萩本欽一 インタビュー ロングバージョン

スポーツ報知
ポーズをダンディーに決める萩本欽一(カメラ・竹松 明季)

 タレント・萩本欽一(82)が司会を務める日本テレビ系「欽ちゃん&香取慎吾の全日本仮装大賞」が3年ぶりに復活し、12日午後7時から放送される。ゼロから一つの作品を作り上げて披露する視聴者参加型の番組として、1979年にスタート。今回99回目を数える。萩本が復活を決めた理由や前回放送(21年2月)の際に発した“勇退宣言”の真意、2002年からコンビを組む香取慎吾(47)について語った。(加茂 伸太郎)

 思わず胸が熱くなった。収録の冒頭、「前説でお客さんとなじんで来てください」と勧められ、ステージに立った欽ちゃん。割れんばかりの拍手と歓声に「あれだけの拍手をもらえるなんて。長い間、お客さんの前に出てきたけど、あんなに大きかったのは初めて」と喜びをかみ締めた。

 誰もが待ちわびた3年ぶりの「仮装大賞」復活。客席から「欽ちゃ~ん」「ありがと~う」の声が飛び、ハンカチで涙を拭う人の姿もあった。

 「あそこでしゃべったら、詰まっちゃいそうで。(途中から)しゃべれなかったね。もう、泣かすなよ!って。頭の中では『笑いの番組をやりに来たんだから。これに乗っちゃダメ。こらえなきゃ』って。どういうシャレを言おうか、ちょっと乱暴なツッコミも考えていたけど、(感情が)メチャクチャで。客席を見ていられなかったよ」

 1970~80年代前半にかけて、日本テレビ系「スター誕生!」、フジテレビ系「欽ちゃんのドンとやってみよう!」、テレビ朝日系「欽ちゃんのどこまでやるの!」などの人気番組の司会を務め、“視聴率100%男”としてお茶の間を席巻した。「仮装大賞」は、萩本が79年から45年続ける、現在唯一の冠番組。復活に至るまでのこの数年は、紆余(うよ)曲折があった。

 「今回で私、この番組終わりね。長い間ありがとう」

 萩本は21年2月、同番組(収録は20年12月)の中で突然、勇退を宣言した。周囲の喧騒(けんそう)をよそに、その意志は固かった。

 「体力的に無理だったの。日本テレビに相談するのもなんだなと思って、会場でぶちまけちゃった(笑い)」

 それからは、日本テレビのプロデューサーが定期的に自身を訪ねてきた。その都度、出演を打診されたが、首を縦に振らなかった。

 2年半近くが過ぎた23年の春、萩本に心境の変化があった。「会うと、気分で『やります』と言っちゃうから、初めは(所属事務所の)社長に断ってくれと伝えたの。ただ、82歳のタレントに3、4年がかりで『出てください』ってさ。こんなにありがたい言葉はないじゃない。『僕は幸せ者です。ありがとうございます』って、直接お礼だけ言うことにしたの」

 少人数を条件に、日本テレビの社員2人と会うことになった。そこに“切り札”として送り込まれたのが、今回の番組演出を手がけた田中裕樹氏だった。報道畑を歩み、萩本と番組作りをしたのはディレクター時代の同局系「笑いの巨人」(02~03年)の一度きりだったが、当時、「仕事相手じゃなくて友達になってください」と大胆告白。それ以来、仕事の関係を抜きにして不定期で会い、20年以上の交流が続いていた。

 「あいつはね、昔、オレの前で『頑張って萩本欽一の番組を作るんだ!』って叫んだヤツなの。その男が『私がやります』って手を挙げてさ。『仮装は続けてください。強いては後ろから、ちょっと応援だけさせていただきます』と伝えたけど、オマエが出てくると(事情が)変わってくると言ったんだ」

 萩本の番組選びの基準は一貫している。内容より、人。その人に惚(ほ)れたかどうかだった。「これまでも番組に惚れたことはない。番組を作る人間に惚れただけ。オマエを失敗させるわけにはいかない、いい思いをさせてあげたいっていうね。人に惚れると、人間って動くんだよ。人に惚れて動くと、成功するっていうのがあるね」

