換えるなど、 まさに今のロシアを象 徴する様々な記 号があ らゆる場 面でユーモアとして用いられている。誰もが知っている古 典 の持つアクチュアリティは言わずもがなだが、現 在の政 治に対する強 烈な風 刺という意 味 合いは薄く、現 代におけるパロディとして温かく 笑える良作に仕 上げられた。演 出のアンドレイ・シデリニコフ ( Andrey

Sidelnikov)は今季から同劇場の首席演出家に就 任している。 ソ連 時 代に生まれた多くの劇 場はトップの交 代によって栄 枯 盛 衰 を繰り返す。モスクワのタガンカ劇 場やフォメンコ工 房 、ペテルブルグ のレンソヴェート劇 場などのように大 演 出 家を失った劇 場は、 その存 在 感を薄めつつある。逆にゴーゴリ・センター( 旧ゴーゴリ・ドラマ劇 場 )やエレクトロテアトル・スタニスラフスキー(旧スタニスラフスキー・ド ラマ劇 場 )のように新たな運 営によって劇 場そのものやレパートリー


が現 代 的に様 変わりした例もあり、前 述のように今 季はテアトル・スボ ータが変 革を果たした。 ロシアでは誰がトップになるかによって劇 場 の命 運が大きく左 右されるのである。 モスクワではコンスタンチン・ボゴモロフ ( Konstantin Bogomolov) がマーラヤ・ブロンナヤ 劇 場 、人 気 俳 優 のウラジーミル・マシコフ ( Vladimir Mashkov)がタバコフ劇 場の芸 術 監 督に就 任 。 ロシア 青 年アカデミー劇 場ではセルゲイ・ジェノヴァチの下で学んだ 36歳の エゴール・ペレグドフ ( Egor Peregudov)が首 席 演 出 家に抜 擢され た。 その一 方で、 ヤロスラヴリ・ヴォルコフ・ドラマ劇 場ではエヴゲニー・ マルチェッリ ( Yevgeny Marchelly)が自らの意 思により辞 任し、モス クワ・ドラマ芸 術 学 院からは主 要な演 出 家の一 人だったドミトリー・ クリモフ ( Dmitry Krymov)が劇 場を離れている。ヤロスラヴリ・ヴォ 199

ルコフ・ドラマ劇 場はかつてピョートル・フォメンコの助 手を務め、映 画 俳 優としても多くの受 賞 歴を持つセルゲイ・プスケパリス( Sergey

Puskepalis)が後任に指名された。 そして、 モスクワ・レンコム劇場では ロシア初のロックオペラ 『 ユノナ号とアヴォシ号 』 ( 1981)が国 内 全 土 に知れ渡るヒット作となり、映 画 監 督としても 『 12の椅 子 』などの名 作 を残したマルク・ザハーロフ ( Mark Zakharov)が 85歳で死 去 。モス クワきっての人 気 劇場も新たなブランド化を模索することになる。 各 劇 場には時 代によって浮き沈みがあるが、批 評 界における専 門 家の評 価が絶 対 的な要 素ではない。演 劇 祭や演 劇 賞とは無 縁だ が観 客が絶えない劇 場も多い。現 状は集 客に苦 労している劇 場の 方が少ないほど、 ロシアでは人々がドラマ劇 場に通っているのである。 盛 大に行われた演 劇 年のプログラムの数々は、多くの観 客が自分で 思っていた以 上にロシアが「 演 劇の国 」であることを実 感できる機 会 となった。 世界の舞台芸術を知る

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しのざき・なおや 大阪大学大学院博士後期課程修了。言語文化学Ph.D、 ロシア演劇専攻。20世紀初頭のロ シア・アヴァンギャルド期と、ペレストロイカ以降から現在までのロシア演劇を主な研究対象とし ている。1999年から通算して 4 年間の留学生活を過ごしたサンクト・ペテルブルグでは劇場通 いの日々を送り、 ロシアでの観劇本数は1,000本を超えた。著書に『ペテルブルグ舞台芸術の 魅力』(共著、東洋書店、2008年)がある。現在は大阪大学、同志社大学非常勤講師。

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シアター・トピックス 2019


DEVELOPMENTS IN JAPAN and OVERSEAS

(左から)佐藤まいみ (彩の国さいたま芸術劇場舞踊部門プロデューサー)、宮城 聰(演出家、SPAC−静岡県舞台芸術 センター芸術総監督)、中村 茜(パフォーミングアーツ・プロデューサー、株式会社precog代表取締役)

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[シアター・トピックス]

〈 座 談 会 〉 境 界 を 越 える 舞 台 をめざし て ~平 成 3 0 年 間 の 国 際 交 流 を 振り返 る~ 佐 藤まい み 、 宮 城 聰 、 中 村 茜 司会:伊達なつめ バブ ル 絶 頂 期 の 1989年に 始まり、2019年に 幕を閉じた 平 成 期 の 30年 間 は、情 報 通 信 技 術とグローバリゼーションが急 速に進んだ時 代でもあり、日 本と世 界との 関 係も刻 々と変 化を続け て いる。そんな中 、舞 台 芸 術におけ る国 際 交 流はどのように変化してきたのだろうか。 国 境を越え、招 聘 公 演や 海 外 公 演 、共 同 製 作など様 々な形で 先 鋭 的な舞 台 づくりを続 け て いる佐 藤まい み 氏 、宮 城 聰 氏 、中 村 茜 氏 に 、平 成 の 国 際 交 流について振り返っていただいた。


舞踏が導いた海外でのプロデューサーの仕事 伊 達 今 回は、舞 台 芸 術の国 際 交 流の最 前 線で活 躍されてきたお三 方にお集 まりいただきました。佐 藤さんは 1980 年 代から内 外の優れたアーティストの招 聘に 携わってこられたパイオニアで、現 在は彩の国さいたま芸 術 劇 場のプロデューサー として、海 外のアグレッシブなカンパニーを紹 介し続けていらっしゃいます。SPAC ( 静 岡 県 舞 台 芸 術センター)芸 術 総 監 督の宮 城さんは、演 出 家として世 界の舞 台で作品をつくりつづけるとともに、国際的な人脈をさらに広げられています。中村さ んは演 劇のゼロ年 代 、ポストゼロ年 代の海 外 進 出の先 頭に立ち、あらゆる局 面で 活躍されています。 まずは国 際 交 流に携わったきっかけや、 これまでのお仕 事についてお話しいただ けますか。 佐 藤 もともと踊りが好きでした。1980 年に渡 仏して、パリのダンススタジオで世 界 のあちらこちらから来ていた講 師のダンスクラスを受 講していたんですが、 その年 、 大 野 一 雄さんがナンシー・フェスティバルに招 聘され(その直 後にパリ公 演 )、 『ラ・ アルヘンチ ー ナ 頌 』を やったんです 。大 野さ んの公 演は「ル・モンド 紙 」などで大きく取り上 げられて話 題になりまし た 。日本 では 当 時 、舞 踏はマイナーなダンスで、 新聞に大きく掲載される ようなものではなかった から驚きました 。 その 時 に大 野 一 雄さんに同 行 していた舞 踊 評 論 家の

大野一雄『ラ・アルヘンチーナ頌』 1980年 ナンシー・フェスティバル ナンシーの運河にて 撮影:神山貞次郎

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市川雅さんに頼まれて、舞 台 通 訳などのお手 伝いをしたんです。公 演 後にたくさん のプレゼンターが楽 屋に来て「ぜひぜひ、 うちでやりたい」という光 景があって、 それ にもびっくりしました。舞 踏のようなダンスで公 演やツアーを組むことがこの国では仕 事として成 立するんだと、 そのとき初めて知りました。 演 劇やダンスに対する評 価のされ方が、 日本とまったく違う。 どうしてこんなに違う んだろう、 これはフランスに留まらないとわからないなと思いました。 伊達 それで海 外と日本をつなぐプロデューサーの仕 事を? 佐 藤 すぐにというわけではないです。パリに着いて間もなかったので、 自分にはダ ンスで何ができるか探りながらだったと思います。公 演やワークショップ制 作の仕 事 は、1983年 頃から上 杉 満 代さんや室 伏 鴻さんのパリのソロ公 演から手 探りではじ めた感じです。室 伏さんはフランス、ベルギー、 オランダ、 オーストリア、 イタリアにすで にネットワークを持ってい 204

たので 、劇 場 の 連 絡 先 を見 せられて「ここに電 話して」って感じで始ま りました 。本 格 的にダン ス制 作でやって行こうと 思ったのは、1986 年 バ ニョレ振 付コンクールで 受 賞した勅 使川原 三 郎 さんのヨーロッパツアー のオーガナイズに関わっ さとう・まいみ 岩手県生まれ。舞台芸術プロデューサー。1988~89年、国際舞台芸術フェ スティバル ヨコハマ・アート・ウェーブ’89のアーティスティック・ディレクターを務 める。神奈川国際舞台フェスティバル プロデューサー (1993~2006年)、 フランスダンス’ 0 3フェスティバル 代 表プロデューサー、d a n c e d a n c e dance@Yokohamaディレクター (2012年・2015年)等を歴任。2005年より 彩の国さいたま芸術劇場プロデューサー (舞踊部門) を務め、現在に至る。

てからですね。 このときも、 受 賞 後 すぐに多くの 劇 場 やフェスから出 演 依 頼がありました。若 手 新


人に対しての公 演 依 頼が早い! 伊 達 こちらから売り込もうとしたの ではなく、舞 踏がヨーロッパで求めら れていたということですね。 佐 藤 需 要のエネルギーは強く感 じました。パリで室 伏 鴻の舞 踏ワーク ショップをオーガナイズしたとき、たくさ

みやぎ・さとし 1959年東京生まれ。演出家、SPAC-静岡県舞台芸術セン

んの応 募があったんです。参 加 者に

ター芸術総監督。90年ク・ナウカ旗揚げ。国際的な公演活

なぜこのワークショップを受けるのと

SPAC芸術総監督に就任。自作の上演、世界各地からの作

聞くと、異 口 同 音に、私たちフランス 人はカルテジアン、直 訳するとデカル

動を展 開し、国 内 外から高い 評 価を得る。2 0 0 7年 4 月 品招聘、アウトリーチと人材育成を並行させ、 「 世界を見る 窓」 としての劇場運営を行っている。17年、アジアの演出家 として初めてアヴィニヨン演劇祭のオープニングに選ばれ、 法王庁中庭で 『アンティゴネ』 を上演した。

ト主 義だから理 屈っぽい、舞 踏には 自分たち西 洋 人の理 屈では捉えられない別な世 界があるような気がして、 という答 えが返ってきました。舞 踏が論 理の対 局にあるものという理 解 。近 代 思 想では捉え られない、何か別の突 破口を必要としているのかなという気がしました。 中村 舞 踏への注目とまいみさんの仕事が、同時に広まっていったんですね。 「尖り続ける」ために世界とのネットワークを築く 伊 達 宮 城さんはク・ナウカの頃から海 外 公 演にも積 極 的でしたが、海 外への志 向をお持ちになったきっかけは? 宮 城 世 代 的なものだと思いますね 。1970 年 頃まではまだ「 追いつけ追い越 せ」って言 葉があって、あの頃の小 学 生は、 ジャンルはなんであれ「いつかは世 界 で」って思ってたんじゃないかな。 でもふと気づくと、 自分は演 劇を選んじゃってて。 伊達 言 葉の壁が。 宮 城 そうなんです。 日本 人 以 外で日本の演 劇を観ている人はほとんどいない。80 年 代の終わりに一 人 芝 居を始めたんですが、 このままでは日本 人にしか僕の芝 居 世界の舞台芸術を知る

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をわかってもらえないなと気づいて。 ど うしたら日本 語という壁を越えられる のか、考えるようになってたんですね。 伊 達 宮 城さんは、80年 代の小 劇 場ブームまっただ中の世 代でいらっ しゃいますよね。 宮 城 僕 は 小 劇 場ブ ームの 頃に

1979年東京生まれ。 (株)precog代表取締役、 ( 一社) ドリフ

何 万 人も動 員する芝 居をつくれな

ターズ・インターナショナル理 事 。舞 台 制 作 者ネットワーク

かったし、 そういう作 品を目指してい

ニブロール、岡崎芸術座、飴屋法水等の活動をプロデュー

なかったから、逆に世 界で通 用する 中身について追 究できたということで しょうかね。 206

なかむら・あかね

ON-PAM理事。吾妻橋ダンスクロッシング、 チェルフィッチュ、 ス。海外公演実績は30か国79都市以上に及ぶ。 「スペクタ クル・イン・ザ・ファーム」 ( 2009,10)、 「 世界の小劇場」 ( 12)、 「KAFE9」 ( 12)等のプロデュース、 「 国東半島芸術祭」 ( 14) 「True Colors Festival-超ダイバーシティ芸術祭-」 ( 19-20) 等のパフォーマンスプログラムのディレクションに携わる。

日本の演 劇 業 界にとじこもっているとやがて疲れていくというのも、先 輩たちを見 て感じていたことでした。一 方で、第1次アングラ世 代にあたる鈴 木 忠 志さんなど は、世 界とつながることでテンションを落とさずに活 動を続けていた。当 時 、東 京の 舞台 人が生きていく方 法といったら、CMや深 夜ドラマにちょっと出てお金を稼ぐくら いしかなかったのに、SCOTの劇 団員はそうじゃないやり方でちゃんと食ってる。 「鈴 木さんはどうしてそれができるんだろう」と興味をもちました。 伊達 鈴 木さんは、意識して世界とのネットワークをつくっていらした… … 。 宮城 慧眼ですよね。鈴木さんがあるときポロッと「 30 代は人脈をつくるために費や したな… … 」っておっしゃってました。 想 像ですけど、彼にそれができたのは、磯 崎 新さんや大 江 健 三 郎さんといった、 国 際 的に活 動している友 人の仕 事を見ていたからかなと思います。 日本でしか仕 事がないと、 どうしても日本の現 状にアジャストしてしまうけれど、地 球のどこかで仕 事 を取ればいいなら尖り続けていられる。 伊達 宮 城さんは世 界に出ていくために、具体的にどういうことをされたんですか?


宮 城 僕の世 代だと、 まず利 賀フェスティバルに出ないとって感じだったと思います。 をやって、 そこから海 外 公 演が増えていきました。 ク・ナウカは 93年に利 賀で『 サロメ』 パパ・タラフマラとか如月小春さん、第三エロチカもそう。利賀フェスティバルは第1回 ( 1982 年 )からすごかった。だって、あの山 奥に、 ロバート・ウィルソンとメレディス・モ ンクと、 タデウシュ・カントールが来てるんだよ。 中村 鈴 木さんがつくられたのは、国際的な人脈なんですね。 宮 城 そう。自分で海 外のフェスティバルへ行って、 アーティスト同 士が知り合うこ とが大 事だというのも、彼に学んだことです。事 務レベルだと、すぐギャラの話になっ ちゃう。 僕にも、意 識する人が世 界に何 人かできました。 オリヴィエ・ピィさんとか、 (トーマ ス・)オスターマイアーさんとかね。孤 独の度 合いが似ているというか。会った瞬 間 に「 君のこと、僕ちょっとわかるよ」みたいな共 感がお互いにあるんですよね。 シンパ シーがあると、ネットワークが実 質 的に機 能する。相 手が困っている時には、 「カネ はないみたいだけどとにかく行こうか」ってことになるし。 伊 達 そこは重 要ですね。 「買い付け」の感 覚ではなく、 アーティスト同 士の対 等な 関係が。 宮城 張り合ってもいる んですよ。 「 あいつ 、頑 張 ってるな 。自 分も頑 張ろう」って思える人が、 日本 以 外に、世 界に数 人いる。 それが、50 歳を 過ぎても高いテンション でやっていく秘 訣だと思 います。 ク・ナウカ 『サロメ』 1991年 写真提供:ク・ナウカ

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SPAC『アンティゴネ』 2017年 アヴィニヨン演劇祭オープニング作品 撮影:Christophe Raynaud de Lage

ヨーロッパ流のものづくりは予算と支出の発想が逆 伊 達 中村さんはチェルフィッチュの海 外 公 演をプロデュースされて、 その大 成 功 は国 際 交 流の理 想 形といったイメージがあります。岡 田( 利 規 ) さんの成 功は当初 から予 想されていましたか? 208

中 村 いいえ、全 然 。私もまいみさんと同じくダンサー志 望だったんですが、先 生や 家 族の病 気など個 人 的な事 情が重なって、 プロデュースの方へいったんです。 で すから、 日本のダンスを国 際 的なフィールドへ持っていきたいと当初から思っていて、 勅 使 川 原 三 郎さんやダムタイプを先 行 世 代として見ていました。一 方で、学 生 時 ダンスと演 劇の境 界 線がゆらいでくる 代は横 浜の STスポットでボランティアをして、 状 況に立ち合いました。宮 城さんがおっしゃったように、私たちの世 代にも、演 劇で 生き残っていくには商 業 演 劇というところで活 動するしかないという感 覚はありました。 ただ、岡 田さんの表 現はダンスと親 和 性が高いので、勅 使 川 原さんのような活 動形態が可能になることはイメージできたんです。 だから、 セゾン文化財団の助成を いただいたとき、 このチャンスを逃しちゃいけないと思い、早 速ヨーロッパに調 査に行 きました。 ウィーン芸 術 週 間とかフェスティバル・ドートンヌ、 クンステンフェスティバルと か全部回って。本当にラッキーなことに、2007 年にクンステン・デビューができました。 伊達 中村さんからプレゼンをしたことで実現したんですか? 中 村 いえ、実 現までに 2 年ほどかかっているんです。2006 年に、ポストメインスト


リーム・パフォーミングアーツ・フェスティバル( PPAF )で『 三月の 5 日間 』を再 演し たんですが、出 演 者のティム・エッチェルスの紹 介で、 クンステンのディレクターであ るクリストフ・スラフマイルダーが六 本 木まで観に来てくれたんです。 クリストフはディ レクターに就 任したばかりで、自分の色を探していました。だから2007年 、彼のデ ビューに合わせて我々もデビューできたというところです。 伊達 その 2 年の間に、 ヨーロッパで人 脈づくりをされていたんですね。 中 村 ディレクターの前で自分たちが何 者かをアピールするのは、非 常に緊 張 感 のある、自分を試される経 験でしたね。 「 何が欲しいの?」 「 何をやりたい人たちな の?」ということを何 度も問われました。 クンステンでの上 演の後 、50 件ものオファー のメールが来て…… 。 伊達 オファー 50 件って、 いまや伝説みたいになっていますよね。 中 村 日本では、チケット収 入から何ができるかを考えるけれど、 ヨーロッパで共 同 制 作をオファーするときは支出が先 。つくりたいものを先に並べて、 これだけ予 算をく れと言わなければならない。 そんなフリーハンドで考えちゃっていいの? と、 なかなか 逆 の 思 考 ができません でした。 その一 方で、自 由な創 造に投 資をした いと思う人たちがこんな にたくさんいるんだと感 動して。劇 場は知 的 創 造 性を守る銀 行 のよう な役 割を持っているん ですよね。 伊達 観客の反応もす ごかったんですか? 中 村 1 週 間の上 演

チェルフィッチュ 『三月の 5日間』2007年 クンステン・フェスティバルKaaistudio's 撮影:Michele Rossignol

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期 間は満 席が続いていたんですけど、次の週のパリ日本 文 化 会 館での公 演に来 てくれる観 客もいました。 フェスティバルと観 客の間にも強い信 頼 関 係があるんです。 観 客は知 名 度よりも、知 的 好 奇 心で来てくれる。舞 踏 、勅 使川原さんやダムタイプ に続いて、久々に見る日本の演劇ということで注目された面はあると思います。 伊 達 お三 方の話を聞くと、海 外に受け入れられるためには、やはりフィジカルの 要素が重 要だと感じますね。 宮 城 台 詞の意 味はわからなくても、僕にとって面 白い芝 居と面 白くない芝 居は はっきりとある。考えてみると、僕はそこに出ている俳 優の、身体と言 葉の関 係の取り 方を見ているんですよね。 その距離感がスリリングな演劇はずっと見ちゃうし、平凡な ものは、 「 早く終わんないかな」と思っちゃう。 まさにチェルフィッチュは、 日本 語がわ からなくても「わかる」んですよ。 中 村 ヨーロッパの観 客にとって、岡 田さんの手 法はメソッドとして非 常に理 解し 210

やすかったのかなと。 もうひとつは、経 済が低 迷した日本の「ロストジェネレーション 世 代の身体 」という点でも注目を集めたのかなと思います。 伊 達 日本の現 状を、出 演 者の身 体から受 け取れるということですね。 中 村 そうです。 ロスジェネ世 代の、希 望のな い身 体 、疲れた身 体 。 そこにアイロニーと笑い があるという意味でも注目される。 宮 城 ヨーロッパ人のほうが先に疲れたから、 共 感しやすいのかもしれない( 笑 ) 。余 談ですけ ど、成 長が止まった日本は、自分たちが世 界に だて・なつめ 演 劇ジャーナリスト。演 劇 、ダンス、 ミュージカ ル、古典芸能など、国内外のあらゆるパフォーミ ングアーツを取材し、 『 InRed』 『 CREA 』 などの 一般誌や、 『 TJAPAN 』などのwebメディアに 寄稿。東京芸術劇場企画運営委員、文化庁 芸術祭審査委員(2017〜2019)など歴任。

攻め込まなくなって初めて「クール」になれた のかなと思います。 クールとは停 滞の果 実じゃ ないかと思うんですよ。


フェスティバルを続けるには? 伊 達 まいみさんは、 日本が欧 米のアグレッシブな文 化に憧れていたとき、 まさにそ ういうものを持ってきてくださったという印 象があります。 ディレクターを務められたヨ コハマ・アート・ウェーブは、 ヨーロッパの先 鋭 的なダンスカンパニーを集めたイベン トでした。 佐 藤 ヨコハマ・アート・ウェーブは 1989 年 、平 成 元 年なんですね。平 成の初 頭 には、ベルリンの壁 崩 壊や EU 統 合など、 ヨーロッパでは大きな変 動が起きていま す。世 界 的にグローバル化が急 速に進んで、世 界が狭くなっていったような時 代で す。89年といえばバブルの絶 頂 期 。1987年 半ば、勅 使川原 三 郎のスパイラルホー ル公 演の制 作で帰 国していた時に、横 浜 市の方から開 港 130 周年の記 念 行 事と して国 際 舞 台 芸 術フェスティバルに取り組みたいというお話があり、準 備 委員会の 委員に誘われました。演 劇 祭は利 賀でやっているし、音 楽 祭はすでにあちこちにあ る。最 終 的に、横 浜 初の国 際 舞 台 芸 術フェスティバルはダンスと身体 表 現に絞ろう ということになりました。 伊達 プログラムの選定はどのように? 佐 藤 海 外の作 品は、 8年 間ほどのパリ滞 在 中にヨーロッパの劇 場やフェスティ バルで見た数えきれない公 演から、 自分自身が刺 激されたもの、 日本ではまだ紹 介 されていない作 品を中心に選びました。 ピナ・バウシュの『カーネーション』、初 来日 のローザスの『 バルトーク弦 楽 四 重 奏 』、あとは、 これも初 来日でスペイン・カタルー ニャ地 方の男性グループでラ・フーラ・デルス・バウスの『 Suz/O/Suz 』。 日本からは 横 浜ボートシアターや白 虎 社に出てもらいました。大 野 一 雄さんや山 海 塾 、勅 使 川 原 三 郎さんにも声をかけたんですが、海 外フェスティバルと日程が重なっていて 無理だったのはとても残念でした。国際共同制作でフェス初演の新作も考えました が、当時は稽 古 場が長 期 間は確 保できなかったので断 念しました。関 連 企 画とし て、土 方 巽の展 覧 会やダンス映 像 上 映 会 、 ダンスワークショップやシンポジウムな ど多 面 的にダンスに触れられる内 容にしました。 ピナ・バウシュの『カーネーション』 世界の舞台芸術を知る

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ラ・フーラ・デルス・バウス 『Suz/O/Suz』 1989年 ヨコハマ・アート・ウェーブ 宇徳運輸新山下倉庫にて 撮影:宮内勝

は、 このフェスを象 徴す る内 容だったので、 この 作 品でオープニングを 飾れて嬉しかった。 伊 達 すごいセレクショ ンですよね。反 響は大き かったですか? 佐 藤 ピナ・バウシュ の『カーネーション 』は 当 初 から注目されてい ましたが、初 来日のロー ザスは初日には半 分ぐらいの入りだったのが翌日の公 演は 80%と、たった 1 日の口 212

コミで増えました。 ラ・フーラは倉 庫 公 演でしたが、1000人ほどの観 客はオールスタ ンディング。ハードロックバンドの爆 音 鳴り響く中、戦いのシーンではパフォーマーた ちが大きな松 明を持って練り歩いたり観 客の中を所 狭しと駆け回って生 肉の塊を 投げ合ったりと、確かにこれはアグレッシブでしたね。 ラ・フーラ・デルス・バウスはテレ ビの深 夜 番 組「 11PM」でも紹 介され、チケットがすぐ売り切れてしまったんですが、 入れなかった人たちは会 場の前を離れずにそこにいて、観 客の熱 意と期 待のエネ ルギーがすごかった。 この演目は「フライデー」や「 週 刊 新 潮 」の記 事にもなり、 フェ ス後に批 評もたくさん出て反響の大きさを実感させられましたね。 伊達 バブル崩壊までは、呼びたいカンパニーは順調に呼べる状況が続いたので しょうか。 佐 藤 いいえ。 アート・ウェーブは隔 年 開 催の予 定と市から伝えられていたので、 次の準 備にかかろうとしていたら、 「 次 回はこのフェスに使える市の予 算がかなり減 るから難しいと思う」と言われて。 「 次の予 算のこと全 然 考えてなかった。 なんてば かだったんだろう!」と猛 省しました。 その時からフェスティバルを持 続する方 法につ


いて、真 剣に考え始めました。

1990 年 代に入ると、全 国に公 共 劇 場が次々と誕 生し、財 団がその運 営を担う ようになっていきました。93 年には神 奈 川 芸 術 文 化 財 団ができて、神 奈 川 国 際 舞 台 芸 術フェスティバルを開 催することになり、 プロデューサーとしてヨコハマ・アー ト・ウェーブの続きのような気 持ちで企 画に取り組み、 ウィリアム・フォーサイスやフィ リップ・ドゥクフレ、ヤン・ファーブルの作 品 、 ダムタイプの『 S/ N 』、勅 使 川 原さんの 『 BONES IN PAGES 』などを上 演できました。 そんな感じでアート・ウェーブの 4 年後 、 なんとか毎 年 開催のフェスティバルにつながったんです。 伊達 バブル後に公 共の支援が整い始めて、 フェスティバルにつながるんですね。 佐藤 県や市が文化財団構想に取り組み始めたのはバブルのおかげだったと思 うんです。バブル崩 壊の数 年 前には、多くの自治 体が財 団 構 想に取り組んでいま した。数百億の基 金を目標にした文 化 財 団を立ち上げて、 その利 子を文 化・芸 術 活 動のために使いましょうというものですが、現 実には構 想を裏 切ってバブルが弾 けたころに財 団ができあがったので、 その後の運 営は皆さんご存 知のように大 変な んです。でもとにかくそのおかげで、主 催 者は横 浜 市から神 奈 川 芸 術 文 化 財 団に 変わりましたが、継 続 可能なダンスフェスが再開できたのです。 伊 達 宮 城さんは鈴 木 忠 志さんの後 任で 2007年にSPAC 芸 術 総 監 督になられ、

2000年に始まった「 Shizuoka春の芸術祭」を引き継いで、2011年からは「ふじのく に⇄せかい演 劇 祭 」として開 催されています。東 京 近 辺には、国 際 的な演 劇 祭は ずっと根 付いていなくて、1990年に始まった東 京 国 際 演 劇 祭も、バブル崩 壊ととも に縮 小してしまった印 象があります。 「ふじのくに」は、 それに代わる国 際フェスティバ ルの役 割を果たしてきたのではないかと。 宮 城 「ふじのくに」は、 さっき申し上げたアーティスト同 士の友 情で成り立ってるよ うなところがあって、今も昔もお金はないです( 笑 )。 アーティストのちっちゃな別 荘が 日本にあって、 そこに遊びに来てくださいという感じのしつらえでやっているから、何と かクオリティを維 持できているのかなと。 世界の舞台芸術を知る

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伊 達 東 京 国 際 演 劇 祭を起 点として、2009 年から始まったフェスティバル /トー も成果を出していたと思います。2016年には、宮 城さんが総合ディレク キョー( F/T) ターに就 任され、F/Tをはじめとする池 袋エリアの演 劇 祭や公 演をひとつの傘にお さめた「 東 京 芸 術 祭 」が始まりました。 ここ 2 年ほどで、世 界のフェスティバルと肩を 並べるための方 向 性が見えてきたのでは。 中 村 2009年に相 馬 千 秋さんが F/Tのディレクターに就 任されてからは、 ヨーロッ パが身近に感じられるようになりましたよね。 ビッグネームの作 品を観られるフェスティ バルはそれまでもあったけれど、今カミングアップしているアーティストに触れられるとこ ろはあまりなかった。当 時 、F/ Tがたくさんの国 際 共 同 制 作を行ったことで、 日本の アーティストも、欧 米のアーティストたちと対 等な立 場で作 品づくりができる環 境が整 いつつあったように感じています。 一 方で、2010年には京 都エクスペリメント ( 京 都 国 際 舞 台 芸 術 祭 )ができて、横 214

あいちトリエンナーレ 浜トリエンナーレ( 2000~)、瀬 戸 内 国 際 芸 術 祭( 2010~)、 ( 2010~) といった現 代アートのフェスティバルも始まりました。 ジャンルを越えて、公 共によるフェスティバルがブームになったのも、2000年代の特徴ですよね。 アジアならではの問題意識を共有するプラットフォームとは? 伊達 これまで欧 米 諸国との国際交流を中心にうかがってきましたが、 アジア地 域 についてはいかがですか。 中 村 まさに今 、 アジアを旅する移 動 型プラットフォーム、 「 Jejak(ジェジャック)旅 Exchange」というのをやっているんですよ。 ジェジャックというのはマレーシア語で 「 歩み」、 インドネシア語で「 足 跡 」という意 味です。昨 年はマレーシアのクアラルン プールとインドネシアのジョグジャカルタで。今 年は沖 縄とフィリピンのロハスシティで やります。 宮城 どういう人が参 加するの? 中 村 去 年は振 付 家のピチェ・クランチェンとパドミニ・チェターを中心に、東 南ア


ジア各 国の中 堅どころのアーティスト約 20人と、プロデューサーやキュレーターが 参 加して、公 演やワークショップや展 示 、 トークもやりました。 アジア内で作 品をシェ アして、 ネットワークを生み出そうというプラットフォームなんです。 伊達 どんな問 題 意識で始められたんですか? 中 村 アジアには、TPAM( 国 際 舞 台 芸 術ミーティング in 横 浜 )、BIPAM(バ ンコク国 際 舞 台 芸 術ミーティング)、ADAM( Asia Discovers Asia Meeting for

Contemporary Performance)など様々なプラットフォームがありますが、参 加した アーティストたちは、欧 米で評 価されればそちらに行ってしまう。特に東 南アジアはイ ンフラが整っていないので、出 演 者 10人 以 上で大きな舞 台 美 術のあるような作 品 をつくってしまうと、本 国では展 開できないことも多い状 況です。欧 米の流 通に乗れ れば「 成 功 」なのに、作 品が本 国で行き場を失ってしまう。経 済 格 差を超えた、 ア ジアならではの創 作を支えるシステムがつくれないかなと思って、 リサーチを始めた 215

んです。 もう一つ、批 評の問 題があって。たとえばタイ伝 統 舞 踊を土 台としたピチェ・クラ ンチェンの作 品は、 ヨーロッパではエキゾチシズムの中で語られてしまい、彼の政 治 性や問 題 意 識まではなかなか理 解されません。 アジアならではの文 脈を見出し、批 評的な言 語が開 発されればいいなと。 伊達 実 際に始めてみて、感触はいかがですか。 中 村 たとえば 、 インドネシアの多 民 族 性に関わる作 品をマレーシアでやると、マ レーシアの人たちが自国の多 民 族 性への問 題 意 識に照らして感 想を語り始めま す。優 遇された環 境があるマレー人のマレーシアだけでなく、中華 系 、 インド系の人 たちから見たマレーシアも見えてきて。多 民 族 社 会への違 和 感がどのように生じて くるのか、 より具 体 的にわかるんですね。漠 然としていた「アジア」という存 在がグラ デーションに見えてくる。点と点がつながる感じがあります。 宮 城 僕らのネットワークにかかってくるマレーシア人って、英 語ペラペラの「 勝ち 組」がほとんどですよね。 そうじゃない人たちをどうやってキャッチしたの? 世界の舞台芸術を知る

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中村 中華系マレーシア人のリム・ハウニェンと、 ジョグジャカルタで活躍しているヘ リー・ミナルティと私の3人でキュレーターチームを組んで、必ず現 地の信 頼のある 団体とコラボレーションするようにしています。海外との交 流がなかったアーティストを、 意 識して掘り起こすようにしていますね。 佐 藤 ピチェもそうだけれど、 これまではアジアの作 品を西 洋のフィルターを通して 見てしまう気がしていました。 インドネシアの舞 踊だって、 オランダのフィルターを通し て観ている。 アジアの国々は、皆 西 洋の国に支 配された過 去があり、 それぞれがす ごく複 雑な文 化を持っているから。 アジア側からアジアを見るという中村さんのプラッ トフォームは、新たな一 歩になりそうですね。 中 村 なるといいなと。世 界 各 地の国 際 交 流 基 金のネットワークの蓄 積は、長らく 日本の国 際 交 流の礎になっています。一 方で、特にアジアは基 金 以 外の交 流 窓 口が開かれにくく、同じアーティストにしかリーチしない面があったと思うんです。 216

