二宮和也「いろいろな人に迷惑をかけていることだけは分かっていて」独立後初インタビュー

スポーツ報知
インタビューに応じる二宮和也(カメラ・小林 泰斗)

 嵐の二宮和也(40)が、このほどスポーツ報知の独占インタビューに応じた。昨年10月24日にスマイルアップ(旧ジャニーズ事務所)を退所以降、メディアのインタビューに応じるのは初めて。独立した経緯や個人事務所「オフィスにの」での仕事ぶり、11月に25周年を迎える嵐、40歳の抱負を語り尽くした。3日連続のロングインタビュー初回は「独立」や「オフィスにの」について明かした。(取材・構成=田中 雄己)

 半信半疑だった。待ち合わせ時間になると、ドアが開いた。本当に、本物の、二宮和也が現れた。「お久しぶりです。よろしくお願いします」。朗らかな雰囲気に柔らかな笑み。以前と変わらないニノだった。

 今までは、事務所の社員やマネジャーが“仲介”に入っていたが、今回は、メールのやり取りからスケジュール調整まで全て二宮本人と連絡を交わした。取材が決まり、わずか2日後に顔を合わせた。

 「お恥ずかしい話ですけど『大変お世話になっています』とか『表題の件に関しましては』といった文言を使ったことがなくて。生活圏内のフランクなやり取りだけで。田中さんとメールするにも『様』と付けたことがなくて。あとは癖で、様のあとに『。』を付けちゃうんですよね。自分の名前にも『二宮。』って(笑い)。何かを区切りたいんですかね」

 昨年10月に27年間在籍した事務所から独立。「オフィスにの」を設立した。自身でメール作業から日程管理まで行い、実姉と共に公式サイトも立ち上げた。

 「お仕事の依頼などを確認して、朝、昼、午後、夕方、夜とメール作業をしますね。もともと6時くらいに起きる生活だったので、朝のボーッとする瞬間が、確認事に費やす時間に変わっただけですけど。今は、ダブルブッキングだけを恐れて生きています(笑い)。あと請求書の件ですとか『よろしければ、出演料の交渉をさせてもらってもよろしいでしょうか』とか。あれがムズい、本当にムズい(笑い)。改めて今まで自由にやらせてもらっていたと実感しましたね」

 ドラマや映画、CMやバラエティーなどの“出役”に、“裏方業”も加わった。軽快な口ぶりとは対照的に、かつてないほど多忙を極める。

 「ここ数か月でお仕事も一番忙しくなって。最大集中したパフォーマンスをより持続できるように。人も増やしたいし、車も借りたい」。そう言うと、ニヤッと笑った。ソファに深く腰掛け、リラックスした体勢になった。「芸能人って、アルファードに乗っているイメージあるじゃないですか? メチャクチャ探したんですけど、運転してくれる人がいないので。あの車を自分で運転する芸能人ってなかなか見ないしなぁとか(笑い)。車庫証明や駐車場とか細かなところもね」

 事務所はスポーツジャーナリストの増田明美さんの夫で、ファイナンシャルプランナーの木脇祐二氏が代表取締役を務める。自身の肩書を聞くと「完全なる平社員」とすぐに返ってきた。

 「契約社員みたいなものです。『オフィスにの』と契約する社員であり、タレント。単年契約を更新される側の人間なので」。今後も「平社員」は継続する予定で「僕は、外で働くことで信用を得ないといけない。代表には、ならないでしょうねえ。基本的に、そんなコミュニケーションを取れるタイプではないですし」

 怒とうの1年となった昨年。7月から「VIVANT」(TBS系)、「ONE DAY~聖夜のから騒ぎ~」(フジテレビ系)と2クール連続でドラマに出演。10月には主演映画「アナログ」も公開された。そして、事務所の創業者・ジャニー喜多川氏の性加害問題は、自身の仕事にも影響を及ぼした。「VIVANTは宣伝活動もしないで、作品内で出演が明かされて。新しい挑戦でした。『月9』にも初めて出させていただいて。下半期の半年間はずっとドラマに出ていて」。そう言うと、間が空いた。5秒、10秒と無言が続いた。ソファのきしむ音が響いた。二宮は、リラックスした姿勢から正座に変え、口を開き始めた。

 「メチャクチャいろいろな人に迷惑をかけていることだけは分かっていて。それに対して、何も言えないまま過ごしているのは違う。どこかで、ちゃんとしないと『自分は関係ない』となりそうで怖かった」

 10月24日に退所を発表した際は「怖い」「不安」と自身の感情を吐露した。

 「仕事がなくなる不安や恐怖は数%で、分かりづらいかもしれないですけど、誰の時間軸で動いているか分からないのが怖くて」

 ジャニー氏の性加害問題が波及し、所属タレントのCM起用を自粛する企業が現れた。各メディアも起用に慎重な姿勢を示し、昨年末のNHK紅白歌合戦は44年ぶりに出場ゼロに。二宮自身も「伊藤ハム」や「ライオン」など多くのCMが影響を受けた。自身がコントロールできないところで問題が広がり、出演番組や作品の関係者やスポンサーなど多くの人の迷惑になることに恐怖を感じた。

 「一度置かれている状況に対して、ベストな形を見つけないと嘆いてばかりになりそうで。正面きって話し合える環境を作った方が安心できるんじゃないかと独立を決めました」

 入所から27年間在籍した事務所。当然、即決はできなかった。12歳で入所した自身と同様に「夢」を見るジュニアが気がかりだった。

 「大人は、発信できる場所や表現がありますけど、ジュニアの子たちが心配で。彼らをどうケアしていくか。それがずっと心配で、つらくて。いろいろ考えました。勝手にやめた人間が言うのはおかしな話ですけど。イノッチ(Annex=旧ジャニーズアイランド=社長・井ノ原快彦)がいるので、安心はしているんですけど」

 その井ノ原も、背中を押してくれた。

 「イノッチからは『事務所が変わったとしても先輩・後輩としては変わらない。そういう関係でずっと居続けてくれたらうれしいな』とメールを頂いて。『後輩がお芝居のことで悩んでいたら見てもらえたら』とか。本当にうれしいですよね。(「STARTO ENTERTAINMENT」の新社長)福田(淳)さんからは、お手紙を頂きましたね。わ、新社長だぁと。僕も話す時が来るのかなぁ」

 そして、もちろん嵐のメンバーとも。5人で話し合い、直接意思を伝えた。

 「自分以外に『嵐』というモノが、もちろんあって。嵐が動く時には、さすがにいないといけない。4人でやるのは違うと思うし、私も本意ではない。やれることがあるなら、やらせていただきたいと伝えさせていただいて」

 それまでは、時折冗談やタメ口も交えたニノらしい語り口もあったが、「嵐」の話題になると、明らかに雰囲気が変わった。視線は鋭く、トーンは低くなった。「本当に、大事にしてきたモノに対して向き合わないといけない」。大切なモノを慎重に扱うように、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。=中編に続く=

 ◆二宮 和也(にのみや・かずなり)1983年6月17日、東京都出身。40歳。96年にジャニーズ事務所(現・スマイルアップ)に入所。99年に嵐としてシングル「A・RA・SHI」でデビュー。2006年にTBS系ドラマ「少しは、恩返しができたかな」で橋田賞受賞。同年「硫黄島からの手紙」でハリウッド映画初出演。15年「母と暮せば」で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞などを受賞。18年「検察側の罪人」で報知映画賞助演男優賞を受賞。血液型A。

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