 毎週のように訪ねてくる田中氏から、演出方法や企画の相談を受けた。「慎吾7割、欽ちゃん3割」という希望に沿って、萩本はステージに用意されたイスに座って進行。バニーガールを廃止し、自ら合格者にメダルをかけることにした。

 「オレは『やる』と言ってないのに、『こういうのがいい』『これがいいと思う』って相談しに来てさ。オレは82(歳)だけど、あいつ(田中氏)は83歳の言葉を持っているの。突然、30歳の言葉にもなる。この二面性にやられて、言われた通りに番組を応援していたら、いつの間にか本番に出ていたっていうね…。まんまとダマされたよ(笑い)」

 本番当日も体力的な不安を払拭(ふっしょく)できず、収録をやり遂げる自信がなかったというのが本音だ。事前に、田中氏には「(全体の)半分で『しんどい』ってなると思う。その時は言うから」と耳打ちしていたが、結果は全く違っていた。「あと、いくつ残っている?と聞いたら、『大将、演目は3つですよ。あと少しで終わりですよ』って言うんだよ。いけるねと思ったね。限界かなと思っていたけど、いっちゃった。そのぐらい(楽しくて、時間を忘れるぐらいに)出場者に喜ばせていただいていたというか。自分でも、よくやったなと思う。ビックリしましたよ」

 その裏には、02年から20年以上コンビを組む香取慎吾の存在が大きかった。「今回は慎吾が相当頑張ってくれた。覚悟を決めたみたいだった」と奮闘ぶりに目を細める。

 「慎吾から『欽ちゃん任せとけ。いつもと違うよ』っていうのを感じたの。楽屋に帰ってきて言ったのよ、『オレの思っていた慎吾が来たな。今までで一番面白い』って。(普段以上に)やってくれている気がして、頼もしかったし、やりやすかったね」

 2006年に肺気腫、22年7月に軽度の脳こうそくを発症したが、幸いにして後遺症はなし。1日に最大60本ぐらい吸っていたたばこも電子たばこに替え、大幅に本数を減らした。「吸うのはたまに、にして。付き合いだけですね」

 次回は節目の100回を数える。「慎吾が『100回目は盛大に。ドームでやる』って言うんだよ」と苦笑い。先のことは何も決まっていないが、1か月半以上たった今なお、ステージに戻った時の光景が脳裏から離れない。

 「帰ってきて良かったのかもしれないな~って。幸せなひとときでしたね。あれだけの拍手をもらったら、もう、やめるなんて言わねえよ」

 スマートフォンの普及とSNSの台頭、娯楽の多様化など、様々な要因によってテレビを取り巻く環境は変わってきた。それでも、テレビと共に成長してきた萩本は「テレビと仕事するのは、これからが面白い」と断言した。

 「言ってみれば、古典(芸能)になっている。何が古典かって言うと、作る人たちが工夫して、うまく作るのに慣れてきちゃった。仕事は速いし、こういう時はどうしたらいいか(のマニュアル)ができ上がっている。きれいな言葉で言うと、うまくテレビができるようになった」と解説。テレビの未来には「未完成だった時代から(成熟期を迎えて)完成しちゃった。(どの番組を見たって)みんな一緒だもん。リズムを一つ変えるだけで新しくなるんだよ! やることはまだ、いっぱいあるんじゃないかな」と話し、多くの魅力が隠されていると説いた。

 ちなみに、自身はザッピング派。「1つの番組を最初から最後まで見ているとういうのは数少ないですね。衛星みたいに、グルグルと回っているよ」と話した。

 ◆萩本 欽一(はぎもと・きんいち)1941年5月7日、東京都出身。82歳。59年、高校卒業後の浅草東洋劇場の軽演劇一座に加わる。61年座長となり、浅草新喜劇を作る。66年坂上二郎さんと「コント55号」結成。「欽ちゃんの週刊欽曜日」「オールスター家族対抗歌合戦」「欽ドン!良い子悪い子普通の子」などに出演。2005年社会人野球クラブチーム・茨城ゴールデンゴールズの監督に就任。15年駒大仏教学部に入学(その後中退)。

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