宮 城 APAF(アジア舞 台 芸 術 人 材 育 成 部 門:2002年 開 始のアジア舞 台 芸 術 祭を前身とした人 材 育 成プログラム。2017年より東 京 芸 術 祭の 1 部 門 ) も、考え方 はとても似ているんだよね。参 加 者は国 際 交 流 基 金の協力で選んだけれど、基 金 の現地 事 務 所の人たちは有名どころだけでなく、すごく幅 広く芝 居を観てるよ。 中 村 そうだと思います。ただ、 プロデュースの専 門 家なら、 アーティスト一 人 一 人 の問 題 意 識や資 質を知って、世 界に通じる作 品が生まれる可 能 性を考えてマッチ ングすると思うんですけど。長 期 的な戦 略をもったコラボレーションは、 これまであまり なかったのかなと。 宮城 それはなかったかもしれないですね。 「 食 」といった共 通のテーマでクリエイションをされ 中 村 APAFでは、毎 年「 雨 」 ていたと思うんですけど、 この人たちがどんな必 然 性をもってそのテーマに取り組ん でいるかが、私にはよくわからなかったんです。作 品としての完 成 度を目指すより、実 践やプロセスを重 視したコラボレーションだったのかなと理 解していました。 では、宮 城さんたちがつくった実 践の場を、 どうその先に進めていくかが我々の世 代の課 題


だなと思って。 宮 城 たしかに。 そのテーマに必 然 性があったからではなくて、みんなが出 会うた めに土 俵をひとまず用 意したという意 味ではあった。中村さんの言っていることはそ の一つ先ですね。2018年からAPAFのプロデューサーになった多 田 淳 之 介くんは、 たぶん中村さんに考え方が近いと思う。 中 村 そうですね。 アジアのアーティスト同 士が出 会う場はすでにある。 「アジア」と いう漠 然とした存 在をよりカラフルに認識するために、作 品づくりの必 然 性は大 事に したいと思っています。

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フィリップ・ ドゥクフレ『Iris』 2003年 神奈川県民ホール 日、仏、中のアーティストによる国際共同制作作品 撮影:Arnold.Groeschel

すべての文化は 混交と化学反応から生まれる 宮 城 このへんで時 代をさかのぼって、 なぜ皆がアジアに目を向けるようになった のかについても、 ちょっと話したほうがいいんじゃないかな。 僕の場 合は、ずっと世 界で勝負するならニューヨークかパリでと思っていたわけ 「 Mr.ミヤギ、 日本 式の歩き方 だけど、94 年にアトランタで演 出の仕 事をしたとき、 世界の舞台芸術を知る

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を教えてください」って言われたんだ。あれ? 日本 独 特の歩き方ってあったっけ と思って。たとえば 阿 波 踊りの足 運びとかがすぐ思い浮かぶけど、ほぼ 同じ動きが 韓 国やカンボジアにもある。 日本とは何かと考えるなら、 まずアジアの他の国と比べな きゃいけない。 それで、韓 国 、中国 、 インド、チベットと、 いろんな国で基 礎 訓 練を交 換 し合うワークショップをしていったんだけれど、結 局わかったのは「日本オリジナルな ものなんて何もない」ってことだった。 もっといえば 、中国オリジナルもインドオリジナル もない。文 化って全 部が混 交と化 学 反 応でできていて、混ざることで洗 練されてい く。 そういう目で見ると、近 代 以 前のアジアってものすごく文 化 交 流があったんだとわ かってね。 佐藤 海のシルクロードというのもありましたよね。 宮 城 近 代 以 降はアジアのどの国も、 ヨーロッパと自国を比べるようになって、洗 練 が止まってしまった。 アジアの国 同 士の文 化が混ざれば、 それぞれが微 妙に違うか 218

ら洗 練されるけど、 ヨーロッパは違いすぎるから。文 化と文 化が出 合って化 学 反 応 を起こす瞬 間を、観 客と共 有しようとしたのが僕らの『マハーバーラタ~ナラ王の 冒険 』だったんだけど。 アジアを探 求していくうちに、混 交でできているのはヨーロッ パ文 化も同じだし、 「アジア人 同 士じゃないと理 解し得ない文 脈 」ってのは表 現と してどうかとも思うように なったよ。 中 村 2018年 の 「 Jeja k- 旅 」で 、ジョグ ジャカルタのコンテンポ ラリーダンスの歴 史につ いて、現 地の Cemetyと いうギャラリーが展 覧 会 をつくってくれたんです SPAC『マハーバーラタ』 東アジア文化都市2019豊島 撮影:前澤秀登

が、 それによると、1950


~ 60年 代 、 スカルノがインドネシア各 地の舞 踊のマスターたちを乗せた船を仕 立て て、世 界ツアーを行わせたそうです。彼らがアメリカでマーサ・グラハムと出会って。 宮城 芸 術のピースボートだね。 中 村 そのマスターたちが、古 典 舞 踊とマーサのモダンダンスを融 合させた。 ジョ グジャのコンテンポラリーダンスの文 脈もそのように「 混ざる」ことで始まったそうです。 たとえば 沖 縄の組 踊りも、中国と日本を行き来する琉 球の人たちの文 化の結 晶 で、中 国 、 日本 、琉 球の芸 能が非 常に洗 練された形でミックスされています。 その 結 晶をアジア側から眺めることで、帝 国 主 義 時 代の日本や、今の日本がその延 長 にいることもすごくリアルに見えてくる。だから、 「 Jejak- 旅 」の 4 回目は沖 縄でやろうと 思っているんですよ。

「対等な出会い」が作品世界を強くする 伊 達 アジア圏のつながりの強 化も含めて、 「 対 等 」という言 葉がキーワードとし て出てきていると思います。 アーティスト同 士が国 境を越えて、対 等な関 係でコラボ レーションするためには何が必 要でしょうか。 佐 藤 20世 紀のメインストリームの舞 台 作 品づくりは、演出家 、振 付 家 、脚 本 家が いて、 その世 界 観をよりよく表 現するために相 応の技 術を身につけたダンサーやア クターが必 要というものだったと思います。 そこにははっきりしたヒエラルキーがありま すよね。 でも20世 紀 後 半になると、対 等な立 場での共 同 創 作というやり方がダンス でも多くなってきています。 ダンスの場 合は、例えばピナ・バウシュ・カンパニーのダン サーが多 国 籍で知られているように、以 前から国 境を超えたコラボレーションが行 われていたので、対等という観点から創作について考える機会はあまりなかったかも しれないです。 中 村 「日中友 好 」みたいな冠をつけた国 同 士の関 係ではなく、 アーティスト同 士 の風 通しをよくすることが大 切だと思います。たとえば 岡 崎 藝 術 座の神 里 雄 大さん クーラーも は、2017年のジョグジャカルタ公 演で開 眼したというか。電 源 車を借り、 世界の舞台芸術を知る

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設 営して、ギャラリーカ フェの 二 階スペ ースで 『 + 51 アビアシオン, サ ンボルハ 』をやったんで すけど、途 中 で 裏 のピ 岡崎藝術座 『+51 アビアシオン, サンボルハ』 2017年 ジョグジャカルタ公演 Kebun Forum

ザ屋でパーティが始まっ て、 ものすごい音に飲み

込まれちゃったんです。でもその後 、視 野がすごく広がった。 「ライブってこういうこと だ」って彼の中で再 認識されたんだと思います。 インドネシアの聴 衆の前で初めて自作 品のプレゼ 劇 団 Q の市 原 佐 都 子さんは、 ンをしたんですが、 それが素 晴らしかったんですよ。相 模 原での障 害 者 殺 傷 事 件か ら優 生 思 想への問 題 意 識 、 そして自分が「なぜここにいるか」ということを、言 葉を 220

推 敲し、丁 寧に伝えていた。共 通 認 識のまったくない観 客に「 伝える」という経 験が、 彼女の創作の力強さにつながったと思います。 そんなふうに、お互いが「ここでやるこ との必 然 性 」を見つけていくと、対 等なコラボレーションが積みあがっていくんじゃな いかと思っています。 佐 藤 時 間をかけて丁 寧にコラボレーションに取り組んでゆける環 境を準 備したり、 自発 的な作り手の意 欲や意 志を醸 成していくのも、今の時 代のプロデューサーの 大きな役 割 。 宮 城 アーティスト自身がアジアに行くことが大 事じゃないですか。 そうすれば 、 イン フラなんて作 品のクオリティに何の関 係もないんだってことがよくわかるから。一 見 貧 しいと思われる環 境でも、作 品は決して貧しくならない。 アジアに限らず、サラエボで スーザン・ソンタグが演 出した『ゴドーを待ちながら』 とか、 いろんな例があるけど。た だ、 アーティスト自身は目の前のことに必 死でなかなか世 界へ出ていかないから。中 村さんのように、誰かがプラットフォームをつくること、 アーティストはとにかくそこへ出て 行くことがすごく大 事だと思います。


佐 藤 『 プラータナー:憑 依 のポートレート』の 東 京 初 演のとき、岡 田さんが「こ の企 画は僕じゃなくてプロ デュー サ ー が 考えたんで す」って言ってたんだけど、

ウティット・へーマムーン×岡田利規×塚原悠也 『プラータナー:憑依のポートレート』 響きあうアジア2019 東京芸術劇場 シアターイースト 撮影:高野 ユリカ

えっ、やりたくなかったの?

( 笑 ) 。でも結 果としては、原 作となったタイの小 説 、岡 田さんの演 出 、タイ人のアー ティストたちの仕 事 、すべての化 学 反 応で多 様なエネルギーが渦 巻くパワフルな作 品になっていましたよね。 伊 達 プロデューサーの仕 事はとても重 要ですね。 ちょっと強引にでも、 アーティスト を世 界の舞 台に引っ張り出さないと。 221

宮城 まずは、みんながパスポートを取得したほうがいいよね。 伊達 まだまだ続きをうかがいたい気持ちです。貴重なお話と提 言の数々、本当に ありがとうございました。 ( 2019年 11月29日・12月20日 東京/構成・文:坂口香 野 撮 影:石 澤 知 絵 子 )

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旧PARCO劇場 写真提供:株式会社パルコ 撮影:西村淳

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[シアター・トピックス]

新し い 芝 居 に 挑 み 続 け る 劇 場 ─ 新生 PARCO 劇場 開場に寄せて 杉山 弘

JR 渋 谷 駅 前にあるハチ公 前 広 場・スクランブル交 差 点は、サッカ ー W 杯で日本 代 表チームが勝 利した日や、思い思いの仮 装に身を 包むハロウィーン、大 晦日など、若 者たちが大 挙 繰り出して祭り気 分 に浸る。近 年は、東 京 名 所の一つとして自撮り棒を手にした来日観 光 客でにぎわっている。若 者が集う街としてすっかり定 着した渋 谷だ


が、ほんの半 世 紀 前は渋 谷 川の流れる静かな住 宅 街と花 街・飲 食 店が同 居する大人の街だった。 大きな変 貌を遂げたのは 1964 年の東 京 五 輪からだった。隣 接す る代々木 公 園に選 手 村が 置かれ 、代々木 体 育 館では競 泳とバス ケットボールが、渋 谷 公 会 堂では重 量 挙げが実 施され、公 共 放 送 の NHKが 内 幸 町から渋 谷に移 転を始めた。 その NHKが 全 面 移 転した 73年にPARCO劇 場(当時は西 武 劇 場 、85年から現 在の名 称 )が開 場した。政 治の季 節だった当時を振り返れば、若 者 文 化の 中心は新 宿で、文 学 座や劇 団民 藝などの新 劇 団の現 代 劇に、 アン グラ芝 居が上 演されていた。歌 舞 伎や宝 塚 歌 劇を上 演する銀 座・ 日比 谷 地 区と人 気を二 分していたが、PARCO 劇 場の誕 生とともに その演 劇 地 図は塗り替わっていく。 223

その原 動力のひとつに「セゾン文 化 」のイメージ戦 略があった。文 化 的なインフラを整 備することで新しい文 化に憧れる多くの若 者に これからの 生 活 様 式を提 案 するもので 、 その中 核 的な存 在として

PARCO劇 場が位 置づけられる。ポップなテレビCMやポスターに加 え、近 隣には同じ資 本 系 列のパルコミュージアムやシネクイント、 クラ ブクアトロが併 設され、美 術や映 画 、音 楽の分 野でも、今 風に言うな ら「エッジを利かせた」文 化を積 極 的に発 信した。PARCO劇 場でも 演 劇 以 外の多 様な試みが展 開される。安 部 公 房や山 崎 正 和の最 新 作の上 演に加え、現 代 音 楽 家の武 満 徹と高 橋 悠 治が企 画・構 コンサ 成・監 修した『 MUSIC TODAY 今日の音 楽 』のシリーズ化 、 ートにバレエ・モダンダンス公 演 、 ファッションショーと多 彩なプログラ ムを組んだ。渋 谷へ行けば 新しくてお洒 落なものに出 合える。 この仕 掛けに若 者が強く反応する。 演 劇 的な視 点から見ても、上 演される芝 居には大きな特 徴があ 世界の舞台芸術を知る

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った。 ひとつは創 作 劇の上 演による新しい演 劇 人の掘り起こし。 まず、 劇 作 家・井 上ひさしと演 出 家・木 村 光 一がコンビを組んだ音 楽 劇が 大きな話題を呼んだ。英・エジンバラ演劇祭に招かれた『 藪原検校 』 シェイクスピアの全 37作を戯 曲に織り込んだ『 天 保 十 二 年の ( 73)、 シェイクスピア』 ( 74)、言 葉と言 葉の葛 藤を通じて権力に絡みとられ ていく庶 民を描いた『 雨 』 ( 76)など、今の演 劇ファンにとっても馴 染 みの深い代 表 作が初 演されている。 さらにテント公 演や地 下にある 小 劇 場で頭角を現したアングラ演 劇の旗 手を次々と招く。寺 山 修司 の『 中国の不 思 議な役 人 』 ( 77)や『 青ひげ公の城 』 ( 79)、つかこう へいの『 広 島に原 爆を落とす日』 ( 79)、唐 十 郎・蜷川幸 雄コンビによ る 『 下谷万年町物語 』 ( 81)、清 水 邦 夫・蜷川幸 雄コンビによる 『タン ゴ・冬の終わりに』 ( 84) と、意欲作、問題 作を次々と発 表していく。 224

この流れは隣 接 する小 劇 場「スペース パート 3 」が 82年に開 場するとともに加 速 する。無 名だった演 出 家・宮 本 亜 門は『イ ッヒビンヴァイル 』 ( 89 )での 好 評を受 け て PA RCO 劇 場 へ 進 出し、 『 アステア・バ イ・マイセルフ』 ( 90)や『ガールズ・タイム』 ( 95)などのミュージカルを発 表 。ニューヨ ーク・ブロードウェイでの『 太 平 洋 序 曲 』 ま 公 演( 04 )への 大きな足 掛かりを得る。 た 、劇 作 家・三 谷 幸 喜も『 12 人 の 優しい 日本 人 』 ( 92)、 『ダア!ダア!ダア!』 ( 93)を 経て、PARCO 劇 場デビューを果たした。 『 出 口なし!』 ( 94)を皮 切りに、 『 君となら』 『藪原検校』 ( 1973)

( 95)、 『 バイ・マイセルフ』 ( 97) と、 この劇


場をホームグラウンドにして毎 年のように新 作を書き下ろしていく。96 年に青山円形 劇 場で初 演された『 笑の大 学 』は 98年にPARCO劇 場で再 演された。三 谷が書き下ろしたパルコ製 作の作 品は 23本に のぼる。2000年 代に入っても若 手 演 劇 人の登 用は続き、長 塚 圭 史 『マイ・ロックンロール・スター 』 ( 02)、宮 藤 官 九 郎『 鈍 獣 』 ( 04)、蓬 ( 06 )、本 谷 莱 竜 太『 LOVE30~ 女と男と物 語 ~「 兄への伝 言 」』 有希子『 幸せ最高ありがとうマジで!』 ( 08)、前川知大『 狭き門より入 れ』 ( 09)、岩 井 秀 人『ヒッキー・ソトニデテミターノ』 ( 12)、 ノゾエ征 爾 『ボクの穴 、彼の穴 。』 ( 16 )へと受け継がれている。 もう一つの大きな特 徴は、他の劇 場では上 演が難しいと言われた 優れた海 外 戯 曲に果 敢に挑 戦した点にある。強く印 象に残っている のはマート・クローリィの『 真 夜中のパーティ』 ( 83)。誕 生 祝いに集っ 225

たゲイの男たちが繰り広げる一 夜の物 語 で、孤 独や疎 外 感 、自己 嫌 悪といった暗 部を描き出した異 色 作だ。68年にオフ・ブ ロードウェイで初 演され、70 年には映 画 化 もされているが、当 時の日本の状 況では、 同 性 愛 者を主 人 公にした芝 居を上 演する ことに相 当な勇 気 が 必 要 だったことは想 像に難くない。 しかし、観 客はこれを支 持し、

86 年にはマーティン・シャーマン『 ベント』、 ハーベイ・ファイアスティン『トーチソング・トリ ロジー 』 とともに、 「ゲイ三 部 作 」として連 続 上演も果たしている。 また 、ニール・サイモン劇 の日本 初 演も 果たしている。ブロードウェイのヒット・メー

『笑の大学』 ( 1996)

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カーの戯 曲にいち早く目をつけ、 『 おかしな 『 第2章 』 ( 81)、 『 映 画に出 二人』 ( 79)、 たい』 ( 82) と立て続けの上 演でサイモン劇 ブームを生 み 出した。マーティン・マクドナ ーのブラックコメディーに長 塚 圭 史が演 出 で挑んだ『ウィー・トーマス』 ( 03)、 『ピロー マン』(04) 、 『ビューティ・クイーン・オブ・リナ ーン』 ( 07)では、 アイルランド演 劇の豊かさ に目を向けさせた。政 治 的なメッセージ色 が濃いキャリル・チャーチルの『 CLOUD9』 『真夜中のパーティ』 ( 1983)

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( 82)は、PARCO 劇 場での公 演 後もスペ ースパート 3 で再 演を繰り返し、95 年に再

び PARCO劇 場にかけるという息の長い挑 戦を続けたことも忘れがた い。 スペースパート3 ではトム・ストッパード『ローゼンクランツとギルデ 『アメリカン・バッファロ ンスターンは死んだ 』 ( 85)やデビッド・マメット ー』 ( 86 、 PARCO劇 場で上 演されたときの公 演 名は『あめりかん・ば っふぁろー 』)、サム・シェパード『 埋められた子 供 』 『トゥルー・ウエス ト』 『フール・フォア・ラブ 』の 3 作 連 続 上 演( 86)など、 日本の演 劇 界 に刺 激を与え続けた公演は枚挙にいとまがない。 さらに、好 景 気に沸いた 1980 年 代から90 年 代 前 半にかけては、 海 外の劇 団 招 聘が始まる。国 立グルジア劇 場 、マース・カニングハ ム・ダンス・カンパニー、モスクワ・ユーゴザーパド劇 場 、 タバコフ劇 場 、 韓 国の劇 団 木 花 、中 国の上 海 昆 劇 団などを招いている。最も印 象 深かったのは、 ポーランド・クラクフに本拠を持つ、 タデウシュ・カントー 『くたばれ!芸 術 ル率いるクリコット2で、代 表 作『 死の教 室 』 ( 82)、 家』 ( 90)を観 劇できた幸 福を忘れることはできない。 また、パントマイ


ムや人 形 劇 、サーカス芸などを融 合させて夢の世 界を現 出させるフ ィリップ・ジャンティ・カンパニーの舞 台も人 気 公 演となってたびたび来 日を果たすなど、他 劇 場にない特色があった。 一 方 、小 品ではあるものの日本 演 劇 界の潮 流を作り出した点で ( 74) と朗 読 劇 外 せないのが、二 人ミュージカル『 SHOW GIRL 』 ( 90)。前 者は細 川 俊 之と木の実ナナの出 『 LOVE LETTERS 』 演で、大 人の小 粋な恋 物 語を音 楽と芝 居 、 ダンスで構 成した作 品 。 作・構成・演出の福田陽一郎の洗練された美意識と宮川泰の絶妙 な選 曲が楽しさと驚きにあふれる舞 台を生み出した。88年の「 第 16 回 」まで毎 年 公 演が続けられ、現 在は三 谷 幸 喜が作・演出を引き継 いで、川平 慈 英とシルビア・グラブのコンビで公 演を重ねている。後 者 は、A・R・ガーニーが往 復 書 簡 形 式で書き下ろした戯 曲を、男優と 227

『くたばれ!芸術家』 ( 1990)

『SHOW GIRL』 ( 1974)

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女 優が椅 子に腰かけて朗 読するスタイルのシンプルな舞 台 。公 演ご とに配 役を変え、事 前の読み合わせも一 回だけというフレッシュさを 保ち続け、26 年 間で 467ステージを重ねた( PARCO劇 場 以 外での 上 演を含む)。訳・演 出の青 井 陽 治の他 界で、17年から藤 田 俊 太 郎に演出は変わったが、 この息の長い企 画が現 在の朗 読 劇 隆 盛の きっかけとなったことはいうまでもない。 どの公 演にも共 通することだが、看 板 俳 優の思 惑で一 座が組まれ るスター芝 居や組 織の論 理を優 先させた劇 団 公 演とは一 線を画し、 プロデューサー主導による作品本位の芝 居 作りという演 劇 本 来のモ デルを作り上げたことに大きな意 義があり、 さらに、観 客にとって新し い芝 居に挑む姿 勢を崩さなかった点にPARCO劇 場の独自性があ る。言 葉を換えれば 、劇 場が狙い定めた演 劇 公 演を連 続させること 228

によって統 一したイメージを形 作り、 それが好 奇 心あふれる若 者に受 け入れられ、渋 谷という街のカラーを定 着させていった。劇 場から発 信する文 化によって「 渋 谷 」を創 造したといっても過 言でない。鉄 道 会 社や百貨 店のライバルでもあり、渋 谷を拠 点とする東 急グループも、

89年に大 型の複 合 文 化 施 設としてBunkamuraにオーチャードホー ルとシアターコクーンを、2001年にセルリアンタワー能 楽 堂 、2012年 にシアターオーブを次々と開 場し、文 化 発 信によるイメージ戦 略を先 鋭 化させている。 セゾン文 化に刺 激を受けたことは間 違いなく、今や 渋 谷は演劇公演の中心地のひとつになった。

1990 年に東 京 芸 術 劇 場 、94 年に彩の国さいたま芸 術 劇 場 、97 年に新 国 立 劇 場と世 田 谷 パブリックシアターが 開 場し、 これらの 公 共 劇 場では演 出 家を芸 術 監 督に据えた芝 居 作りを継 続してい る。演 劇 地 図は再び大きく塗り替わろうとしているが 、2016 年の休 館 後もPARCO 劇 場の制 作チームは三 島 由 紀 夫の大 作『 豊 饒の


海』 ( 18)の舞 台 化や、 フェルディナント・フォン・シーラッハの法 廷 劇 ( 18)、福 島 原 発 事 故を想 起させるルーシー・ 『 TERROR-テロ-』 カークウッドの『 チルドレン』 ( 18)、近 代 古 典 劇の続 編となるルーカ ス・ナスの『 人 形の家 Part 2 』 ( 19)など、刺 激 的な舞 台を送り続けて いる。2020年 春の再 開 場 後も、 この挑 戦する姿 勢を持 続させる限り、 話 題 性や期 待 感は揺らぐことはないだろう。PARCO劇 場 制 作の舞 台が日本の演 劇 界で果たす役割はこれからも小さくないのだから。 すぎやま・ひろむ 演劇ジャーナリスト。1957年静岡市生まれ。81年読売新聞社入社。芸能部記者、文化部デス クとして2017年まで30年間にわたり演劇情報や劇評の執筆、読売演劇大賞の運営などを担 当。日本劇団協議会理事。ハヤカワ「悲劇喜劇」賞選考委員。

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チラシビジュアル提供:株式会社パルコ

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『PLAYZONE 1986‥‥2014★ありがとう!~青山劇場★』 ( 2014年7月、青山劇場)

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[シアター・トピックス]

「ショー・マスト・ゴ ー・オン 」を 体 現し た 演 劇 人 ― 追 悼・ジャニ ー 喜 多 川 林 尚之

2019年 7 月 9 日、大 手 芸 能 事 務 所「ジャニーズ事 務 所 」社 長で、 数 多くのアイドルを育てたジャニー喜 多 川さんが亡くなった。87 歳だ った。生 前は自身がマスコミに登 場することはほとんどなかったが、亡く なった直後からテレビ、新聞で大きく報じられた。 ジャニーさんは、歌って踊れる少 年たちという新しいアイドルの形を 生みだし、 ジャニーズに始まって、 フォーリーブス、たのきんトリオ、 シブ


がき隊 、少 年 隊 、光 GENJI、SMAP、TOKIO、V6 、KinKi Kids、嵐 など人 気アイドルグループを育てた。一 方で、 日本のミュージカルショ ーを変革した、希代のプロデューサーで演出家でもあった。 その舞台 日生 劇 場 との関わりは長く、半 世 紀 以 上に及んでいる。1965年 4 月、 で作 家の石 原 慎 太 郎 氏が作・演 出したミュージカル『 焔のカーブ 』 にジャニーズが出演した。 日本でブロードウェーミュージカルが初めて 上 演されたのが、 その 2 年 前の 63年 。新 宿コマ劇 場『マイ・フェア・レ ディ』だった。 日本でミュージカルが一般的ではなかった草創期に、早 くもミュージカルに進出していた。 ジャニーさんは米国ロサンゼルスで生まれ、若い頃からショービジネ スに関 心を持っていた。朝 鮮 戦 争 後 、 日本に戻り、当 時 住んだ米 軍 関 係 者の居 住 施 設「ワシントンハイツ」で野 球チーム「ジャニーズ少 231

年 野 球 団 」を結 成し、休みの日に所 属する 4 人の少 年とミュージカ ル映 画『ウエスト・サイド物 語 』を見に行った。 ジャニーさんは映 画に 感銘を受け、62年に 4 人の少年とともにジャニーズ事務所を設立。エ ンターテインメントの世 界に踏み出した。初 代のグループ 名は「ジャ ニーズ」。60年 代は戦 争の傷 跡から復 興し、豊かさを求めるようにな ってきた高 度 経 済 成 長 期で、 そこから現 在まで続くジャニーズの歴 史は始まった。

66 年にもジャニーズは、日生 劇 場で石 原 作・演 出『 宝 島 』に出 演 「ジャニ した。翌 67年に創 刊されたジャニーズの会 報 誌『 J&M 』は、 ーズ&ミュージカル」の略で、 その時からミュージカルへの熱い思いを 秘めていた。実 際 、 ジャニーズの 4 人は米 国に渡り、歌やダンスのレ ッスンを受けるなど武 者 修 行を経 験した。67年にはジャニーズに続く グループ、 フォーリーブスのメンバーがグループ結 成 前に『いつかどこ かで~フォーリーブス物 語 』に出 演し、 ジャニーさんは脚 本を手 掛け 世界の舞台芸術を知る

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た。69年に『フォーリーブス ヤングサプライズ「 少 年たち」』が初 演 され、 それが半世紀も続く舞台『 少年たち』の原 点になった。

86年からは少 年 隊によるオリジナルミュージカル『 PLAYZONE(プ レゾン)』が始まった。青山劇 場を舞 台に、毎 年の恒 例 公 演になった。 最 初こそプロデューサーとして外 部 演 出 家に任せていたが、途 中か ら作・演 出も手 掛けた。90年の公 演では劇中劇『ハムレット』の場 面 の演 出を蜷 川幸 雄 氏に任せた。すでに海 外でも評 価の高かった蜷 川 氏との交 流が始まり、 その後 、蜷 川 演 出の舞 台に、岡 本 健 一 、木 村 拓 哉 、岡 田 准 一 、森 田 剛 、二 宮 和 也 、松 本 潤らジャニーズ事 務 所のタレントたちも主 演するようになった。彼らは厳しい蜷 川 演 出の 洗 礼を受け、俳 優として成 長していった。 その道 筋をつけたのもジャ ニーさんだった。 232

その後は今 井 翼ら後 輩 少 年 隊 主 演の『プレゾン』は 08年までで、 たちが青山劇 場が閉 館する14年まで続けた。 さらに、 『 SHOW劇 』 と いうタイトルで、92年は少 年 隊 、97年は坂 本 昌 行 、井ノ原 快 彦 、岡 田 准 一 、98年は滝 沢 秀 明 、99年は堂 本 光 一の主 演で上 演された。 そして、00 年に満を持して、 ジャニーさんの作・構 成・演 出 、堂 本 光 一 主 演『 SHOCK 』が帝 国 劇 場に初 登 場した。帝 劇は、大 手 興 行 会 社「 東 宝 」の拠 点 劇 場で、歌 舞 伎 座と並んで日本を代 表する劇 場。 そこで座 長 公 演を行うことは、演 劇 人にとって大きなステイタスだ った。 そのため、一 部で「なぜジャニーズの公 演を帝 劇でやるんだ」 との批 判 的な声も上がった。 しかし、前 売り開 始と同 時にチケットが 完 売する人 気と、舞 台の完 成 度の高さに、すぐに批 判もなくなった。 今や、19年には通 算の上 演 回 数 1700回を超えた、定 番 公 演になっ た。 ジャニーさんの「いいと思うことをやり続ける。自分のカラーでやる ことで初めて素 晴らしいショーができる」との信 条に微 塵の揺るぎもな


『Millennium SHOCK』 ( 2000年11月、帝国劇場) 写真提供:東宝演劇部

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かった。

04年には滝 沢 主 演『 DREAM BOY』 もスタートした。今では帝 劇 で『 SHOCK 』 『ジャニーズ アイランド』などジャニーズの公 演が年 4 ~ 6 カ月を占めている。東 宝のライバルである松 竹でも、06 年に新 橋 演 舞 場で滝 沢 主 演『 滝 沢 演 舞 城 』が幕を開け、和のテイストで公 演 を重ねた。 その進 化 形の『 滝 沢 歌 舞 伎 』が 10年から始まり、14年から は新 橋 演 舞 場のレギュラー公 演になった。 さらに日生 劇 場で『 ABC 座 ジャニーズ伝 説 』『 少 年たち』、 シアタークリエで『ジャニーズ銀 座 』が上 演されるなど、都 内でジャニーズ公 演のない月はないほどに なった。 その上 、東 京グローブ座という自前の劇 場も持つようになった。同 座はバブル時 代の 88年に開 場し、02年にジャニーズ事 務 所のグル 世界の舞台芸術を知る

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ープ会 社の運 営となった。04年には少 年 隊の東山紀 之と錦 織 一 清 、 嵐の櫻 井 翔と松 本 潤がそれぞれ主 演して『ウエスト・サイド物 語 』の 連 続 上 演を果たしている。 ジャニーさんは、 いつか『ウエスト・サイド物 語』 を上演したいという夢を、40年かけて実 現させた。 誰も見たことのないステージ作りへの熱い思いは、尋 常ではなかっ た。 『 SHOCK 』初 演の時 、舞 台 上でフライングするだけでなく、客 席 の上を飛ぶことにこだわった。帝 劇の天 井に穴を開ける緊 急 工 事を 行って、実 現させた。 ブロードウェー、 ラスベガスにショーを見に行き、 気に入った演 出があると、高いライセンス料を払って、自らの舞 台に 導入した。大型 LEDビジョンやプロジェクションマッピングもいち早く取 り入れ、時 代を先 取りする感 覚は際 立っていた。 「 3 時 間の中で、1 分でも気に入らないところがあったら返 金する」。観 客を楽しませる舞 234

『ジャニーズ King & Prince アイランド』 ( 2018年12月、帝国劇場) 写真提供:東宝演劇部


台に自信を持っていた。 稽 古 場で、気に入らない演 技に灰 皿を投げるという伝 説を持つ蜷 川氏 をして「おれにはできない」と悔しがら せたのが、 『 SHOCK 』の 22 段の階 段 落ちだった。 けがの危 険と背 中 合 わせの 演 出だが 、 ジャニーさんと光 一の信 頼 関 係があったからこそ、やり 続けられた。空中ブランコや何 十トン もの水を滝のように流す中での立ち 回りなど、危 険を伴う規 格 外の演 出 や仕 掛け、360度 回 転しての和 太 鼓 235

演 奏なども、 ジャニーさんのアイデア だった。和 洋 折 衷の「なんでもあり」 の自由さがあった。 「ミュージカルや

『滝沢歌舞伎―TAKIZAWA KABUKI―』 (2010年4月、 日生劇場)©松竹株式会社

舞 台を見て、似 通ってしまうと嫌 。人 の発 想は人の発 想で、自分の発 想に人の発 想が入るのは嫌なんで す」。発 想は天 才 的だった。 不 動の信 念も舞 台に反 映させた。 ジャニーさんは戦 時 中に米 国 から帰 国し、大 阪に住んでいて、空 襲が激しくなると、和 歌 山 県に疎 開した。空 襲による焼け野 原や多くの死 体も見ている。 その体 験から、 『 少 年たち』や『ジャニーズ アイランド』 で戦 争シーンを登 場させ、 特 攻 隊の隊員などを演じさせている。戦 争を実 体 験した世 代として、 華やかな舞 台を見せながら、一 方で、戦 後の悲 惨や平 和の尊さを 伝えることにこだわった。

