置賜地方の獅子舞、百足獅子の系譜を探る

山形県置賜地域は、明治初期の旅行家·イザベラバードが「東洋のアルカディア」や「エデンの園」と称えたほど豊かな暮らしと農村が広がっている地域だ。東北で唯一この地を称賛したのはなぜだったのか。おそらく中央政権の力が及びきらず民衆の力が強い土地だったのではないかと思えてきた。僕は山形から米沢行きの電車に乗り、赤湯で乗り換えて長井に向かった。印象的だったのは、空を映す青々とした水田と列車から見える徐々に開けて行く米沢盆地の雄大な眺めだった。

 

この地は古くからの交通の要衝であり、陸路と海路で様々なものや情報、文化が伝えられたのだろう。置賜地域の獅子舞は、富山由来の百足獅子が見られる。また、山形の獅子舞の特徴からして、海側に近づくにつれて天狗の登場する獅子舞が多くなることからも富山県や石川県周辺との交流は明らかである。石川県で獅子舞を取材している僕は、まずこの点に興味を持ち、置賜地域を中心に山形県の獅子舞の取材を始めた(2021年5月22日の記録)。

図書館での調査(山形県立図書館)

安彦好重『出羽の民俗芸能』(みちのく書房, 1997年)によれば、山形県内には百余組の獅子舞があり、しし踊りに近い頭をかぶるものもある。また、神事神楽の中の獅子もある。県内で最も獅子舞が多いのは、長井市白鷹町で合わせて54組伝えられている。次に多いのが鶴岡市の23組、その次が酒田市の19組で、庄内の最上川流域と続いている。長井は黒獅子だが、海岸沿いになると獅子の先払いの形で天狗が登場する「天狗舞」が多くなる。

佐藤源治『獅子と獅子舞』(獅子玩具館, 1991年)によれば、長井市の獅子舞は飯豊町、小国町にも及び、一部獅子舞ではなく「獅子振」と呼ぶ地域がある。本家と言われるのが宮の獅子舞で、獅子連中は約20名、曲目は千鳥、六法、おみ坂下り、警固がかり、橋渡り、獅子とめ破り、お神酒などである。獅子の下顎を掴んで制御する場面はあるが、力比べのようなものはない。小出の獅子は宮と同じくらい古いと言われ、獅子と警固の格闘が迫力がある。

白鷹町教育委員会『しらかたの獅子舞』(1990年)によれば、百足獅子で最大なのは、西村山郡朝日町宮宿の豊龍神社の豊龍獅子舞である。長さ10メートル幅4メートルの幕に5~60人が入って寝ることになっている。置賜地方の獅子舞は笛太鼓のメロディー及び舞い方で大きく2つ又は3つの系統に大別される。1つ目が鮎貝八幡宮系の「七五三獅子舞」、2つ目が長井聰宮神社系で「蛇頭」と呼ばれる獅子舞、3つ目が長井聰宮神社系とも似たメロディーの浅立系の獅子舞である。獅子幕によって分類するならば、主流は波模様と飛沫が染め抜かれた長井聰宮神社系、そのほかには水玉だけの長井草岡、縞を染めた浅立、背中の縞だけの飯豊手の子、唐草模様の川西町小松などがある。獅子頭の特徴によって分類するならば、鮎貝八幡宮系の唐獅子系と長井聰宮神社系の蛇頭である。

図書館での調査(長井市立図書館)

「長井のひとびと」編集委員会『特集 おしっさま』(平成9年3月)によれば、長井市の百足獅子は2人立ちの獅子から枝分かれして発展したと考えられる。発生源は謎だが、上からではなく下からつまり民衆から沸き起こった獅子と考えられる。その証拠に、箕を2枚使った獅子頭と蚊帳の獅子幕を使用したと考えられるからだ。

 

百足獅子の出現背景は、獅子を大きくしたいという気持ちがあったはず。大きくするということはそれだけ獅子の威力を強めると共に、共同体の多くの人が参加できる獅子舞であった。つまり、この本によれば「共同体総合参加型の獅子」と呼んでいるそうだ。また、大人に肩車された獅子児たちが獅子めがけて突進して獅子の頭を叩いてからすぐ自分の頭を叩く。これは獅子の霊的な力を自らに取り入れようとしていることが推測できる。無論、百足獅子に参加することは霊的な力にあやかりたいという気持ちの現れだろう。ここで考えうる百足獅子の成立年代として、民衆社会が社会的経済的文化的な成熟が必要なことを考えると遡れたとしても中世後期まで。多くは江戸時代以降の成立と考えた方が良さそうとのこと。

 

また、もうひとつの出現背景として、水への信仰との関わりがあり、獅子を蛇に向かわせるために、むかでに至ったという説もあるという。関東各地で蛇体を藁などでつくって大勢で担いで雨乞いなどを行うのと似ている。また、この百足獅子と発想が似ている存在として、北陸中部の「蛇獅子」「へんべとり」などがあり、蛇は邪に音で繋がることから邪を退治する表現のようだ。

