「ミスターNHK」磯村尚徳さん死去、94歳 「ニュースセンター9時」初代キャスター

スポーツ報知
亡くなった磯村尚徳さん

 元NHKのニュースキャスターで外交評論家の磯村尚徳(いそむら・ひさのり)さんが今月6日、骨髄異形成症候群のため東京都のホスピスで死去していたことが13日、明らかになった。94歳。1974年に「ニュースセンター9時」の初代キャスターを務め、従来のニュース番組のスタイルを大きく変えたことで注目された。退局後の91年には東京都知事選に立候補も落選。98年の長野五輪開会式では総合司会を務めた。

 記者が書いた原稿を読むだけでなく、自らの言葉で視聴者に伝えるという新たな概念のニュース番組を「ニュースセンター9時」で作り上げ、「ミスターNHK」とも呼ばれた磯村さんが亡くなっていたことが明らかになった。

 関係者によると、最近の磯村さんは、日仏メディア交流協会の会長として談話会の司会を務めるなど、両国の架け橋として尽力していた。

 学習院大卒業後の53年にNHKに入局した磯村さんは、子供の頃の一時期をフランスで過ごしたことで身につけていたフランス語を武器に、“エリート”としていきなり活躍した。入局直後の新人が通常赴任する全国の地方局ではなく、外信部に配属。パリ特派員時代には、当時のシャルル・ド・ゴール大統領への単独インタビューを実現させた。その後、ワシントン支局長、外信部長を経て、74年4月に初代キャスターに就任したのが「―9時」だった。

 それまでのニュース番組は政治、経済、社会の順で記者が書いてきた原稿を、プロンプターを使ってアナウンサーがそのまま読み上げるという形式だったが、磯村さんはこれを一から見直し。「その日、最も伝えるべきニュースは何か」を検討し、重要度の高い順に並べ替えた。

 さらに、手元に置くのは要点を書いたメモだけとし、自分の言葉で語りかけるように伝えることに重きを置いた。「ちょっとキザですが…」などの言い回しは、「これがニュースなのか?」と一部で批判も出たが、視聴者には「分かりやすい」「親しみやすい」と高評価を得た。

 これらは、磯村さんが長い海外経験の中で、外国のニュース番組を参考に生み出した方法だった。同番組の視聴率はアップし、磯村さんは「ミスターNHK」と呼ばれるように。同様の方法は、「ニュースステーション」の久米宏さんや、池上彰さんに受け継がれた。

 転機を迎えたのは91年。NHKを退局し、東京都知事選に出馬した。当時、自民党幹事長だった小沢一郎氏を中心に党本部や公明党などの支援を得たが、自民党東京都連は現職の鈴木俊一氏を支持。保守分裂となる中、圧倒的な知名度を生かして選挙戦に臨んだが、85万票余りの差をつけられて鈴木氏に4選を許した。

 この敗北により、小沢氏は幹事長を辞任。磯村さんは「力不足を感じている」とした後、「ちょっとキザですが…勝ち戦には100人の将軍が名乗り出るが、負け戦は1人が責めを負う」というケネディ元米大統領の言葉を引用し、敗戦の弁を語った。

 その後は外交評論家として活動し、95年にフランスに渡ってパリ日本文化会館の初代館長に就任。10年間務めた。この間、98年に開催された長野五輪の開会式で総合司会を“古巣”であるNHKの道伝愛子アナと共に担当した。日本語だけでなく五輪の公用語の一つである得意のフランス語でも感動の場面を伝えた。

 ◆磯村 尚徳(いそむら・ひさのり)1929年8月9日、東京都渋谷区生まれ。幼少期は父の仕事の関係でトルコ、フランスで育つ。学習院大卒業後の53年にNHKに入局。外信部に配属されインドシナ、パリなどの特派員を務め、67年にワシントン支局長に。74年から「ニュースセンター9時」の初代キャスターに。91年に退局し、同年の東京都知事選に立候補も落選。2011年、旭日中綬章受章。

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