9 月に「お別れの会 」が東 京ドームで開 催され、関 係 者 3500人 、 世界の舞台芸術を知る

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一 般のファン 8 万 8000人も献 花した。 その時に参 会 者に配られた小 冊 子にジャニーさんの言 葉が掲 載されている。 「 世 界には悲しみもあ るけれど、僕たちのショーはハッピーエンドで終わります。世 界もハッピ ーエンドであってほしい」。平和な世の中を心から願った。 「 永 年のショービジネ 裏 方に徹したジャニーさんだが、03 年には、 スに対する多 大な情 熱と功 績 」で、菊 田 一 夫 演 劇 賞・特 別 賞を受 賞した。11 年には「最も多くのコンサートをプロデュースした」 「最も多 くのナンバーワン・シングルをプロデュースした」、12年には「チャート 1位を獲 得した歌 手を最も多くプロデュースした」という項目で、 「世 界 記 録」としてギネス・ブックに認定された。 ジャニーさんは、舞 台を見る層の裾 野を広げることにも貢 献した。 ミュージカルは、長い間 、観 劇するファン層は限 定 的だった。 その中 236

で、 ジャニーさんが手 掛けた、 アイドルを起 用した舞 台には多くの観 客が集まった。当初は、お目当てのアイドルを見るために劇 場に詰め 掛けた人たちも、通う回 数が増えるに連れて、舞 台そのもの、 ミュージ カルに興 味を持つようになった。舞 台 表 現の最 先 端を行くステージ は、観 客の心を一 度つかんだら離すことはなく、数 多くのリピーターを 生んだ。 ジャニーズは今や、宝 塚 歌 劇 団 、劇 団 四 季とともに、観 客 動 員力の3強の一角を占め、 ミュージカル俳 優を数 多く輩出している。 そして、 ジャニーさんが良く口にした言 葉で、 『 SHOCK 』などの舞 台のテーマになった信条が「ショー・マスト・ゴー・オン」。 ショーは何が あっても、続けなければならない。 その思いは、 自分が死んだ後も同 様 だった。共 同 演 出という形で、18年に東 山 紀 之が『ジャニーズ アイ ランド』の一 部を演 出し、光 一も 『 SHOCK 』の脚 本・演 出を手 掛け ている。芸 能 界を引退し、 プロデューサーに転身したジャニーズ事 務 所 副 社 長の滝 沢は『 滝 沢 歌 舞 伎 』の演 出を引き継いでいる。 ジャニ


ーさんは、自分がいなくなっても、公 演を続ける環 境を整えていた。死 『ジャニーズ伝 説 』は の直 後に上 演された舞 台『 DREAM BOYS 』 「 企 画・作・演 出 」のクレジットにジャニーさんの名 前が残され、 ジャ ニーさんが生 前 描いた構 想を受け継ぐ形で上 演された。2 0 年 2 月 から上 演された『 E n d l e s s S H O C K 』では「エターナル・プロデュ ーサー」とクレジットされていた。 まさに「ショー・マスト・ゴー・オン」を 体 現した人だった。 はやし・なおゆき 1978年(昭53)、 日刊スポーツ新聞社に入社。主に演劇・演芸を担当。文化庁芸術祭や鶴屋 南北戯曲賞の選考委員、芸術文化振興基金運営委員会専門委員、国立劇場養成事業委員 などを務める。日本演劇協会会員。

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『地面と床』 ( 2013)KYOTO EXPERIMENT 2013, 京都府立府民ホール アルティ 撮影:Shimizu Misako

[シアター・トピックス]

岡田利規の時代 ― 2 010 年 代 の 舞 台 芸 術 内野 儀

2010年 代の 10年 間に、日本 語 圏の舞 台 芸 術がどう展 開してきた かを考えるにあたり、誰でも思いつくのがいわゆる 〈 3・11〉以 降という 時 代 区 分である。2011年 3 月 11日に起きた東日本 大 震 災と、 その地 震が主たる原 因となった福 島 第 一 原 子 力 発 電 所 事 故である。19 年 12月 10日時 点で、震 災による死 者は 1 万 5, 899人 、重 軽 傷 者は

6, 157人 、警 察に届 出があった行 方 不 明 者は 2, 529人 。 この地 震と


原発事故がさまざまな人びとの生活に多大な影響を与えたことはいう までもない。 また福 島の原 発 事 故は、 ここでは事 故と表 記しているが、 戦 後ずっと問 題になってきた原 発の安 全 性という歴 史 的な政 治 問 題とのからみもあり、ただ単に数 多くの避 難 者を出しただけでなく、幅 広い市民を巻き込んだ反原発運動、 さらには反政権運動へと連なっ ていくことにもなった。 こうした激 動ともいえる時 代 環 境のなか、 日本 語 圏の舞 台 芸 術は、 〈 3・11〉 という画 期と社 会 生 活 環 境の可 視 的な変 化に応 答する かたちで、 いくつかの特 徴 的な傾 向を示すことになった。 そのひとつは もちろん、震 災の問 題とどう向き合うのか。 そして、 それと連 動する形 で、 どう原 発 事 故の問 題を考えるかである。 そのため、直 接 的に震 災 における死 者や残された人びとのコミュニティ再 構 築という主 題を扱 239

う作 品が、当然のように、数 多く作られた。時 間の経 過とともに、 そうし た問 題 意 識は、直 接 的なものではなくなっていく傾 向にあったものの、

19 年 度の第 64回 岸 田 國 士 戯 曲 賞を受 賞した谷 賢 一の『 福 島 三 部 作「 1961 年:夜に昇る太 陽 」 「 1986年:メビウスの輪 」 「 2011 年:語 られたがる言 葉たち」』のように、綿 密な取 材に基づいて原 発 事 故 の問 題を歴 史 的 視 座から問い直す大 作も、10 年 代の最 後には生ま れることになった。 これはより大きな文 脈で、歴 史 修 正 主 義や格 差 社 会 批 判などとも連 動した市 民目線での「 社 会 批 判の劇 」とでも呼べ るまとまった数の作 品 群が登 場し、高い評 価を得たこともかかわるだ ろう。 それでは、すでに 2000 年 代からその傾 向が 見られた、一 般にグ ローバル化と呼ばれる時 代 変 化に応 接したと考えられる演 劇の形 式 それ自体の問い直しについては、 どうだっただろうか? インターネッ トが環 境の一 部となり、SNSが多くの人びとのコミュニケーションの主 世界の舞台芸術を知る

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要 手 段になっていった〈 生 活 実 感 〉の変 化と不 可 分な関 係にある演 さら 劇の形 式を問い直す試みである。 この傾 向は、 〈 3・11〉を境に、 に加 速 化したといえるのだろうか? ゼロ年代から活動を開始していた主として1970 年 代 生まれのアー ティストたちは、 〈 3・11〉に応 答 責 任を感じる世 代になっていたことも あり、方 法 的 探りを、演 劇 的 実 験を、少 数ながらも、 さらに深 化させ ることになったとみなしてよいとわたしは考えている。 その代 表 格として、 チェルフィッチュを主 宰する劇 作 家・演 出 家の岡 田 利 規( 1973 ~)、 庭 劇 団ペニノを主 宰する劇 作 家・演 出 家のタニノクロウ ( 1976 ~)、 ニブロールを主 宰するダンサー・振 付 家・劇 作 家・演 出 家の矢 内 原 美 邦( 1971~) を挙げておこう。 これらの作 家は、ある種の感 覚 的な同 時 代 性を共 有してはいるも 240

のの、 その美学も政治意識もまったく異なるため、 それぞれ個別に論じ られるべきである。ただ、本 稿の紙 数 制 限により、 ここでは、10 年 代の 日本 語 圏 舞 台 芸 術 の 文 化 政 治 的 特 質を先 鋭 的に示 す 格 好 の 事 例として 、岡 田 利 規 の 仕 事について、振り返っ ておくことにする。 ( 04 ) 『 三月の 5 日間 』 で第 49 回 岸 田 國 士 戯 曲 賞 を 受 賞した 岡 田 は、 その 特 異な演 出で 知られる。アメリカによ 『三月の5日間』 ( 2011)KAAT神奈川芸術劇場 撮影:Yokota Toru

るイラク侵 攻の前 後に、


ただひたすら渋 谷のラブホテルでセックスを繰り返す若 者の姿を描 いた『 三月の 5 日間 』は、初 演当 時の日本という国 家が置かれた地 政 学 的 位 置に敏 感に反 応しつつ、政 治 的 無力感に苛まれる若 者た ちの「リアル」を描こうとする意 欲 作である。ただ、主 題や物 語だけが 「リアル」だったのではない。 そこには、岡 田が俳 優たちと創り出した 新しい上 演の文 法とでも呼べる演 技の革 新 的な方 法 、即ち劇の言 葉と俳 優の身体の新しい関係性の発 見が張りついていた。 ただひたすら、だらしない身ぶりで、だらだらと日常 的な口語で語る 俳 優たち。 「 超 口 語 演 劇 」とも呼ばれる岡 田の演 技 論は、 グローバ ル化 時 代における、規 律 訓 練 型 権力から環 境 管 理 型 権力へとその 姿を変 貌させた「身体 管 理 」の同 時 代 的な身体 言 語 感 覚に鋭く迫 るものにほかならなかった。 テクストの語りは、 ときに小 説の地の文のよ 241

うに三 人 称になり、あるいは、現 在 形だったり過 去 形だったりする。 し かし、 こうした複 雑な語りの手 法はあったものの、伝 統 的な視 線から は、岡 田 /チェルフィッチュの演 技 体は、ただだらしないとしか見えな かったため、 その活 動は一 部では注目されたものの、 メインストリーム からは「あれは演 劇ではない」として、当惑されることの方が多かった。 そのためもあってか、新 国 立 劇 場や世 田 谷パブリックシアターといっ た公 共 劇 場から委 嘱があり、06 年の『 エンジョイ』 ( 作・演 出 )、08 年の安 部 公 房の『 友 達 』 と09 年のデーア・ローアーの『タトゥー 』 (と もに演 出 ) といった「『 演 劇をやってほしい』 という熱い周 囲の期 待 」 ( 森 山 直 人 )、つまり岡 田の才 能を演 劇のメインストリームに回 収しよ うとする試みにもかかわらず、結局岡 田はそうしたドメスティック(=ロー カルな事 情 )に依 拠した仕事に興味を持続させることはなかった。 というのも、07年に初の海 外 公 演だった『 三月の 5 日間 』が大 陸 ヨーロッパで大ブレークし、 その後 岡 田は、国 際 共 同 製 作 、つまり、 日 世界の舞台芸術を知る

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本 側の資 金を必ずしも必 要としない形 態での、自在な創 造を継 続し ていくことが可 能になったからである。 そこには、大 陸ヨーロッパ特 有 の、多 種 多 様な演 劇 美 学を競うような舞 台 芸 術の「( 文 化 資 本 )市 場 」という、 グローバル化の結 果ならではの交 通の場が成 立していた のである。知 的に成 熟した大 陸ヨーロッパの多 文 化 主 義にとって、旧 来 的なオリエンタリズムなどもはや必 要なかった。 グローバル化の「 普 遍 」を直 感 的に捉える岡 田の作 品が、 日本や日本 語というローカリ ティなどかまわず、 ひどく新 鮮なもの(=「 普 遍 」) として熱 狂 的に受 容 されたのである。国 際 共 同 製 作の最 初の作 品は、 クンステンフェス ティヴァルデザール(ブリュッセル)、 ウィーン芸 術 週 間 、 フェスティヴァ ル・ドートンヌ (パリ)による 『フリータイム』 ( 08 )であった。 〈 3・11〉は、他のアーティスト以 上に岡 田にも大きな影 響を与えた。 242

岡 田は東 京を離れ 、熊 本へ移 住したのである。 その影 響は、12 年 初 演で明らかに原 発 事 故の問 題が投 影された『 現 在 地 』、 また、震 災の死 者というよりも、死 者 一 般と生 者の問 題を扱った『 地 面と床 』 ( 13 )に色 濃く見 受けられる。 そこでは、かつての演 劇の形 式そのも のへの問い直しという契 機はひとまず後 退し、すでに確 立しつつあっ た独自の演 技 方 法を活かしな がらも、演 劇のフィクション性 / ドラマ性を再 定 義しながら、自 身の独自な劇 世 界を観 客と上 演 の〈いま、 ここ〉で共 有 すると かじ

いう方 向へと、舵 が 切られてい た。 そしてそれは、 日本 独自の制 度としてのコンビニエンス・ストア 『フリータイム』 ( 2008) スーパーデラックス 撮影:Yokota Toru

における労 働と経 済 格 差の問


題を扱った『スーパープレミアムソフトWバニラリッチ』 ( 14 )や、再 度 、 震 災と死 者の問 題へと立ち返った『 部 屋に流れる時 間の旅 』 ( 16 ) へと続いていく。 これらの作 品はほぼすべて国 際 共 同 製 作の形 態を 取り、国 内と海 外での公演を組み合わせて上演されていった。 この間 、岡 田の名 前は欧 米にとどまらない海 外に広がっていき、

Pig Iron Theatre Company(アメリカ) との国 際 共 同 製 作『 ZERO COST HOUSE 』 ( 劇 作のみ、12 )や、 アジア最 大 規 模の文 化 複 合 施 設アジア文 化センター( 光 州 / 韓 国 )のオープニングプログラムと して初の日韓 共 同 製作『 God Bless Baseball 』 (作・演出、15 ) もあっ た。 また、 タイの小 説 家ウティット・ヘーマムーン原 作による 『プラータ ナー:憑 依のポートレート』の構 成・演 出( 18 )によって、 アジアでの活 動の幅も広がりつつある。 243

岡 田の評 価が特に高かったドイツでは、 ミュンヘン・カンマーシュ ピーレという歴 史ある公共劇場との共働が歴史的な意 味を持ってい る。 まずその手 始めに、チェルフィッチュとして09 年に制 作した『ホット 『God Bless Baseball』 ( 2015) フェスティバル/トーキョー15, あうるすぽっと 撮影:宇壽山貴久子

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ペッパー、 クーラー、 そしてお別れの挨 拶 』が 16 年に同 劇 場 所 属 俳 優によってドイツ語で上 演され、引き続き、 この劇 場のために書き下ろ ( 17 )、 『 NO SEX 』 ( 18 )、 そして『 THE された『 NŌ THEATER 』

VACUUM CLEANER 』 ( 19 ) と、毎 年 一 作 品を、 自らの演 出で、 レ パートリーとして提 供していった。 そしてこの最 後の、 「 引きこもり」と 「 老い」の問 題に焦 点を当てた作 品は、 ドイツ語 圏で今シーズン発 表された 400 以 上の作 品から10 作だけ選ばれて上 演されるベルリ ンのテアター・トレッフェンへの招 聘が決まっている ( 20 年 5 月予 定 )。 これは歴史的快挙である。 こうした岡 田の、海 外での/との華々しい活 躍とは裏 腹に、 日本 語 圏の舞 台 芸 術の多くはこの 10 年 間で、内 向きに自閉 化・自明 化して いった。先が見えない経 済 不 況や少 子 化や高 齢 化の問 題があまり 244

に明らかであり、 「 普 遍 」や「グローバル化 」どころではない、 というの が、 その背 景にある「 実 感 」である。 そして、 日本 語 圏の演 劇 実 践は

『ホットペッパー、 クーラー、 そしてお別れの挨拶』 ( 2016)Münchner Kammerspiele, KAMMER 2 撮影:Julian Baumann


『THE VACUUM CLEANER』 ( 2019-2020)Münchner Kammerspiele, KAMMER 1 撮影:Julian Baumann

その「 実 感 」からしか発 想できない傾 向が強いのである。 ローカリティ に沈 潜することが、 「 退 行 」ではなく 「 対 抗 」だと誤 認されるのだ。 しか しそれは時として、 そもそも 『 三月の 5 日間 』の岡 田がそうであったよう に、至 近 距 離である極 小のローカリティへの真 摯な分 析 的 視 線が否 245

応なく孕んでしまう「 普 遍 」へと連なる批 評 的 演 劇 実 践を生み出すこ とがある。だからこそ、すでに始まった次の 10 年 、逆 説 的に聞こえるか もしれないが、 そうした局地 戦を展 開する実 践 家に、 わたしたちはこれ まで以 上に注目していかなければならないのである。 うちの・ただし 1957年京都生まれ。演劇批評・パフォーマンス研究。東京大学大学院人文科学研究科修士 課程修了(米文学)。東京大学教授を経て、2017年より学習院女子大学教授。著書に『メロ ドラマの逆襲 』 ( 1996)、 『メロドラマからパフォーマンスへ 』 ( 20 01)、 『 Crucible Bodies』 (2009)、 『「J演劇」の場所』 ( 2016年)等。

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特 集 紛 争 地 域から生まれ た演劇 11

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SPECIAL FEATURE

『リベリアン・ガール』左からケイン鈴木、川辺邦弘、永宝千晶、磯田美絵、奥田一平、𠮷野由志子

《特集 紛争地域から生まれた演劇 11》

少女の格闘が照射する 私たちの現在地 ― 『リベリアン・ガ ー ル 』 リー ディング 上 演を中 心 に 248

濱田 元子 戦 争や紛 争で犠 牲になるのは、戦 場の兵 士だけではない。 もちろ ん戦 争や紛 争自体 、あってはならない。だがひとたび始まると、 その犠 牲は一般市民にも及ぶ。平時に限らず、戦時における女性への性暴 力も深 刻な問 題だ。1990 年 代の旧ユーゴスラビア紛 争が、世 界に 注目されるきっかけになったと言われる。

2018年には紛 争 下における性 暴力と戦ってきたコンゴ民 主 共 和 国の医 師と、過 激 派 組 織「イスラム国( IS)」により性 暴力を受けなが らも生 還した女 性の人 権 活 動 家がノーベル平 和 賞を受けた。 「戦 時 下で武 器として利用される女 性に対する暴力を終わらせる」という 授 賞 理由は、国際社会の強い決意でもある。 そんなおぞましい暴力や不 正 義がまかり通る紛 争の現 実を、西ア フリカ・リベリアにおける第 一 次リベリア内 戦( 1989~ 1996 年 )を舞


台にフィクションを織り交 ぜて描くのがダイアナ・ンナカ・アトゥオナ作 の『リベリアン・ガール』 ( 2013年 )である。気 鋭の小 田 島 創 志の訳 、 か

文 学 座の稲 葉 賀 恵 演 出でリーディング上 演された。14 歳の少 女マ ーサを軸に、 さまざまな人々の悲 痛な叫びが乱 反 射するインパクトあ る作 品だ。英 国 生まれのナイジェリア人である作 家のデビュー作でも ある。 とはいえ、 である。 まずリベリアという国がピンとこない。紛争地域でい えば、 メディアで報 道されることが比 較 的 多い中東に比べ、 アフリカは さらに遠く感じる。 アメリカから帰 還した解 放 奴 隷によって建 国されたのは 19世 紀の こと。国 名は、自らつかみ取った自由を意 味する英 語の liberty が由 来だ。 しかし、解 放 奴 隷の子 孫である米 国 系 住民(アメリコ・ライベリ 249

左から永宝千晶と磯田美絵 世界の舞台芸術を知る

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アン) と先 住の部 族 同 士の対 立が複 雑に絡み、1980年に地 元 部 族 出身の軍 人によるクーデターが発 生 。 これに対 抗して米 国 系のチャ ールズ・テーラーが蜂起して内戦に突入したというのが物語の背景と なる。

1989年から約 14 年 間 、断 続 的に続いた内 戦では、20万 人 以 上 さらに1万 5000人の が殺され、100万 人が避 難 民や難 民となった。 子どもたちが少 年 兵として武 器を手に戦い、女 性への性 暴力事 案は 4万 件 以上に上ったという推計もある。

リーディングの舞 台 装 置は一 列に並んだ 椅 子のみ。黒い服をま とった文 学 座 所 属の俳 優 陣がハミングをしながら登 場して語り始め る。明 瞭な口 跡 、 トーンを変 化させながら発せられる一 語 一 語が脳 250

内で明 解な像を結び、一 気に内 戦中のリベリアへと運んでいく。 「言 葉 」を大事にしている劇団の俳優ならではの力が存 分に生かされる。 対 立 軸が複 雑に交 錯するリベリア内 戦においてマーサ( 磯 田 美 絵 )の属するマノ族は、物 語の時 点 では 以 前 手を組んでいたチャール ズ・テーラー率いるリベリア国民 愛 国 戦 線( NPFL)に弾 圧されている。マ ーサは、少 女から大 人になる通 過 儀 礼を受けるため「 サンデ・ブッシュ」 の森へ行く日を控えているが、祖 母エ スター( 𠮷 野 由 志 子 )の 思いをよそ に、 マーサはまだ学 校に通いたいとい う思いを断ち切れない。 将 来を語り合う祖 母と孫 の 時 間 𠮷野由志子


も、反 政 府 軍がやって来るという知り 合いのエイモス( 川 辺 邦 弘 )の知ら せに断ち切られる。 「 女の子がどんな 目に遭うか」というエイモスの言 葉に、 内 戦 下で 女 性 が 置 かれた 状 況 が 凝縮される。 レイプされないよう男の子の格好を

川辺邦弘

したマーサは祖 母と首 都モンロビアへ向かうが、検 問 所で NPFLの 少年兵、 キラー(ケイン鈴 木 ) とダブルトラブル( 奥 田 一 平 )に止めら れて引き離される。男の子と思われたマーサは、逆に少 年 兵にリクル ート。通 称ジャックとなったマーサの運 命が転がりはじめ、緊 張 感あ ふれる場 面がうねるように展開していく。 251

キラーとダブルトラブルというレイプも殺しも厭わない、残 虐で狂 気 を帯びたキャラクターが強 烈だ。居 心 地の悪さを感じるのは、 その所 業はもちろんのこと、小 田 島の今どきの若 者 言 葉から生まれる臨 場 感 にもあるだろう。鈴 木と奥 田の躍 動 感あるセリフが、役にパワーとリアリ ティーを吹き込む。 女の子だとバレると何をされるかわからない。生き抜くためにはマー サも彼らと同じように振 舞わなければならない。 しかし、無 理やり連れ て来られたフィンダ( 永 宝 千 晶 ) という少 女の出 現が、皮 肉にもマー サの新たな時 限 爆 弾となる。

“ 戦 争 犯 罪 ”を告 発するだけなら、 ドキュメンタリーで事 足りるだろ う。 しかし作 者のアトゥオナは、男の子になりすまし地 雷 原を歩くような 思いのマーサのアイデンティティーの揺らぎを通し、暴力とセクシュアリ ティーをたくみに問いかける。 フィンダをレイプするようマーサがキラー 世界の舞台芸術を知る

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ケイン鈴木

に促される場 面は象 徴 的だ。女 性と いう性の置かれた立 場を、女 性の立 場からヒリヒリと照射してみせる。 少 年 兵となったマーサを非 難する 祖 母エスターの幻 影が現れるシーン も、マーサの良 心の呵 責との葛 藤を 巧みに映し出し、物 語の奥 行を創 出 する。磯 田はマーサの心 情の変 化を 繊 細に表 現 。観 客をマーサの思いと うまくシンクロさせていく。 物 語は、かすかな希 望を感じさせ て幕を下ろす。遠い国 の 内 戦 の 物 252

語が深い余 韻を残すのは、マーサと いう存 在が、戦 争で苦しむ人々だけ でなく、圧 政や差 別など社 会で虐げ られている人々の象 徴でもあるからで あろう。麻 薬で高 揚させられ 、軍 事 訓 練の中で大 人たちに敵への憎し みを植え付けられていく少 年たちもま た、世界のゆがみの犠 牲 者だ。 奥田一平

そして、戦 争という名のもとで、自分 を守るためには、人は他 人を殺すこと

ができるのか。私たちはどんな状 況 下でも、人 間 性を保ち続けることが できるのだろうか。痛烈で普遍的な問いを投げかける。 今 回は上 演 前にタイトルの元になったマイケル・ジャクソンの「リベリ アン・ガール」 (アルバム「 BAD」収 録 )が流れた。エモーショナルで


ポップなラブソングは、 「 君が僕のところにやってきて、僕の世 界を変 えてくれた」と歌う。世 界は簡 単には変わらない。けれど、変えたいと 思わなければ変わらない。

また、 『リベリアン・ガール』に先 立ち、関 連 企 画としてトーク「イスラ エルの現 代 演 劇 ― モティ・レルネル『イサク殺し』を中 心に― 」 が、村 井 華 代・共 立 女 子 大 学 文 芸 学 部 教 授( 西 洋 演 劇 理 論・イス ラエル演 劇 研 究 )を講 師に迎えて行われた。 イスラエルは 1948年の 建国 以 来 、パレスチナとの対立が続く紛争当事国である。 ドイツ・ハイルブロン劇 場 初 演 )は 1995年 11 『イサク殺し』 ( 1999年 、 月、極 右ユダヤ原 理 主 義 者によって当 時のイスラエル首 相 、 イツハ ク・ラビンが暗 殺された事 件が題 材だ。1993年 、歴 史 的な「オスロ合 253

意 」によりパレスチナとイスラエルの和 平プロセスが進 展するかに見え たが、和 平を推 進してきたラビン首 相の死で大きく後 退した。 『イサク 殺し』はイスラエル国 防 軍の国 営 PTSDリハビリセンターの入 所 者ら が、自作の劇を上 演する中で暗 殺の真 相に迫ろうとする劇 中 劇の 二重 構 造で展 開される。 『イサク殺し』の背 景を理 解するため、村 井 教 授がユダヤの演 劇 文 化の発 祥と発 展を解 説 。建 国 後 、相 次ぐ戦 争をかいくぐりながら 演 劇が発 展し、 さらに言えばその演 劇自体が国の存 立を支える手 立 てだったというのが興 味 深い。 また 1970 年 代からのオデッド・コトレル ( Oded Kotler) らの活 動を経て、1980 年 代 後 半からは公 共 劇 場 の商 業 的 成 功が言われるようになったという。一 方で近 年 、 アッコー 演 劇 祭でパレスチナを扱った演 劇が排 除されている気がかりな現 状 も報告された。 エルサレムに米 大 使 館を移すなど、 イスラエル寄りをより鮮 明にして 世界の舞台芸術を知る

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SPECIAL FEATURE

いるトランプ米 大 統 領の姿 勢もあり、パレスチナとの和 平 実 現への糸 口は見えないままだ。 さらに2020 年 年 明けからの米・イラン間の緊 迫 もあり、中東情勢は予断を許さない。 『イサク殺し』はイスラエル人に大きな衝 撃を与えたセンシティブな問 題を扱っているだけに、米 国やドイツで上 演されたものの、本 国では 上 演されていない。2020年 12月に予 定されている「 紛 争 地 域で生ま れた演 劇 12」で予 定しているリーディング上 演は貴 重な機 会だ。演 劇は一 個の人 間の姿を媒 介にして、 ニュース報 道では伝わってこな い世 界が抱える矛 盾や不 条 理を提 示することができる。演 劇だからこ そできるアプローチに期待したい。 はまだ・もとこ

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1989年毎日新聞社入社。大阪本社学芸部などを経て、2010年から東京本社学芸部。現代 演劇、演芸を担当。劇評のほか、 夕刊芸能面に「日々是感劇」、 ウェブに「舞台縦横ときどきナ ナメ」 を執筆中。95~96年、 エルサレムのヘブライ大ロスベルグ・スクールに留学。

撮 影:石 澤 知 絵 子( 扉 写 真も)

「紛争地域から生まれた演劇」シリーズについて 世界各地のITIセンターでは、演劇を通じて平和の構築を目指す取り組 みとして「Theatre in Conflict Zones」と題するプロジェクトが行わ れています。国際演劇協会日本センターでは2009年より本誌「国際演 劇年鑑」の調査・研究事業の一環で、 「紛争地域から生まれた演劇」シ リーズをはじめました。本シリーズではこれまで11年にわたり、日本に まだ知られていない優れた戯曲を26本、翻訳、リーディング上演、作者 等によるレクチャー等を通して紹介してきました。3 年目からは戯曲集 の発行も行っています。 『リベリアン・ガール』の翻訳を収録した最新刊 をご希望の場合は、国際演劇協会日本センターまでお問合せください。 なお、本誌78~88ページには、村井華代氏によるイスラエル演劇レ ポートを掲載しています。ぜひあわせてご一読ください。 (編集部)


紛争地域から生まれた演劇11 《リーディング》 2019年12月13日(金)~15日(日) 於:東京芸術劇場アトリエウエスト

『リベリアン・ガール( Liberian Girl)』 作=ダイアナ・ンナカ・アトゥオナ(Diana Nneka Atuona) 訳=小田島創志 演出=稲葉賀恵(文学座) 出演= 磯田美絵、𠮷野由志子、永宝千晶、ケイン鈴木、奥田一平、川辺邦弘、 横田栄司(声の出演) *いずれも文学座

上演後のトーク 司会=關智子 12/14 稲葉賀恵、小田島創志 12/15 稲葉賀恵、小田島創志、岡野英之(近畿大学総合社会学部・特任講師/ 文化人類学、武装勢力・内戦の研究)

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《トーク》 2019年12月12日 (木) 於:立教大学池袋キャンパス本館1204教室 「イスラエルの現代演劇 ―モティ・レルネル『イサク殺し』を中心に―」 講師= 村井華代(共立女子大学文芸学部教授/西洋演劇理論・イスラエル演劇研究) 聞き手=大谷賢治郎(演出家/company ma主宰)

本誌『国際演劇年鑑2020』の別冊として、 『リベリアン・ガール』の翻訳を収め た「戯曲集」を発行しています。ご希望の場合は、国際演劇協会日本センターま でお問合せください。

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NOH and KYOGEN

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『二人袴』 ( 左より山本凜太郎、山本東次郎、山本則俊) 撮影:吉越研

[能・狂言]

ベ テラン が 見 せ た 古 典 の 現 代 性 小田 幸子

わかりにくさの壁 古 典 芸 能の課 題に「わかりにくさ」がある。 なかでも、古く室 町 時 代 に成 立した能は、仮 面や古 語を使 用し、言 葉が聞き取りにくく、動き は少ない。 いったい何をどう見れば良いのか、初 心 者でなくともとまどう ことは多いだろう。 そのうえ、公演は原則一 回しか行わないので、見 逃 したらアウトだ。公 演 数は増え続ける一 方だが、国 立 能 楽 堂 主 催 公 演など若 干を除くと観 客 動員には苦 労を強いられ、客 層の固 定 化と


高齢 化が長 期にわたる懸案事項になっている。 わかりにくさを乗り越え、 より幅 広い層にアピールすべく、能は何をす ればよいのか? 対 処 方 法のひとつとして、昨 年 開 場 35周 年を迎え た国 立 能 楽 堂が 2006年から導 入している日本 語・英 語の字 幕があ り、観 客の理 解を助けてきた。字 幕は、京 都 観 世 会や横 浜 能 楽 堂 の公 演などにも広まりつつある。 そのほか、 ワークショップや事 前 講 座 が年々盛んになってきたし、目新しい企 画 、他ジャンルとの共 演やコ ラボレーションなど、 「 古 典の現 代 化 」を目指して上 演 団 体も個 人も 努力と工 夫には怠りない。昨 年( 2018年 11~ 12月)の事 例になるが、

3 Dメガネを着用して鑑 賞する「 3 D 能 エクストリーム」なる催しが 東 京 芸 術 劇 場で行われ、能を新しい切り口でみせた。映 像の使 用 は未 知 数ながら、今後発展の余地がある。 259

2019年の目立った新 企 画をあげると、 「 ESSENCE(エッセンス) 能」 ( 能 楽 協 会・日本 能 楽 会 主 催 。東 京オリンピック・パラリンピック に向けたプレイベント公 演 。バリアフリー対 応や多 言 語 対 応など 4 つ のテーマを設 定 。7 月 31日・8 月 4 日)、国 立 能 楽 堂「ショーケース」 ( 解 説 付 。狂 言・能 各 一 番 。 日・英・中・韓の 4 カ国 語 字 幕 。2019年

7 ~ 8 月)、京 都 観 世 会 主 催「 面白能 楽 館 恐 怖の館~のがすま じきぞ~ 」 ( 7 月 27日)などがあった。いずれも気 軽に能 楽 堂に足を 運んでもらうのが狙いである。 こうした「わかりやすく、気 軽に」をモットーとする潮 流のなかで目を 引いたのが、作 品の演じ方を通して「 古 典の現 代 化 」を果たした舞 台である。 そのどれもが、70 歳を越えるベテランによるものだった。 秘やかな告白 はじめに取りあげるのは、喜 多 流シテ方の香 川 靖 嗣( 1944 生 )で 世界の舞台芸術を知る

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ある。2019 年は 10 番ほどのシテを演じたほか、地 頭としても活 躍し、 喜 多 流の屋 台 骨を支えた。主 宰する「 香 川 靖 嗣の会 」を数 年 前か もとめ づ か

( 4 月 6 日) と第 17回 ら春 秋の 2 回に増やし、本 年は第 16回『 求 塚 』 ひ がき

『 檜垣 』 ( 9 月 14日)のシテを演じた。 どちらも大 変 評 判が良かったが、 新しい位相のもとに作品を照らし出した『 求 塚 』 を取りあげたい。 『 求 塚 』は、二 人の男 性から同 時に求 婚され、 どちらも選べずに入 う

い おと め

水自殺した菟 名日処 女( 主 人 公・シテ)が、死 後 地 獄に堕ちて永 遠 の業苦を受けるというショッキングな内容の能である。彼女はなぜそん なひどい目にあわねばならないのか、現 代 人の多くが疑 問を抱くもの の、 テキストを読んでも十 分 納 得いく答えは導き出せない。 これはテキ スト上の「わかりにくさ」といえよう。現 代にお いて『 求 塚 』を演じることは、 この問いに向き 260

