──『銀河鉄道の父』では、自分の道を探るために奔走する賢治とその姿に振り回されながらも温かく見守る家族の愛が描かれています。菅田さんは高校生で自らの道を見つけていますが、家族に支えられているなと感じるときはどんなときですか?
「すべてがそうですけど、たとえば、僕は食べ物の好き嫌いがない。これ、結構まわりに驚かれるんですよね。それは、母のおかげだと思いますし、この話の特筆すべき点は、うちの父は好き嫌いがものすごく多いということ。きっと、我が子は何でも食べられるようにと、おそらく、父には内緒で僕らにいろいろなものを食べさせてくれたのだと思います。うちは男3兄弟なので、きっと大変だったと思うんですよね。そこには大きな母の愛を感じますね」
──ふとした瞬間にお母さんの愛情を感じますね。
「僕は、高校一年生で上京してこの世界に足を踏み入れたんですが、高校生の頃って、僕も年頃なので親父とそこまで仲良くもないし、喧嘩もするんですよ。でも、僕は上京しているので、協力せざるを得ないわけです。一人で家も借りられないし、初めて仕事するときは何をどうしていいかがわからない。その中でいろいろと動いてくれる父を見るとやっぱりすごいなと思うし、この人がいないと僕は生きてはいけないんだなと都会に一人でいると感じるわけです。そのときに、親の偉大さを感じましたね」
──ご両親は、菅田さんの夢を最初から応援してくださっていたんですか?
「そうですね。ただ、わりと学業に対して厳しい家で、僕もその頃は学校の先生になるつもりだったので、大学もいきなさいと言われていました。それを成し遂げたら好きなことをしていい、みたいなルールはありましたね。上京するときも、これが一生続くわけではないから、きちんと継続してやることはやりましょう、みたいな感じでした」
──それは素直に聞き入れていたんですか?
「いや、大胆に無視していました(笑)。俳優業をやりながらそれはムリだろうと思いながら。でも、そう言ってくれた両親の気持ちはありがたいなと思います」
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好きなことを見つけるための試行錯誤について……。