 

置賜地域の獅子舞は加賀の獅子殺しの舞ほどには負の性格が強くはないが、「角力や口取り」という役の者が獅子を押さえ込むことで獅子をコントロールするという発想とのこと。角力が登場する背景としては、草相撲が盛んな土地柄であり、この天狗などの怪しげな霊力を持つものではなく非常に民衆に近い存在が獅子をコントロールするのだ。

 

百足獅子に2つの形態がある。1つ目は「素手型」で、獅子の幕のなかで素手で支えるという型で、置賜地域は全てこれだ。2つ目は「枠入れ型」であり、幕のなかに竹や木枝、パイプなどを入れて身体を作る型である。少ない人数で大きく身体を作るために開発されたのが後者で、前者の方がより昔からある形態のようだ。

 

第31回 長井黒獅子まつり

角力(警護)のかっこよさ半端ないというのが、はじめの印象。基本的には金三千円から一万円がご祝儀の相場。鳥居をくぐり、会場の回りをパクパクしながらご祝儀をもらいながら回る。後半は角力との力比べ。獅子が角力をけしかけるが動じない。最後は角力が横から獅子頭をわしづかみにして、獅子は暴れまわり、最後に拝殿に獅子の首を供えて終わる。これは確実に実際の狩猟を模していると感じた。最後の最後は鎮魂で終わるんだなと思った。東北の供養系の芸能の影響だろうか。とても東北らしいと思った。以下、Youtubeライブ配信の解説で聞いた様子を交えながら振り返る。

 

日程

17:00~ 開会セレモニー
17:30~18:25 第1部(五所神社, 八雲神社 交代制演舞)
18:45~19:10 第2部(白山神社, 皇大神社 同時演舞)
19:30~19:55 第3部(聰宮神社 演舞)

 

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以下、ながい黒獅子まつりのYoutubeライブでわかったこと。

(獅子宿の渋谷さん、とってもお詳しい!)

 

長井の黒獅子の特徴

長井の黒獅子の特徴は顔を覆うようなたてがみ、飛び出した目玉、口が90度以上開く、大きな歯うちを行うということである。鼻ひげはヒマラヤなどに住むヤクの体毛、それが振られるたびに厄払いが行われる。獅子の髪はだんだんと黄色くなっていく。お祭りの時の太鼓の三つ巴のマークは、お祭りの家紋で神社のお祭りであることを表している。幕を広げて下につかないようにするのが大変。人が少ないほど幕が擦れるので、気を使う。6人だと大変。わらじの履き方を見ると、ベテランか新人かがわかる。わらじに使う稲も、丈の長い品種を植えて手刈りで仕込む。警護は獅子舞が上手で品格があるふさわしい人が選ばれる。相撲を取って前の人に勝たなければやらせてもらえない。提灯は田楽提灯を見ることができるが、「下馬下城」という文字が書かれている。殿様でさえも馬から降りねばならないという意味で、聖なる行列を邪魔してはいけなということのようだ。獅子が警護に絶対服従だ。獅子がちらっと見返すのは歌舞伎の見栄の影響かもしれない。激しい歯打ちの後は、獅子も欠損が目立つ。柳が一番丈夫で作りやすい。歯打ちの回数は神社によって異なる。聰宮神社系統だと、何もなし(1回)、お神酒(2回)、ご祝儀(3回)となっている。近頃は毎年、祭りの日に雨が降る。水神様、雨乞いの獅子というのが関わっているのかもしれない。獅子は波模様であるように、獅子は八の字を書いて進む。洪水というマイナスの力を信仰によってプラスに転じるということを意味している。女性が笛に参加するようになったのが平成になってから。少子高齢化と担い手不足の影響だ。アスファルトの上での獅子舞は、わらじがすぐにボロボロになってしまうので大変。境内に火を灯すのは、火渡りなどから分かるように、山伏由来である。篝火には周辺を清めるということと、目印という意味もある。獅子舞はベテランかわかるのは、足捌きの動き。獅子幕の中では様々な攻防があり、フォーメーションの入れ替わりなどがある。男性の荒げる声、規律を保つという感じ。太鼓を支える台が重い、現在は車輪をつけているが、昔は背負っていた。お腹に響く、和太鼓の音。赤ちゃんがお腹の中にいたときに一番近い音のようだ。牛の革を使っている。獅子頭はお歯黒の場合がある。これはお神酒を拭き取る際などに擦れて金の部分が剥がれた場合と、女性のお歯黒を表現した場合とがある。中で獅子振りが交代する場合があり、それも右回りと左回りとがある。長井市は黒獅子が基本で4箇所あったしし踊りはなかなか継続が難しくなっている。黒獅子は文化祭などを通して、子供が獅子舞に触れる機会などもできているようだ。今まで渋谷さんは獅子頭を200体くらい掘ってきたとのこと。その中で、今回登場するのは、五所神社の新調した獅子頭や、聰宮神社の獅子頭などである。獅子頭を滑らせるように動かして、上下させないのは蛇が由来であるからだ。雨が降ると幕が重くなって、口が閉じなくなることがある。原始的な脱水方法ということで警護棒に幕を巻きつけて、水を絞ることがある。また、幕の中に入る人の装束が白いのは修験道の死装束を意味する。祭り後の幕洗いで罪穢れを流してしまうという意図である。化粧回しは菊の御紋である。警護は特に、日頃見ることのない男性らしさがよく見え、格好よさを感じる。祭りの季節は太鼓の音が神社から聞こえてくる。