合うことにほかならない。 結 論からいえば 、香 川が 演じたのは、み ずからの罪におののく女だった。 早 春の生 田で若 菜を摘む女たちが退 場 し、 ひとりあとに残ったシテは、僧を求 塚( 処 女の墓 )に導き、昔 物 語りを始める。 「 語リ」 と称するこの場 面は、囃 子も地 謡もなく、 シ テだけが普 通のセリフに近い言い方で「 昔 この所に菟 名日処 女と申す女の候ひしが」 と語り出すのだが、中 央に座った香 川の声 は、おどろくほど小さかった。観 客は耳をそ ばだて、静かなシーンはさらに一 段 階 静まっ おし どり

た。 そして、 「あの生 田 川の鴛 鴦を」と伸び 上がるように香 川が鳥の姿を見た時 、処 女 香川靖嗣『求塚』 撮影:山口宏子


が語るのは遙か昔の物 語などではなく、 いまここで起きている出 来 事 であるかのような現 実 感が生じた。はじめは第 三 者のこととして語っ ていたテキストが、 「 鴛 鴦の死 」を転 換 点として、 「その時わらは思ふ やう」と一 人 称の語りへと変 化する。 「 彼 女 」から「われ」への人 称 転 換が同 時に「 過 去 」から「 現 在 」への時 制 転 換でもある劇 構 造を、 鳥を見る眼 差しの強さと上 体を起こした身構えの確かさによって、表 現したのである。演 技が実体を喚起したと言い換えてもよい。 きっぱりとした型の美しさは香 川の定 評だが、 それ以 上に効 果 的 だったのが、消え入るような声である。 これは、処 女の肉 声による「 罪 の告白」なのだ。告白は堂々と大 声でなされるはずはない。声は、た めらいがちに、確かめるように、やがて激しい調 子へと変わる。 これまで 多くの『 求 塚 』を見てきたが、入 水に至る心の動きをこれほどなまなま 261

しく表 現した舞 台ははじめてであり、処 女自身が罪 深さに苦しんでい る真 実 味の前では、 「 何が罪なのか」という物 語の外 側から発せら れる近 代 的な問いを差し挟む余 地はなかった。誰も傷つけまいとし、 良かれと思ってしたことが、 はからずも罪になってしまう。処女と同じこと は、誰にでも起こる可能性がある「人間の業」なのだと、深く納得させ られた。 物 語を解 釈し説 明するのではなく、主 人 公の心の内 側に潜り込ん ののみや

( 11月 6 日)でも でその心 情と一 体 化する方 法は『 檜 垣 』でも 『 野宮 』 とられており、人 間の執 着や業が胸に深く迫る舞 台だったが、 これら も含めて香 川は何ら特 別で目新しい演 技や演 出を行ったわけでは ない。 テキストを読み込み、伝 承されてきた型の意 味を問い直し、 それ をひたすら身体 化した結 果 、個 性 的な舞 台が生まれたのだ。 「古典 の現 代 化 」とは、新しいことの付 加ではなく、当たり前で地 道な作 業 を通じて到 達することを示した事例といえよう。 世界の舞台芸術を知る

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演出の変更 古 典の現 代 化には上 記とは別なアプローチもある。 その典 型として まさ く に

そ 浅 見 真 州( 1941年 生 )をあげよう。本 年の浅 見は舞 台 数が多く、 のほとんどで高 水 準の成 果をあげた。渋く繊 細な香 川に対して、浅 見の舞 台はメリハリが効いてはなやかである。衣 装にも独 特のこだわ りをみせる。台 本の読み込みと型の検 討は香 川と同 様に深いが、 そ の先が二 人の分かれ目で、浅 見は従 来の演 出や扮 装や型を積 極 的に変 更する傾向がある。 たとえば 、自身の会で演じた『 浮 舟 』 ( 11月 26日)では、通 常は用 いない舟の作リ物に乗った。原 典『 源 氏 物 語 』 ( 宇 治 十 帖 )の中 で、匂 宮が浮 舟を伴い宇 治 川に浮かべた 「 舟 」である。 また、後 場は緋の長 袴をはき、 びん

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両 鬢に付 髪を垂らして、高 貴な女のうつつ 無い姿を示した。 これらは自分 勝 手な思い つきではなく、 テキストから導かれた必 然 性 きぬた

を有している。他にも、 『 砧 』の後 場で妻の うら

亡 霊が「 夢ともせめてなど、思ひ知らずや怨

めしや」と夫に迫る場 面の後に、おそらくは 弔いの意 味を込めて笛の独 奏を入れ( 2 月 6 日)、 『 西 行 桜 』では、 シテのセリフ「 待 てしばし…… 」をワキの西 行に言わせてテ かづ

『葛 キストの 合 理 化をはかり ( 6 月 6 日)、 らき

城 』の後シテは雪の女 王の如く真っ白な衣 をまとう ( 12月 14日)。いずれも目立 つ演 出 や工 夫なのでハッとする驚きがあり、時に官 能 的な舞 台は他の追 随を許さない。ただ、 浅見真州『浮舟』 撮影:東條睦子


そのために浅 見の意 図や変 更 箇 所が目立ちすぎて、全 体のバランス を崩してしまう場 合がある。一 例をあげると、 「横浜能楽堂特別公演 おば すて

( 10月 14日)では、最 終 場 面の「 返 ― 蝋 燭 能 ― 」で演じた『 姨 捨 』 せや返せ、昔の秋を」以 下 、捨てられた老 女の心の動 揺を強く大ぶ りな演 技で表 現したが、 それまでが極めて静かに進 行していたため、 唐 突な印 象は免れなかった。

その他の能、狂言 作 品への対 照 的なアプローチを例に能の現 代 化について述べた。 浅 見の新 演 出に関しては賛 否 両 論あろうが、 「このように演じる/ 見 るのが正しい」という固 定 的な見 方から作 品を解き放った点におい て香川と浅 見は同 質であり、 そこに「現代化」の道筋が見いだせる。 ほかにもべテランによる優れた舞 台がいくつもあったなか、ベストワン

263 友枝昭世『井筒』 撮影:前島写真店 前島吉裕

を選 ぶとすれば 友 枝 昭 世( 1940 年 生 )の『 井 筒 』 ( 11月 3 日)につき る。 とくに、井 戸をのぞき込んで顔を あげ「 懐かしや」と遠くを見つめる クライマックスシーンは、はるかな時 の彼 方に思いを馳 せるかのようで 圧 巻だった。すっと伸びた姿にも品 格があり、 『 井 筒 』のメインテーマで ある「 懐かしさ」の感 情が 舞 台に 染みわたった。人 生で一 番 大 切な 人を永 遠に失ってしまった悲しみ だとわたしは感じたが、見る人それ 世界の舞台芸術を知る

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ぞれだろう。観 客 各々が人 生の体 験を自由に重ね合わせて味わえる 舞 台はめったになく、一 見 何もしていないような、注 意しなければ見 逃 しかねない微 細な演 技が、観 客の想 像を呼び覚ましたのである。主 人 公の肉 声かと錯 覚する声のリアリティが、香 川と共 通している点も 付 言しておきたい。 近 年 足 腰に不 安のある梅 若 実( 1948年 生 )は、舞 台で杖を手に することが多くなり ( 内 容 的 必 然 性を持たせてはいる)、持てる力を十 分に発 揮できなかったのは残 念だったが、地 頭にまわった時など、演 劇 的・音楽的に極上の謡をたっぷり聞かせた。 との だ けん きち

病から舞 台 復 帰したワキ方の殿 田 謙 吉( 1959年 生 )は、進 境 著 しく、みちがえるほど成 熟した芸を展 開している。身体の「力み」が消 え、三 番目物などに深 閑とした柔らかな情 景を醸し出す。 また殿 田は、 264

し も がかり

( 12月 21日)の『 羅 生 門 』におい 「 第 三 回 下 掛 宝 生 流 能の会 」 わたなべのつな

て主 人 公 格のワキ・渡 辺 綱を力強く演じ、対 話 劇にも力量を示した。 ワキが活 躍する能の上 演を通じて伝 承と研 鑽をはかる、 ワキ方 主 宰

殿田謙吉『羅生門』 撮影:前島写真店 成田幸雄


の意欲 的な会である。

狂 言では、80歳を越えた人 間 国 宝 3 人による衰えを知らない芸を 中心に、数々の名 舞 台が生まれた。一 門の後 継 者たちも順 調に育っ そら うで

てきている。野 村 萬( 1930 年 生 )は『 空 腕 』 ( 10月 14日)や『 栗 焼 』 ( 10月 27日)など、自在で洒 脱な芸で魅了し、野 村 万 作( 1931年 生 ) は米 寿 記 念の会の『 三 番 叟・神 楽 式 』 ( 6 月 22日)で袴 姿による三 番 叟を演じて新 境 地を開いた。 フィクションと現 実の間で人 格が変 うち ざ

貌する様 相を劇 的に演じた『 内 沙 汰 』 ( 4 月 18日) も忘れがたい。山 「宝生会 春の別会」 ( 3 月24日) をはじ 本東次郎( 1937年生)は、 ふたりばかま

め『 二 人 袴 』の父 親を相 手 役を変えて何 度か演じたが、 どの舞 台で も共 演 者を生かす包 容力と柔 軟 性を発 揮した。3 人に共 通するの 265

は、役の上の人 物が本当にそこにいるような自然さである。技 巧が表 面 化しないのだ。演じる自己が隠れ、役 者自身と役 柄がぴったり重な

野村萬『空腕』 撮影:吉越研 世界の舞台芸術を知る

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野村万作『内沙汰』 撮影:政川慎治

る印 象を与えるのは、能・狂 言における演 技の王 道といってよいだろ う。 これに対して、野 村 萬 斎( 1966 年 生 )の舞 台からは、役を離れた 266

目が時 折 感じられる。 ある種の批 評 性である。萬 斎は 2020年 東 京オ リンピック・パラリンピックで開 会 式・閉 会 式の総 合 統 括を担うチー フ・エグゼクティブ・クリエーティブ・ディレクターに就 任しており、 そうし た場で彼の演 出 的 資 質は存 分に発 揮されるだろう。同 時に、今 後 の狂 言に新しい演技の質を呼び込むことを、期待をもって見守りたい。

トピック 以 下 、2019年のトピックを取りあげ、簡 単にコメントを加える。 ●改元に関する公演 横 浜 能 楽 堂 特 別 企 画 公 演は、皇 室ゆかりの作 品や祝 儀 曲を集 めた『 大 典 奉 祝の芸 能 』 を催した。琉 球 舞 踊を中心とした第 1 回 ( 6 月 2 日)に続く第 2 回( 7 月 20日)では、大 正 天 皇の即 位 祝 賀と して大 正4年に初 演した能『 大 典 』を、西 野 春 雄 改 定 詞 章に基づ


き、片山 九 郎 右 衛 門のシテで上 演した。大 正 版の『 大 典 』 も、山 科 彌右 衛 門のシテで 5 月 6 日、10月20日に上演があった。 また、大 正 版『 大 典 』 を1963年に改 訂 上 演した『 平 安 』 も 6 月 1 日、

2 日に京 都 薪 能で上演された。 ●若手中心の公演 東 急 Bunkamura30周 年 記 念「 渋 谷 能 」がセルリアンタワー能 楽 堂で 3 月~ 12月に行われた。第 一 ~ 第 七 夜まで各テーマを設 定し て、 シテ方各流の 30~ 40代の若手能楽師が勤め、終演後には観客 との交 流 会を持った。

●復曲能「金剛永謹能の会 第33回東京公演」 ( 6 月 9 日) すすき

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を豊 臣 秀 吉が愛 蔵したとされる 金 剛 流のみに伝わる番 外曲『 薄 』 同 流の名 物 面「 雪の小 面 」を用いて金 剛 永 謹のシテにより復 曲 上 演した。

●海外公演 「ジャポニスム2018・響き合う魂」

2018年 7 月以 来 継 続していた催しの一 環として、2019年 2 月 6 日 ~ 10日の 5 日間 、浅 見 真 州 団 長のもと能・狂 言のパリ公 演を行った。 橋 掛リを有する本 格 的 能 舞 台を作 成し、字 幕 、事 前 鑑 賞 案 内 、中 高 生 向けワークショップなどもあった。浅 見 、梅 若 実 、野 村 萬にフラン ス政 府より芸 術 文 化勲章を授与された。

銕仙会主催・新作能公演ヨーロッパツアー

9 月 17日~ 10月 1 日、ウィーン・パリ・ワルシャワにおいて、清 水 寛 世界の舞台芸術を知る

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二 団 長のもと、墺日協 会 会 長ディートハルト・レオポルドの新 作 能『ヤ コブの井 戸 』 (世界初演、 日本 語 上 演 台 本・ドラマトゥルク=小 田 幸 子、 シテ=清 水 寛 二 ) と多 田 富 雄 作 新 作 能『 長 崎の聖 母 』などを上 演した。

受賞 ・恩 賜 賞・日本 芸 術 院 賞( 2018年 度 )― 亀 井 忠 雄( 大 鼓 方 葛 野 流 、1941年生) ・京 都 府 文 化 賞 功 労 賞( 2018 年 度 )― 井 上 裕 久(シテ方 観 世 流 、1955年生) ・同・奨励賞―茂山千之丞(狂言方 大 蔵 流 、1983年 生 ) ・第 40回 松 尾 芸 能 賞 ― 野 村 萬( 狂 言 方 和 泉 流 )、宝 生 和 英(シ 268

テ方 宝生流、1986年生) ・第 49回 JXTG 音楽賞(邦楽部門)― 観 世 清 和(シテ方 観 世 流 、

1959年生) ・文 化 勲章( 2019年度)―野村萬(狂 言 方 和 泉 流 、1930年 生 ) ・第 41回 観 世 寿 夫 記 念 法 政 大 学 能 楽 賞( 2019年 度 )―山本 則 俊( 狂 言 方 大 蔵 流 、1942年 生 )、小 林 健 二( 国 文 学 資 料 館 名 誉 教 授、1953年生) ・第 29回 催 花 賞( 2019年 度 )― 宇 髙 通 成(シテ方 金 剛 流 、1947 年生) ・文 化 庁 長 官 表 彰( 2019 年 度 )― 粟 谷 辰 三(シテ方 喜 多 流 、

1928年生) 襲名 て しま

金 剛 流豊 嶋 三千春改め豊嶋彌左衛 門( 1939年 生 )


物故者 泉 嘉 夫(シテ方 観世流、93歳、1 月13日) 浅 見 眞 高(シテ方 観世流、93 歳、2 月 4 日) 旅川雅 治( 能 楽プロ代表取締役社長、63 歳、3 月 2 日) 谷 村 一 太 郎(シテ方観世流、85 歳、6 月30日) 茂山千 作( 狂 言 方 大蔵流、74歳、9 月21日) 堂 本 正 樹( 劇 作 家・演出家、85歳、9 月23日) 木月孚 行(シテ方 観世流、80歳、10月23日) 観 世 元 信( 太 鼓 方 観世流、88歳、11月10日) 井 上 菊 次 郎( 狂 言 方和泉流、77歳、12月 5 日) 横山晴 明( 小 鼓 方 幸流、84歳、12月26日) 269

以 上 、駆け足で 2019 年の能・狂 言を概 観した。言 及すべき舞 台 は他にも少なくなかったが、割 愛せざるをえなかった。 また、筆 者は東 京に在 住している関 係で、東 京の舞 台が中心になり、関 西が手 薄と なった。取りこぼしも多々あると思う。 ご海 容を乞うとともに、詳 細は能 楽 書 林 発 行月刊 誌「 能 楽タイムズ」を参 照してくだされば 幸いで ある。 おだ・さちこ 能・狂言研究家。博士(文学)。法政大学大学院修了。主要研究テーマは、能・狂言の演出史 研究と作品研究。演劇批評、講演、解説、復曲・古演出上演のドラマトゥルクなど、研究と舞台 をつなぐ活動にも意欲的に取り組んでいる。

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『月光露針路日本 風雲児たち』 ©松竹株式会社

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[歌舞伎]

ベ テラン・中 堅 の 活 躍と 多才な新作上演 水落 潔

2019年の歌 舞 伎 界は三つの特 色があった。一つは歌 舞 伎 界を 代 表する大 幹 部 俳 優が健 在で最 高の舞 台を見せたこと、二つ目は 中堅 花 形 世 代が意 欲 的な活 躍をしたこと、三つ目は多 彩な新 作が 上 演されたことである。

最 長 老で 88 歳になった坂 田 藤 十 郎は 1 月松 竹 座 、4 月歌 舞 伎 さかえことほぐふじのすえひろ

座で米 寿 記 念の舞 踊『 寿 栄 藤 末 廣 』を演じた。続く世 代の尾 上 菊


五 郎は 1 月国 立 劇 場で古 典を復 活 ひめじじょうおとにきくそのいしずえ

した『 姫 路 城 音 菊 礎 石 』を演じたほ か 、歌 舞 伎 座 で 2 月に『 暗 闇 の 丑 松 』、4 月に『 鈴ヶ森 』の 権 八 、5 月 に『め組の喧 嘩 』の辰 五 郎 、10月に 『 お 祭り佐 七 』の 佐 七 、11月に『 髪 結 新 三 』の 新 三と当 たり役を演じ 江 戸 歌 舞 伎の粋を表 現した。松 本 白 鸚は 1 月歌 舞 伎 座で 47年 振りに 『 一 條 大 蔵 譚 』、12月に国 立 劇 場 で 28 年 振りに『 盛 綱 陣 屋 』を演じた ほか、半 世 紀に亘って演じてきたミュ 271

ージカル『ラ・マンチャの男 』を主 演・ 演 出した。中 村 吉 右 衛 門は歌 舞 伎

『姫路城音菊礎石』尾上菊五郎 写真提供:国立劇場

座で 1 月に『 絵 本 太 功 記 』の光 秀 、

2 月に『 熊 谷 陣 屋 』の熊 谷 、4 月に『 鈴ヶ森 』の長 兵 衛 、6 月に『 石 切 梶 原 』の梶 原 、9 月に曾 祖 父 三 世 歌 六 百 回 忌として『 沼 津 』の 十兵衛、 『 寺 子 屋 』の松 王 丸と古 典の大 役を次々に演じ、11月には ここうのゆうしむすめかげきよ

国 立 劇 場で『 孤 高 勇 士 嬢 景 清 』を復 活 上 演した。片 岡 仁 左 衛 門 は歌 舞 伎 座で 3 月に『 盛 綱 陣 屋 』、4 月に『 実 盛 物 語 』、6 月に『 封 印 切 』の忠 兵 衛 、9 月に『 勧 進 帳 』の弁 慶 、7 月松 竹 座で『 千 本 桜 』の知 盛 、10月に御 園 座で『 引窓 』の十 次 兵 衛と東 西の当たり役 を演じた。坂 東 玉 三 郎は 3 月に南 座 、12月に歌 舞 伎 座で当たり役 の『 阿 古 屋 』を上 演したほか、歌 舞 伎 座で 8 月に『 新 版 雪 之 丞 変 ほんちょうしらゆきひめものがたり

化 』、12月にグリム童 話を歌 舞 伎にした『 本 朝白雪 姫 譚 話 』 と新 作 にも意 欲を見せ、古 典を初 演する中 堅 若 手の指 導をした。大 幹 部 世界の舞台芸術を知る

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『伊賀越道中双六 沼津』中村吉右衛門(右) 中村歌六(左) ©松竹株式会社

『恋飛脚大和往来 封印切』片岡仁左衛門(左)、片岡孝太郎(右) ©松竹株式会社

の演 技は平 成 歌 舞 伎の集 大 成を示す舞 台になったが、周りの役に は中堅 若 手が起用され次の世 代への芸の継 承を図る意 義も持って いた。 続く50、60歳 代の世 代では、中村 時 蔵 、中村 雀 右 衛 門の両 女 方 が大 幹 部の相 手 役として実力を示した。中 村 歌 六 、中 村 又 五 郎も 吉 右 衛 門 一 門を支える立 役として優れた演 技を見せた。中村 鴈 治 郎 、中 村 扇 雀は関 西で生まれた上 方 歌 舞 伎の芸の継 承 者として 様々な役に取り組んだ。中 村 芝 翫は 4 月御 園 座で『 八 犬 伝 』の道 節 、6 月に博 多 座で『 金 閣 寺 』の東 吉 、10月に国 立 劇 場で『 天 竺 徳 兵 衛 』の徳 兵 衛 、11月に歌 舞 伎 座で『 菊 畑 』の鬼 一と時 代 物の 主 役を演じた。市川中車は歌舞伎座で 8 月に『 新版 雪 之 丞 変 化 』 の 5 役 、12月に『 たぬき』を演じたほか、9 月に南 座で『 四 谷 怪 談 』


の直 助を演じた。

二つ目の特 色は 40 歳 代の中堅 世 代の活 躍である。片岡 愛 之 助 は 1 月松 竹 座で『 金 門 五 三 桐 』の五 右 衛 門 、3 月に博 多 座で『 鯉 つかみ 』、4 月に御 園 座で『 八 犬 伝 』の信 乃 、9 月南 座で『 四 谷 怪 談 』の伊 右 衛 門と各 地で大 衆 的な歌 舞 伎の通し上 演をした。松 本 幸 四 郎も多 彩な役に挑み、歌 舞 伎 座では 1 月に上 方 狂 言の『 廓 文 章 』の伊 左 衛 門を清 元 節を使った演 出で見せ、3 月は『 白浪 五 人 つきあかりめざすふるさと

男 』の弁 天 小 僧 、6 月には三 谷 幸 喜の新 作『月 光 露 針 路日本 』の 主 役の光 太 夫 、8 月は『 先 代 萩 』の仁 木 、八 汐 、新 作『 東 海 道 中 膝 栗 毛 』の弥 次 郎 兵 衛 、9 月は『 幡 随 長 兵 衛 』の長 兵 衛 、 『寺子 屋 』の源 蔵 、 『 勧 進 帳 』の弁 慶 、富 樫 、11月は息 子の染 五 郎と 『連 とぎ たつ

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獅 子 』、 『 研 辰 の討たれ 』、12月は国 立 劇 場でチャップリンの『 街の やす

灯 』を歌 舞 伎にした『 蝙 蝠の安さん』を演じた。家の芸 、古 典の大 役 、上 方 和 事 、新 作 、翻 案 物と実に幅の広い役をこなし、新しい幸 四 郎 像を作りつつある。市川猿 之 助は歌 舞 伎 座で 1 月に『お土 砂 』 べ ん ちょう

の紅 長を初 演 、3 月に『 傾 城 反 魂 香 』のおとく、4 月に家の芸の『 黒 塚 』、6 月に三 谷の新 作の庄 蔵 、エカテリーナ、8 月に『 膝 栗 毛 』の 脚 本・演出と喜 多 八を演じ、10・11月に新 橋 演 舞 場でスーパー歌 舞 セカンド

伎Ⅱ 『 新 版 オグリ』を演 出 、主 演した。尾 上 松 緑は歌 舞 伎 座で 2 月 に父 初 代 尾 上 辰 之 助の追 善 狂 言として『すし屋 』の権 太 、 『 名月八 『 勧 進 帳 』の富 樫 、 幡 祭 』の新 助を演じ、5 月に『 曽我 対 面 』の工 藤 、

10月に『 三 人 吉 三 』の和尚吉 三 、12月に『 矢口渡 』の頓 兵 衛と線の 太い役を演じた。尾 上 菊 之 助は 1 月に国 立 劇 場の『 姫 路 城 』で女 方のお辰 、小 女 郎 狐 、4 月に『 関の扉 』の豪 快な立 役の関 兵 衛と対 照 的な役を演じ分け、歌 舞 伎 座では 2 月に『 熊 谷 陣 屋 』の義 経 、5 世界の舞台芸術を知る

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『絵本牛若丸』尾上菊之助(左)、尾上丑之助(中央) ©松竹株式会社

月の團 菊 祭では『 絵 本 牛 若 丸 』で息 子の丑 之 助の初 舞 台を果た 274

すとともに『 勧 進 帳 』の義 経 、 『 娘 道 成 寺 』を演じ、12月には新 橋 演 舞 場で自ら企 画した宮 崎 駿 作の漫 画を歌 舞 伎 化した新 作『 風の 谷のナウシカ』に主 演した。市 川 海 老 蔵は 20 年に十 三 代目市 川 團 十 郎 白 猿を襲 名することが決まった。5 月の團 菊 祭で『 勧 進 帳 』の 弁 慶を勤めたほかは、独自の歩みを続け、1 月の新 橋 演 舞 場で『 幡 随 長 兵 衛 』、 『 傘 売り』、 『 牡 丹 花 十 一 代 』、 『 俊 寛 』、 『 鏡 獅 子 』の

5 役 奮 闘を見せたのに続き、7 月には歌 舞 伎 座で『 千 本 桜 』の 13役 ほしあわせじゅうさんだん

を早 替わりで演じる 『 星合世十三團 』 と 『 素 襖 落 』、 『 外 郎 売 』を演 じた。 このほか一 門を率いての自主 公 演や各 地を巡る公 演を続け た。中村 獅 童も 1 月新 橋 演 舞 場で『 鳥 居 前 』の忠 信 、8 月に南 座で 超 歌 舞 伎と謳って最 新のテクノロジーが作ったバーチャル・キャラク はなくらべせんぼんざくら

ター初 音ミクと共 演する 『 今 昔 饗 宴 千 本 桜 』を演じ、10月に御 園 座 で『 難 波裏 』、 『 引窓 』の濡髪を演じた。

30 歳 代の花 形では中村 勘九 郎が NHKの大 河ドラマに主 演した


ため 4 月のこんぴら歌 舞 伎で『 すし 屋 』の権 太と 『 高 坏 』を演じた以 外 は舞 台に出なかった。11月から舞 台 に戻り、九 州 の 小 倉 城に平 成 中 村 座を仮 設して『お祭り』 と 『 小笠原騒 動 』の良助と兵 部を演じた。 弟の中村 七 之 助は歌 舞 伎 座で 1 月に『 廓 文 章 』の夕霧 、8 月に『 先 代 萩 』の政岡、 『 新版 雪之丞変化 』の 星 三 郎 、9 月に南 座で『 四 谷 怪 談 』 のお岩 、小 平 、与 茂 七 、11月に平 成 中 村 座で『 矢 口 渡 』のお舟 、 『 封印 切 』の梅 川 、 『 小 笠 原 騒 動 』のお大

『風の谷のナウシカ』尾上菊之助 ©松竹株式会社

の方 、おかの、12月に新 橋 演 舞 場で 『 風の谷のナウシカ』のクシャナと多 彩な役を演じて実力を発 揮した。 と 『 対面 』 尾 上 松 也は 1 月の浅 草 歌 舞 伎で座 頭として『 義 賢 最 期 』 の五 郎を演じたのをはじめ、歌 舞 伎 座で 5 月に 『 御 所 五 郎 蔵 』、6 月 に 『 寿 式 三 番 叟 』、10月に 『 三 人 吉 三 』のお嬢 吉 三 、新 橋 演 舞 場で

12月に『 風の谷のナウシカ』のユパを演じた。中村 梅 枝は 4 月に国立 劇 場で『 関の扉 』の小 町と墨 染 、10月に歌 舞 伎 座で『 三 人 吉 三 』の と大 役に挑んだ。坂 東巳之 助は 6 月の お嬢 吉 三 、12月に『 阿 古 屋 』 南 座で新 作 歌 舞 伎『 NARUTO』に主 演 、中村 壱 太 郎は 1 月松 竹 座で『 河 庄 』の小 春 、6 月に国 立 劇 場で『 矢 口 渡 』のお舟 、12月に 南 座で『 金 閣 寺 』の雪 姫を演じた。彼らに続く尾 上 右 近 、中村 児 太 郎 、中村 隼 人 、中村 米 吉らも実力をつけてきて今 後の活 躍が期 待さ れる。 世界の舞台芸術を知る

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KABUKI

『伽羅先代萩』中村七之助(中央) ©松竹株式会社

三つ目は新 作が盛んに上 演されたことである。6 月に歌 舞 伎 座で 276

上 演した三 谷 幸 喜 作 、演 出『月光 露 針 路日本 』はみなもと太 郎 原 作の漫 画を素 材にした作 品で、1782年に駿 河 沖で遭 難した神 昌 丸の乗員 17人の運 命を綴った作 品 。船は 8 ヶ月漂 流した末ロシアの 僻 島に流れつくが、飢えと絶 望から船中で 1 人が亡くなり、残った 16 人は約 10 年 間ロシア各 地を転々とし、 日本に帰 国 出 来たのはたっ た 2 人だった。三 谷は従 来の歌 舞 伎の技 法を使いながら得 意の喜 劇 風の味つけをした作 品に仕 上げた。8 月に南 座で上 演した超 歌 舞 伎とはバーチャル・キャラクターの初 音ミクと中村 獅 童が共 演する いま よ

と 『 今 昔 饗 宴 千 本 桜 』を書 舞 台で、松 岡 亮が『 當 世 流 歌 舞 伎 踊 』 いた。前 者は歌 舞 伎の祖と呼ばれている出 雲のお国と名 古 屋 山 三 を描いた舞 踊でお国をミク、山三を獅 童が演じた。後 者は歌 舞 伎の 『 千 本 桜 』を踏まえた作 品で、獅 童が忠 信 、 ミクが初 音 未 來 、美 玖 姫を演じ、青 龍と戦う二 人の演 技を最 新の映 像 技 術を使って見せ た。最 新のテクノロジーと歌 舞 伎 役 者の演 技をドッキングしたところに


面 白さがあった。8 月に歌 舞 伎 座で 上 演した『 新 版 雪 之 丞 変 化 』は女 方の雪 之 丞が父を冤 罪で殺した悪 人たちに復 讐する従 来の物 語と違う 角度から描いた作 品で、孤 児になっ た雪 之 丞が 女 方として修 業を重ね る過 程で出 会う芸 道の苦 悩に焦 点 を合わせた作 品だった。10月に新 橋 演 舞 場で上 演したスーパー歌 舞 伎 Ⅱの『 新 版 オグリ』は、1991年に三 代目市川猿 之 助( 現・猿 翁 )が初 演 した梅 原 猛 作『オグリ』を踏まえた新 277

作 。梅 原 台 本をもとに横 内 謙 介が脚 本を書き、猿 之 助と杉 原 邦 生 が 演

『新版 オグリ』市川猿之助(右)、坂東新悟(左) ©松竹株式会社

出した。 『オグリ』が説 経 節の『 小 栗 判 官 』をもとに理 想を追い求めて流 浪する男の物 語だったのに対し て、新 版は自己愛で生きてきたオグリが業 病にかかったことで隣 人 愛 に目覚める「 歓 喜 」をテーマにした。映 像を駆 使した舞 台に特 色が あった。12月に歌 舞 伎 座で上 演した『 本 朝 白 雪 姫 譚 話 』は、 グリム 童 話『 白雪 姫 』を歌 舞 伎にした作 品で、竹 柴 潤 一 脚 本 、花 柳 壽 應 、 壽 輔が演出した。 この世で一 番 美しい女であることを求める母と鏡の 精の会 話を軸にして原 作 通りの物 語が展 開していく。七 人の小 人は 子 役が演じる歌 舞 伎ファンタジーになった。12月に新 橋 演 舞 場で上 演した『 風の谷のナウシカ』は宮 崎 駿の同 名の漫 画の舞 台 化で、丹 羽圭 子と戸 部 和 久が全 6 幕の長編として脚本、G 2 が演出し、昼 夜 に亘って上 演した。今から千 年 後 、人 間の欲 望は果てしなく、 その結 世界の舞台芸術を知る

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果 巨 神 兵という兵 器の炎で世 界は焼き尽くされ、大 地は有 毒な気 が漂う腐 海になった。 その腐 海に近い風の谷の姫のナウシカが様々 かん なん

な艱 難に耐えながら諸 国を巡り世 界を浄 化しようとする物 語で、昼 夜 二 部 制での上 演になった。変 化に富んだ物 語と多 彩な人 物のキャ ラクターが面白く、歌 舞 伎 風の演 技 、音 楽 、衣 装を使った舞 台に仕 上がった。核の脅 威 、環 境 汚 染をはじめ現 代の世 界の姿を鋭く批 評した作 品である。 このほか 6 月に南 座で 2018年に初 演した漫 画が 原作の『 NARUTO』 を再演、12月に国立劇場でチャップリンの映画 『 街の灯 』を歌 舞 伎 化した木 村 錦 花 作『 蝙 蝠の安さん』を復 活 上 演した。多彩な新作が上演された年になった。 みずおち・きよし

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1936年大阪生まれ。早稲田大学文学部演劇科卒。毎日新聞学芸部で1970年から演劇担 当、同部副部長、編集委員、特別委員を経て退職。客員編集委員。2000年から桜美林大学 教授、07年退職、名誉教授。著書に『上方歌舞伎』、 『 文楽』、 『 平成歌舞伎俳優論』ほか。


『妹背山婦女庭訓 妹山背山の段』 写真提供:国立劇場

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[文楽]

慶 事と世 代 交 代 の はざまで 児玉 竜一

2019年の文 楽では、豊 竹 咲 太 夫が重 要 無 形 文 化 財 保 持 者の 各 個 認 定(いわゆる人 間 国 宝 ) を受けたことが、大きなニュースとして 挙げられる。 現 在 、三 味 線 部で鶴 澤 清 治 、人 形 部で吉 田 簑 助と吉 田 和 生が 指 定を受けている。太 夫 部としては、引退した豊 竹 嶋 太 夫が指 定を 受けているが、現 役では咲太夫が唯一となる。 太 夫のなかでの最 高 位「 切 場 語り」も、咲 太 夫がただ一 人である。 世界の舞台芸術を知る

