コロナ禍のなかお茶教室が再開しました。

日記帳
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こんにちは!inokomochiブログです。

コロナ禍があきらかになってどれくらい経ちましたでしょうか。上京のついでに、と地元の職場仲間がこちらに顔を出してくれたのが、3月の末でした。横浜港のダイヤモンドプリンセス号の騒ぎが収まり、大黒ふ頭にはもう姿がなかったのを、お茶したホテルラウンジから見たのを覚えていますから。。。

4月から、だとしてももう3か月になるのですね。

再開したお茶教室では、あらかじめ希望を出していたお弟子さんのみが、先生の指定した時間割でお稽古を見てもらっています。1コマに2人ずつ。50人弱の社中がいる大きな教室ですが、県をまたいで通う遠方の方や高齢の方も多く感染のリスクを避けたいと、自主的に控えている方も多いみたいです。

さて自分の時間は15時からの90分。とはいえ夕方からくるお弟子さんは小学生で、学校やほかの習い事もあり(ほんとに忙しそう)後片付けまではいられないので、なんとなく最後まで稽古を見たりお客さま役をやったりして、片付けてから帰るような感じ。もちろん先生に伺って了承を頂いたうえで、ですが。(点前手続きだけが稽古じゃない、という家元エッセイを読んでから、水屋こそお稽古という呪いにかかっている(笑)。)

お茶室で久しぶりにお濃茶を練りました。

ご存じのとおり、お濃茶が茶事の本懐。お点前の一連の動作で緊張と弛緩をこころのなかで感じることができます。気持ちの集中をうーんと高めて気持ち良く汗をかきました。久しぶりでしたけど前半は手順を飛ばさずできて、自分えらい(笑)。ですが後半、お茶を出したあとはもう気がゆるんで「アレレ。。。」なことばかり。失敗のカバー方法を先生にご指導いただきました(笑)。あるあるです。

いつもの濃茶の稽古は、濃茶をたてるふりをして、実際には薄茶を泡立てています。

でも、濃茶は回数やらないと美味しく点てられない。そもそも薄茶とは使う抹茶の量が違う別の飲み物みたい。びっくりします、、多い!はじめはほんとうにこの量で???と驚きました。そんなわけで先生の用意してくださるお抹茶では稽古コストがかかりすぎて、お濃茶点前はやっても本物を点てることは通常しませんのです。

前の教室でも当然エア濃茶で、本当に練りたいのならば抹茶を自分たちで購入して持ち込みしていました。自分も後半そのグループに混ぜてもらって、一缶用意するたびにお金を代表者に預けていました。何度か教室で先生に指導頂きながら練ったおかげで、美味しい、、、とまではいきませんが濃茶らしきものを練ることができるようになったものです。

しばらく濃茶点ててないし、ちょうど今回のコロナ禍でギャラリーのお弟子さんが少なくなったこともいい機会だと思い、先生に改めて濃茶の練り方を見てもらうことにしました。もちろん先生に事前に伺いをたてて、濃茶は自前。未開封のものを一缶持参。

お稽古科目を『風炉 濃茶 茶碗荘』にして先生に見て頂きました。お客さま役はいつもは他曜日に通っている姉弟子Xさん。普段かかわりの少ない姉弟子につたない濃茶を飲ませることになってしまって大恐縮だったのですが、、、快くお客さま役に入ってくださって本当にありがたかったです。(このXさん、このあと謎の行動に出て、いまいち信用できない人だなという印象ができてしまったのですけども。。。その話はまた次回にでも。)

お濃茶の仕上がりはフワリと立ち昇るお茶の香りと、表面のつやで判断します。持参の一缶は廉価版の濃茶用お抹茶でしたけども、開けたては味も香りも格別に良い♡ 練っていてもすぐに香りが立つものだから「ほんとにこれで出来てる???」と不安になったほどでした(笑)。頃合いを見てお茶を出し、先生からも「まあまあよいでしょう」とマルを頂くことができました。飲み終わって返ってきたお茶碗に残った跡を確認。お茶がダマになっていた様子も無く薄すぎもなく、変なものをお出しせずにすんだことにホッとしました。

お茶室は落ち着くし、先生からお茶のお話を伺うのも楽しい。コロナウイルスの運び屋になってしまうかもと思い悩みつつも、出席して良かったな、と思いました。コロナ前のように大勢での稽古となると密接が過ぎるけれど、時間割で区切って、少人数で、換気に注意していれば大丈夫な感じじゃないかな。7月は今、来れているお弟子さんを中心にお稽古をする予定とのことです。嬉しい(*^^*)。 自分が行けないからと言ってほかの弟子にもお休みを強要したり、今出ている弟子を「無理にわがままを言って稽古してもらっている」と吹聴している先輩がいると噂に流れてくるのですけど本当でしょうか。そういう噂を教えてくれるひとも含めて、面倒くさい。

このたび、わたしの先生が貸してくださった裏千家業躰(ぎょうてい)長の鈴木宗保氏のエッセイ。すでに鬼籍の人ですが大正昭和の歴代裏千家宗匠に仕えた大先生の本です。出版から45年がたっているのに文章が読みやすい。今は美術品として美術館に収まっているものが普通に世の中に流通して使われていることや、当時の数奇者が存命で、その交流についても詳しく記載がある貴重な一冊です。

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