 

五所神社(寺泉)

五所神社は突き出すような見返しが特徴である。大きな「歯うち」が印象的で、その空間を祓い清めるという意味があるようだ。獅子に対峙する警護は警護と副警護がいる。五所神社の警護は裸足なのが痛そうだ。角力(すもう)ともいう。中の人が見えないように口幕を内部につけるのが一般的だがお神酒を入れるために、口幕はつけないとのこと。警護は高いところから見るのは失礼だということで、病院の窓から見ていた患者を引きずり出したという逸話もある。警護の棒は、獅子舞の足を叩いたり幕からぽこっと山になったように見える頭をぽこんとたたくこともある。獅子頭は軽くて6.5kgとのこと。提灯持ちの背中には、出羽三山の版が押されている。幕の模様は荒波が見え、野川を竜神となって下ってくるということを表現しているとのこと。染屋さんによって染め方が少し違うようだ。「警護がかり(警護に襲いかかるという意)」は獅子と警護の力比べだ。獅子の急所と言われる、首のたるんだところを掴まれると動けなくなってしまう。口を開けて喘ぐような仕草をするところもある。獅子が足を開いて踏ん張る。最初の一回めでは、獅子は神社に入りたくないこということで、逃げてしまう。その後、五所神社の氏子の総代の方々が集まりだす。2回目の警護がかりで獅子は神社に入る。首が祭壇に供えられる。

 

八雲神社(久野本)

マスクは黒く垂れ下がった模様。中津川のおおたさんの獅子頭五所神社のたてがみに比べてクリーム色。だんだん短く風化していく。口幕が付いている。手で裂いたものを財布に入れておくとご利益がある。鳥居を潜りたくない、臆病。それで警護のなすがままに従っていくということがある。顔も五所神社と違い、目力が強く緊張感がある。とても幕がながく、菊の紋が入っている。獅子の顎に手を入れている。持ち方が特徴的。こちらは五所神社と違って裸足ではなく、白足袋を履いている。警護棒を獅子に咥えさせるというシーンもあった。これは珍しい。正面から警護を睨む。最後の歯打ちで魂が抜ける。

 

白山神社皇大神社(小出)

お囃子の人がとても多く、女性が多い印象。ここもかなり幕が大きい。雨が降ってきた。幕が重そうだ。幕さばきを行う後ろの舞い手に対する負担が大きい。途中から、ステージ方面から皇大神社の獅子が参上。2対の獅子が同時に舞っている。動きをシンクロさせるのはなかなか難しい。ご利益も2倍である。家で神社の獅子を迎えるという迎え獅子が始まりで、2対一緒に出るようになったといういわれも伝わっている。遊び足りないという風に、後ろを振り返りながらゆっくりと人事にはいっていく。獅子舞の影が魂のように見える。幕を引きずるように終わるというのが独特の終わり方。小出の獅子振りというのは、長井市の指定無形文化財である。

 

④聰宮神社(宮)

辺りは真っ暗になり、篝火が目立つようになってきた。移動の速度が速くて勢いのある獅子舞だ。幕の中で、かなり密になっている様子。警護は新しい人になった。恰幅が良くて、草相撲の優勝者という起源を感じさせる。だいぶ力のこもった獅子振りになっており、緊張すると獅子頭が斜めに曲がってしまう。尻尾を持つ役割は大変で、置いて行かれる時もある。聰宮神社の獅子は幕の人数がとりわけ多く、六町の合同で行っているようだ。警護係の時に獅子の中の人が足がくっついていて綺麗である。聰宮神社の足元は以前は雪駄だった。すんなり警護に導かれるでもなく、「おみさかのぼり」で階段をのぼる。後ろを振り返りながら、徐々に階段を登っていく。聰宮神社は様々な神社が合祀して、聰宮になった。聰宮神社は長井小学校の校歌にも登場する。

 

ながいの獅子舞は総じて、まず迫力がある。大人数で行っているからだろう。その分、共同体に開かれている印象もある。そして、中央のお祭りが白つつじ公園であるということで、横のつながりもできやすい。警護の迫力は相当で、プライドも大きいように感じる。伝統を感じる獅子である、そして獅子頭がとてもユニークだ。鼻毛をつけるのはユーモアだと聞いたことがある。ヤクの毛を使うというのは興味深い。それにしても、コロナ禍で工夫してこのように開催できたのはとても良かった。