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やましろのしょうじょう

昭 和 19 年 生まれ 、28 年 入 門 。豊 竹 山 城 少 掾 門 下で父 八 代目竹 本 綱 太 夫の薫 陶も受けた正 統 派 中の正 統 派 、 いずれ一 方の大 将 となることを、早くから期 待されていたのは言うまでもない。人 間 国 宝 認 定は、当然すぎる当然である。 こうした認 定が、 ジャンルごとの人 数 枠や、 その時々の専門委員の見識に左右される、 めぐり合わせのもの であるのを百も承 知で敢えて言うが、咲 太 夫 75 歳での認 定は遅きに 失した。戦 後 文 楽 界を牽引した咲 太 夫の父 八 代目綱 太 夫にしても、 ちょう し ん る こ つ

真の全 盛 期は 50歳 代 。彫 心 鏤 骨 の四 代目竹 本 越 路 太 夫にして76 歳で引 退 、力の浄 瑠 璃で圧 倒した四 代目竹 本 津 太 夫でも体力の それを思えば 咲 太 夫は、せめて15年 早く 全 盛は 60 歳 代までだった。 社 会 的な顕 彰を受けて、 「 咲 太 夫の時 代 」を築くべき立 場にあった はずだが、 そうならなかったのは、90歳目前まで舞 台に出続けた故 竹 280

本 住 太 夫の、永すぎた春ならぬ「 永すぎた秋 」とでも称すべき体 制に よるのだろうか。指 定する側が人 数 枠を再 考してでも、次 代の枠 組 みを作り損ねたのは、至らなかったところとしなくてはなるまい。認 定を 受けての弁は「 少しでも正 確に伝えたい」という趣旨のものであった。 ライバル五 代目豊 竹呂太 夫を早くに亡くした一 人 横 綱の辛さは察す るに余りあるが、正 統 的 伝 承の要である所 以を全うしてもらいたいと 切に願うものである。 というのも、咲 太 夫はこのところ体 調 万 全とは言い難く、 それに起 因 する例 外 的な措 置がまま見られるからである。5 月東 京の『 妹 背 山 』 通しで咲 太 夫は「 芝 六 住 家の段 」を語ったが、通 常の切 場の始ま りをはるかに過ぎたところからの語り出しで、 そこまでは前 段「 萬 歳の 段 」の織 太夫が続けて語るという変則であった。10月NHKホールで 歌 舞 伎の尾 上 菊 之 助と共 演した「 川 連 館の段 」でも、所 詮 NHK ホールが義 太 夫 節に不 向きな大 空 間であるにもせよ、現 場では小 音


繊 細な語り口であったが、後日の放 映を見ればマイク集 音のおかげ で的 確な語り、 という次 第であった(それにしてもこの文 楽・歌 舞 伎 共 演の「川連 館 」は、東 京では昭 和 36年の八 代目綱 太 夫・十 七 代目 勘 三 郎 以 来 、咲 太 夫自身にとっては平 成 2 年中座での五 代目勘九 郎[のちの十 八 代目勘 三 郎 ] との共 演 以 来という珍しい上 演だった が、一 向にそうした話 題にならなかった)。 人 間 国 宝 認 定に付 随して、 「 切 場 語り」が咲 太 夫ただ一 人であ る体 制についても再 考の機 会としたい。太 夫の最 高 位としての「 切 場 語り」の称 号について、誰に決 定 権があり、誰に動 議の権 利があ るのか、外からは一 向に見えないのだが、 ひとまずは「 時のトップの太 夫らが技 量を認めた『 切 場 語り』」と認 識されている (『 朝日新 聞 』

2019 年 5 月26日)。最 高 位というのは、 その時 点でのという意 味であ 281

り、過 去の名 人 上 手を引き合いに出してはたまらない。昔の大 先 生 を引き合いに出されては、 どれもこれも子ども同 然の「 大 学 教 授 」と同 じである。文 楽の現 時 点での上から数えれば 、咲 太 夫( 75 歳 / 芸 しころ

歴 66 年 )を別 格として、豊 竹 呂 太 夫( 72 歳 / 芸 歴 52 年 )、竹 本 錣 だ ゆう

太 夫( 70 歳 / 芸 歴 50 年)が次ぐのは衆目の一致するところで、現 在 勤めている演目の重さからいえば 、竹 本 千 歳 太 夫( 60 歳 / 芸 歴 41 年) と豊 竹呂勢 太 夫( 54歳 / 芸 歴 35年 )が次々代の要となっている 現 実から目を背けては何も始まるまい。咲 太 夫だけを「 最 後の正 統 派」とみなして、新たな「切場語り」を指名しない事態が続いては、 か つて「 紋 下 」の制 度が途 絶えたようなことがないとも限らない。切に善 処を望むものである。

2019年は、1984 年に国 立 文 楽 劇 場が開 場して35 周 年にあたっ た。国 立 文 楽 劇 場では、 『 仮 名 手 本 忠 臣 蔵 』を 3 ヶ月に分 割して通 し上 演した。4 月に大 序から四 段目、7 月に五 段目から七 段目、11月 世界の舞台芸術を知る

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に八 段 目から十 一 段 目を 宛てた 。歌 舞 伎では 前 例 があるものの、文 楽では前 代 未 聞 、役々の肚 拵え (人 物 造 形への段 階 的な心 構 『仮名手本忠臣蔵 三段目 殿中刃傷の段』 写真提供:国立文楽劇場

え)からしても問 題 の 多い 上 演であることは自明であ る。 しかし、 この間 、咲 太 夫 は四段目と六段目の「身売 りの段 」、呂勢 太 夫は三 段 目「 殿中刃 傷の段 」と六 段 目「 勘 平 腹 切 の 段 」を勤

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めたが、一日で通すとこうし た複 数 段を受け持 つわけ にはいかない。三 分 割の理 『仮名手本忠臣蔵 七段目 祇園一力茶屋の段』 写真提供:国立文楽劇場

由 の 最 大 のところはここで あろうと推測する。 しかし、 この三 分 割によっ て生じた条 件を逆にいかし たところは 健 闘と称 すべき で 、通 常 の 通し上 演 では 割 愛されるいくつかの場 面 に工 夫があった。二 段目で 「 力 弥 使 者 の 段 」を上 演 したほか、十 段目は通 常の

『仮名手本忠臣蔵 九段目 山科閑居の段』 写真提供:国立文楽劇場

野 澤 松 之 輔 補 曲 版ではな


く、野 澤 錦 糸が朱から起こした復 曲 版を上 演した。通しならば 吉 田 玉男に配される由良之 助が、桐 竹 勘 十 郎( 七 段目) という配 役も珍 しかった。文 楽の基 本は通し上 演であり、 それは一日で通すのが当 然の原 則であるのも言うまでもない。だが、三 分 割の『 忠 臣 蔵 』通し で、大 阪としては異 例なまでの観 客を集めて、11月の千 穐 楽には大 入 袋まで出たという事 実は認めなくてはならない。だから三 分 割を繰 り返す、のではなく、何がお客を集めたかを考えなくてはならないだろ う。 通し上 演に関していえば 、5 月の東 京・国 立 小 劇 場での『 妹 背 山 婦 女 庭 訓 』が特 筆される。大 序「 大 内の段 」からの通し上 演は、実 に98年ぶりとのことである。 また、国 立 劇 場での文 楽 通し上 演では、 昼の部に初 段・三 段目、夜の部に二 段目・四 段目を宛てるといった 283

順 序の入れ替えを行うことも多かった。現 実 的には、例えば 昭 和 50 年 代 、四 代目越 路 太 夫と四 代目津 太 夫が、昼 夜どちらかに偏るわけ にはいかないという事 情もあったわけだが、 ともかくも今 回は、順 番 通 りの上 演で、 これが正しいのは言うまでもない。 『 妹 背山 』通しのクライマックスは三 段目の「 妹山背山の段 」にあり、 今 回は千 歳 太 夫( 背 山・大 判 事 ) と呂勢 太 夫( 妹 山・定 高 )が全身 全霊の語りで重責を担った。2016 年 4 月文楽劇場での初役時に比 しゃく しゃく

べれば 、余 裕 綽 々とはゆかぬまでも客 観 性があった。 こうした作 品の 力によって、演 者が鍛えられてゆく過 程も重 要で、往 時の太 夫 陣の 充 実を思うよりも、現 在の陣 容で大きな作 品に挑 戦してゆくことも必 要となろう。12月東 京の『 一 谷 嫩 軍 記 』二 段目・三 段目などを見ると、 若 手にとってその挑 戦の前 途は遼 遠とも思えるが、体当たりを繰り返 してゆく以 外に方 法はないだろう。5 月の正 統『 妹 背 山 婦 女 庭 訓 』 通し上 演の延 長 上に、2020 年 4 月に大 阪で予 定されている、 「大 世界の舞台芸術を知る

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『一谷嫩軍記 熊谷陣屋の段』 写真提供:国立劇場

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序 」付きの『 義 経 千 本 桜 』通し上 演がある。積 極 果 敢な制 作 姿 勢 を高く評価すべきだろう。

2020 年 1 月の大 阪・文 楽 劇 場から、竹 本 津 駒 太 夫が六 代目竹 本 錣 太 夫を襲 名することが発 表された。錣 太 夫という名 跡がよみが えるのは 80年ぶりで、先 代の演 奏は戦 前の SPレコードの中に残って おり、義 太 夫 節が同 時 代の演 芸 色を濃 厚に残していた時 代を思わ せる。豊 竹 山 城 少 掾の質 実な芸 風が文 楽の大 勢を覆う以 前を回 顧して、義 太 夫 節が本 来 持っていた多 様 性に言 及する際に、 よく引 き合いに出される芸 風である。近 世 期にまでさかのぼることのできる 名 跡の襲 名は、文 楽の伝 承を可 視 化するという点で重 視すべきで、 よみ

もちろん襲 名を嘉 するのに異 存のあろうはずはない。前 述の通り、上 から何 番目という地 位にある津 駒 太 夫であり、いよいよの円 熟を期 待したい。だが、長らくコンビを組む形になっていた七 代目鶴 澤 寛 治 ( 2018 年 没 )が健 在の内に華々しく披 露を行っていれば 、 どれほど


晴れやかだっただろう。70歳での襲 名は、やはり少し遅い。巨 視 的な 観 点からの体 制 作りが、少しずつ後 手に回っていると観ずる所 以で ある。 それともうひとつ、観 客 席からはあずかり知らぬところながら、昨 年の竹 本 文 字 久 太 夫の豊 竹 藤 太 夫 改 名でもそうであったが、師 匠 の名 跡の系 統から離れてゆく事 例が続くのをどう考えるべきなのだ ろう ( 錣 太 夫については、鶴 澤 寛 治を通しての縁 故が後に明かされ た)。 さらに、竹 本 千 歳 太 夫と豊 竹呂勢 太 夫という、次々代のトップを 担う両 人が、ほぼ入 門 以 来の名 跡であるのも気に掛かる。立 場が人 を作り、名 跡が芸を引き上げるという考え方もあるのだから、周 囲が 文 楽のために衆 知を集めて、文 楽の芯 柱にふさわしい名 跡を考えて くれることを望むところである。呂 勢 太 夫は 9 月公 演の後 、体 調を崩 して休 演を重ねている。最も重 要な人 材の一 人であり、 自愛と自重を 285

切に願う。 ひめ こ まつ ね の ひ

あそび

千歳太夫は本興行での活躍もさることながら、 『 姫 小 松 子日の遊 』 はなのあにつぼみのやつふさ

( 5 月 29 ( 2 月 19日)や八 犬 伝の浄 瑠 璃 化である『 花 魁 莟 八 総 』 日)などの復 曲 活 動(ともに三 味 線は錦 糸) も注目される。鶴 澤 燕 三 復 曲による紀 尾 井ホールでの『 出 世 景 清 』 ( 三 輪 太 夫・呂 勢 太 夫 ほか、5 月 29日)など、 これらの活 動の集まる多くの観 客の欲 求を、国 立 劇 場の演目立てが吸 収してゆくことを期 待したい。咲 太 夫に次ぐ 立 場の呂 太 夫は、杉 本 博司による新 演 出の杉 本 文 楽に初 参 加し て『 曾 根 崎 心 中 』ニューヨーク公 演を行ったが、 それ以 上に、大 阪 と東 京( 9 月 26日)で『 熊 谷 陣 屋 』を丸 一 段 語った( 三 ( 8 月 17日) 味 線は鶴 澤 清 介 )のが立 場にふさわしい仕 事だった。前 半はやや 様 子 見だったが、後 半は筒 一 杯の熱 演で、熊 谷や弥 陀 六が声 柄 に合うのは予 想 通りながら、義 経の詞が凜 然として鮮やかで目を瞠 った。切 場を丸 一 段 語ってこそ太 夫の本 懐 、義 太 夫の王 道をゆく語 世界の舞台芸術を知る

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『鶊山姫捨松』吉田蓑助の中将姫 写真提供:国立劇場

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りを、床の諸 賢には期 待したい。人 形 陣は、和 生・勘 十 郎・玉 男の ひばりやまひめすてのまつ

三 頭目が揃っているのが心 強く、吉 田 簑 助が『 鶊 山 姫 捨 松 』の中 将 姫( 2 月・東京)で絶後ともいいたい美しさを見せた。 こだま・りゅういち 1967年兵庫県生まれ。早稲田大学教授。演劇博物館の展示等にも携わり、2013年から副 館長。専門は、歌舞伎研究と評論。編書に『能楽 文楽 歌舞伎』、共編著に『最新 歌舞伎大 事典』 など。 「朝日新聞」 ( 東京) で歌舞伎評担当。

写真協力:人形浄瑠璃文楽座


ブロードウェイミュージカル『ピピン』 日本語版2019 フジテレビジョン/キョードー東京/ワタナベエンターテインメント 撮影:GEKKO

[ミュージカル]

目 立 つ 、 オリジ ナ ル・ミュージ カ ル 萩尾 瞳 増えるミュージカル公 演 数だが、 ヒット作の再 演が占める割 合も高 い。観 客 動員が見 込める安 全パイというわけ。一 方で、 オリジナル・ミュ ージカルが充 実してきたのは 19年の嬉しい傾 向 。題 材の選 択も、製 作の過 程や形 態もヴァラエティに富んでいる。 オリジナル・ミュージカル の時代到来、 とまではいかないものの、 その流れは確かに感じさせる。

意欲作『FACTORY GIRLS』 オリジ ナ ル・ミュ ー ジカル の な か で 最も 印 象 的 だ った の が 世界の舞台芸術を知る

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MUSICAL

『 FACTORY GIRLS ~私が描く物語~ 』 ( 企 画・制 作アミューズ)。 題 材が鮮 烈だ。19世 紀のアメリカ、紡 績 工 場で働く女 性たちが組 合 を作ろうとする物 語である。主 人 公サラ ( 柚 希 礼 音 )は、過 酷な労 働 条件に直面すると同時に、同じ労働でも女性はさらに差別されている ことにも気づいていく。女性労働者たちの寄稿冊子の編集長ハリエッ ト (ソニン) と親しくなり、 自分の本 音を綴った記 事を寄 稿し始めるが、 冊 子の方 針とのズレも感じていく。冊 子は、 よく言えば中庸 、悪く言え ば 女 性たちの権 利 意 識を削ぐものでもあった。 そんななか、サラはつ いに女 性労働者たちの組合結成に向けて動き出す。 未だに#MeTooを言わねばならないほど、性 差 別が根 深い現 在 。 そんな時 代を、19世 紀を背 景にした物 語が、鋭く撃つ。サラとハリエッ トの対 立は、 そのまま女 性たちのなかに根 強く残る意 識の対 立である。 288

そんな題 材が舞 台ミュージカル化されたことは新 鮮だし、登 場すべく して登 場した作 品とも思える。 まだ粗 削りではある。 それでも、 この果 敢 アミューズ『FACTORY GIRLS~私が描く物語~』 撮影:岡千里


な物 語は胸を打つ。時 間をかけて練り上げて、是 非とも再 演してほし い作 品である。 製 作 過 程も興 味 深い。 クレイトン・アイロンズとショーン・マホニーが 詞と音 楽を手がけた元の作 品は、 アメリカでも未 上 演 。 その上 演 権を 買い、板 垣 恭 一に日本 版 脚 本と演出を依 頼して、生まれた舞 台なの だ。 日本 版 脚 本を書く過 程で新 曲も書き下ろされた。いわば 、未 完 成 品を日本で完 成にもっていった形 。 この製 作スタイルは、今 後もっと 増えていくだろう。

多彩なオリジナル オリジナル・ミュージカルでは他にも印 象 的な作 品が多かった。 イ・ ユンギ監 督の映 画『ワン・デイ 悲しみが消えるまで』 ( 17) を日本で舞 289

( 企 画・製 作・主 催 台ミュージカルにした『いつか~ one fine day ~』

conSept) も、 そのひとつ。映 画の物 語をベースに、板 垣 恭 一が脚 本・

conSept『いつか~one fine day~』 撮影:安藤毅

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MUSICAL

作 詞・演出を手がけ、桑原まこが作曲・音 楽 監 督を担当した。 妻に先 立たれた主 人 公( 藤 岡 正 明 ) と、交 通 事 故で植 物 状 態 になった女 性( 皆 本 麻 帆 ) との意 識の交 流を描いたファンタジーだ。 再 生のドラマのなかに安 楽 死 問 題も織り込まれる。桑 原の音 楽がよく、 藤 岡が確かな歌唱と繊細な演技で舞台をリードした。 宝 塚 歌 劇 団の、宝 塚らしからぬ素 材のオリジナル作が『チェ・ゲバ ラ』。医 師だったゲバラ ( 轟 悠 )がメキシコに亡 命 中のカストロと出 逢 い、共にキューバ革 命のために闘う話は、史 実に基づいたもの。理 想 に生きた主 人 公をドラマティックに描いて、やっぱり宝 塚らしい作 品に 仕 上がっている。作・演出は原田諒、作曲・編曲は玉 麻尚一 。 メキシコの 『フリーダ・カーロ~ 折れた支 柱 ~ 』 ( TipTap制 作 )は、 画 家フリーダの評 伝ミュージカル。上 田 一 豪の作・演 出 、小 澤 時 史 290

の作 曲によるオリジナルだ。晩 年のフリーダが自身を振り返るという運

宝塚歌劇団月組『チェ・ゲバラ』 ©宝塚歌劇団


びで、 フラッシュ・バックを多用したテンポのいい舞台だった。 江 戸 川 乱 歩 の 小 説 をベ ースにした 新 作 が『 怪 人と探 偵 』 ( PA RCO 、K A AT 神 奈 川 芸 術 劇 場 、アミューズ 、WOWOW 製 作 )だ 。令 嬢( 大 原 櫻 子 )の愛を巡って、怪 人 二 十 面 相( 中 川 晃 教) と名 探 偵・明 智 小 五 郎( 加 藤 和 樹 )が闘う物 語だ。森 雪 之 丞が 作・作 詞・楽 曲プロデュースを手がけ、杉 本 雄 治が作 曲 、島 健が音 楽監督、 テーマ曲を東 京スカパラダイスオーケストラが、演 出を白 井 晃が手がけるという力のこもったプロダクション。 シェイクスピア戯曲のミュージカル化も目立つ。 ロックオペラ 『 R&J 』 (ネルケプランニング主 催 )は、近 未 来を背 景にしたロミオ( 佐 藤 流 司) とジュリエット ( 仲 万 美 )の物 語だ。鈴 木 勝 秀の脚 本・演 出 、大 嶋 五 郎の音 楽による舞 台は、猥 雑なエネルギーいっぱい。 『 ハムレッ 291

ト』 ( 博 品 館 劇 場 、M・G・H企 画・製 作 )は、矢 田 悠 祐が主 演 、荻 田 浩 一の脚 本・演 出で、ハムレットとガートルート ( 彩 輝なお)の関 係 性 がポイント。音楽( la malinconica、福田小百合)は難曲揃いの印 象 。 原 作が有 名という点では『オリヴァー・ツイスト』 ( 兵 庫 県 立 芸 術セ ンター、 アークスインターナショナル共 同 製 作 ) も。 ご存じディケンズの 小 説で、映 画 化もされたミュージカル版が有 名だ。 けれど、 これは岸 本 功 喜の脚 本・演 出 、小 島良太の作 曲・音 楽 監 督による新 作 。 フェ イギン ( 福 井 貴 一 )の描き方に温かみがあり、新鮮だった。

ブロードウェイの新作と名作 ブロードウェイの話 題 作をいち早く翻 訳 上 演するのは、 日本ミュー ジカル界の大きな流れ。 とはいえ、19年は本 数が少なめだ。 いまや多 国 籍 化の時 代 。対 費 用 効 果の計 算もあろう。 そんななか登 場したブ ロードウェイ新 作が、 『 パリのアメリカ人 』 (劇団四季製作) と 『ナター 世界の舞台芸術を知る

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MUSICAL

シャ・ピエール・アンド・ ザ・グレート・コメット・オ ( 東 宝 製 作 )。 ブ・1812 』 『 パリのアメリカ人 』は ガーシュウィンが音 楽を 劇団四季『パリのアメリカ人』 撮影:下坂敦俊

手 がけたミュージカル 映 画( 1951)の舞 台 化 。 元 は 華 やかな 恋 物 語 だが、舞 台 版では第 二 次 大 戦の傷 跡や人 種 問題も織り込まれる。 クリ ストファー・ウィールドン

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の振 付( 演 出も)は、か なりの バレエ・キャリア が要 求されるもので、 日 本 上 演は困 難かとも思

『ナターシャ・ピエール・アンド・ザ・グレート・コメット・オブ・1812』 写真提供:東宝演劇部

えた。 それを果 敢に手 がけ

たのが劇 団 四 季 。 オーディションで外 部キャストも起 用しての上 演で ある。 ブロードウェイ版のレプリカだが、舞 台自体は美しい仕 上がりだ った。ただ、作 品 知 名 度が低いせいか観 客 動員には苦 戦した印 象 。 体力がある四季だからこそ実現できた公 演ではある。 『ナターシャ… 』は、 トルストイの『 戦 争と平 和 』をベースにしたミュー ジカル。 オフ・ブロードウェイのレストラン・シアター発で、観 客がドラマ と地 続きになる趣 向だ。 日本 上 演 版も、劇 場 客 席を大きく変えて、 こ の趣 向を踏襲。井上芳雄、生田絵梨花らが健 闘した。


思えば 、 日本のミュージカル俳 優たちのレベル・アップを感じさせる 舞 台も多かった。たとえば『ピピン』。来日公 演もあったダイアン・ポー ラス演出のブロードウェイ・リバイバル版を、 日本 人キャストで上 演する のは冒険に思えたのだ。王 子ピピンの旅と成 長を描くドラマの外 枠に サーカス団を設 定した演 出で、出 演 者にはアクロバットや空中ブラン と コなどの曲 芸も要 求されるからだ。難 役の祖 母 役( Wキャスト)を、 もに70 歳を超えた中 尾ミエと前 田 美 波 里が見 事に演じたのは感 動 的ですらあった。MC役のクリスタル・ケイはミュージカル初出演。俳優 の裾野が広がってきたことを実感した舞台だった。 ミュージカルの金 字 塔『ウエスト・サイド・ストーリー 』は、客 席が 360 度回転するIHIステージアラウンド東京で、連続上演。夏の来日公演 から始まり、 日本 人キャストによるシーズン1~3まで 10か月近い公 演 293

だ。演 出は基 本 的に同じ。 ラストに至っても、敵 対する者 同 士の和 解 はない。現代を映した結末だが、個人的にはもの足りない気がする。

『ウエスト・サイド・ストーリー』 © WSS製作委員会/撮影:田中亜紀

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国際演劇年鑑2020


MUSICAL

同様にレジェンドといえる 『オン・ザ・タウン』は、2 つのプロダクション で上 演された。宝 塚 歌 劇 団によるものと、佐 渡 裕プロデュースのオペ ラ版である。 レナード・バーンスタイン作 曲とジェローム・ロビンスのオリ ジナル振 付が魅力的な作 品ではあるけれど、 ドラマの古さは否めな い。大 胆に改 変する必 要がありそうだが、権 利 関 係が難しいとか。70 年 代のブロードウェイ・ヒット作『 20世 紀 号に乗って』 も宝 塚での上 演 。 サイ・コールマンの曲が魅力のスラップスティック・コメディで、宝 塚に 似 合いの華やかな作品となった。 もうひとつ、 レジェントといえば 白 鸚 主 演『ラ・マンチャの男 』。彼が そして白 染 五 郎 時 代の 69年に日本 初 演され、以 降 、幸 四 郎 時 代 、 鸚 襲 名 後の 19 年にも主 演を続け、単 独 主 演 1,300 回の記 録を作 った。 294

『ラ・マンチャの男』 写真提供:東宝演劇部


その他の新作、そしてトピック 『 笑う男 』はヴィクトル・ユゴーの小 説が原 作 。韓 国 初 演だが、 ロバ ート・ヨハンソン脚 本 、 ジャック・マーフィー作 詞 、 フランク・ワイルドホー ン作 曲と、 クリエイティブ・チームは米 国 勢だ。18年 韓 国 初 演 作を19 年に日本で上 演したのだが、実のところ脚 本がいまひとつの印 象だっ た。 日本 版の演出は上田一豪で、随所に苦労の跡が見られた。 オフ・ブロードウェイ作 品『ストーリー・オブ・マイ・ライフ』 (ニール・バ ートラム作 詞・作曲、 ブライアン・ヒル脚 本 ) も、韓 国 経 由で日本へ。追 想の形で幼なじみ二 人の友 情を描く、二 人ミュージカルだ。 『スリル・ ミー 』 と同じ形 、同じ経路での上陸である。 世 界 初 演『ラ・テンペスタ』は、 オフの名 作『ファンタスティックス』の 脚 本 家トム・ジョーンズが書き下ろした新 作 。 タイトル通り 『テンペスト』 295

のミュージカル化だ。演 出の勝 田 安 彦とジョーンズとの長 年に渡る縁 からいち早く日本 上 演となった。 『 BACKBEAT』は 94年の同 名 映 画をイアン・ソフトリー自身が舞 台 化したもの。 ミュージカルというより、 プレイ・ウィズ・ミュージックだ。10年 にグラスゴーで初 演された作 品で、 ビートルズがブレイクする前のハ ンブルク時 代を描いた物 語 。石 丸さち子の翻 訳・演 出で、 よくまとまっ た舞 台だった。 多国籍、 また掘り起こし作 品が増えるなか、 フランス産ミュージカル も。 『ドン・ジュアン』がそれで、16年に宝 塚で上 演された作 品を、同じ く生 田 大 和が演 出を手がけジャニーズ事 務 所 所 属の藤ヶ谷 太 輔を 主演に上 演した。 ジャニーズ 事 務 所 は 、いまやミュージカル界に欠 かせない人 材 の 宝 庫 。事 務 所を創 設し牽 引してきたジャニー 喜 多 川 氏 が 7 月 に亡くなった。80 年 代に少 年 隊 主 演のオリジナル・ミュージカル・シ 世界の舞台芸術を知る

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MUSICAL

リーズ『 PLAYZONE 』をスタートさせて以 来 、近 年の大ヒット舞 台 まで多くのミュージカルやショーのプロデュース 『 Endless SHOCK 』 に携わった人だった。 ジャニーズ事 務 所に続きそうな勢いで、若 手ミュージカル俳 優を輩 出している 2・5 次 元ミュージカルは相 変わらず元 気だ。作 品 数も動 員数も右 肩 上がりで、出演 者のレベルも上がってきている。 また、東 京 では新 劇 場 、東 京 建 物 Brillia Hallが 11月に開 場 、 ミュージカル公 演 の新たな受け皿ともなる。今後もミュージカル界はにぎわい続けそうだ。 はぎお・ひとみ 新聞記者を経て、映画・演劇評論家。東京新聞で舞台評、 ミュージカル誌で連載コラムなどを 執筆。著書に『ミュージカルに連れてって!』 『「レ・ミゼラブル」の100人』ほか。編・著書に『ブロ ードウェイ・ミュージカル トニー賞のすべて』 『プロが選んだはじめてのミュージカル映画 萩 尾瞳ベストセレクション50』ほか。

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世田谷パブリックシアター×パソナグループ『CHIMERICA チャイメリカ』 撮影:細野晋司

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[現代演劇]

「 個 」 とし て 立 つ 。 橋 を 架 け る 山口 宏子

芸 術 活 動への公 的な援助が引きはがされる「事件 」が続いた。

9 月、文 化 庁が国 際 芸 術 祭「あいちトリエンナーレ2019」への補 助 金 約 7,800万 円の全 額 不 交 付を決めた。展 示 作 品の中に昭 和 天 皇の肖像をモチーフにした作 品を焼く映 像などがあり、脅 迫を含 む抗 議が実 行 委員会に寄せられた。 このため、会 場の一 部が、ある 期 間 閉 鎖に追い込まれた。 それによる「 手 続き上の問 題 」が不 交 付 の理 由とされた。 「 表 現の自由を侵す」と多くの人や団 体が批 判し たが、政 府は決 定の経緯や責任の所在をはっきり説 明しない。 世界の舞台芸術を知る

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CONTEMPORARY THEATRE

芸 術 文 化 振 興 基 金は、出 演 者の一 人が麻 薬 取 締 法 違 反で有 罪 判 決を受けたことを理 由に、映 画『 宮 本から君へ 』への助 成を取 り消した。9 月に「 公 益 性の観 点から不 適 当と認められる場 合 」に 内 定や交 付 決 定を取り消せるよう要 綱を改 正していた。 「 公 益 」の 恣 意 的な解 釈への懸 念は強い。基 金から現 代 演 劇への助 成は 19 年 度 、172件約 2 億 9,700円採択されている。 ウィーンの施 設が主 催した現 代 美 術 展では、美 術 家が安 倍 首 相 に似た人 物を演じる映 像などが出 品されていたことで、 日本 大 使 館 がオーストリアとの友 好 150周 年 事 業の認 定を取り消した。 自民 党の 国 会 議員が外務省へ問い合わせをしていた。 憲 政 史 上 最 長となった安 倍 政 権は、行 政の執 行にあたり「お友 達 」や「 支 持 者 」を優 遇することに熱 心だ。政 権を担う自分たちがよ 298

しとすることが「 公 益 」であり「 国 益 」だと考え、 「 表 現の自由 」を萎 縮させかねないやり方で権力を振るう。異 論には向き合わず、充 分な 説 明もしない。戦 後 例のないこの政 治 手 法が分 断を広げ、権力を持 つ側と違う意 見を言うことをためらわせる「 空 気 」を醸 成している。 そ の中で、演劇は― 。

全体主義に抗うために 野 田 秀樹が作・演出・出演した『「 Q 」 :A Night At The Kabuki 』 は、英 国のロックバンド、 クイーンの楽 曲にのせて、 『ロミオとジュリエッ ト』の二 人が、 もし死ななかったら、 という後日譚を描いた。舞 台を源 じゅ り

ろう み

氏と平 家が争う時 代にし、若き日の「 源の愁 里 愛 」と「 平の瑯 壬 生 」 と、大 人になった 2 人が登 場する。野 田 作 品らしく多 様な要 素が重 層 的に絡み合うが、重 要なモチーフの一つが「 名 前 」だ。 シェイクス ピアの原 作と同じく、愁 里 愛は瑯 壬 生に「 名 前を捨てて」と言う。 ここ


での名 前は「 家 」。愛を 妨げる壁であり、対立の もとになっている。だが 後 半 、名 前をなくした瑯 壬 生は戦 場へ送られ 、 極寒の地で息絶える。 こ こでの名 前は「 個の尊

ⓒNODA・MAP NODA・MAP『「Q」 :A Night At The Kabuki』 撮影:篠山紀信

厳 」。 それを失った時 、人は全 体 主 義にのみこまれる。陰 影の深い終 幕には、人を「 無 名 戦士」として死なせることへの怒りがあった。 永 井 愛は作・演 出『 私たちは何も知らない』で、1910 年 代に雑 誌 「 青 鞜 」に集った 女 性たちを描いた 。自分 の 頭で考え、自分 の 足 で立とうとした 20 代の平 塚らいてう、10 代の伊 藤 野 枝らを、同 世 代 299

の俳 優が演じ、愛 、結 婚 、堕 胎 、貞操などのテーマに体ごとぶつかる。 彼 女らが抱える女 性であるがゆえの生きづらさや、因 習 的な社 会に 「 個 」として対 峙する困 難は、100年 以 上たった現 代も驚くほど変わ っていないことを痛 感させた。 「 青 鞜 」の少し後の時 代に活 躍した作 家 、小 林 多 喜 二を描いた 『 組 曲 虐 殺 』が改めて重い手 応えを残した。2009年 初 演の井 上ひ さし最 後の戯 曲 。今 回 、栗 山民 也の演 出が大きく変わったわけでは ない。 しかし、言 論と表 現を封 殺され、ついには生 命を奪われる多 喜 二の姿が現 代と共 振し、決してペンを折らない作 家の意 志とそれを より強い光を放った。 支える人々の覚 悟が、2019年の日本で、 新国立劇場の小川絵梨子芸術監督が 2 シーズン目を「ことぜん」 ( 個と全 )を共 通テーマにした 3 作で始めたのも、時 代の反 映だろう。 中でも小川演 出『タージマハルの衛 兵 』 (ラジヴ・ジョセフ作 )が優れ た成 果だった。 ムガル帝 国に仕える若い衛 兵 2 人が、命 令に従う義 世界の舞台芸術を知る

国際演劇年鑑2020


CONTEMPORARY THEATRE

務と精 神の自由との間 で 揺 れ 動く。彼らの 葛 藤は現 代日本と地 続き である。

二兎社『私たちは何も知らない』 撮影:本間伸彦

世界に橋を架け、 他者と出会う 見 知らぬ土 地に思い をはせ、 考える時 、 私たち の 世 界 は 広 がる。優 れ た翻 訳 劇は、遠くにいる 誰かと出会わせてくれる。

