文化薫る街「駒場」を歩く

「正門」正面の1号館(旧制第一高等学校本館)です。S8年建造で国登録有形文化財です。

101号館です。S10年建造です。

ロの字型の「1号館」の西側棟です。1号館は主に語学教育の教室として使われているそうです。

駒場公園(旧前田家本邸)

 
 
 
 
 
 

鍋島松濤公園

今回は、「駒場」を歩きます。ここいら一帯は、江戸時代将軍家の鷹狩場でそれに付随して馬の牧場「駒場」があったことが名前の由来です。京王井の頭線「駒場東大前駅」で下車し、カメラ片手にブラブラ歩きます。

東西方向に、真っすぐに伸びる約400mの「銀杏並木の道」。この両側に、教育や研究のための建物が立ち並んでいます。

日本近代文学館

「駒場東大前駅」は、「渋谷」から2駅目で「3分」で到着です。駅名通り「駅」を出たら東大「教養学部」キャンパスです。

 

「一二郎池」の南にキャンパスの東端の門「炊事門」(以前キャンパス内に寮にがあったころ寮生の賄の為の炊事用に使っていた門)があります。ここから、東(渋谷の方)へ5〜6分歩くと都内屈指の高級住宅街「松濤」です。

 

「松濤」から、次に「駒場公園」を訪ねます。再度、「東大駒場キャンパス」を通って移動します。

次に、東大駒場キャンパスの西側「駒場公園」を訪ねます。約40,000uのこの公園は、「前田家本邸」の跡地です。旧加賀藩前田家16代当主前田利為(としなり)侯爵の居宅として1930年(S5年)に建設されました。戦後連合国軍に接収されたが解除後は、目黒区立駒場公園として開放されています。(洋館は都の所有)

 

敷地の北側に位置する「正門」です。奥正面に見えている建物「13号館」は、「東京帝大航空研究所」の本館だった建物で国の「登録有形文化財」です。向かって右側に「先端科学技術研究センター」、左側に「生産技術研究所」の建物が並んでいます。

中庭をはさんで、東側(正面から見て左側)に「生産技術研究所」の建物が連なっています。

東大教養学部のキャンパス見取り図です。約25万uの敷地に、旧制1高時代の建物とモダンな建物が併存しています。

西側(正面から見て右側)には、「先端科学技術研究センター」の建物が連なっています。

 

鍋島松濤公園の周辺は高級住宅街です。

学生が歩いているところが「西門」です。左手の住宅が左の写真の住宅です。

駒場キャンパスの「西門」の所です。塀の左側は駒場の住宅地です。

花崗岩をつんだ外壁と吹き抜けに架かるブリッジが斬新な区立美術館で、1981年(S56)に開館した。収蔵された美術品の展示だけでなく、「絵画教室」や「コンサート」の開催など多彩な企画で人気の美術館

松濤美術館

駅を出た正面100m先が「正門」です。東大生全員が「前期」2年間をここで過ごし、大半の学生は「後期」2年間の専門課程は「本郷」に移ります。しかし、他大学の「教養部」と異なり東大「教養学部」には、「専門課程」があり4年間ここで教育を受ける学生もいます。ちなみに、2016年「オートファージィの仕組みの解明」で「ノーベル生理学・医学賞」を受賞した「大隅良典」氏は、この教養学部の卒業生です。

 

駒場公園「南門」(裏門に当たります)から入ります。東大駒場「西門」から50メートルしか離れていません

1966年(S41)年に、駒場公園の一角に開館した明治以降の文学資料を収集・保存・公開する総合資料館。所蔵資料の総数は120万点を超え、著者やその遺族などから寄贈された肉筆の原稿や書簡を数多く所蔵している。企画展の開催や作家の朗読会など、さまさまなイベントも開催されている。

日本民藝館

「本館」の向かいにある「西館」は柳宗悦の旧宅で、石屋根の長屋門は栃木県宇都宮郊外から移築されたもの。現在、本館及び名古屋門が登録有形文化財に登録されている。

「民藝運動の主唱者である柳宗悦が、自分が収集した工芸品を一般に広く公開したいと考え、実業家大原孫三郎(大原美術館の創設者)の援助を受け1936年(S11年)に開設した施設の本館

駒場公園周辺の住宅

駒場公園周辺は閑静な高級住宅街になっいます。これは゜「前田侯爵邸」この地に建てられた時、旧加賀藩の家老などの重役人が周りの土地に居宅を構え,住んだことで今に続く都内有数の高級住宅地となっています。

東大駒場Uリサーチキャンパス

 

元は、1921年(大正10年)設立の「東京帝国大学航空研究所」の敷地であった(零式艦上戦闘機の開発に使用された大型風洞は現在も残されている)。1964年(昭和39年、)同研究所は「宇宙航空研究所」に改組。1981年(昭和56年)、「宇宙航空研究開発機構(JAXA)」に再改組され同機構は相模原に移転。その後1987年(昭和62年)、「東大先端科学技術研究センター」、2001年(平成13年、)「東大生産技術研究所」が立地し現在に至っている。

東門への進入路です。「案内板」は左手に写っています。正面の住宅の奥の植木の所が「駒場公園」です。

駒場Uキャンパス東門(裏門に当たる)入口の「案内板」です

裏側から見た「生産技術研究所」の建物です。

正門を入って右手(東側)の駒場博物館(旧図書館)です。S10年建造

「駒場コミュニケーションプラザ」を出て来たところです。先のほうに見える銀杏並木は、キャンパスの中央を東西に連なる道路で両側に新しい建物が連なっています。

キャンパスの北側の「グラウンド」です。

キャンパスの東端に「駒場池」があります。本郷キャンパスにある「三四郎池」をもじって、「一二郎池」という愛称がついています。

「数理科学研究科棟」の北側に「駒場コミュニケーションプラザ」があります。ここには以前学生寮があったそうです。今は、生協など「福利厚生」関連の施設となっています。、ここの「カフェテリア」で休憩し昼食タイムにします。

正門から入って右手(東側)に6階建の「数理科学研究科棟」があります。ここは、本郷にあった理学部数学科をふくむ、東大の数学関係の教育・研究を全面的に担っている拠点施設です。全学部1〜2年生の数学教育から大学院生の指導まで担っています。「数理科学研究科」には、60数名の教員と約200名の大学院生などが所属しています。

閑静な住宅街にある約5000uの公園。江戸時代には紀州徳川家の「下屋敷」が、明治時代には佐賀鍋島家が開いた茶園「松濤園」があった。茶園廃止後、高級住宅地として分譲されたが池を中心とする一部が公園として残され、現在区立公園として公開されている。

正門を入って左手(西側)の900番教室(旧講堂)です。S13年建造