ファンキー加藤「自分に意地を張り続けた」激動の10年振り返る…13年解散ライブは「今でも真っすぐ見られない」

スポーツ報知
ソロになってからの10年を振り返ったファンキー加藤(カメラ・頓所 美代子)

 「FUNKY MONKEY BΛBY’S」のファンキー加藤(45)が、ソロデビュー10周年を記念した4年ぶりの新曲「優しい光」を2月14日にデジタル配信した。人気絶頂だった2013年に解散した3人組グループ「FUNKY MONKEY BABYS」を21年に一夜限りで復活させた後、「―BΛBY’S」としてモン吉(45)と2人体制でスタートを切った。4月28日には東京・日比谷野外音楽堂で開催するソロデビュー10周年記念ライブを前に、加藤が激動の10年を振り返った。(増田 寛)

 時折、語尾に「~っすね」を交えながら質問に答えるさまは、地元にいる“近所の兄貴”をほうふつとさせる。相談事をすれば背中を押してくれそうな雰囲気は、ファンモン時代の「ちっぽけな勇気」「あとひとつ」など、20年以上も応援ソングを歌ってきたからこそ、醸し出されるものなのかもしれない。ただ、加藤の捉え方は少し違った。

 「応援ソングの歌詞って、実は自信のなさから来てたりします。自信がないからこそ、歌詞や言葉で鼓舞している。何よりも自分自身に向けているところもありますね。言霊という言葉があるように、歌にして言っていれば、本当のことに近づいていく気がします」

 現在までソロ活動を続け、特に自分の自信のなさに気がついた10年でもあった。

 「自分自身のことを褒めることはできるか、自分自身誇れるような瞬間は来るのか、自分自身を許すことができるのか。ソロ活動は自分の気持ちと対峙(たいじ)している時間が多い。うまくいかないこともやっぱり多かった。自分に意地を張り続けた10年だったかな」

 時には「ファンキー加藤」の肩書を捨てたくなる時もあったが、逃げずにここまで来られたのは音楽のおかげだという。

 「プロとして曲は売らないといけない、ライブも集客しないといけない。『分かる人にだけ分かればいい』みたいな姿勢に憧れたりもした。でも、自分には才能もカリスマ性も歌唱力もビジュアルも何もないなと思った時に、応援ソングのような誰もが共感できる“お茶の間ミュージック”から逃げたらダメだなぁと。あと、逃げることを周りが許してくれなかったかな(笑い)」

 2月には加藤にとって4年ぶりのソロでの新曲「優しい光」で母親への感謝を歌詞に乗せた。ファンモンの代表曲「ヒーロー」は父親に向けた曲で「すごい素直におやじに聴いてもらえた。世間一般の父親に照らし合わせながら書いた部分が多い」と話すが、新曲は「母親と一緒に聴けない。恥ずかしくて…」とパーソナルな部分をさらけ出した。

 「10周年みたいな特別な機会でないと書けなかった。歌詞はガッツリ自分の母親に向けた。曲と向き合って、歌詞を考えていると、どうしても自分の思い出や経験したことがにじみ出てきてしまう。それをそのまま歌にしました。ソロだからこそできたことですね」

 2004年に東京・八王子出身の3人が集まり「FUNKY MONKEY BABYS」は結成された。06年にメジャーデビューし、09年にはNHK紅白歌合戦に初出場。順風満帆に見えるが、加藤は「本当にギリギリ。精神的にも体力的にも、ものすごいスピードで活動していた。もうこれ以上は無理だっていうぐらいまでスピードを上げた。忙しくなればなるほど、メンバーもギスギスして。限界が来ていた」と振り返る。

 メンバーのDJケミカル(41)が住職に専念することを理由に解散を決定。13年6月には東京ドームでラストコンサートを開催した。ただ、加藤はいまだに「あの時のライブ映像は今でも真っすぐ見られない。あのドームはいまだに自分の中でいまいち消化しきれてない」と明かす。

 「僕らは、いずれケミカルがDJをやめて住職になることは分かった上でのファンモンの活動だったので、いずれゴールは来ると分かっていた。大きな場所でゴールテープを切れる。そのことの喜びや安堵(あんど)感が大きかった。ただ、ファンの皆さんは、やっぱり悲しいとか寂しいという感情の方が大きかったと思う」

 13年11月、加藤はすぐにソロとして八王子からライブ活動を再始動させた。グループ解散には納得していた一方で「自信がなく焦っていた」という。「休みの時間を設けちゃうと、みんなに忘れられてしまうかもしれない不安はあった。でも、ネガティブな感情は、常に自分が前に進んでいく原動力になっている」

 21年、ファンモンはTBS系音楽特番「音楽の日」で8年ぶりに一夜限りの復活を果たした。ただ、「最初はずっと(復活を)突っぱねた。やっぱり『もっともっとソロで成し遂げないと』という意地を張ってた。ファンモンという巨大な思い出をどれだけ遠ざけられるか―。そればかり考えていた」。そんな意固地な考えを変えたのは、意外にもコロナ禍だったという。

 「2020年春の時期に、大規模なライブハウスツアーを予定してたけど、コロナ禍で軒並み中止になった。もし普通にツアーをやっていたら、ファンモンの再結成は突っぱねて意地を張り続けていたかもしれない。でも、コロナ禍は意地を張るところも、踏ん張るステージも場所も消してしまった」

 同年、モン吉との2人体制で、グループ名も「FUNKY MONKEY BΛBY’S」と表記を刷新して再スタートを切った。「このグループはやっぱり看板がしっかりと大きい。それに見合った楽曲をできるだけたくさんの人にしっかりと、老若男女問わずしっかりと広がっていくような、大きな波紋が広がっていくような楽曲を作りたい」

 ソロ活動にも意地がある。「ファンモンでは自分自身を押し殺しているわけではないけど、自然とそうなってしまう時もある。それがソロでは解放できる。ソロの方はズボッと深く突き刺していけるか。自分の音楽で元気になってほしいっすね。曲がバズったりしたらそれはそれでうれしいっすよ!」。自分自身にも言い聞かせながら、今日も誰かにエールを送り続ける。

 ◆ファンキー加藤(本名・加藤俊介)1978年12月18日、東京・八王子市生まれ。45歳。2004年に「FUNKY MONKEY BABYS」を結成。06年1月「そのまんま東へ」でメジャーデビュー。09年からNHK紅白歌合戦に4年連続出場。13年6月、東京ドーム公演を最後に解散。14年2月「My VOICE」でソロデビューし、同9月に日本武道館で公演。血液型A。

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