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文 学 座アトリエの 会 の 松 本 祐 子 演 出『スリ ーウインターズ 』 (テー ナ・シュティヴィチッチ 新国立劇場『タージマハルの衛兵』 撮影:宮川舞子

作 )は、ある一 家を通し てクロアチアの 現 代 史 を描く。社 会が激 動する 中で人々はどう生きたか。 体温の伴う秀作だった。 ベルリンの壁が壊れ、 東 西 冷 戦 が 終 わった

19 8 9 年 、北 京 では 民 主 化を求める人々を軍 隊が制 圧した「 天 安 門

文学座アトリエの会『スリーウインターズ』 撮影:宮川舞子


事 件 」が起きた。 これを題 材にしたのが『 CHIMERICA チャイメリ カ』 (ルーシー・カークウッド作 )。2012年のニューヨークと1989年の 北 京を行き来しながら、米 国 人 写 真 家とその友 人の中 国 人 青 年の 運 命をスリリングにつづる。栗 山民 也のダイナミックな演 出が冴えた。 『 人 形の家 Part 2 』 (ルーカス・ナス作 ) も栗 山の演 出 。15年 後 、家 に戻ったノラが、夫 、娘 、乳 母と言 葉を闘わせ、 それぞれの感 情や価 値観 、人 生 観が浮き彫りになった。 劇 団 青 年 座『 SWEAT スウェット』 (リン・ノッテージ作 、伊 藤 大 演 出 )では、米 国ペンシルバニア州の自動 車 工 場で働く人たちを通し て、社 会に深 刻な分 断が生まれる過 程が生々しく立ち現れた。 トラン プ大 統 領を生み出した背景は、 なるほどこういうことか、 と実 感する。 日本では 1999年 以 来となる「 第 9 回シアター・オリンピックス」が 8 301

~ 9 月に開かれた。今 回はロシア・サンクトペテルブルグとの共 同 開 催で、 テーマは「 Creating Bridges」。 日本 側の芸 術 監 督を鈴 木 忠 志が務め、会 場の富 山 県に 16の国・地 域の芸 術 家が集い、30 作 品が 上演された。 秋の「 東 京 芸 術 祭 」 は宮 城 聰が総 合ディレ クターに就いて 2 年目。 「フェスティバル /トー キョー 」や豊 島 区など、 多くの 主 体 の 寄り合い のため、芸 術 祭としての まとまりは弱いが 、 ドイツ

劇団青年座『SWEAT スウェット』 撮影:坂本正郁

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CONTEMPORARY THEATRE

のシャウビューネ劇 場『 暴力の歴 史 』 (トーマス・オスターマイアー演 出 )や、 ロシアのレッドトーチ・シアターによる、全 編 手 話で演じる 『三 人姉妹 』 (ティモフェイ・クリャービン演出) など、海外作品が強い印象 を残した。今 年から世 界 6 地 域の団 体が参 加し、観 客とともに優れ た舞台芸術とは何かを考える「ワールドコンペティション」 も始まった。 タイのウティット・へーマムーンが自身の半 生を重ねて書いた長 編 小説を原作に岡田利規が脚本・演出を手掛け、 タイ語で上演された 『プラータナー:憑 依のポートレート』が、18 年のバンコク初 演 、パリ 公 演を経て、 日本 初 演された。通 貨 危 機や軍 事クーデターなどのタ イの現 代 史と性 愛を含む個 人の時 間が絡み合う、濃 密な 4 時 間の 大 作だった。 302

多彩な創作、神奈川芸術劇場の充実 つきあかりめざすふるさと

創 作 劇では、三 谷 幸 喜が新 作 歌 舞 伎『月 光 露 針 路日本 風 雲 児たち』 と、主 人 公が名 探 偵になるまでの物 語に軽 快な笑いと人 生 の悲 哀を込めた『 愛と哀しみのシャーロック・ホームズ』の 2 本を作・ 演出し、相変わらず好調だった。 松 尾スズキは個 人 企 画「 東 京 成 人 演 劇 部 」を始め、 『 命、 ギガ長 ス』を作・演 出し、出 演もした。認 知 症の老 母とアルコール依 存 症で 無 職の中年の息 子の日常と、彼らの記 録 映 画を撮る女 子 大 学 生と 指 導 教 授との関 係を描いた二 人 芝 居 。家に引きこもり、高 齢の親の 年 金で生 活する中高 年が増 加している「 8050問 題 」などを映してい るが、劇の主 眼は、 カメラの前で、張り切って「 問 題の当 事 者 」を演 じる母 子のありようと、 そこへ向ける社 会の視 線にある。人 生 100年 時 代といわれる「ギガ(とてつもなく)長い命 」を生きねばならない人 間 の愚かしさを苦笑しながら肯定する、成熟を感じる作 品だった。


気 鋭の横 山 拓 也は、身体 障がい者 施 設を舞 台にした『ヒトハミナ、 ヒトナミノ』 ( 松 本 祐 子 演 出 )で、ユーモアを込めて、施 設 職員の過 酷な労 働 環 境や、身障 者の性といった語られにくいことがらを真 摯に 取り上げた。 劇 場 で は 、神 奈 川 芸 術 劇 場の企 画が充 実していた 。芸 術 監 督 の 白 井 晃 が 演 出した 『 出 口なし』 ( サルトル 原 作 )、木ノ下 歌 舞 伎 『糸井版 摂州合邦 辻』 (糸井幸之介上演 303

台 本・演 出 )、多 田 淳 之 介 が 2 通りに演 出し た『ゴドーを待ちながら』 ( ベケット作 )、ケラリー

東京成人演劇部vol.1『命、 ギガ長ス』 撮影:引地信彦

ノ・サンドロヴィッチ 作・ 演 出『ドクター・ホフマ ンのサナトリウム~カフ カ第 4 の長 編 ~ 』、ギリ シャ悲 劇 10 本をまとめ た長 大な『グリークス』 くに お

( 杉 原 邦 生 演 出 )、長 ひ た ち ぼう

塚 圭 史 演 出『 常 陸 坊 か い そん

海尊』 (秋元松代作) などが 優れた成 果をあ

企画集団マッチポイント 『ヒトハミナ、 ヒトナミノ』 撮影:武田真由子

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CONTEMPORARY THEATRE

げた 。白 井を中 心にし た 作り手 同 士 の 信 頼 関 係と、舞 台 から何 か を発 見する演 劇の楽し さを観 客と共 有しようと KAAT神奈川芸術劇場『グリークス』 撮影:bozzo

いう劇 場の姿 勢が、 よく 伝わってきた。

震災・原発事故と向き合い続ける 谷賢一は、 主宰するDULL-COLORED 東日本大震災から8 年。

POPで作・演 出した「 福 島 三 部 作 」を一 挙 上 演した。原 発 建 設が 決まるまでをつづった第 一 部『 1961年:夜に昇る太 陽 』 ( 18年 初 演 ) 304

に続き、地 元自治 体の矛 盾と苦 悩を描く第 二 部『 1986年:メビウスの 輪 』、事 故で生 活を奪われた人々を見つめた第 三 部『 2011年:語ら れたがる言葉たち』 を続けて発表。気迫のこもった力作だった。

DULL-COLORED POP「福島三部作」 より第二部『メビウスの輪』 撮影:白圡亮次


福 島 県 南 相 馬 市に移 住した柳 美 里は、1990年 発 表の戯 曲を地 元の高 校 生のために書き直した作・演 出『 静 物 画 』を前 年の南 相 馬 公 演に続き、東 京でも公 演 。生と死を繊 細に描 出した。 『 ある晴れ た日に』 ( 柳 作 、前 田司郎演出) も東北 3 県で上演した。 桑 原 裕 子 作・演 出の K AKUTA『らぶゆ 』は、傷ついた人々が集 う「 疑 似 家 族 」が震 災で壊れてしまう物 語 。ハッピーエンドではない が、人と人とを結び付ける愛が観 客に温かく手 渡された。赤 堀 雅 秋 作・演出『 美しく青く』の舞 台は震 災 後の町 。 自然の脅 威の中で生き る人々を濃 厚な生 活 感で描く。岩 井 秀 人 作・演 出の音 楽 劇『 世 界 は一 人 』は様々な挫 折を味わいながら成 長する男女 3 人が主 人 公 。 直接震災に言及はしないが、劇全体に影を落とす挿話に、原発事故 を突き詰めて考えることから逃げる現実社会への批評も読みとれた。 305 先人の仕事を継承する。発展させる 先 行 世 代の仕 事を受け継ぐ動きも活 発だ。唐 十 郎の旧作の上 演 が相 次ぐ中 、劇 団 唐 組が『ビニールの城 』 ( 1985年 初 演 )を取り上 げ、出 色の舞 台に仕 上げた( 久 保 井 研+唐 演 出 )。直 接 触れ合うこ とのできない男女の愛を描く繊 細な表 現は、劇 団としても新 境 地だ。 蜷 川 幸 雄の生 涯を藤 田 貴 大が書いた『 蜷の綿 ― Nina's Cotton ―』 ( 井 上 尊 晶 演 出 )には、蜷川が育てた「さいたまゴールド・シアタ ー」 「さいたまネクスト・シアター」が出演した。 浅 利 慶 太を追 悼し、劇 団 四 季と浅 利 演 出 事 務 所が 5 作を連 続 上 演した(うち4本がミュージカル)。四 季は 26 年ぶりにファミリーミュ ージカル『カモメに飛ぶことを教えた猫 』 を創 作 。劇 団 内のクリエータ ーを前に出す、新しい方針を示し始めている。 * 世界の舞台芸術を知る

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CONTEMPORARY THEATRE

冒 頭で記した「あいちトリエンナーレ」の舞 台 芸 術 部 門に参 加し ていた演 出 家の高 山 明は、展 示を全 面 再 開させる活 動の一 環と して、 アーティストたちが苦 情 電 話を受け、個 人の立 場で相 手と話す 「Jアート・コールセンター」を設 立した。実 質 1 週 間の活 動で、対 応 できたのは 350 件ほど。 その中で高 山は、意 見が一 致しなくても、多く の「 対 話 」が生まれるのを実 感したという。 それは、 コールセンターとい う舞 台 設 定と肉 声の交 換という演 劇 的 手 法が、意 思 疎 通の回 路を 生み出した結果といえる。 「 演 劇 」が異なる考えの人 同 士の間に橋を架けた。 そこに、一つの 希 望がある。 やまぐち・ひろこ

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朝日新聞記者。1960年生まれ。お茶の水女子大学理学部化学科卒業。1983年朝日新聞 社入社。東京・西部(福岡) ・大阪の各本社に勤務し、演劇を中心として文化ニュースの取材と 評論を担当。編集委員、論説委員などを歴任。共著に『蜷川幸雄の仕事』 ( 新潮社)。


アートワークショップすんぷちょ 『ちいさなうみ』 撮影:松浦範子

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[児童青少年演劇]

未 知 なる 未 来 へ 太田 昭

TYAインクルーシブ・アーツ・フェスティバル2019

2019 年の日本の児 童・青 少 年 演 劇は、 「 第 20 回アシテジ世 界 大 会・東 京 / 2020 国 際 子どもと舞 台 芸 術・未 来フェスティバル」開 催に向けての準 備の一 年であったといえる。 アシテジが創 設され 40 年、 アシテジ日本センターとしても長 年の夢であった日本での世 界 大 会 開 催は、 これまでにない最 大 規 模の児 童・青 少 年のための国 際 舞 台 芸 術の祭 典となる。 そのため、 この大きな大 会を前にして2018年

2 月に「アジア児 童 青 少 年 舞 台 芸 術フェスティバル2018」を開 催し、 世界の舞台芸術を知る

国際演劇年鑑2020


CHILDREN'S and YOUTH THEATRE

日本とアジアの関 係を深めることで 2020 年のアジア諸 国からの協力 体 制をつくり、2019 年 1 月に「インクルーシブ・アーツ・フェスティバル

2019」を開 催することで新たな扉を開く準 備とした。 この 2 つのフェス ティバルの開 催が、2020 年に日本で初めて開 催されるアシテジ世 界 大 会の成功に向けての大きな経験となった。 「 TYAインクルーシブ・アーツ・フェスティバル2019」は、2019 年 1 月

14日(月)~ 20日(日) ( 15 作 品 、38ステージ)に国 立オリンピック記 念 青 少 年 総 合センターで行われた。 インクルーシブとは、 「包括的 な」 「 包み込む」という意 味で、世 界 的には「すべての人が鑑 賞 可 能な芸 術 」を意 味する言 葉だ。すべての人とは、つまり、障がいの有 無 、様々なセクシャリティー、文 化 、人 種など分け隔てることがないとい うことだ。 日本の児 童・青 少 年 舞 台 芸 術の分 野に於いて、 これをテー 308

マに掲げてフェスティバルを行うのは初めての試みだった。今 回は中 でも「 障がいと芸 術 」にスポットを当て、障がい者による、 もしくは障が い者のための児 童・青 少 年 舞 台 芸 術 作 品を世 界から、 そして日本か ら集めた。 ちなみにアシテジではインターナショナル・インクルーシブ・アーツ・ ネットワーク( IIAN)を中心に、 この分 野が大きな動きを見せている。

IIANの目的は、障がいの有 無を問わず、すべての子どもたちが平 等 に芸 術に触れる機 会を持てることを志すものであり、 また芸 術がもたら す様々な治 癒力や表 現力の豊かさの共 有を目指すものであり、 そし て、 この世 界が多 様 性に満ちあふれていることを、芸 術を通して世 界 中の人々、特にこれからを生きる子どもたちと分かち合う活 動を世 界 中に大きく広げることにある。 経 済を優 先する現 代 社 会に於いて、社 会 的 弱 者の声は聞こえづ らくなる。 こんな時 代だからこそ、舞 台 芸 術が子どもたちのためにでき


ること、障がい者とともにできること、 そして多 様 性 豊かな平 等かつ平 和な未 来を築くためにできることが実 践されたフェスティバルとなった。 海外から招 聘した 5 作品を紹介する。

1 つ目はイギリスからダリル・ビートンの『 四 角い世 界 』。車いすに 乗ったアーティストによる、 「 見 方を変えれば 、世 界も変わる!」と感じ させる舞 台だった。いつも一 緒にいた 3 人 組が、ある日突 然 、 “ でき る子 ” と “できない子 ” に分けられてしまう。 それでも一 緒にいるために、

3 人はあの手この手を考え、自分たちが生きる「 四 角い世 界 」を変 えていくという物 語 。 オリジナルの音 楽と、 シンプルな舞 台デザイン、 ノ ンバーバル(セリフを使わない)によるパフォーマンスで、観 客の想 像 力を大きく広げていった。上 演 作 品で、最も高い評 価を受けた作 品 だった。 この作 品は 2020 年アシテジ世 界 大 会にも招 聘されており、 309

日本 国 内をツアーすることも決まっている。

2 つ目のスコットランドのエリー・グリフィスの『フレーム』は、インスタ レーション作 品だった。 自閉 症の子どもたちが自分たちで装 飾した白 い部 屋の中で過ごす様 子を撮ったドキュメンタリー映 像が上 映され るのだが、 その映 像を鑑 賞する空 間も、 日本の保 育 園の子どもたちが 装 飾した部 屋であり、 さらに観 客自身が創 作した椅 子に座って鑑 賞 するという独 特の世 界観を体験する作品だった。

3 つ目は同じくスコットランドのインディペンダンスの『 長 靴をはいた 四 人 組 』。 ダウン症のダンサーを含んだカンパニーによる、小さなキャ ンプ用のテントを使ったノンバーバルのかわいいコンテンポラリー 作 品。 ワークショップも実 施したが、様々な年 齢の身体を体 験するもの で、障がいだけでなく、誰にでも起こりうる体の変 化を体 験するワーク ショップであり、実に好 評だった。

4 つ目のセルビアのペル・アート&サーシャ・アセンティックの『 風の 世界の舞台芸術を知る

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CHILDREN'S and YOUTH THEATRE

精のように』は、11 名の様々な障がいを抱えたダンサーたちによる作 品 。途中、客 席から観 客を舞 台にあげ、即 興 的に作り上げるシーンも あり、 なんとも厳かな雰囲気が醸し出された作品だった。 そして 5 つ目は南アフリカの FTH:Kの『あがったり さがったり』。手 話を使ったパフォーマンス作 品だが、今 回は日本 語の手 話を覚えて の上 演で、 その情 熱がうれしかった。 また、客 席に座る聴 覚 障がいの 子どもが、 ほかの観 客と同じ反 応をしている瞬 間を目の当たりにし、彼 らの情 熱が届いていく過 程をも体 験できたことは、今 後の“インクルー シブ・アーツ” を考える上で、大いなる勇気と、覚 悟をもらった気がした。 日本からの参 加もとても特 徴 的で、聴 覚 障がいの俳 優が出 演す るoffice風の器の『 UKIYOE 北 斎 』、 デフパペットシアターの『はこ/

BOXES じいちゃんのオルゴール♪ 』、ノンバーバルで誰もが楽し 310

めるcompany ma×WAWACINEMAの『 小さな家 』、GEKIDAN

AFRICAの『 ○ △ □ちゃん』、さらにベイビーシアター作 品として、グ レゴの音 楽 一 座の『 Hello☆ Babies( ハロー☆ベイビーズ)』や日本 児童・青少年演劇劇団協同組合(児演協)による「ベイビーミニシア ター」などが上 演された。 そして、今 回 最も注目されたのは「 多 感 覚 演 劇 」という自閉 症や重 度障がいを持った子どもたちのために創られた、 シアタープランニング ネットワークの『 白い本のなかの舞踏会 』、 アートワークショップすんぷ ちょの『ちいさなうみ 』の 2 作 品だった。彼らにとってなかなか落ち着 いて劇 場での舞 台 体 験ができる環 境がなかったこれまでとは違い、 こ のような作 品が生まれてきたのは世 界 的な潮 流であり、社 会 的な必 要 性も熟しつつあると言えるのではないかと思った。 そういう意 味でも、 今 後 、児 童・青 少 年 演 劇の創 造 者にとって向き合うことが避けられ ないものであることを突き付けられたのが、 「 TYAインクルーシブ・アー


シアタープランニングネットワーク 『白い本のなかの舞踏会』 撮影:松浦範子

ツ・フェスティバル2019」であったと思う。 そしてもう一つ、 このフェスティバルでは、新たな試みがなされた。 そ れは、すべての講 座・ワークショップに手 話 通 訳をつけるということ だった。聴 覚 障がいのお客 様から非 常に好 評で、急に予 定が空い たとき、予 約なく飛び込んで参 加できる企 画がたくさんあるということで 311

「このフェスティバルなら大 丈 夫 」と思って通っていただけたのは、嬉 しい限りだった。 このような機 会を徐々に増やすことも考えていきたい と思った。

新たな潮流 これからますます日本の児 童・青 少 年 演 劇は「インクルーシブ」的 なものに向かっていく作 品が増えるだろう。 そういう意 味では、毎 年 作 品を更 新し続けているシアタープランニングネットワークや、仙 台を拠 点に活 動しているアートワークショップすんぷちょは、国 内でも先 駆 的 しかし、必ず介 助 な芸 術 団 体といえる。1 公 演につき、観 客は 6 組 。 者が必 要な観 客であり、自力で劇 場に足を運ぶことのできない観 客 である。 そのために、 アクセスコーディネーターが予 約から公 演当日、 安 全に劇 場に来るまでをサポートする。作 品そのものにも丁 寧な手 間 暇をかけ、公 演 当日も細 心の注 意を払った運 営を心 掛けている。 こ 世界の舞台芸術を知る

国際演劇年鑑2020


CHILDREN'S and YOUTH THEATRE

の姿 勢もまた、今後学び、広げていくに値するものだと思う。 また同 様にここ数 年で急 激に注目されているのは「ベイビーシア ター」だ。胎 教という考え方があるが、舞 台 芸 術もまた乳 幼 児にとっ て必 要である、 ということがすでに脳 科 学では立 証されており、0 歳 ~ 2 歳くらいまでの言 葉を獲 得する前の子どもたちのための舞 台 芸 術の必 要 性が重 視されてきている。 ヨーロッパでは、20 年 以 上 前か ら始まっており、 アシテジを中 心に広がってきている。 日本でも独自の 発 展を遂げてきたが、 ここ数 年は、児 演 協が「ベイビーシアタープロ ジェクト」を立ち上げ 、積 極 的に取り組んでいる。 この 3 年 間で、海 外のアーティストとコラボレーションして創 作を行い、 セルビアの演 出 家ダリア・アチン・セランダーと製 作した『 Baby Space 』、 ポーランドの 演 出 家アリツィア・ルブツァックと美 術 家バーバラ・マレッカと製 作した 312

『 KUUKI( 空 気 )』、韓 国の演 出 家ジャッキー・e・チャンと製 作した

15 本の小作品「ベイビーミニシアター」を創ってきた。 特に「ベイビーミニシアター」は、 カバンひとつで移 動でき、上 演 時 間 が 短く手 軽でリーズ ナブルな作 品として、行 政とタイアップして少し ずつ 上 演を重ねてきて いる。前 述した 障 がい 者 のためのアートと同 様に、ベイビーのための 作 品 の 上 演もまた 、劇 場 空 間 のあり方 や 、迎 え 入 れるスタッフの 配 慮が 必 要であり、 ソフト ベイビーシアタープロジェクト 『KUUKI (空気)』 日本児童・青少年演劇劇団協同組合 撮影:M. Zakrzewski


面だけでなく、ハード面 も含 め た 人 材 育 成 が 急 務となっている。 「ベ イビーシアタープロジェ クト」は 、東 京 都 内 で

7 か所 、そのほか高 知 、

せん

日本児童・青少年演劇劇団協同組合 ベイビーミニシアター 『旋 』 撮影:松浦範子

福 島 、鹿 児 島 などで 、 講座、 ワークショップ、上 演をセットにして実 施され、地 域でベイビー シアターを受け入れる土 壌を作り出すことを始めている。0 歳~ 2 歳 という、 わずか 2 年 間しか経 験できない奇 蹟のようなこの舞 台 芸 術も また、 これからの児 童・青 少 年 演 劇の大きな潮 流となっていくだろうと 思う。 313 話題になった作品 最 後に、 いくつか 2019年に話 題となった作 品をご紹 介して終わろ うかと思う。劇 団うりんこの『 わたしとわたし、ぼくとぼく』 (関根信一 作・演 出 )は、社 会 的にも新たな潮 流になりつつあるLGBTを積 極 的に扱った作 品で、違いを認め、 ともに生きることを子どもたちと共 有 する作 品となっている。人 形 劇 団ひとみ座の『はれときどきぶた』 (西 上 寛 樹 脚 本・演 出 )は、人 気の絵 本を人 形 劇 化したもので、3 人の 俳 優が重 層 的に人 形を操 演し、 セリフを話しつつも、子どもたちに空 想する、夢みるすばらしさを体 験させてくれる作 品だ。 ラ ストラーダ カ ンパニーの『 サーカスの灯 』はクラウンの 2 人の特 徴を生かしたノン バーバルな作 品で、2018 年 度の厚 労 省の児 童 福 祉 文 化 財に選ば れている。高い技 術に裏 打ちされた、絵 本を読んでいるかのような抒 情 的な秀 作だ。劇 団 風の子 九 州の『 ハイハイ、 ごろ~ん。』 も、2019 世界の舞台芸術を知る

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CHILDREN'S and YOUTH THEATRE

ラ ストラーダ カンパニー 『サーカスの灯』 撮影:Studio Horiike

年 度の厚 労 省の児 童 福 祉 文 化 財に選 ば れ ており、音とリズムと柔ら かな布に包まれたような 空 間でゆったり時 間を 過ごすベイビーシアター 作 品だ 。K A ATの『 二 分 間の冒 険 』 (岡田淳 す ぐ る

原 作 、山 本 卓 卓 演 出 ) は、 「 KAATキッズ・プロ グラム」として製 作され たもので、毎 年 、活 躍し 314

ている演 出 家などを起 用しているシリーズ 。人 気 の 絵 本を山 本 卓 卓 が 演 出 、アニメーション を 多 用した 独 自 の 手 法 で 表 現され た 作 品 だ 。人 形 劇 団プークの 人形劇団クラルテ『女殺油地獄』 撮影:田嶋 哲

創 立 90 周 年 記 念 公 演 『オッペルと象 』は劇 団 総がかりでの創 作となり、

歴 史ある老 舗 人 形 劇 団の底力を感じさせる上 演となった。 そして、人 形 劇 団クラルテの『 女 殺 油 地 獄 』 ( 吉 田 清 治 脚 色 、ふじたあさや演 出 )は、令 和 元 年 度( 第 74 回 )文 化 庁 芸 術 祭 演 劇 部 門( 関 西 参 加 公 演の部 )大 賞を受 賞した。近 松 門 左 衛 門の世 界を三 面 舞 台


を使って立 体 的に現 代によみがえらせ、未 知の魅力を探り当てた作 品と評された。

未知なる未来へ

2020年 5 月14日~ 24日、豊 島 区と足 立 区を中心に「 第 20 回アシ テジ世 界 大 会・東 京 / 2020 国 際 子どもと舞 台 芸 術・未 来フェスティ バル」が開 催される。海 外から25 の招 待 作 品 、国 内からは 5 作 品 、 そのほか準 招 待 作 品としておよそ100 作 品が参 加する。 「誰一人取 り残さない」社 会の実 現のために、未 知なる未 来へ向かって、参 加 する100か国 以 上がそれぞれの立 場から子どもと文 化を取り巻く環 境の変 化や課 題を共 有し、 それを克 服する確かなステップを共に踏 む「 旅の始まり」となる。 315

もはや経 済だけでは豊かな社 会を築くことができないことに誰もが 気づいている。私たちは古 来より芸 術を通して人 間の本 質を見つめ、 未 来を描き、文 化と知 恵を蓄 積 、継 承してきた。子どもと文 化の出 会 い。 それは私たちの未来である。 おおた・あきら 1996年、東京演劇アンサンブル入団。以後、ほとんどの作品の制作にかかわる。日本児童・ 青少年演劇劇団協同組合の人材育成担当理事として、多くの講座・ワークショップを担当して いる。2004年文化庁在外研修員としてスウェーデン国立劇場(Riksteatern)の児童青少年 演劇部門(Unga Riks) へ短期留学。現在、 日韓演劇交流センター事務局長などを務める。

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JAPANESE CLASSICAL DANCE

316

坂東冨起子『狐葛の葉』 撮影:舞ビデオ

[日本舞踊]

イノベ ーション の 時 平野 英俊 国の文 化 芸 術を司る文 化 庁の組 織 改 編にともなうイノベーション 事 業の一つ、 「日本博」事業のテーマは「日本 人と自然 ― 縄 文 時 代から現 代まで続く 『日本の美 』」で、 日本 伝 統 文 化の一 環の日本 舞 踊とも深い関わりがあると考える。 テーマに沿って、政 府 、地 方自治 体 、民間 企 業・団 体が連 携して「日本の美 」を体 現する文 化 芸 術を 進 行し、次世代に伝えて更なる未来の創 生を目指すという。


1. 舞踊の魅力 この呼び掛けに応えて、国 立 劇 場は「 京 舞 」公 演( 11月 29・30日、 国 立 大 劇 場 )を「日本 博を契 機とする文 化 資 源コンテンツ創 成 事 業 」として上 演した。国 立 劇 場としては 1974 年 以 降 、計 4 回 実 施し ているが、今 回は恒 例の 11月の「 舞の会 ― 京 阪の座 敷 舞 ― 」公 演 を 8 月に移 動し、21年ぶりに開 催した。五 世 井 上 八 千 代の陣 頭 指 揮で、 「日本 博 」事 業 事業に相応しく充実した公演であった。 私は日本 舞 踊の核 心を、国 内で独自に進 化した日本 語の伝 統 文 化( 和 歌 、物 語 、随 筆 ) と、風 流の祀りの作り物・練り物の「 立つ」と はや

そして白 拍 子と出 雲のおくにに 「 拍 す」が連 携する伝 統 芸 能 文 化 、 代 表される、男装の麗 人が新しい芸 能を生み出すジェンダー観の 3 本の柱にあると考える。近 代日本が西 洋の文 化を受 容してから現 在 317

にいたるまでの文 化 政 策を俯 瞰すると、 この 3 本の柱は古 代から近 世のみならず、近 代 、現 代までも文 化 創 造の基 盤として生き続けてい るとわかる。 「日本 博 」舞 踊 事 業は、やはりこの核 心に基づいて進め る必 要がある。 「 京 舞 」に代 表される上 方 舞 文 化は、 日本 語 伝 統 文 化と日本の ジェンダー観の合 体で成 立していて、女 性だけの独自の教 育システ ムを持つ花 街 芸 能 文 化を確 立し、近 代に華 開いた。 「 京 舞 」井 上 流の魅力は、初 世および二 世 井 上 八 千 代の能や人 形 浄 瑠 璃を取 り入れた表 現( 振と演 技 )を三 世 八 千 代が流 儀として集 大 成し、 し かも座 敷の花 街 空 間から舞 台 空 間にまで舞の美 学を導いたことで あろう。 さらに四 世 八 千 代は見 事に現 代に導いた。今 回の公 演を ま さ づき

こ う とう

例にとれば 、地 歌( 地 唄 ) 『 正月 』 ( 鶴 山 匂 当 作 曲 )は一 人で舞うこ ともあるが、今 回は 4 人の舞 、4 人の唄・三 味 線( 井 上 流は江 戸 初 やな がわ けん ぎょう

かそけ

期の柳 川 検 校 考 案の細い竿 、薄い胴で「 幽き音 色 」の柳 川 三 味 世界の舞台芸術を知る

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JAPANESE CLASSICAL DANCE

『水鏡』 ( 左から井上豆涼、井上小りん) 写真提供:国立劇場 そう

線 )に箏を付けて舞 台 化 。赤 前 垂れの仲 居 姿で前 垂れを片方 端 折 318

っている。 ちょっとした心 遣いが洒 落ている。元 旦に飾った注 縄を取り 外す花 街の年中行 事を描きながら、恋 人を待つ女 心を重ね合わせ た歌 詞で、女 性のしなやかな動きではんなり舞う情 調は見 事である。 み ず かがみ

また、地 歌『 水 鏡 』は 2 人の舞 、4 人の唄 、三 味 線に胡弓を入れる。 まげ

今 回は祇 園 芸 妓の正 装で京 風 島 田 髷に衿 裏 返しの着 付 。歌 詞は 近 江 八 景という大きな水 鏡に映る景 色に、恋 心を重ね合わせた日 本 伝 統 文 学のことば遊びを活用、柳川三 味 線で唄う座 敷 空 間に導 や ばせ

かぜ

き、舞う ( 初 世または二 世 八 千 代 振 付 )。〽 矢 橋 の風に比 良の雪の 暮 」では胡弓入りと扇 使いで絶 妙の味わいを見せた。舞ではないが、 て うち

くるわ

にぎわい

「 京 舞 」公 演の華の一つに手 打『 廓 の賑 』がある。手 打はもともとは ひい き

歌 舞 伎 顔 見 世 興 行の役 者を迎える祝 儀の一つで、贔 屓 や馴 染み の連中が組んで演じたもの。井 上 流 名 取による拍 子 木と唄・三 味 線 による囃 子 音 楽の舞 台 化で、出の花 道から舞 台を歩む光 景は圧 巻 。 唄は数曲あり伝承芸能として貴重である。


同じ国 立 劇 場は 5 月特 別 企 画 公 演「 神々の残 照 ― 伝 統と創 造 のあわいに舞う― 」 ( 25日、国 立 大 劇 場 )をアーツカウンシル東 京と 共催。 「ジャンル等の垣 根を越えて広く舞 踊(ダンス)の魅力にふれ」 る機 会を作るとして「 言 葉 ~ひびく~身体 」シリーズを始めた。演目 おきな せ ん ざ い

は、 日本 舞 踊の長 唄『 翁 千 歳 三 番 叟 』 ( 尾 上 墨 雪の翁 、花 柳 寿 楽 の千 歳 、若 柳 吉 蔵の三 番 叟 )に、 インド古 典 舞 踊の「オディッシー」、 トルコ舞 踊の「メヴラーナ旋 回 舞 踊(セマー)」、 コンテンポラリーダン スの新 作 舞 踊『いのちの海の声が聴こえる』 (マーラー作 曲「 交 響 曲第 5 番 」と群 読による古 事 記 祝 典 舞 踊 )。 この公 演の切 符は早々 に売 切れで拝 見できなかったが、 「日本 博 」のテーマである「日本の 美 」から考えると、 『 翁 千 歳 三 番 叟 』の位 置 付けといい、上に述べた 日本 伝 統 文 化の基 盤の 3 本 柱を今に伝える身体 観の「 舞 踊 」と諸 からだ

319

コン 外 国の「 體( body)」による「ダンス」を同 義として扱うことといい、 テンポラリーダンスの作 品の価 値 観といい、 「日本 博 」とは逆 行する 公演に見えてくる。次年度からの検証が必要に思えてならない。

2. 個人舞踊家の魅力 近年、 日本 舞 踊 界の年中行 事は、公 益 社 団 法 人日本 舞 踊 協 会 主 催 公 演と、国 立 劇 場 舞 踊 公 演が圧 倒 的である。協 会 公 演は、人 材育成のためのコンクール「新春舞踊大会」、協会理事等が演じる 「日本 舞 踊 協 会 公 演 」、 「日本 舞 踊 未 来 座 」の創 作 舞 踊 公 演に加 えて、東 京 都 関 西 支 部の各ブロック、県 支 部 公 演があり、国 立 劇 場 公 演は「 花 形・名 作 舞 踊 鑑 賞 会 」と上 述の「 舞の会 ― 京 阪の座 敷 舞― 」があった。 すっかり影を潜めている魅力ある個 人 舞 踊 家だが、2019 年は文 化 庁 芸 術 祭 参 加 公 演で 3 人いた。一 人は藤 間 清 継 。新 作『 去り 世界の舞台芸術を知る

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JAPANESE CLASSICAL DANCE

藤間清継『去りゆく劇場』 撮影:横山肇

ゆく劇 場 』 ( 10月 31日、紀 尾 井 小ホール、華 継 会・藤 間 清 継リサイタ すおどり

ル)は、清 継の舞 踊の身の丈が面白かった。男性の紋 付・袴の素 踊

での長 唄『 四 季の山 姥 』に続いて上 演される本 作は、敗 戦の近い 昭 和 20年の日本を舞 台に、歌 舞 伎の女 形 役 者と狂 言 方が芝 居 小 320

さん す

屋の華やかなりし日々を振り返る。義 太 夫( 鶴 澤 三 寿 々=作曲・三 味 こし こう

線 、竹 本 越 孝=浄 瑠 璃 )をいわゆる竹 本( 歌 舞 伎の義 太 夫 狂 言に おけるナレーター)の役 割にして立 方を際 立たせた。女 形 役 者が紆 なぞら

ラストは清 継が女 形の師 匠 余曲折の身の上を山姥に擬えて物 語り、 てい

から伝 授の『 山 姥 』を踊り、役とも清 継 本 人とも解らない態 はなかな か奥 深く、感動的なシーンになった。 きつね く ず

坂 東 冨 起 子の『 狐 葛 の葉 ―「しのだづま考 」 (ふじたあさや著 ) よ り― 』 (ふじたあさや=原 作・演 出 、坂 東 冨 起 子=構 成・台 本・振 付・ 主 演 、坂 東 梢=舞 踊 監 修 、11月 6 日、国 立 小 劇 場 )は演 劇 人・中 西 和 久の一 人 芝 居『しのだづま考 』 (ふじたが自身の論 考「 説 話に [ 季 刊「 歌 舞 伎 」1976 年 見る異 類 婚 ―『しのだ妻 』考の視 点 」

7 月号 所 収 ]の 13年 後に書いた戯曲)を冨 起 子が一 人で踊り抜き、 一 人 芝 居を舞 踊で物 語る試み。創 作するという舞 台づくりに充 実し た面はあったが、地の音 楽に統 一 感がなく、縦 筋が通らない欠 点は


残 念であった。 しかし、一 作 品に全力で立ち向かう意 気 込みは今 後 に期 待できる舞 踊 家と思えた。 まき

ことぶき ねこ

(かずはじめ=作 詞 、新 内 もう一 人は、藤 間 慎 之 輔の新 内『 寿 猫 』 た

た ゆう

とう しゃ ろ えい

多 賀 太 夫=作 曲 、藤 舎 呂 英=作 調 、藤 間 慎 之 輔=振 付・主 演 、10 ぎん えん

月 19日、 日本 橋 公 会 堂[日本 橋 劇 場 ]、 「 銀 猿 会 」)。2005 年に新 たけ し

内 浄 瑠 璃『まねき猫 』の題 名で新 内 剛 士( 現・多 賀 太 夫 )が 18 歳 ふじ み

で初めて作 曲した作 品 。翌 年に藤 三 智 栄 が振 付し舞 踊 化した時に 『 寿 猫 』に改 名 。慎 之 輔の初 演は 2006 年 。落 語 家が高 座で「もの を語る」作 品に仕 上げた発 想と振 付に慎 之 輔の才 気を感じた。猫 はま

の言い立て、猫 尽しと洒 落のめして寿ぐ着 想が巧く嵌った。録 音 地 の上演は残念。 み

の すけ

近 年目立つ個 人 舞 踊 家というと、2019年を例にとると西川箕 乃 助 、 そう じ ゅ

せい ざぶ ろう

321

若 柳 吉 蔵 、若 柳 宗 樹 、猿 若 清 方・清 三 郎 親 子 、花 柳 寿 楽と、個 人 リサイタルの環 境が流 儀に支えられている人が多い。 日本 舞 踊 会の 繁 栄を願うなら、才 能ある舞 踊 家への創 造に対する支 援 体 制の充 実が一 番ではないだろうか。

3. 話題、日本舞踊のリノベーション マスメディアで多く取り上げられる歌 舞 伎 俳 優・市 川 海 老 蔵 主 催 かい

こう ばい

じゅ こう

「 市 川 會 三 代 襲 名 披 露 市 川 紅 梅 改め初 代 市 川 壽 紅・市 川 すい せん

れい か

ぼたん改め四 代目市 川 翠 扇・堀 越 麗 禾 改め四 代目市 川ぼたん」 公 演( 8 月 3 日~ 12日、Bunkamuraシアターコクーン)では、 日本 舞 踊 市 川流の襲 名 披 露が興 行として上 演された。演目は『 寿 式 三 番 叟 』翁を市 川流 宗 家の海 老 蔵 、千 歳が壽 紅 、三 番 叟が翠 扇 、 日替 きしょう

よし ま さ

わりで能 楽の片 山 九 郎 右 衛 門 、梅 若 紀 彰 、観 世 喜 正らが特 別 出 かんげん

演する演目があり、 『 口上 』の後、 『 玉兎 』堀越勸 玄と 『 羽根の禿 』ぼ 世界の舞台芸術を知る

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JAPANESE CLASSICAL DANCE

たんが上 下 、 『 京 鹿 子 娘 道 成 寺 』翠 扇( 西 川箕 乃 助と花 柳 寿 楽が しょ け

前 半の日程 、藤 間 勘 十 郎と尾 上 菊 之 丞が後 半の日程で所 化 で特 別 出 演 )。即 完 売で興 行は大 成 功 。流 儀( 市 川 流 ) と劇 場 側の東 急 文 化村が手を結んだマネジメント。画期 的な試みであった。 通 常 、流 儀の追 善 、襲 名 、周 年の祝 典 公 演は、門 弟と発 表 会 形 じゅ すけ

式で開 催する。2019 年で話 題は、 「二世宗家家元花柳壽輔五十 回 忌 、三 世 宗 家 家 元 花 柳 壽 輔 十 三 回 忌 追 善 舞 踊 会 」と銘 打った 二つの公 演であろう。 一つは、株 式 会 社 花 柳 流 主 催( 7 月 29・30日、歌 舞 伎 座 )、 もう とし やぎ

一つは一 昨 年 5 月に花 柳 貴 彦が創 流した寿 柳 流 宗 家 家 元・寿 柳 貴 彦の主催公演( 11月26日、歌舞伎座 )。 前 者は、五 世 宗 家 家 元・花 柳 壽 輔がプログラムに「[ 宗 家 家 元と 322

なって]4 年が経ち改めて先 人 方の御 尽力は並々ならぬものだった ろうと感 服する」と流 儀の使 命を伝 承 芸の大 切さに例えている。流 儀は伝 承にとっては必 要 悪といわれる。花 柳 流との十 数 年に亘る 抗 争ののち、寿 柳 流を興してもなお花 柳 流 伝 承に拘る貴 彦の姿を 見て、私は、創 造にとって流 儀が空 虚な存 在であるという思いを強く した。

76 回目の日本 最 大 規 模の全 国 舞 踊コンクール( 東 京 新 聞 主 催 、 3 月24日~ 4 月 5 日、めぐろパーシモンホール)では、邦 舞 部 門の第 1 部( 16 歳 以 上 )で 1 位と2 位に「 琉 球 舞 踊 」が入った。琉 球 舞 踊 は以 前から参 加していたが入 賞 者を出したのは初めて。 「 邦 舞(日 本 舞 踊 )」という枠 組みを変えなければならないと感じた。 「琉球舞 踊 」は日本を代 表する舞 踊の一つで、国は歌 舞 伎 舞 踊 、京 舞 、上 方 舞と並ぶ重 要 無 形 文 化 財に位 置づけている ( 2017年~)。 しかし、 日本 舞 踊 協 会では今まで、 「 琉 球 舞 踊 」を日本 舞 踊の一つと考えて


まさる

かし かき

知念 捷 琉球舞踊『綛 掛 』 (全国舞踊コンクール邦舞第 1 部第 1 位) 撮影:スタッフ・テス 本橋亜弓

いないであろう。協 会が日本 伝 統 文 化の日本 舞 踊を担うと自負する ならば 、あらたに日本 舞 踊の向 上 発 展を考えて、琉 球 舞 踊に携わる 人の入 会を認め、 日本 舞 踊を考え直してみる必 要があるのではない だろうか。 323

全 国のダンスブームはすごい。 日本 舞 踊は古 来 、現 代(コンテンポ ラリー)に目を向けている。私は、 日本 舞 踊に携わる人たちが伝 承を アーカイヴにとどめ、 ダンスブームのなかに自身を位 置づけて創 作に 励まれることを願う。 なお、2018年( 平 成 30 年 )度の文 化 庁 芸 術 選 奨 新 人 賞は京 舞 や

の井 上 安 寿 子 、2019年( 令 和 元 年 )度 文 化 庁 芸 術 祭 優 秀 賞は藤 間清 継が受 賞した。 ひらの・ひでとし 舞踊評論家。1944年、仙台市出身。早稲田大学第一文学部演劇専修卒業。大学では歌舞 伎を専攻。出版社に勤務し 『沖縄の芸能』、季刊「民俗芸能」、 月刊「邦楽と舞踊」などの編集 を担当後、身体表現の研究を求めて評論家となり、文化庁、 日本芸術文化振興会等で専門委 (日本舞踊社) 員などを務める。2016年には『評論 日本身体表現史― 古代・中世・近世』 を上梓。

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BALLET

井上バレエ団『シルヴィア』 撮影:松浦綾子(スタッフ・テス)

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[バレエ]

混 乱 する環 境 のなか 、 対 応 へ の 努 力 が み える うらわまこと 日本全体の状況とバレエ界

2019 年の日本は、いろいろな面で決して順 調とはいえない 1 年 だった。国 際 関 係においては韓 国との関 係との悪 化 、政 治 面では 政 治 家によるさまざまなスキャンダルが多 発 。国 民 生 活に直 結する 分 野では、経 済 面で消 費 税 率の引上げや米中貿易摩 擦などにより、 企 業 、家 計ともに厳しい状 況だった。 さらに、悪 化する地 球 環 境のも と気 候 変 動は著しく、 とくに夏 季には猛 暑 、 そして大 型 台 風が連 続し


て関 東 、東日本を直 撃した。 こういった状 況のもと、舞 踊 界は翌 年の東 京オリンピック、パラリン ピックをひかえ、 ラグビーやテニスなどの健 闘で活 況を示しているス ポーツ界の影響を受け、予算やメディアへの露出の点で存在感を減 らしている。 さらに本 年は経 済 面だけでなく、多 発する大 型 台 風の被 害 、混 乱を避けるための交 通の計 画 運 休により、多くの公 演が中止 に追い込まれるなど、社 会 問 題の舞 踊 活 動への影 響を強く意 識させ られた年でもあった。 さらに、少 子 化による若 年 層の減 少(日本のバレエ界ではレッスン 料やチケット代が重 要な経 済 基 盤となっている) もあり、全 体として逆 風にさらされている舞 踊 界のなかで、少しずつ地 域や団 体 間に格 差 がみえてきている。 とくに地 域 格 差は日本 全 体の問 題であり、東 京を 中心とする首 都 圏が突 出して層が厚く、大 阪・京 都・神 戸の関 西 圏 、 名 古 屋とその近 郊の中京 圏が続くが、 それ以 外の地 域は地 方 創 生 といわれながら人 口 、経 済 、 ファンダメンタルズなどの点で後 退が続 き、 それが舞 踊 界にも強く影響している。 もともと、 わが国の舞踊界、 とくにバレエ界は前記した大都市圏にバ レエ団が集中、 それ以 外の地 区では、人口が百万を超える都 市でも プロ級の舞踊団体はほとんどなく、一部の地域で有力なバレエスタジ オが男性ダンサーや振 付 者を招いて行う公 演が見られる程 度であ る。 これらのなかにも、 レベルの高いものもあったのだが、2019 年はめ ぼしいものがほとんどみられない状 況であった。大 都 市 圏でも、中 堅 団体では公演を中止したり、発表会レベルに縮小するところも目立つ。 こういった状 況で特 記すべきもの、印 象 的なものを具 体 的に取り上 げたい。

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BALLET

健闘する首都圏バレエ団 まず世界でも珍しい、年末に15ものバレエ団がそれぞれ独自の版の 『くるみ割り人 形 』を上 演する東 京について。新 国 立 劇 場バレエ団 、 松 山バレエ団 、牧 阿 佐 美バレヱ団 、東 京バレエ団 、Kバレエカンパ ニーなどは、多くの古 典 主 体のレパートリー、新 制 作 作 品を上 演 。小 林 紀 子バレエシアター、東 京シティ・バレエ団 、 スターダンサーズ・バ レエ団 、NBA バレエ団なども独自の路 線で活 発に公 演を続けてい る。 さらに井 上 バレエ団は新 鋭 振 付 家 、石 井 竜 一による『シルヴィ ひさ

ア』の新 制 作 、谷 桃 子バレエ団は芸 術 監 督 高 部 尚 子の『ラ・バヤ デール』の改 訂 版で話 題となった。 またバレエ・シャンブルウエストは 劇 場 公 演のほかに、毎 年 夏 季に山 梨 県で「 清 里フィールドバレエ」 を主 催しており、30 回目を迎えた 2019 年も全 国から多くの観 客を集 326

めた。 さらに、全 国 的なバレエ人の組 織 、 日本バレエ協 会もトップダン サーを集め、国 内 外の優れた振 付 者による本 格 的な全 幕バレエを

バレエ・シャンブルウエスト 『ドン・キホーテ』 撮影:小林雅之


上 演している。本 年は篠 原 聖 一の振 付による 『 白鳥の湖 』で、彼らし いアイデアがみられた。 新 作 、新 制 作が比 較 的 多かったのも、厳しい環 境のなかでは特 筆に値する。 まず Kバレエカンパニーを率いる熊川哲也が 9 月から10 月にかけてアンドレア・バッティストーニの指 揮で『カルミナ・ブラーナ』、 そして初の日本をテーマにした『マダム・バタフライ』の大 作を続けて 振 付 初 演 、大きな注目をあびた。東 京バレエ団も 『 海 賊 』の新 制 作 、世 界 的なコンテンポラリーダンサー勅 使 河 原 三 郎への依 頼 作 品『 雲の なごり』、 そして芸 術 監 督 斎 藤 友 佳 理の改 訂 演 出・振 付による『くるみ 327

割り人 形 』が明 確なコンセプトで大 きな成 果をあげた。 大 手のバレエ団では観 客 創 造 、 資金獲得、 そして公 演 数を増やす 努 力もみえる。東 京 バレエ 団 では 春・夏に作 品 上 演とともにさまざまな イベントを行い、地 域に親 子 連れな ど多くの観 客を集めた。東 京シティ・ バレエ団でも地 元 江 東 区で広くバ レエをPRする催しを行っている。後 援 会を充 実させ 、寄 付を募る活 動 も、著 名なセレブリティを集 めて交 流 パーティーを開く牧 阿 佐 美 バレ ヱ団など多い。

Kバレエカンパニー 『マダム・バタフライ』 撮影:瀬戸秀美

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BALLET

東 京 以 外の地 区に出 張 公 演するバレエ団も増えてきた。国 内 各 地への新 国 立 劇 場バレエ団 、松 山バレエ団 、Kバレエカンパニーな どの他 、本 年は海 外 公 演も記 憶に残る。 まず 1 月に牧 阿 佐 美バレヱ 団がロシア・ウラジオストクで『 飛 鳥 ASUKA 』などで現 地と交 流 、6 ~ 7 月には東 京バレエ団が恒 例のヨーロッパ長 期 公 演を『 ザ・カブ キ』などで、7 月にはスターダンサーズ・バレエ団がパリで開 催された ジャパンエキスポに文 化 庁の委 託により参 加 、 ロールプレイングゲー ムをバレエ化した『ドラゴンクエスト』を上 演している。同じ 7 月に、小 グループだが、岡 本るみ子バレエスタジオが、障がい者 施 設 津 久 井 やまゆり園の悲 劇をテーマとした『レクイエム』を主 体にウラジオストク に公 演 旅 行を行っている。8 月には松 山バレエ団が中国 建 国 70 年 記 念 国 慶 節のプレ・イヴェントとして、すでに中 国 各 地で多くの上 演 328

実 績のある 『 白毛女 』 を上演している。

牧阿佐美バレヱ団『飛鳥 ASUKA 』 ウラジオストク公演カーテンコール 撮影:瀬戸秀美


バレエ団を支える付 属のバレエ学 校からは毎 年 多くの若い才 能 が 巣 立 つ。かれらに舞 台 経 験を積ませるため、 またその受け皿とし て、 ジュニアカンパニーなどと呼ばれるサテライト・カンパニーを設ける ところも増えている。 この面で長い歴 史をもつ牧 阿 佐 美バレヱ団 、 さ らに Kバレエカンパニー 、芸 術 系の大 学と提 携している谷 、東 京シ ティ、 スターダンサーズなどのバレエ団でもその動きが明らかになって きている。 ダンサー 個 人について取り上げる。 まず吉 田 都 。彼 女は 20 / 21 シーズンから新 国 立 劇 場バレエ団の芸 術 監 督 就 任 が 決まっており、2019 年 8 月に

NHK が主催して引退公演「 Last Dance」 を行った。彼 女は新 国 立 劇 場バレエ団を 329

はじめ国 内 外のトップダンサーと、 フレデリッ ク・アシュトンの『 誕 生日の贈り物 』、 ロイヤ ル・バレエ時 代の先 輩 、 イレク・ムハメドフと、 ピーター・ライト振 付の『ミラー・ウォーカー ズ 』などを踊り、 その舞 台 本 番までのドキュ メントが NHKで放 映され、 その率 直な素 顔 で話 題となった。 もう一 人 、吉 田の松 山バ レエ団の大 先 輩でもある森 下 洋 子は、 この

1 年の間に『 眠れる森の美 女 』などチャイ コフスキーの三 大バレエと 『ジゼル』を踊っ た。他に清 水 哲 太 郎の新 作にも出 演 、70 歳を超えていることを考えると、信じられない 力である。新 国 立 劇 場バレエ団は今 年は レパートリー中 心だったが 、ダンサーの層

『ミラー・ウォーカーズ』 ( 吉田都とイレク・ムハメドフ) 撮影:長谷川清徳

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は年々厚くなっている。

一部の頑張りはあるが全体として 厳しいその他の地域 こうしてみてくると東 京 地 区のバレ エ団の健 闘が目立ち、 それに比べる と関 西 、名 古 屋 圏は例 年に比してと くに創 作 面では大きな話 題に乏しい。 それらのなかで、大 阪は長い伝 統を ほう

もつ法 村 友 井 バレエ団は着 実に公 じ ぬし

演を続け、地 主 薫 バレエ 団 は 3 年 前に初 演した『 人 魚 姫・リトルマーメ 330

イド』の改 訂 版がさらにスケールアッ 松山バレエ団『眠れる森の美女』 ( 森下洋子) 撮影:エー・アイ

プして成 果をあげている。 さらに野 間 けい

バレエ団はこのところ野 間 景 の古 典 の新 演 出による公 演を行っており、今 年の『ジゼル』 も彼 女らしい知 しず

的な演 出・振 付だった。 また宗 田 静 子のソウダバレエはヒューストン・ のぞ み

バレエのプリンシパル飯 島 望 未を迎えて『ジゼル』 を、中野 光 子は子 よし あき

息であるピッツバーグバレエシアターのプリンシパル、中 野 吉 章らと りゅう

古 典 、現 代 作 品による公 演を行っている。京 都 府では有 馬 龍 子 記 念 京 都バレエ団がパリ・オペラ座のエトワール、 カール・パケットの引 さだ

退 公 演『ジゼル』 を開 催 。偶 然だが『ジゼル』が並んだ。神 戸 市の貞 まつ

しょう

松・浜 田バレエ団も貞松 正 一 郎の『ロミオとジュリエット』の再 演など、 古 典 、現 代 作 品 、充 実した活 動を続けている。 これ以 外にも波 多 野 澄 子バレエスタジオの深 川 秀 夫 作 品の連 続 上 演などがあるが、全 体として一 時に比して公 演 数や公 演日数も少なく、活力を減らしてい


貞松・浜田バレエ団『ロミオとジュリエット』 撮影:古都栄二(テス大阪)

るように感じられる。 これは一時的な現象であってほしい。 そのなかで名 古 屋 市では、劇 場の改 修などもあった 2018 年に比し てやや回 復 。高いレベルの活 動を続ける松 岡 伶 子バレエ団 、 そして 古 豪 、越 智インターナショナルバレエが越 智 久 美 子の『ロミオとジュリ 331

エット』で復 活をみせた。 また、深川秀 夫 作 品に特 化している塚 本 洋 子 主 宰のテアトル・ド・バレエカンパニー、川口節 子バレエ団による説 すみ な

得力ある演出の『ジゼル』、古 典 主 体の活 動を続けている岡 田 純 奈 バレエ団は『くるみ割り人形 』で着実に力を示した。 ゆ

これ以 外の地 域で目につくのは、浜 松 市の森 田 友 紀 の『ラ・シル みどりまりょうき

フィード』、2 年 振りに東 京 公 演を行った沖 縄の緑 間 玲 貴などがある が、全 体としてやや寂しい。

海外からのマーケットとしての価値が高まる日本 海 外からの来日公 演も依 然として盛んだ。 とくに今 年はエイフマン・ それぞれ 21 年ぶ バレエ、ネザーランド・バレエ・シアター( NDT )が、 り、13年ぶりという久しぶりの来日。 とくにNDTはイリ・キリアンの時 代 とは異なる新しい姿をみせた。中 国 国 立バレエ団の初 来日も注目さ れた。 これ以 外にも英 国ロイヤル・バレエなどの大バレエ団だけでは 世界の舞台芸術を知る

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なく、マニュエル・ルグリ、 アレッサンドラ・フェリなど著 名ダンサーを中 心とした小グループ 、パリ・オペラ座など有 名バレエ団からの選 抜と いった形の公 演も目立つ。 さらに海 外で活 躍する日本 人ダンサーを 集めてのプロデュース公 演も東 京だけでなく横 浜や大 阪などで行わ れている。海 外の舞 踊 家の来日によるクラスやワークショップに加え、 海 外で開かれる短 期 講習やサマースクールへの参 加 募 集なども世 界 各 地で増 加 傾 向にあり、 この面でのわが国へのアプローチも激し くなっている。 これまで増 加を続け、百を遥かに超えているコンクールは、中止 、休 止、 あるいは日程 短 縮などがみられるようになった。一 方で新 設もあり、 海 外のコンクールへの参 加 者は多く、 また海 外のバレエ学 校への入 学や講習会 参 加と繋げるものに人 気が集まっている。 そこから海 外に 332

活 躍の場を求める若 者も多い。 日本 同 様 、厳しい環 境の海 外のバ レエ界にとって、わが国のマーケットとしての注目度はむしろ高まって いる。 これらの状 況をみると、少 子 化 、格 差の拡 大といった厳しい事 情が 重なるにもかかわらず、 日本は依 然としてバレエ大 国としての地 位を 占めているといえるのかもしれない。 ただし、2020 年はオリンピック、パラリンピックの影 響は避けられず、 正 念 場を迎えることになろう。 うらわ・まこと 本名・市川彰。元松蔭大学経営文化学部教授。公益社団法人全国国立文化施設協会舞踊 アドバイザー。舞踊評論家として、各種の新聞、雑誌に寄稿するほか、文化庁などの各種委員 会の委員を歴任、数多くの舞踊コンクールの審査員を務める。


コンドルズ『Don't Stop Me Now』 撮影:HARU

333

[コンテンポラリーダンス・舞踏]

ダン スリテラシ ー の 欠 如と必 要 性 堤 広志

日本の文 化 芸 術を考える上で、2019年ほど危 機 意 識の高まった 年はなかったかもしれない。 あいちトリエンナーレでは「 表 現の不自由 展・その後 」が、ネット上 でん とつ

の誹 謗 中 傷 、脅 迫や恫 喝まがいの電 凸 で一 時 中 止となり、政 治 家 による検 閲ともとれるコメントや文 化 庁による助 成 金 不 交 付の発 表 があった。以 後 、 ウィーン芸 術 展 、 日本 芸 術 文 化 振 興 会 、 しんゆり映 画 祭でも、時の政 権や一 部の世 論に配 慮・自粛・忖 度する対 応が 続いた。 世界の舞台芸術を知る

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共 通するのはアートリテラシーの欠 如である。 法の理 念や管 轄 組 織の裁 量 権を無 視し、作 品の背 景や文 脈を理 解せず、表 現の善し 悪しを一 方 的に断 罪しようとする態 度がある。結 果として表 現の自由 だけでなく、 アートを享 受する観 客の自由を奪う状 況ともなり、 「文化 を殺すな」という抗議運動も起こった。 ダンス分 野でこうした騒 動は起こらなかったが、 それはコインの裏 表 でしかない。社 会 一 般にリテラシーが欠 如しているのはダンスも同 様 で、歴 史的背景や表現の文脈が理解されているとは限らないからだ。

舞踏草創世代の活躍 例えば 、舞 踏の始 祖・土 方 ( 1928~ 86 )は肉 体の暗 部に焦 点 をあてる「 暗 黒 舞 踏 」を提 唱し、 日本 人の民 俗 的身ぶりや東 北の農 334

村風景をモチーフとした。 しかし、現 在では裸・白塗り・猥 褻・グロテス

笠井叡『いのちの海の声が聴こえる』 写真提供:国立劇場


ク・気 持ち悪いといったイメージから敬 遠される傾 向もある。 その誕 生 から60年が経ち、舞踏をどう継承するか話題となった( 2020年 1 月 8 あきら

日には大 野 慶 人が急 逝した)。 しかし、舞 踏 第 一 世 代の笠 井 叡 、第 まろ あか じ

あま がつ うし お

二世 代の麿 赤 兒 、天 児 牛 大 が新作を発表し、衰えぬ創 作 意 欲を示 した。

笠 井は、渋 澤 龍 彦の『 高 丘 親 王 航 海 記 』を舞 台 化 、国 立 劇 場 「 神々の残 照 ― 伝 統と創 造のあわいに舞う― 」で群 読による古 事 記 祝 典 舞 踊『いのちの海の声が聴こえる』 を世 界 初 演し、バレエ、舞 踏、 オイリュトミーを統 合して壮大な世界観を展開した。

麿は前年受賞した種田山頭火賞にちなみ、大駱駝艦『のたれ● 』 335

を初演、野垂れ死に覚悟で放浪した自由律俳人の生涯を綴った。

山 海 塾は 4 年ぶりの新 作『 Arc 薄 明・薄 暮 』を世 界 初 演 。主 宰 の 天 児 が 体 調 不 良で 一 切 出 演しない初の作 品となったが 、若 手 舞 踏手の成長に期待し臨 じつ げつ

んだ 。 日月を象 徴 する ような 2 つの 弧 のセット が全 編にかけてゆっくり かみ しも

上 下 を移 動 する。その 前 景 で 天 体 の 運 行を 感 受し、宇 宙の摂 理を 体 現するようなシーンを

山海塾『Arc 薄明・薄暮』© Sankai Juku

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展 開し、 これまでのレパートリーの集大成といった趣となった。

「日本のコンテンポラリーダンス」の 3 つの特徴

1990 年 代に台 頭した日本のコンテンポラリーダンスは舞 踏とは背 景・文 脈が違い、以下の 3 つの特徴があった。

1. 権 威や体制におもねらないインディペンデントな活 動 2. 独自の舞踊言語・振付技法の獲得 3. 国 内外を問わず、社会に開かれた表 現 それ以 前の日本の舞 踊 界は、家 元 制 度のように師 弟 関 係の強い タテ社 会だった。全 国 組 織として日本バレエ協 会や現 代 舞 踊 協 会 336

があり、協 会 主 催のコンクールで入 賞することがステータスとされた。 しかし、 その組 織 体 制がヒエラルキーとなり、師 弟 関 係でコンクール の評 価が左右される状況も生んだ。 そうした権 威や体 制から離れ、不 特 定 多 数の観 客に向けた単 独 自主 公 演を行い、独自の新しい表 現を問うアーティストが現れたのが

80~ 90年代で、海外ツアーやオープンなワークショップも実 施した。 勅使川原三郎の以前/以後 この 3 つの特徴を兼ね備え、1986 年にバニョレ国際舞踊振付コン クールでの受 賞 以 来 、先 駆 的に活 動したのが勅 使川原 三 郎である。 脱力と呼 吸によってリリースした状 態から身体を取り巻く環 境を皮 膚 感 覚で捉え、質 感を即 興 的 動きへ展 開する独 特のメソッドを開 発し、 ワークショップを開 催して後 進に多 大な影 響を与えた。勅 使 川 原の 以 前 / 以 後で日本のダンスの歴史は大きく分けられる。


カイ

2019 年はシアター X で『シナモン』を再 演 、 『 忘れっぽい天 使 ポール・クレーの手 』を初 演 。 アップデイトダンスでは 10 作 品を公 演 し、 その中には『 Luminous 』で共 演した盲目のダンサー、 スチュアー ト・ジャクソンの内 観 的な“身体 記 録 ” を想 定した『 青い記 録 』や、佐 東 利 穂 子の初 振 付ソロ作 品『 泉 』 もあった。創 立 55周年を迎えた東 京バレエ団の委嘱では『 雲のなごり』 を世界初演。藤原定家の和歌 「夕暮はいづれの雲のなごりとてはなたちばなに風の吹くらむ」に着 想を得たが、 これは花 橘に寄せて親しかった故 人を詠った哀 傷 歌で、 やはり “身体 記 録 ” を描いた作品といえるかもしれない。

337

勅使川原三郎・佐東利穂子『忘れっぽい天使 ポール・クレーの手』 撮影:三浦麻旅子

1990年代に台頭したアーティストたち 勅 使川原に続き、1990年 代は様々な次 世 代アーティストが台 頭し た。子 供の頃からバレエを習ってきたものの評 価されずドロップアウ トした者や、10 代 後 半にダンスと出 会い、遅すぎるスタートを切った 世界の舞台芸術を知る

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者も多い。彼 / 彼 女らはオーソドックスなダンスへの疑 義から既 存のメ ソッドやボキャブラリーに依 存せず、 それまで日本に普 及していなかっ たリリーステクニックやフロアリング、 コンタクトインプロヴィゼーションに も取り組んでオリジナルな動きを生み出した。

北 村 明 子は、以 前 主 宰していたカンパニーのレニ・バッソ ( 1994~

2009)ではコンタクト即 興によりダンサーが縦 横に自走する「グリッド・ システム」を考 案したが、解 散 後はアジア古 来の武 術に学んだ対 戦 型コンタクトをダンスに発 展させている。近 年はアジア各 地の伝 統 的 な舞 踊 、音 楽 、儀 礼 、武 術 等を現 地でリサーチしてアーティストと出 会い、共同創作するCross Transit projectを続け、2019 年は最終章 りょうじん

はり

『 梁 塵の歌 』を発 表した。 「 梁 塵 」とは素 晴らしい歌 声が梁 の上の 338

ちり

インド北 東 部マニプール 塵をも動かしたという中国の故 事に由 来し、 州の作 曲 家・音 楽 家マヤンランバム・マンガンサナをドラマトゥルクに 招 いて 伝 統 楽 器 ペナ や民 謡とコラボレーショ ン 。ダンサ ーも即 興 の 声の掛け合い( 伝 統 舞 踊マニプリの一種「プン グロン[ punglon]」で くち

使 われる口 タブラと子 供の言葉遊びを合わせ たもの) と素 足による俊 敏でしなやかなステップ の応酬を展開した。 北村明子 Cross Transit project『梁塵の歌』 撮影:大洞博靖


イデビアン・クルー 『幻想振動』 撮影:金子愛帆

井 手 茂 太は、 イデビア ン・クルー『 幻 想 振 動 』 を初 演 。また 、九 州 内 外 のダンサーに振り付 けた『 ギミックス 』を北 九 州 芸 術 劇 場ほか、宮 崎 、熊 本でも再 演した。 しぐさ や 癖 等 の 日 常 的 動きをデフォルメして シーンへ 発 展させ 、楽 曲 へ のアテ 振りとオフ ビート、 キョドりとインタラクションが生む絶 妙なグルーヴ感 、 クールで 339

アイロニカルなユニークさで魅せた。

近藤良平のコンドルズは、埼玉限定『 Like a Virgin 』、全国ツアー 『 Don' t Stop Me Now 』、東 京 建 物 Brillia HALL( 豊 島 区 立 芸術文化劇場) こけら落としで豊 島 区 民 180名と踊る 『 Bridges to

Babylon 』等を公 演 。大 音 量のロックと開 放 的で小 気 味良いダンス、 コントや人形劇、映像、生演奏とともに繰り広げる判じ絵的パフォーマ ンス等によるエンターテインメントな舞 台は常にバカバカしい笑いに包 まれ、子 供から大 人まで変わらぬ人気を保っている。 ゲ

『あなたはわ 伊 藤キムのフィジカルシアターカンパニー G EROは、 たしのなんなの?』 『 100人でする譜 面のない合 唱 』 『 踊ってから喋る か?喋ってから踊るか?』等を公 演 。声 、言 葉 、身体 、動きを分 解し再 構築するナンセンスなパフォーマンスを展開した。 世界の舞台芸術を知る

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小 野 寺 修 二のカンパニーデラシネラは小 説の舞 台 化が近 年 多 かったが、2019年は原 作のない『 見 立てる』で身体 表 現の原 点に立 ち返り、 ノンバーバルなフィジカルシアターを展 開した。

矢 内 原 美 邦のニブロールは『 悲 劇のヒロイン』を初 演 。あえてダン ステクニックを持たない 5 人の女 優を起用し、現 代の不 条 理な状 況 を訴えながら自身の不 幸を主 張する「 悲 劇 」を演じさせて、新しいダ ンスの形を提示した。

伊 藤 千 枝の珍しいキノコ舞 踊 団は、時 代が平 成から令 和へ代わ るタイミングで解 散を発 表した。特 定の振 付システムに拠らないポッ プでキュートなダンスを、劇 場だけでなくカフェやギャラリー、屋 外でも 340

展 開。30年にわたって活動してきただけに多くのファンから惜しまれた。 2000年代以降は公共の時代

1990年 代は企 業のメセナによって、2000年 代 以 降は公 共ホール と助 成 金によって、 日本のコンテンポラリーダンスは支えられてきた。バ ブル崩 壊 以 降はメセナ事 業が次 第に先 細りとなる一 方 、公 共 文 化 施 設の増 加や助 成 金の拡 充 、 アートNPO の活 動が活 発になるタイ ミングが重なったことによる。

公 共の時 代を象 徴するのが、金 森 穣が芸 術 監 督を務める新 潟 市 民 文 化 会 館りゅーとぴあの劇 場 専 属ダンスカンパニー Noismである。

2004 年の結 成から15 年が経ち、市の財 政 難と市 長の交 代で存 続 の危 機にあったが、22 年 8 月まで契 約が延 長された。ただし、課 題 の改 善が条件である。新名称をNoism Company Niigataに変 更し


て新 潟の存 在を国 際 的に発 信し、地 域 貢 献を進め、小中高 校や市 民 対 象の教 室を積 極 的に実 施 、外 部 振 付 家にも作 品を委 嘱し、制 作スタッフを増やして超過勤務を減らす等が課題とされた。

2019 年 は 、実 験 舞 踊 vol. 1では『 R . O. O. M. 』と『 鏡 の 中 の 鏡 』、15 周 年 記 念 公 演 では 2 018 年 度 毎日芸 術 賞を受 賞した (新潟初演) と 『 Mirroring Memories それは 尊き光 のごとく』 『 Fratres l 』 ( 初 演 )を上 演した。いずれも中 編だが、 これは地 方や 海 外へツアーしやすいレパートリーを用 意する戦 略でもある。 また、 ド イツ・レーゲンスブルク歌 劇 場ダンスカンパニーの芸 術 監 督・森 優 貴 が辞 任して日本に拠 点を移したことから、金 森と森それぞれが振り付 けた新 作のダブルビルも公演した。 ひ が しの よう こ

341

東 野 祥 子とカジワラトシオの ANTIBODIES Collectiveは TPAM

2019で『カセット100』を上 演 。1971年にマニラで初 演されたホセ・マ セダのマルチメディア・パフォーマンス作 品の再 現で、100人の参 加 Noism1 /実験舞踊vol.1『R.O.O.M.』 撮影:篠山紀信

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者がカセットプレイヤーで民 族 楽 器による演 奏を鳴らしながらKAAT 神 奈 川 芸 術 劇 場エントランスの吹き抜け会 場 内を回 遊し、来日した 海 外プロデューサーたちを喜ばせた。 また『エントロピーの楽 園 ― 第

2 章 ― 』で岡 山 県・犬 島 公 演に再 度 挑んだ。東 野が代 表を務める 全日本ダンストラック協会の「 DANCE TRUCK TOKYO」では、輸 送トラックのコンテナ内を舞 台に多 彩なアーティストが日替わりで出 演するショーケースを東 京 都 内 5 ヵ所で公 演 。2020 年の秋までに島 しょ部を含む都内 15ヵ所で公演予定だ。 鈴木ユキオは、やまと芸術文化ホールで中高生対象の公募ワーク ショップ 公 演『 星の約 束 』を発 表 。相 模 原 市 民 文 化 財 団 主 催『 人 生を紡ぐように、時の流れを刻むように』では、閉 店 予 定のデパートの 342

屋 上で一 夜 限りの公 演を行い、街の歴 史や生 活とともにあった空 間 の有 終の美を印象づけた。 わたる

北 尾 亘 は、主 宰するBaobab『ジャングル・コンクリート・ジャングル』 のほか 、東 京 芸 術 劇 場のワークショップ 発 表 会『 東 京ディグ /ライ ズ』や、吉 祥 寺シアターの次 世 代コンテンポラリーダンス活 性 化 企 画 「 吉 祥 寺ダンスリライトvol.1」でディレクターを務めた。 総じて2010年 代は、公 共 事 業による企 画や共 催・提 携 公 演が増 え、単 独自主 公 演は減ってきている。 コンテンポラリーダンスへの助 成 金が減り、2000年 代のブームも去って、集 客が難しくなっているため である。国 際 的に活 動して帰 国しコンペの受 賞 歴があっても集 客で きない、公 演 資 金をクラウドファンディングしなければならない、助 成 金が獲れないなら公演しないというアーティストもある。


時代環境に応じて変化する表現 劇 場サイズのレパートリーを創 作する機 会は減ってきており、芸 術 祭 等の企 画によるオフシアターでのサイトスペシフィックな公 演も増え ている。

『 Strange Green Powder 』 神村恵は、 フェスティバル/トーキョー 19で を公 演 。 日本 庭 園にある茶 室を会 場に、茶 道の設えや見 立てを身体 で表 現する微 妙な即 興パフォーマンスを展開した。

ベルリンを拠 点とするハラサオリは、Dance New Air 2020プレ公 演として『 no room 』を行った。 イサム・ノグチが谷口吉 郎と手がけた 歴史的建造物旧ノグチ・ルームとその庭園(慶應義塾大学三田キャ 343

ンパス内 ) を会 場に、国 籍や著 作 物の所 有 者に翻 弄されたノグチの 生 涯と自身の人 生を重ね合わせながら、芸 術 家のアイデンティティを 問うた。

ハラサオリ 『no room』 撮影:木村和平 世界の舞台芸術を知る

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ば く ろ ち ょう

尾花 藍子主宰のときかたちは、馬 喰町アートプロジェクト 「 Beyond

Facade」で空きビルの 3 フロアを巡 回する観 客 参 加 型 公 演を実 施 。 ノンバーバルなコミュニケーションによって観 客とコンタクトし、問 屋 街 で廃 業した商業空間の“間”や“気配” を共 有した。

ダンス表 現にも時 代 環 境の影 響が見て取れる。 これらのアーティス トは劇 場でダンステクニックを披 露するよりも、脱ダンスといった表 現 を志 向している。先 入 観を持たずに状 況を受け止め、 アーティストの 意 図やダンサーの身体 意 識を理 解しようと努める寛 容な態 度が、観 客にあることが救いでもある。ただし、 リテラシーのない粗 暴な言 葉で 表 現が汚されることはない反面、言語化が難しく評 価が高まっていか ないデメリットがある。 344 ダンスリテラシーの必要性 あいちトリエンナーレでは肯 定 的な話 題 性を期 待した気 鋭の企 画 が、逆に炎 上によってアートフォビアを顕 在 化させ、分 断を促 進し、公 共 事 業が簡 単に脅 迫に屈するという「 悪しき前 例 」を作ってしまった。 閉 幕 間 際に参 加アーティストの一 人で演 出 家の高 山 明が「 Jアート コールセンター 」を開 設し、 アーティストたちが一 般からの電 話に直 接 対 応したが、本 来こうした取 組みは主 催 者 側で最 初から準 備す べきだったのではないだろうか。

美 術 館も劇 場も、普 段からアートリテラシーを習 得・養 成する対 話 の場となる必 要がある。 その意 味ではダンスも同 様に、創 客やファン 育 成の取組みが後手に回っているといえるだろう。


つつみ・ひろし 1966年川崎生まれ。文化学院文学科演劇コース卒。編集者・舞台評論家・デジタルマーケ ター。美術誌「アートビジョン」、 エンターテインメント情報誌「apo」、演劇誌「演劇ぶっく」、戯曲 誌「せりふの時代」の編集を経てフリー。編著に空飛ぶ雲の上団五郎一座『アチャラカ再誕 生 』、パフォーミングアーツマガジン「Bacchus」、 『 現代ドイツのパフォーミングアーツ』、 『ピー ター・ブルック―創作の軌跡―』等。

345

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TELEVISION DRAMAS

[テレビドラマ]

テレビドラマ が 提 起 す る ゆ るや か な 意 識 改 革 中町綾子

オリジナル脚本が紡ぐテレビドラマミステリーの緊張感

2019 年 、SNSや VODと連 動した展 開でオリジナル脚 本のミステ リードラマが話 題を呼んだ。 『あなたの番です』 (日本テレビ)には漫 画や小 説といった原 作がなく、視 聴 者の SNS上での謎 解きや犯 人 予 想が(「 考 察 」と称され)番 組 視 聴を盛り上げた。新 婚 夫 婦の手 346

塚 翔 太・菜 奈( 田 中 圭・原 田 知 世 )は、引っ越してきたマンションで 交 換 殺 人ゲームに巻き込まれることになる。マンションの住 民 会での 世 間 話がきっかけで、関 係 者が次々と殺されていく。3 か月で完 結す る連 続ドラマが多いが、6 か月の放 送 期 間で、前 半の第 1 章のラス トで主 要 登 場 人 物の菜 奈が殺され、後 半の第 2 章は「 反 撃 編 」と なった。登 場 人 物が多く、毎 週 誰かが殺される。SNS等を通してドラ マへの関 心を積 極 的にかきたてるエンターテインメントとしての手 法 が注目された(原案・企画=秋元康、脚 本=福 原 充 則 )。 (日本テレビ)はオリジ 『 3 年A組 ― 今から皆さんは、人 質です― 』 ひいらぎいぶき

ナルの学 園ミステリードラマだ。担 任の柊 一 颯( 菅 田 将 暉 )が卒 業 式の 10日前にクラスの生 徒を人 質に学 校に立てこもる。 そして、半 年 も

前に自殺したクラスメイト ( 上 白 石 萌 歌 )の死の真 相を一 人 一 人に 考えさせるための「 授 業 」に挑む。何よりも、本 質から目をそらそうとす る生 徒への容 赦ない問いかけ、 そこに生まれる対 話に緊 張 感があっ


た。校 舎を爆 破したり、不 正 解ならば誰かに死んでもらうと脅したりと、 過 激な設 定だが、 いまの若い世 代が向き合うべき問いを熱く投げか けていた( 脚 本=武 藤 将 吾 、東 京ドラマアウォード2019 連 続ドラマ部 門グランプリ、主 演男優 賞・菅 田 将 暉 、第 56 回ギャラクシー賞テレビ ディーリー

部門 個 人 賞・菅 田 将暉[対象番組は他に『 dele 』ほか])。 働き方の現在を描く職場ドラマ 世 代 間の考え方の違いは職 場でもしばしばドラマ的な状 況を生む。

2019 年 4 月からの「 働き方 改 革 関 連 法 案 」の一 部 施 行は、長 時 間 労 働が常 態 化している職 場 環 境には大きな意 識 改 革をもたらし た。4 月にスタートした火 曜ドラマ『わたし、定 時で帰ります。』 ( TBS ) は、働く人たちの戸 惑いや考え方の個 人 差に光を当てるドラマだっ 347

「 働き方 新 時 代へ! 絶 対に定 時で帰る た。第 1 話のサブタイトルは、 女 」。東山結 衣( 吉 高由里 子 )は、 ソフトウエア開 発のディレクターで、 定 時には仕 事を切り上げて、行きつけの料 理 店で仕 事 終わりの時 間を楽しむ。 そうすることで長 時 間 勤 務やパワハラから抜け出せない 同 僚や取引先の意 識をゆるやかに変えていく。 ヒロインの軽やかな生 あけ の かえ るこ

き方の描 写自体がひとつの提 言になっている ( 原 作=朱 野 帰 子 、脚 本=奥 寺 佐 渡 子 、清水友佳子。 ギャラクシー賞 6 月度月間賞)。 ドラマ10『これは経費で落ちません!』 ( NHK ) も、職場で毅然と働く ヒロインの姿が気 持ちいい。森 若 沙 名 子( 多 部 未 華 子 )は、入 浴 剤 などを扱う石 鹸メーカーの経 理 部の社員だ。的 確な判 断でひとつひ とつの経 理 処 理をこなし、 自分の役 割を果たす。 そうすることで、各 部 署の古い風 土に切り込み、組 織の硬 直をほぐしていく ( 原 作=青 木 ひる た

祐子 、脚 本=渡 辺 千穂、藤平久子、蛭 田 直美)。 テレビ局で働く人たちの実 情と奮 闘を描くドラマも話 題になった。 世界の舞台芸術を知る

国際演劇年鑑2020


TELEVISION DRAMAS

HTB開局 50周年ドラマ『チャンネルはそのまま!』 ( 北 海 道テレビ)は、 のり こ

漫 画 家の佐々木 倫 子 が北 海 道テレビを取 材して書いた同 名 漫 画 ほし

が原 作である。決して優 秀とは言えない北 海 道 ★テレビ報 道 部の新 人 記 者・雪 丸 花 子( 芳 根 京 子 )が彼 女ならではの体 当たり取 材で 奮 闘する。 そういった姿が生き生きと描かれている ( 脚 本=森ハヤシ、

2019年日本民間放送連盟賞テレビ部門グランプリ)。 『スローな武士にしてくれ~京都 撮影所ラプソディー 』 ( NHK )は、 ドローンやハイスピードカメラなどNHKの最 新 機 材を時 代 劇の現 場 に持ち込んでの番 組 制 作を、 メイキングドラマ風に見せたエンタテイ ンメントである。最 新 技 術と格 闘する俳 優や製 作 者の熱い魂がすが すがしく伝えられた( 作・演出=源 孝 志 、令 和 元 年 度( 第 74 回 )文 化 庁 芸 術祭賞テレビ・ドラマ部門優秀賞)。 348 ゆるやかなつながりの中に大切なものをみつめる 日々の生 活のなかで、ゆるやかな意 識の変 化をとらえ大 切なもの を見つめ直させるテレビドラマが魅力を放った。 ドラマ24『きのう何 食 べた?』 (テレビ東 京 )は、一 緒に暮らす恋 人 同 士 、弁 護 士のシロさん (西島秀俊) と美 容 師のケンジ( 内 野 聖 陽 )の日々を、二 人が囲む 食 卓を中心につづる。夕食づくりに懸 命なシロさんの時 間 、 その料 理 を二 人で味わう時 間には、相 手を想う気 持ちがあふれ、 その日常に 豊かさと温かさをもたらしている ( 原 作=よしながふみ、脚 本=安 達 奈 緒 子 )。 ( TBS )では、楽 器 店の「 大 人 火 曜ドラマ『 G 線 上のあなたと私 』 のバイオリン教 室 」で出 会った 25歳の元 OL・小 暮 也 映 子( 波 留 )、 り ひと

41歳の主婦・北河幸恵(松下由樹)、19歳の大学生・加瀬理 人(中 ま

川大志)、講師の久 住眞 於(桜井ユキ)が抱える心の傷や、 それぞれ


の戸 惑い、 ためらいが描かれる。人 生に行きづまった人たちの心の動 きを、展 開を急がずに見せている ( 原 作=いくえみ綾 、脚 本=安 達 奈 緒子)。 土 曜ドラマ『 俺の話は長い 』 (日本テレビ) もそうだ。主 人 公の岸 辺 満( 生 田 斗 真 )は、母・房 枝( 原 田 美 枝 子 ) と実 家で暮らす 31歳 のニートだ。大 学を中退して夢だった喫 茶 店を始めたがうまくいかず、

6 年 間 定 職についていない。 そこに、姉の秋 葉 綾 子( 小 池 栄 子 ) と夫 か

の光司( 安 田 顕 )、娘の春 海( 清 原 果 耶 )が同 居することになる。 そし て、気の強い姉にふっかけられて、満の屁 理 屈がヒートアップする、 と いった会 話の積み重ねの中に本 音がこぼれ、彼もそしてほかの家 族 もゆっくりではあるが先に進むきっかけをみつけていく。1 話 30 分で 2 話ずつ放 送されるスタイルのオリジナル脚 本のドラマだ( 脚 本=金 子 は ぜ やま ひ ろ

349

茂 樹 、チーフプロデューサー=池 田 健司 、 プロデューサー=櫨 山 裕 こ

子 ほか)。 急ぎすぎない人 生を描くという点で、13年ぶりにリメイクされた『まだ 結 婚できない男 』 (フジテレビ、主 演=阿 部 寛 、脚 本=尾 崎 将 也 )や、 周 囲の空 気を読むことに疲れて退 職し都 市 郊 外に引っ越したヒロイ なぎ

いとま

はる

ンを描く金 曜ドラマ『 凪 のお暇 』 ( TBS、主 演=黒 木 華 、原 作=コナリ ミサト、脚 本=大 島 里美) も注目された。

社会的な問題に踏み込む力 社 会 性 、今日性の高いテレビドラマの秀 作が目立った。NHKスペ シャル『 詐 欺の子 』 ( NHK名 古 屋 )は、実 際の事 件の綿 密な取 材 のもとに制 作されている。特 殊 詐 欺にかかわる加 害 者・被 害 者それ ぞれの人 物 像を描いて、実 行 犯である中 学 生の罪の意 識の希 薄 さ、格 差 社 会の渦 中にいる若 者 、 そして被 害 者の苦 悩などを浮き彫 世界の舞台芸術を知る

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TELEVISION DRAMAS

りにした。複 雑な犯 罪の構 造 的な側 面 、多 面 的な描 写 、批 評 精 神 が際 立ったドラマである ( 作=高 田 亮 、演 出=川 上 剛 、東 京ドラマア ウォード2019単 発ドラマ部 門 優 秀 賞 、第 45回 放 送 文 化 基 金 賞 番 組 部 門テレビドラマ番 組 最 優 秀 賞 、第 56 回ギャラクシー賞テレビ部 門 奨 励賞)。 土 曜ドラマ『 サギデカ』 ( NHK ) もまた特 殊 詐 欺を題 材とする。警 視 庁の振り込め詐 欺 担当の刑 事・今 宮 夏 蓮( 木 村 文 乃 )が、詐 欺 グループの摘 発に奔 走する。事 件のディテール、犯 罪 集 団の論 理に リアリティがあり、あわせて現 代を生きる人 物 像に魅力があった( 作= 安 達 奈 緒 子 、第 74 回 文 化 庁 芸 術 祭テレビ・ドラマ部 門 大 賞 、第 57 回ギャラクシー賞上期奨励賞)。 また、土 曜ドラマ『デジタル・タトゥー 』 ( NHK )は、 インターネット上 350

の誹 謗 中 傷や個 人 情 報の拡 散に追いつめられる人たちを描いた ( 作=浅 野 妙 子 、令 和 元 年 度( 第 74回 )文 化 庁 芸 術 祭 賞テレビ・ド ラマ部 門 優秀賞)。

2019年はスポーツへの関心が高まった 1 年でもあった。 ラグビーの ワールドカップ日本 開 催が盛り上がり、 スローガンの「ワンチーム」が 流 行 語となった。直 前に放 送された企 業のラグビー部の再 生を描く 日曜 劇 場『ノーサイド・ゲーム』 ( TBS 、原 作=池 井 戸 潤 、脚 本=丑 尾健太郎) も話 題となった。 また、2020 年の東 京オリンピックに向け て、1964年の東 京オリンピック開 催までの歴 史を描く、大 河ドラマ『い ばなし

だてん~東 京オリムピック噺 』 ( NHK 、脚 本=宮 藤 官 九 郎 )が放 送 された。


なかまち・あやこ 日本大学芸術学部教授。文化庁芸術祭執行委員会審査委員、 『 国際ドラマフェスティバル in TOKYO』東京ドラマアウォード審査委員長など放送関連各賞の審査委員を務める。これま で、 日本経済新聞『あのドラマこのセリフ』、読売新聞『アンテナ』 など新聞各紙を中心にテレビ ドラマ評論を執筆。著書に『ニッポンのテレビドラマ21の名セリフ』 ( 弘文堂) ほか。

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国際演劇年鑑2020



Afterword 編集後記

南アフリカ共和国 P.056

博 覧 強 記で語 学の達 人 、田 之 倉 稔さんから編 集 長を引き継いだ。強 烈な好 奇 心 と知 的 情 熱に満ちた田 之 倉さんの後を継ぐことは難しい。 しかも1972 年 創 刊の当『 年 しばらく逡 巡したが、以 前から 鑑 』は 48 年 間 、実に半 世 紀にわたって発 行されてきた。 本 誌の内 容に啓 発され、 その存 在 意 義を実 感する機 会が何 度もあったことを思い返し た。後の世 代への橋 渡しという意 味 合いもある。重いとはいえ、担い甲 斐のある役目と 考え、引き受けることにした。 私は怠け者である。世 界と日本の舞 台 芸 術の動 向を日本 語で読めたら、 どんなに良 いだろうと思っている。本 誌は、 こうした怠け者の願いを満たす、ほぼ 唯 一の貴 重な書 籍である。 インターネットが発 達した現 在 、英 語 堪 能 者は、PCを通して世 界 中の演 劇 の動 向を知ることができるようになった。 しかし、送り手と受け手の経 験の齟 齬を考 慮し ない限り、 ネット上の膨 大な英 語は情 報としての意 味しか持たない。 そもそも、英 語 化で きない経 験にこそ演 劇の核 心があると考えるのが、世 界 中の演 劇 人の共 通 理 解であ ろう。 こうして怠け者は、今まさにグローバル化の時 代であるがゆえに、経 験の齟 齬を創 造的に架橋する場の維持に尽力したいと思うのである。 文 化 圏の境を超えて知 識と経 験が伝わるためには、全 体を構 想し、特 集を立て、執 筆 者を選び、原 稿を依 頼し、必 要に応じて翻 訳するなど、 さまざまな作 業を経なければ ならない。舞 台の製 作 現 場と同じく、編 集スタッフ一 同の地 道な作 業の積み重ねと、 そ れに呼 応して独自の視 点から力のこもった原 稿を書く執 筆 者の熱 意が相まって、毎 年 本 誌は生み出される。読み手には、 自身の土 壌とは異なる社 会 的 文 化 的 文 脈を想 像 する度量も必要となろう。

2020 年号のラインナップはどうか。 世界の舞台芸術を知る

国際演劇年鑑2020

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ブラジル P.102 ▲

レバノン P.067

巻 頭の「ワールド・シアター・デイ」には、パキスタンの劇 作 家シャーヒド・ナディームか らのメッセージを掲 載した。すでに彼の戯 曲『ブルカヴァガンザ 』は、2014 年の「 紛 争 地 域から生まれた演 劇 6 」で国 際 演 劇 協 会日本センターによるリーディング公 演が行 われている。 ブルカを被って観客の前に立った俳優たちの姿が思い出される。

「 世 界の舞 台 芸 術を知る2018/19」には、毎 年 寄 稿がある「中国 」 「韓国」 「アメ リカ」 「イギリス」 「ドイツ語 圏 」 「フランス」 「ロシア」に加えて、 「 南アフリカ」 「マケド 354

ニア」をはじめて依 頼した。 しばらく掲 載がなかった「ラオス」 「イラン」 「レバノン」 「イ スラエル」 「ブラジル」 「アイルランド」 「ギリシャ」の動 向についても、本 号では詳しい 解説が読める。 「ニュージーランド」は「オーストラリア」から独立しての掲載である。 一方、紙幅の制約もあり、昨年寄稿があった「台湾」 「インド」 「タイ」 「カナダ」 「メキ シコ」 「アルゼンチン/ウルグアイ」 「オーストラリア」 「スコットランド」 「イタリア」 「スペイ ン」 「ポーランド」 「ルーマニア」 「スウェーデン」 「フィンランド」は、来 年 以 降 、機 会をみ て再 登 場ということになる。一 昨 年の「シンガポール」 「イエメン」 「ブルンジ」 「ペルー」 「モルドバ」 も合わせて、読者と執筆者にはご理解と今後への期待をお願いしたい。

「シアター・トピックス」には、国 際 交 流の現 状を語る座 談 会「 平 成 30年 間の国 際 交 流を振り返る」と論 考「 岡 田 利 規の時 代 ― 2010年 代の舞 台 芸 術 」を掲 載し た。従 来 、舞 台 芸 術の国 際 交 流の報 告は「 海 外ツアーレポート」の枠を使ってい たが、今 回は平 成の国 際交流の進展を座談会と論考で振り返る。 「 新 生 PARCO劇 場に寄せて」と「 追 悼・ジャニー喜 多 川 」は、2019 年の日本の 舞 台 芸 術を振り返る上で欠かせないトピックスである。セゾン・グループが主 導し た渋 谷 開 発の文 化 拠 点 PARCO 劇 場と、戦 後のショービジネス発 展の立 役 者で


マケドニア P.178 ▲

ニュージーランド P.112

あった故 喜 多川氏の意義を再確認したい。 続く特 集には、例 年と同 様 、国 際 演 劇 協 会日本センターが主 催する「 紛 争 地 域 から生まれた演 劇 」のレポートを掲 載した。11 回目を迎えた 2019 年は、ナイジェリア 人作 家ダイアナ・ンナカ・アトゥオナの『リベリアン・ガール』がリーディング公 演された。 最 後の「日本の舞 台 芸 術を知る2019」は、当『 年 鑑 』のもう一つの柱である。 「 能・狂 言 」 「歌舞伎」 「 文 楽( 本 号より歌 舞 伎から独 立 )」 「ミュージカル」 「現 代演劇」 「児童青少年演劇」 「日本 舞 踊 」 「バレエ」 「コンテンポラリーダンス・舞 踏」 「テレビドラマ」のジャンルごとの寄 稿を通して、 日本 国 内の舞 台 芸 術の現 状が 見えてこよう。 「あいちトリエンナーレ2019」への補 助 金 不 交 付や芸 術 文 化 振 興 基 金 要 綱 改 正 に揺れ、著 名 政 治 家の検 閲とも受け取れる発 言が続いた昨 年の日本では、社 会 の右 傾 化と権 威 主 義 化が露わになった。文 脈を異にするとはいえ、占領に抵 抗する イスラエル演 劇 、民主 主 義を闘い取る韓 国 、 ボルソナロ政 権へ抵 抗するブラジル、 し たたかに生き続けるギリシャの古 代 劇 、マケドニアのオルタナティブな演 劇シーンな ど、本 誌に記された世 界 各 地の演 劇 人のさまざまな闘いの記 録を読むことは、私た ちの経 験が世 界の人々と共振するための一歩にほかならない。

2020年 3 月 『 国際演劇年鑑 』編集長 新野守広

編集後記

国際演劇年鑑2020

355


公益社団法人 国際演劇協会日本センター 役員 会長

永井多恵子

副会長

安孫子正 吉岩正晴

常務理事

曽田修司

理事

安宅りさ子 伊藤 洋 大笹吉雄 小田切洋子 糟谷治男 木田幸紀 坂手洋二 真藤美一 中山夏織 野村萬斎 林 英樹

356

坂東玉三郎 菱沼彬晁 松田和彦 三輪えり花 和崎信哉 監事

岸 正人 小林弘文

顧問

大谷信義 河村潤子 迫本淳一 田之倉稔 永江 巌 野村 萬 波多野敬雄 堀 威夫 松岡 功 (2020年3月27日現在)


ITI Japanese Centre’s Theatre Yearbook since 1972 I T I日本センターでは、皆さまにご活用いただけるような誌面づくりを目指しています。 本書へのご感想、 「この国を取りあげて欲しい」など年鑑についてのご要望があれば、 次号の企画の参考にさせていただきますので、当センターまでご意見をお寄せ下さい。 また、1972年からの『国際演劇年鑑』に関するお問い合わせや バックナンバーをご希望の方は、I T I日本センターまでご連絡ください。

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Tel: 03-3478-2189

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中国、韓国、台湾、インド、タイ、カナダ、アメリカ、メキシコ、アルゼンチン、ウルグア イ、オーストラリア、イギリス、スコットランド、ドイツ、オーストリア、スイス、フラン ス、イタリア、スペイン、ポーランド、ルーマニア、スウェーデン、フィンランド、ロシア 《シアター・トピックス》「130年の次の時間へ向かう新派」 「古典芸能を継承すると いうこと」 「追悼・浅利慶太」 「ジャポニスム2018の効果について」 「Port B高山明 氏インタビュー」 《海外ツアーレポート》L.ミアノ作、宮城聰演出『顕れ~女神イニイエの涙~』 《特集》紛争地域から生まれた演劇 10

日本の舞台芸術を知る(英語版)

能・狂言、歌舞伎・文楽、ミュージカル、現代演劇、児童青少年演劇・人形劇、 日本舞踊、バレエ、コンテンポラリーダンス・舞踏、テレビドラマ 《シアター・トピックス》「追悼・浅利慶太」 「ジャポニスム2018の効果について」 《特集》紛争地域から生まれた演劇 10 〈戯曲集〉紛争地域から生まれた演劇10

『コモン・グラウンド』作=ヤエル・ロネン(イスラエル/ドイツ)&アンサンブル、 訳=庭山由佳、監修=柴 宜弘 『これが戦争だ』作=ハナ・モスコビッチ(カナダ)、訳=吉原豊司 2018年以前の内容についてはITI日本センターにお問い合わせください


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世界のIT Iセンターのリストは、本部のウェブサイトで随時アップデートされています。 International Theater Institute ITI / Institut International du Théâtre ITI Office at UNESCO UNESCO, 1 rue Miollis, 75732 Paris Cedex 15, France Headquarter in Shanghai 1332 Xinzha Road, Jing’an, Shanghai 200040, China Tel: +86 (0)21 6236 7033 info@iti-worldwide.org / www.iti-worldwide.org

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東宝演劇


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「紛争地域から生まれた演劇」 シリーズの展開 Theatre Born in Conflict Zones 国際演劇協会日本センター主催の「紛争地域から生まれた演劇」 シリーズでは 11年にわたり26の戯曲を紹介し、2011年からは戯曲集を発行しています。 2018年には、彩の国さいたま芸術劇場のさいたまネクスト・シアターによる新プロジェクト 「世界最前線の演劇」の第一弾として、当センターが初翻訳・リーディング上演した 『ジハード』 ( 翻訳=田ノ口誠悟) が日本初演され、翌年には 『朝のライラック』 ( 翻訳=渡辺真帆) が同プロジェクト第三弾として上演されています。 この2作品はまた、小田島雄志・翻訳戯曲賞を受賞しています。 さらに、2019年8月には、各国の劇作家をはじめ当シリーズに携わった演劇人たちによる 書き下ろし原稿によって、 この試みの意義を問い直す書籍 『紛争地域から生まれた演劇』 がひつじ書房より出版されました。 昨年10周年を迎えた「紛争地域から生まれた演劇」 シリーズは、 困難な状況にある人々が抱える問題を共有する場として、 さらなる展開を模索しています。

10年にわたる「紛争×演劇」の試みが、 混迷する現代社会に生きる私たちに語りかけるものとは――。

『紛争地域から 生まれた演劇』 国際演劇協会日本センター 編 林英樹・曽田修司 責任編集 定価3,600円+税

シリア、 パレスチナ、 イランなど世界の「紛争地域」で、 なぜ演 劇は創られ、 どのように演じられているのか。本書により、私た ちは未知の紛争について知り、 それが自分たちと直接関わり のある出来事であることを発見し驚愕する。欧米、 アフリカ、 そ してアジアの各地で。本書は、世界の歴史・文化・宗教・政 治が、語り手・演じ手・観客という個人の視点を介して交錯 し共鳴する、圧巻の「現代・世界・演劇」探究の書である。


文化庁委託事業 令和元年度 次代の文化を創造する新進芸術家育成事業

編集長

新野守広

事業担当理事

曽田修司

編集

後藤絢子、小西道子、坂口香野、中島香菜、深沢祐一

編集スタッフ

壱岐照美、林英樹、本間芙由子、中山豊子

翻訳

北川修一(ペルシャ語)、木村典子(韓国語)、芝生麻耶(ポルトガル語)、中島香菜(仏語)、 村山和之(英語)、山崎信一(マケドニア語)、石川麻衣、ウィリアム・アンドリューズ、角田美知代、 ドナカ・クロウリー、マーク・大島、リングァ・ギルド(以上、日英)

校正・校閲

後藤絢子、小西道子、坂口香野、中島香菜、深沢祐一(以上、和文) 石川麻衣、ガリア・トドロヴァ・ペトコヴァ、サイモン・シドオ、ビュールク・トーヴェ(以上、英文)

協力

鵜戸聡、ロザリンド・フィールディング

装幀・本文デザイン

久保さおり

国際演劇年鑑2020 世界の舞台芸術を知る

Theatre Yearbook 2020 発行日 発行者

Theatre Abroad

2020年 3 月27日

公益社団法人 国際演劇協会日本センター

〒151-0051 東京都渋谷区千駄ヶ谷 4 -18-1 国立能楽堂内 Tel: 03-3478-2189 Fax: 03-3478-7218 mail@iti-j.org http://iti-japan.or.jp

製 版 山浦印刷(株) 印 刷 (株)三協社 製 本 (株) ウィンカム

本年鑑は、公益社団法人国際演劇協会日本センターが文化庁の委託事業として実施した、令和元年度「次代の文化を創造す る新進芸術家育成事業」の成果をとりまとめたものです。本年鑑の複製、転載、引用等の際は、発行者までご連絡ください。 落丁・乱丁本はお取り替えいたします。 © Japanese Centre of International Theatre Institute 2020 Printed in Japan




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